植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

四重冠

2007年08月30日 22時02分18秒 | 国:オスマン・イスラム
 ローマ法王のシンボルといえば、三重冠と呼ばれる冠です。今でこそ豪華過ぎると言う事で1978年のヨハネ・パウロ1世からの戴冠以降、使用しなくなりましたが、それまでは法王の地位を象徴する冠で「司祭、司牧、教導の三権」を象徴しており、中世においては言わばこの冠の主がヨーロッパ盟主として君臨していた訳です。

 この三重冠と言うシンボルに対抗意識を燃やして作られたのが、オスマン帝国の皇帝スレイマン1世がイタリアの金細工職人に作らせた四重冠です。
 当時のオスマン帝国は、ビザンチン(東ローマ)帝国を滅ぼし、その首都であるコンスタンティノプールを手中に納め、アナトリア、バルカン半島、シリア、エジプトを領土に組み入れ、その版図はまさに最盛期の東ローマ帝国の領土に及んでいます。
 その皇帝がかつてのローマ皇帝を夢見たしたとしてもおかしくありません。四重冠はそんな思いから作られたものではないでしょうか?
 イスラム教国のスルタンが、ローマのカイセル(皇帝)を目指す…そんな歴史があったことに感動です。

【名言】四重冠
 オスマンが大帝国を実現した有様を表わした言葉。「~を戴いた」

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オスマンVSヨーロッパ

2007年08月28日 20時09分40秒 | 国:オスマン・イスラム
 あまり読む機会が無かったオスマン帝国の歴史を読んでおります(著:新井政美)。内容としてはオスマンが興る前のトルコ人から、オスマン朝が興りビザンチンを滅ぼし、世界帝国を目指し、そしてヨーロッパに圧されていく一連の様が書かれています。かなり詳しく書いてあり、その割には難しすぎないのですが、かなりオスマン贔屓に書いている印象を受けました。それが私の今までの知識が、ヨーロッパから見たオスマンを見ている為に余計にそう感じるところもあるのでしょうが、どう見てもオスマンから見たヨーロッパとなっている感じがして、そこが少し引っかかりを感じました。

 スレイマン1世がオスマンの隆盛を極めたのは知っているのですが、その100年前にハンガリーを破り、ヨーロッパでは「雷帝」と恐れられた、バヤズィト1世がティムールと戦い破れ、嫡男を逃がし捕虜になるところなど、こんなところにも激動の時代があったんだと面白みがあります。

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世界陸上2007

2007年08月26日 10時15分47秒 | 雑談
 昨日、世界陸上の開会式を何気なく見ました。特に陸上競技が好きという訳ではなく、本当に興味本位で。
 しかし、入場行進を見てみると、実に色々な国からの参加があり、そしてお国柄が出ており、その国を垣間見れた気がして楽しかったです。
 ウズベキスタンの人は、白人系だったのかと驚いたり、白い巨大な毛の帽子をかぶった民族衣装に突っ込みを入れたり…
 セントルシア、サンマルコ、など普段はあまり聞くことのない国々からの参加もあり、改めて世界には多くの国があり、多くの民族がいるんだなと感じました。

 予定はしていなかったのですが、そんなことを楽しみながら世界陸上を観戦してみようと思います。

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爵位(公)

2007年08月25日 09時01分37秒 | 雑談
 今回は、皇帝・王と続いたので、最後の難関の公についてです。日本語では、公や侯と訳されますが、実はいろいろなケースがごちゃ混ぜになっています。
 1つは王位のところで紹介した諸侯の君主であるプリンスです。彼らはれっきとした独立国の君主で、小国の場合もあれば大国にのし上がる場合もあります。

 もう1つは今回紹介する爵位※1としての公爵(デューク)や侯爵(マーキュス、フュルスト)です。彼らは皇帝や王に仕える封建貴族で、帝国や王国内に所領を持っている存在です。
 プリンスと違い必ず仕える上がおり、戦争などで要請があれば王国の一翼として軍隊を出したりします。基本的に所領内では、行政・司法など得ているため、所領内では君主のような存在です。
 フランスにあったブルタニュー公、ノルマン公、ブルゴニュー公などは中世までフランス王に仕えながらも、半独立国のような存在でしたが、次第にフランスの王権に取り込まれていきました。
 一方、ドイツのバイエルン公、ザクセン公などは、三十年戦争の結果神聖ローマ帝国の権力が低下した為、実質独立国のようになります。しかしそれでも名目は神聖ローマ帝国の封建下にあり、18世紀のポーランド継承戦争では皇帝の招集により、軍隊を派遣したりしています。

 これら公爵(デューク)や侯爵(マーキュス、フュルスト)は、公(プリンス)と異なり、王位を得ることは当然難しいです。
 得たケースとしては、ブランデンブルグ辺境伯(マーキュス)のフリードリヒ1世がスペイン継承戦争の際に、神聖ローマ皇帝レオポルト1世に対して兵を援軍として派遣することを条件に、神聖ローマ帝国の領域外のプロイセン(現在のロシア領カリーニングラード)における王号を認められています。
 また、同時期にサヴォイア公(デューク)ヴィットーリオ・アメデーオ2世は、スペイン継承戦争で獲得したシチリア島をオーストリアに割譲することで、代償としてサルデーニャ島とその王位を認められ、サルデーニャ王国を成立させます。
 このどちらのケースも帝国領内での王位ではなく、領土外で初めて王位を得る事が出来ます。

 なお、現在残っている公国としては、ルクセンブルク公国が神聖ローマ帝国封建下のデュークで、リヒテンシュタイン侯国がフュルスト※2の国です。モナコ大公国は、帝国外のジェノバ共和国領内に出来た国だった為、プリンスの国※3です。


※1:日本的な爵位だと位ですが、中世の公爵や侯爵は爵位だけで無く、所領を持っています。その為、公爵や侯爵と表記せずに公・侯と表記する方が一般的です。近代になり、王権が強くなり諸侯の所有する領土が無くなると、単に位や称号となっていきます。

※2:ドイツ語の侯爵であるフュルストは、英語ではプリンスとなってしまい、英語表記では、プリンシパリティ・オヴ・リクテンスタインになってしまいます。しかしながらドイツ語ではフュルステントゥーム・リヒテンシュタインであり、歴史的にも、当時のリヒテンシュタイン家が買収したファドゥーツ伯爵領とシェレンベルク男爵領とを併せて侯領とすることを皇帝から認可を得たのが始まりです。

※3:モナコは、それまで単に「領主」と言う肩書きだったのですが、16世紀後半からスペインの支配下に置かれ、その中で17世紀には大公(プリンス)を自称し、スペインにも大公の称号が許可されています。

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王位

2007年08月24日 11時53分54秒 | 雑談
 以前、皇帝位と題して記事を書きましたが、今日は王位です。中世以前であれば、部族が部族を糾合していき、1つにまとまると国家が建設したことになります。例えば、フランク王国、西ゴート王国などがそのようにして建国しました。そして部族の首長が国王となり、世襲し王国が誕生します。ちなみに英語のキングは、フランクなどのゲルマン系の血統を語源としています。

 日本語では王子と訳されるプリンスも元は、ラテン語で「第一人者」を意味するプリンケプスが語源となっており、こちらも首長や君主です。現在では、モナコ公国がこれにあたり、プリンスの支配する国ということで、プリンシパリティ デ モナコと言います。

 では、キングとプリンスとの違いは何かと言うと、キングは法王や皇帝から君主に与えられた「王」と言う称号なのです。つまり、君主は初めはプリンス(強引に日本語訳すると諸侯の『侯』や『公』となります)であり、それが法王などに認められてキング「王」となり、その国は侯国や公国から王国となるのです。

 以下に、そう言った過程を辿った国を紹介します。

ポーランド…ミェシュコ1世が963年に建国しポーランド公となる。ボレスワフ1世の代の1000年に神聖ローマ帝国皇帝オットー3世から王冠を授けられる。

ハンガリー…イシュトヴァーンは997年父の死を受けて大首長となる。その後、ハンガリーの統一を進め、1000年ローマ教皇のシルウェステル2世から王位を授る。

シチリア…ノルマン人の騎士、ロベルト・イル・グイスカルドと弟ルッジェーロ1世が南イタリアとシチリア島占領。1130年、子のルッジェーロ2世は対立教皇アナクレトゥス2世から王位を得る。

 この様に幾つかの諸侯が法王や皇帝から王位を得て、王国となっています。逆にリトアニア大公国などは、一時はポーランドを凌ぐ大国になったものの、王位を得ることなく、ポーランドに併合されてしまいます。必ずしも全ての諸侯が王位を得られた訳ではないようです。
 また、時期は10~12世紀となっており、この時期には既に法王や皇帝が王位を与えると言うのが確立していたようです。

 これ以前に建国していたイングランド、スコットランド、デンマーク、ノルウェーなどの北欧の国々や西ゴートなどはの国は明確な戴冠の記載は見つけられませんでした。キングの称号が後から生まれた為でしょうか…
 勿論、この概念の元となったフランクも王国からスタートし、3つの王国に分裂した後、1つの王位はフランスに継承され、もう1つは神聖ローマになる前のドイツ王の称号に継承されます。最後のロタールの王位のみ失われました。


 自分でも無謀な題材に挑んでいるような気がします。ここでは大雑把にまとめた話を行います。詳しく調べると、例外も多く当てはまらないことがあると思いますがそこは目をつぶってください。

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ロタールの敗残の影響

2007年08月20日 17時34分15秒 | 雑談
 ヨーロッパの中世の強国と言えば、フランスとドイツ諸国を統括する神聖ローマ帝国でしょう。
 この2ヶ国に挟まれたオランダ・ベルギー(フランドル)、スイス、北イタリア、そしてロレーヌ地方は常にこの2ヶ国の影響や支配を受けてきました。
 この大きな起源となるのが、841年に行われたフォントノワの戦いです。
 この戦いは、カール大帝の後を継いだ皇帝ルートヴィヒが、3人の息子(長男ロタール、次男ピピン、三男ルートヴィヒ)に対して領土分割を約束したところ、その後、第2妃との間に末弟カールが誕生した為、皇帝が偏愛しカールにも領土を与えようとした為、3人の兄が怒り皇帝が一時廃位されるなど、分割案が白紙になります。その後、次男ピピンに続き皇帝が死去すると、残った3人の兄弟の間の領土分割は対に戦争へと発展します。
 全ての領土を手中に収めようとするロタールに対抗し、三男ルートヴィヒと末弟カールが同盟を結んだ為、この戦いにロタールは負け、帝国を不利な条件で分割しなければならなくなります。
 当初、アキテーヌ(フランス北西部)と、バイエルン一帯を弟に分割し、残りをロタールが得る予定だった領土は、末弟カールに現在のフランス(アルザス・ロレーヌを除く)を、三男ルートヴィヒには現在のドイツ・オーストリア全域を与えることになり、それぞれ後のフランス王国と、神聖ローマ帝国へとなっていきます。※1
 ロタールの手元に残った地域は、この両方に挟まれた細長い地域で、オランダからベルギー、ロレーヌ※2、スイス、そして北イタリアの地域になります。これらの地域は人種や文化的になんら統一された地域ではなかった為、ロタールの王国は維持する事が出来なく次第に分解し、それぞれがフランス王国と神聖ローマ帝国の領土争奪の場となっていきました。

 歴史に「もし」はありませんが、ロタールがフォントノワで負けていなければ、または末弟カールが生まれていなければ、今の国境は大きく違っていたのではないかと想像せずにはいられません。


※1:画像の黄色い部分が、ロタールの王国 中フランク王国の領土です。ピンクがカールが得た西フランク王国、橙色がルートヴィヒが得た東フランク王国です。

※2:ロレーヌ、ロートリンゲンは、ロタールの王国の意味です。

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テーブルゲームフェスティバル その2

2007年08月18日 11時02分06秒 | ゲームシステム
 前にも書きましたテーブルゲームフェスティバルの参加要綱がインターネットに公開されました。

 まず、一般ブースでの参加費が4200円! ちょっとと言うか、かなり高めです(-_-;) 前年度の様子が写真で掲載されており、かなり広いテーブルでテストプレイをしたり、販売したりが可能のようですが、参加者がおよそ550名ほど。それでどれだけの人がうちの卓に来てくれるか…勝算がつきません。

 もう少し考えてみようと思います。
 
テーブルゲームフェスティバル 一般スペース 出展のご案内

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東ティモール、植民地の傷跡

2007年08月15日 09時44分46秒 | 国:スペイン・ポルトガル
 皆さんは東ティモール民主共和国と言う国を知っていますか? 東ティモールは、インドネシア諸島の中にあるティモール島の東半分を国土とする独立国です。見てのとおり、インドネシアの中にある小さな独立国と言った感じです。
 どうしてインドネシアと別の国になったのでしょうか? これには植民地時代の歴史が関係しています。インドネシアはオランダの植民地から独立した国ですが、東ティモールだけ、ポルトガル領でした。その為、東ティモールだけ別の国として独立しました。

 ティモール島には、16世紀前半にマラッカ(マレー半島)を交易の拠点としたポルトガルが白檀を求めて進出してきます。しかし、17世紀に入るとオランダがこの地に進出して、18世紀に掛けてインドネシア一帯を支配下に置くようになります。
 そしてこのティモールにもオランダは進出し、西半分をその支配下に置くようになります。何度か、全島の支配権がオランダ・ポルトガルの間で行き来しますが、最終的に島を半分にすることで合意し、その際に決められた国境がそのまま今の国境となります。
 第二次大戦後、インドネシアがオランダから独立した後も、東ティモールだけはポルトガル領として残り続けますが、1975年ポルトガルの支配体制が緩むと、ついにフレティリン(東ティモール独立革命戦線)の活躍により独立を果します。
 しかし、その東ティモールをインドネシアが不当に占拠します。これは独立が全島に及ぶことを恐れたことや、マスクス主義に傾斜傾向のあるフレティリンを、反共主義を国是とするインドネシアのスハルト政権(当時)が容認できなかったこともがありますが、何よりもインドネシアが全島の領有権を主張していることがあります。※1
 そして20年に渡る弾圧と混乱を得て、東ティモールは2002年に独立したのですが、その後もこのような混乱が続いています。同様に植民地時代に起因するごたごたを持つ国も多く、植民地時代の傷跡と言っても良いでしょう。


※1:ちなみに日本は、石油輸送の大動脈であるマラッカ海峡を有するインドネシアとの関係を重視し、東ティモールの占拠を黙認しました。

東ティモール東部で旧与党支持者が暴徒化、死者も(朝日新聞) - goo ニュース

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グルジア

2007年08月13日 12時00分56秒 | 国:ロシア
 Yahooのニュースで、コーカサスのグルジア共和国にロシアがミサイルを投下した疑惑が上がっているみたいです。
 グルジアはアケメネス朝ペルシア(非イスラム)の支配の後、4~6世紀にローマ、その後の東ローマ帝国の影響を受け、キリスト教(正教)の国となります。しかし、東ローマ・ビザンチン帝国が滅亡すると、オスマン帝国やペルシア帝国のイスラム教国の支配を受けることになります。
 最終的には、この地域はクリミア戦争から露土戦争に掛けて、ロシア帝国(正教)の支配下に入るのですが、黒海沿岸の一体にはイスラム教の住民が残ることになり、これが現在の禍根となります。
 グルジアはソ連崩壊後、独立しますが国民の9割がキリスト教(正教徒)で、残り1割がイスラム教徒です。この1割のイスラム教徒は黒海に面した良港を持つバトゥミに多数住んでいます。すると分離独立を求めるのも自然の成り行きですが、グルジア政府としては、経済的にもっとも豊かなこの地域を手放す訳には行かず、ごたごたが続きます。
 さらにグルジアがEUに加盟を希望したことによって、EUの拡大を懸念するロシアとの関係を悪化させます。ロシアは、親米・親欧路線をいく現在の政権に不満をもっており、その政権を揺さぶる為に、バトゥミを首都とするアジャリア自治共和国に支援しているとされています。今回のミサイル投下疑惑も、この様な背景から起こったものと推測されます。
 正教徒のロシアが、イスラム教徒のアジャリア自治共和を支援し、正教徒のグルジア政府と対立する様は、まさに「経済はイデオロギーを超越する」を感じさせずにはいられません。


Yahooニュース <グルジア>安保理協議を要請へ 露ミサイル投下問題

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温泉モノポリー

2007年08月12日 08時40分22秒 | ゲームシステム
 2005年のTokyo Walkerに付録としてついていた「温泉モノポリー」を入手しました。
 内容を見ると、正式に「モノポリー」と謳っているだけあり、ニューヨークなどの場所を単に「登別温泉」などにしただけのもので、その価格は$60と書かれています。他としては、鉄道が各種新幹線やその他の国内の鉄道に変わったぐらいで、おそらくチャンスカードの内容や共同基金の内容も一緒なのでしょう。果ては刑務所ルールもそのままです。原作が作られたアル・カポネの時代じゃないんだから、温泉事業をする人が、刑務所に出たり入ったりもどうかと・・・

 きっと、モノポリーと謳うために、ルールは細部に到ってまで原作と同じにしなければならなかったのでしょう。

 そんな点は残念でありますが、たったA3両面2枚分でゲームが出来る※ようになっているコンパクトさは賞賛に値します。
 是非、どこかで興じて見たいと思います。


※サイコロや、コマや宿・ホテルなども切り取って折って作るのですが、唯一お金だけ、30セット分コピーして切らねばなりません。まあ、コンビニとハサミなら旅行先でも気軽に遊べるかな?

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