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動画製作

 まさか自分が動画製作を行うことになるとは…

 樹ブロックの面白さを伝えるのには、遊んでもらうのが一番なのですが、多くの人に遊んで貰う機会ってあまり作れないので、そこでと言うことで遊んでいるシーンを撮影して動画にすることにしました。

 コストは掛けたくなかったので、持っていたデジカメの動画撮影機能を使いました。そのカメラは、.mov 形式なんで、ネットに上げた後、.mp4 にしてその上で、aviutl.exe で編集です。さらに出力ファイルを ニコエンすることで、ニコ動に上げるファイルが作れます。
 さすがにまだアップまではいっていませんが、やっと説明を撮影していろいろと編集中です。あとは実際のゲームの様子なんかも撮って編集だ!
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世界人口70億人突破!次の40年の成長市場

 goo.に掲載されていた週刊ダイヤモンドの記事です。この記事に目を引いたのは乗っている図です。私好みに世界の多くの国がこの表に載っています。
 表の見方は記事にも載っているのですが、1.上下が民主化の度合い、2.左右が先進力・技術力と言った発展の度合い、そして3.色は赤みが強い色ほど若い世代の人口増加が今後も続く国、4.そしてその円の大きさはその人口増加にその国の総生産を掛け算したものです。こんな4つの値を並べて見れると言うのは素晴らしい図ですね。

 表を見ると日本、アメリカなどの先進国は当然民主化率が高いので上に来ていますし、技術力もあるので右に配置され、人口が今後増えないことから色は青、円の大きさは総生産にこの人口増加を掛けるので世界1位のアメリカも、3位の日本も円の大きさは小さくなっています。

 注目されているのは、経済の話なのでBRICSと言うブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5ヵ国です。ブラジルは民主化も技術も高いのですが、人口増加は今後は続かないという事で緑、総生産が今も高いので円の大きさは大きいです。中国も一人っ子政策によるため緑で円も大きいです。
 一方、インドやアフリカの諸国は今後も人口が30年以上増え続けると言うことで、赤になっており、その中でもインドは今もその経済力の高さから円も大きく、今後もっとも発展が期待される国である

 ・・・と言う紹介です。

 とても面白い記事なのですが、鵜呑みに出来ない点があります。3.の人口増加率が今後も続く と言う予想です。これについては、人口増加による食料不足の問題などが加味されているようには見えず、本当にこの予想通りになるかわからない点が過分にあることと、例えこの予想通りに人口だけは増えたとしても、実際に生産人口、働き手として経済活動を行う人口にそのままならない可能性もあることが加味されていません。人口がどんなに増えても、それに見合った産業がなければ貧困が続き、国の総生産が高くはならないでしょう。ずっと人口が増え続けるなら、ずっと産業を増やしていかないといけないので、それは困難を極めるでしょう。
 この表の予想は、最良の状態を見た場合と考えるべきかなー

http://news.goo.ne.jp/article/diamond/business/2011112805-diamond.html
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プレイ人数、プレイ時間、 対象年齢の表示

 今は無くなったテーブルゲームフェスティバルで無料で配布されていたゲームのプレイ人数、プレイ時間、 対象年齢の表示です。2011年秋のゲームマーケットに行ってみて、回って思ったのは、買う側としてプレイ人数、プレイ時間、 対象年齢の情報って真っ先に知りたいのかなーっと。
 一応、うちの作品にもプレイ人数、プレイ時間は表記していたのですが、このアイコンを使っているブースも多かったので、あわせようと思います。

 で、対象年齢ってどうしましょう・・・

 まさか、6歳児や12歳の小学生を連れてきて遊ばせて判断する訳にはいかないし(~_~;)

 ネットでいろいろ見てみると、6歳以下とかは知育ゲームを兼ねるようなもので、12歳以上は戦略性が問われる複雑なゲームが多いみたい。ドイツのゲームなんか見ているとそのような傾向があるそうです。勿論、中間の年齢設定をしているものや、年齢設定が外れているものもあるみたいですが。。。

 細かいことを考えても仕方ないので、植民地戦争やサクサク三国志は12歳以上、樹ブロックは6歳以上かなー

 ちなみにTVゲームの年齢制限は、18歳以上のアダルトの指定以外にも、15歳以上や12歳以上なんかも設定されており、評価機関によると、例えばバイオレンスな表現があるとか、格闘ゲーム時点で引っかかるそうです。あと恋愛系もキスシーンとか、水着シーンとかも減点対象。変ったところでは、国や宗教について偏った表現も減点対象。これらの減点対象を直接的、間接的表現なんかも加味しながら審査して、年齢制限が掛けられるみたい。。。(~_~)

 まあ、私が作るゲームではさすがに恋愛系は無いだろうから、気を付けないといけないのは「国や宗教について偏った表現」かなー(~_~;)
 ちなみに特に戦争ものと言うのは、バイオレンスにならなければ特に減点対象に入っていなかった。(゜o゜)
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樹ブロック:クリスマスに遊んでいます

 こういったブロックゲームは単純で楽しいです。クリスマスの3連休で普通に連れ相手に積み上げて楽しんでいます。高く積むグライヴィッツ・タワーを遊んだのですが、安定志向の連れにしては珍しく、最初からアグレッシブにブロックを積んだため、ブロックの下の方が既に歪んだ状態になり、その危うい上に積み上げていく羽目に!
 途中まで積み上げるとあまりにも危うい状況が楽しくなり、珍しく連れがカメラを持ち出して撮影した次第。その後、無理だ無理だを繰り返しながら、な!なんと最後まで積み上がってしまいました。

 いや~、積み上げるものです。
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呉の臣下 ホウ統

2回に渡って魯粛と周瑜の天下二分の計について見てきましたが、最後に関わる人物としてホウ統について書きたいと思います。
ネットでホウ統が、劉備の部下ではなく魯粛が遣わした呉の臣下であると言う面白い説を読みました。さすがにこの説は行き過ぎと思ったのですが、他の事象やここら辺の経緯を見ていくと、あながちホントかも? と思ったので、そこら辺を書きたいと思います。

まず、ホウ統が最初に登場するのは水鏡先生の門下生として諸葛亮が伏龍なら、ホウ統は鳳雛だ!と言われたことです。諸葛亮があまり、劉表に仕官したがらなかったのに対して、ホウ統は(家族を養う都合もあったのでしょう)仕官を望んでいました。しかし、門地を大事にする劉表の元ではたいした待遇を受けることはありませんでした。そんな中、赤壁で勝利した周瑜が曹仁を追い払い、南郡太守として赴任してきます。赴任前から周瑜に付き従っていたかは不明ですが、演義では赤壁の時から周瑜の知り合いで、連環の計を行っています。
 事実としては、周瑜がホウ統を南郡におけるNo.2(功曹)にしたことです(もともと南郡のNo.2でそこに周瑜が来てホウ統を留任させたケースもあります。功曹よりも別駕の方が上ですが、別駕が登場しないので)。
 つまり、ホウ統は周瑜の片腕として、209年から210年の間活躍していたことになります。その後、周瑜が没します。この周瑜の死体を呉に運んだのがホウ統です。死体を運ぶ役目は重要な任務なので、この事からもホウ統が周瑜の腹心だったことが伺えます。呉に赴いたホウ統は魯粛の推薦を持って孫権に仕えることを望みますが、風体が良くなかった為、孫権はホウ統を嫌い採用しませんでした。
 今まで、周瑜によって現地採用されていたホウ統が、現地法人が解体となったので本社採用に切り替えようとしたかったのですが、さすがに本社採用は難しかったと言うところでしょうか…
 そこで本社の重役であった魯粛が、今度は子会社を経営する劉備のところに転属を取り計らってくれます。(呉を本社、荊州での呉の勢力を現地法人、劉備が呉の子会社と言う表現はけっこう的を得ていると思います。)
 
 そうしてホウ統の転属が決まると、呉の陸績、全、顧邵などがその別れを惜しみます。彼らは呉の四姓だったりと、後に呉で中核をなす若手です。送別会を開いて送り出してくれたような感じだったのでしょう!
 
 しかし、転属先の劉備のところでは冷遇され、地方の営業所に飛ばされてしまいます。それに怒ったのが親会社の重役である魯粛です。魯粛は劉備に手紙を書きます。さすがに親会社の重役に言われてしまうと逆らえない劉備は、手元に呼び軍師中朗将と言う秘書官の地位を与えます。
 そうなってはじめてホウ統は魯粛(or親会社)の勅命を実行に移します。それは劉備に蜀を取らせることです。劉備は諸葛亮の天下三分の計に従って、荊州の次は蜀(益州)を取る必要があります。しかしそれは荊州の基盤を安定させてからです。この時まで劉備は性急に蜀とりを行おうとはしておらず、ホウ統に言われて初めて腰を上げることになります。しかも、猛将 関羽も、軍師 諸葛亮も荊州に置いたままで、張飛も別働隊です。この陣容からして如何に劉備がこの時点での蜀とりに本気じゃなかったことが伺えます。
 さらに劉備は、ホウ統が数々の進言を行いますがこれをことごとく、仁義に反するとか、住民の心がまだとかの言い訳をつけて実行しません。演義では同族である劉璋を攻めるのを躊躇ってと上手く誤魔化していますが・・・

 そしてラク城攻略において、ホウ統は劉循・張任らの攻撃によって流れ矢に当たって死んでしまいます。軍師の立場で本陣に居そうなものなのに、どうして流れ矢が当たる状況なのか不思議です。
 その後、劉備は俄然やる気になります。まず、荊州に居た諸葛亮を呼び寄せ、さらに張飛や趙雲らに各郡を平定させます。さらに趙雲を迂回して成都に向かわせることで、ラク城の守備兵を動揺させこれが決め手になってラク城も陥落。最後に諸葛亮・張飛らと合流して成都を包囲することで勝利を収めます。
 見事なまでの平定戦です。この作戦立案から各部隊への指揮を取り仕切っていたのが、諸葛亮ではなく劉備なのです。ホウ統が居る中では呉の影響力が残ってしまうので、この時点では蜀は取りたくない…。しかし、ホウ統が居なくなれば呉の影響力が及ばない形で蜀をえることが出来ます。そう劉備が考えていたと疑ってしまいます。

 以上がホウ統が呉の臣下説です。一般的には劉備の腹心で、劉備の為に尽力する中で不遇の死を遂げてしまったと見るべきですが、こんな風に見ることも出来ると言う紹介でした。
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周瑜と天下二分の計

 前回、周瑜が魯粛や孫策と共に天下二分の計を推し進めていたことは書きましたが、今回はその周瑜を取り巻く状況に視点を置いてみようと思います。
 
 周瑜は二世三公と言う超名家です。袁氏が四世三公なのでそれよりは下ですが、他の群雄達に比べれば群を抜いています。まさにサラブレッドです。ですので、周瑜が同い年の孫策と知り合って絶金の関係となり、後に孫策が旗揚げした際に周瑜は援軍に駆けつけますが、家柄から考えれば周瑜が君主で、孫策が臣下でもおかしくないのです。
 そうならなかった理由としては、孫策が孫堅の軍団を引き継いでいるのに対して、周瑜は親の庇護をあまり受けられなかったのでは無いかと思います。周瑜が成人した際に親や周一族から援助を受けた記述があまり見当たらず、洛陽で県令を勤めた父 周異は没年が不明ですので、既に死んでいたのかもしれません。
 
 そう言った経緯から周瑜は孫策の友人、兼義理の弟、兼臣下となります。そんな関係だった孫策が亡くなり、孫権が後を継ぐと、周瑜は軍事面での補佐を遺言されます。兄が友人待遇で迎え、孫権にも義理の兄だと思えとまで言われていた周瑜が真っ先に臣下の礼を取ったことで、多くのものがそれに従い、これによって孫権はスムーズに孫策の基盤を引き継げたといえます。

 孫策の死後から赤壁までの間、孫権の地位は微妙だったと思います。呉を建国する以前なので王位の継承があった訳ではなく、単に孫堅からの軍団と、孫策が支配した領地を引き継いだと言う形です。家臣団の多くも孫堅や孫策に魅せられて付き従った者が多く、代々の家臣と言う訳ではありません。つまり、少しでもボロがあれば孫権の家臣は離反しかねない状況でした。
 このような状況で孫権が採った方策は、自身が具体的な方針を述べず、家臣団による合議にしたことです。家臣の意見に反対しないこと。意見のうち片方に賛同することで家臣をつなぎ止めようと苦慮していたのが伺えます。
 特に、細心の注意を払ったのは、最大勢力で帝を抱える曹操と敵対するのかどうかです。これには多くの文官が敵対することを危惧し、逆に多くの武官が敵対を是としました。これに対して明確な意見を孫権が出せば、家臣の半分を失いかねないだけにこの時期の曹操に対する基本戦略はタブーでした。
 そんな中、魯粛が曹操に敵対することが可能であることのビジョンを示します。勿論、孫権は心の中で素晴らしいと思っても、こんな国内事情なので「恐れ多いこと」と言って現状を維持を表明するのがやっとです。また同じように判っている張昭も「このような者の意見を聞いてはなりませぬ。」と反対を表明します。張昭も赤壁までは文官の取りまとめ役として、内心はどうであれ曹操に敵対する政策を行わないことを表明することで他の文官達と歩調をあわせる必要があったのかもしれません。(←勝手な解釈です!)
 こう言った状況なのは魯粛と言うか周瑜も判っていたはずです。孫権からの答えが NO(と言うか保留)になることが判っていたにもかかわらず、あえて魯粛に天下二分の計のプランを進言させたのは、今は NOでもいずれ曹操に対抗する決断をする際に、可能であることを反対する文官たちに示したかったのかもしれません。
 そうすると、この数年後に甘寧が仕官する際に同様に天下二分の計を披露しますが、これも周瑜の差し金では? と思ってしまいます。甘寧を推薦したのは他ならぬ周瑜と、後年 魯粛の後継者となる呂蒙ですから。(この2人は親周瑜派ですね)
 
 こうした前振りを何度も行うことで、周瑜は曹操に対抗することが可能であることを認識させ、一方 張昭は武官が性急に曹操と敵対しないようにブレーキを掛けた上で、他の文官達を取りまとめていったのではないでしょうか?
 そして曹操が攻めて来た際に周瑜が勝利できることを延べ、それに対して孫権が戦う意思を示し、これに張昭も従うことで多くの文官も張昭と共に従う意思を示します。こういった下準備が、孫呉が一致団結して曹操に対抗できたのかも知れません。ちなみに赤壁の際、文官の張昭も兵を率いて、曹操の徐州を攻めるなど、率先して曹操と敵対することを示しています。
 
 周瑜と張昭、二人の関係を見ると赤壁において交戦派の代表と、降伏派の代表と言うことで敵対していたイメージを持ちかねないのですが、もともと孫策に張昭を迎え入れるように進言したのは周瑜ですし、孫策の死後直後の混乱期は周瑜と張昭の2人が率先的に孫権を支えます。そして、曹操から孫権に人質を差し出せと言われた際に反対の意思を示したのは、この2人だけです。実は意外にもこの2人の歩調は合っているのです。まさに孫呉政権の表と裏のような関係だったように思えてなりません。
(まあ、一般的には張昭は保守派で、単純に曹操と組するのには反対だけど、孫権のことは大事に思っていたとされています。)
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怪盗ジュエル

 ゲームマーケットで買ったもうひとつのゲームです。前から気になっていたのですが、実際に会場でプレイでき、満足がいったので購入です。
 ゲームの内容は、よくあるいっせいにカードを出して他の人の出したカードと重なってはダメと言うものです。このルールを採用しているゲームは結構あります。ただ良く考えられていると思ったのは、前回出したカードは出したままなので、続けて出せないルールがあることです。これによって相手が何を出せないかが判った上で残りのカードでの読み合いが行えます。
 これを宝石店に怪盗が侵入して宝石を盗み出す設定にしています。盗む宝石も同じものが3つにならないと加点されないと言うルールもあるので、2枚まで集めたら残り1枚同じカードを狙いたくなることも詠む材料の1つになります。

 そんなに難しくは無いので、その分奥深いわけでは無いのですが、手短な時間で遊ぶには細かなところでよく出来ている作品だと思いました。
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樹ブロック:製品化

 一応、樹ブロックの量産化 第1号が出来ました。めでたくも知り合いが早速買ってくれます !(^^)!

 袋にはちゃんとロゴマークを入れました。ブロックはちょうどう3×3×9になり、それが3つです。あとは説明書、台座、サイコロです。説明書は仕方ないけど、これなら見栄えもそこそこ良いかなー。
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天下二分の計:魯粛

 またまた勝手解釈の三国志談義です。今回は魯粛です。孫呉が好きな私としては、好きな政治家の1人だったりします。演義では諸葛亮に良い様にあしらわれてしまうお人よしですが、史実ではかなりの先進的な発想の持ち主で、三国志史上数少ない長期経営計画を策定できる軍師です。

 政治家には色々なタイプがいると思います。普通に行政を行う政治家。鐘ヨウや王朗、顧ヨウなんかがそうでしょうか。次に立法を行う政治家。九品官人法を制定した魏の陳羣や、蜀では蜀科を作った面々がそうでしょうか。後は政治家の中でも戦争に特化し、戦術や戦略を練ったりする軍師職もあります。郭嘉なんかがその代表格でしょうか。

 三国志の時代は、各群雄が勢力を伸ばし、地盤を固め、国を形成していった時代なので、戦争に勝って、内政を行って、そして法も整備していくことが必要になります。しかし、もっとも重要なのは、これら全体を統括して中長期的なプランで計画を建ててどうすれば建国することが出来るかを考えることです。
 今の企業で言うところの経営企画室が中心的に行っているその企業の中長期計画です。企業はその計画に従って細部の計画を詰めていきますので、その企業の骨子になります。

 三国志でもっとも有名なのが諸葛亮が、劉備に天下三分の計を示したことです。これによって劉備の基本方針が決まります。荊州に地盤を作り、その上で江東の孫権と結んで曹操に対抗する。そして益州も抑えて、チャンスが到来したら、荊州から洛陽を益州から長安を脅かすことで魏を滅ぼし、漢王朝を再興させると言うプランです。
 劉備はこの基本方針に従って、孫権となんども揉めながらも一時的に荊州と益州を所有することで、天下三分までこぎつけ蜀を建国することが出来ました。

 一方、呉の建国に大きく関与したのが魯粛です。

 魯粛は諸葛亮が天下三分の計を提案する10年近く前に初めて孫権に拝謁した際に提案しています。その内容は、長江より南の領土全てを所有することて、長江を防壁として曹操に対抗する。そして曹操が帝を擁しているのを無視して、建国してもう1人の皇帝になると言うぶったまげたプランです。
 何世紀も後になると中国は南北朝の時代を幾つも迎えることになりますが、唯一無二の皇帝を名乗って中華を分割統治すると言うアイデアは当時の人は驚いたことでしょう! さすがに孫権は「恐れ多いこと」と言ってこのプランには直ぐに賛同しませんでした。

 この魯粛の天下二分の計ですが勝手な想像ですが、魯粛が周瑜と初めて会った際に、まさに諸葛亮が劉備に語ったようにこのプランを披露したのではないでしょうか?

 魯粛と周瑜が出会った時、197年頃は魯粛は袁術に召されていたのですが、袁術に嫌気がさして逃亡。追われる身となった魯粛は周瑜に庇護を求めます。あの倉丸ごとあげるよ!エピソードです。この際に魯粛は自分の抱いている野望を周瑜に話し、周瑜もそれに賛同したのでは無いでしょうか?
 この直ぐ後に、周瑜は魯粛のことを孫策に推薦します。そして孫策も魯粛を迎え入れます。これは魯粛の天下二分の計を孫策の基本戦略とすることに他なりません。
 この後、中原は官渡の戦いになっていくのですが、この時に話題となるのが孫策の許昌強襲プランです。曹操が官渡に張り付いているので、許昌を強襲して帝を救い出す(拉致ってくる)と言うものです。しかし、このプランは奇襲な割に、大きく言いふらしています。しかも、この時の孫策の軍の殆どは荊州に向いていました。つまり、孫策は許昌強襲は攪乱の為の流言で、その本意は荊州攻略にありました。事実、199年には周瑜を総大将(中護軍)に据え、江夏太守にも任じて、江夏に逃げ込んだ劉勲と江夏の黄祖を破っています。
 この様に魯粛の天下二分の計は、孫策・周瑜の元で着実に進行していました(魯粛本人は喪中でしたが)。しかし、孫策が暗殺されたことで、大きく頓挫します。
 孫策暗殺後、魯粛は計画をあきらめ失意のまま北に行こうとします。それを止めたのが周瑜です。恐らく周瑜は言ったでしょう「まだ私が居る!」と「私が、天下二分の計を成しえる!!」と。これ以後、魯粛は周瑜の元で天下二分の計を遂行するようになります。

 周瑜・魯粛が天下二分の計を継続する為には、孫策の後継者となった孫権にその計画を認めさせる必要がありました。しかし、前述の通り魯粛が天下二分の計を言うと、孫権は「恐れ多いこと」と言って直ぐの実行は断ります。しかし、魯粛を厚遇することで、保留状態とします(ここら辺の孫権の事情はまた別途やりたいですね)。

 そして赤壁を迎えます。

 孫権内部では、降伏か徹底抗戦かが議論されます。そんな中、魯粛はただ一言、「周瑜殿に意見を聞いてみれば?」とだけ発言します。これはすなわち曹操と戦うなら、その対抗方策としては周瑜・魯粛の天下二分の計しか無く、これを推奨するなら力を貸すよ!と言うことです。(公の場意外では魯粛は孫権に降伏すると冷や飯食わされるよと言っています)
 その後、周瑜が呼ばれ、周瑜は勝算を披露します。これによって一気に徹底抗戦になり、ここより周瑜を総司令官とする天下二分の計が孫権の元、再実行されることになります。赤壁はあくまでその局地戦でしかありません。赤壁で勝利した後も、魯粛は劉備との共闘関係により荊南四郡を攻略し、曹操が派遣した太守を一掃しますし、周瑜は曹仁が守る南郡をなんとか制圧することで、長江以南から曹操勢力を追い出すことに成功します。

 天下二分の計の残す攻略ポイントは益州です。周瑜は益州への侵攻を計画しますが、その半ばで没してしまいます。この時、後を継いだ魯粛の策は素晴らしいものでした。周瑜の死によって、荊州での呉の軍事力は著しく低下します。当時、半ば同盟状態にあった劉備軍よりも下回ってしまいました。これでは荊州を守りきることは難しいと判断した魯粛は、劉備に「荊州を貸そう!」と持ちかけます。実質、呉の指揮下での共闘とは言え荊南四郡は劉備勢力が実効支配していましたので、周瑜が攻め取った南郡のみを貸そうと言うことになります。それでも劉備には魅力的な提案でした。荊南四郡の北にある南郡が無いと、益州を取った後、北上して魏を攻めるためにも南郡は必要な地点でしたから。そんな思惑もあり、魯粛による「荊州借用」が実現します。(これは後に大きな罠だったことに気が付くのが数年後です。しかし、この罠に諸葛亮は気が付かなかったんだー)

 荊州借用によって荊州の長江以南に領土を持った劉備はその後、益州を攻め取ります。これで荊州と益州を得ると言う諸葛亮の天下三分の計が実現します。後は、兵を整えて期を見て益州と荊州から北上して魏を攻めるだけです。しかし、この絶妙なタイミングで魯粛は、「益州を取ったんだから、荊州を返してね!」と劉備に迫ります。実質貸したのは南郡です。それをいつの間にか荊州全土にしているところがペテンです。
 そんなんだから関羽はぶちきれて魯粛との単刀赴会となります。劉備軍にしてみれば荊南四郡は劉備勢力が元から実効支配していたと言ういい分があります。それが「土地というものは徳のあるものに帰する」に表れていると思います。しかし、魯粛は平然と言ったでしょう「じゃあ、南郡だけでもいいや!」南郡だけ返しても、益州と荊南四郡は道が繋がって居ないので南郡も返すことは出来ません。南郡を借りた時点で見事に魯粛の策にハマってしまっていたのです。(勿論、この会談が全てではなく、魯粛はこの数年をかけて兵を整え、甘寧や呂蒙を使って占拠もしています。関羽も兵を動かして牽制しています。)

 結局、劉備は曹操の漢中侵攻もあったので、荊州の東側半分の返還に応じます。あくまでこの時の魯粛のスタンスは、「荊州全土の借用のうちやっと半分返してくれた。」です。まだ残り西側半分は貸したまま状態です。かなりのペテンですがこれが魯粛マジックです。
 この後、暫くして魯粛は没してしまいますが、この借用をたてに後を継いだ呂蒙・陸遜が残りの荊州を奪還することになるのです。

 その上で、魯粛が狙ったとおり、それでも蜀は呉との再同盟を余儀なくなれ、呉優位の状態で魏:呉:蜀 6:3:1の国力で三国が鼎立し、それぞれが皇帝を名乗る時代になります。孫権は即位の際に言います。
 「魯粛が居なければ、私は皇帝には成れなかった」と。
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樹ブロック:セルフコンプレイ

 記事が少し前後しますが、この間自分のところのコンベンションで、樹ブロックをお披露目してきました。

 やっぱり、メトロポール・パラソルが一番白熱しますね。連れと家で遊ぶと、連れがむちゃな置き方を極力しない性格なので結構安全に積みあがりますが、セルフコンのメンバーだと余裕があるうちは冒険的な置き方をしてくれます。もっともゲームの性質上、段々と積みあがってくると、それを壊したくない意志が働き、最後の方は全員で、「ここが置ける!」とか「ここは駄目だ!」など意見を出し合いながら積んでいくことになります。

 ゲームの結果はと言うと、最後の1個まで来たのですが、その1個を置いたとたんに見事にパラソルは裂け、中央から四方に分解して崩れてしまいました。あまりにも見事に崩れてくれたので、それはそれですっきりしました。
 携帯で動画も取っていたのですが、携帯動画ってUPって出来ないんですね。動画の拡張子が機種専用になっていてパソコン再生が出来ず、ちょっと残念。今度はデジカメで撮影しようかなー。
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