映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

アメリカン・ハッスル

2014年02月14日 | 洋画(14年)
 『アメリカン・ハッスル』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)本作は、今度のアカデミー賞にノミネートされているというので(注1)、映画館に行ってきました。

 映画の冒頭は、1978年4月28日、ニューヨークにあるプラザホテル内の一室。
 主人公のアーヴィンクリスチャン・ベール)が、ハゲを隠そうと、鏡を見ながらヘアピースをつけたり、櫛を使ったり、スプレーをかけたりしています。身だしなみをよく整えてから隣室に入ると、ビデオ録画装置などを点検しているチームが待機中。そこへまずシドニーエイミー・アダムス)が、次いでリッチーブラッドレイ・クーパー)もやってきます。
 でも、どうもこの3人の関係はうまくいっていない感じ。
 アーヴィンが、シドニーとリッチーとの関係を暗に詰るようなことを言うと、リッチーは「彼女には全然触れてない」と言いながら、突然アーヴィンの髪の毛をいじくりまわします。



 アーヴィンは内心怒りながらも黙ってそれに堪え、「そんなことすべきじゃなかった」と言いつつシドニーがアーヴィンの髪を整え直します。
 リッチーは、「早くやろう」と言い、手にしたブリーフケースに金が詰まっていることを確認します。
 3人は、表面は親密な感じを出しながら他の部屋に入ると、そこにはニュージャージー州カムデン市のカーマイン市長(ジェレミー・レナー)とその連れが。
 席につくと、リッチーは「受け取っていただかないと、シークに対し失礼となります」と言いながら、足元に置いたブリーフケースを市長たちの側に押し出します。
 ですが、市長は危険を察知し、連れが「自分が上手くやるから」と言うのも聞かずに、「私はシークに会いに来ただけだ」と叫んでその部屋を飛び出してしまいます。

 一体どうしてこんなシチュエーションになったのでしょう?
 アーヴィングたちは何者なのでしょうか、市長をどうしようとしたのでしょうか?
 どうやら今回の作戦はうまくいかなかったようですが、彼らの企みは、果たして成功するのでしょうか、………?

 本作は、邦画の『カラスの親指』のようにコンゲームを描いた作品ながらも、1979年にアメリカで起きた「アブスキャム事件」といわれる収賄汚職事件を題材にしたストーリーがなかなか良く出来ており(注2)、おまけに出演者がとびきり豪華ときていますから、十分楽しめました。

 なにしろ、バットマン・シリーズのクリスチャン・ベール、『世界にひとつのプレイブック』で昨年のアカデミー主演男優賞にノミネートされたブラッドレイ・クーパー、『ザ・マスター』で昨年のアカデミー助演女優賞にノミネートされたエイミー・アダムス、主演した『ハート・ロッカー』が2009年のアカデミー作品賞を受賞したジェレミー・レナーなどが出演しているのですから(注3)、面白くない訳がありません

(2)映画冒頭のエピソードに至る経緯やその後の出来事を描き出すことが本作の中心となっていて、それらを明かしてしまうと本作の面白さが消えてしまうので、続きは是非映画館でお楽しみいただきたいと思いますが、ただそれでは埒が明きませんから、少しばかりネタバレしましょう。

 主人公のアーヴィンは、冒頭のエピソードからもある程度わかるように、外見を至極大事にする詐欺師ですが、プールパーティーで出会ったストリップガールのシドニーに惚れ込んで(注4)、詐欺のパートナーにします。



 ただ、シドニーは、アーヴィンに妻・ロザリンジェニファー・ローレンス)とその連れ子・ダニーがいて別れられないのを知ると、後から仲間に加わった(?)リッチーの方に心を動かします。でも、リッチーの方にも婚約者がいることがわかったりして、話はこんがらがってきます。

 ここで鍵となるのがロザリンでしょう。彼女のことをアーヴィングは「the Picasso of passive aggressive karate」だと言い(注5)、情緒が酷く不安定で(注6)、本作の中でも色々なことをしでかしアーヴィングらが振り回されます。



 このように本作は、複雑なコンゲームを描いているのみならず、人間関係も入り組んだものになっていますから、最初のうちは状況を把握しづらいのですが、その霧が次第に晴れてくると、逆にその面白さに引き込まれてしまいます。

(3)本作はコンゲームを取り扱っている作品であり、丁度今、佐村河内守氏の問題(注7)が騒がれていることからも、両者の類似点に興味が湧きます(注8)。

 まず、風貌の点からすると、サングラスをかけ身だしなみに注意を払うという点で、佐村河内氏とアーヴィンは似ているように思われます。
 また、出自をアピールする点(一方は原爆2世、他方はイギリス貴族)も似ている感じです。
 さらに、両者とも随分と大きな話になっています〔一方はNHKでも大きく取り上げられ全国的な規模の話になりましたが(米週刊誌『タイム』の2001年9月15日号にも取り上げられましたから全世界的な規模といえるかもしれません)、他方もアメリカ政界を揺るがす事件となりました〕。
 もっと言えば、一方は音楽が関係しますが、他方は、元々アーヴィンが手がけていたものには絵画方面の詐欺が含まれていて、両者とも芸術に関係しています。

 と言っても、両者の間にはかなり違いも見受けられます。
 なにより、佐村河内氏の問題には、今のところまだ官憲の関与はなさそうですが(注9)、本作の場合は、官憲が事件に深く入り込んでしまっています。
 また、本作の場合、シドニーという女性の役割が大きいのに対し、佐村河内氏の問題においては、女性の影はそれほど見えてきません(注10)。

 もうしばらくしたら、日本でも、今回の佐村河内氏を巡る問題が映画化される事態にでもなるのでしょうか?

(4)渡まち子氏は、「詐欺師とFBIが組んでおとり捜査作戦を遂行するエンタメ・サスペンス「アメリカン・ハッスル」。出演俳優の演技のアンサンブルが最高だ」として75点をつけています。
 前田有一氏は、「何かがおかしいのに、悪い奴が見あたらない。そんな現実感=リアリティこそが、私たちを落胆させる。だが、それでもこの映画を見た後に絶望感はない。それどころか、ほのかな希望すら感じさせる。だから「アメリカン・ハッスル」はすばらしい」としながらも55点しか付けていません。
 相木悟氏は、「まさに観る者を虚像テーマパークに誘い込み、人間の本質を笑い飛ばす一大エンターテインメントであった」と述べています。



(注1)2014年アカデミー賞において、本作は、作品賞、監督賞、主演男優賞(クリスチャン・ベール)、主演女優賞(エイミー・アダムス)、助演男優賞(ブラッドリー・クーパー)、助演女優賞(ジェニファー・ローレンス)、脚本賞、美術賞、衣装デザイン賞、編集賞にノミネートされています。

(注2)映画の冒頭で「実話を含む物語」とされます(「the following is loosely based on a true story」)。
 なお、タイトルにある "hustle" は、俗語で「詐欺」という意味で使われています(この記事を参照)。

(注3)その他に、『世界にひとつのプレイブック』でアカデミー主演女優賞を受賞したジェニファー・ローレンス、それにロバート・デ・ニーロ
 なお、クリスチャン・ベールは『ザ・ファイター』で、エイミー・アダムスは『人生の特等席』で、ジェニファー・ローレンスは 『ウィンターズ・ボーン』や『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』で、それぞれ見ました。また、ロバート・デ・ニーロは『陰謀の代償』や『トラブル・イン・ハリウッド』などで見ています(『世界にひとつのプレイブック』も映画館で見ているのですが、レビュー記事を書きませんでした)。

(注4)デューク・エリントンの「ジープス・ブルース」を二人で聴いたりします(この曲は本作のラストでもう一度流れます)。
 ちなみに、劇場用パンフレットに掲載の村尾泰郎氏のエッセイ「70年代のヒット曲が浮かび上がらせる、夢破れた者たちの人間模様」には、映画で流れる70年代ヒット曲のあれこれが巧みに解説されています。
 なお、シドニーは、クイーンズ・イングリッシュを巧みに操り、イギリスの貴族という触れ込みで詐欺を働きますが、冒頭のエピソードでもクイーンズ・イングリッシュを使っています。

(注5)意味するところがよくわかりませんが、アーヴィンは、ロザリンについて、相手の攻撃を受けて反撃に転じる空手のような性格だと言っているのかもしれません(例えば、点けっぱなしの太陽灯で火を出してしまったロザリンのことをアーヴィンは強く非難するのですが、ロザリンは、太陽灯は元々危険なもの、そんなものを家においておくほうが悪いと開き直ります)。そしてそれは、丁度、様々な世の中の動向の影響を受けて作風を変えていった、あるいは生涯に渡り何人もの女性を遍歴したピカソのようだ、ということなのでしょうか?

(注6)なにしろ、アーヴィンとロザリンの関係は壊れかけているのに、ロザリンは、「私と離婚したら、子どもの親権は自分がとるし、あなたの違法行為もバラす」などと言って離婚しようとしないのです(アーヴィンは、ロザリンの連れ子・ダニーを自分の子供のごとく溺愛しているのです)。
 なお、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、ロザリンを演じるジェニファー・ローレンスは、「ロザリンは躁うつ病で、感情の浮き沈みが激しい」と言っているとのこと。そうであれば、彼女が『世界に一つのプレイバック』で演じたティファニーと同じように、ロザリンは「双極性障害」を抱えているということになるでしょう(評論家・粉川哲夫氏も、この記事で同じように指摘しています)。

(注7)佐村河内氏の件については、2月12日に、彼の謝罪文が明らかになりました。
 そこでは、「(ゴーストライターの)新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです」とされていますから、実際の作曲行為をしていないことがはっきりとし、さらに耳の問題についても、「実は最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています」とあることを踏まえれば、おそらく最初から全聾ではないものと考えられます。従って、彼の言動は全て虚偽だったということになるでしょう。

 ところで、本件についてネットを調べてみると、大体次のように対応が分かれる感じです。
 一方に、あくまでも「交響曲第1番《HIROSHIMA》」の出来栄えを支持する作曲家・吉松隆氏がいるところ(音楽評論家・仲山ひふみ氏もどちらかといえばこちらに属するのでしょうか)、他方で、その曲の意義を否定する指揮者・大野和士氏(江川紹子氏へのメール)がいます。
 さらに、同じく東大准教授・伊東乾氏(連続掲載の1回目2回目、そして3回目)は、曲の意義を否定しつつ、佐村河内守氏を「偽ベートーベン」と貶す一方で、影の作曲者・新垣隆氏を被害者だとして強く擁護します(「「詐欺」の本体は、もっぱら偽ベートーベン側が考え、実施したもので、善意で裏方に徹することにした新垣君は、その都度「買い取り」譜面を提供した後、………その実大半は知らずに過ごしていたのにほかなりません」)。

 クマネズミとしては、全曲を心して聴いたわけではないながら、そしてズブの素人ながら、この曲はやっぱり紛い物ではないかと思えてしまいます。というのも、「交響曲第1番」の終楽章はマーラーのパクリでしょうし(例えば、池田信夫氏のこの記事)、さらに、新垣氏がその著作権をすべて放棄していることも考え合わせると(新垣氏は、それらの曲に、自分の曲として愛着を抱いていないのでしょう)、クラシック音楽としてクリエイティブなところが余り感じられないからですが。
 〔ただここらあたりは、例えば、ジブリのアニメ映画によく使われる久石譲氏の音楽にクリエイティブなものがあると考えるのかどうか、もっといえば、AKBの曲は通俗的なものにすぎないがモモクロは別、いいやそうではないと考えるのかのかどうかといった、よくわからない問題に通じるような気もします〕
 また、伊東氏がいくら熱心に新垣氏を擁護しようとも、『鬼武者《交響組曲ライジング・サン》』の新垣隆氏による楽曲解説を読むと(このサイトに掲載)、この段階で新垣氏は佐村河内氏のパフォーマンスに加担しているようにも思えるところです。

 というところから、佐村河内氏関係の曲については、関係者もろとも屑籠に入れてしまうのが適当なのではと密かに思っています。

(注8)とはいえ、今回の佐村河内氏の問題は、まだ詐欺罪として立件されているわけではなく、明らかに詐欺(例えば、5,000ドルの手数料を支払えば、ロンドンの銀行から5万ドルの融資を受けられるという話をします)を行っていたアーヴィンらとあまり直接比べる訳にはいかないかもしれませんが。

(注9)佐村河内氏への障害者手帳交付に関し、横浜市が調査を行うとのことですが。

(注10)上記「注7」で触れた佐村河内氏の「謝罪文」では、彼の妻の関与は否定されています。ですが、妻の母親が、指示書につき「あれは娘の字」と述べているところから、一定の関与はあったものと想像されます。



★★★★☆☆



象のロケット:アメリカン・ハッスル