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イランの歴史

 前回のイランの外交に続き、今回はイランの歴史です。イラン=ペルシアとしてアカイメネス朝ペルシア、アレキサンダー大王、ササーン朝ペルシアなど古代史では有名で学校の授業でも登場します。
 その後中世に入ると、イスラム教が広まり、ウマイヤ朝・アッバース朝・セルジューク朝とイスラム帝国が続き、そしてモンゴル帝国の進入、ティムール帝国の繁栄と続きますが、その後の「植民地戦争」が題材としている近世の歴史はあまり知られていません。

 ティムールの後、イラク北部のトルコ系遊牧民族の黒羊朝、つづいて白羊朝に支配されます。その後、イスラム神秘主義のサファヴィー教団が軍事力を持ち、白羊朝を滅ぼし、イラン全土を支配すると、シーア派を国教とするサファヴィー朝を建国します。これが今のイランとその周辺にシーア派が広がる要因となります。

 今日のメインはこのサファヴィー朝ペルシアです。サファヴィー朝は、建国の勢いで周辺諸国を取り込んで、オスマンの属国を併合していきます。それに対抗してオスマンが派兵したことで、チャルディラーンの戦いが起こります。この戦いでは、サファヴィー朝の騎兵が、オスマン帝国の大砲の前に惨敗してしまいます。
 その後、サファヴィー朝はオスマンの侵攻に苦しめられる時代が続きますが、アッバース1世が大航海時代真っ盛りのオランダと同盟を結ぶことで、銃兵軍団、砲兵軍団を設立するなどの軍事革命を実現したことで、オスマンに占領されていたアゼルバイジャンを取り戻すなど、国力を回復させます。
 しかし、アッバース1世が亡くなると国内は混乱に陥り、直ぐにオスマンにイラクを取られ、18世紀になるとアフガン人、クルド人などが反乱を起こすようになります。そして、アフガン軍マフムードに首都イスファハーンを攻略されると滅亡します。

 その後、イランを統一したガージャール朝は脆弱で、ロシアや英国の半植民地状態となります。その中で、軍事クーデターによりパフラヴィー朝が成立。パフラヴィー朝は、軍事力を背景に半植民地状態を打開し、さらに石油とアメリカの援助の下強力に近代化を推し進めますが、急性すぎる改革がイラン革命を招き、今のイラン・イスラム共和国になります。

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イランの外交

 イランが対米路線まっしぐらの中、イラクの様に国際的に孤立するのではなく、外交としてロシアから武器を買ったり、同じイスラム系が強いマレーシアと天然ガスの開発などを行っているニュースがありました。
 対米路線が正しいかはここでは議論しないことにして、対米路線を選択したなら、アメリカ以外とは仲良く協力関係を築いていくのは、外交方針として正しいです。
 ロシアは、アメリカのポーランドへのミサイル配備など軍事で揉めており、その中ロシアと軍事的に親密な関係を築き、あまりアメリカとは喧嘩したくない、マレーとはあくまで経済協力を行うと言う外交のさじ加減には賞賛せざる得ません。

 一方、日本はというと、一番下にリンクを貼ったR25のコラムで揶揄されるように、新米追従路線まっしぐらなのですが、如何なものでしょうか・・・

イラン、マレーシアのSKSと天然ガス開発契約を締結(ロイター) - goo ニュース

ロシア、イランに対空ミサイルシステム供与へ=通信社(ロイター) - goo ニュース

【コラム】 アメリカ様。今年のご要望は何ですか?(R25) - goo ニュース

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フランダースの犬

 クリスマスと言うことで、前に「ベルギー消滅!!」で少し取り上げた「フランダースの犬」のお話です。
 このクリスマスの日に、主人公ネロが愛犬パトラッシュと死んでしまうお話は、フランドル(今のベルギー)を舞台としていますが、作者は英国人のウィーダ(1839-1908)の書いた童話で、実はベルギーではまったく無名で、ネロとパトラッシュが死んだアントワープのノートルダム大聖堂前に日本人観光客が来ては、記念碑を探すことから、後から日本人のために記念碑が設置されたほどです。ベルギー人曰く、「俺たちは、こんないたいけな少年をほっとくような冷たい人間じゃない!」と言うのが人気が無い理由とか。
 どうも悲話で終わる話に共感するのが日本人だけらしく、アメリカでは結末がハッピーエンドに変えられているそうです。それを不思議に思った地元のベルギー人映画監督が、「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成したそうです。
 結局、何故、日本人だけに共感を得るのかについては、日本人にある「滅びの美学」が関係していると言うことらしいです。

「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画(読売新聞) - goo ニュース

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gooあしあと

 なんか、gooで「gooあしあと」と言うサービスを始めたらしいので、飛びついてみました。(^_^;)
 本来、ブログのテンプレートに貼れれば良かったのですが、それはアドバンス(有料)だけとのことだったので、仕方なく自分のホームページをフレーム分割して張りました。しかし、植民地戦争を分割すると、ブログから戻るたびに分割されていってしまうので、使っていなかった本来のトップを使ってみました。

パソコンでは、こちらのページではなく、
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~usa_neko/1800/index.html
 ↓
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~usa_neko/
こっちのページに切り替えてみてください。
gooあしあと が出てきます。
なお、フレーム分割出来ない、携帯などではいままでのURLの方でお願いいたします。

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大英帝国勲章

 goo ニュースで、英国でのバレエの功績が認められて、大英帝国勲章が与えられるそうです。
 バレエは詳しく無いのですが、この勲章以下の様にランクがあり、上から以下の様になっています。

 ナイト・グランドクロス(大十字騎士 GBE)
 ナイト・コマンダー(司令官騎士 KBE/DBE)
 コマンダー(司令官 CBE)
 オフィサー(将校 OBE)
 メンバー(団員 MBE)

 上から2つが所謂「ナイトの称号」で中世の騎士団制度を模したもので、これが授与された英国ないしは旧英植民地の男性なら、『サー』の敬称を許されます(女性なら「デイム」)。
 日本で勲章と言えば、今では文化の日に文化功労者に授与される文化勲章が一般的ですが、それと比べてしまうと、英国の「サーの称号」はとても魅力的に思えて島します。
 ちなみに、今回の吉田さんの授与はコマンダーだそうです。

吉田都さんに大英帝国勲章、ロイヤル・バレエ団で活躍(読売新聞) - goo ニュース

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英国旗のデザインが変わる!?

 またもや衝撃的なニュースが飛び込んできました。ユニオン・ジャックで有名な英国旗のデザインが変わるかもしれません。
 英国の旗は、連合王国を構成するイングランドとスコットランド、そしてアイスランドの旗を掛け合わせたデザインとなっています。しかし、同じく連合王国を構成するウェールズの旗は組み込まれていません。
 これは、イングランドがスコットランドと連合王国を形成するずっと以前に、イングランドがウェールズを連合した為と言われています。

 ここに来て、各連合王国で議会が復活し、より一層の自治が行われるようになったことで、ウェールズの国旗をユニオン・ジャックに織り交ぜるべきと言う話が持ち上がっているそうです。

 しかし、ウェールズは赤い竜で、線で構成されたユニオン・ジャックとは織り交ぜ難いデザインです。さて、どんなデザインになるのでしょうか?

 ブログの画像は適当に真上に置いてみた私の勝手な想像です。(^^ゞ
 置いてみると以外にもしっくり来ます。!(^^)!

英国旗、200年ぶりに変更も=ウェールズの赤い竜をデザインに (時事通信) - goo ニュース

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イタリア統一 サルデーニャとヴェネチア

 前回のヴェネチアの続きです。イタリア統一を成し遂げたのは、サルデーニャ王国です。何故、1000年も続いたヴェネチアではなく、サルデーニャだったのでしょうか?
 1つはイタリア統一運動(リソルジメント)が始まったのが、ナポレオン戦争後の1815年からとされ、そのときにはサルデーニャ王国はあっても、ヴェネチア共和国はウィーン会議によってオーストリア領に組み込まれてしまった為と言うのがその理由でしょう。
 では何故、サルデーニャ王国はナポレオン戦争を生き残り、ヴェネチア共和国は滅亡したのでしょうか? これはサルデーニャ王国はナポレオン戦争でも首都ニースをナポレオンに奪われながらも、国王はサルデーニャ島に非難し、王国が存続していたことと、フランス革命戦争に参戦していたことが同国の存続に繫がり、逆にヴェネチア共和国は、フランス革命戦争に参戦しておらず、また完全にナポレオンに占領されてしまったことにあると思います。
 さらに、では何故、サルデーニャ王国は参戦し、ヴェネチア共和国は参戦しなかったのでしょう? この確たる理由は定かではありませんが、サルデーニャ王国は、1701年-14年のスペイン継承戦争、1733年-35年のポーランド継承戦争、1740年-48年のオーストリア継承戦争に参加し、いづれも戦勝国となっております。
 一方、ヴェネチア共和国は18世紀には対外戦争をしておらず、17世紀末の第二次ウィーン包囲後のヨーロッパ諸国(教皇領・オーストリア・ヴェネチア・ポーランド)のオスマン・トルコとの戦争に参加し、1699年にダルマチアをオスマン・トルコから奪還したのが最後です。
 この18世紀が両国の差を招いたのではないでしょうか?

 また、ヴェネチア共和国は15・16世紀にヴェネト州に領土を広げて以降は、イタリアへの領土拡大は行っていません。上記のダルマチア取得以前にも、レパントの海戦でオスマン・トルコを破っていますが、望んだのはかつての領土だったキプロスでした。
 一方、サルデーニャ王国は、上記の3つの継承戦争ではいづれもイタリア半島の領土を狙っております。

 初めからイタリアへの覇権を狙っていたサルデーニャ王国と、地中海の交易路の確保に固執したヴェネチア共和国。この方針の違いが両国の存亡に繋がったのかもしれません。


 植民地戦争で、一時期ヴェネチア共和国を作ってみたことがあります。海軍での陸軍の乗員を可能としたり、かなり強引な宗主国でした。
 ヴェネチアを宗主国にするのはちょっと無理がありました……。(^^ゞ

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ヴェネチア共和国の興亡

 今回は、ヴェネチアについて書きたいと思います。ヴェネチアは、7世紀に東ローマ帝国宗主権下の自治領としてドージェ(元首)が選出されてから、1797年にナポレオンが侵入し滅亡するまで1000年以上に渡って、アドリア海の北岸のヴェネチア(ベニス)を首都として栄えた共和国です。
 その版図は、イタリアの現在のヴェネト州からクロアチアのアドリア海沿岸部(ダルマチア)、そして一時は、ギリシャのクレタ島やキプロス島まで進出し、海洋国家として栄え、『アドリア海の女王』と称されます。
 その国力を維持していたのは、中東と欧州を繋ぐ地中海交易で、遠くアジア・インドから陸路で持ち込まれた香辛料などを中東・地中海を通じてヨーロッパ各地と交易することで栄えました。アナトリアから中東にオスマン・トルコが進出してからは、対決と協調路線を繰り返しながら、常に交易路の確保に努めました。
 しかし、大航海時代により喜望峰航路が発見され、各国が自前で植民地から物資を輸入できるようになるとヴェネチアの交易路の価値が低下し、ヴェネチアは緩やかに衰退していきます。
 15世紀にはイタリア諸国を巻き込んで、大国オーストリアやフランスとも渡り合い、イタリアでもっとも強力な国だったヴェネチアは、18世紀末にはナポレオン戦争に向かうオーストリア軍に領内を勝手に通行されるなど、国家としての権威は無くなっており、ナポレオン戦争後のウィーン体制ではオーストリア領として組み込まれてしまいます。

 その後ヴェネチアは、イタリア統一戦争を成しえてイタリア王国を建国したサルデーニャ王国が普墺戦争に加担し、オーストリアに勝利したことで、イタリア王国の一部となります。

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箱根ガラスの森

 休みに箱根ガラスの森美術館に行ってきました。あまり工芸品・美術品には興味が無かったのですが、「いま、千年の眠りから醒めるヴェネチアン・グラス 水の都の炎の奇跡」と題して、ヴェネチア共和国時代の工芸品を多数出展していることに惹かれた次第です。(*^_^*)
 特に広告に使われているゴブレットも凄かったのですが、レース・グラスと呼ばれる白い線を模様にし、ガラスの中に埋め込んだものの模様の精巧さには驚きました。
 当日は雨でかなり寒くゆっくりとは出来なかったのですが、建物の外観も中世を偲ばせる感じで、とても満足しました。

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プレイレポート「大日本ブラジル帝国」「オスマン包囲網」


 セルフコンでクリミア戦争の後に行った久方ぶりの植民地戦争の2ゲームについてまとめて簡単にレポートします。

《大日本ブラジル帝国編》

【日 付】2007/11/25
【場 所】多摩市民館
【参加者】英国(千夜), ドイツ(平), ロシア(イマナカ), 日本(たかゆ)

 第1Qは、どこもどっこいだったのですが、第2Qにロシアがエチオピアに始まり、北京・東南アジア・インドネシアと国力2の植民地をつぎつぎ引き当てます。これを結果的に野放しにしてしまったのが敗因で、第2Qをロシアが12ポイントで着地してしまい、第1Qとあわせると17ポイント。2位の日本の11ポイントと実に6ポイントの開きが出てしまいました。
 第3Qはさすがにマークされいくつかの植民地を奪われますが、それまでのクォータで、日本が引き当てたインドをドイツが奪い、逆に日本はドイツに奪われていたブラジルを奪い返すなど、対ロシアで足並みが揃わず、そのままロシアトップで終わりました。
 見所としては初にブラジル遷都を日本が行ったことです。何か日本のブラジル移民団を想像させ、ブラジルを首都とする大日本帝国にドラマを感じてしまいました。
 
【結 果】
    1Q 2Q 3Q 計
英国   2+ 4+18=24
ドイツ   4+ 8+16=24
ロシア    5+12+12=29*
日本   6+ 5+10=21


《オスマン包囲網編》

【日 付】2007/11/25
【場 所】多摩市民館
【参加者】ポルトガル(平), スペイン(イマナカ), イタリア(たかゆ), オスマン(千夜)

 この戦いはひどかったです。恐らく前回の戦いで国力3を持つロシアが圧勝した為に同じく国力3を持つオスマンがマークされたことと、オスマンが不用意に軍事大国化したスペインに戦争を仕掛けたのが問題でした。逆にポルトガルなどは早々にこのスペインと同盟を行い、イタリアも同盟。最後にイタリア・ポルトガル間でも同盟が結ばれ三国同盟が結成され、オスマンだけ蚊帳の外。ここまでくると開き直りですが、植民地カードも引けず、まさに何も出来ない状態でした。
 第3Qの最後に、同盟国間で戦争が行われトップ争いが起きますが、一枚上手だったスペインが勝利をもぎ取りました。

【結 果】
    1Q 2Q 3Q 計
ポルトガル 4+ 3+ 7=21
スペイン  3+ 7+ 6=22*
イタリア   1+ 2+ 8=19
オスマン   3+ 3+ 6=12


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