植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

シュヴァリエ

2007年10月31日 12時14分23秒 | ゲームシステム
 講談社マガジンZに連載されている漫画です。18世紀のルイ15世時代のフランスを舞台に、詩人と呼ばれる魔術のような力を持つモノ達と、それを駆逐するデオン・ド・ボーモンと、姉のリア・ド・ボーモンの話です。
 パリ市警に勤めるデオンは、詩人に殺された姉リアが憑依する事で、姉に変わり詩人に復讐を果たしていくと言うストーリーなのですが、ルイ15世やバリバリと政務をこなすポンパドール夫人など当時の歴史上の人物が出てきます。
 また、デオン・ド・ボーモンもルイ15世に仕えた外交官で、女官に成りすましてロシア宮廷に潜伏したなどの話からこの漫画では、姉に憑依されることで変身する設定にしたのではないでしょうか?

 この時代を舞台とした漫画は初めてで、当時のパリやベルサイユなども描写され、好きな歴史にどっぷりと浸れる作品でした。

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ゲームコンセプト5 フランス・ドイツ

2007年10月27日 11時11分49秒 | ゲームシステム
 さて、今回はフランス・ドイツです。特にドイツはプロイセンとして特殊効果もある国です。

フランス 【総生産6/6/6】
●ヴァロア朝のフランソワ1世の治世からで、婚姻によりブルターニュ公領を得て、対外戦争としてはハプスブルグ家と戦うものの北イタリアからの撤退を余儀なくされます。その後、ユグノー戦争を乗り切りブルボン朝のアンリ4世の治世となります。ヨーロッパの強国ではありますが、主な海外進出が無いことと、内戦があることから総生産を6としました。
●ルイ13世からルイ15世の治世までで、特にルイ14世は強固な絶対王政の元、ヨーロッパ最大の陸軍を保有し数々の対外戦争を行いますが、各国に対仏大同盟を組まれ、ネーデルランドの併合は果せずに終わります。また、戦費を賄うために導入された新税は国民の不満を招き、後のフランス革命の遠因となります。その為、総生産を6としました。
●ナポレオン戦争で、一時はヨーロッパ全土を制圧する超大国を築きますが、僅か十数年で敗戦しウィーン体制により、元の状態に戻ってしまいます。東南アジアに進出し、海外植民地を広げますが、普仏戦争に負けるなど波があるので、総生産は6としました。



プロイセン・ドイツ 【総生産5/6/7】
●ブランデンブルグ選帝侯がプロイセン公国と同君連合により、両領地を統治するものの飛び地ばかりで、以前神聖ローマ帝国内の1領主に過ぎない状況の為、総生産は5としました。
●フリードリヒ・ヴィルヘルムがスウェーデン勢力を駆逐し、息子のフリードリヒ1世が王位を得て、プロイセン王国が成立します。また、フリードリヒ2世はオーストリア継承戦争に勝利し、シュレージエンを得るなど強国と見なされるようになった為、総生産を6としました。
●ナポレオン戦争には敗退するものの、ウィーン体制化で国内の工業化が進み、さらに宰相となったビルマルクの鉄血政策によって軍事大国となり、ドイツ領内においてオーストリアを凌ぐ力を付け、普墺戦争・普仏戦争に勝利することで、ドイツ帝国を成立させ、列強の一角と見なされるようになった為、総生産を7としました。

※ドイツは同盟カードによる強国化により、国力を1から2にすることが出来ます。これは北ドイツ同盟を成立させ、ザクセンやヘッセンなどのドイツ諸侯を取りまとめることで、オーストリア抜きでドイツと言う国を作ることにほかなりません。オーストリア領を含む神聖ローマ帝国全体の領土なら国力を3にしても構わなかったのですが、現在の東西ドイツにプロイセンの領土だけなので国力は2と考えました。
 また、総生産はドイツ関税同盟や北ドイツ同盟などによって、プロイセンの経済力が北ドイツ全体に広がったのですが、あくまでプロイセン国内での産業革命があってこそと考えます。また、外交力もプロイセンがドイツ帝国になってあがったかと言うとプロイセンのままでも列強とみなされる地位を築いていた為、強国化では総生産の上昇だけに留めました。
 プロイセンによるドイツ統合のシナリオは19世紀を待たねばなりませんが、ブランデンブルグ選帝侯が婚姻により、他のドイツ諸侯を併合する可能性や、皆無に等しいですがハプスブルグ家に何かあれば神聖ローマ皇帝への推挙もありうると考え、このゲームではプロイセンによるドイツ統合を強国化扱いとしました。


ゲームコンセプト1
ゲームコンセプト2 ポルトガル・スペイン
ゲームコンセプト3 オランダ・英国
ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ
ゲームコンセプト5 フランス・ドイツ
ゲームコンセプト6 イタリア・日本

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アルメニア人虐殺問題と、土・米・露

2007年10月23日 12時03分12秒 | 国:オスマン・イスラム
 オスマン帝国が、第一次世界大戦中にアルメニア人を強制移住させたことで多数死なせたことを、アメリカが「虐殺」行為だったと下院で「認定」したそうです。
 虐殺=ジェノサイトは、ナチスによるユダヤ人虐殺に代表されるように、武力行使を認めている(戦争を認めている)国連で、行ってはいけない行為とされています。「虐殺」と認められた場合、国連はそれを止めさせなければならないなど、通常の戦争や内紛と異なる認識となっております。

 しかし、何故今更、現在ではなく第一次世界大戦時代のことを持ち出しているのでしょうか? その裏には、アメリカで活動するアルメニア人グループによる下院議員への圧力があったともされます。アメリカで活動するアルメニア人グループにしてみれば、自らが過去に受けた行為を「虐殺」として認めさせ、オスマン帝国を引き継ぐ今のトルコに賠償金を払わせたいなどがあるのかもしれません。
 勿論、トルコは反発し、虐殺ではなく戦時下の強制移住の結果の死であるとして、訪米を中止するなどの講義をしています。

 もともとアルメニア人はオスマン帝国内で商業によって財を築いて、宮廷とも関係を持ち、オスマン帝国を構成する一員でした。しかし、ロシアがコーカサスに進出し、アルメニア人の居住地域を制圧すると、オスマン帝国に揺さぶりを掛けるために、アルメニア人の民族意識を高揚させ、オスマン帝国からの分離独立を煽ります。アルメニア人の過激グループは、帝国内でテロ行為を繰り返すようになり、それに農民であるイスラム人(トルコ人・クルド人など)が、財をなしたアルメニア人への反発が重なり、1894年には両者の大規模な衝突が発生し、それを鎮圧するためにオスマン軍が動き、2万とも言う死者を出すことになります。
 第一次世界大戦下では、ロシアと通じてテロ行為を繰り返すアルメニア人過激グループへの対応として、反国家・利敵行為を予防する目的でアルメニア人をロシアとの戦闘地域であるアナトリア東部からシリアの砂漠地帯へと強制移住させる政策が開始され、これによって多くのアルメニア人が死亡することとなります。

 今回のアメリカ下院での決議から、歴史を紐解くと民族問題が如何に複雑かを考えさせられます。

トルコ反発 米下院委「アルメニア人虐殺」非難決議 揺らぐ?同盟関係(産経新聞) - goo ニュース

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ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ

2007年10月21日 11時13分50秒 | ゲームシステム
 ちょっとフランス・ドイツを飛ばして、ロシアとオスマントルコを先に書きこきます。共に国力が3という広大な地域を支配した国ですが、この時代の両国は隆盛と斜陽と反対の歴史を歩みます。


ロシア 【総生産5/5/6】
●イヴァン4世が1547年にそれまでモスクワ大公国だったのロシア帝国と自称し、カザン・ハン国、アストラハン・ハン国を滅ぼし、シベリアに向かって東方への拡大を開始します。しかし、対ヨーロッパ戦ではリヴォニア戦争でポーランド・スウェーデンに敗れヨーロッパから追い出され、さらに国内の粛清により国家は荒廃した為、総生産を5としました。
●1613年にロマノフ朝が成立したことで、国内の大動乱に終止符を打ち、対外的にもスウェーデン・ポーランドと和睦し、ピョートル1世の代にはオスマン帝国と争いアゾフ海に進出、さらにスウェーデンに大北方戦争で勝利し、バルト海沿岸を獲得し「西欧への窓」を得ます。この時代の末になってやっと西欧諸国は、正式にロシアを皇帝として認めることになります。総生産はぎりぎり5とし、次の時期に上げることとしました。
●エカテリーナ2世の時世にポーランドを分割し、露土戦争で南下政策を推しすすめ黒海沿岸やクリミア半島まで勢力を広げます。また、ナポレオン戦争にもモスクワを捨てながらも勝利し、列強の一角とみなされるようになります。その後クリミア戦争で英仏とサルデーニャに敗退しますが、これがロシアの農奴解放、産業革命へと繋がることになります。という事で総生産は6としました。



オスマン・トルコ 【総生産7/5/5】
●スレイマン1世の頃で、オスマン朝が最盛期を迎えます。バルカン半島の進出ではハンガリーまで制圧し、ウィーンを包囲します。ウィーン制圧は失敗したものの、海上でもスペインを中心としたカトリック諸国の艦隊をプレヴェザの海戦で撃破し、その支配地域はリビア・アルジェリアに及びます。総生産は文句なしの7です。
●スレイマン1世後の混乱期をキョプリュリュ家による執政期には盛り返し、帝国の版図は最大に達しますが、その後強行する第二次ウィーン包囲が失敗に終わると、ハンガリー、つづいてベオグラードまで失い、対ロシアでも黒海沿岸の地域の支配権を失っていきます。この時代、最強を誇ったイェニチェリが軍閥化し、弱体化・旧式化し、軍事面で西欧より劣るのが目立つようになります。総生産は5としました。
●西洋で産業革命が進むにつれ、その国力の差は歴然となります。西洋化を推し進めるも、ナポレオンのエジプト遠征をきっかけとしたエジプトの事実上の独立、、ギリシャ独立戦争でギリシャを失うなど「瀕死の病人」と称されるようになります。このことから総生産は5としました。


ゲームコンセプト1
ゲームコンセプト2 ポルトガル・スペイン
ゲームコンセプト3 オランダ・英国
ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ
ゲームコンセプト5 フランス・ドイツ
ゲームコンセプト6 イタリア・日本

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英蘭戦争

2007年10月16日 12時13分44秒 | 国:オランダ・ベルギー
 今日は、英蘭戦争です。この時代、英国と言ってもイングランドのことです。
 17世紀に入るまで、イングランドとオランダは、カトリックで先に大航海時代を乗り出したスペイン・ポルトガル両国に対抗する為、半ば同盟関係にあり特にイングランドはスペインを弱める為に、オランダの独立を支援していました。
 しかし、オランダの海運力が強くなってくると、イングランド国内でオランダに対する軋轢が生まれます。当時、重工業化によりイングランドは羊毛の一大生産国になっていました。これをオランダが船でヨーロッパ各地に運ぶ中継貿易で利益を上げていた為、イングランドは航海法を制定し、イングランド船以外の海運業を禁止してしまいます。
 そして、1623年のアンボイナ事件でイングランドはオランダの攻撃を受け、東南アジアや東アジアから撤退せざるを得なくなったことで、両国は本格的な戦争に突入します。
 この戦争は、間2回の和平を挟み3度も行われ、両国を疲弊させます。戦争の結末は、オランダを虎視眈々と狙うフランスをこれ以上有利にさせない為にも、戦争の終結が望まれ、1677年にチャールズ2世の姪をオランダの総督ウィレム3世に嫁がせることで和平が実現します。※1

 戦後、オランダは香料価格の下落によって香料貿易による建て直しを行うことが出来ず、一方英国はインドを綿花の生産地とし、さらに綿織物の販売を行う重商主義政策により国力を回復させ、これが英国の覇権へと繋がります。


 ちなみにダッチワイフと言う言葉、ダッチは花のダッチアイリスに代表されるとおり、オランダ人の蔑称です。英蘭戦争でイギリス人は、オランダ人の船乗りは、抱き枕を相手にしていると噂され、ダッチワイフと言う名が付いたとも言われています。


※1:この後、名誉革命によりこのウィレム3世の妻メアリー2世がイングランド女王に即位し、さらにメアリー亡き後はウィレム自身がイングランド王になったことで、イングランドとオランダ(オラニエ公)との同君同盟が成立します。
 しかし、ウィレム3世の後、メアリーの妹アンが女王になると女性王を認めていないオランダ(オラニエ公)との同君同盟は僅か1代で解消されてしまいます。

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ゲームコンセプト3 オランダ・英国

2007年10月14日 11時03分16秒 | ゲームシステム
 2回目は、オランダと英国です。

オランダ 【総生産5/7/6】
●スペイン領ネーデルランドとして独立前の状態ですが、独立戦争を戦いながらも海外進出を行っております。しかし、国として認められていないため総生産は5としました。
●独立戦争に勝利し、さらに海外では南アフリカ、インドネシアを植民地にすることで、ポルトガルに代わってアジアとの貿易を独占し、オランダ海上帝国を築きます。アムステルダムはヨーロッパ随一の交易都市となった為、総生産7。
●3度に渡る英蘭戦争で疲弊し、さらにナポレオン戦争ではフランスの支配下に置かれます。ウィーン体制でベルギーを領土に加えて王国として再出発しますが、直ぐにベルギーは分離独立してしまいます。一時期の隆盛は失われているため、総生産は6としました。



英国 【総生産5/7/7】
●イングランドと、スコットランドが同君同盟する前で、またイングランドは名誉革命・清教徒革命と混乱状態だった為、総生産は5としました。
●グレートブリテン連合王国が誕生し島内をまとめると、積極的に海外に進出しインド、北米を植民地にします。特にフレンチ・インディアン戦争に勝利したことで、原材料の供給先を手にいれ、これが産業革命の礎となります。このことからフランスより高い総生産を7としました。
●産業革命により世界の工場と呼ばれ、またナポレオン戦争にも勝利し、世界に植民地を広げ、並ぶ国無き世界帝国を築きます。総生産は文句なしの7です。


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トルデシリャス条約

2007年10月11日 12時29分48秒 | 国:スペイン・ポルトガル
 ポルトガルとスペインの話をしたので、両国の植民地政策に大きな影響を影響を与えたトルデシリャス条約について書きたいと思います。
 あまりにも有名なこの条約は、ポルトガルとスペインでヨーロッパ以外の世界を二分する範囲を決めたものです。これは、両国間の取り決めだけで無く、後に植民地を広げる英国・フランス・オランダにも植民地を持つことを禁止した排他的条約です。
 排他的に出来たのはローマ法王がポルトガルとスペイン両国が、新大陸での布教活動を行うことを条件に回勅と言う文章でこの条約を承認※1をした為です。これによって当時のヨーロッパ諸国としては、法王の意向には逆らえず※2植民地を持つ事が出来ませんでした。
 また、このことによりポルトガルやスペインが植民地とした国々ではカトリックが広まり、日本に渡来したポルトガル人も南蛮貿易と共に、布教活動を行いキリスタン大名まで出現することになります。

 この状態が本格的に破られるのは、オランダがプロテスタント国家としてローマ法王のくびきを解いてからとなります。これ以降、国教会の英国だけでなく、カトリックのフランスも本格的に海外に進出するようになります。
 特に布教活動を行わないオランダは、キリスト教を禁止した徳川幕府にとって都合の良い貿易国であり、このことから貿易相手はポルトガルからオランダになりました。
【名言】トルデシリャス条約を締結する
 ポルトガルとスペインが同盟を結んだ時。または植民地カードを二分する二大国が同盟を結んだ時。


※1:1481年に法王シクストゥス4世の回勅によって、カナリア諸島以南はポルトガル領と決められ、1493年にはスペイン出身の法王アレクサンデル6世がスペインに便宜を図り、子午線を境界線とし、西側をスペイン領とする回勅を出します。
 これを不満としたポルトガル王ジョアン2世は、直接にスペイン王フェルディナンド2世と交渉して境界線をさらに西側(ブラジル上空)にずらしたトルデシリャス条約を結びます。これを法王が1494年に追認し締結されます。

※2:フランス王フランソワ1世は、新領土から締め出されたことを「アダムの意志とはいったい何か?」と言って嘆きながらも、カナダ沿岸の調査をさせます。これが後にケベック州の植民地と、仏領ルイジアナの礎となります。

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ゲームコンセプト2 ポルトガル・スペイン

2007年10月09日 12時02分32秒 | ゲームシステム
 では、各宗主国の大航海時代(1500年頃)から、第一次世界大戦以前(1900年ごろ)までの400年間を、3つの時代に区切って見ていきましょう。

ポルトガル 【総生産7/6/5】
●大航海時代をどこよりも先駆けて突入したエンリケ航海王子の国で、1498年には喜望峰周りのインド航路を発見し、アジアとの香料交易を独占し、ポルトガル海上帝国築き上げた為総生産を7としました。
●1580年にはスペインに併合され海外の植民地を失い衰退します。しかし1640年ブラガンサ王朝がスペインから独立を果たし、また植民地ブラジルから多量の金が流入したため、バロック文化が花開きます。この時代、一時期の勢いは無いと考え総生産は6にしました。
●18世紀に入ると産業革命を達成した英国との対英貿易赤字がかさみ、政治的にも英国の従属的な関係になります。また、ナポレオン戦争により王宮がブラジルに避難し、これがきっかけでナポレオン戦争後にブラジルを失うことになり、小国へと転落します。この為、この時代の総生産は5と落としました。


スペイン 【総生産7/6/5】
●ポルトガルに続き大航海時代に突入し、新大陸中南米を発見しアステカ王国・インカ帝国を滅ぼし植民地化します。また、フェリペ2世の代にはポルトガルを併合し、『太陽の没することなき帝国』を築いた為、7としました。
●オランダ独立戦争に敗北し独立承認し、またポルトガルも独立するなど一時の隆盛は無くなりましたが、依然植民地を保持した大国であった為、総生産を6としました。しかし、この時代区分の末期、スペイン継承戦争によりブルボン朝になると共にナポリ・シチリアを失うなど衰退の影を見せます。
●18世紀にカルロス3世が国力の回復、対外的にはナポリ・シチリアの奪還、英国からフロリダの奪取など中興を果します。しかし、ナポレオンの侵攻を受け半島戦争に突入、再独立後王政復古しますが、自由主義勢力によるリエゴ革命が起き、これに乗じて中南米の植民地が独立してしまった為、総生産は5と落としました。
次回は、オランダ・英国を見てみましょう!


ゲームコンセプト1
ゲームコンセプト2 ポルトガル・スペイン
ゲームコンセプト3 オランダ・英国
ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ
ゲームコンセプト5 フランス・ドイツ
ゲームコンセプト6 イタリア・日本

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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ゲームコンセプト1

2007年10月03日 12時07分39秒 | ゲームシステム
 今日は久しぶりにゲームのコンセプトについて、語ろうと思います。
 まず、このゲームでは3回の集計タイミングがあり、それぞれをクォータと呼んでいます。また、各クォータごとに宗主国の総生産(カード最大保持数)が異なるもの特徴の1つです。

 クォータと呼んだのは、集計単位のクォータを1人の王や首相が長期に統治する期間として、四半世紀(25年)を想定した為です。
 当初のルールでは、各クォータの最後で山札が無くなった後に1週だけするルールが、第3クォータしかありませんでした。これを第4のクォータと見立て、ちょうど100年と考えたわけです。

 一方、1クォータ=25年の歳月では各宗主国の強さから総生産を割り出すには期間が短すぎます。各宗主国の総生産は大航海時代が活発になった16世紀から、第一次世界大戦が始まる前の19世紀末までの400年間を3つに割った期間を想定しております。
 このゲームで扱っている植民地が出来たのが大航海時代以降。そして戦車や飛行機などの兵器が登場する以前ということで、第一次世界大戦までをその範囲と考えました。

 次回は、各宗主国ごとにこの400年間の歴史を見てみたいと思います。


ゲームコンセプト1
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