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ミリキタニの猫《特別篇》

2016年09月06日 | 洋画(16年)
 『ミリキタニの猫《特別篇》』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)評判を耳にして映画館に行ってきました。
 今回は「特別編」として、2007年に公開された『ミリキタニの猫』だけでなく、新作短編の『ミリキタニの記憶』(2016年)も同時に公開されています。
 本作が始まる前に、『ミリキタニの記憶』の製作・監督のMasa(マサ・ヨシカワ)氏が舞台に登場して挨拶をし、その中で、ジミー・ミリキタニの展覧会が馬喰町のギャラリーで開催されると話していました(注1)。

 本作の始めの方では、ダンボールの箱を引いて歩く老人の姿が映し出されます。その老人は、韓国系デリの横の壁の前で道具を広げて絵を描き出します。彼の顔が画面に大きく映し出されますが、ジミー・ツトム・ミリキタニです。



 映画を撮影しているリンダ・ハッテンドーフ監督の声で説明が入ります。「ここが、有名なソーホー地区」、「いつもあそこで彼を見かけます」、「ホームレスと思っていました」、「猫の絵を数枚もらった」、「彼は代金を受け取らない」など。

 タイトルが流れ、「2001年1月ニューヨーク」の字幕。
 絵を描いている老人にカメラが近づいて、リンダ監督が「こんにちは」と言い、「撮ってもいい?」と尋ねると、老人は「ああ」と答えます。さらに、監督が「お名前は?」と訊くと、老人は「ミリキタニ」と答え、「ワシの猫の絵は大人気だ」と言い、「明日の夜、絵を取りに来なさい」と付け加えます。

 ニューヨークの市内には吹雪の警報。セントラルパークは氷点下となり、雪も降ります。
ジミーは、ビニールで覆われた場所で絵を描いています。
 監督が「寒くない?」と尋ねると、彼は「心配ない」と答えます。更に、監督が「ここで寝てるの?」と訊くと、彼は「一時的に」と応じます。

 ある時、ジミーが「頼みがある。これをシモムラさんに送ってくれ」、「この絵にはストーリーがあるが、シモムラさんならわかる」と言うので、監督はロジャー・シモムラ氏に手紙を書きます。
 シモムラ氏が本作に登場し、「私も強制収容所を描くので仲良しになりました」などと話します。ジミーも、「収容所で、3年半、絵を教えていた」と語ります。

 こんなジミー・ミリキタニに焦点を当てながら本作は綴られていきますが、さあ、どのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、ニューヨークで、猫と原爆と強制収容所を主に描くホームレスの日系人画家ジミー・ツトム・ミリキタニを描いているドキュメンタリー作品。80歳の老齢になっても、路上で元気にどんどん絵を描く姿に圧倒されますが、特に、彼が語る収容所の話とか、監督と彼との関係とかに興味がひかれます。
 なお、同時上映される新作短編は、画家に接したことのある日本人の証言を取りまとめたもので、ジミーの晩年の様子がわかります。

(2)本作については、日系人画家に関する作品という以外ほとんど何の情報も持たずに映画館に入り、タイトルから、専ら猫が登場するものとばかり思い込んでいました。
 確かに、映画の中には猫が登場し、また猫を描いたジミーの作品もいくつか映し出されます。とはいえ、専ら、ジミー・ミリキタニが戦争中から戦後にかけてどのようにアメリカで生きてきたのかがいろいろ語られているので、最初のうちは戸惑いました。
 ですが、猫を飼っているわけでもなく、猫好きでもないクマネズミにとっては(なにしろネズミですから!)、むしろとても興味深い話を聞くことができて、思いがけないプレゼントをもらったような感じになりました。

 ジミーが話す話の中心は2点です。
 一つは原爆の話。
 ジミーは、1920年のカリフォルニア州サクラメントで生まれましたが、すぐに一家は日本に帰国して広島で暮らし、18歳の時に再びアメリカに戻ります。
 彼自身は、アメリカにいたために原爆を経験していませんが、親族が原爆によってかなり亡くなったようです(注2)。
 そんなこともあるのでしょう、ジミーは、原爆ドームが赤い炎に包まれる様子を絵に描いたりします。



 もう一つは、強制収容所の話。
 ジミーは、22歳の時に、カリフォルニア州のツールレイク(Tule Lake)に設けられた収容所に送られます。
 彼はそこに3年半ほどいましたが、その時の有様をいくどとなく絵に描いたり話したりしています(注3)。



 こうした話をジミーは、リンダ監督が撮るカメラに向かって行っているのですが、「9.11」の後、咳き込んでいるジミーに対して、リンダ監督は「うちにいらっしゃい」と言うのです(注4)。
 このリンダ監督とジミーとの関係の描き方も、本作で興味深いところです。
 一方のジミーは、自分のことを「グランドマスター」「アーチスト」と言って決して卑下せず、リンダ監督を対等の同居人と見なしています(注5)。
 他方、そうすることに消極的なジミーに代わって、リンダ監督は、政府の福祉サービスが受けられるように奔走したりするなど、何かと面倒をみます(注6)。

 こうした有様のジミー・ミリキタニを本作で見ていると、いつしか、タイトルの「ミリキタニの猫」の“猫”とはジミー御本人のことではないのかと思えてきます。なにしろ、ジミーは、日本人画家としての自負が強烈にあって、決して他人に頭を下げようとせず、どんな境遇にあっても相手と対等にわたりあおうとするのであり、これは猫の特性とも言えるのではないでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「監督と被写体との信頼関係を感じる1本」として70点をつけています。



(注1)詳しくはこのHPで。

(注2)ジミーは、「母の一家は全滅した」などと話します。

(注3)ジミーは、「収容所はカリフォルニアの砂漠の中に設けられていて、ウサギが出るし、夏にはガラガラヘビも」、「収容所に送られた時に、すべて没収された」、「サクラメント生まれなのに、日本へ帰れと言われた。酷いことをする政府だ」などと話します。
 また、ジミーが絵を教えていた少年が収容所で死んだとも話します。
 こうしたジミーの話しぶりからすると、アメリカ政府の措置にひどく憤っていて、受けられるはずの政府の福祉サービスも積極的に受けようとしていないように見えます(ジミーは、福祉サービスの担当者に「何の助けも要らない」「社会保障は気にしないでくれ」「年金なんか受け取るものか」などと言います)。
 なお、下記の「注6」をご覧ください。

(注4)本作の「鑑賞ガイド」掲載のリンダ監督のエッセイ「監督の視点」によれば、「ともに過ごした期間は5ヶ月」とのこと。

(注5)例えば、「夜10時には帰宅する」と言って外出したリンダ監督が0時すぎに戻ってくると、それまで起きて待っていたジミーは、「とても心配した。夜中は危ない。外は悪いやつばかりだ」と父親のような言い方をするのです。

(注6)戦争中にジミーが市民権を放棄したりしてなかなか難しかったものの、ホームレス用の宿舎の空きが見つかり、ジミーは、リンダ監督の家からそちらに移って住むことになり、また386.34ドルの年金も受け取ることになります。
 このようにジミーの態度が軟化したことの一つのキッカケは、実際の前後関係はわかりませんが、あるいは「ツールレイク強制収容所ツアー」に参加して(2002年)、それまでのわだかまりから解放されたことがあったように思われます(ツアーが終わった後ジミーは、「いい気分だ、みな話した。みな分かってくれた。もう怒ってはいない」と話します)。



★★★★☆☆



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2 コメント

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Unknown (pu-ko)
2016-09-06 15:21:57
こんにちは。
あ、今回は特別編も上映されたんですね。
オリジナルのドキュメンタリーは、怒りに満ちていたミリキタニさんの心が穏やかになっていくところに感動しました。
晩年はお幸せだったのかな。詳細を忘れてるのでまた観てみたいです。
Unknown (クマネズミ)
2016-09-06 20:42:33
「pu-ko」さん、TB&コメントをありがとうございます。
ユーロスペースでは、9月15日まで上映しているとのこと。
お時間がありましたら、再度ご覧になってください。

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