団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

高校野球と汗

2019年08月13日 | Weblog

  汗と涙に関係があるのだろうか。私は幼いころからあまり汗はかかなかったが、涙は出た。近所の子どもたちが私に付けたあだ名が準内地米(じゅん泣いちまえ)。とにかく、すぐ泣いた。時間は多くの事を解決してくれる。泣き虫だった私の涙もろさも、やっと人並みになってきた。

 古希を2年過ぎた今年の夏、ずっと雨が降り続き、それがやっと終わった。そうしたら、今度は猛暑が続く。サウナでどんなに頑張っても汗をあまりかかなかった私が朝、目を覚ますと寝汗で下着のシャツがビッショリ。そもそも寝汗をこれほどかくことがなかったので驚いている。年齢のせいかもしれないが、今年の猛暑は尋常ではない。

  人間の発汗作用をブリタニカはこう説明している:汗腺の分泌亢進をいう。体温が高まったときに起る体温調節現象で,汗のうちの水分の蒸発によって熱の放散が増大する。発汗は一般に温熱刺激でが 43~46℃になったとき起こる。

  赤道に近いアフリカのセネガルに2年間暮らした。気温が40℃を超すこともあったが、汗をひどくかくことはなかった。湿度が低いせいか日陰はそれほど暑くなかった。日陰は気持ち良い程だった。官舎に住んでいたのだが、床が大理石やコンクリートで、その上にゴザを敷いてする昼寝はヒンヤリして気持ちが良かった。マラリアを媒介するハマダラ蚊には警戒したが、寝汗に悩まされたことはなかった。

  猛暑で外出もままならない私は、夏の高校野球をテレビ観戦している。故郷長野代表の飯山高校は、20対1で大敗した。このところ県代表になるのは、全国から選手を集める私立高校ばかりなので、飯山高校のような公立の地元の選手ばかりの高校をどうしても力を入れて応援してしまう。今回のような負け方だと何故か冷や汗がでる。辞書の“冷や汗” の説明はこうだ。“ひどく恥ずかしかったり、恐ろしかったりしたときなどに出る汗”。長野県を故郷とする私は、あの大敗を我がことのように恥じたのだ。ただ同じ県からの代表だからと応援してしまう。何かにつけて出身校や出身県や出身国という囲いに振り回されるのは、人間の性なのかもしれない。

  私は外出、特にこの炎天下、散歩がままならないので、ウォーキングマシーンを使っている。速度を落として30分間歩く。上半身裸。首の周りにタオルを巻く。テレビ画面には高校野球の熱戦が映し出される。猛暑で球場の温度は連日30℃をはるかに上回っている。画面いっぱいに映し出される選手の顏に汗が流れる。私は冷房の効いた部屋で観戦しながら、極端に速度を抑えられた機械のベルトの上を歩く。

  プロ野球にまったく関心がない。父親が“狂”がつくほどの野球好きだった。父を喜ばそうと私は中学では野球部に入部した。団塊世代である。1年生だけで野球チームが10以上できるほど部員がいた。中学2年生で父に内緒で退部した。これが私と父との間に溝を作った。背は小さいが運動神経が半端でなかった父と違って、私は病弱で走っても跳んでも泳いでも投げても並以下だった。プロ野球の試合の勝敗で機嫌が変わる父が理解できなかった。そんな父に反抗していた。父は汗かきだった。もしかしたら汗と運動神経は、関係があるかもしれない。

  ウォーキングマシーンで30分歩いて運動したと思っている私。悪条件の中、汗を流して躍動する高校野球の球児たち。感心しきり。そして元気をもらえる。応援団しかり。審判や球場関係者。観客。大相撲と同じで観ていると、観客に見覚えある人が出て来る。熱心に応援するガタイの良い、髪を金髪に染め明るい黄色のTシャツに2本の黄色いメガフォンを叩きながら応援する男性。去年も更にその前もいつからか甲子園球場で彼を探すようになった。あの暑い中、最初の試合から最後の試合まで応援している。彼が座っている場所は、中継テレビカメラが捉えやすいのか、ひんぱんに映し出される。よほど高校野球が好きなのだろう。彼がテレビに映るとほっとするのはなぜなのだろう。

  今朝も起きると下着のシャツは、汗でびっしょりだった。汗が出ることで私の体温が下げられているという機能を自覚できる。体を拭いて、新しい下着のシャツを着る。今日も高校野球で逆転、再逆転、再再逆転の好試合で手に汗握らせてもらえそうだ。高校野球は、古稀+2=コキジの私に汗を出させる日本の夏である。

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