ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「母がしんどい」という漫画

2014-05-22 09:07:00 | 本と雑誌

 

・・・というわけで(昨日の最後を読んでもらうとわかります。)、本日22日~25日までは不在です。

 

簡単なメールはiPadを持っていきますので返せますが、商品の受注、発送などの業務は26日以降となることをご了承ください。

 

今日のブログも以前に書き溜めておいたものをタイマーによってUPしています。



昨日は和尚さんより、ヌラ・クラフト先生が亡くなった、というニュースレターが届いてびっくりしました。

実は、私が受けていた「レインボー・ウーマン」のコースのときから、ヌラ先生は具合が悪そうだったのです。

けれど、休憩が解けるのがちょっと遅くなったり、とか言うぐらいのことで済んでいたので、たいしたことではないのだろうと思っていました。

でもあのときから実は刻々と進行していたんですね・・

あれが最後のコースになってしまったなんて・・・

心よりご冥福をお祈りいたします。



私はヌラ先生のコースを受けたのは初めてで、「あ~、どうして今まで受けなかったんだろう。なんて素敵な人! これからも何かコースを受けてみたいなぁ。」と思ったので、少なからずショックです。

でももちろん、そんな私以上にショックを受けておられる方はいっぱいいらっしゃり、和尚の江谷代表の昨日のニュースレターも淡々と起こったことを綴られたとても抑制のきいた文章でしたが、そこはかとない言い知れない悲しみとともに肉体を離れて自由になったヌラを喜んであげよう、という祝福に満ちていました。(和尚リゾートでは亡くなったときには「デスセレブレーション」といって、日本人の感覚からしたら不謹慎なと思われるくらいの祝福をするそうです。)

「ヌラ」という名前は「光」という意味だそうです。

ヌラ先生がまさに自分の源にお還りになったことに心静かに見送りたいと思いました。



さて、今日の話題です。

この前たまたま車を運転していたとき、カーラジオから「母がしんどい」という漫画を描いた田房永子さんという方のお話が流れてきました。

 

この漫画、いま「私もそう!」「うちの母とそっくり!」と評判を呼んでいるそうなんです。

 

私はこの漫画も著者も知らなかったんですが、このときはただ、

 

「へぇ、このタイトルというのは秀逸だな。これ以上のタイトルってない。

 

嫌いとかいなくなってしまえばいいのに、ということではないけれど、ただ何だか存在が重い・・っていうかしんどいときってあるよなぁ。」

 

と思ったのでした。

 

そうしたら、なんとその次にラジオのパーソナリティの方が、

 

「この本の帯に、『母のこと、大嫌いでもいいですか?』とありますが、このコピーは衝撃的ですねぇ。」

 

とおっしゃったので、「え?」と思いました。



私も長らく母との関係には勝手に苦しんできたけれど、どーしても母のことを「大嫌い」とは言えませんでした。

 

それは私がいちいち母の言動に過剰に反応しながらも、「この人なりの愛し方で私を愛してくれていることはわかるからなぁ。」とか、「母は母で頑張って生きてきたんだよなぁ。もし私が母だったら、と考えるとこんなにはできなかった、と思うことがいっぱいあるわ。」と考えてしまうから「嫌い」とは言えなかったわけで、そして他人なら「もうあなたとなんか絶交よ!」とか「あなたなんて大嫌い!」と言ってそれ以来一生顔を合わせることがなくてもそのまま穏やかに終える一生というのもあるかもしれないけれど、母だとそうはいかない、というところに悶々としていたわけで。



どちらにしても世間に対して堂々と「お母さんのこと、嫌い」という本を出版するということは、それを当のお母さんも目にする機会があるわけで、そうしたらお母さんは相当なショックだろうなぁ、と思うとそんな帯のコピーを付けた本を出す勇気はないだろうなぁ、私には。



要するに「嫌い」、しかもそれに「大」をつけて「大嫌い」とは到底言えなかったからこそ悩んでいたとも言えるので、これを言っちゃえるということはこの人は何が辛かったんだろう? いったい、この人のお母さんはどういう人だったんだろう? と逆に興味がわきました。

 

そして運転に注意を払いながらも、ラジオに俄然耳を傾け始めたのです。

 




そして、帰ってきてからネットでこの本のことを調べてみました。

母がしんどい (新人物往来社) 母がしんどい (新人物往来社)
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発売日:2012-03-24

 

そうしたらアマゾンでちょうど「なか見! 検索」になっていたので、見てみました。

 

最近の「なか見! 検索」ってすごいですよね。

 

ちょい見せってレベルじゃなくて、かなりのページ数を読むことができたので、私はラジオでご本人が語っていたことと合わせて、だいたいわかってきたぞ、と思いました。

 

もし、ご興味が湧いた方はぜひ、この「なか見! 検索」活用してみてね。



著者の田房さんは1978年生まれのおん年36歳の女性。

 

この年齢になってからこういう漫画を発表されたというのはそれなりに昇華できたものがあるからでしょう。

 

10代の後半やハタチくらいの年齢の漫画家の人が「もぅお! お母さんってしんどい。」と言って、反抗期の延長のようなものとして書いた、というのとはわけが違うと思います。

 

そいでもって、私がもし早婚であれば、彼女の年齢の子どもがいてもおかしくない年齢。

 

つまり、田房さんのお母さまというのは、私とほぼ同年齢の人に違いない。

 

私は私でずっと母との関係に思うところがあったけれど、その私の年齢の人が自分の子どもにまた重い、と思われているのはどういうところなのか?というのにも興味がありました。



例えばこの田房さんのお母さん、どんなお母さんだったのか、というと-------

 

感情の起伏が激しく、それをそのまま対子どもにも持ち込むので、子どもは翻弄されてしまい、常にお母さんの顔色を窺う子になってしまう、というところがあるようでした。

 

何か自分にとって気に入らないことがあるとキィキィ子どもにもあたって、

 

「どうしたの? お母さん、どうしたの?」とついに子どもが泣き出してしまっても、

 

「うるさい! 泣くな!」と怒鳴り、

 

かと思うとその30分後には、にこにこして、

 

「永子ちゃん、お母さんのおひざにおいで。」と、ぎゅーっとハグしてくれる、っていうようなエピソードが語られています。

 




もう1つ。

 

一緒に本を読んでいて、このお母さんが「ほら、ここ。」というように本のあるページを指し示そうとすると永子ちゃんが、ぶたれる!と思ってさっと身をよけるシーンがあります。

 

それを「え? なに? ぶたれると思ったの? やだぁ、どうして。」とお母さんは心外だわ、という様子で言います。

 

そして次の日。

 

お母さんは、「ママ、これからぶたないからその代りにこれに気持ちを書くからね。」と「永子ちゃんとママのなかなおりノート」というものを作って渡します。

 

けれど結局そのノートに書かれているお母さんの記載は、

 

「永子ちゃんはおうちでは今日もママの言うことを聞けない悪い子でした。明日からはいい子になろうね。ママはえいこちゃんのためを思って言ってるんだから、ママの気持ちわかってね!」

 

というような一方的なものだったため、永子ちゃんはなんだかこのノートがとっても嫌いになってしまったのでした・・・ というエピソードとか。



つまり、このお母さんはすべて自分がやっていることは正しいと思って、子どもを知らぬ間に自分の意のままに操ってしまう親なんですね。

 

過度の干渉と子どもの心の世界までもの侵入、支配。

 

けれど、この漫画はあくまでも被害者である娘さんからの一方的な作品であることを忘れてはならないと思います。

 

例えば先ほどのぶたれると思って子どもが一瞬身をよけるシーンでも、漫画ではお母さんは子どもがそんなポーズをとったことがさも心外である、という様子で描かれていますが、それは幼い頃の永子さんの心の中の記憶に過ぎないわけです。

 

もし、ここで本当はお母さんの心中は泣きたいほどショックだった、ということで実際はオロオロしていたはずだ、とすれば、このエピソード1つをとっても急に景色が違って見えてきます。

 




最初のエピソードの、めっちゃ怒ってたのに30分後にはニコニコして「お母さんの膝においで。」と言うのも、考えさせられました。

 

確かにコロコロと態度が変わっては子どもは面喰ってしまいますね。

 

けれど、ではこのとき子どもの前でも機嫌の悪いところを見せてしまった、というところまではもう起きてしまったことで仕方がない、としたら、そのあとこのお母さんはどういう態度をとったら良かったのでしょう?

 

30分後にニコニコではあんまりだ、というのであれば、1時間後、2時間後なら子どもは納得できたのか?

 

いや、いっそ特に過剰なスキンシップなど取らないほうがこどもの心身は安定するのか?
・・・考えさせられました。



その次のエピソードにしてもそうです。

 

ぶたれる、と思って身をすくめたわが子を見てショックを受けたお母さんが「どうしたらよいのだろう?」と精一杯考えた結果が、交換ノートだったとしたら、これはむしろナイスアイディアと言っても良いのではないか、と思いました。

 

・・・ただ、そのあとのノートに書かれた文言はいただけませんでしたが。

 

けれどそれにしてもいつもいつもこういう論調、口調だったのかなぁ?とも思うし・・



いずれにしても私は、この人のお母さんは私と同年代くらいの方かもしれないけれど、そして私とはタイプは違うかもしれないけれど、それでも同情すべき点はあるなぁ、と思ったのでした。

 

そして、もちろんこの傷ついた著者の方にも頑張ってきたね、と言いたいですが、こんなに自分の母親とはタイプが違っても、この人とは大きく年代が違っても、現代でもやはりみな母親との関係に悩んでいる人が多いんだなぁ、と思いました。



著者は、まえがきで、

 

「そんな私が、お母さんから逃げて失敗して、逃げて失敗して、ついに逃げ切るまでのお話です。」

 

と書いていらっしゃいます。

 

この逃げるという意味は、肉体的な距離も、心の距離も両方含むものでありましょう。

 

肉体的な距離という意味のほうでは、生涯の伴侶と巡り合って結婚することによって。

 

心の距離という意味のほうでは、ついに彼女は精神科にかかることになるのですが、そのお医者さまが、

 

「あなたの言っていることは何も間違っていない。1人で戦ってきてえらかったね。」

 

という言葉をかけてくれたことによって彼女はようやく安らぎを得るのです。



両方ともに対して私は非常に感じ入ることがありました。

 

肉体的な距離、という意味の「結婚して住居を別に構える」という解決の仕方というのは、ありがちな話で実は私もそれによってずいぶんと救われました。

 

けれど、これはたまたま結果的に、ということであって、「母親との解決のために結婚する。」という人がいるわけはありません。

 

もし、あったとしたらそれだと多分、解決しないんですよね・・

 

母はどこまでも追ってきます・・

 

事実、彼女も独身のときに家出をして、とりあえず住むところを物理的に離れよう、という努力はしているんですね。

 

でも、その時はダメだったみたい。



私は勤め始めて社会人になると同時に、自らアパートを借りました。

 

親には相談せずに、勝手に決めてきて、勝手に「あ、明日から家、でるから。」みたいな感じで。

 

そうしたらそのときの母親の憤懣やるかたない、っていう様子といったら!



私が当時勤めることになった会社というのは、実家に住んだままでも何の問題もなく通えるところだったのです。

 

実際、私が借りたアパートというのも「駅に近いから。」というのが理由でしたが、駅と実家というのはものの10分か15分しか離れていないわけで・・

 

でもそんな距離でも、そんな距離だったからこそよけいかな、母は、

 

「そんなもったいない!」とかぶつぶつ言っていました。

 

もったいない!ってお金や節約の問題のように言っていたけれど、ほんとうの気持ちはそんなところにあるわけではなくて、私が自分の目の届きにくいところに離れる、ということが許せなかったはずです。

 

けれど、母は自分でも気づいていないのか、気付いていてわざとやっているのか、絶対にそれ以外の問題として私に干渉してきましたね。



そして毎日のように電話してきて、ちゃんと私が勤めを終えた時間にまっすぐアパートに帰っているのか、夜更かしして遊んでやしないか、チェックを入れるかのようにしてきたのです。

 

これに私はまいってしまいました。

 

それも巧妙な手口で、いかにもこっちの用事で掛けざるを得なかったんだから、という態度をとるので、むげに断るわけにもいかず・・
結局私は心のなぐさめのため猫を飼い始め、その猫を寂しがらせてはいけない、と実家に舞い戻ることになってしまったのでした・・

 




でも、結婚して家を出るというのはさすがに親も認めざるを得ないし、たとえ娘とあろうとも、もう1つの別の家庭を持った人間で、自分の管理下にある人間じゃないですからね。

 

電話もそう頻繁にはかけてこないわけです。



この、精神的な問題を解決するにはとりあえず物理的に少し距離を置いてみよ、ということがどれだけ有効なのか、ということを私は身を持って知ることが出来ました。

 

それまではどことなく、「そんなお手軽な解決法はいけないんじゃないか。もっと私は正面切って母と向き合わなくてはならないんじゃないか。」と思ってきましたから。



そしてもう1つの心の距離のこと。

 

精神科のお医者さまが彼女を「承認」してくれたことによって安らぎを得ることができた、ということにおいても感じ入ることが多かった、というのは----------

 

それを語るにはちょっとまた今日は長すぎるようですね。

 

また明日にいたしましょう。









 

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