ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

亀朴でお米決定

2019-05-15 09:01:37 | 占い
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天皇が即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭である、「大嘗祭」が執り行われました。
これは、収穫を祝い五穀豊穣を祈る式典です。
今回、私は初めて新米を神に供えるときの米選びが亀朴によるものだということを知りました。
前の天皇の代替わりのときにも報道されたのかもしれませんが、やはり今回のように生前の儀式ではなく崩御だったため、喪に服す報道のほうが多く、それらにまぎれてしまい気付かなかったのかもしれません。



亀朴とは、アオウミガメの甲羅を将棋の駒形に加工したものを火であぶり、ひび割れの具合で吉凶を判断し、「吉」と出た都道府県を選ぶ神事で、今回は栃木県と京都府が選ばれたそうです。
宮廷において天皇の行う最重要の祭政は,高天原から中津国にもたらされた稲の種子を奉じてそれをあやまりなく栽培することであった、という歴史をかんがみると歴史的にはたいへん重要なことであったことはわかるのですが、バイオテクノロジーが発展した現代において“稲の種子をあやまりなく栽培すること”が「どの土地で栽培することにするか」ということについてが最重要事になるとは思えず、さらには米が天皇をはじめとする人々の霊魂を再生復活させる力をもつ食べ物である信仰があり、大嘗祭は米の霊的力によって皇太子が天皇としての霊魂を聖体に鎮ませることがテーマというのもあまりに現代にそぐわないような気はします。
そういうこともあって秋篠宮さまは国費で行うべきでない、と宮内庁に進言したんですね。(取り上げられなかったけれど)
政府としては今後も「きわめて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として費用を支出する方針を決めています。



まぁ、なんだかよくわからない点が多々あります・・
天皇は人の子であることをお認めになったのだから、神に豊作の行方をたずねるのは不思議じゃないかもしれないけれど、以前は天皇は神そのものだったわけですね。
ご自身が神なのに、天に占って豊作の行方を聞かないとわからなかったの? っていうのはなんか変って思うのは私だけでしょうか・・
日本は唯一神ではなく、八百万の神ですからねぇ、違和感ないんでしょうか。
それから、「米は霊魂を再生復活させる力をもつ」って言うけれど、日本は昔から霊魂については滅びないって思って来たんじゃなかったの?
霊魂も肉体とともに滅びるけれど、米を食べているから再生復活するんだ、って信仰が礎となってきたの?
だとしたら、米を主食としていない欧米の人たちは霊魂が滅びるんだ、と思って来たわけですね。
なんかすごい選民思想だわ。
天皇が神ではなく人の子だ、とされてから「そんなん当たり前や~ん」と現代っ子であった私たちはそのことをすんなりと受け入れてきたように思いますが、宮家に残っている行事やその内容をひとつひとつ精査していくと、「天皇を人の子だとするならば、この行事の意味するところはおかしいのでは?」という矛盾した部分が出てくるのは当たり前でしょうね。
行事だけは天皇は神とされた昔から変わらずに受け継いでいくならば。



まぁ、そんなことが言いたいわけではなく。
私がとにかくびっくりしたのは、「天皇が執り行う行事や儀式のなかで、亀朴という原始的な占いがいまだに採用されていること」を書きたかったのでした。
占いというものの歴史を考えたら、庶民1人1人の人生がどうのこうの、なんてことを占っていたわけではなく、国家の将来という大事に使われてきたわけですから、そうなれば庶民より国家元首が占いを手にしてきたのだ、というのは当たり前のことです。
そしてその吉凶を読み解くことができる占い師や神官はその国の王などに重宝され、それがゆえに「占いができるものが権力を手にしていく」という図式もさもありなん、と納得はできます。
以前にけっこう有名な占い師さんのことを知っている知人に聞いた話ですが、現代でも名前をいえば
「えっ、あの大企業の社長さんが!?」
というような方が有名占い師さんの元へ足しげく通い、重要な社内の動向については占いで決めているんだよ、とのこと。
そのときには鼻で笑い、
「そんな扇風機で一番遠くへ飛んだ者の案を採用することにする、なんて子どもじみたことでトップが決めてるわけないでしょう」
と言ったものですが、改めてありえるかもしれない、という気がしてきました。
だって、天皇が亀朴によって神事でどこの新米を扱うか決めてる国なんですものねぇ。



まだ、これに利権が絡んでこなくてよかったですよ。
だからこそ、国民も「どっちだっていいやん、そんなこと」と泰然としていられるのかもしれませんが、もしこれで採用された栃木県と京都府の米だけがその年はバカ売れするとか、土地がいいから良い米になるという意味でしょうから、今年は栃木と京都府だけにはなんの天災もないとか、実際過去にこれで選ばれた都道府県はその年には災害に見舞われていないとかいうことがあれば、これは大変な騒ぎになるのではないでしょうか。



だから聖書には、「占いを行うことはいけないことだ。占いをする者も信用してはいけない」という一文があるのでしょうか。
占いをする一部の者が国家権力や利権を手にすることができることが良いとはいえないから、という理由で。
でもそれだったら、もっと具体的に
「ほかの人を巻き込むような占いはしてはいけない。自分自身のことを占うぶんにはよし」
とかなんか注釈があっても良さそうなものですけれど、聖書ではもう全否定ですからねぇ。
確か「そういう者に近づいてはいけない」というように接近さえ禁止していたと思います。
別に私はキリスト教じゃありませんし、この先キリスト教信者になるかもしれないなんて可能性もまずありえないと思いますから、そんなことが聖書に書いてある箇所があるからといって気にする必要もないんですが、時折、この言葉が自分の内側に浮上するのはどうしてなんだろう?と思います。
できるだけ公明正大にいきたい、できれば誰からも後ろ指さされたくない、という性格なので気になるだけなんだろうか?
占いについてはこの前「占いってやってることはカウンセリングじゃないか」と合点し、実際それでいいんだ、それでこそあるべきなんだ、と思うからそれで腑に落ちているはずなんですがね。



聖書には確か、「人の目から見て、この人は(人でなくて、それこそ国家とかもっと大きな存在も含めてだったと思いますが)絶対に良い人だ、と思っているものであっても、神の眼から見たらまた別だ。サタンはとても巧妙な罠を仕掛けていて良い人の仮面をかぶっている」というような文言の一節もあったか、と思います。
これもなんかイヤな言い方だわ~
なんか引っかかりはするけど。
まぁ、いずれにしても、これだけ考えるきっかけを与えてくれた大嘗祭や聖書よ、ありがとう、って感じですかね。
私としては最後にはいつも「選択するのは自分自身であり、神もそれを認めている」ということがすべてです。





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