ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

わからなくて当たり前

2013-09-20 09:02:00 | コンサルテーションとカウンセリング

毎年、お互いの誕生日には本を一冊贈りあうことにしている友人がいます。

その友人が今年は、「こころの処方箋」著:河合隼雄 をくれました。

この本は私も昔、読んだことがあります。

なにせ、初版は1992年です。

当時私はまだ実家暮らし。

実家にあるか・・ それともたまってゆく本を置いておく場所がないので半年に1回ぐらいは処分していましたから処分してしまったか・・

いずれにしても記憶のかなたに行ってしまっていた本でした。

友人は、

「『こころの処方箋』なんていうと、今病んでいる人にあげる本みたいだけど、そういう意味じゃないからね。これは1つ1つ短い小話風になっているからどこかには なるほど! って響く部分もあるかな~と思って。

そして時が経ってからまた読み返すと なるほど! って響く部分もあるかな~と思って。」

と言いました。


友人は、この本を長いこと本棚に置きっぱなしにしていて、そろそろ私にさて、今年は何を贈ろうかな、と思っている矢先にふとこの本がまるで本棚の中から飛び出すように存在を訴えかけてきたと言います。

あれ? そういえばこんな本あったんだ・・と思い手に取ると今の自分にとても響いたので、そういうことって何か意味があるかもな、と思ってそれをえっちゃんに贈るよ、と言ってくれました。


とっても意味がありました。

この本はユング派心理学の第一人者である心理学者の河合隼雄氏の手になるもので「55」の小話から成り立っています。

本の帯にもあるように「人のこころの影を知り、自分の心の謎と向き合う。」「“私が生きた”と言える人生を創造するために」ですから、“こころ”という正体不明のものを解き明かし、より充実した人生のためにあるはずですが、その「1」がなんと「人の心などわかるはずがない」なのです。

これにはびっくりしました。

一番冒頭にもってきた話ですから、著者が一番に言いたいことがこれに違いありません。

それが「心などわかるはずがない」・・・

でもなぜかそのとき私は、とてもラクになったのです。

「だよね~!」と。

この小話ではわかりやすくこんな例があげられていました。

たとえば“札付き”と呼ばれる非行少年が連れてこられる。

彼は実際にそう呼ばれるのにふさわしいだけのことをいろいろとやってきている。

親も先生もこの少年を立ち直らせることに努力してきたが、それは泡に帰した。

そこで「専門家」に期待がかけられ、連れてこられてきた、というわけだ。

ここで通常親や先生が「専門家」に期待するのは、この非行少年のこころを“分析したり、探りを入れたり”して、非行の原因を明らかにしてどうすればよいか、という対策を考え出すということである。

ここで河合氏は、

「ところが、本当の専門家はそんなことをしないのである。」と書いています。

一番大切なのは、この子は“札付きの非行少年”なのだ、と決めてかからないことだ、と言っておられます。

「果たして周りの言うことはそうだろうか。」「非行少年とはいったい何だろう。」という気持ちをもってこの少年に対することが大切なのだ、と。

そんな気持ちで少年に会ってみると、あんがい少年が素直に話をしてくれることがある、と。


ふむふむ、ここまでは想像がつく話、といいますか、すんなりと理解できますよね。

私が本当にラクになったのはここからです。


例えば少年が素直に話をしてくれるうちに、実は小さいときからお母さんに叱られてばかりで、お母さんが恐い人だった、と言うとする。

これを聞いて、すわ「母親が原因だ。」とすぐに決め付けてしまう人も素人である、と河合氏は書いています。

「少年が、母親が恐いと涙ながらに訴えるとき、それはその少年にとっての真実でもあるだろうし、それをわれわれは尊重しなくてはならない。しかし、そのことはすぐに母親が恐い人だということにはならないし、ましてや、母親が原因などと即断できるはずもない。」

ここに至ると「あぁ、そう言われると、わかっちゃいるけど、やっちゃうなぁ、時々、それ。」と思い至ります。
そして私が「あ、イタ!」と思ったのは次の表現です。

「『わかった』と決め付けてしまう方が、よほど楽なのである。」


そう、それだ・・・

確かにすっと腑に落ちた瞬間というのは快感です。

だから私たちは「わかった!」という瞬間を求めたい。

求めたいからついそちらにばかりベクトルが向いている自分に気付かない。

「わかった。」という答えを出しても良さそうなネタを少しでも拾い上げると、「それだ!」とばかりに「それ」のせいにして「わかった。」と決め付けたい。

でもそれをしちゃあ、いけないんだなぁ。

ではその先、ほんとうの専門家はどうするのか、ということをこのように書いておられます。

「ここで一番大切なことは、われわれがこの少年の心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けることなのである。

 速断せずに期待しながら見ていることによって、今までわからなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは素晴らしいことである。しかし、これは随分と心のエネルギーがいることで、簡単にできることではない。

    ・・・(中略)・・・・

『心の処方箋』は、『体の処方箋』とは大分異なってくる。現状を分析し、原因を究明して、その対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ、未来の可能性の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから処方箋も生まれてくるのである。」

友人よ、確かにあなたの本棚でこの本が浮き出して見えたことには意味があったよ。

今の私にとても響きました。

一番うなったのは、河合氏も言葉を重ねている「未来の可能性」という部分です。

判断せず、分析せず、決め付けず、そして未来の可能性を尊重してそこに焦点を当て続けて、ただ会うこと。

カウンセリングってこれに尽きるな、と思いました。

最近ではアニマルコミュニケーションの練習を色んな方の大切な動物さんでさせていただいておりますが、その感想である方が、

「恵津子さんの鑑定が温かくて嬉しさいっぱいです。我が子がよりいっそう可愛くてたまらなくなりました。」と言ってくださいました。

私は彼女が大事な我が子を私の練習に使わせてくださって、間違っていることでもあったら悪いなぁという気持ちばかりが先立っていたんですが、こんな風に言ってくださると本当にこちらこそ涙が出るほど嬉しかったです。

それもこれも「飼い主さんとその動物さんがより良い関係を結べますように」という“将来”に視点を合わせたのが良かったのでしょうか。(※亡くなった動物さんの場合も同じです。亡くなった動物さんの魂は永遠ですから“未来”はありますから。)
なんだか、「うん! よし、このスタンスでいいんだ。」という後押しをこの「こころの処方箋」が冒頭からしてくれたような気になりました。


あ、以前このブログでお伝えしましたようにアニマルコミュニケーションをご希望の方は無料で行っていますからね~(このブログでしか告知していないのに沢山の方が申し出てくださり、ありがとうございます。)

どうぞ、メールください。

ちょっとスケジュールが詰まってきているので、2週間ほどお時間をいただくことになってしまうときもあるかもしれませんが、それでも良かったら是非、ご体験ください。






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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私もその本を読んでみたくなりました。 (J-Fairy)
2013-09-20 09:38:51
私もその本を読んでみたくなりました。
そうそう・・・人の話を聞いて100%理解できるわけがない、
だから確認(オウム返し)作業があるんだと教えられました。
その時、どれだけ人の話を聞きながら
自分の経験の中からよく似た状況を思い出して、
その時の自分の気持ちにフォーカスしたりしていたかを知り、
怖くなった事があります。
人の話を聞きながら頭の中には違うものが在ったりして、
でも聞いてるつもりになっていたりしますね。
心の中は分からない
分からないから寄り添えるんだ
って、いい言葉だな~と思っています*^^*
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J-Fairyさん、コメントありがとうございます! (些々羅)
2013-09-20 10:19:38
J-Fairyさん、コメントありがとうございます!


そうそう、確かに私も人の話の聞き方で、あいづちとしてその人の話の最後の語尾の部分をオウム返しするといい、って習いました。
そうするときっとその人が自分の言葉をより自分のなかで反芻してみることができるからでしょうね。
それによって、またびみょーに違う発言が返ってきたりして・・
そのようにして人は少しでも近づこうとしていくのでしょうかねぇ。
「わからない。わからないから寄り添えるんだ。」ってステキな言葉ですね!


この本は、「通読する」というよりは、1日1善ではないですが、座右の銘のようにして常に身近においておき、ふと気になったときに1つだけ話を読んでみる、っていう感じの本です。
でも必ずほほぉ~!というものに出会えると思います。

古い本ではありますが、是非、読んでみてください!
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