植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

“任那日本府”の謎

2009年12月31日 19時00分33秒 | 国:日本・アジア
 かつて、テレビ番組で『任那(みまな)』なんて言葉が出てきたことがあったであろうか…まあ、再放送なので以前も出ていたのでしょうが…(~_~;)

 再放送ですが、NHKが1月1日からタイトルの番組を再放送するそうです。是非見てみたいと思います。

 基本知識として、任那は朝鮮半島で国が形成される頃の三韓(馬韓・辰韓・弁韓)の頃の4世紀から、馬韓が百済、辰韓が新羅へと国家を形成した6世紀頃まで、朝鮮半島の南部の一角にあった地域で、倭国の軍事を主とする外交機関があったと考えられています。
 この時代だと正しい言い方ではないかもしれませんが、古代の朝鮮半島に日本領があったのか気になります。という事で今から放映が楽しみです!!


“任那日本府”の謎

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地球力検定 トラベラーIQ 世界の都市

2009年12月27日 19時17分04秒 | 雑談
 goo.の無料ゲームに「地球力検定 トラベラーIQ 世界の都市」なんてのがあるのですが、世界地理や歴史好きの私のプライドをボロボロにしてくれます。
 画面にヨーロッパとかの地図が表示されて、「アイスランドのレイキャビックはどこ?」って言う風に出題されて、その地点と思われる地図上をクリックし、正解とどれだけ離れているかで得点を競います。しかも、秒数制限があり、ぱっぱっと答えていかないといけません。
 いや~、知っているつもりでいたのですが、レイキャビックって島の西よりなんですね…、スロベニアなんて首都名知らないから、スロベニアの国土を適当にクリックだし…、そんなこんなで結構ずれています。しかし、連れ曰く、「首都じゃなくても国名でスロベニアと言われても判らないよ!」

 かなりマニアックなゲームだと思います。(~_~;)


地球力検定 トラベラーIQ 世界の都市

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簡体三国志:領地拡張 - 後漢の周辺領地

2009年12月26日 08時24分00秒 | ゲームシステム
 前回の続きです。今回は、後漢の周辺の領地と、この簡体三国志の拡張についてです。
 まず、南から前回も話題にあげた交趾こと交州です。この地域、今の広州から北ベトナムに渡る広い地域で、三国志になる前の時代では、百越の地と言われており、漢民族でない多くの民族が暮らしていました。これが漢の時代になると、北ベトナムまでが漢の版図となり、州が置かれる訳です。
 ちなみに交趾(こうち(し))は、ベトナムを指すコーチシナの語源となっています。名古屋コーチンも、交趾から来ています。
 交州を支配下に置いた呉は、広すぎるため、交州と広州に分けています。簡体三国志でも、分けて採用しました。

 次に近くの雲南の地域です。漢の時代は益州に含まれて居ますが、益州に割拠した劉焉・璋の支配地域は、成都一円の今の四川省のあたりです。それより南は諸葛亮が南征を行って、孟獲を打ち破って以降蜀の支配下に入ります。
 こちらも支配状態がことなったので、寧州として採用しました。ちなみに寧州の呼称は、晋が蜀を下し益州を支配するようになってからで、北を梁州(漢中)、中央の成都一円をそのまま益州とし、南を寧州にしました。

 続いて、北に移って基本の領土でも出ていた幽州です。幽州も広いと言うか長い地域で、三国志の時代、冀州に接する西側を公孫サンが支配し、遼東半島を含む東側を公孫度が支配します。公孫度の支配は長く、康、恭、淵と3代に渡ってこの地を支配し続けます。
 支配の状態が異なると言うのと、公孫度がこの地を幽州から引き離して、「平州」と称したことから、簡体三国志でも分けて平州を採用しました。面白いのは、公孫度が平州の遼東半島から海を渡って対岸の山東半島(青州)に侵攻し、一部を支配していたことがあります。ですので、平州と青州を繋げたため、この地域の道が輪のようになったことです。

 最後に、ついこの間追加を決定した朔方こと朔州です。前漢の時代、并州は三国志の時代よりも西に広く、その西側には并州刺史とは別に朔方郡に朔方刺史を置いて管轄していました。
 これが前漢と後漢の衰退時期には、匈奴の侵攻によって朔方は実質漢の支配の及ばない地となります。とはいいながらもこの地を支配した北狄こと匈奴は、中原を支配する曹操やその後の晋との関係を常に持ち続けました。
 こちらも実質、并州とか異なる支配状態だった為に、拡張の領地に加えました。

 という事で、拡張では、

 ・広州
 ・交州
 ・寧州
 ・平州
 ・朔州

 の5つを採用し、プレイヤー6人で遊ぶ際の広い領土して使用しています。
 


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走る宮殿~御料車 日本の歩み~

2009年12月23日 11時14分39秒 | 国:日本・アジア
 朝、録画番組を見ようと思ってテレビをつけたら「走る宮殿~御料車 日本の歩み~」なんてものをやっていて、つい見てしまった。(~_~;)

 1車両と言うコンパクトな空間に最高級の伝統工芸の数々が収められており、見ていてその豪華さ、品の良さ、技術の凄さにただただ圧巻でした。
 しかも、御料車が国賓を迎えると言う性質上、明治~大正~昭和に渡る日本を取り巻く世界情勢を織り交ぜて、紹介されているのが良かったです。

 日英同盟を継続したいと言う情勢で、英国エドワード皇太子を迎えられる為に造られた第十号御料車。結局、アメリカの圧力で日英同盟は継続されず、そして第十号御料車は、その後、日本が推す、満州国皇帝溥儀を迎えるのに使用されます。

 列車と、工芸品、そして歴史と3つの角度から楽しめる番組でした。



NHKワールドプレミアム 番組

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簡体三国志:領地 - 後漢の州

2009年12月13日 19時38分03秒 | ゲームシステム
簡体三国志では、領地を15用意しました。その15とは…
 ・司隷
 ・雍州(司隷・涼州)
 ・冀州
 ・初闖B
 ・青州
 ・并州
 ・徐州
 ・揚州
 ・荊北(荊州)
 ・荊南(荊州)
 ・豫州
 ・涼州
 ・益州 
 ・漢中(益州)
 ・幽州
です。その選出の元となったのは、後漢の13州。その13州と異なるものには括弧書きで対応を入れてみました。
 まず、魏呉蜀の争奪戦の舞台となった荊州ですが、北部を魏が押さえ、中南部を呉蜀で奪い合ったし、かなり広い州だった為に南北に分けました。同様に、広い益州を南北に分け、蜀がそうしたように北を梁州としていたのですが、なじみ無い名前との指摘を受け「漢中」にしました。同様に、揚州も広いのですが、ここはずっと呉の領地だった為、特には分割しませんでした。
 あと分けたのが雍州。洛陽のある司隷と、長安のある雍州といった感じで分けた方が良さそうだったので、こちらも分けました。雍州は正確には、元々雍州と涼州の2つ合わせて、涼州と言う州だったのですが、194年に分割されます。この際、長安がある東側が涼州で、敦煌などがある西側が雍州でした。後に214年には両方合わせて雍州となり、さらに220年にはまた分割されますが、その時はなんと!雍州と涼州の名は逆になり、東が雍州、西が涼州となります。
 この簡体三国志の舞台とする時代からすると、東を涼州、西を雍州にするべきでしょうが、馬騰が割拠したのが長安を含まない涼州と言う認識が強いため、220年以降の呼び名を採用しました。
 最後に後漢の13州にありながら採用しなかったのは、交州こと交阯。交州は時代が下って呉が遠征するまで、群雄 士燮がずっとこの地を支配し続け、中央の影響を受けなかった地域だったので、ひとまずここからは抜いて次に紹介する拡張版に入れることにしました。


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ハプスブルグ家と生きた3人の女性たち。

2009年12月13日 14時23分51秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 前に行った「THE ハプスブルグ」の国立新美術館内の地下1階のカフェでお茶したら、トレイの紙が画像のものでした。
 ウィーン旅行の広告とタイアップしての記事で、ゆっくりカフェするのに良い暇つぶしになりました。
 しかし、イラストがマリア・テレジアだけおばさんに描かれているのがちょっと可愛そう。まあ、マリー・アントワネットは享年38歳、シシィは享年61歳ですが美への執着が異様で、年を取った晩年は写真に写されることを極端に嫌ったことから若いときの肖像が一般的です。一方、マリア・テレジアは THE ハプスブルグで展示されていた11歳の肖像も有名ですが、晩年の自身の子供たちにに囲まれた家族との肖像画も有名なため、こちらの肖像がイラストに使われてしまったようです。

 まあ、家族に囲まれた幸せな肖像画なんですが…


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魏公と魏王

2009年12月06日 12時01分09秒 | 国:日本・アジア
 「213年、曹操は十州を持って魏公に封じられた。216年、さらに曹操は魏王に封じられた。 当時、皇族以外には「王」の位を与えないという不文律があったのにもかかわらず、曹操 が王位に就いたということは、すなわち簒奪への前段階であった。」(Wikiより)


 この件、前からちょっと気になっていたんですよね。「魏公」の「公」とは何か? 「魏王」の「王」とは何か?

 調べてみると、「王」の方は『諸侯王』と言う地位のようですね。前漢では地方を皇族に半独立国家とも言う統治権を与えました。この地位が諸侯王で、呉王や楚王といった王爵です。
 この諸侯王は、前漢の時代、三国志で言う州ぐらいの地域の統治権を持っていましたが、「呉楚七国の乱」で王側の連合が負けると、三国志が始まる後漢には郡や県ぐらいとなってしまいます。
 この地位が皇族のみに与えられていたことから、上記の曹操の件になる訳です。

 で、「公」の方ですが、曹操が新設した地位のようです。

 一方、近い地位に『列候』と言う地位があります。これは漢の二十等爵の最上位の爵位にであり、皇族以外ではこの列候が最高位となります。
 列候になると、王と同じように封土され、その地域を支配できます。税収は全て取れるけど、統治権は無いというのが諸侯王と違うようです。これも郡・県ぐらいの地域です。

 三国志でも漢王朝から、この列候の地位を与えられた者は何人か出てきます。曹操にクーデター起そうとした董承などもこの地位を持っていました。
 ですので、曹操はいまさら列候になりたいとは思わず、さらに1つ上の地位として「公」を新設して、皇族以外の最高の爵位に就いたことを示したのでは無いでしょうか?
 ちなみに、周王朝では公候伯子男と言う五爵がありました。ですので、列候より上と言う意味で「公」なんだと思います。


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簡体三国志:テストプレイ③

2009年12月05日 14時06分56秒 | ゲームシステム
  先週末のセルフコンで、簡体三国志のカードゲームの方も1度テストしたのでその報告です。

 端的に言って私の戦略ミスによる敗北です。

 シナリオを「諸侯建国」にしたので、開始時から2カ国持ちでスタートです。豫州・揚州で孫策/孫権で始め、直ぐに徐州も支配下に置いたのですが、当然、冀州・エン州スタートの探偵のさんの袁紹も青州を支配下に置いた為、こちらの豫州と徐州が隣接することになります。
 ここで戦争を避けたかった為に、エン州に置かれている将軍と同じマークの武将を豫州の将軍に任命し、同様に青州の将軍と同じマークの武将を徐州に任命することで、探偵のさんの袁紹との対決を避けます。
 これによって私は気兼ねなく、漢中・益州の曹操と荊州の支配をめぐって争うことになります。
 この争いで私が荊南を得て曹操が荊北を得た頃、袁紹は幽州を得て4カ国持ち。私も4カ国持ちで、さらに手持ちに玉璽があったので、一応単独トップでこの時点までの戦略は正しく機能していました。
 しかし、この後、3カ国持ちのまま停滞する曹操が涼州の劉備と同盟を組むか、私と同盟を組むか悩み、悩んだ末に劉備に援軍同盟を行います。
 劉備も3カ国持ちでしたので、劉備との同盟は妥当だったかもしれません。そして策略「資金」で軍備を増強し、荊南への侵攻を匂わせます。さらに私の判断を誤らせたのが、袁紹の并州攻略。これによって袁紹は5カ国持ちで単独トップは袁紹のものとなります。
 ここに来て袁紹に攻められないように敷いた防衛が、こちらからも攻めることの出来ない枷となってしまいます。しかし、ここでこのシフトを今さらながら解いても、曹操は袁紹と隣接する領地を持っていなかったので、こちらと戦うしかなく、ならばと言うことで、逆にこちらも5つ目の領地を得るために、荊北への侵攻を断行します。
 群雄 孫策まで含んだ戦争でしたが、守る曹操軍は張飛!それに劉備の援軍まで到着し敗退してしまいます。さらに張飛の戦術「生捕」によって孫策は捕らえられ斬首と回帰不能なダメージを負います。
 結局、ここでの大敗により袁紹を詰めることが出来ず、直後に終了札が出てゲームエンド。自らが敷いた戦略がそのまま首を絞める結果になってしまいました。

 1つ前の記事を見ると判るのですが、豫州って中央なんですね。ここに本拠地を置いた時点からマズったのかな~


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