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大統領の執事の涙

2014年02月22日 | 洋画(14年)
 『大統領の執事の涙』を新宿ピカデリーで見ました。

(1)本作は、アイゼンハワーからレーガンまで7人のアメリカ合衆国大統領に仕えた黒人執事の半生を描いた映画であり、アメリカで大ヒットしたということなので、映画館に行ってきました。

 映画の冒頭では、主人公のセシル・ゲインズフォレスト・ウィテカー)が大統領執事選考の面接に呼び出され、ホワイトハウス内にある事務室のドアの前に置かれた椅子に座っているところが映し出され、次いで彼の回想シーンとなります(注1)。
 時は1926年で、舞台はジョージア州メーコンの綿花農園。
 セシルは両親とその農園で働いていたところ、あるとき、彼の母親(マライア・キャリー)が、彼の目の前で農園主によって小屋に連れて行かれ強姦されます(それによって彼女は正気を失ってしまいます)。この行為に対し、父親は何もできませんでしたが、セシルの促しで農園主に抗議の素振りを見せたところ、いともあっさりと撃ち殺されてしまいます。
 孤児同然となったセシルを、農園にいた白人の女性・アナベス(農園主の母親?:ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は哀れんでハウス・ニガー(家働きの使用人)にしてくれ(注2)、色々仕事を仕込みます。
 ですが、セシルは、この農園にいたら早晩農園主によって殺されてしまうと思い、農園を脱走。
 といっても、外の世界は、食べ物も寝る場所もなくて農園よりも酷く、思い余ってホテルの窓ガラスを破って中に入り空腹を満たしますが、ホテルの執事のメイナードに見つかってしまいます。
 危うく縛り首になるところ、メイナードは逆にセシルをそのホテルの給仕にしてくれます。
 さらに、メイナードが、ワシントンD.C.にある高級ホテル(エクセルシオール)の給仕としてセシルを推薦してくれたことから、セシルの前途が開かれてきます。
 1957年、そのホテルにおける仕事の仕振りに目を留めたホワイトハウスのスタッフが、彼を呼び出したところで冒頭の場面につながっていきます(注3)。
 さあ、大統領府で勤務することになったセシルには、どんな風に各大統領が見えたのでしょうか、そして父親の出世に対して余り喜んだ顔をしない長男との関係は、………?

 冒頭のクレジットに「アメリカ大使館後援」とあり、実際にも、キャロライン・ケネディ駐日大使の小さいころの様子が描かれたり(注4)、オバマ大統領の選挙演説がそのまま画面に流されたりもして(注5)、何らかの政治的な背景があるのかなと思わせるものの、主人公セシルの家族関係を描く中で、南北戦争の頃にしかありえないと思っていたことが1926年当時でも行われていたことが描かれたり(注6)、黒人差別撤廃運動の流れが取り扱われたりしており、アメリカの現代史を簡単にお浚いするにはうってつけの作品といえるかもしれません。

 主演のフォレスト・ウィテカーは、『レポゼッション・メン』で見ましたが、本作では、「相手の心を読んで察する」とか「空気になる」という執事の心得を会得しているセシルを物静かに見事に演じています(注7)。

(2)本作は、実話に“inspire”された物語とされていますが、劇場用パンフレットに掲載された越智道雄氏のエッセイ「執事の涙、オバマの涙」によれば、映画で描かれる執事セシル・ゲインズのモデルとなったユージン・アレン氏は、トルーマンからレーガンまで8人の大統領に仕えているとのこと。また、ユージン・アレン氏には子どもは一人しかおらず、その長男は「国務省で穏やかな人生を歩んだ」とのこと(注8)。

 本作では、トルーマンの次のアイゼンハワーの時にセシルはホワイトハウスで勤務することになりますが(注9)、こうしたのはおそらく、トルーマンには黒人差別撤廃運動に関係する事績が見当たらず、他方、アイゼンハワーは、登校する黒人生徒を軍隊を使って守る措置をとったためではと思われます(リトルロック高校事件)(注10)。
 ケネディ大統領についても、キューバ危機ではなく、公民権法案の議会提出に際しての演説が描かれます。

 とはいえ、本作のフィクションの部分で一番大きなものは、セシルの子どもの設定でしょう。特に長男のルイスデヴィッド・オイェロウォ)は、ユージン・アレン氏の長男とは異なり、南部の大学に行ってから黒人差別撤廃運動にのめり込んでいきます(注11)。
 こうした作りのフィクションによって、シット・イン運動やフリーダム・ライダーズ運動とか、はてはブラックパンサー党といったものまで、黒人差別撤廃運動が本作において具体的に描き出されるようになったものと思われます(注12)。
 加えて、「父さんは世の中を良くするために白人に仕えている」とルイスに語るセシルの微温的ながらも地に足の着いた姿勢も浮き彫りになるでしょう(注13)。

 本作は、ドキュメンタリー作品ではなく劇映画ですから、いくらでもフィクションが取り入れられるのは当然のことです。そのこと自体をとやかくいうべきではないと考えます。
 ですが、こうしたフィクションの作りによって、映画全体が教科書的なもののなってしまったのは否めないのではないでしょうか?黒人差別撤廃に関する動きが、ホワイトハウスの内外で次々に起こり、それが本作で綴られていくのですから、まるで歴史年表を見ている感じにとらわれます。
 本作を制作したリー・ダニエルズ監督(注14)は、劇場用パンフレットに掲載された監督インタビューの中で、「これは公民権運動の物語である以上に、父と息子の物語だ」と述べていますが、逆に「父と息子の物語」という枠組みの中で「公民権運動の物語」に焦点を当てて描いた映画ではないか、というように思えてしまいます(注15)。

(3)渡まち子氏は、「白人にとって都合のいい黒人を演じることで家族を守るしかなかったセシルの複雑な心情を、フォレスト・ウィテカーが静かに熱演している」として70点をつけています。
 また、前田有一氏は、「現実主義に生きて実際に家族を守り続けた父と、理想に燃えて家族を危険にさらしている息子の対照的な価値観は、物語をエキサイティングに彩る」が、「もしかしたら、意外にもこの映画があなたの価値観をひっくり返してくれるかもしれない。少なくとも、違う意見にも傾聴の価値があることは、説得力を持って教えてくれる。その意味で、奴隷制とはあまり縁のない日本人観客にも楽しむ余地がある映画といえる」として65点をつけています。
 さらに、相木悟氏は、「アメリカ史における黒人社会の変転を学びながら、普遍的な家族ドラマが心に響く感動作であった」と述べています。



(注1)ここで、マーチン・ルーサー・キング牧師の「闇は、闇で追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする。憎しみは憎しみで追い払うことはできない。愛だけがそれを可能にする」という言葉が紹介されます。

(注2)セシルを助けたメイナードは、「ハウス・ニガーと言うな、それは白人の言葉だ」と言います。

(注3)それまでにセシルは、ホテルで出会ったグロリアオプラ・ウィンフリー)と結婚し、ルイスチャールズの二人の息子を設けています。



(注4)ケネディ大統領(ジェームズ・マースデン)の一家と執事たちとの初対面の際に、キャロラインが落とした人形をセシルが拾ってあげたり、キャロラインにセシルが絵本を読んだりする場面があります。



(注5)さらには、ジョンソン大統領(リーヴ・シュレイバー)のベトナム戦争とか、ニクソン大統領(ジョン・キューザック)の「ウォーターゲート事件」とかが、簡単ながらも取り扱われたりします。

(注6)黒人が縛り首にされている画像が2度ほど出てきたりします。

(注7)本作には、ほかにニクソン大統領役のジョン・キューザック(最近では、『ペーパーボーイ』で見ました)や、レーガン大統領の夫人役としてジェーン・フォンダこのエントリの(2)で若干触れました〕、ケネディ大統領役のジェームズ・マースデン(『運命のボタン』で見ました)、セシルの母親役のマライア・キャリー(『プレシャス』に出演)などが出演しています。

(注8)本作を巡るフィクションと事実との関係については、より詳しくは、例えばこのネット記事を参照して下さい。例えば、1926年の綿花農園のエピソードはフィクションだとされています。

(注9)ユージン・アレン氏は1952年からホワイトハウスで勤務しますが、セシルは1957年から。

(注10)本作でも、「大統領の英断だった。はじめて黒人を守るために軍隊が使われた」と強調されます。

(注11)次男のチャールズは、親のすすめる大学に入り、その後ベトナム戦争で戦死するのです(ちなみに、上記「注8」で触れたネット記事によれば、ユージン・アレン氏の長男もベトナム戦争に従軍したものの、無事に帰還したとのこと)。

(注12)言うまでもありませんが、シット・イン運動などの黒人差別撤廃運動がフィクションだと申し上げているわけではありません。

(注13)家に戻ってきたルイスが、『夜の大捜査線』のシドニー・ポワチエのことを「白人に受け入れられやすい黒人。外見は黒人だが中身は白人」などと言って貶したところ、セシルは頭にきて、「この家から出て行け」と怒鳴ってしまいます。その不和は18年後まで解消されませんでした。



(注14)同監督は、傑作『ペーパーボーイ』を制作しました。
 つまらないことですが、劇場用パンフレットに掲載の監督インタビューで同監督は、デンゼル・ワシントンやウィル・スミスに主役を断られてと述べていますが、別のインタビュー記事では、「デンゼルは断ってないよ。オプラもそうだけど、僕らは日ごろから何か一緒にできないかと話をしている間柄だ」と述べています。
 なお、同インタビュー記事で、同監督は自身のことを「ゲイだよ」と述べています。

(注15)本作を見る前は、例えばケネディ大統領が、地下の秘密の通路(このエントリの「注11」を参照)を使って外に出てマリリン・モンローと逢引するのを執事がサポートする場面とか、クリントン大統領とモニカ・ルインスキーとの不倫現場を執事が覗き見するシーンでもあるのかなと期待したのですが、本作ではそういう視点はマッタク受け入れられません!



★★★☆☆☆



象のロケット:大統領の執事の涙