植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

聖なる王権ブルボン家

2007年07月28日 13時18分58秒 | 国:フランス
 今、「聖なる王権ブルボン家」を読んでいます。

 ほぼ初めてフランス側の本を読んでみたのですが、これがまた面白い。ハプスブルク家から見れば敵国として書かれてしまうのですが、ブルボンから見た同家の実情はそれはそれでとても楽しいものです。
 本ではブルボン家の5人の王の生涯が紹介されているのですが、最初のブルボン朝を興したアンリ4世の話が面白い!!
 若くして(幼くして)ナヴァール王となったアンリは、当時13歳のシャルル9世に従い全国を回ります。そこには後にユグノー戦争で敵味方に別れ、また王位争奪で熾烈な争いを演じることとなる、王弟のアンジュー公アンリや、ギース公アンリ、そして従兄弟のコンデ公アンリが居ます。みな10代前半の子供ですが、自らの王位継承順位や、プロテスタント、カトリックの代表として軍を率いることになります。
 ヨーロッパでは宗教の都合、同名は多いのですが、これほどまで同年代のそして競い合う者が同じ名前と言うのも珍しいのでは無いでしょうか?

 この時代、フランスはユグノーと呼ばれるプロテスタントの信者が多くなり、旧来のカトリック信者や貴族と衝突しだします。プロテスタント側にも貴族が現れ、王族を巻き込んでの戦争となります。
 後にこの戦いを制して、アンリ4世となるナヴァール王アンリは、母の影響からプロテスタントとして育てられるのですが、王宮に軟禁されカトリックに改教。そして王宮を脱出すると、プロテスタントに戻りプロテスタント軍の代表となります。しかし、王位が目の前にまでくると、プロテスタントであることが障害になります。するとアンリはまたもやカトリックに改教することで王位を得ることになります。
 これだけ書くと王位の為に節操無く改教しているように思われますが、それだけ熾烈な状況下に置かれており、その機転が彼を王にしたと言うことがよく判ります。

 是非、何かの機会にユグノー戦争時のTRPGをやりたいと思います。

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選挙と戦争

2007年07月28日 11時24分41秒 | 雑談
 遂に明日、参議院の投票日です。ニュースや新聞、そして雑誌で選挙戦が取りざたされており、どこも激戦の様子が伝えられております。
 特に、今回与党である自民党の苦戦が言われているだけあり、ゴシップ誌では「どれだけ負けるのか?」が大きく上げられています。一部、自民党が30台の議席しか確保できなとまで言われていますが、冷静なところ40台のどこかがポイントになるそうです。
 45議席を超えれば、過半数行かないまでも、その後無所属や野党の切り崩しを行うことで過半数を確保できる可能性が高く、まあ自民安泰というラインだそうです。しかし、それを下回ると過半数は難しく、野党に参議院を抑えられてしまう可能性が高くなります。もし、本当に40を割ることになれば、まさに大敗。その後はもしかしたら自民大分裂もありうると言う予想もあります。
 勿論、野党第一党の民主も背水で、逆に与党を過半数割れに追い込め無かれば、今度は民主が分裂する危険もあり、今回の選挙は両党にとって大きな意味を持つ選挙になるかもしれません。(勿論、他の野党はこの両党の争いに隠れてしまいがちでさらに生き残りを掛けた辛い選挙戦でもあります。)

 今回、この話題を取り上げたのは、なんかこの間遊んだクリミア戦争に似ているなと思ったからです。軍隊を動かし交戦させ、その勝敗によって外交を優位に進めることが出来る。勿論、外交だけで逆転することもあれば、戦争で大敗し外交すら出来ない状況に陥ることもある。
 まさに選挙戦での議席獲得は、軍隊の戦争結果であり、その後の各党の政略は国家間の権益を争う外交に近いものがあります。

 未来の日本を占う大事な選挙ではありますが、行かないよりは、一つこの選挙をこんな視点で見ながら是非、大事な一票を投票しに選挙所に足を運んでみては如何でしょうか?
 きっとこんなことから政治にも興味が持てるようになるかもしれません。


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皇帝位

2007年07月24日 19時31分19秒 | 雑談
 今日は、少し長い大作で、皇帝と言う位について書いてみようと思います。

 西洋での皇帝と言えば、ローマ帝国において、終身独裁官となったユリウス・カエサルか、その次に初代皇帝となったアウグストゥスから、皇帝と言う位が生まれます。
 当時は、ローマ帝国の支配者と言う意味だったのが、ローマに組み込んだ他の部族の長に王位を与え、帝国内の辺境の司令官に公(公爵)の地位が与えられていった過程で、皇帝>=王>=公 という権力関係が生まれます。

 帝位は唯一の最高支配者でしたが、ローマ帝国が2つに分裂したことにより、皇帝位も2つになります。
 東ローマ帝国は、15世紀のオスマン帝国に滅びるまで存続し、その支配者も皇帝でした。一方、西ローマ帝国は5世紀に滅亡し、帝位が宙に浮きます。その為、ローマ法王庁は、東ローマ帝国に代わってカトリックを守護してくれる国を作り出そうとし、800年にフランク王国のカールに西ローマ皇帝として戴冠させます。しかし、フランク王国はカールの後、国が三分してしまいます。帝位はその後、東西フランク王の間を行き来しますが、実体も権威も無い帝位でした。

 その中、東フランク王位に就いたオットー1世は、カール大帝に倣いアーヘンで帝位の戴冠式を挙行します。以来、東フランク王国は神聖ローマ帝国(ドイツ人によるローマ帝国)となり、その統治者は皇帝※1となります。
 一方、西フランク王国は帝位を失い、そのままフランス王国になっていきます。

 この時点で、ヨーロッパにおける帝位は、神聖ローマ帝国と東ローマ帝国の2カ国です。

 次に、東ローマ帝国がオスマン帝国によって滅びると、今度は東ローマ帝国の帝位が宙に浮きます。それを狙ったのがロシアになる前のモスクワ大公国です。
 モスクワ大公国は、東ローマ帝国皇帝の姪を探し結婚することで、東ローマ帝国の帝位を継承し、国名をロシア帝国にし、国王を皇帝(ツァーリー)と自称しだします。

 この時点で、ヨーロッパにおける帝位は、神聖ローマ帝国とロシア帝国の2カ国になります。

 そして、18世紀末にナポレオンが登場し3人目の皇帝を称し、フランスが帝国(第一次帝政)になると、帝位は2カ国だけと言うルールが無くなってしまいます。このナポレオン戦争で、神聖ローマ帝国は崩壊し、後継国としてオーストリアが帝国を引き継ぎます。しかし、プロイセンがグ普墺戦争・普仏戦争で勝利したことで、ドイツ諸侯をまとめて、皇帝として即位します。これは、ドイツ諸侯が王位を持っていたため、その1つ上として帝位が必要だったのと、オーストリアに勝っている為、神聖ローマ帝国の帝位を自国が継承したと言うことでしょう。
 しかし、オーストリアは帝位を捨てず、オーストリア=ハンガリー帝国となった為、この時点で帝位は、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、そして一時期の間フランスはナポレオン3世による第二次帝政となった為、4カ国の帝国が存在することになります。

 しかし、大英帝国と謳われた英国は、正式には連合王国で、植民地だったインドにおいて英国王はインド皇帝に即位しただけに留まっています。同様にベルギーもベルギー王兼コンゴ皇帝、イタリアもイタリア王兼エチオピア皇帝と、ヨーロッパの皇帝を名乗ることは避けています。

 この帝国乱立時代も、第一次世界大戦でドイツ、オーストリアが敗戦し、ロシアで革命が起きると、全ての帝位が失われ、現在ヨーロッパで帝国を名乗る国※2は無くなります。


※1:以前にもブログで書きましたが、神聖ローマ帝国の統治者は、まずドイツ王になり、その上でローマ法王から戴冠を受けて皇帝になります。

※2:第二次世界大戦、ナチス・ドイツが帝国を名乗り、神聖ローマ帝国、ドイツ帝国に続く帝国として、第三帝国と呼称しました。


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ハプスブルグ一千年

2007年07月22日 12時14分55秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 最近、歴史好きに私がした(*^_^*)知り合いから、「ハプスブルグ一千年」と言う本を頂きました。
 これだけオーストリア・ハプスブルク家をこのブログで語っているのですが、ちゃんと同家の頭からの歴史をちゃんと読んでいなかったので調度良い機会でした。

 まず、読んでびっくり! この本の書き方が、雅な王侯貴族は名古屋弁でこのように話したんだと、文中の台詞が名古屋弁なのに笑いました。あと、婚姻で家領を広げていったのを現すためか、ことさら風俗や下のネタが多く書かれていました。

 生真面目な人は眉をひそめるかもしれませんが、ある意味歴史をお堅い読みものと思っている人には、その概念を砕く内容ではないでしょうか?

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クリミア戦争プレイレポート

2007年07月19日 23時16分50秒 | 国:ロシア
 自分でも変わったゲームをコンベンションでやっているな~ってつくづく思うのですが、それに付き合ってくれる知り合いに感謝!感謝です。
 さて、ブログや掲示板で何度か予告したクリミア戦争を半ボードゲームのような感じで遊びました。

 ルールの大きな特徴は、

1.プレイヤーは、ロシア・トルコ・英国・フランス・サルデーニャのそれぞれの国になって、軍隊(陸軍・海軍)を動かして、戦争と外交を行う。

2.軍隊の戦いは、軍略カード・兵種カードを互いに出し合い、有利不利が決まり、その上で将官の能力とダイスで勝敗を決める。

3.自分の番に戦況を鑑みながら、他国と交渉し有利な条件で条約を締結し、戦争を終結させ、一番有利な条件を得たものが勝ち

 といったものです、単純にコマを動かしてのウォーゲームにせず、外交交渉で得たポイントで勝敗を分けることにしたのが特徴です。

 ゲームは、当然ロシアのプレイヤーさんが「トルコに喧嘩を吹っかけないとゲームが始まらない!」と言って、史実どおりロシアが無条件降伏を迫り開戦します。
 これに素早くトルコは聖地管理権をフランスに譲渡することを条件に、対ロシア戦への参戦をさせます。フランスはこれに大喜びで飛びつきます。
 さらにトルコは、勝利ポイントを減らして徴兵を行い、軍隊を増員します。当初、無謀とも思えたこの判断により、トルコはロシアの猛攻をイスタンブール近くのエディネルで防ぎます。
 これがフランスのトルコ参戦で苦境に立つロシア側に組しようと考えたサルデーニャの考えを砕くことになります。ロシアからコンスタンティノゴルスクの割譲を条件にロシア側に組して参戦したもののそのロシアの立場が危ういものとなってきました。
 その頃、英国はトルコからのキプロス割譲の要求と、ロシアからの一緒にトルコを分割しよう要求に揺らぎます。一旦は、トルコ側に参戦しますが、ロシアと戦うことなく単独講和し、逆にトルコ軍と交戦しだします。
 一旦はフランスの支援の元、ロシア軍を防いだトルコ軍も英国軍の攻撃にピンチになり、英国に対して和平の条件を打診しだします。これには各国の利害が絡むため、一時ロシア・フランス・サルデーニャとも戦争を中断し、各国が講和の為の条件を出し合います。
 英国が要求するロシア・トルコの両国が黒海に艦隊を配備しないなどで折り合いが付きそうな場面もありましたが、結局この講和ではロシアは我が国の国民が納得しないと言い、講和会議を離脱し最後の猛攻を掛けようとします。これに対して英・仏・土・サルデーニャは非難し、ロシアと戦います。
 こうなるとロシアに勝ち目はなく、オデッサを攻略され全面降伏で幕引きとなりました。

 結果、もっとも有利な条件を得たのが、聖地管理権とキプロス割譲を得たフランス、つづいてロシア艦隊が壊滅したことで英国、ロシア領の黒海沿岸を得たトルコでした。日和見だったサルデーニャは、コンスタンティノゴルスクから勝利条件にならないソーチを得ただけにとどまりました。

 この話だけ見ると、思ったとおり、軍隊の活躍と外交手腕によって勝敗が決まるという実際の戦争に近いゲームとなり、その点では満足だったのですが、主催者兼マスターとして参加したので、サルデーニャだった為、投入軍隊が少なく1戦も出来ず、1プレイヤーとしては残念なゲームでした。

 今度は、プロイセンでオーストリアやフランスと戦ってやるぞ!と思うこの頃でした。

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謀反人とならず者

2007年07月16日 09時56分56秒 | 国:英国
 街頭やテレビで、夏の参議選で各党が熾烈に争っているのが見られます。どの党に入れるかは別議論として、「選挙には行こう!」という事で、今日は政党のお話です。

 「スコットランドの謀反人」と、「アイルランドのならず者」と言うのは、英国の初期の議会で形成された、二大政党「ホイッグ党」と「トーリー党」のことです。

 英国議会は、その初期において1つの問題にぶち当たります。それはジェームズの王位継承問題です。1660年の王政復古で即位したチャールズ2世に嫡子が居なかった為、その弟のジェームズが次の王として有力でしたが、英国国教会が主流となった英国において、彼はカトリックを信仰しており、彼がの王になるのに多くの国民が懸念していました。

 議会でもジェームズの即位を認めないグループと、王位の正当な継承から考えてジェームズを認めるグループに分かれて、議論が行われました。それが「ホイッグ党」と「トーリー党」です。
 ここでの注意点は、トーリー党はカトリックのジェームズが王になるのを喜んでいるのではなく、ジェームズにも嫡子が居ないので、一代ならカトリックの王も認め、本来の王位継承を優先すべきと言う事で、ジェームズの即位を認めていただけで、彼らもカトリックの王は望んでいなかったことです。

 結局、ホイッグのジェームズから王位継承権を剥奪する法案は否決され、結局ジェームズは即位します。
 すると、ジェームズはカトリック保護政策を打ち出し、時代遅れとなった絶対王政的な態度をとり始めます。さらに嫡子が生まれると、トーリー党もその子※への王位継承には反対の立場を取り、議会はジェームズの娘でプロテスタントだったメアリーと、その夫でオランダの総督ウィレム3世を英国に召還し、メアリーを女王として、ウィレムをその共同統治者として即位させます。

 このあたりの「名誉革命」の歴史は、またどこかで書きたいと思いますが、この国を揺るがす問題に直面し、英国では「ホイッグ党」と「トーリー党」が生まれ、この後、それぞれ自由主義・資本主義政策を打ち出す党と、保守政策を打ち出す党になって行きす。

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プレイレポート「同盟と権益と」

2007年07月13日 11時30分32秒 | ゲームシステム

 やっとアップできました。C.P.U.さんでは4回遊んだのですが、どれも激戦で、どれを紹介しようか悩んだのですが、このゲームを紹介します。
 今回は、オプションの宗主国オーストリア、スウェーデン、ムガールも混ぜて遊びました。また、デンマークも使用されました。

・オーストリア:婚姻で未使用の宗主国引き、それがキリスト教国なら植民地に出来る。
・スウェーデン:国力2、総生産6/5/5 の通常国
・ムガール  :国力3、総生産6/5/5だが、植民地インドが場に出ると国力1に低下。
・デンマーク :国力1、総生産5だが、初めから植民地としてノルウェー(国力1、デンマークのみ総生産+1)


【日 付】2007/6/23
【場 所】C.P.U.
【参加者】ドイツ(ナッシュ), オーストリア(ベー), スウェーデン(千夜), ムガール(キムラ)

 第1Q。4人プレイだと同盟がかなり強力なのですが、独墺同盟が成立します。その後すぐにオーストリア=ムガールも同盟を成立させ、スウェーデンが取り残されます。
 後半に、オーストリアは第1Qから『婚姻』を行い、未使用の宗主国を1枚引きます。これがロシアなら一挙に国力3を得ますが、オスマンだと婚姻できず何も得られないという掛けです。
 結果、これまた新しい宗主国デンマークを引き、キリスト教の国なので、婚姻成立。国力は1なのですが、デンマークの特典としてノルウェー(国力1)が付いてきて、合計国力+2。
 これに対して、各国もオーストリアの拡張を警戒しているだろうと踏んで、スウェーデンは、そのデンマークに侵攻。北欧支配を夢見ます。オーストリアは、ここで兵を裂けず1兵力のみ、ドイツも非協力的で同盟の援軍は1とスウェーデンが勝つかに思われましたが、遠方のムガールが恩を売るべく3兵力も寄こしたので、スウェーデンは敗退します。
 次にことを起こしたのはドイツ。スウェーデン領アラビアがオートリアに租借されているのに目を付けて、アラビアに攻めます。名目は対スウェーデン戦ですが、実質同盟国のオーストリアの国力を落とす作戦です。
 ドイツの大兵力の前に、租借地守備兵では勝てないと判断したオーストリアは和平で無効にし、アラビア租借地の権益を守ります。
 結果、第1Qは、デンマーク=ノルウェーを得たオーストリアが優勢で終わります。


 第2Q。各国共に植民地を広げていきますが、ドイツのみ出遅れます。その為ドイツは遂にオーストリアとの同盟を破棄し、デンマークに侵攻します。しかしこれもムガールの援軍を得たオーストリア軍の勝利に終わります。
 そして、駄目出しはオーストリアが最後に手持ちに持っていた植民地アメリカを出したことでした。これで一挙に国力があがり、ほぼオーストリアの勝利が決まったかの第2Qの終結でした。


 第3Q。せめてということで、軍事拡張したスウェーデンが、オーストリアからデンマークをもぎ取ったのも束の間、ドイツ領南アをオーストリアが奪います。
 終盤に来てドイツがムガールの国力を落とせると言う2倍お得なインドを引き当て、最後の望みをつなぎます。しかし、当然と言うか、ムガールはその巨大軍事力を持ってインドを奪取。この時、実はドイツは以前から虎の子のように抱えていた兵力カードを2枚持っていたので使うと思いきや、使わずにムガールにインドを引き渡します。後で知ったことですが、この時ドイツが持っていたのは、司令官カードが2枚。×2のスペシャルカードを2枚持っていても他に兵力が無ければ0という事で涙を呑んだそうです。
 その為、最後の逆転を掛けて、スウェーデンがオーストリア領となった南アを攻めるも、ここでもムガールの強力な将軍が駈け付け、スウェーデン軍は奮戦するも敗退しゲーム終了となりました。

 結果、オーストリアの大勝利と思いきや、攻撃目標にならずにじわじわ国力を伸ばしていたムガールが同点の1位になると言う結果に驚かされました!
 と思ったのですが、再計算するとムガールが単独トップ!! さらに驚くべき結果に! は! オーストリアは以外にダシにされた!?
 

【結 果】
    1Q 2Q 3Q 計
ドイツ   4+ 6+ 6=16
オーストリア  5+ 9+16=30
スウェーデン 3+ 6+16=25
ムガール   3+ 5+24=32*


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集計表更新

2007年07月11日 12時06分52秒 | ゲームシステム
 最近忙しくなり、更新が滞りがちですが、頑張って行きたいと思います。まず、セルフコンで遊んだ1回と、C.P.U.さんで遊んだ4回を集計表に反映させました。
 5回中、4回が1位が2国と言う激戦ばかりだった為、集計表では単独1位のみをその国の勝率としていることから、イタリアなど勝率を落としました。
 オランダ、オスマンも今回遊ばれたのですが、依然勝てませんね。今度、私が遊んで初勝利を狙ってみますか?

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その時「石橋湛山」

2007年07月04日 22時37分58秒 | 国:日本・アジア
 その時歴史が動いたで、石橋湛山が紹介されました。実は、総理大臣にまでなったこの人物を知りませんでした。
 ジャーナリストとして日本の帝国主義に反対し、しかもその反対の理由も経済的に、米英との貿易額の大きさから考えて、米英と戦端を開くことは利にならないと経済的観念を持ち出すところに驚かされました。
 戦後も、首相として冷戦構造打破するべく、日中貿易を行うことで、米中の架け橋を担おうとします。しかし、僅か2ヶ月で脳梗塞の為、首相の座を退くことになり、次の総理は対米関係重視した岸総理になります。
 
 かねてから親米派だった岸内閣は、対中融和路線から、米追従対中路線に大きく外交政策の転換を行ったことで、中国側の批判を招き、日中貿易も頓挫し中国との関係は最悪になります。

 その中、台湾問題が発生し、いっそうの米中の緊迫が起きます。その状況を見かねた石橋元首相は訪中し、周恩来と会談しそこで「日中米ソ平和同盟」を提唱します。これは中国にとって国際的に孤立している状況を打開する良い方策と感じ、台湾への武力行使しない。平和を求めるという共同声明を出すまでに至ります。

 この事が、米中、日中の国交回復に繋がったと言うことでした。

 石橋湛山の言葉として、「経済がイデオロギーを超越する」と言う言葉が紹介されていました。歴史的や文化的などさまざまな理由で対立する場合でも、友好関係を築いた方が国益になるなら、手を結ぶことになる。1つ感心させられた内容でした。

【名言】経済がイデオロギーを超越する
 いがみ合っていた国どうしが、国益の為に交友を持つようになった時。


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