ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

前に進む者の恐れ

2012-12-08 09:10:00 | 芸能ネタ

ちょっと遅いかもしれませんが、歌舞伎の勘三郎さん、本当に残念でしたねぇ。

私は歌舞伎ファンではありませんが、勘三郎さんがいかに歌舞伎を神棚に飾っておくだけのものにしたくなかったのか、という現代風の取り組みには目を見張るものがある、と思っていましたし、全く歌舞伎の世界のことを知らなくてもその情熱は伝わってきました。

ですから秘かにエールを送っていました。

こんなに早く亡くなってしまうなんて、思いも寄りませんでした。


そしてまた健康のありがたみをつくづく感じました。

勘三郎さんにしても、もし食道がんの手術を受けずにいたら、少なくともこんなに早く死んでしまうことはなかったのでは、と思えて仕方がありません。(だから手術なんてしないほうが良かったのに、という意味ではありません。やっぱりそういう選択にはなるんでしょうけれども)

肺の疾患と食道がんとは関係なかった、食道がんの手術は成功だった、とされていますが、食道がんに罹り、その治療として12時間にも及ぶ手術をする、と言うこと自体が身体にとってはかなりの負担ですし、それによって免疫力が落ちてしまったのだと思います。

テレビでも各局が勘三郎さんを追悼しています。

それをチラチラつまみ食いのように見ているうちに、私はあんなに新しい歌舞伎に取り組んで生き生きとしていた勘三郎さんでも、実は公演の前にはものすごい恐怖に囚われていたのだ、ということを知りました。

「昔は、歌舞伎といえば、その時代に一番トンでる若者がおしゃれをして出掛ける場所だった。俺はもう1度歌舞伎をそんなふうな庶民のものにしたい。」と常々言っていた勘三郎さんが、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような小屋で現代風の息吹を吹き込んだ歌舞伎を演じるという平成中村座を立ち上げたのは今から12年前のちょうど2000年。

勘三郎さん45歳のときです。

しかし、なんと彼にとってそれは19歳のときからの夢だったんだそうです。
これにも驚きました。

私は勘三郎さんを何となくイメージで、もっと思いついたらやっちゃう、というようなきかん坊のおぼっちゃまだと思っていたからです。

しかし、なんと26年も温めてきた夢だったんですね・・・

「願って努力し続けていれば、必ず夢はかなう。なぜか不思議と協力者があらわれるものだ。」ということを勘三郎さんは言っていたようですが、いざ叶った夢の舞台があがるときにはどれほどの不安と期待が入り混じった緊張があったことでしょう。


私は緊張のプレッシャーを「よっしゃ! いっちょ、やったるでぇ!」というパワーに変えることができる人がスターなのだと思いますが、その歌舞伎界でも先を走るスター中のスターの勘三郎さんが初日の幕があがるまでは夜も寝られないほどの緊張を味わっていたのだ、と思うと(あぁ、やっぱりあれほどの人でもそういう状態になるものか・・)と思いました。

最後の松本での舞台の前には夜通しスタッフともめて、「俺はこんなスタッフではもうやれない! ひとりでやったほうがましだ!」とわめいたそうです。


同じことを時を同じくして、藤原紀香さんにも感じました。

たまたま何かのロングインタビューを目にしたからです。

結婚そして離婚を考えるようになった頃は、睡眠薬なしには寝られなかったそうです。

そして藤原紀香さんといえば、今でこそ“ゴージャス・ビューティ”みたいなイメージが定着しているけれど、彼女は売れるまでは六畳一間でスタートしたそうで、世間で思われているような自分ではない、ということに時々すごくギャップを感じて精神的にも不安定になるそうです。

勘三郎さんにしても藤原紀香さんにしても、庶民の私からすればうらやましいような暮らしぶりなんだろうなぁ、と思う人たちです。

1年や2年働かなくったって、どぅ~ってことないんだろうなぁ。ううん、ひょっとしたら今すぐに仕事をやめちゃって、今後一生働かなくったって食べて行けるんだろうなぁ。」とか、

「そして、こんな仕事はやらない、とか自分がプロデュースして思い通りにやれる仕事しか引き受けない、なぁんて、仕事もえり好みできるんだろうなぁ。」とか、

「毎日の悩みといえば、たまには人目につかないところで思いっきりのびのびしてみたい、とかそんなことなんだろうなぁ。」なぁ~んて想像していました。

それらは事実かもしれません。

今後一生働かなくったって贅沢をしなければ食べていくくらいどうってことないかもしれないし、仕事は選べるし、人目につかないところでのびのびしたい、というのも本当かもしれません。

けれど、彼らは今いる自分の場所に決して満足することなくその先を見据えるがゆえの、想像を絶するようなプレッシャーを味わっていたんですね。

オーラソーマではよく「恐れを手放しなさい。」と言いますが、前に進もうとする人たちのこんな恐れも手放したほうがいい恐れなんでしょうか・・・?

今いる場所で決して安住しようとしないことは、“今この瞬間”を大切に生きていないことになるんでしょうか・・?

答えは人によってYESでもあり、NOでもあるんでしょうね。


1つだけ言えることは、それはどれだけ苦しくとも彼らが好んで選択した道だ、ということだけです。

人は選びたい道を選び、信じたいものを信じる権利があるんですものね・・

誰にも強制されたわけでもない。

自分で選んだ道だからこそ、前を向いて歩き続けたいし、自分のほんとうの望みに背を向けてはいられない。

たとえ血反吐をはくような思いをしてでも。


ぶるるるるる・・・

そんな思いはわたしゃごめんだよ、っていう人のほうが多いでしょうねぇ。

地位や名声と引き換えに身体を壊すほどの、いわば命と引き換えにするほどの思いをしなくちゃならないなんて、って。

勘三郎さんや藤原紀香さんに限らず、テレビや舞台で活躍している人はみんなそんな思いを味わってんだろうなぁ、それに比べれば毎月食べていけるのかしらん、という私の悩みなんてちっぽけなものでよかった~と私が思ったか、というとこれが不思議とそうでもないんですよね。

むしろ少しだけ(うらやましいな・・)って思っちゃったんですよ。

そして、“前に進もうとする者だけが味わう恐れ”なら、私も感じていたい、持っていてもいい、って思いました。


きっとちょっとだけ皆さんもそう思いますよね?

いかに人間という生き物が半歩でも一歩でも前に進みたい、というようにプログラミングされている生き物か、と思うとちょっと自分が愛おしくなりました。

そして自分の年齢の限界にとらわれずに、夢は必ず叶うものだと信じて前を向いて歩き続けたい、と思いました。





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