先日、接遇・接客講師としての仕事でこんな体験をしました。
うかがった先の方々が働いているところは、前面ガラス張りの館だったので、その前にある駐車場に車を停めて店内に入ってくるお客さまの様子がよく見えます。
そこで私は自分の体験をまじえ、このように話しました。
「あそこに車を停めて、こちらに向かって歩いてくる方がいたら、もうここに入ってくる人だ、ってわかるわけだから、店内で鷹揚に待ち構えていないで、出入り口のドアのところに駆け寄って内側からドアを開けながら『いらっしゃいませ~』って言ってあげたら、感じいいと思わない?」
それは、私自身が最近郊外の路面店のラーメン屋さんに行ったときに感じたことだったからです。
ラーメン屋さんの駐車場に車を停めたら、ラーメン屋に入っていくに決まっています。
それを内側から確認したスタッフは、私が店内に入る直前に内側から「いらっしゃいませ~!」とドアを開けてくれたのです。
なんだか高級レストランに来店したかのような錯覚に陥りました。
もちろん、気分が悪いはずもない。
そこで、前述のような発言となったわけです。
そうしたら、研修に参加されていた1人の方が手をあげてこう言いました。
「私なら、初めてのときにはまぁいいけれど、リピーターとして何回もそのお店に行くたびにそれをやられたら、ちょっとうざったいと思うんですけど。ほうっておいて、って思います。」
へぇ、そうなんだ。
そう思う人もいるんだ。
たいていの人は嬉しいと思うはずだけど・・・ それも私の思い込みなのかな?
でもここで、多数決をとるかのように「それをやられたら嬉しいと感じる人はどれくらいいる? 嫌だ、うざったいと思う人はどれくらいいる?」と全員に聞いて多く手が上がったほうを採択する、というのも違うなぁ、と思ったのでそれはしませんでしたが、実際のところはどうだったんだろう?と気になりました。
「自分が嫌だと思うことは人にもしない。」というのは人付き合いのなかでの鉄則かもしれませんが、「こういうことは嫌だと感じるだろうな。」ということと「これなら喜んでくれるだろう。」ということはこんなにも紙一重というか裏腹なことだったろうか・・?
私はこのように言うにとどめました。
「最近、ほかの施設でもこんな相談をよく受けます。『ウォークマン(死語ですか・・? とにかく音楽を聞くために耳にイヤホンやらヘッドホンをしている人)をつけたまま店内に入ってくる人というのは、販売員からのアプローチを拒否している証拠ですよね? だから、声をかけないようにしてあげたほうがサービスになるんですよね?』という質問です。
それに対しての私の答えは、『ヘッドホンをしている人がアプローチを拒否している人かどうかは、こちらが決めることではない。』ということです。
サービスで最も重要視される要素の1つとして、平等ということがあります。
あちらのお客さまには声をかけたけれど、このお客さまには声をかけない、ということは平等を逸します。
いちおう、声はかけてみてそれで無視されたり、うっとおしそうな顔をされたらそれからちょっと離れればいいんです。
ヘッドホンを付けていても周囲の音は拾えますからね。
あら、ここの販売員、あちらの子には愛想よく声をかけたけれど、私にはかけてくれないんだわ、と思うかもしれません。
ヘッドホンをしているから、と言ってコミュニケーションを拒否しているとは限らないんです。
見極めはファーストアプローチの声がけをしたあとでも遅くありません。」
このとき質問した人は、言葉だけは「よくわかりました。」と言ってくれましたが、表情からして納得している様子にはみえませんでした。
改めて私は思いました。
どんな言動が人に喜ばれるのか・・・?
喜ばれると思ってしたことが意に反してうっとおしがられたり、迷惑だったりすることも中にはあるだろう、ということはわかるが、そのヒット率が私にはわからなくなっているのだろうか? ということに恐怖に近いものを感じました。
常識が通用しなくなっているのかな?
どうも最近の社会は、良いことをした場合にそれを褒めるという加点方式ではなくて、自分の意にそぐわないことをされたときには評価さげるけど?という減点方式になっているような気がします。
こういう世の中は私は好きじゃないなぁ。
疲れるもん。
オーラソーマでは「ジャッジをするな。」とよく言いますが、常識的な言動か非常識的な言動か、という軸で物事をはかろうとすること自体がどちらかをマイナスだった、という評価に追いやることになるからしないほうがいい、ということになるのかな。
ということであれば、自分は良かれと思っていても、とにかく人に嫌がられるかもしれない可能性のあることがわかったものはしないで置いた方がトク、ということになります。
こうして人は、どんどん人に干渉しなくなっていくのでしょうか。
現代のほとんどの悩みというのは人が人と関わりすぎることによって起きている、と言いますからきっとみんな病んでるんだね。
1人になりたい、ほんとうにわかりあえる少数の人たちに囲まれていればそれでいいや、って思ってるんだろうね。
私自身もあまり大勢の人のいるところに出かけるのは好きなほうではありませんが、それでもなんだかちょっと寂しいな。
もともと人と「付き合う」というのは、角のある鹿とか牛とかのオスの動物が相手と角を「突き合って」相手の力量やら感情やらを推し量って縄張り争いすることから来たものです。
だから「人と付き合う」ということは、縄張り争いの延長線なのかもしれないな・・
自分の考えをどれだけ勢力分布できるか、という。
そう考えると人付き合いが難しくて当たり前かぁ、ということを感じました。
でも少なくとも私自身は自分をいつもウエルカムな状態にはしておこう、と改めて思いました。
人付き合いについては実際、疲れちゃってますよぉ、今も出口がみえません、という状態に居る方には、ぜひともバタフライ&シーエッセンスがおススメです。
なんといっても究極の人間関係改善エッセンスですからね。
自分の考えを一生懸命是正して・・ということをしなくても、あれ? なぜか知らぬ間に・・という感じで空気がよくなっていくこと請け合いです。
迷っているなら、とにかく1度お試しあれ。
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