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ビフォア・ミッドナイト

2014年02月07日 | 洋画(14年)
 『ビフォア・ミッドナイト』を渋谷文化村ル・シネマで見ました。

(1)同じ監督(リチャード・リンクレーター)と同じ二人の俳優(イーサン・ホークジュリー・デルピー)で制作された2作品〔『恋人までの距離(ビフォア・サンライズ)』(1995年)と『ビフォア・サンセット』(2004年)〕―以前、DVDで見たことがあります―の第3作目ということで見に行ってきました(注1)。

 第1作目で、学生のジェシーイーサン・ホーク)とセリーヌジュリー・デルビー)は、ヨーロッパの長距離列車の中で出会い、一晩ウィーンの街を歩き回ります。そして、9年後の第2作目では、パリの書店で二人は再会します(ジェシーは、自分が書いた小説のプロモーションのためにパリに来ていました)(注2)。

 さらにその9年後を描く本作では、41歳のジェシーが、第2作目での再会後ずっと一緒に暮らしていたセリーヌとともに(注3)、ヴァカンスの間、ギリシャに滞在しています(二人の間に出来た双子の娘・エラニナも同行しています)。



 そこには、ジェシーの息子ハンク(注4)も米国から来ていましたが、ヴァカンスが終わるので、養育権を持つ母親が暮らすシカゴに飛行機で戻ってしまいます。
 ハンクを見送ったジェシーは気持ちが落ち着かず、空港から戻る車の中でセリーヌと言い争い、2人の間に亀裂が入ってしまいます。さあ、二人の関係は一体どうなるのでしょうか、………?

 第1作や第2作とマッタク同じように、本作でもジェシーとセリーヌがお互いに喋りまくります。それも、何の気なしに始められたたたわいない会話が、いつの間にか険悪なものに変質していき、ついには破局寸前のところまで辿り釣って着いてしまう展開ぶりを見ると、実に入念に練り上げられた脚本だなと感心してしまい、さらにその台詞をまるで即興のごとくごく自然に口にしてしまう2人の俳優には目を見張ってしまいます。

(2)ジェシーとセリーヌは、ギリシャの作家であるパトリックの招待で、その別荘にやって来ましたが、ペロポネソス半島の海岸縁に設けられている別荘は勿論のこと(注5)、周辺の遺跡や自然の景観はとても素晴らしいものです。
 特に、最初の方に出てくるメッシーニ遺跡(注6)は随分と広大で、その遺跡のソバを通る道路をジェシーが運転する車が走ります。

 ジェシーたちは、ハンクをカラマタ国際空港で見送ったばかりで、滞在先の別荘に戻るところ。
 初めのうちは、車の中で、環境問題に取り組んでいるセリーヌが、上司の横暴に耐えかねて転職を決めたことを話したり、ジェシーが後ろで寝ている娘・エラの食べかけのりんごを食べてしまったりしています。
 そうこうするうちに、車はメッシーニ遺跡を通りすぎてしまい、セリーヌが「娘たちが見たがっていたのに」と不満を漏らすと、ジェシーは「ヴァカンスからパリに帰る時に立ち寄ろう」と答えますが、どうやら彼は、ハンクとの別れで受けたショックから立ち直れておらず(注7)、注意散漫な様子。
 ハンクから離陸する旨の連絡が入ると、ついにジェシーは、「もう耐えられない、毎年、クリスマスなどのたびに米国へ送り返すのは」と言ってしまいます。
 これに対してセリーヌは、「うちに呼び寄せれば」と応じますが、ジェシーは、「母親が絶対に許さない」と言い、さらに「ハンクはじきに14歳、父親が必要な時だ」と言います。
 すると、セリーヌは「私は米国には行かない」と答え、さらに「おしまいね。破局の始まりだわ」と言い出します。
 ジェシーは驚いて「何を言い出すんだ」と叫びますが、セリーヌは「私は東へ。あなたは西へ。終わりの始まり」と繰り返します。
 この話は、スーパーに着いて買い物をするために皆が車から降りることになって一度は中断するものの、結局最後まで何度も蒸し返されることになり、厳しい局面にも到達してしまいます(注8)。

 本作を見終わってから最初の車のシーンを振り返ってみると、ここでの会話が本作全体のトーンを作り出していることがわかり、たかだか15分あまりの間に随分と様々のものをつめ込んだものだと、脚本家(リチャード・リンクレーター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー)の手腕に敬服してしまいます。

 なお、ラストのシーンを見れば、更に9年後、子供たちは皆親元を離れてしまい、この二人だけは一緒に暮らしていて、相変わらずマシンガントークを繰り広げているのではないか、と想像したくなるのですが(でも、その場所は一体どこになるのでしょうか?)。



(3)渡まち子氏は、「運命的に出会った男女のその後を描く「ビフォア・ミッドナイト」。リアルな会話が延々と続くが、先が読めない展開はなかなかスリリング」として65点をつけています。



(注1)最近では、イーサン・ホークは『クロッシング』で、ジュリー・デルピーについては、『ニューヨーク、恋人達の2日間』で、見ました。

(注2)第2作目のDVDは、ジュリー・デルピーが出演した『パリ、恋人たちの2日間』を見た後に見たのですが(2008年6月)、その際友人に送ったメールに、「その会話シーンは半端なものではありません。男性の方が、小説家となって自分の本の売り込みにニューヨークからパリにやってきて、記者会見をしている書店で女性に遭遇するのですが、米国に戻る飛行機に乗るまでのわずかな時間、二人はしゃべり通しにしゃべるのです!それが、ほとんどドキュメンタリーといっていいほど、二人の会話と演技がナチュラルに見えます(というか、二人が再会してからラストまで、中断なしにリアルタイムで事態が進行しているかのように映画が作られており、一体どうやったらあれほどの濃密な会話劇を長時間演じることができるのか、と不思議な感じがしました)」と書きました。

(注3)その間、ジェシーは米国に残してきた妻と別れ、またセリーヌも恋人と別れたようです。

(注4)ジェシーの別れた妻との間にできた子供(第2作の時は4歳とされています)。

(注5)別荘の石段を降りて行くと、そこには綺麗な地中海が広がっているのですから(劇場用パンフレット掲載の「ロケーション・マップ」によります)。

(注6)例えば、このサイトこのサイトを参照。

(注7)空港でジェシーは、ハンクに、サッカーのことを尋ねると、ハンクは「もう続ける気がしない」と答え、また「演奏会には行けるようにする」と言うと、ハンクは「来なくていいよ。来るなら普通の週末にして。ママはパパを嫌っているんだ」などと応じ、ハンクがジェシーから次第に遠い存在になりつつある様子が伺われます。それでも、別れ際には、ハンクは「人生最高の夏だった」などとジェシーに言うのですが。

(注8)ジェシーとセリーヌは、別荘とは別のホテルに行って二人だけで泊まることになります。その際、ジェシーはセリーヌに、「アメリカで一緒に暮らせる方法はないか考えよう」と言うと、セリーヌは、「共同親権が得られるならアメリカに行ってもいいけど、そうでなくて1週間に1度会うためにそうするのは馬鹿げている」と答え、果ては「私が重要な仕事をして成功するのが嫌なんでしょ」と言い、ついに「もう愛していない」と言って部屋を飛び出してしまうのです。



★★★★☆☆



象のロケット:ビフォア・ミッドナイト