植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ロシアの野望

2008年08月30日 23時28分21秒 | 国:ロシア
 つい、タイトルに釣られてNewsweekを買ってしまいました。「ロシアの野望」ですよ! 光栄の信長世代にはそそられるタイトルです。

 内容の中心は今世界が注目しているグルジアの問題です。紙面では、ロシアは昔のように領土拡張をしたくて、グルジアを攻めたのではないと。
 冷戦崩壊後、超大国の座から落ち、ソビエトの連邦を構成していた各共和国は独立し、バルト三国やウクライナはEUよりになり、そしてこのグルジアは親米国となりました。ロシアにしてみれば身を削られた思いでしょう。そこに来てこのグルジアの問題です。しかも親ロシアと言っても良いオセチア人の自治州へのグルジアから先の侵攻です。ロシアは、これ以上は屈しないと言う態度を世界にアピールするためにグルジア戦に臨んだのだと言っています。
 まあ、アメリカも露骨にポーランドにミサイル防衛システムを構築したりとロシアが圧力と感じることをしてきたのですから、ロシアの気持ちも判らんでも無いです。しかし、現地で戦災に苦しむ人たちのことを考えると早く騒動が治まって欲しいものです。それに私たちもまったく影響を受けない訳ではなく、これをきっかけに最近落ち着いてきた原油市場がまた高値を更新しかねません。

 早く解決と言っても、近年グルジアに肩入れしてきたアメリカはロシアとの対立姿勢を明確に打ち出して来ていますし、逆にEU諸国はグルジアを通るパイプラインをロシアに破壊されないか心配で、ロシアへは低姿勢で対話を望んでいます。それにロシアへのエネルギー依存も高いので強いことは言えないでしょう。

 紙面では日本のことは書かれていませんでしたが、ニュースなどを見ていると、ある官僚が「グルジアなんて国民はあんまり知らないから、特に何もしない。」などの発言からも伺える通り、グルジアとの関係の少ない日本は積極的に動く気はなさそうです。
 
 しかし、だからこそです。和平のお膳立てをした国は株が上がり、国際社会での地位向上に繋がります。かつてウィーン会議を開催したメッテルニヒはオーストリアの地位を向上させ、五大国の1つにしました。日露戦争のポーツマス条約も、アメリカが国際社会での地位向上の為に両国の取り持ちを行いました。
 今回、アメリカ、EUがグルジアと関係が深いために動けなくなっているのであればこそ、日本が公平にアメリカとロシアの間に入って、この騒動を治めて欲しいと思います。
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パキスタン、ムシャラフ大統領辞任

2008年08月29日 23時11分55秒 | 国:オスマン・イスラム
 北京五輪が開催されている間にパキスタンのムシャラフ大統領が辞任すると言う凄いニュースが飛び込んできました。
 あまり取り上げ度が低いですが、実はかなり大きな問題だと思います。

 地図を見ての通りパキスタンは、アルカイダが潜伏しタリバンが跋扈するアフガニスタンへの入口となっています。アフガニスタンは内陸国なので陸路ならパキスタンを経由するしかなく、現にアフガニスタンに駐留するアメリカ軍の重要なベース基地となっています。
 もし、パキスタンが反米国になった場合、他にアフガニスタンと接する国はアメリカが名指しする悪の枢軸のイランぐらいしかありません。

 ちなみに他にアフガニスタンと隣接する国ですが、

 ウズベキスタン・・・・半独裁政権(CIS国)
 トルクメニスタン・・・独裁政権で永世中立国
 キルギス・・・・・・・唯一米軍が利用出来る空港があるがロシアのCISにも加盟
 タジキスタン・・・・・ロシアと同盟国で、ロシア軍が駐留(CIS国)
 中国・・・・・・・・・勿論、米軍が通行は出来ないでしょう

 といった感じになっております。如何に、アフガニスタンをなんとかしようと思った際に、パキスタンの協力が重要かが判ります。

 しかも、元々パキスタンはタリバンなどのイスラム原理主義に理解を示す人々が多い国でした。それがムシャラフ大統領が大きく親米路線に舵を切って、米軍を受入れ支援する代わりに、経済の発展を重視させました。ですので、ムシャラフ大統領辞任に伴い、もとの様に反米国なる可能性は十分にあります。

 日本人の拉致殺害まで起こった混迷を極めるアフガニスタン。なんとかする上でもパキスタンとの友好関係は是非保っておきたいものです。

※地図の色は、青:親米国 紫:親米だが協力を得られない状況 赤:反米国 ピンク:ロシアとその同盟国 灰色:独裁政権
パキスタン:ムシャラフ大統領辞任 「親米」でジレンマ 経済成長、国民は離反

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TEA GARDEN アールグレイ

2008年08月22日 12時26分49秒 | 雑談
 紅茶は好きでちゃんとした茶葉のものから、安いティーパックまで、いろいろな種類の紅茶を買って飲んでいるのですが、地元のスーパーでスリランカからの輸入紅茶でアールグレイが出ており、突っ込みどころの絵柄につい買ってしまいました。
 アールグレイは、紅茶にベルガモットの香りを付けたもので特徴ある香りから有名なフレーバーティーです。本当は茶葉はキームンですが、セイロンなどに付けることも多いです。
 アールグレイ名前は、英国の首相グレイ伯爵(1764-1845)の名前から来ています。彼が好んで作らせた為と言う逸話がありますが、アールグレイが流通しだしたのが20世紀に入ってからですので、有名な彼の名をとったと言うとことでしょう。

 さて買った紅茶のパッケージですが、帆船のイラストが描かれています。同じメーカでベリーのフレーバーティも出ており、そちらは数種類のベリーのイラストになっているので、この帆船がアールグレイをイメージした?もののようです。
 問題はこの帆船が掲げる赤・白・青の横縞の国旗。これがオランダなんですよねぇ。
 
 スリランカ・セイロン島は17世紀にポルトガルに代わりオランダが植民地化します。この際、オランダはイエメンからコーヒーの苗木を持ち込み、コーヒーの生産に成功し、その後のジャワでの生産と共に生産拠点となります。しかし、セイロン島の方はサビ病が蔓延し、コーヒー農園は全滅してしまいます。
 その後、1815年に英国がセイロン島を取得すると、セイロン島は今度は紅茶の一大生産地となります。そして今に続くのですが…

 と言うことでこの帆船が積んでいる積荷はコーヒーの可能性が高いと思われます。(^^ゞ ←揚げ足とりすぎ?

 で、紅茶の味はと言うと、25パックで105円にしては上出来で、セイロンなので苦味が少なく、またアールグレイの香りもホットで程よく出ていました。


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ブレッツカフェ クレープリー

2008年08月19日 19時21分29秒 | 国:フランス
 そば粉100%で作るクレープ「ガレット」を専門店で食べてきました。クポーンを使うと、リンゴのお酒「シードル」が1杯ついて来ますので、あまりお酒を飲まない私らはそれだけで済んでしまい、結局ガレットを2枚頼んだだけでした。(なんて利益にならない客(~_~;))
 ガレットは、ピザの具と同じくチーズにハムやトマト、それに卵などを乗せて焼いたタイプと、焼いたガレット上に後から生野菜を乗せたものがあり、折角なので季節のガレットでこの2種類があったのでそれを注文しました。

 トマトとクールジェットのコンプレット ・・・ 1200円
  (目玉焼きタマゴ、グリエールチーズ、オーガニックトマト、
   ズッキーニ、ハム(ジャボンドパリ))

 シシリエンヌ ・・・ 1480円
  (モッツァレッラチーズ、セミドライトマト、アボガド、
   ルッコラ、パルマ産生ハム、バジルソース)

 トマトとクールジェットのコンプレットは普通にビザのように美味しかったです。シシリエンヌの方は、生ハムの塩分とドライトマトの甘み・酸味が混ざってとても美味しく、それがアボガドとチーズととっても合います!
 それにシードルもとてもフルーティーで美味しかったです。

 このガレット、フランスのブルターニュ地方の郷土料理らしく、店内にブルターニュ地方の地図があったりと、気分はブルターニュ公です。(*^_^*)

 ブルターニュ地方は、1532年にフランスに併合されるまで、一応フランス王臣下の形はとっていましいたが、れっきとした独立国家でした。その上人種もフランス人がゲルマンのフランク族の末裔なのに対して、このブルターニュは、5世紀にゲルマンのアングロ・サクソン人に襲われたケルト人がブリテン島から海峡を越えて来た一族で、ブリテン島から来たのでブルトン人と呼ばれ、そしてブルターニュ地方と呼ばれるようになりました。
 今ではフランスの一部ですが、こう言った独自の郷土料理が残っているなど、フランスとは異なる文化を感じれて良かったです。
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南オセチア問題

2008年08月16日 08時57分29秒 | 国:ロシア
 五輪開催の真っ只中で、グルジアとロシアが戦闘状態に入りました。古代オリンピックは、オリンピックの開催中だけでも戦争を止めて、競技で優劣をつけようとしたものだそうですが、現代ではその効果は薄いようです。

 グルジアに南オセチアと日本人にはあまりなじみの無い国に地域ですが、力士の黒海の出身国で、黒海の化粧まわしがグルジアの国旗をあしらったものだったのを記憶しています。

 南オセチアは、グルジア内にある自治州で、オセット人と言う別の民族が住んでいるため、分離独立を掲げています。今回、そこにグルジア軍が侵攻したために、そこにロシアが干渉した訳ですが、ロシア領には隣接して北オセチア自治州があり、南オセチアはこの北と一緒になってロシア連邦入りしたいとしているのがロシア介入の原因です。
 このオセチアを南北に分けているのがカフカス山脈で、地図を見ると山脈の北はロシア領、南はロシアから独立した国々で、山脈が今の国家を作ったと言っても過言ではないでしょう。

 元々、このコーカサス(カフカス)と呼ばれる地域は、山岳の為小国家が乱立していた地域で、また隣接する大国に幾度か支配された歴史を持ちます。
 特に、近世では、イランのサファヴィー朝(最大版図は青色の線)、オスマントルコ(最大版図は紫の線)、ロシア(最大版図は緑の線)と大国によって地図が塗り替えられた地域です。
 バルカン半島が、同様に小国家が乱立し大国によって地図が塗り替えられ、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれ紛争が絶えないように、このコーカサスももう1つの火薬庫と言えるでしょう。
 ロシア内で独立を唱えるチェチェンもこのコーカサスにあります。

 地図の薄緑は、キリスト教の正教徒、ピンクはアルメニア教、薄紫はイスラム教スンニ派、水色はシーア派です。大雑把に分けていますが、宗教的にも交わっている地域だと言うことが判ります。
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女帝エカテリーナ 池田理代子

2008年08月12日 21時57分39秒 | 国:ロシア
 さすがに少女漫画はそんなに読んでいないので、「ベルサイユのばら」で有名な池田理代子氏が、ロシアの女帝の漫画を描いていたなんて知りませんでした。
 たまたま、1巻をBOOK OFFで見つけてしまい、即購入。

 読んでみると当時のロシアの皇位継承のドロドロした一面がよく伝わって来ます。
 エカテリーナの生まれは北ドイツ。と言ってもいまのポーランド領のポンメルンのシュテッティン。ポンメルンは愛玩犬のポメラニアンの原産地です。あの毛足の通り、寒くあまり作物が育たない地域です。父親はドイツの小邦領主ですが、プロイセン王国の領内であることからプロイセン軍少将です。
 母の方が良い家柄で、デンマークの根元にあるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の領主であるホルシュタイン=ゴットルプ家です。白黒の乳牛の品種で有名なホルスタインの名前の元になった地域です。

 後の夫となるピョートル3世がこのホルシュタイン公国の領主の息子で、母親がロシアの大帝ピョートルの娘で、ロマノフ王朝の男系の血が途絶えたことから、ロシア皇帝の皇位継承者としてロシアに召還されます。

 そしてエカテリーナが14歳にしてロシアに妃候補として迎えられたのは、オーストリア継承戦争の真っ只中で、プロイセン・フランス連合がオーストリア・英国とと戦っていました。
 そんな情勢で、ロシア皇太子の后になるべくドイツからロシアに渡るのですが…

 しかし、14歳にして母に「さあ!良くご覧になって わたしの後ろにロシア二千万国民に君臨するための玉座が見えません?」と言う少女ってどうですか!!(^^ゞ

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北京五輪開幕!!

2008年08月09日 11時45分02秒 | 雑談
 ついにオリンピックが開幕しました。前にワールドカップでも書いたのですが、特にスポーツが大好きと言うわけでは無いのですが、こう言った国対抗の大会は、見ていてワクワクします!

 特に昨日の開会式での各国の選手の入場行進では、いろいろな国を一同に見ることが出来、その国その国のお国柄を垣間見た気がします。

 今更ながら、どんな競技をやっているのか見てみると、カヌーとかホッケー、馬術とか見たことの無い競技をやっているのですね。
 日本人が強くない今日はあまり放映されないのですが、是非いろいろな競技を見てみたいと思います。


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オーストリアの歴史的地域

2008年08月07日 12時26分46秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 折角なので前回の地図を使って、今回はオーストリア帝国の版図を見てみましょう。
 地図で言えばオレンジの部分ですが、今のオーストリア、チェコ、スロバキアの全部と、イタリアの南チロルが、オーストリアの歴史的地域です。
 これにポーランド分割で得たポーランドとウクライナに跨る地域が加り、ヴェネチアを併合してアドリア海沿岸地域を獲得、最後にボスニアを支配下に加えます。このオレンジの地域と黄色のハンガリーの地域を合わせた広大な範囲がオーストリア帝国、ないしはオーストリア・ハンガリー帝国の版図となります。

 今の国で言うと、7カ国を完全に支配地域におき、さらに4カ国の地域にまで跨っています。まさに多民族国家の帝国です。

 ハプスブルク家は、実はオーストリアではなくスイス※1出身の貴族です。それが13世紀末にルドルフ1世が皇帝になると、ライバルであったボヘミア王※2兼オーストリア大公のオタカル2世を排除して、オーストリア※3の地を得ます。その後、チロル伯のマインハルト家が断絶すると、婚姻によりチロルを得て、15世紀にはスロベニアまでその勢力範囲を伸ばします。
 
 16世紀帝カール5世は婚姻によって、ブルゴーニュ公国領ネーデルラントとスペイン王国、ナポリ王国を手に入れヨーロッパ随一の帝国となりますが、これらの領土はスペインとオーストリアに分割され、スペイン側に相続されます。

 オーストリア・ハプスブルクはその後、16世紀から17世紀にかけてボヘミアを得、またハンガリー王位を兼ねるようになります。ここまでがオーストリア帝国の歴史的な地域と言えるでしょう。

 その後、18世紀にポーランド分割によりポーランド南部とウクライナ東南部、ナポレオン戦争後にヴェネチアとザルツブルグ、そして第一次大戦の直前にボスニアを得て、そして第一次大戦後にオーストリアはそれぞれの国に分割されてしまいます。

※1:スイスは当時まだ神聖ローマ帝国内の領土でした。スイス東北部のライン川上流域にハビヒツブルグ(鷹の城)古城が現存しており、ここがハプスブルグ家の起源とされています。

※2:ボヘミアはプシェミスル家による世襲国で、神聖ローマ帝国に帰順したことで、オーストリアを得て、また神聖ローマ帝国内でも高い地位を得て、皇帝の座を狙うにまでになります。あまりにも力を付け過ぎたのが災いして、他の諸侯の警戒を招き、皇位争奪戦でハプスブルグ家に負けてしまいます。

※3:このオーストリアとはウィーン周辺の地域だけで、チロル州やザルツブルグを除きます。

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ハンガリー歴史的地域

2008年08月02日 23時09分55秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 前回掲載したTシャツの裏に使ったハンガリー王国の版図がどれほど今のハンガリー共和国と違うか描いてみました。

 図の黄色の範囲がハンガリーの歴史的地域。今のハンガリーとスロバキアの全土、それにルーマニアの1/3の地域を占めるトランシルバニア、それにウラクライナやセルビアの一部に跨り、そしてクロアチアの沿岸部以外の地域を支配しています。クロアチアに関しては同君同盟でクロアチア王位をハンガリー王が兼ねる形です。

 ハンガリーに住む人はハンガリー人とは言わず、マジャル人といいます。マジャル人はアジア系の騎馬民族で、パンノニアのハンガリー平原に9世紀頃に定住し、王国を築きます。周辺はダキアのルーマニア人以外はあとはスラブ人です。
 建国したハンガリー王国は、強く、北のスロヴァキア、南のクロアチア、そして西のトランシルヴァニアと周辺の地域を支配下に置いていきます。東だけ神聖ローマ帝国領だった為、東にはその勢力範囲は拡大していません。
 この拡大した地域が、ハンガリー王国の歴史的地域となります。

 しかし、13世紀に南からオスマン帝国の侵略に遭い、1526年のモハーチの戦いでは国王ラヨシュ2世が戦死すると王家は断絶し、王位は姻戚関係にあったオーストリア大公のハプスブルク家が継承することになります。
 領土は中央部をオスマン帝国が直轄支配し、ハンガリー支配下で一定の自治を持っていたトランシルヴァニア候は、ハンガリーではなくオスマン帝国を宗主国とする公国になります。
 オスマン帝国の支配が及ばなかったスロヴァキアと、ハンガリーの東部分がオーストリア領下に入ります。

 そして150年後の1683年に第2次ウィーン包囲でオスマン帝国が敗退すると、オーストリアが攻勢を掛け、カルロヴィッツ条約でハンガリーほぼ全域がハプスブルク帝国下に組み込まれることとなります。

 その後、1867年にアウスグライヒにより、オーストリア・ハンガリー帝国が成立するも、第一次大戦に敗退すると1920年のトリアノン条約によってハンガリーは今の領土に削られてしまいます。

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