植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

デンマークとスウェーデン

2011年05月01日 09時25分28秒 | 国:北欧
 北欧の国と言うと、デンマークとスウェーデン、ノルウェーにフィンランドです。これらの国は結構複雑な歴史をたどっています。いつも主導権を握るのはデンマーク。今でこそ小国ですが、11世紀のクヌーズ1世の北海帝国や、14世紀末から15世紀初頭のカルマル同盟と、幾度と無く北欧の他の国々を支配する強国でした。
 この影響をもっとも受けたのはノルウェーです。北海帝国が瓦解後、独立してアイスランド、フェロー諸島、グリーンランドといった北方の島々をことごとく支配下に治めますが、カルマル同盟後も独立をすることが出来ず、デンマークの影響下に置かれ続けます。近世に入って二度の大戦ではスウェーデンの支配を得てから独立を果たしますが、アイスランド、フェロー諸島、グリーンランドはデンマークに残したままでした。

 この強国デンマークといつも渡り合うのがスウェーデンです。スウェーデンは、東へ東へと進出して、フィンランドの地域まで広げて、さらにその先のノブゴロド公国までその支配地域を広げます。カルマル同盟を終わらせたのも、ストックホルムの血浴と呼ばれるスウェーデン貴族の反乱でした。その後は、徹底的にデンマークを叩き、デンマークの対岸のスコーネ地方や、ゴットランド島など、デンマークの拠点を次々と奪い、バルト海の沿岸は全てスウェーデン領と言われるぐらい、盛況を誇ります。これがバルト帝国です。

 植民地戦争では、この頃のこのデンマークとスウェーデンを追加の宗主国としました。デンマークはノルウェーを植民地扱いと言う面白い形での参戦です。ノルウェーを得ている間は、北方海上帝国として総生産も+1になります。逆にノルウェーを失おうと一挙に小国に転落です。
 スウェーデンは、フィンランドを自身の県にしていましたので、フィンランドも含めて国力2の中ぐらいの国扱いでの参戦です。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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北方大戦争:デンマークVSスウェーデン

2011年04月30日 09時40分55秒 | 国:北欧
 大航海時代の列強諸国になって、各地に植民地を築いていくカードゲーム「植民地戦争」の追加宗主国を、2011年のゲームマーケットで出します。
 出す宗主国は、デンマークとスウェーデン!

 デンマークはノルウェーを従えて、その版図をアイスランドやグリーンランドに広げた海上帝国です。スウェーデンはデンマークからバルト海沿岸の支配権を奪って、バルト帝国と呼ばれた北欧の二大大国です。
 是非、既存の植民地戦争に混ぜて新しい宗主国をお楽しみください。

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バルト三国

2007年05月24日 17時41分10秒 | 国:北欧
 天皇陛下が始めバルト三国を訪問されるのと、バルト三国のラトビアの事を書いているブログからトラフィックバックが張られましたので、折角ですので今日はバルト三国の歴史です。
 バルト三国とは、バルト海に面するエストニア、ラトビア、リトアニアで、いずれもソ連解体の折に独立した国です。また、過去、第一次大戦の頃にもロシア革命により、帝政ロシアが崩壊したときにも一時的に独立しています。
 このように同じ近代史を経過している為、似たような国に思われがちですが、やはり1国として独立せずに、3国になっただけあり、中世は各々別の歴史を歩んでいます。

 まず、一番北のエストニアは、フィンランド湾の対岸にあるフィンランド、これを支配したスウェーデンの影響を強く受けています。他の2カ国と異なり、エストニア語だけ、フィンランド語と同じ分類のウラル語です。
 エストニア民族は、13世紀頃からドイツ騎士団・ハンザ同盟の支配を受けますが、バルト海の覇権がデンマークのカルマル同盟から、スウェーデンに移ると、16世紀中頃からスウェーデン領として支配されます。しかし、そのスウェーデンが、1711年大北方戦争に負けると、以後はロシアの支配を受けることになります。

 真ん中のラトビアは、同じく13世紀頃からドイツ騎士団(リヴォニア帯剣騎士団)の東方殖民により、ドイツ人の支配を受けます。北のエストニアがバルト帝国と言われるまでに大国化したスウェーデンの支配を受け、南のリトアニアがポーランドに吸収合併され巨大なポーランド=リトアニア王国が出来ると、南部リヴォニアはポーランドに併合されますが、北部のドイツ人はクールラント公国を建国し、スウェーデンとポーランド両国の緩衝国として18世紀まで存続し続けます。
 しかし、北のエストニアがロシア領になり、南のリトアニア(ポーランド)もロシア領になると、ロシアと婚姻関係を結んでいたクールラント公国はそのままロシアに吸収されてしまいます。

 最後、一番南のリトアニアのみ13世紀のドイツ騎士団の侵攻に対抗し、部族をまとめリトアニア大公国を建国します。その後もドイツ騎士団の侵攻に悩ませられますが、南のポーランドと同盟を結ぶことで撃退し、さらには現在のウクライナまでその版図を広げます。
 しかし、15世紀になるとそのポーランドと婚姻により国家連合が成立し、ポーランド・リトアニア連合王国となりますが、1413年にはリトアニアは自治権を失い、ポーランドに併合されてしまいます。
 そのポーランドが18世紀に分割されるとリトアニア一帯はロシア支配下に置かれてしまいます。

 以上、3国とも18世紀のロシアの拡張政策によって帝政ロシアの支配下に置かれてしまい、独立にはロシア・ソ連の崩壊を待たねばなりませんでした。

両陛下、21日に出発 欧州5カ国を歴訪(朝日新聞) - goo ニュース

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コペンハーゲンの海戦

2007年03月18日 12時53分58秒 | 国:北欧
 ハーゲン続きです(笑)
 デンマークの首都コペンハーゲンは1801年に大きな戦火に見舞われています。当時の情勢は、革命を起こしたフランスと英国が対峙しており、英国はマルタ島を占拠しフランス軍のエジプト遠征軍の分断を図り、フランス本土に物資が送られないように海上封鎖を行います。
 これによって通商権を侵害されたデンマークは、ロシアの提唱する武装中立同盟を締結し、英国と対峙します。
 これが英国にデンマークとの開戦を決意させてしまいます。英国は海上封鎖を理由にデンマーク船の拿捕を行い、デンマークに挑発を行うと、デンマークもフランスの圧力により、ついに艦隊同士の会戦が行われます。
 このコペンハーゲンの海戦は両者ともに熾烈を極め、コペンハーゲンの湾を背に陸地の砲台と共に攻勢を仕掛けるデンマーク艦隊の方がやや優勢でした。英国艦隊のハイド・パーカー司令官は「戦闘停止」の命令を出しますが、副司令官だったネルソンはそれを無視し、隻眼の見えない方の右目に望遠鏡を当て、「本当に(戦闘停止の信号なんか)見えないったら!」とおどけてみせ戦争を続行します。(勿論後世の作り話です)(~o~)
 ネルソンは艦隊の一部を湾内に突入させ、敵艦と至近距離になることで陸上砲台を無力化し、デンマーク艦隊を挟撃することで、勝利を収めます。

 この敗戦でデンマークは英国にノルウェーを割譲させられ、ノルウェーは英国に味方したスウェーデンに渡ることになります。これにより400年続いたデンマークのノルウェー支配は終わり、またデンマーク海上帝国も終焉を向かえ、デンマークは小国へと転落してしまいます。

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北欧

2007年01月12日 20時22分57秒 | 国:北欧
 今日の話題は、フィンランドから北欧の歴史です。北欧というとどこの国を指すかご存知でしょうか?
 デンマークと、ノルウェー、スウェーデンのスカンジナビア半島の国、これにフィンランドとアイスランドを加えた5カ国を指すのが一般的のようです。
 緯度だけで見れば、デンマークよりも英国やバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の方が北に位置しているのですが、歴史を見るとデンマークとスカンジナビア半島の国々が密接に絡んでおり、その事が「北欧」と言った場合にこの5カ国を指すことになったのでしょう。

 デンマーク、ノルウェー、スウェーデンはヴァイキングの国として歴史が始まります。これらの国は、略奪と交易を繰り返しながら、それぞれ王国として統一されていきます。
 その頃、フィンランドはフィン人とサーミ人が部族単位に暮らし、アイスランドはまだ無人でした。
 そしてフィンランドは、12世紀にキリスト教化したスウェーデンによって征服され(北方十字軍)、そのままスウェーデンの一部となります。
 一方、アイスランドは、9世紀にノルウェーからの移住が始まり、議会による自治が行われていましたが、13世紀にノルウェーの介入を招き、ノルウェー領となってしまいます。
 この様に3つの王国に集約された北欧地域は、1375年にデンマーク王ヴァルデマー4世の娘マルグレーテが、息子をデンマークとノルウェーの王位に付け、さらに1397年には王権が弱体化したスウェーデン王位をも取り込み、カルマル同盟を成立させたことにより、北欧はデンマークの支配下に入ります。
 しかし、デンマークのスウェーデン支配は思うように行かず、デンマーク王によるスウェーデンの有力者の虐殺いわゆる「ストックホルムの血浴」が引き金となり、1523年スウェーデンはカルマル同盟を離脱し、王権を奪還させます。
 これにより、19世紀のナポレオン戦争までの400年間、北欧はデンマークがノルウェー王位を兼ねるデンマーク=ノルウェー(これにはノルウェーの植民地であったアイスランド・グリーンランドも含む)と、フィンランドをも領土とするスウェーデンの2カ国となり、互いに争い続けます。
 特に、スウェーデンはドイツ北岸を含む、バルト海沿岸の地域にまで領土を拡張し、バルト帝国とまで言われるようになります。
 しかし、ナポレオン戦争で、デンマークは英国に負け、ノルウェーを失います(アイスランド・グリーンランドはデンマーク領として残ります)。一方、スウェーデンはロシアに侵攻され、フィンランドを失いますが、英国に付きナポレオン戦争の勝利国となった為、代わりにノルウェーを得ます。
 この領土変動が北欧の解体につながります。1905年ノルウェー独立(スウェーデンより)。1914年アイスランド独立(デンマークより)。1917年フィンランド独立(ロシアより)。こうして、北欧は今の5カ国となりました。

 植民地戦争では、これら北欧の国々は入っていませんが、追加の宗主国としてスウェーデンと、デンマークの追加を検討しております。スウェーデンはフィンランドを含む中ぐらい国として、デンマークは小国ながらも、初めから植民地としてノルウェーを持っているのが面白いかと思案中です。

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スキーとタンクハンター

2007年01月08日 20時40分45秒 | 国:北欧
 年始の休みを利用して、スキーに行ってきました。
 今日の話題は、ここから強引に持っていきますので、あしからず…(-_-;)

 スキーからウォーゲームのジャンルで思いたのは、かつてホビージャパンから発売されていた「タンクハンター」なるゲームで、フィンランドのスキー兵を思い出します。
 このカードゲームは、第二次大戦の戦車がわんさか出てきて、引いた戦車を武器に相手戦車を蹴散らしていくゲームで、友人の家でよく遊んだものです。今思えば、この経験が今回の植民地戦争に繋がっている気がします。

 さて、フィンランドのスキー兵ですが、白い防寒服に身を包み、ライフルにスキーを履いての井出達は一風変わっていて、しかも兵なので戦車に勝てる訳もなく、いわゆるハズレカードだった為に記憶に残っています。
 しかし、史実を調べてみると、このスキー兵は第二次大戦でソ連の戦車部隊を相手によく戦い、ゲリラ戦と焦土戦を展開しソ連から国土を守ります。
劣勢な装備でも、地の利と戦い方で勝利を得た良い例と言っていいでしょう。

 次回はこのフィンランドの歴史かな…

 つづく。

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