
『インターステラー』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)本作(注1)は、『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー賞主演男優賞を獲得したマシュー・マコノヒーが出演するというので、映画館に行ってきました。
本作の時代設定は近未来。
地球上の穀物は大砂嵐(注2)の影響で疫病に冒され、食料供給に大きな問題が生じるとともに(注3)、このまま推移すると、大気中の酸素濃度が低下して人間が住めなくなってしまいます。

NASAは、ブランド博士(マイケル・ケイン)を中心にして、人類が居住可能な新たな惑星を宇宙に探すことを極秘裏に計画し、すでに12名の宇宙飛行士を探査に向かわせ、その内の3人から居住可能な新惑星発見の連絡が入っています。
そこで、NASAは、クーパー(マシュー・マコノヒー)をパイロットとし、ブランド博士の娘のアメリア(アン・ハサウェイ)を含む3人の科学者たちから成るクルーを宇宙船に乗せて、それら3つの星に向かわせることにします。

果たして、クーパーたちは3つの惑星にたどり着くことができるのでしょうか、そして人類はその惑星に移住できるでしょうか、………?
ワームホールやブラックホールを突き抜けたりするなど、わかりにくいところはずいぶんとありますが、ワームホールを通り抜けたり、物凄い大波が主人公らの宇宙船に襲いかかる惑星があったりと、興味深い映像が次々に映し出され、169分もの長尺ながらも、結構面白く見ることが出来ました(注4)。
(以下は、様々にネタバレしていますので、どうぞご注意ください)
(2)本作は、なんだか、およそ1年前に見た『ゼロ・グラビティ』の後日譚のような印象を受けました。
宇宙に投げ出されてしまったベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)を、地球に帰還したライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)が探しに行ってワームホールかブラックホールかで出会って地球に連れ戻してくるお話、というような感じがするのです(注5)。
とはいえ、
a.本作では、クーパーとアメリアとのラブストーリーがメインではなく(注6)、クーパーとその娘のマーフとの父娘の情愛がメインで描かれています。
クーパーが宇宙から戻ってきて高齢のマーフに会うと、マーフは「私は帰ってくると信じていた。パパが約束したのだから」と言いますし、クーパーも「だから戻ってきた」と言うのです。
b.また、『ゼロ・グラビティ』は、ほとんどのシーンが宇宙空間でしたが、本作では地上のシーンの割合がかなりあります。
例えば、『ゼロ・グラビティ』の冒頭では、宇宙船の外で作業をしている宇宙飛行士らが映し出されますが、本作の最初の方では、穀物畑の中にあるクーパーの家の様子が描かれます。
特に、マーフがクーパーに、「部屋の本棚から本(7注)が自然に落ちる。幽霊がいるんだ」と言いますが、父は全然取り合いません。
その後、窓から吹き込んだ砂の有り様から地図上の座標を読み取ったクーパーは、NASAの秘密基地を突き止めます。
c.さらに言えば、『ゼロ・グラビティ』では、マット・コワルスキーがヒューストンの管制官と交わす交信内容などが大層ユーモアに溢れていて面白かったところ、本作でもクーパーが軍用ロボットTARSと交わす会話が面白いとはいえ(TRSにはユーモアがプログラムされています)、全体として随分と生真面目に制作されているように思われます。
なにしろ、独りライアン・ストーン博士の地球帰還が描かれている『ゼロ・グラビティ』とは違って、本作においては、人類全体の救出が問題となっているのですから!
(3)本作が取り上げている方面についてクマネズミの理解不足のために、ワームホールとかブラックホールといった事柄(注8)を抜きにしても、よくわからない点がいくつもあります。
例えば、
a.本作では、NASA(アメリカ航空宇宙局)がプロジェクトの中心になっていますが、そうだとすると、大砂嵐によって穀物が取れなくなって大変な事態になっているのはアメリカだけのことのように思われます。
でもアメリカだけのことなら、災害に見舞われていない国からの食料輸入によってアメリカは対応可能なのではないでしょうか(少なくとも、惑星移住を考えるまでもないように思われます)?
ただ、本作では、穀物を冒す疫病の蔓延によって空気中の酸素の濃度が低下して早晩人類が窒息するから、他の星への移住が必要なのだとされています。それであれば、大砂塵は世界的なものとされているのでしょう(大気は国別に管理されているわけではありませんから!)。
ですが、その場合には、アメリカが中心になってプロジェクトは進められるとしても、国連レベルの話でしょうし、プロジェクトには他の国の代表も参加することになり、いくらなんでもNASAが中心ということではなくなるのではないでしょうか(注9)?
b.ブランド博士はクーパーに対して、移住が見込める惑星に対して既に宇宙飛行士を派遣していると説明しますが、どうやら12の惑星に対して一人ずつしか送り込んでいないようなのです(例えば、マン博士も独りで冬眠していました)。
でも、いくら地球の資源が乏しいとはいえ、そしてそれらの宇宙飛行士が極めて勇敢だとはいえ、単独でそんな厳しい目に遭わすのは非人間的であり(注10)、また目的も十分に達成されないのでは(問題に遭遇した時に議論できる相手がいないのですから)、と思えてしまいます(注11)。
c.クーパーは、アメリアをその恋人がいる惑星にむけ発進させた後、宇宙空間に放り出されたものの、目が覚めると「クーパーステーション」内の病院のベッドの上なのです。
ただその間に、彼は異次元空間に入り込み、元の農場にあった家に戻ってマーフに会っているのです(実際には、お互いに次元が違うので、顔を合わせることはできませんでした)。
一体いつの間に異次元空間を抜けだして、通常の空間の戻ることができたのでしょうか(注12)?
(4)渡まち子氏は、「人類の存亡をかけて宇宙へ旅立つ壮大なミッションを描くSFドラマ「インターステラー」。驚愕の映像と父娘愛のドラマで、169分の長尺をグイグイ引っ張っていく」として90点を付けています。
前田有一氏は、「ノーラン監督はきっと無敵感に満ちたポジティブな人物なのだろうと、これを見ると強く思う。永遠の成長を信じて疑わぬその前向きな発想には敬意を払うが、そうした欧米的価値観はもはや時代遅れ」なのであって、「激しくかけ離れた価値観にちょいと白けさせられるクリストファー・ノーラン最新作であった」として55点を付けています。
相木悟氏は、「哲学っぽい内容ながら、普遍的な感動を呼ぶスペース・エンターテインメントであった」と述べています。
読売新聞の恩田泰子氏は、「圧巻の映像、マコノヒーをはじめとする役者の魅力を味方につけて観客の心を奪う。目の前の現実を突破して高みを目指そうとする、主人公の、監督の野心のうねりの中に身をひたす快感といったら。ああ、今、自分は映画を見ている。そんな喜びを感じさせる一本だ」と述べています。
日経新聞の古賀重樹氏は、「見渡すかぎりのコーン畑もCGでなく、実際に牧場に種をまいて育てたという。黒澤明もびっくりのアナログぶりだが、その生々しい手触りが人間ドラマを支える」として★3つ(見応えあり)をつけています。
(注1)本作の監督・脚本・製作は、クリストファー・ノーラン。
以前の作品としては、『メメント』〔この拙エントリの(2)を参照〕や『インセプション』、それにバットマン・シリーズ(残念ながらブログにレビュー記事をアップしませんでした)を見ています。
最近では、製作総指揮の『トランセンデンス』を見ています。
(注2)ダストボウルと類似の現象のように思われます。ただそれは、天災ではなく人災とされ、また特定の期間(1931年~1939年)に、特定の地域(米国のグレートプレイン)で引き起こされたものです。
(注3)「小麦の次にオクラがやられ、コーンもまもなく枯れる」などと言われています。
(注4)最近では、主演のマシュー・マコノヒーは『MUD-マッド-』、ヒロインのアン・ハサウェイは『ワン・デイ―23年のラブストーリー』、ジェシカ・チャステインは『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(シーリア役)、マイケル・ケインは『グランド・イリュージョン』(アーサー・トレスラー役)、マット・デイモンは『プロミスト・ランド』で、それぞれ見ました。
(注5)それに、両作は、SF物というとお定まりの宇宙人(あるいは異星人)的な存在が描かれないという点も類似するように思われます。
尤も、本作では、「“彼ら”」とされる者が存在するようにも言われています。でも、具体的な形姿を伴って画面に現れることはありません(もしかしたら、より進化した人類なのかもしれませんし、あるいは、単にラッキーな出来事を引き起こした原因を擬人化してそのように言っているだけなのかもしれません)。
(注6)本作の場合、妻を病気で亡くしているクーパーがアメリアに恋心を抱くにしても、アメリアには恋人のエドマンズがいるのであり、さらに彼が既に死んでいることについても、クーパーは知らないのです。

(注7)驚いたことに、このサイトの記事では、本棚から落ちた本がどういうものであるか詳しく記載されています(その中のT.S.エリオットの『四つの四重奏』については、この拙エントリの「注7」で触れたことがあります)!
(注8)このサイトの記事が参考になりました(特に、ブランド教授が引用するディラン・トマスの詩について)。
さらに、同サイトで紹介されているこのサイトに掲載されている図は非常に興味深いものがあります。
なお、『パシフィック・リム』でも「時空を超えて他の天体とつながる通路」が取り上げられていました〔同作に関する拙ブログの(3)のハをご覧ください〕。
(注9)ただ、世界的な規模のプロジェクトとすると映画が複雑になりすぎるので、そんなことは十分に承知のうえで、こうした設定になっているのでしょう。
(注10)単独で送り込むこともさることながら、行ったきりで帰還を考えないというのは、片道の燃料しか積載していなかったといわれる神風特攻隊にも似た無謀なプロジェクトのように思えます。
(注11)まあ、ラストでクーパーも、軍用ロボットTARSだけを連れてアメリアのいる惑星に向かうのですが。
(注12)よくわかりませんが、クーパーが発見されたのが、ワームホールかブラックホールの中だったために、次元を渡り歩くことができたのでしょうか?あるいは、その頃には、マーフがブラッド教授の方程式を解いていたために、人類は次元をまたぐことのできる技術を持っていたのかもしれませんが。
★★★☆☆☆
象のロケット:インターステラー
(1)本作(注1)は、『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー賞主演男優賞を獲得したマシュー・マコノヒーが出演するというので、映画館に行ってきました。
本作の時代設定は近未来。
地球上の穀物は大砂嵐(注2)の影響で疫病に冒され、食料供給に大きな問題が生じるとともに(注3)、このまま推移すると、大気中の酸素濃度が低下して人間が住めなくなってしまいます。

NASAは、ブランド博士(マイケル・ケイン)を中心にして、人類が居住可能な新たな惑星を宇宙に探すことを極秘裏に計画し、すでに12名の宇宙飛行士を探査に向かわせ、その内の3人から居住可能な新惑星発見の連絡が入っています。
そこで、NASAは、クーパー(マシュー・マコノヒー)をパイロットとし、ブランド博士の娘のアメリア(アン・ハサウェイ)を含む3人の科学者たちから成るクルーを宇宙船に乗せて、それら3つの星に向かわせることにします。

果たして、クーパーたちは3つの惑星にたどり着くことができるのでしょうか、そして人類はその惑星に移住できるでしょうか、………?
ワームホールやブラックホールを突き抜けたりするなど、わかりにくいところはずいぶんとありますが、ワームホールを通り抜けたり、物凄い大波が主人公らの宇宙船に襲いかかる惑星があったりと、興味深い映像が次々に映し出され、169分もの長尺ながらも、結構面白く見ることが出来ました(注4)。
(以下は、様々にネタバレしていますので、どうぞご注意ください)
(2)本作は、なんだか、およそ1年前に見た『ゼロ・グラビティ』の後日譚のような印象を受けました。
宇宙に投げ出されてしまったベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)を、地球に帰還したライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)が探しに行ってワームホールかブラックホールかで出会って地球に連れ戻してくるお話、というような感じがするのです(注5)。
とはいえ、
a.本作では、クーパーとアメリアとのラブストーリーがメインではなく(注6)、クーパーとその娘のマーフとの父娘の情愛がメインで描かれています。
クーパーが宇宙から戻ってきて高齢のマーフに会うと、マーフは「私は帰ってくると信じていた。パパが約束したのだから」と言いますし、クーパーも「だから戻ってきた」と言うのです。
b.また、『ゼロ・グラビティ』は、ほとんどのシーンが宇宙空間でしたが、本作では地上のシーンの割合がかなりあります。
例えば、『ゼロ・グラビティ』の冒頭では、宇宙船の外で作業をしている宇宙飛行士らが映し出されますが、本作の最初の方では、穀物畑の中にあるクーパーの家の様子が描かれます。
特に、マーフがクーパーに、「部屋の本棚から本(7注)が自然に落ちる。幽霊がいるんだ」と言いますが、父は全然取り合いません。
その後、窓から吹き込んだ砂の有り様から地図上の座標を読み取ったクーパーは、NASAの秘密基地を突き止めます。
c.さらに言えば、『ゼロ・グラビティ』では、マット・コワルスキーがヒューストンの管制官と交わす交信内容などが大層ユーモアに溢れていて面白かったところ、本作でもクーパーが軍用ロボットTARSと交わす会話が面白いとはいえ(TRSにはユーモアがプログラムされています)、全体として随分と生真面目に制作されているように思われます。
なにしろ、独りライアン・ストーン博士の地球帰還が描かれている『ゼロ・グラビティ』とは違って、本作においては、人類全体の救出が問題となっているのですから!
(3)本作が取り上げている方面についてクマネズミの理解不足のために、ワームホールとかブラックホールといった事柄(注8)を抜きにしても、よくわからない点がいくつもあります。
例えば、
a.本作では、NASA(アメリカ航空宇宙局)がプロジェクトの中心になっていますが、そうだとすると、大砂嵐によって穀物が取れなくなって大変な事態になっているのはアメリカだけのことのように思われます。
でもアメリカだけのことなら、災害に見舞われていない国からの食料輸入によってアメリカは対応可能なのではないでしょうか(少なくとも、惑星移住を考えるまでもないように思われます)?
ただ、本作では、穀物を冒す疫病の蔓延によって空気中の酸素の濃度が低下して早晩人類が窒息するから、他の星への移住が必要なのだとされています。それであれば、大砂塵は世界的なものとされているのでしょう(大気は国別に管理されているわけではありませんから!)。
ですが、その場合には、アメリカが中心になってプロジェクトは進められるとしても、国連レベルの話でしょうし、プロジェクトには他の国の代表も参加することになり、いくらなんでもNASAが中心ということではなくなるのではないでしょうか(注9)?
b.ブランド博士はクーパーに対して、移住が見込める惑星に対して既に宇宙飛行士を派遣していると説明しますが、どうやら12の惑星に対して一人ずつしか送り込んでいないようなのです(例えば、マン博士も独りで冬眠していました)。
でも、いくら地球の資源が乏しいとはいえ、そしてそれらの宇宙飛行士が極めて勇敢だとはいえ、単独でそんな厳しい目に遭わすのは非人間的であり(注10)、また目的も十分に達成されないのでは(問題に遭遇した時に議論できる相手がいないのですから)、と思えてしまいます(注11)。
c.クーパーは、アメリアをその恋人がいる惑星にむけ発進させた後、宇宙空間に放り出されたものの、目が覚めると「クーパーステーション」内の病院のベッドの上なのです。
ただその間に、彼は異次元空間に入り込み、元の農場にあった家に戻ってマーフに会っているのです(実際には、お互いに次元が違うので、顔を合わせることはできませんでした)。
一体いつの間に異次元空間を抜けだして、通常の空間の戻ることができたのでしょうか(注12)?
(4)渡まち子氏は、「人類の存亡をかけて宇宙へ旅立つ壮大なミッションを描くSFドラマ「インターステラー」。驚愕の映像と父娘愛のドラマで、169分の長尺をグイグイ引っ張っていく」として90点を付けています。
前田有一氏は、「ノーラン監督はきっと無敵感に満ちたポジティブな人物なのだろうと、これを見ると強く思う。永遠の成長を信じて疑わぬその前向きな発想には敬意を払うが、そうした欧米的価値観はもはや時代遅れ」なのであって、「激しくかけ離れた価値観にちょいと白けさせられるクリストファー・ノーラン最新作であった」として55点を付けています。
相木悟氏は、「哲学っぽい内容ながら、普遍的な感動を呼ぶスペース・エンターテインメントであった」と述べています。
読売新聞の恩田泰子氏は、「圧巻の映像、マコノヒーをはじめとする役者の魅力を味方につけて観客の心を奪う。目の前の現実を突破して高みを目指そうとする、主人公の、監督の野心のうねりの中に身をひたす快感といったら。ああ、今、自分は映画を見ている。そんな喜びを感じさせる一本だ」と述べています。
日経新聞の古賀重樹氏は、「見渡すかぎりのコーン畑もCGでなく、実際に牧場に種をまいて育てたという。黒澤明もびっくりのアナログぶりだが、その生々しい手触りが人間ドラマを支える」として★3つ(見応えあり)をつけています。
(注1)本作の監督・脚本・製作は、クリストファー・ノーラン。
以前の作品としては、『メメント』〔この拙エントリの(2)を参照〕や『インセプション』、それにバットマン・シリーズ(残念ながらブログにレビュー記事をアップしませんでした)を見ています。
最近では、製作総指揮の『トランセンデンス』を見ています。
(注2)ダストボウルと類似の現象のように思われます。ただそれは、天災ではなく人災とされ、また特定の期間(1931年~1939年)に、特定の地域(米国のグレートプレイン)で引き起こされたものです。
(注3)「小麦の次にオクラがやられ、コーンもまもなく枯れる」などと言われています。
(注4)最近では、主演のマシュー・マコノヒーは『MUD-マッド-』、ヒロインのアン・ハサウェイは『ワン・デイ―23年のラブストーリー』、ジェシカ・チャステインは『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(シーリア役)、マイケル・ケインは『グランド・イリュージョン』(アーサー・トレスラー役)、マット・デイモンは『プロミスト・ランド』で、それぞれ見ました。
(注5)それに、両作は、SF物というとお定まりの宇宙人(あるいは異星人)的な存在が描かれないという点も類似するように思われます。
尤も、本作では、「“彼ら”」とされる者が存在するようにも言われています。でも、具体的な形姿を伴って画面に現れることはありません(もしかしたら、より進化した人類なのかもしれませんし、あるいは、単にラッキーな出来事を引き起こした原因を擬人化してそのように言っているだけなのかもしれません)。
(注6)本作の場合、妻を病気で亡くしているクーパーがアメリアに恋心を抱くにしても、アメリアには恋人のエドマンズがいるのであり、さらに彼が既に死んでいることについても、クーパーは知らないのです。

(注7)驚いたことに、このサイトの記事では、本棚から落ちた本がどういうものであるか詳しく記載されています(その中のT.S.エリオットの『四つの四重奏』については、この拙エントリの「注7」で触れたことがあります)!
(注8)このサイトの記事が参考になりました(特に、ブランド教授が引用するディラン・トマスの詩について)。
さらに、同サイトで紹介されているこのサイトに掲載されている図は非常に興味深いものがあります。
なお、『パシフィック・リム』でも「時空を超えて他の天体とつながる通路」が取り上げられていました〔同作に関する拙ブログの(3)のハをご覧ください〕。
(注9)ただ、世界的な規模のプロジェクトとすると映画が複雑になりすぎるので、そんなことは十分に承知のうえで、こうした設定になっているのでしょう。
(注10)単独で送り込むこともさることながら、行ったきりで帰還を考えないというのは、片道の燃料しか積載していなかったといわれる神風特攻隊にも似た無謀なプロジェクトのように思えます。
(注11)まあ、ラストでクーパーも、軍用ロボットTARSだけを連れてアメリアのいる惑星に向かうのですが。
(注12)よくわかりませんが、クーパーが発見されたのが、ワームホールかブラックホールの中だったために、次元を渡り歩くことができたのでしょうか?あるいは、その頃には、マーフがブラッド教授の方程式を解いていたために、人類は次元をまたぐことのできる技術を持っていたのかもしれませんが。
★★★☆☆☆
象のロケット:インターステラー
色々と「なぜ?」という部分がありましたが、観た人それぞれのツッコミ心を刺激するんでしょうね。(笑)
こうした超大作をドーンと見せられると、おっしゃるようにいろいろツッコミたくなりますが、そんなスゴイものを制作した監督たちの意気に感じて、程々にすべきではと思っています。
アメリカ=世界の感覚が抜け切れないんでしょう。
ブランド教授の理論とブラックホール、移住計画の成否の関連がわかりにくかったです。
ラストはあの手もあったんでしょうが、ほんとに再開を目指していいのかは若干引っかかりました。
おっしゃるように、ラストについては、クーパーはアメリアについてその後の情報を得ていないのようなのですから、引っかかるものを感じます。
それに、40 トラックバックと4 コメントでした。 ^^
「重力」から解放されると時間さえ自由に行き来できる「5次元の世界」があるらしいのですが、・・・果たして?
まとまりが悪く「長~いブログ記事」になってしまい、申し訳ありません。
ラスト1カット
クーパー「はっ、夢だったのか!」
すでに、救出されたクーパーがクーパーステーションのベッドで目覚めるシーンがありますから、あるいはあそこで終わりにしてもいいのかもしれません!
すぐに相対性理論の本を買ってしまいましたが、現実ではありえない環境下でのみ証明される理論を、どう理解すればいいのやら(^^;)
とにかく評価の分かれる作品であることは間違いないですね。
とりあえず久しぶりに「2001年宇宙の旅」に再チャレンジしてみようと思わせてくれた作品ではありました。
おっしゃるように、この映画を見るとたくさんの刺激を受けていろいろ調べてみたくなりますね。
拙エントリの「注8」などでも少し触れましたが、アメリカのサイトにはそうした記事が随分と沢山アップされている感じです。
また、下記のサイトでは、クリストファー・ノーラン特集をやってもいます。
http://www.wired.com/2014/11/christopher-nolan-wired-editor/
お時間があればいかがでしょうか?