ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

人が自分で気付くきっかけを奪ってしまっていたかもしれない

2012-12-07 09:10:00 | オーラソーマ

先日友人と会い、私は興奮気味に「クリスタルマスターズコース、良かったよ~!」と話しました。(友人もオーラソーマをやっています。)

そして、「ちょっとやってあげる。」と言って「遺伝子のワーク」をやりました。


クリスタルを配置し、11分が経過し、私はワークの終了を告げました。

そして、このワークで何かが明らかになるのか? はたまたただリラックスして寝転がっていれば自分が気付いていなくても身体の中身が調ったということになるのか? 何も事前に予備知識を伝えることなく行いましたので、

「あぁ、ちょっと寝ちゃった。」と言いながら起き上がった友人は、どういう感想を述べればいいのかわからない、というようなちょっと戸惑った様子でした。

そこで私は言いました。

「オーラソーマのボトルのコンサルテーションのように、ハイ、これから私がわかったことをお伝えしますね~とかそんなんじゃないんだけれどね・・」と前置きしたうえで、

「ただ、私が授業でこれをやったときに見守る側だったときには、寝ている人の一挙手一足動を見逃すまい、と見ていて無意識のうちにもその人の右側がよく動いたとか、左側がよく動いたとかで父親にまつわる遺伝が多いか、母親にまつわる遺伝が多いか、というふうに見ていくようだったよ。」

「それでいくと、今、右側のまぶたとか指先とかがピクピク動いてたから、あなたの場合、お父さんからの遺伝が今を形成していることが多いのかなぁ?」と話しました。


それから、「小さい頃、お父さんのことをどう思ってた?」とか、「思い出深いエピソードって何かある?」とか尋ねました。

彼女とは長年友人をやっていますから、話のなかでだいたい聞いていたことばかりをもう1度聞いたような格好になりました。

しかし、やはり雑談のなかでふんふんと聞いていたのと、私の方に彼女とお父さんの“関係性”とはいかに?という気持ちで聞くのとは大きく違うのだな、と思いました。

彼女のなかでは、改めてまた話すけど・・という程度のことだったかもしれませんが、私の中ではその情報をつむいで1つの仮説をたてる、という作業を意図的に行うと彼女とお父さんとの話は全然違った様相を見せ始めたのでした。

ちょっとここでお断りしておきますが、クリスタルマスターズコースで行った「遺伝子のワーク」がこのように終わってから、まるで心療内科のカウンセリングのように、その場で両親のうちのどちらの影響を多く受け取っているのか、をつまびらかにすることに重きを置いているというものではありません。

そんな結論を導き出すようなことをしろ、とは全く先生には言われませんでした。

むしろ、寝ていた人が何か感じたことがあったか、をシェアするにとどまる感じでした。


しかし、ここでは彼女と私はもう少し踏み込んでもいい友人でしたし、彼女に「遺伝子のワーク」を体験させてあげたい、とは思いましたが、何も授業の復習のつもりでやったわけではないし、今彼女とはまた違うかたちになってもいいのでは、という気持ちもありました。
彼女も積極的に、自分の記憶をたぐりよせる作業が楽しそうに、お父さんのことを話してくれました。

そうしたら、1つ私には引っかかることがあったのです。

それは彼女が「とにかく小さい頃は、お父さんにはすごく気を使ってたなぁ。」と言ったときです。

「それはなぜ? お父さんがすごく厳しかったから?」と尋ねると、

「う~ん、確かに厳しい一面もあったけれど、おおかた優しかったし、怒られるのを怖れて、ってことではない。」と言います。

では、なぜそんなに気を使っていたのか?

「お父さんに好かれたいと思ってたから?」

「う~ん、そんな感じとも違う。」と言います。

「じゃあ、どうしてなのかな? 怒られたくないからでもなく、好かれたいからでもない・・ でも、どうしてもお父さんにはすごく気を使ってしまう・・」

尋ねても彼女は、「わからない・・ そういえばどうしてなんだろう・・? どういう気持ちからだったんだろう・・?」と自分自身に問いかけてみるのですが、どうしてもからっきしそれについては自分でもわからない、という感じでした。

「気を使ってしまう」という表現を彼女がする限り、それは決して自分の本意ではなかったのだけれど・・という意味を含んでいますよね。

「小さい頃、私はおしゃまさんで、お父さんには子どもながらすごく“気を使ってあげたんだ。”」という楽しい自慢ではなさそうです。

だから私にはこの部分のことが引っかかったのでした。


“自分にはまだわからないことがあった”ということが、“わかる”っていうのは楽しいですよね。

そしてそこで「これはこういうことを意味してるんじゃないの?」というように手っ取り早く結論に導きたい、ということではなくて、そこに何かしら自分がわだかまっているものがありそうだ、という自分を紐解くきっかけが見つかった、というだけでも何だかワクワクするじゃあありませんか。


・・・とそう思ったとき、私はふと我に返ったようにこう思いました。

「私はそんな考え方を、ちゃんとうちのサロンにいらっしゃるお客さまにも持っていただろうか。」と。

“そんな考え”というのは、人が自分で気付くための端緒さえ見つかればそれでよし、とする考えのことです。

オーラソーマのボトルを使ってのコンサルテーションは、色が仕事をするだけで私はその傍に寄り添う通訳にすぎません。

だから、お客さまがその色の意味を聞いたうえで、自分自身で何か気付きを得られるといいなぁ、と思っています。

そしてそのことを信じて、ただくつろいで椅子に座っていることができます。

“人は誰かから何かを言われることによって気付くのではなく、自分自身で気付いていくのだ”ということを信じていることができます。

むしろ、その自分自身で気付くプロセスのさまたげにならないように自分の考えなどは話さないようにします。

けれど、サロンでセッションの終了を告げるためには、何かしら「本日のまとめ」というような一言をもって終わらねば、なんだかズルズルと取りとめもない尻切れトンボのような話になってしまう、という意識もありました。

でも、それをやってしまうとそのお客さまが気付きのきっかけを家に持ち帰ってから十分に自分で反芻して自分なりに何かを選択し結論づけ、行動に移すという楽しみの一端を奪ってしまっていることになりはしないか、と思いました。

「まとめる」という作業自体が、「大事な要点だけをぽんぽんと振り返る」ということですから、何が大事な要点だったかは私が決めることではないだろう、と気付いたからです。


今度からは、「さぁ、それではどんな些細なことであれ、ご自身で“気付いた”ことだけが大事な宝物であり、これからのご自身の指針になっていくのですから、それをこれからゆっくりとなんだろう?と考えてみてくださいね。」とだけ言って送り出してあげよう、と思いました。







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