植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:韓玄

2011年01月02日 09時39分08秒 | ゲームシステム
所属:曹操
年齢:約37歳(200年の時)

 どうしようもないやられキャラ扱いされている韓玄です。演義では、生まれつき気が短くみだりに人を殺すと言ったまさに悪代官!長沙太守として、配下の黄忠に命じて攻めて来た関羽に当たらせますが、両者が義に基づいて相手を見逃しあうと、黄忠が関羽に内通しているのではないかと疑って、黄忠を処刑しようとします。そこを客将として居た魏延が黄忠を救おうと民衆を煽動し、反乱を起こした為に逆に殺害されてしまうと言った小悪党振りです。

 一方、史実では劉表が没した後に荊州を占拠した曹操によって長沙太守に任じられます。これが208年と思われます。正史には韓玄がどのような人物出てきません。しかし同じように曹操に武陵太守として任じられた金旋は、武帝に後事を託された金日テイの末裔で長安付近の名士です。つまり、後漢王朝のエリート中のエリートです。つまり、韓玄も後漢王朝の名門か、地元長沙の名士と言った同クラスの人物でしょう。
 しかし、赤壁の戦いで曹操が負けると、209年に劉備の命で関羽が侵攻してきます。配下に劉表幕下だった黄忠がそのまま残っていましたが、曹操は赤壁の戦いで勝つつもりでおり、この地での戦争は想定していなかった為、軍事には長けていない韓玄にはどうしようもなく、劉備軍に降伏します。その後、長沙を含む荊南は劉備の支配下に入り、その後直ぐにの荊州分割で呉の支配下になります。この激動の中、韓玄の処遇がどうなったかは不明ですが、韓玄がそのまま長沙にのこり、この地で没したことは長沙に墓が残っていることから伺えます。
 ちょっと話がそれますが、同じように荊南に派遣された太守の状況と見比べて見たいと思います。

韓玄(長沙太守)- 降伏するが、その後の動向が不明だが、長沙にて没する
金旋(武陵太守)- 交戦して死亡
劉度(零陵太守)- 降伏して、演義では劉備配下となり太守を継続
趙範(桂陽太守)- 降伏後、逃亡し北(恐らく曹操の元)に戻る

 とそれぞれ別の道を辿っています。

 まずマークは、曹操配下として××も考えましたが、曹操が赤壁大敗後北に帰った趙範と異なり、そのまま長沙に居続けたので、呉との関係も居れ×○としました。これは劉表配下で後に曹操に降った武将達と同じマークですので、曹操によって荊州に派遣された人物としては適切なマークと思っています。
 能力は、演義なら1/1/2/1でしょうが、正史から考えるともう少し評価を上げて1/1/3/1としました。それでも政治以外は使えないので、この武将カードを使うチャンスが来ずに捨てられる可能性も多いでしょう。
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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (浦部春香)
2019-10-22 07:19:00
大石芽依
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Unknown (田中優紀)
2019-10-22 07:25:25
大石芽依
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Unknown (伊関亜美)
2019-10-22 07:25:38
浦部春香
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Unknown (韓玄)
2019-10-22 07:25:49
韓玄
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Unknown (白戸彩花)
2019-10-22 07:26:36
滝瀬世莉
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