ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

自分が”自分”になるということ

2012-08-12 09:06:00 | 精神世界

バースボトルを使っているせいか、このところ自分の夢というものを改めて考えさせられたり、人がよりその人らしくなっていくさまを見て嬉しく思ったりする今日この頃・・

そもそも自分が“自分”になる、ってどういうことなんだろう?と改めて考えてみました。

私たちはそもそも生まれたときから完全な存在である、と言われます。

でも自分では自分が完全な存在であるとは思えずに、どんどんこの世の垢を溜め込んでいく・・

それらを脱ぎ捨ててありのままの自分でいいんだ、ということに気付く瞬間に人は“自分”になる、のでしょう。

現代人の一般的な自分喪失プロセスは、おおよそ次のような感じでしょうか。

人の目や世間体、学歴や収入などを気にして生きているうちに、自分は自分と同じような能力をもったほかの誰かと交換可能な存在でしかないように思えてきてしまう。

ううん、それが他の誰かだったらまだいいかもしれませんが、人ではなく、コンピュータだったり、下等動物と同じかそれ以下に思えてきてしまうこともあるかもしれません。

あるいは、本当に言いたいことを言ったり、やりたいことをやったりして“ほんとうの自分”を出せた!と思ったら、嫌われたり、親に叱られたりしてしまった。

だから人はほかの人や世間から受け容れられやすい匿名の誰か、という仮面を演じるようになる。

そしてそんなことを繰り返しているうちに自分がわからない、ほんとうの“自分”は何を感じている、どんな存在なんだろう、となってしまう。


現代は「自分探しの時代」だと言われます。

この言い方には私はずっと抵抗を感じてきました。

そもそもそういうふうに「時代」として十把ひとからげのように言われるのもイヤだし、何かその言い方にはそういうもがき苦しんでいる人をあざ笑い、嘲笑するような匂いを感じていたからです。

それは探しものをしているような人は、たいていその足元に一番大切なものがあることを見忘れてるんだよ、と言われているようで。


でも、「自分を探す」のではなくて、「本来の自分に還るだけ」と言われるとすっとラクになりました。

それならば、私は確かにそれを求めているかも、って。

表現アートセラピーの祖、カール・ロジャースの「自分が“自分”になるということ」という本のなかでは、ロジャースの考える自分らしい生き方が次のような否定形で表現されています。

1)偽りの仮面を脱いで、もっとあるがままの自分になっていく。

2)「こうすべき」とか「こうあるべき」といった「べき」から自由になっていく。

3)ひたすら、ほかの人の期待を満たし続けていくのをやめる。

4)ほかの人を喜ばすために、自分を型にはめるのをやめる。


そしてその後、肯定形で、次のように表現されています。

1)自分で自分の進む方向を決めるようになっていく。

2)結果ではなく、プロセスそのものを生きるようになる。

3)変化にともなう複雑さを生きるようになっていく。

4)自分自身の経験に開かれ、自分がいま、何を感じているかに気付くようになっていく。

5)自分のことをもっと信頼するようになっていく。

6)ほかの人をもっと受け容れるようになっていく。


より自分らしい、あるがままの自分になる人はこうした方向に向かっていく、とロジャースは言います。

その時人は、他者からの期待や、「こうあるべき」という思い込み、そして仮面をつけていた「偽りの自分」から離れていき、その時々の自分の気持ちに従いながら、そのプロセスを生きるようになっていく、というわけです。

それにしても・・

まるでオーラソーマの言葉を聞いているようだわ。

どんだけ~と言いたいくらいかぶっている。

これまでどれだけ「あるがままの自分」とか「“べき”を手放せ。」とか聞かされたことでしょう。

真実、というのはこうしてどこからアプローチしても結局、そこからつむぎだされる言葉は似てくるんでしょうね。

これとほぼ同じことを、生きる指針として、より直接的に語った内容が、この本の最初の章に含まれています。

ロジャースの人生哲学の核となる言葉を拾っていきましょう。

「人生は、流れ行く、変化するプロセスである。そこでは、あらかじめ固定されたものは何もない。」

「ほかの人による評価は、私の行動指針とはならない。」

「私にとっては、私自身の経験こそ、最高の権威である。」

「私は、自分の経験を信頼することができる。」

「事実は、味方である。」

つまり、自分を信じろ、ってことだね。

自分にセンタリングして、自分の内からの声に耳を傾け、その声に忠実に生きていく。

そして「これでいいんだ。」「これが正しいんだ」という実感こそが、“正しい”のでしょう。

私は、小さい頃からこのようにして生きてきたような気がします。

しかし、そこには「自分がこれでいいってんだから、あんたの言ってることは私にゃ、どうだっていいんだよ。」という他者をあまりにも尊重しない横柄な子どもがいた、と思います。(この対象は主に母でした。)

それから私はいろいろな知識や情報で垢にまみれ、結果的には同じところに還っていってより“自分”らしくなっていっている、という気がしますが、そこにあるのはかつての「自分さえよければ他の人の考えには耳を貸さない」、というジコチューな私ではなく、「あの人は“私”でもあるんだ。」と思えるようになったうえでの、「これでいいんだ。」という私であることは全然違うようにも思います。


この道はまだまだ続きます。

皆さんも一緒に、より自分に還る旅をしましょうよ、オーラソーマを使って。





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