ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

優秀がゆえに気づきにくいこと

2018-08-13 09:01:58 | コンサルテーションとカウンセリング
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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今、「潜在意識書き換えセラピー」のモニターを募集しているところですが、これで今までに10人以上の方にお越しいただき感じたのは、皆さん、何かしらの心の闇を持っているなぁ、ということ。
そりゃあ、そうです。
光があるから闇があるのですから。
それらは常にセット。
闇があるから悪い、とかそういうことじゃないんです。
でも、その闇をいったん日のあたる場所に取り出して日干しのようなことをしてあげるととってもふっくらとした気持ちに生まれ変わる。
それがとても美しいなぁ、と思います。



先日いらした方は現在何の悩みもなく、穏やかな日々を送っておられる方でした。(まぁ、好奇心からモニターを申し込まれたんですね)
誰のことかわからない程度になら書いてもいい、というご本人の了承を得ましたので、詳細には触れない程度に書かせていただこうと思います。
現在はとても穏やかな日々を送ってらっしゃり、幼少期のことを聞いても、いろんな習い事をさせてもらって、とても充実した子ども時代だったように見えました。
それから結婚をして、子育てと同時にご主人の仕事も手伝い、それまた充実した人生。
ふんふん、何も問題なさそうだな、と思っていた矢先、その方が、
「でも今しゃべっていて気づいたんですが、私って常にそのときの周りにいる大人の期待に応えたい、って思って生きてきたんだわ。自分自身からこれをしたい!ってものがなかった・・・!」
とふいにおっしゃったのです。



小さい頃の習い事は全部、お母さんが「これ、習いなさい」って決めてきたもので、自分から「やりたい」と言ったものではなかった。
学生時代にやっていた部活動も全国大会常連の強豪校で、たまたま能力があったものだからその部に勧誘されてやっていたけれど、決して自分からどうしてもやりたい、と思ったものではなかった。
結婚してご主人に手伝ってくれ、と言われた仕事は職種としては大嫌いなものだった。
そしてそれら全部が、彼女の場合、能力が高かったので、嫌々ながらやってもそこそここなしてしまえるものであったり、周囲の大人を満足させる結果を与えるものだったのです。
習い事も嫌いながら、その教室の先生に「あら、あなたは飲み込みが早いわね」と言われる程度にはできてしまう。
部活動もそのスポーツそのものが嫌いだったわけではないけれども、監督の方針が自分が進みたい方向とは違っていて居心地が悪かった、とおっしゃいました。
けれども、それでもレギュラーに選出されるくらいだった。
ご主人に手伝ってくれ、と言われた仕事をやってらっしゃる頃に私は彼女に出会ったのだけれど、それはまさしく天職か、と思うほどで、まさか内心では彼女が嫌々だったのだ、ということにまったく気づきませんでした。
また彼女自身、そんなところはプロとしておくびにも出さない、という能力にたけていたのです。



そしてそれら全部を途中であきらめるとか投げ出すとかせずに彼女は続けてきた。
そして子どもの頃はお母さんの、学生時代は監督の、結婚してからはご主人の、それぞれの期待に応え続けてきたのです。
なぜなら、彼女にとってはイヤなことであっても、期待に応え続けることのほうが大切だったから。
「よくやったな!」という一言さえあれば、疲れもふっとぶ、という奉仕精神。だから続けられたのですね。
聴いていて、あ~、それは辛かったろうな、と思いました。



お母さんも、監督も、御主人も、“彼女のためによかれ”と思ってしたことばかりだったことでしょう。
でもそれがやらせてみてすぐに
「あ、自分の思い違いだった。こんなに出来ないとは・・! これは彼女には向いていない。これ以上続けさせるのは酷だ。彼女のためにもよくない」
とわかれば、それでも続けさせることを選ぶ大人はそうそういないと思います。
(一部にはとにかくなんであれ、「やめない」「続ける」ということの大切さを教えるためにはやめさせない、という方もいらっしゃるかもしれませんが)
けれど彼女は優秀で並み以上の飲み込みの速さだったり、ポテンシャルの高さによる他の人たちより秀でた成績を残したり、ということをしたがゆえに周りの人たちは
「よしよし。自分の見込みは当たっていた」
という思いを抱くことになってしまったのでしょう。
またこのときに彼女のなかで内部崩壊のようなことが起きなくて幸いでした。
「これ、好きじゃない・・」という気持ち以上に、「貢献したい」「せっかく期待をかけてくれているこの人を喜ばせたい」という思いが強かったがゆえに、その期待どおりの働きが出来ていることの喜びのほうを常に優先させてきたのです。



これって、なかなかにこの仮面に気付くのは大変なことのように思います。
「何かを無理やりさせられた」
 ↓
「そのことが全然できない」
=あぁ、やっぱり可哀想だったな、と早めの撤退をさせてあげられる
  けれども、
「何かを無理やりさせられた」
 ↓
「そこそこ出来ちゃう。いや、それ以上に優秀な成績をおさめちゃう」
=やっぱりあれをやらせてよかったな
  と、周囲は思うし、ひょっとすると自分自身でもそう思う人もいるでしょうから、「本当の自分の気持ち」に気付きにくい、ということが考えられます。



そして今、人生の折り返し地点を曲がってから、彼女はようやくこのことに気付いたのでした。
「よく考えてみたら、私のやってきたことは自分がほんとうに望んだことばかりではなかった」
「自分が最も優先させてきたのは、自分の本当の気持ちよりも、周りの人を喜ばせたい、周りの期待に応えたい、だった」
ということに。
この気付きは、「自分という人間の価値は、人の期待に応える、ということからきているのだから、優秀でなくても十分に自分には価値がある」という価値観を形成してくることができなかった、実は自分は自己価値の低い人間だった、ということにもなります。
そうなると、そんなことには気づかないほうが幸せだったじゃないか、というようにも思えますね。
でも、私はそうは思いません。
どんな結果であれ、
“そこに在る、本当の気持ちに気付く”
ことは美しいし、価値があることだ、と思います。
実際に私はこれまでたとえ辛い気付きであったとしても、気付きを得たほうがすっきりしました。
だから自分の”本当の価値観“に気付くことを恐れないで欲しいんです。
それに気づいたからといって、そりゃあ一時的に落ち込むこともあるかもしれませんが、必ずそこから明るい未来に向けてその気付きを生かし、歩いていくことができるはずです。
気付かなければスタートも切れないのですから。



彼女は、
「自分って人間は奥が深いんですねぇ。じっくりとまた来たい、と思います。」
と言って帰られました。

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