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サクサク三国志:董卓

所属:後漢→独立
年齢:約61歳(200年の時 ※53歳で死亡)

 董卓も年代の都合から基本から除いている群雄です。

 朝廷を欲しいままにし、暴虐の限りを尽くし、最後は養子とした呂布に殺されると言った三国志の悪役の代表ですが、それだけではない一面も見えてきます。
 董卓は若いときは畑を耕したりと自給自足のような生活を行っており、さらに異民族の羌族と親しく交流し、羌族の顔役が来ると農耕に使う牛を殺してもてなし、相手はそのことに感激し、逆に牛などを千頭あまり贈ったと言います。その後、役人になり盗賊を取り締まり、さらには騎兵を率いて異民族の胡と戦います。董卓は武勇に秀で馬術もかなり巧みで、馬上で左右どちらからも弓を引くことが出来たといわれます。その武勇をもってこの戦いで数千の首級をあげたとされます。
 その後、中央に召され并州征伐軍に軍司馬として参加し、反乱を起こした族長を斬り、1万もの捕虜を得ます。董卓はこういった武功の数々をあげて、西域を監督する戌己校尉や太守、刺史などを歴任します。反乱を起こした部族との戦いは100を越えたとされますから、かなりの武勇を誇る猛者と言えるでしょう。
 184年におきた黄巾の乱では敗戦して免職となります。その後、涼州で韓遂が羌族と共に反乱を起こすと張温の元で勝利を収めます。さらに追撃すると羌族数万の反撃を受け包囲されてしまいます。その際、董卓は兵糧不足を偽り、川を堰き止め魚を取るフリをすると、堰き止めた川を下ることで包囲を突破し、董卓が率いる軍のみが脱出に成功します。
 この武勇から張温が都に帰った後を任され、前将軍となります。その後、少常や并州牧の地位を与えるので兵を手放すように命令を受けますがこれを拒絶します。そうしているうちに大将軍の何進が暗殺され、袁紹が首謀者の宦官を一掃すると言う政変が起きると、宦官の1人が少帝弁とその弟 陳留王を連れ出して逃亡してしまいます。ちょうど何進の呼びかけで兵を率いて洛陽近郊まで来ていた董卓はこれを発見して、少帝弁と陳留王を保護します。そして洛陽に入ると殺された何進の軍を取り込み、さらに丁原の部下の呂布を抱きこむと丁原を殺させてその兵も取り込み、その強大な兵力を背景に朝廷を牛耳ります。さらには少帝弁を廃して陳留王を帝(献帝)に据えると、少帝弁とその母 何太后を殺害し、権力を完全に掌握します。
 一方、洛陽を脱した袁紹を盟主に反董卓連合が結成されます。中でも孫堅軍は果敢に洛陽に迫っており、向かわせた軍も陽人の戦いで敗戦し、和睦交渉も拒絶された為、董卓は洛陽の財の一切を奪って要害の地である長安に遷都します。これによって孫堅も洛陽から追撃することが出来ず、董卓は危機を回避します。
 しかし、董卓の暴虐を危惧していた司徒 王允により呂布が離反し、その呂布によって殺害されてしまいます。その肥満した死体からは油が流れ、へそに灯心を挿したところ、火は数日間燃え続けたと言います。
 
 その能力は悩みました。統率は1度黄巾の乱には負けていますが、それ以外では連戦連勝しています。皇甫嵩の元で戦った際に、皇甫嵩が臨機応変な作戦を立てたのに対して、董卓はセオリーどおりの作戦を進言し、結局皇甫嵩の策が的中して大勝利を収めたことから、董卓の作戦は駄目だとの評価を得ています。皇甫嵩や孫堅が戦争が上手過ぎるだけで、統率は率いていた軍の精強さも含め4ぐらいは与えても良いかと言う判断です。自身の武力は洛陽・長安で贅沢して肥満した分をどう差し引くかです。差し引かないで4、差し引いて3ぐらいかと思います。
 政治は一応名士の取り込みを行い、太守や刺史に任命したりしているのですが、これが逆に反董卓連合を結成させると言う裏目に出ていることや、住民統治が圧政だったので1、知力は演義では李儒が参謀となっていますが、史実では呂布の取り込みや長安遷都などの策を自らで行っており、また自軍を多数に見せるために昼に派手に入京して、夜中にこそこそと出るのを数日繰り返して、毎日のように董卓の軍勢が入京しているようにみせたりと頭脳プレイも多いので3としました。
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植民地戦争 Ver2.0の企画

 ゲームマーケットでいまだ植民地戦争のウケが良かったことから、植民地戦争のバージョンアップ企画です。と言っても今ある植民地戦争そのものを破棄する訳ではなく+αとなるキットを併せることで現在の植民地戦争が拡張される構想です。
 
 現在の植民地戦争で持ち上がっている問題として、第1クォータの最初が植民地を誰も所持していないケースがあることから、動きが無く単にカードを引いてパスと言うことが起きる問題です。これに対して、最初から植民地カードを持った状態で始めることを検討しています。
 現在の緑の植民地とは別に各プレイヤーは追加される青の植民地を1枚持ち始めることにします。現在、その青の植民地として候補に挙がっているのは、アンゴラなど早い段階で植民地(と言うか航路の拠点)となった地域です。
 
 ・アンゴラ(国力+1)
 ・モザンビーク(国力+1)
 ・スリランカ(国力+1)
 ・グリーンランド(国力+0)
 ・ギニア(国力+1、カリブ、ブラジル植民地なら国力+2)
 ・コロンビア(国力+2)
 ・ラプラタ(国力+1、カード1枚)
 ・オーストラリア(国力+0/1/2)
 ・モロッコ(国力+0、総生産+1)
 ・マラッカ(国力+1、総生産+1)

 この10枚を裏にして1枚引いてそれを手持ちカードにしてスタートです。グリーンランドとマラッカでそこそこ有利不利がありますが、まあ多人数プレイですので有利なプレイヤーはその分マークされるということで大丈夫かなーっと。
 あとはこれを行うことで、植民地が多くなったので、参加人数を現在の6人から7人に増やすことも出来るかと思っています。その為の色カードも追加してみようかと思います。一度7名は現在のままの状態でも試したことがあり問題なかったので・・・。7人プレイは壮観です。6人で遊ぶと同盟関係が3vs3になりやすいのですが、さすがに7人だと3vs2vs2とかなり混戦として、複雑な国際関係が演出されます。(笑)
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サクサク三国志:酔っ払いオヤジ、長江の壁となる!

 曹操を苦しめる武将とはなんと!淳于瓊! あの酔っ払いオヤジです。

 元々、淳于瓊は揚州を支配していた袁術の配下だったのですが、曹操との戦いで袁術が戦死後、淳于瓊が江東一帯を継承します。当時、曹操は内情は兵力不足に悩んでおり、やっとこ召集した兵は、徐州から逃れて淳于瓊の元に付いた鬼才 陳登によって壊滅させられ、曹操は長江を渡ることが出来ません。仕方なく、軍師 魯粛が呉郡に訪れ、曹操の正当性を説き、都市毎寝返らせることに成功します(支配コマンド)。
 しかし、その後も淳于瓊は揚州に割拠し続け、最終的に寿春に篭ります。寿春は元々袁術の本拠地だった為、寝返らせることは出来ず、力攻めしかありません。これが兵力が不足する曹操には行えずにいたのですが、配下の武将 厳顔を呼び寄せると(背任コマンド)曹操は厳顔と共に出陣します。まさに本営防衛の戦力を使っての力攻めです。

曹操 「厳顔よ!すまん、そなたの力と兵を借りるぞ。」
厳顔 「この老いぼれ、最後に殿の為に尽力できて光栄ですわい。」

 しかし、これすらも防ぐ自体が起こります。

淳于瓊「ぬう、曹操め!しつこいヤツめ! 先生!お願いします!!」
先生 「…うむ、わかった。」



厳顔 「なにヤツ!」
呂布 「我が名は呂布! 覚悟!!」
厳顔 「ぐはーーーーー!!」

曹操 「避けー! 撤退じゃ!!」

と言う感じで、曹操は命は助かったものの、寿春攻略で惨敗しましました。
では、このゲームの結果はどうなったかというと、神に愛された群雄がいたのです。

部下 「殿~! こんなものを拾いました!」
袁紹 「おお!玉璽ではないか!!」

許靖 「殿~! 王様になるですよ。」
袁紹 「よし! なっちゃうか!?」

部下 「さらに皇帝になっちゃいましょう。」
袁紹 「そうだな!いっちょなるか!?」

劉備・曹操 「見過ごすと思うか!!!!!」

一応、袁紹が即位を企てると、劉備と曹操は袁紹を叩いて、14ポイントまで落としたのですが…

献帝 「この混乱を収めるには、世の帝位を袁紹に譲るしかない…。」
袁紹 「ありがたき幸せ。」

自分の手番の前の補充でなんと献帝を引き当てて、15点で即位成功です。
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サクサク三国志:中原を制する孫策と司馬懿

 昨日、ちょっと三人でサクサク三国志をゲームマーケットで遊びましたのでその報告です。トップの画像のようにプレイヤーは曹操、劉備、袁紹と比較的無難な君主を選んでスタートです。
 各君主の進出は矢印の通りで、青州から始めた曹操は南下して徐州、揚州へと南下します。荊州の袁紹は漢中への進出と、揚州で曹操とぶつかります。劉備は司隷を支配して、エン州で同じく曹操と激突します。なんで中央の豫州に誰も進出しなかったかと言うとそこに壁があったからです。




 豫州には空白地の勢力 孫策に軍師 司馬懿が割拠していたからです。司馬懿は統率5、政治4、知力5で唯一弱点の武力2を孫策の武力5がカバーすると言う凶悪な組み合わせの為、プレイヤー3人は全く手が出ず、豫州を避けての領地の奪い合いになった次第です。
 しかし、いつまでの豫州に侵攻できないと、ジリ貧となってしまう状況だったので、満を持して将軍 徐晃に干禁を援軍に付け許昌に戦争を仕掛けます。

 しかし、司馬懿は張コウを使ってあっさりと撃退してきます。司馬懿がマーク??なんで何でも合うのが反則級です。こっちはやっとこ××に合うカードを引いたというのに…

 劉備が豫州進出で苦戦していた頃、曹操もまた長江の渡河でまさかの将軍に苦しめられていました…
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ゲームマーケット2011報告

 ゲームマーケットにお越しいただいた方、買ってくださった方、ありがとうございます。思った以上に、デンマーク・スウェーデンをお求めの方が多く、早々に無くなってしまって、折角お越しいただいたのに申し訳ございませんでした。次回はもう少しお持ちしたいと思いますので、是非またお越し頂ければ幸いです。

 また、植民地戦争、サクサク三国志で遊ばれた方は是非ご一報ください!!

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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ゲームマーケット当日

ブース220植民地戦争です。頑張って売っています。是非お越しください。
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三国志時代の州と今の省

 中国の内モンゴル自治区が騒がしい様です。モンゴル族遊牧民が漢族の炭鉱労働者のトラックにひき殺された事件をきっかけに、モンゴル族と漢族の対立が激化しているそうです。

 前にも少しブログで、内モンゴル自治区やチベット自治区は清時代になるまで中国の領土では無く、近年にその領土に組み込まれたので、扱いが難しいです。

 今一度、三国志の時代の13州と今の中国の領土と照らし合わせてみると、随分と違うことが判ります。幽州は遼寧省と河北省の北側ですが、今の領土の方が内陸に広がっています。それだけ内陸に殖民が進んだのでしょう。冀州は河北省の残りの部分とほぼ一致しています。并州は山西省とほぼ一致、青州は山東省の大部分です。一方、エン州は山東省と河南省に分断されて見る影もありません。司隷もあちこちに分断されています。
 涼州は甘粛省とほぼ一致。ここは昔からシルクロードとして漢民族がおさえていた土地だということが伺えます。荊州は湖北省と湖南省を合わせたぐらい。しかも荊南四郡がそのまま湖南省と一致しています。徐州は江蘇省とまあまあ一致、揚州は浙江省・安徽省の南部、それに江西省に福建省です。ちなみに江西省は揚州の豫章郡とほぼ一致しています。
 最後の益州は四川省と重慶、それに南中の部分が雲南省と貴州省です。四川省がかなり西に広がっているのは、清時代にチベットを分割して併合したためです。

 こうして照らし合わせてみるとそこそこ三国志時代と言うか後漢時代の州の面影を残していますね。

中国・内モンゴル、民族対立の土地を行く 不信と不満、双方限界(産経新聞) - goo ニュース
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サクサク三国志:荷物搬出

 やっとゲームマーケット用の荷物を搬出しました。辛かった・・・

 例年はキャリーバッグに詰めて持っていっていたのですが、サクサク三国志がかさばる為、入りきらずダンボール2つになってしまい、仕方なく初の事前送付することになりました。

 ゲームマーケットの案内には伝票の到着指定日を12日の当日にすると書いてありましたが、その上には6日から10日の間に到着するようにとあります。どう言う事かと思案した結果、宅配会社の浅草の集配所に6日から10日に届くようにすれば、12日まで宅配会社が集配所で留めてくれて12日に搬入してくれるのでは無いかと思って、宅配会社の地元の集配所に4日に持ち込むと、さすがに12日なんで預かれないの1点張り・・・浅草の集配所に6日に届けばよい旨説明すると、それなら5日に持ってきてくれないと、4日に預かると5日に着いちゃうからと。
 仕方なく釈然としないままこの日は持ち帰り、週明けにゲームマーケット準備会に電話して確認をとってみると、想定したとおり浅草の集配所に6日から10日に届くようにすれば、12日まで宅配会社が集配所で留めてくれて12日に搬入してくれるとのこと。
 それで本日、再度 地元の集配所に持ち込んで預かって貰ったのですが、料金を見ると複数口割引が適用されていない!そのことを告げると、複数口用の伝票が別にあり、そちらに書かないと駄目とのこと。そうならそうと教えてくれ! 面倒だったけど折角書いた伝票を破棄して、その場で指定伝票に書き直して、やっと持ち込み割引と、複数口割引を適用させることが出来ました。
 まさか搬出することになるとは思わなかったので、その送料分が原価を押し上げてしまったので、僅かですが複数口割引は適用させたかった次第。

 いやー苦労しました。
 
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イタリア統一150周年

イタリアが統一150年を迎えています。150年なので1861年になります。イタリアで民族統一の機運が高まり、各地でフランスやオーストリアからの支配を脱する反発が起き、ついにサルディーニャ王国を中心にイタリア北部が統一され、さらにジュゼッペ・ガリバルディが私設軍隊を率いて両シチリア王国を打ち倒し、北イタリアに合流するとトスカーナなどの中部イタリアも住民投票によって合流したことてイタリア王国が成立したのが1861年のことです。

もともとイタリアと言う国の領域は、フランク王国の分裂によって決まりました。西フランクはドイツとなり、東フランクはフランスとなります。中央フランク王国は、オランダ、ベルギー、スイス、北イタリアの領域でした。その内、オランダ、ベルギー、スイスが東西のフランク王国に併合されたため、中央フランク王国はイタリア王国として北イタリアのみを版図とする国家となります。
南イタリアは、この当時は東ローマ帝国の版図で後にシチリア王国が建国されます。その後も南北が同一の国家となることはなかった訳ですから、ローマ帝国以来イタリア半島の統一を果たしたこととなります。

ランゴバルド王国がけっこう南まで支配域を広げたんですが…
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サクサク三国志:特別企画 地図4人用 その2を掲載

 ゲームマーケット参加特別企画として、今回発出しする「サクサク三国志」の追加地図の掲載を行います。サクサク三国志では、三国時代の州を地図として使っています。参加する人数にあわせて使う州の範囲を決めていますので、3人で遊んでも5人で遊んでも勝利する為に支配しなければならない広さはほぼ同じになるようにしています。

 また、少ない人数の場合は使用する州を変えることで違う地域で覇権を競い合うことが出来ます。今回、サクサク三国志では3人用・4人用・5人用の地図の他に、3人用だけ別の地域の地図を追加で入れてあります。そして今回、こちらのブログをご覧頂いた方専用に、4人用の別バージョン(4人用 その2)を掲載しました。
 是非、ゲームマーケットでお求め下さった方は、以下のページから追加の地図もダウンロードして、4人で遊ぶ際の別バージョンとしてお使いください。

【4人用 その2】
 4人用との違いは、揚州を外して代わりに漢中と涼州を入れました。ほぼ曹操が支配した地域となります。東西に長くなっており、涼州と青州がかなり離れているのですが、朔方のショートカットが使えますので一挙に涼州から幽州に進出することも可能です。この朔方は、匈奴の住むオスドス地方でカードを1枚使うことで使えるのは、貢物を贈ることで道案内をしてくれるイメージです。
 また、江夏と江陵が益州や揚州がない為、他の都城と繋がっておらず、中央にある荊州が実質端になっているのも特徴です。

サクサク三国志紹介ページ

地図のダウンロードはこちら
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~usa_neko/1800_v2/map4-2.pdf

※地図の掲載はPDFファイルです。表示にはAdobe Readerが必要です。Adobe ReaderはAdobeの製品です。
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