植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ピルクルと清教徒

2007年04月28日 10時26分21秒 | 国:英国
あの乳酸菌飲料のピルクルが今復刻パッケージで売り出しており、その裏にこんなお話が書かれていました。


<ピルクルの由来>
ピルクルのネーミングは、1620年に英国から自由を求めてメイフラワー号で新大陸(アメリカ)に渡った102人「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」を略してつけたものです。
彼らの持つ人生の新しい可能性に向けてひるむことなくチャレンジする精神にあやかるべく、またお客様がいつもフレッシュで健康な日々を送られるよう、願いを込めて商品名といたしました。



このピルグリムは、実はアメリカに渡った清教徒・ピューリタンのことで、当時英国が国教会を確立する中で、より教会の改革を主張したのがピューリタンです。
このピューリタンの一部のグループが英国での弾圧を逃れて、新天地としてアメリカを目指し、入植していきます。
これが英国のアメリカでの最初の植民地ニュー・イングランドになっていきます。

また、英国に残ったピューリタンは、1642年には清教徒革命を起こし、その後の名誉革命を遠因になるなど、英国の歴史に大きく関与していきます。


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5月6日 植民地戦争へのお誘い

2007年04月25日 12時24分37秒 | ゲームシステム

 掲示板で書き込みましたが、来る5月6日(日)に植民地戦争を川崎市多摩区の市民館の会議室で行います。是非、お近くの方で遊んで見たいと思われましたら、この機会に是非ご参加ください。
 ご参加ご希望の方は、こちら(chiyakazuha@mail.goo.ne.jp)まで予めご連絡ください。※件名に「植民地戦争:5月6日参加申し込み」と入力してください。

【日 付】2007年5月6日(日)
【受 付】9:15~9:45
【ゲーム時間】10:00~17:00前後
 ※昼食は各自になります。私は弁当持参か、近くのセブンイレブンでお弁当です。
【参加費】500円
【場 所】川崎市多摩区役所内 市民館4F会議室
     小田急線 向ヶ丘遊園駅北口下車4分[地図

 会は私が個人的に開いているTRPGコンベンションです。参加者十数名の小さな会で、今回その中の1卓として、植民地戦争を行います。
 午前中の1回私が説明しながら行い、午後に2~3回ゲームが出来ればと思っております。

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オーストリアの海

2007年04月23日 18時14分16秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 バイエルンとザクセンが海を持っていないと言う話しから、今日はオーストリアの海についてです。

 現在、内陸国で海軍を持たないオーストリアは、以前はアドリア海(イタリア半島とバルカン半島の間の海)に面しており、海軍を持ちイタリアと何度も交戦したり、第一次大戦では中国まで艦を派遣しています。
 この一部の人には熱狂的に愛されているオーストリア海軍ですが、オーストリアが海に面したのは、以外に古くボヘミア(=チェコ)やハンガリーを取得する以前の 15世紀には今のスロベニアを所領しています。
 しかし、当時のアドリア海は海運国家ヴェネチアの庭であり、その先の東地中海はオスマン帝国の支配下にあった為、実質海軍は持っていなかったようです。
 それが、オスマン帝国とヴェネチアの衰退、特に19世紀頭のウィーン会議でヴェネチアを領土としてから海軍を設立し、アドリア海や地中海、そしてその先までに航行するようになります。その中心地として栄えたのはヴェネチアではなく、お隣のトリエステで、トリエステはオーストリア唯一の軍港として戦艦や潜水艦を建造し、その母港となりました。

 しかし、第一次世界大戦に敗北すると、ヴェネチアとトリエステはイタリアに割譲され、またスロベニアは、後のユーゴスラビアとして独立してしまい、オーストリアは海を持たない内陸国になってしまいます。

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資料室

2007年04月21日 15時50分16秒 | ゲームシステム

資料室

を更新しました。今までこのブログで1度公開しました、「カード枚数分析」と「勝敗集計表」へのリンクを張りました。
特に勝敗集計表は、ゲームが行われるたびにちょくちょく更新していきたいと思っております。早速ではありますがゲームマーケットの時のプロイセンの勝利を加算しました。
また、今後メールなどで送られてきた結果もこちらに集計していきたいと思います。


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継承戦争1730

2007年04月18日 21時09分59秒 | 雑談
 3月末に地元のコンベンションで継承戦争と題して、オーストリア継承戦争を題材としたTRPGを行いました。
 以前、このブログでも照会した「ハプスブルグの宝剣」(藤本ひとみ著)を読んで、そんな世界観でTRPGを行ってみたいと思った試みで、今回で3回目になります。

 第1回目は1730年からスタートで、キャラクター作成をしたのですが、キャラクターの生まれた場所をダイスで決めたのですが、バイエルンやヘッセンなどいろいろな場所があるにもかかわらず、君主となった平さんはロートリンゲン(※1)を引き当てた為、史実やハプスブルグの宝剣とまったく同じく、ロートリンゲン公としてマリア・テレジアの婿となる設定で始まりました。
 本当は、違う公や公子になってマリア・テレジアと婚姻した場合どうなるかのプレイも期待していたのですが、それは次回の楽しみになりそうです。今回のプレイヤーは以下の方々です。

 アルバート・サマルトリア・ロートリンゲン・・・主人公。マリア・テレジアの婚約者。フランスとの国境にあるロートリンゲンの公爵
 ヴォルフガング・アウグスト・ミッターマイヤー・・・ハノーバーで元英国王と育ち、後にロートリンゲン公の将軍となる。
 ロスヴァール・・・ロートリンゲン生まれの傭兵。ポルトガル、ネーデルランドと転々とした後、ロートリンゲンに戻ってくる。
 リヒャルト・D・シュタレムベルク・・・オーストリア蔵相の甥。ウィーンで役人をしている。
 ミヒャエル・ゲオルグ・・・ナポリ大司教であり、枢機卿。法王の腹心。


 ゲームの序盤に、リヒャルトにアルバート公をウィーンに連れて来させ、プレイヤー全員を合わせた際は、君主ロートリンゲンと他のキャラクターとの関係がまだ確立されていなく、一時微妙な状態もありましたが、間髪いれずにポーランド継承戦争(※2)を引き起こして、プレイヤー同士で協力しないといけない状況を作り出します。
 結局、ライン川でフランス軍と戦うプレイヤーと、ナポリでスペイン軍を迎え撃つプレイヤーに分かれることになります。

 ナポリ方面は、司教区をナポリに持つゲオルグ卿がスペインの侵攻にあせり、ローマでの活動をしやすくしてくれます。その上で、リヒャルトがローマで情報戦を展開し、スペイン軍が不利になるように仕向けると共に、軍を率いたヴォルフがイタリアを南下します。しかし、スペイン縁のパルマが兵を動かしたことで、挟撃の危険を孕むことになり進軍を止めなければならなくなります。このパルマの攻略を巡って、強襲すべきか包囲し情報戦や兵糧攻めをすべきか悩みます。最初は情報戦などを行ったのですが上手くいかず、業を煮やして強襲すると大成功し、あっけなくパルマを攻略します。
 その後、スペイン軍はシチリアを占領した後、ナポリに上陸するもののリヒャルトの謀略により、攻勢に出れず、ナポリに居座り続けついにはローマまで進軍したオーストリア軍と一戦を交えることなく停戦に至ります。

 一方、激戦だったのはライン方面。総司令官のNPCのオイゲン公子2万5000の軍が到着するまで、プレイヤーのアルバート公は5000人の兵で、2万のべリール将軍の軍と、同じく2万のベル・イル将軍の軍を相手することになります。
 まずはこの両軍を合流させてはマズイと、小回りを効かせてベル・イルの軍にゲリラ戦を仕掛けて、翻弄し進軍を阻みます。ロスヴァールの武勇と、アルバート公の情報戦に、馬鹿な指揮官と言う設定だったベル・イル軍は、完全に翻弄され進軍できず、さらにプレイヤーに援軍としてプロイセン軍1万が来援します。まあ、潮時と思ったので、最後に大攻勢を掛けて見せ場を作って撤退します。その攻勢の最中、ロスヴァールが刺客に狙われていると言う設定があったので、刺客を出し、毒矢で強襲! 当然、襲撃者は死亡しましたが毒矢も当たり、かっこよく戦線を離脱してもらいました。
 一方、この隙をついてべリール軍はライン川を渡り、到着したオーストリア・オイゲン公子軍と激突します。ここはNPCとNPCの戦いだったので、ダイスも振らずにべリール軍が優勢だったものの、将軍べリールがオイゲン公子にやられ、しかし、フランスの副将サックスが軍を取りまとめることに成功したと言うことで、フランス軍優勢で決着をさせました。

 この後、PCに外交官が居なかったので、和平交渉を好きに進め、まずは史実どおり、オーストリアの推すザクセン公をポーランド王につける代わりに、アルバートの故郷であるロートリンゲンをフランスに割譲。代替地として現トスカーナ大公の死後、トスカーナを与えることで話をまとめました。
 しかし、ナポリ・シチリア方面はスペイン軍の活躍が芳しくなかった為、史実どおりナポリまでは奪えず、シチリアのみスペイン領となることで妥協し、プレイヤーの功績を称えました。

 そして第一話は、アルバートが故郷を捨てる悲しみと、オーストリアを背負っていくという期待と不安を抱えながら終わりました。

以上、プレイレポートの1回目でした。


※1:ロートリンゲン=ドイツとフランスとの国境にある公領。現在はフランス領だが、当時は神聖ローマ帝国内の領土でフランスが虎視眈々とその領土を狙っていた。

※2:ポーランド継承戦争=ザクセン選帝侯兼ポーランド国王アウグスト2世が死んだ為、貴族の選挙で決めるポーランド王位を、息子のザクセン選帝侯アウグスト2世と、ポーランド貴族スタニワフが争った。スタニワフにはフランスとスペインが味方し、アウグスト3世には神聖ローマ帝国(オーストリア)とロシアが味方に付き、ライン川と、イタリア半島で争われた。


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バイエルンとザクセン その2

2007年04月16日 21時44分21秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 前々回に続いて今回はバイエルンがドイツを統一する可能性を見てみようという話です。
 バイエルンは現在のドイツ南部。東西に分かれていた際は西ドイツの南東部にあたり、オーストリアと国境を大きく接しています。
 1180年にヴィッテルスバッハ家の所領となって以来、同家が治め続けます。同家はプファルツも所領しますが、プファルツがプロテスタントとなった為、プファルツのヴィッテルスバッハ家と、バイエルンのヴィッテルスバッハ家は三十年戦争で同じ家同士で骨肉の争いを行います。
 その争いで、バイエルン側が一応の勝利を収め、選帝侯の地位を得、有力貴族となり、1742年にはハプスブルク家がカール6世からマリア・テレジアへの継承問題に乗じて、バイエルン公カール・アルブレヒトが、神聖ローマ帝国の帝位につきます。
 しかし、その直後、ハンガリーを味方につけたマリア・テレジアの反撃に遭い、バイエルンを追放され失意のうちに亡くなります。
 その後、後を継いだ息子のマクシミリアン3世ヨーゼフはマリア・テレジアと速やかに和睦し、次期皇帝にマリア・テレジアの夫フランツ・ヨーゼフに投票することでバイエルンを存続させることが出来ます。
 その後のバイエルンは、ナポレオン戦争でバイエルン王国となり、普墺戦争ではオーストリアにつき敗北しプロイセンに賠償金を払う義務を負い、その後ドイツ帝国内での王位を持ち続けながらも、第一次世界大戦中に起こった革命によりドイツ皇帝とともに廃位させられます。

 バイエルンから出た神聖ローマ帝国皇帝(ドイツ王を含む)は、カール・アルブレヒト以外に2名で、いづれも世襲化することなく終わります。

 これらの歴史を見てみると、少しは望みがありそうな気がします。(いや、殆ど無いかもしれませんが…)


 というのも、この歴史の「もし」を題材として、宗主国としてプロイセン以外にザクセンやバイエルンを作るのも面白いかな~って考えたのですが、よくよく考えてみると、海に面していないのでプロイセンと違ってドイツを統一しない限り、海外に植民地をもてないじゃん!

 ってことで無理ですか…(^_^;)

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道ではない!国だ!

2007年04月14日 22時23分37秒 | 国:オランダ・ベルギー
 ちょっと名言を見つけたので脇道です。第一次世界大戦開始直後、ドイツ帝国はシュリーフェンプラン(小モルトケの改変)に従ってドイツ国境に大挙しているフランス軍の背後を突くために、中立国ベルギーに対して領内通過を求めると、当時の国王アルベール1世は「ベルギーは道ではない。国だ。」と拒絶し、実際にドイツ軍が侵攻してくると、徹底抗戦を行います。
 当時、強国だったドイツは同じ強国であるフランス・英国・ロシアしか見えておらず、小国ベルギーは怯えて通過を許すと思っていたのでしょう。

 しかし、ベルギーの根強い抵抗により、ドイツ陸軍の進軍は遅れ、ベルギーの独立を支援する英国が参戦する自体を招き、ドイツが第一次世界大戦に敗退した理由の1つに挙げられています。

 植民地戦争でも、小国に転落し他国が無視しているようなら、この台詞を言って主張するのもオツかもしれません。(#^.^#)
【名言】ベルギーは道ではない。国だ。
 小国が故に大国に無視された際に、その大国に徹底抗戦を行う時。

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バイエルンとザクセン

2007年04月13日 21時22分11秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 昨日、プロイセンのプレイレポートを上げましたが、プロイセンは現在のドイツの元となった国で、神聖ローマ帝国内のブランデンブルグ辺境伯が力を付け、選帝侯と言う皇帝を選出する選挙権を得た上に、神聖ローマ帝国外のケーニヒスベルク(現カーニングラード)を支配していたドイツ騎士団と同君連合になったことで、その領地を得、その地で王になることを各国に認めさせたことで、1701年にプロイセン王国が建国します。
 その後、プロイセンは富国強兵に勤め、神聖ローマ帝国の帝位を独占していたオーストリア・ハプスブルグに変わり、ドイツ諸侯を取りまとめ、1866年の普墺戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となり、後のドイツ帝国の母体を完成させます。

 このゲームでは、プロイセンは北ドイツ同盟を表し、同盟カードにより国力を増大させることが可能です。勿論、それを交渉カードでつぶすこともできます。
 フランスなどが妨害し、その報復として対仏戦を行うなんてストーリーは史実を髣髴させる流れです。

 ここからですが、同じ神聖ローマ帝国内において同じく選帝侯の地位を得ていた有力諸侯であるザクセンやバイエルンが支配することは出来なかったのか? と言うのが今日の話題です。

 ザクセン公国は、神聖ローマ帝国の初代皇帝となったオットー1世の本拠地で、皇帝になると留守にすることが多かった為、領地を家臣に任せます。その後、その家臣の家柄が途絶え、最終的にはヴェッティン家の領地となります。ザクセン公は選帝侯の地位は得るものの、以後皇帝を輩出することはありませんでした。
 一方、17世紀末になると、時のザクセン公フリードリヒ・アウグスト1世はポーランド王を兼、これが縁で19世紀初めナポレオンに協力し、ライン同盟に参加すると、ナポレオンによって建国されたポーランドのワルシャワ公国の王位を兼ねるなどします。
 しかし、ナポレオン敗退後、プロイセンとオーストリアが争った普墺戦争でオーストリア側につき敗戦した為、北部をプロイセンに割譲された上、プロイセン主導の北ドイツ同盟に組み込まれてしまいます。

 この過程から見る限り、ザクセンによるドイツ統一のストーリーは難しいかな…(-_-;)

 次回は、バイエルンを見てみましょう。

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プレイレポート「プロイセン艦隊の世界制覇!」

2007年04月12日 20時25分04秒 | ゲームシステム

 ゲームマーケットのフリープレイで行ったゲームの内容です。参加者はゲームマーケットに来られていた一般参加者2名と、連れとセルフコンでお馴染みの方の4名で遊びました。(私は、一般参加者様への説明役です)

【日 付】2007/4/8
【場 所】ゲームマーケット
【参加者】ドイツ(参加者), オスマン(参加者), 英国(連れ), フランス(カズ)

 第1Q前半は、オスマンが大躍進。ポーランドに続き、南アも植民地にしたため、自身の国力を含めて、7ポイントと大きく他を引き離します。その頃英国は、諜報や和平、交渉と良いカードを持っているのですが、守備には向いていても攻勢に出れるカードでは無い為に硬直してしまい、オスマンを止めるのはプロイセンと、フランスだけになりました。
 第1Qの後半に、産業革命をし大国となったフランスがオスマンに戦争を仕掛け、ポーランドを奪います。さらにプロイセンが漁夫の利で、南アを得ます。
 結局、第1Qは、奪ったポーランドに、中国(北京)1点租借、エチオピアを取得したフランスがトップとなります。

 第2Qは、英国がインドネシア、エジプトなどを得て躍進しますが、手札は7枚になっても和平が3枚あったりと、あまり攻勢に出れない状況。そんな中、プロイセンがインドネシアに租借。交渉で拒絶するも、再交渉で租借が決定。
 そんな英国に市民革命が来ます。既に交渉カードを租借で使った為、あえなくカードは半減。絶好の餌状態になります。
 しかし、現在2位のプロイセンは、1位のフランスに攻め込む隙を伺っており、フランスもその為戦力を無駄に出来ず、オスマンは第1Qから回復しきれず、英国は攻められずに逃げ切ります。
 第2Qの最終ターンに、北ドイツ同盟を成立させ、ドイツとなったプロイセンが、フランスに攻勢を仕掛け、ブラジルを奪い取ります。

 これが効いて、第2Q終了時点で、フランスとドイツが並びます。また、英国も1点差で迫り、オスマンのみが一歩後退します。

 第3Q、そのオスマンが最初にアメリカを植民地にし、トップ争いに食い込んできます。ドイツは大艦隊を建造し、軍備を拡張します。
 今回、4人なのですべてのカードが使われていない為、偏りがあり海賊2が出なかったのと、海軍カードが比較的多くあり、その大半をドイツが引いた為、合計9点にも及ぶ艦隊が出来上がってしまいました。
 この状況で、オスマンがドイツの強国化の同盟に対して破棄として使用します。これはルール上の盲点で、可能とも不可能とも決めていなかったので、システムデザイナーとして焦りました。
 考えた末、交渉カードで強国化が防げるので、同盟カードの強国化であるドイツの強国化は、解除できるのが普通と考え、OKにします。

 これでドイツは、プロイセンに戻り国力を1つ失いますが、依然大艦隊を保有しています。この艦隊が、第3Qの最終週1つ手前で動きます。最後の手番を得るために最後のカードを引かずオスマンに戦争を仕掛けます。
 オスマンは、アメリカに続き、バルカン半島、ブラジルとここに来て植民地を拡大しており、そのブラジルに攻め込みます。これにオスマンは全兵力で迎え撃つも半数も撃破出来ずに、ブラジルを手放します。その直後のオスマンは何も出来ずにパスで終了。続いてフランスが、そのブラジルを奪うためにプロイセンに攻め込みます。これにはフランスが勝利し、フランスの勝ちかと思いきや、疲弊したフランスに英国が攻め入り、英国が奪取。これで勝敗はかなりビミョーな状況に。プロイセンは最後に手番を残していたのですが、手持ちカードが1枚だった為に再度戦争を行うことが出来ずに終了します。
 集計してみると際どいところでプロイセンの勝利でした。やはり、海軍の建造がものを言った回でした。

【結 果】
    1Q 2Q 3Q 計
ドイツ   4+ 6+12=22*
オスマン   3+ 4+14=21
フランス   6+ 4+ 8=18
英国   3+ 6+12=21


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完売御礼★ミ

2007年04月08日 21時17分05秒 | 雑談
 本日、ゲームマーケットに行ってきました。初参加だったのでどんな感じだか判らず、またバザール出品でどれだけ売れるか不明だったのですが、僅か35分で持っていった11部を完売する盛況ぶりでした。

 朝、バザール出品するので10時から開会のところ、9時から入場可能とのことだったのですが、連れと2人だったので少しぎりぎりに行きました。4Fの会場に到着すると、すごい人! 係りの人に連れの入場を聞いてみましたが、バザールは1名とのことで、私だけ入り、先に準備となりました。
 後で連れに聞いたところ、10分前に配られた整理券は109番で、入場できるのにかなり掛かるかと思ったら、10分掛からずに入場できました。

 さて、バザールの場所ですが間口120cmとあったのですが、奥行きはそれよりも長く160cmぐらいはあったでしょうか? 2人でも十分に座れました。もっとも売り物が少ないので、大きな箱をどっさりと持ってきている人も居ましたが…(汗)

 販売の方は、やはり画像のような看板を作ったのが大きかったです。結構興味ある方は、立ち止まって見てくれました。
 いろんな方が興味を持って立ち寄って下さいました。じっくり私の説明を聞いて下さって購入を検討して下さった方。その脇からあっさりと買ってくださった方。

 是非、買われた方からの遊んだ感想を聞きたいです。遊ばれましたら、こちらchiyakazuha@mail.goo.ne.jp まで是非送ってください!(件名に「植民地戦争」と入れてください)

 バザールは4時間分の料金を前払いしていたのですが、35分で売れたので撤収の旨を係りの人に伝えたら、2時間以内で終わったので、料金を2時間分にしてくださいました!(^^)!

 その後、知り合いと合流し、フリープレイのブースに移動し、ゲームに参加してくださる方を待っていたのですが、さすがに1時間ぐらい掛かるゲームに付き合って下さる方は居ないかと思ったら、2名の方が参加してくださいました。私は説明に回ったので、連れと知り合いの計4名でゲームを致しました。
 私自身はゲームには参加しなかったのですが、その抜きつ抜かれずのゲーム展開を見ていて楽しかったです!

 その後、13時半には退場し、遅めの昼食を浅草で取って帰りました。本当に充実した1日でした。心残りがあるとすれば、「もうちょっと部数刷っておくんだった!!」


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