接客研修の仕事であるショッピングセンターに行ったとき、ちょっと空きの時間が出来たので、本屋さんをぶらぶらしていました。
こういうとき、ショッピングセンターでの仕事というのはほんと、便利ですねぇ。
何をしたくても、その中でコトが足りる。
おなかが減っていれば、レストランでもカフェでもあるし、買い物をしたければ買い物もできる。
私はたいてい本屋さんをぶらぶらしていることが多いです。
いろんなショップをウィンドウショッピングしていると買わなくてもいいものまでついつい買っちゃうから。
本当は、そういうキラキラわくわくするようなものに出会ったら、衝動買いを自分に許せるくらいの金銭的余裕はいつも持っていたいんですけれどねぇ。なかなか・・・
その本屋さんでは、そのお店での「今週の売上ベスト10」なるものが陳列してありました。
ふぅ~む、どれどれ。
どんな本が売れているの? と思ってみていると、そのなかの「命のカウンセリング」という本が目に留まりました。
どうしても「カウンセリング」とか「コンサルテーション」とかいう言葉が入っていると、とりあえずは手に取っちゃいますね。
職業病みたいなもんでしょうか。
その本は、どうやら嵐の二ノ宮くんが今度主演するドラマの原作のようでした。(もうオンエアされてるのかな?)
そうして1ページ目を開いたとたんから、私はその本に引き込まれてしまいました。
『私が4歳のとき、一家離散した。
子どもだった私は、すぐには現実を理解できなかった。
でも、1つだけわかったことがある。
これからはひとりで生きていかなければならないということ。』
から始まるその本の作者は、どうやら壮絶な体験をしてきたようです。
なんでも、一家離散してから子どもながらにいろいろ働いて生きてきて、15歳のときに暴走族に入り、16歳で交通事故のため脊椎損傷して下半身不随となり、2度と歩けなくなったそうです。
それだけでもショックで自殺未遂を何度も繰り返し・・
でもそれだけではなく、脊椎損傷というのはときどき、原因不明の死ぬほどの痛みが襲うんだそうです。
その痛みに耐えられずにまた何度も死のうとして・・
でも、今では車椅子のカウンセラーとして、逆に人の命を助けています、という方なのでした。
そして、「はじめに」のところにいきなり書かれていた、「私は死にたいと思っている方専門のカウンセラーです。」で、私はぜんまい仕掛けの人形のように自動的にその本をレジに持っていっていました。
オーラソーマをやっていて、ときどきセッションには、重い悩みを抱えた方もいらっしゃいます。
でも、私はそういう重い話は苦手だ、なるべくそういう人は私のところへ来ませんように、と最初の頃、願っていました。
だってオーラソーマは自己探求のためのツール。
人生相談じゃないんだから。
ごくふつーの人に、ごくふつーの精神状態のときにお越し願いたい。
それが私のスタンスでした。
1つには、私自身がのほほんと人生を歩んできてしまった、ということもあります。
だからすごく辛い経験をなさったような方の気持ちを私がわかってあげられるはずがない。
そう思っていたから。
そしてそういう人と真正面から向き合うのは恐い、「けっ、こんな甘ちゃんが何をセラピー面してコンサルテーションなんてやってやがるんだ。」って内心では思われているんじゃないか、ってビビッてました。
でも、それから徐々に雪解けの春を迎えるように、私の中でその基準は変わっていきました。
1つには、わかってはいたことだけれど、何も私がその人を癒すわけではない、ということ。
クライアントは自分が投影されたボトルの話を聞くだけなんだから、自分で自分に癒されるようなもの。
私が、私が、って私が肩肘はることなんて何もない。
だから、誰がいらっしゃったって私のスタンスが変わるわけではない、といつしか腹をくくれるようになりました。
でも、一番大きいことは、みんな人前で「私はこういうことがずっと悩みだったんです。」とか、「このことにずっと囚われて、苦しみ続けてきました。」とか、「いいかげん、もうこのこととは付き合いたくないんです。誰か、助けてほしい。」ということを言えない人が多いんですよね。(私もそうでしたが・・)
それを「私でよかったら、どうぞお話ください。」「何もできないかもしれませんが、せめてあなたのその苦しさを、あぁ、同じ立場にいたとしたら私もそういう気持ちになるに違いない、という気持ちで聞いてあげることはできますよ。」という態度でいてあげることはできるようになりました。
ただありのままの私で、クライアントの前にすっくと居るだけ。
それによって私も自分の肩の荷をおろすことができたのでした。
そして、この本にはこう書かれていました。
「助けて」と言えない人は、「助けて」と言うことは誰か相手に迷惑をかけることになる、と思っている。
でも、じゃあ、逆の立場になって考えてみてください。
人に「助けて」と言えなかったがゆえに、自分で自分を追い込んでしまって自殺してしまった友人がいたとします。
あなたはどんな気持ちになりますか?
どうして「助けて」って言ってくれなかったんだろう? 私じゃダメだったんだろうか? 私はそんなにも無力な人間だったのか・・
そうやって友人を助けてあげられなかったことを責めるでしょう。
つまり、「助けて」と言うことは誰かに迷惑をかけることではなくて、逆に「助けて」と言わないことのほうが、周囲に迷惑をかけているんだよ、とこの本には書かれていたのでした。
人間とは自分より困っている人を見たら、自然に助けてあげたくなるもの。
そういう生き物なんだ。
だから、誰かを助けてあげたときに自分にも生きる価値があったんだ、と思えて本当に嬉しい。
だから、どんどん「助けて」って言っていいんだ。
「助けて」は「愛している」だから。
私はこれまで「助けて」と言わないことのほうが、周囲の誰かに迷惑をかけている、なんてふうには思ってみたこともありませんでした。
だから目からうろこでした。
それを平易な言葉で書かれたこの本が教えてくれたのでした。
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また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
コメント、ありがとうございます。
こういう記事の内容が決して多いわけではありませんが、オーラソーマについても魅力的ですよ~(笑)
また、ぜひ遊びに来てください。
お待ちしております。
今日もありがとう。
これからは必要な時に「助けて」って言えそうです。
そうだね、必要なときには「助けて」って言い合って、助け合おう!
遠慮なんてせずに。