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 最近、各所の掲示板などに「植民地戦争」の紹介を行ったところ、かなりの方がアクセスしてくれるようになりました。お越しいただいた方、ありがとうございます。
 また、メールを通じて「植民地戦争」が欲しいと申し込んで下さった方も増えてまいりました。ちょうど連絡用メールアドレスを変えたこともあり、もしメールしたけど返信が来ないなどがありましたらお手数ですが再度ご連絡頂ければと思います。
 あと、カードゲームをお渡しするのにコピー&諸経費代として、1800円分の郵便小為替を用意していただき、それを送って頂くようにしているのですが、どうも郵便小為替を入手されるのに壁があるようです。あまり知られていないのと、郵便局に平日行かなければならないからでしょうか…
 そのうち、ヤフオクにでも出品しようかとも思います。

 また、あちこちで遊ばれるようになりましたら、こちらのページでその結果も紹介していけたら嬉しいなと思います。

 引き続き、このブログを中心に活動して行きたいと思いますので、今後とも宜しくお願いいたします。


オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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エリザベスⅠ世

最近、本をよく読んでおります。今度は、青木道彦著の「エリザベスⅠ世」です。小説風ではなく、史実の解説で多少面白みに書けるところはありましたが、「ハプスブルグの宝剣」と前回読んだ「神の代理人」のちょうど中間の時代で、知識として抜けている間が埋まった感じでよかったです。
しかし、構成で1点納得いかない点が…
女王が、スペインとのアルマダの海戦の前に、防衛軍将兵に演説し、

「私は自分が女性として肉体が弱いことは知っているが、一人の国王として、またイングランド国王としての心と勇気とを持っている」

と言い奮起させるシーンがあるのですが、本誌ではアルマダの海戦の状況を先に説明し戦争に勝ったと結果を説明した後に、その前には女王がこのような演説をしていましたと書かれており、折角の場面が台無しで、逆に書いていないことがとても残念でなりませんでした。

カードゲームでも、敵国に攻められた際に、「我が国土を侵略しようとする輩を我と共に成敗しようぞ!!」と言ってから、兵力カードを出すのもカッコいいですね。是非、今度やってみたいと思います。(#^.^#)

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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宗主国オーストリア


昨日、オーストリアについて書きましたが、植民地戦争には残念ながら入っていません。
宗主国を10カ国に絞っのと、大きな海外領土を持たなかった為です。(まあ、ロシアもアラスカぐらいしか、海外領土を持たなかったのですが…)
オーストリアは、ハプスブルグ帝国で19世紀英仏独露に並ぶ5大国でもありましたので、かねがね入れたいと思い、「婚姻」と言う特殊ルール付きで追加作成し、仲間うちでは何度か遊んでおります。
問題なさそうなら、そのうちプレイレポートを送って下さった方に無料配布もいいかな? っと検討中です。


オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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オースト「ラ」リア

歴史好きの方ならもう耳に入っているかもしれませんが、オーストリアが日本人に「オーストリー」と呼んでくださいと言ってきたそうです。
しかも、その理由はオーストラリアと間違われるから…(-_-;)

悲しい、悲しすぎるぜオーストリア!!

まあ、そんなオーストリアは好きですが…。
ちなみに、今日現在大使館商務部HPは、衝撃的にもオーストリーと表記しているのですが、大使館HPはオーストリアのままです。統一取れていないな~。

・オーストリー大使館商務部


・オーストリア大使館


さて、オーストリアの国名の語源ですが、ドイツ語で Osterreich(オスタリッチ)といい東の王国となります。東というのはフランク王国時代、東の管轄地区とされた為です。
その後、神聖ローマ帝国時代にはバーベンベルク家の所領として、オーストリア辺境伯領となり、さらに公領となったのち、ハプスブルグ家の所領となると神聖ローマ帝国の中心地として栄えます。この頃からオーストリア大公領と呼ばれるようになります。
ハプスブルグ家はオーストリア以外に、ボヘミア(現チェコ)や、ハンガリー、ネーデルランド(現オランダ、ベルギー)を支配しましたが、これらを統一した名前は無く、オーストリア大公兼ボヘミア王兼ハンガリー王兼etc...と名乗っていたそうです。
さてその後、神聖ローマ帝国がナポレオンに負けたことで解体され、オーストリア帝国と名乗ることになります。そしてハンガリーを取り込むため、オーストリア・ハンガリー帝国となり、その後はナチス・ドイツに併合され独立し、現在に至ります。

一方のオーストラリアは、ラテン語のterra Australis 南の土地が由来です。ヨーロッパで南半球に大陸が無いことから、南に大陸があるハズ…と言うことで探され見つかった大陸だからだそうで、オーストリアの語源とはなんら関連性が無いみたいです。

当カードゲームでは、外務省の表記に従っておりますので、当面はオーストリアのままにしていきたいと思います。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争

オーストリーと呼んで オーストリア大使「オーストラリアと混同」(産経新聞) - goo ニュース
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英雄・将軍・司令官


【ルール】
 戦争時に兵力(陸軍・海軍)にポイントを加算できます。将軍は+5、英雄は+10、そして司令官は、出された兵力合計のポイントを2倍にします。なお、司令官カードを2枚使用すれば4倍に出来ます。
 これらの特殊カードは併せて何枚でも使用出来、また単独で使用しても構いません。但し、司令官カードは0×2で0ポイントとみなされます。
 陸軍・海軍カードと違って、使いきりで戦争後、勝っても手持ちに戻ることはありません。但し、防戦国が1枚も兵力カードを出さなかった場合は、戦争が起きずに植民地が明け渡されたとみなすので、このカードを捨てる必要はありません。
 なお、植民地の防戦用として、表にして置くことはできません。

【備 考】
 兵力カードで最後に追加したカードです。このゲームでは相手が持っているカードの種類が判るので、例えば兵力カードを1枚しか持っていない場合、ここで紹介している特殊カードが無ければ兵力4で攻めれば必ず勝てます。
 これはこれで戦略を重視すると言う観点から製作者の意図どおりですが、「必ず」と言うのも面白みに欠けると言う意見から、これらカードを導入しました。
 この例では、兵力4で攻めたとしても相手が将軍カードを持っていたなら、将軍カードは兵力5相当ですので、攻めた側が負けることになります。
 また、効果的な使い方としては、1枚の兵力カードで相手の国力1の植民地を攻めます。この場合、これら特殊カードで無ければ、相手国は兵力3で撃退できます。しかし、それが英雄カードなら撃退するのには兵力10が必要です。たかが国力1の植民地を守る為に兵力10は出せません。英雄カードだと判っている場合、兵力1だけ出して、英雄カードを無駄にさせるのがセオリーですが、もし、英雄カードではなく単なる陸軍2のカードなら、兵力1では負けてしまい、植民地を奪われてしまいます。
 この様に、攻める際にカードが伏せられていることと、英雄カードなどの特殊カードが存在する為、ここでも駆け引きが発生し、これがさらにこのゲームを面白くします!

 勿論、ゲーム中、特殊カードが何枚使われたかは常に記憶しておき、後何枚残っており、それを誰が握っているかなどを推測することが戦略の一環となります。


オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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最後の授業

 皆さんは、授業でフランスのアルフォンス・ドーテの「最後の授業」が教材に使われていましたか? この作品は、フランス統治下にあったアルザス・ロレーヌ地方がドイツ領となった為に、先生がこれ以上生徒にフランス語を教えることが出来なくなったと言い、そして「最後の授業」を行うといったもので、学生ながら支配する国が変わることが大変なことだということを漠然と感じたもので、大人になっても唯一といって良いほど、記憶に残っている物語でした。

 このアルザス・ロレーヌ地方とは、ドイツ語読みすると、エルザス・ロートリンゲンとなり、「ハプスブルグの宝剣」で、主君フランツ・シュテファン・ロートリンゲンが治めていあのたロートリンゲン公領のことです。
 作品では、アルザス・ロレーヌ地方は、フランス領でもともとフランス語が話されていたように扱われていますが、実はフランク帝国崩壊後は、神聖ローマ帝国(ドイツ)の一領土として、ロートリンゲン公領の支配下にあり、ドイツ語系のアルザス語が使われていました。これが、「ハプスブルグの宝剣」でも語られた通り、マリアテレジアとフランツの婚姻と、ポーランド継承戦争の結果、フランス領になります。
 この地は、両国を唯一繋ぐ防衛上の要であり、また鉄鉱石・石炭を産出する重要な地であることから、以後両国で取り合いとなります。「最後の授業」が新聞に連載されだした1871年は、前年に普仏戦争で、フランスはプロイセン(ドイツ)に負け、同地を手放しており、それによってドイツ批判の世論の高まりを得て掲載されました。
 その後、ドイツは第一次世界大戦で負けると同地をフランスに割譲され、さらにナチスの断頭により第二次世界大戦が勃発し、パリが陥落すると同地はまたもドイツ領とされます。そして、大戦後は再びフランス領となり今に至ります。
 この様なフランスとドイツの遺恨の地であることから、州都ストラスブールには欧州の主要な機関の本部が置かれております。

 なお「最後の授業」は言語の多様性を否定する政治的な作品ということで、1985年以降は教材として学校では使われなくなったそうです。信念を持ち熱心に生徒に接する先生の姿はとても好印象を持っていただけに残念でなりません。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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ポーランド継承戦争②

前回に続いてポーランド継承戦争についてです。
ザクセン公兼ポーランド王フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王としてはアウグスト2世)が1733年に死亡すると、ザクセン公位は息子であるフリードリヒ・アウグスト2世が継ぎますが、ポーランド王位は貴族による選挙で決めるためすんなりとは継げません。
選挙では大北方戦争の最中にスウェーデンに擁立されたスタニスワフが、ポーランド人であることから多くの貴族に支持され当選し、スタニスワフ1世として即位します。しかし、一部の反対貴族はザクセン公を推し、アウグスト3世としてしまいます。
これによってポーランドは内乱状態に陥ります。これに付け入ったのがロシアとオーストリアです。両国はアウグスト3世を支持し、ロシアがポーランドになだれ込み、自前の兵力を持たなかったスタニスワフは、娘の嫁ぎ先であったフランスに亡命します。これが後に、ポーランドがプロイセン・ロシア・オーストリアに分割される基盤となります。
その後は、オーストリアとフランス・スペインの戦いとなります。スペインはスペイン継承戦争で失ったナポリ・シチリアを奪還するためにオーストリアに攻め込みます。
戦況は、オーストリアが劣勢で終わり、フランスはドイツとの国境であるロレーヌ(ドイツ名ロートリンゲン)を、スペインはナポリ・シチリアを占領します。

これがそのまま両国の領土となり、代わりにオーストリアはパルマを得、ロレーヌ公は世継ぎがいないトスカーナを与えられます。
そしてアウグスト3世はポーランド王位を認められ、スタニスワフは1代限りロレーヌの地と、ポーランド王を名乗る権利を与えられました。

このポーランド継承戦争は当のポーランド国民とは無縁の元、列強の思惑だけで終結します。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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ポーランド継承戦争①

ちょっと間が空きましたが、ハプスブルクの宝剣の舞台裏と言うことで、今日はポーランド継承戦争について書き込みます。

まず、前史として16世紀のポーランドはマグナートと呼ばれる貴族の権力が拡大し、王は選挙によって選ばれ、その王権もとても弱く、国政を行おうにも貴族の全会一致を得られないと何も出来ないと言った状況でした。
その為、17世になると「大洪水時代」と呼ばれるポーランドにとって諸外国から侵攻を受ける苦難の時代になります。ウクライナで反乱が起きるとそれに乗じて、ロシアとスウェーデンが侵攻し、ワルシャワは3度も陥落します。
両国との和平後、今度はオスマン帝国が侵攻してきます。これに対して総司令官ヤン=ソビエスキが善戦したため、彼が王に選出されます。彼は対外戦争を推し進めその名を東ヨーロッパに轟かせますが、その一方国内は一層荒れ、貴族の反発も相次ぎ、息子を王位に付けるのに失敗し没します。

そして、その後、王に推されたのは隣国ザクセン公国の王フリードリヒ・アウグスト1世です。これにはロシアとザクセン(神聖ローマ帝国)によるマグナートの買収があり、マグナート達はポーランド人の王を選出することなく外国の王に王冠を与えてしまいます。
そして、ポーランド王してはアウグスト2世と名のったフリードリヒ・アウグスト1世は、ロシアの要求に答えるかのように、ロシア・デンマークと同盟をし、スウェーデンと大北方戦争を起こします。戦争はスウェーデン有利に進み、デンマークは和平し脱落、ポーランドは国土の半分を支配された為、スウェーデンの息がかかったマグナートにより、マグナートからスタニスワフ・レシツィニスキが傀儡王として選出されると言った状態にまでなってしまいます。

その後、ロシアの反撃により、スウェーデンが敗退したため、フリードリヒ・アウグスト1世は再び、ポーランド王位を回復させますが、もはやポーランドには主権はありませんでした。

そして彼の死後、再びポーランド王の選出を巡って諸外国の干渉を受けるのです…

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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法王


 この間のプレイでも意味合いが判りにくかった法王カードについて解説したいと思います。

【ルール】
 各クォータの終了時に持っていると、1ポイントの国力を得ことが出来ます。集計時にオープンしてください。集計が終わったら手持ちに戻します。第3クォータの合計の際の×2の算出も行えます。
 但し、以下のカトリックの宗主国が持っていた場合にしか効力がありません。
 ポルトガル・スペイン・フランス・イタリア・ドイツ・(オーストリア)

【備 考】
 第3Q終盤になると、今までのクォータのポイント合計と現在の植民地・租借/割譲から、ゲーム終了時点のポイント・順位が割り出せてしまいます。この割り出した結果から最後の1手を決定し、戦争を仕掛ける先を決めるのですが、全て想定できてしまうのも面白みに欠けると考え、手札の状態でポイントになるカードとして法王カードを作りました。
 これによって例えば、A国が現状20ポイントで、トップのB国が23ポイントだった場合に、A国は国力2の植民地を他から得るか、直接A国から国力1の植民地を奪えば、24ポイントになり勝てると計算します。
 この際、B国が法王カードを隠し持っていればB国は25ポイントになる訳ですから、勝てると思って24ポイントになったA国に再逆転出来るわけです。
 ルールでは、第1Qで法王を得た場合、集計時に出すことで集計に1ポイント加算することが出来ます。しかし、これを出さずに第3Qまで持っていない振りをするのも戦法としてあり得ます。
 または、その後の諜報・取引カードを受けた際に、奪われたとブラフを言うのも1つの手です。これで最終結果の想定計算を惑わせます。
 なお、この法王カードは、法王の影響力があるカトリック教国のみで使用できるようにしています。全ての国でも良かったのですが、その理由づけが出来なかったことと、ちょうど英国・ロシア・オスマンなどの大国が対象から外れたので、小国の支援カードの意味合いも込めてあります。
 なお、ドイツは本来はプロテスタントとカトリックが半々ぐらいの国で、プロイセンとみれば完全なプロテスタント教国なのですが、神聖ローマ帝国がカトリックの守護国だった経緯から対象国にしてあります。

【補足】
 ブラジルに遷都し、ブラジル帝国となった場合でも、元の宗主国がカトリック教国かどうかのステータスを引き継ぎます。
 史実では、カトリック教国のポルトガルが植民地としたため、ブラジルはカトリック教国になりました。もし、オランダが植民地としていたら、カトリック教国にならなかったと想定されるからです。

 オーストリアが婚姻により、英国など非カトリック教国を得たとしてもオーストリアがカトリック教国であることは変りません。
 逆に、オーストリアが婚姻により、イタリアなどカトリック教国を得、それをロシアなどの非カトリック教国が戦争で得たとしてもロシアが非カトリック教国であることは変らず、法王の効果を得ることは出来ません。

 この両方のルールはカトリック教国以外の国でも法王カードを使える可能性を無くしています。使えるようにしたかったのですが、どう考えてもおかしそうでしたので断念しました。


オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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