QLOOKアクセス解析

世界の原子力地図

 久しぶりに三国志を離れて時事ネタです。最近、福島の一件で原子力発電を続けるか否かと言うことが議論になっていますが、では世界ではどれだけの国が原子力発電を持っているかと言うと、図の赤色がその国々になります。
 原子力発電を作るにはかなりの技術がいるので持っている国はかなり限られています。20数カ国です。(まあ、アメリカ、ロシア、中国、インド、ブラジルが入っているので、地図は真っ赤なんですが…(汗))

 で、原子力発電所建設に向けて動いているのが、濃いピンクのベトナム、トルコ、イタリアなどです。ベトナムは日本が受注しています。イタリアは以前は原発を持っていたのですが、チェルノブイリで一旦廃止して、最近また作る計画だったのですが、今回の福島の件で計画を凍結しました。

 薄いピンクはまだ計画段階の国ですが、アフリカのガーナがまだ作る気満々で、セネガルが止めました。

 なかなか日々状況も変わるので、ピンクは色が付いたり消えたりのようです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:王朗

所属:後漢→曹操
年齢:約38歳(200年の時)

 もう既に量産したので、ここからのカードは今回の基本セットとは別にどこかの機会にと考えている武将です。まだどうなるかは判りませんが…

 まず最初は、魏において鍾繇や華歆と共に内政の重鎮、王朗です。王朗って某SLGではマップによっては君主としても出るのですよね。
 王朗は、最初は徐州刺史の陶謙に仕えその補佐をしています。陶謙は結構良い人材を登用しており、そのうちの1人です。王朗は混乱したときにこそ勤皇の姿勢を示すことを陶謙に説き、そのことが朝廷に認められて王朗は会稽太守に任じられます。会稽での4年間の統治では民をいつくしんだとされます。
 その後、揚州では孫策が弾頭し揚州牧の劉繇を駆逐されると、王朗は孫策の次の標的とされます。それは王朗の人望が劉繇の残党を糾合しうると判断されたためでした。
 戦いに不得手な王朗でしたが、朝廷に任された会稽を捨てて逃げることが出来ず、孫策と一戦しますが軽く撃破され、結局東冶に逃げることになります。その後、配下の虞翻の勧めで、孫策に降伏します。
 降伏を許されると王朗は暫くして朝廷(曹操)に召し出されて、そのまま仕えるようになります。諫議大夫・参司空軍事から、曹丕が魏王になった際には御史大夫になり、曹叡の代に司徒までなっています。
 魏の功臣であり、また孫娘の王元姫が司馬昭に嫁ぎ、晋の初代皇帝となる司馬炎を生んでいる為、史書の評価が過大になっている可能性がありますが、才能と学識はずば抜けているとか、一代の俊傑などと称えられています。

 その能力は、統率・武力は1でしょう。知力は華歆が軍師としての活躍があるので3にしたのですが、王朗はまったく軍師的な活躍は無いです。いくつか遠征を止めるなどの意見をするぐらいです。そう考えると、君主扱いで政治5(過剰な気がしますが…)、知力2に偏らせるのも面白いかも知れません。
 政治力では、陳羣>鍾繇>王朗>華歆と言うところでしょうか…
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:内容物

 ゲームマーケットが近づいてきましたので、量産を開始しました。セット内容はこんな感じです。

 ・ケース(赤いヤツ ※色は統一出来なかったので、他に青やクリアなど有)
 ・説明書
 ・カードセット(18分割用紙×10枚)
 ・コマ(5色×12個)
 ・行動表×5
 ・地図シート、州シート2枚
 ・ゲーム準備表(裏面は対決シート)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:淳于瓊

所属:後漢→袁紹
年齢:約54歳(200年の時)

 官渡の戦いで烏巣の補給物資を守れず、しかも演義ではその原因は酒飲みまくっていたことにされている淳于瓊です。しかし彼は実はそんなに酷くは無い指揮官です。袁紹と同郷で早くに朝廷に出て霊帝に仕えます。霊帝は黄巾の乱の後、朝廷の力では反乱を抑えることが出来なかったことを痛感して、自らの直属の部隊を創設します。それが西園八校尉です。ここには袁紹や、曹操といった当時30代の若手のホープが抜擢されており、その中に淳于瓊も任命されています。このことから当時 淳于瓊は新進気鋭な若者だと認識されていたと思われます。その後、少帝弁に仕えた後、董卓が実権を握ると朝廷を脱出して、袁紹の配下となります。当時袁紹の元には同郷の郭図や、同じく洛陽から脱出した許攸などが配下になっていたので、自然な流れだったのでしょう。
 その後、淳于瓊は袁紹陣営の中でも重鎮として扱われます。献帝を迎え入れる迎え入れないと袁紹陣営の軍師達の間で意見が分かれた際、参謀達に混じって唯一武将として意見を述べており、迎え入れない意見を通しています。そして沮授の監軍の権限が大きすぎると、郭図の進言で3つに分割された際に、沮授・郭図と共にその地位に任命されています。つまりこの時点で袁紹陣営において沮授・郭図と同位のNo.2の地位だったと言うことです。この地位は数十万と言われる袁紹軍の1/3を管轄し、その兵を養う軍事物資の調達から、行政における一切を任されると言ったものです。
 そして迎えた官渡の戦いでは、その初戦 白馬の戦いで主力として出陣します(顔良は先方)。しかし結果は荀攸の計略によって、顔良が孤立して討ち取られてしまいます。その後、袁紹は延津で文醜を失うものの、その後は兵力で勝る袁紹軍はじわじわと押して優位に立ちます。この戦いは曹操側の資料である魏書では割愛されている為に、この功績が誰のものかが判りませんが、淳于瓊も戦果を上げていたのではないでしょうか。そして不利となった曹操軍から投降者が相次ぐと、袁紹軍本陣では兵糧が不足し始めます。そこで淳于瓊に烏巣にある補給物資を取ってくる命令が下されます。
 しかし、この情報は裏切った許攸によって曹操の知るところとなり、曹操は烏巣に奇襲を行います。曹操軍は5千、淳于瓊軍は1万。淳于瓊軍は有利と見て打って出ますが、曹操軍の勢いは盛んで烏巣の陣に籠もって防衛します。袁紹はこの時、軽騎兵の援軍を送っていたので、長引くと不利になると判断した曹操は、さらに突撃と火矢による焼き討ちを行います。この苛烈なまでの攻撃によって淳于瓊軍は混戦となり、多くの将兵が討ち死にし淳于瓊自身も捕まり見せしめに鼻を削がれて曹操の前に連れ出されます。淳于瓊は戦いに負けた理由を曹操に問われると、堂々と「戦いは時の運であった」と言い切ります。淳于瓊の能力を惜しんだ曹操は配下にしたいと思いますが、許攸が鼻を削がれた淳于瓊はそのことを許さないであろうと進言し、曹操も諦めて処刑します。
 
 どうしても魏書からですとその活躍が見えにくいのですが、統率は最低3は上げても良いかと思います。武力は武将として最低限戦える範囲で2、政治・知力は正史を見れば三都督として軍事を総括できる能力や、袁紹に進言できる立場などからこちらも最低限出来る範囲の2・2としました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ゲームマーケットの準備

精意準備中です。今年はブース参加者だし、植民地戦争と三国志の2つなんで、いかにブースを作るのか悩みます。
イロイロ、POPを作ってこんなかたちになりました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

神戸三国志伽哩

知り合いからいただきました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:郭シ

所属:董卓→独立
年齢:約30歳(200年の時)

 李カクとは幼馴染で同じく牛輔の部下です。李カクと共に朱儁と戦ってこれを破り、その後、長安を攻め落として政権を握っています。政権を握ると毎日宴を開いては、李カクと親しく付き合います。しかし郭シの妻が、李カクが郭シに妾を与えているのでは無いかと邪推した為、郭シは妻に李カクの裏切りを吹き込まれた為に不仲となり、互いに争いだします。
 これは張済の仲裁によって仲直りします。この張済の提案に従って献帝を洛陽に帰還させると言うことになり、洛陽に向かう董承・楊奉に同行します。しかし、途中で洛陽に戻った場合に自らの権力が弱体化することを恐れ、董承・楊奉を攻撃しますが、これに敗れ一旦長安に戻り、今度は李カク・張済共に董承・楊奉を攻撃し、これを大いに破りますが、献帝を捕まえることが出来ず、以後李カクと共に弱体化し、滅ぼされてしまいます。
 郭シは剛勇の士であり、李カクとの抗争では数百の兵で数万の兵を破ったり、長安を攻める際は呂布と一騎打ちをしたなどの話が残っており、武勇に優れていた記述があります。そのことを評価して武力は4。一方、逆に兵を率いての戦いは李カク便りだったような節があるので統率は2としました。政治は勿論、統治能力皆無の1、知力も妻の邪推に乗せられるなどから1です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:李カク

所属:董卓→独立
年齢:約32歳(200年の時)

 董卓が引き連れていた涼州出身者からなる涼州兵の一将で、董卓の娘婿である牛輔の部下です。最初、洛陽に攻めてくる孫堅に和睦の使者として赴きますが和睦は失敗。その後、董卓は長安に遷都しますが、李カクは郭シと共に洛陽に出撃し、袁術の命令を受けた朱儁と戦ってこれを破っています。さらに、エン州や豫州まで進軍して虐殺や略奪行為を行い、少帝弁の后だった唐姫を拘束すると妻になることを強要しますが拒絶され殺しています。そうしているうちに長安では、董卓が暗殺されて王允が政権を握ります。王允は董卓の部下だった涼州兵を粛清し、牛輔もこれによって殺されてしまいます。李カクは助命を懇願しますが王允は受け入れず、困った李カクは当時配下に居た賈クの献策に従って、郭シと共に王允・呂布を攻めてこれに勝って、長安を占拠して献帝を抑えることに成功します。
 政権を握った直後、馬騰が李カクと関係を持とうとしますが、これを拒絶した為、馬騰と韓遂に攻められ、されにこれに乗じてして劉焉が息子を使ってクーデターを起こそうとしますが、これら一切を撃退します。また、東方で勢力を拡大する袁紹・曹操を警戒して、これらと敵対する公孫サンと陶謙に官位を与えて取り込みを行っています。
 しかし、統治能力は無く部下が略奪行為を行うのを好きにさせたため、長安は荒れ果ててしまいます。さらに盟友だった郭シと仲違いを起こし争うようになると、その隙を董承につかれて献帝を連れて行かれてしまいます。献帝と言う大儀を失った李カクと郭シは求心力を失って滅ぼされてしまいます。
 統率は戦争は意外にも強く、朱儁、徐栄、呂布、馬騰・韓遂、楊奉など強豪と戦って勝っており、悪人と言うことで某SLGでは不当に評価が低いのでは? との判断で統率は4にしました。一騎打ちに関する記述や、武勇が高い記述が無いので、武力は2、政治は統治能力が無いとありますので1、知力は董卓ほどでは無いにしろ公孫サンや陶謙の取込などを行っているので2としました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:劉磐

所属:劉表
年齢:約32歳(200年の時)

 劉表の甥とあります。同じ劉姓なので兄の子か弟の子ですが判りません。劉表に似ず勇猛で戦上手だったとされ、長沙に派遣され呉の国境を度々侵しては、呉を困らせます。劉磐は並みの人物では無かったので、これを抑えることは難しく、呉は太史慈を派遣してやっと抑えることが出来たといいます。
 なお、劉磐の配下には黄忠も居ましたので、黄忠の活躍があったのかもしれません。劉表が没して荊州が曹操の支配下となると、これに従うのを拒絶し、出奔して隠居したとされます。なお、黄忠はそのまま長沙に留まり、太守として派遣された韓玄の指揮下になり、その後長沙が劉備の勢力下になると黄忠は劉備に仕えます。

 劉磐は同じく呉と戦った黄祖と違って、大規模な軍事行動の記述がありません。恐らく劉表が独自の軍隊を持っておらず、黄祖や蔡瑁の兵力に依存していたように、荊州に地盤を持たない劉磐は多量の兵を保有していなかったのでは無いかと思われます。その為劉磐は、少数の兵力でゲリラ作戦のように幾度も進入を繰り返す活動を行うことで、黄祖のところに大規模な侵攻を繰り返す呉を牽制していたのではないでしょうか。
 劉磐が大規模が軍事行動を取っていたらどれだけ活躍したかは不明で、その能力が惜しまれます。実績が無いので最大でも統率は3、武力も3と言ったところでしょう。長沙での駐留に問題なかったことから政治は2、知力も減点が無いので2です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクサク三国志:蘇飛

所属:劉表
年齢:約28歳(200年の時)

 劉表配下の江夏太守 黄祖の部下として登場します。官位は都督とありますが、黄祖が太守なので都尉だと思われます。蘇飛に関する記述は甘寧に関連したものだけで、甘寧が黄祖の配下となった際に、蘇飛は甘寧の素質を見抜いて、黄祖に重用するように進言しますが聞き入れられません。そんな中、孫権が攻めてきた際に甘寧は先方の凌操を射殺す戦果をあげたにもかかわらず、黄祖は重用しないどころか、甘寧の部下の引き抜きを行う始末。困った甘寧は蘇飛に相談したところ、蘇飛は黄祖に進言して甘寧を呉との州境付近の県に赴任させることに成功し、これによって甘寧は黄祖の元から出奔でき、呉の孫権に仕える事が出来たといいます。
 後に208年の黄祖討伐の際に孫権は意を決して、棺桶を2つ作らせ1つは黄祖、もう1つは蘇飛を入れるつもりで出陣します。この戦いで甘寧は呉側で活躍し、呉は江夏城を攻略し黄祖を討ち取り蘇飛を捕虜とします。捕虜となった蘇飛は甘寧の元に人をやって事情を説明すると、甘寧は蘇飛から言ってこなくても恩義を忘れたことは無いと言って、戦勝祝いの席で孫権に泣きながら蘇飛の助命を懇願し認められたとされます。
 蘇飛の記述は以上なのでどう言った人物かいまいち判らないところもあるのですが、孫権がわざわざ棺桶を2つ作らせたことから、黄祖配下のNo.2であること、都督と言う地位から軍務に関して黄祖に進言をする立場だったと思われます。ある意味参謀的な役割だったのでは無いでしょうか? そしてその力は、孫権が黄祖だけではなく蘇飛も倒さないと江夏を落としたことにならないと考えていたことから、かなり実力があったものと推測されますが、推測を裏付ける記述はありません。
 能力は、統率・武力・政治は2としました。知力のみ参謀的な役割から3としました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ