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ロンバルディアの鉄王冠

 ちょっとかっこいい用語を見つけたので紹介です。カール大帝をはじめ、神聖ローマ皇帝や、後世ではナポレオン・ボナパルトやオーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が戴冠した王冠に『ロンバルディアの鉄王冠』※1と言うのがあります。
 ロンバルディアは現在の北イタリアの1州ですが、568年にランゴバルド族がこの地に侵入し、王国を築きます。ランゴバルド王は代々鉄の王冠を身に着けていたため、ランゴバルド王国がカール大帝に征服された後はカール大帝も戴冠し、以後北イタリアの支配者としての象徴となりました。
 フランク王国崩壊後、北イタリアを支配した神聖ローマ皇帝に鉄王冠は引き継がれ、神聖ローマ皇帝が北イタリアの支配権を失うと共に使われなくなりました。

 しかし、1805年ナポレオンが北イタリアを支配し、イタリア王国(-1814年)を建国するとその際に用いられ、またナポレオン後はロンバルディアとヴェネチアを支配下※2に置いたオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もこれで戴冠しました。

 近代、鉄王冠の名はオーストリア帝国において名誉ある鉄王冠賞として使われ、クラシックのアントニン・ドヴォルザークなどが受賞しています。

 ゲームで、オーストリアが婚姻でイタリアを引き当てた際は、「ロンバルディアの鉄王冠を得た!」というのも面白いでしょう。
【名言】ロンバルディアの鉄王冠を得る
 (オーストリアの婚姻により)植民地としてイタリアを得た時。


※1:ウキペディア:イタリア王国に画像があります。

※2:1815年のウィーン会議によりロンバルディアとヴェネチアは、ロンバルド・ヴェネト王国が建国し、王位はオーストリア皇帝が兼ねた。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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同盟国間戦争

 日曜日にC.P.Uさんのところで行ったゲームで面白い現象が起きましたので、先にそのご報告です。プレイレポートは暫しお待ちください。

 図にあるように、A国とB国が同盟を結んでいます。通常は同盟国間で戦争は出来ず、カード2枚捨てで戦争を行うとその同盟は破棄されるのですが、破棄されない両国間の権益争いの戦争が起こる事が判明しました。

 B国が、C国の植民地に租借や割譲がある場合、その植民地をA国が攻めた場合は、B国は自国の租借や割譲といった権益を守るために、兵力カード1枚をC国に出す事が出来ます。
 C国が兵力を出せば、B国はそこに支援兵力として同盟国であるはずのA国と一戦を交えることになります。C国が兵力を出さなければ、まさにA国対C国の戦争が間接的に行われることになります。

 補足ですが、B国とC国が同盟を結んでいた場合でも、B国にとってはA国もC国も同盟国なので、同盟国支援の兵力はC国には出せず、やはり租借・割譲の防衛の為の兵力カード1枚だけ出せることになります。


 このような状況はA国がB国を仮想敵国(蹴り落とさないといけない国)としているもののB国との同盟関係が切れず、直接戦争に踏み込めない状況の為、代わりにC国にあるB国の租借/割譲地を攻めることで間接的にB国の国力を減らそうと言う時に起き得ます。

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物語 スペインの歴史 人物篇

 またまた本を借りて読みました。中公新書の「物語 スペインの歴史 人物篇」です。
 レコンキスタから、大航海時代とスペインの歴史は知っていたつもりでいましたが、スペインの代表的な人物となるとサグラダファミリアのガウディーぐらいなものでした(あとエンリケ航海王子)。
 この本では、レコンキスタで勇名を馳せた伝説の騎士エル・シド。スペイン・オーストリアハプスブルク大帝国を支配することになった皇帝カルロスの生母ながら、狂女王と呼ばれ半世紀を幽閉されたフアナ。新大陸の先住民におけるスペイン人の悪行を告発した修道士ラス・カサス。史上最高の文学作品であるドン・キホーテを書いたセルバンテス。そして画家ゴヤと、建築家ガウディー。

 この本では、このスペインの代表的な6人の人物について、簡単ではありますが描かれています。騎士エル・シドや、狂女王フアナはまったく知らなかったこともあり、その時代のスペインの歴史にさらに興味を持ちました。
 是非、次はさらに詳しくその人の生涯を知りたいと思いました。歴史書ではなく、小説風に面白く書かれたものは無いかな~。

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C.P.U.参加致します。

 明日、川崎市多摩区の市民館にて、コンベンションサークルC.P.Uさんの6月期が行われます。仕事の都合で参加が怪しかったのですが、明日無事に植民地戦争を持って参加できそうです。もし、参加のご予定の方で、植民地戦争に興味がある方は是非、卓指名していただければ幸いです。

 無事、卓が立ちましたらまたプレイレポートを上げたいと思います。

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リヒテンシュタイン公国

 リヒテンシュタイン公国はスイスとオーストリアに挟まれた小国です。しかし、その国王は世界に名だたる資産家です。この資産が、リヒテンシュタイン公国から得たものかと言うとそうではなく、あまたの経済活動の結果と、ハプスブルグ家に仕えていた際に蓄えられていたもので、公国から宮廷費用すら貰っていない。それどころか、戦災のおりには逆に国民が貧困に喘ぐのを見かね無償で生活資金を貸し付けたりするなどしています。

 リヒテンシュタイン家は、下級貴族の出ながら、当時の皇帝を輩出していたハプスブルグ家に使え、三十年戦争際に金銭的な援助をするなどを行い、念願の爵位を得ます。しかし、このときは領土が無かった為、ハプスブルグ領内に土地を所有しているだけでした。
 しかし、1699年に負債に喘ぐシェレンベルク男爵から、オーストリアの西にある男爵領を購入、つづいて1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入し、両領土を合わせて、皇帝より神聖ローマ帝国に属する領邦国家リヒテンシュタイン公国として認められます。
 これがリヒテンシュタイン公国の始まりです。念願の爵位と自領を持ったリヒテンシュタインは、これ以上の領土拡張を求めることは無く※1、依然ハプスブルク家に仕え、ナポレオン戦争の際ヨーハン1世はオーストリア軍の司令官にまで任命されます。
 このナポレオン戦争によって、神聖ローマ帝国が崩壊すると、リヒテンシュタイン公国は他のドイツ諸侯と同じく独立国になります。しかし、他のドイツ諸侯が普墺戦争後、北ドイツ同盟そしてドイツ帝国へとなっていくのに対して、領土が隣接していなかったこともあり、公国として残り続けます。そして第一次世界大戦後でオーストリアからハプスブルグ家が排除されると、オーストアでなくスイスと関係を深めます。
 この結果、第二次世界大戦への過程でナチス・ドイツがオーストリアを併合した際も、独立国として残り続け今に至ります。

 まさに小国ながらも見事なまでの舵取りで、公国を存続させ続けたのでした。


※1:自領外のプラハやモラヴィアなどにも領土(土地)を多く持っており、主たる居宅もウィーンやモラヴィアにありましたが、1919年のチェコスロバキアの独立と、1945年のチェコの共産化によって多くの家産が失われてしまいます。

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ウォーレン・リヒテンシュタイン

 一先日、ファンド会社スティール・パートナーズのウォレン・リヒテンシュタイン代表の初会見がニュースで取り上げられていました。
 アデランスやブルドックなど多くの日本企業の株主となっており、メディアに出ないことから「顔のない投資家」と言われていましたが、その初会見が日本で行われました。
 所謂「ものを言う株主」で、株主の利益追求の為に、株主となった会社に関してはその経営にも口を出すと言うことです。

 さて、名前を見て思ったのは、ヨーロッパにあるリヒテンシュタイン公国との関係です。公国は勿論リヒテンシュタイン家が公王として治めており、その家と関係があるのかと。リヒテンシュタイン家は、あのハプスブルク家の家臣として財政面から支えていた為、今でも有数の経済一族です。またユダヤ系の血が流れていることなど、ユダヤ人であるウォレン氏との関係を匂わせるのですが、今のところ同氏が公家と関係がある家柄である事実は見つけ出せませんでした。

 次回はリヒテンシュタインの歴史を見てみるのも良いかなっと思います。


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ムガール帝国

 前々回に「インド三国志」でムガール帝国の話が出てきましたが、実は植民地戦争の追加宗主国としてムガール帝国でテストプレイをしてみたことがあります。

 ムガール帝国は、このゲームのスタートの時代と想定している16世紀初頭には建国し、17世紀にはインドのほぼ全域を支配する大帝国になります。しかし、18世紀には内部分裂を起こし、最終的には英国の植民地となってしまいます。

 この植民地戦争では、最大の国力を持つ植民地として出てきますが、ムガール帝国が内部分裂を起こさなければ…、また海に目を向け海外進出していれば…など思わずにはいられません。
 そこで宗主国としてムガールを作ってみたのですが、既に植民地インドのカードがありますので、そことの調整に思案しました。その結果、国力3あるものの場に植民地インドが出てしまうと、国力が1※に減ってしまうことで、内部分裂イベントを再現することにしました。勿論、その植民地インドが独立カードなどで捨てられたなら、再び国力が3に戻ります。
 他国が植民地インドを持つことは、その国がムガール帝国の内部分裂に生じて侵略し、実質支配していることになります。その植民地インドがさらに租借や割譲されているなら、数カ国でムガール帝国を分割統治している状況と言ったところでしょうか?
 ムガール側は、逆にその植民地インドに対して独立カードを使うことで、支配している列強に対して反乱を起こして、ムガール帝国を再建することが出来ます。これなんかセポイの乱を表しているみたいで良いかな~っと思います。

 問題点として、植民地インドを場にオープンしづらくなったことでしょうか。オープンすると、ムガールのプレイヤーは意地でも独立や、戦争を仕掛けてきますので…


※1:昨年、C.P.U.さんのところでテストプレイしたときは、国力0まで落ちることで遊んだのですが、あまりにも弱くなりすぎるので国力1で思案中。

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説明書訂正・補足

 ルールを決定し公開してから修正などはしたくなかったのですが、さすがに1年ほど遊んで穴が見つかりました。
 前に、ゲームマーケットでのプレイレポートで書いたのですが、同盟カードで強国化したドイツに対して、同盟カードの破棄の使用方法で、強国化を取り消せるか問題です。
 近いケースとして強国化が行われる際に交渉カードで防ぐことは可能です(こちらは説明書に明記)。このことから同盟カードでドイツ強国化を破棄出来そうなものですが、これを許すとドイツがかなり狙われ強国化が難しくなることから、こちらは出来ないルールとしました。
 この様な後から訂正されたり、補足されたルールについては以下に掲載していくことにしました。

http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~usa_neko/1800/data/rule.html


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インド三国志

 またまた珍しい本を読みました。前に陳舜臣氏のモンゴルの歴史「斜陽万里」を読みましたが、同じ作者が「インド三国志」と題して、ムガール帝国の衰退のきっかけを作ったアウラングゼーブ帝の時代を描いた珍しい作品を書いていると知り、それが運良く地元の図書館に所蔵されていたので、借りて読んで見ました。

 ムガール帝国は1526年にティムール帝国王族の末裔バーブルが、北インドに建国したイスラム国家です。その後、孫のアクバルの代には歴史上初めて、インド全域※2を支配下に治めます。
 しかし、アウラングゼーブ帝のヒンズー教への弾圧によって、マラータ族、シク教徒、ラージプート族などが反乱を起こし、衰退していきます。それに乗じて英国の東インド会社が支配を強め、最終的には英国の植民地になってしまいます。

 普通は、バーブル帝からアクバル帝までの建国から隆盛までの話か、ムガール帝国弱体後の東インド会社の支配の過程の話ばかりなのですが、珍しくもその間のまさにムガール帝国が弱体するきっかけを作ったアウラングゼーブ帝の時世に焦点を当てて、マラータ族国家の興りや、英国を中心とした各国の東インド会社がどの様に拠点を築き、交易を行いだしたかを小説風に描いており、とても楽しめる作品でした。
 しかし、残念なのは商業紙として出すのに無理があったのが、内容画が途中で終わっております。一応、あとがきでその後の展開が書かれているのですが、やはり続きが読みたかったです。


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クリミア戦争の背景

 前々回で露vs英仏土が行ったクリミア戦争の背景を探って見たいと思います。ロシアが戦争を行った理由は、


1.南下政策による不凍港の確保
2.スラブ人の保護
3.オスマントルコの弱体化に漬け込んだ国益確保



 の3つが言われています。2.は建前、1.と3.が本音と言ったところでしょうか。ですので、クリミア戦争では、2.を前面に押しつつも、1.3.をロシアは狙っていました※1。
 しかも、3.については強国英国に打診し、英国にも利を与えることを考えていました。

 カードゲームでの状況に置き換えると、オスマンが植民地を多く抱えていながら、兵力カードをあまり保持していない状況になったので、それに漬け込んでロシアが攻め、しかも英国に「今がチャンスだから、英国さんもオスマンを攻めて植民地を奪っちゃえ!」と言っている状況です。
 しかし、ロシアがオスマンを攻めて、ロシアが勝ち植民地を奪うと、英国はオスマンで無くロシアを攻めます。英国にとっては植民地を得て肥大するロシアが、TOPになる為にもっとも危険な存在だと感じた結果でしょう。

 ロシアにとって英国と戦いになってしまったのは、史実でもカードゲームでも良くある相手を見誤たことだったと思います。

 史実では、英国はロシアと共にオスマントルコの領土を割譲するよりも、地中海の通商路を守る方が重要だと判断しロシアとの開戦に踏み込みます。
 このクリミア戦争の敗戦によって、ロシアの野望は頓挫しますが、農奴開放などの内政改革に着手し国力を付け、再び1877年に露土戦争を行い勝利を掴みます。しかしこれも英国の強固な反対に合い、地中海航路の確保は断念せざるを得なくなり、ロシアは極東に矛先を向けるのです。
 という事で、こう言った背景で起きる日露戦争はまたいつか。


※1:クリミア戦争後に行われた露土戦争では、スラブ民族の保護を国内で喧伝しすぎたため、ロシア国民がそれを強く望みだし、ロシア政府も引くに引けない状況で開戦する事になります。

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