映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

小さいおうち

2014年02月04日 | 邦画(14年)
 『小さいおうち』を、吉祥寺バウスシアターで見ました。

(1)山田洋次監督の新作ということで映画館に行ってきました(注1)。

 本作は、中島京子氏が直木賞(2010年上期)を受賞した同名の小説(文春文庫)に基づくもの。
 戦前の山の手(注2)の丘の上に建てられた赤い屋根の「小さなおうち」に住む一家〔夫・平井雅樹片岡孝太郎)、妻・時子松たか子)、長男・恭一〕と、そこに住み込んでいた女中・タキ黒木華)を巡るお話です。



 映画の冒頭では、タキの親戚の荒井軍治(注3:小林稔侍)や、健史妻夫木聡)と康子夏川結衣)が(注4)、火葬場の煙突から立ち上る煙を見上げています。
 荒井軍治が「一人で死んでたか、タキばあちゃんは?」と訊くと、康子が「こんなことになるなら。一緒に暮らそうと言ったのに、絶対に嫌だと言って」と答え、さらに軍治は「健史が第1発見者か?」と尋ね、健史が「うん」と応じます。そして、軍治は「俺もお前たちも、大分世話になった。俺、あのばあちゃんは死なないと思ってた」と言います(注5)。

 ついで、タキが暮らしていた家の整理をしている軍治ら3人のシーン。
 康子が、「健史にやってください」と書かれた紙が貼られた箱を持ってきます。健史がその箱を開けると、中からはノートや未開封の手紙が。
 ノートを見た健史が「おばあちゃん、自叙伝書いてる」と言うと、康子は「頭が良かったからね」と応じます(注6)。

 以降、映画は、老齢のタキ倍賞千恵子)がノートに書き綴った自叙伝を読むという形で展開しますが、途中で何回か、タキが、甥の息子の健史にけしかけられて自叙伝を書き進む場面が挿入されます(注7)。



 とはいえ、映画の大部分は、昭和10年ころから終戦直前までの平井家で起きたことが描かれます。
 なかでも、雅樹が勤務する玩具メーカーに入社した美大出のデザイナー・板倉吉岡秀隆)を巡る恋愛事件に焦点があてられます。



 さて、その話とは一体どんなものだったのでしょうか、………?

 細かいことをいうと色々難点がある感じですが、昭和10年ころから終戦直前までの日本の雰囲気が、従前の軍国主義一色という描き方からはずれて斬新な視点から描かれています。さらに、その雰囲気の中にミステリアスで謎めいた話が仕込まれていて、それがラストの方で解き明かされていくという構成も面白いと思いました。

 俳優陣も皆好演していますが、特に、松たか子の着物姿は、さすが梨園で育った役者なのだなと目を見張りましたし、黒木華の演技にも感心いたしました(注8)。

(2)本作は、原作をかなり忠実に実写化しているものの、重要な点で設定を変更しているように思われます(映画と原作とは別物ですから、そのことに自体には何の問題もありません)。
 というのも、本作では時子と雅樹(注9)との間にできた子供に見える恭一について、原作では、時子の連れ子で、その父親は事故死(「雨の夜に工場の外階段で足を滑らせた」P.22)を遂げていると述べられているのです。
 さらに、タキは、「旦那様からは、男の人の匂いがしなかった。ああ、そういうことだったのだと、わたしはあの時(タキと雅樹が二人だけで「小さいおうち」で暮らしていた2週間)に初めて気づいた。奥様が再婚してから赤ちゃんに恵まれなかったのには、理由があったのだと。旦那様は私を、一度も変な目でごらんになったことがない」などとノートに書いています(P.64)。
 この点が重要なのは、原作においては、これが時子と板倉の恋愛事件の伏線になっていると考えられるからです。
 逆に、本作の場合、なぜ時子が突如としてあれほど板倉にのめり込んでしまったのかについて、その背景が大層曖昧にしか描かれていないように感じられるところです(注10)。

(3)もう一つだけ言うと、本作のタイトルは「小さいおうち」とされ、タキが小説家(橋爪功)の妻(吉行和子)に連れられて平井家に初めて行くシーンから、映画の大部分はその家の中の出来事として描かれています。
 それで、否応なくその家自体にも注目せざるをえないところです。
 まして、その家は赤い三角屋根のモダンな建物であり、デザイナーの板倉が「この家、どんな人達が住んでいるのかと、前から興味があった」とタキに言っているくらい目立つ存在なのです。



 にもかかわらず、昭和10年に建てられたと説明があるだけで、どうしてこんな斬新なデザインの家が建てられることになったのかの経緯が何も語られないのは、至極残念な気がしました(注11)。

 そういえば、亡くなったタキの遺品の中に、タキの寝室の壁にかけられていた“赤い屋根の家を描いた絵”があり、それを健史達は簡単に廃棄処分にしていましたが、この絵は、本作の「プロダクションノート」によれば、「それは板倉正治が描いた大切な絵」なのです。
 ということは、タキは戦後に、戦地から戻ってきた板倉と連絡を取り合っていたということではないでしょうか(注12)?

(4)渡まち子氏は、「時代が許さなかった恋愛を静かにみつめるまなざしを強く感じる作品に仕上がっている。倍賞千恵子、吉岡秀隆ら、山田組おなじみの俳優が安定感を与えている。和洋折衷の昭和モダンを再現した美術が味わい深い」として65点をつけています。
 また、秦早穂子氏は「ひとりの女が片隅から見ていた事実と真実。その記憶を通し、伝えたいものは何か? 戦争に巻き込まれながらも、生きようとした人間の息遣い。原作中島京子。監督・脚本山田洋次。彼の最近作の中で最も芯がある。老若ふたりのタキを演じる、倍賞千恵子と黒木華が光る」と述べています。
 さらに、村山匡一郎氏は、「山田監督には珍しく不倫という家族の秘密が物語の書くとなっているが、妙味は時子に憧れるタキが板倉に恋心を抱いていたこと。彼女の秘められた愛と嫉妬が家族の秘密を明かす謎解きに一種のサスペンスの味わいを加えて面白い」として★4つをつけています。
 ただ、相木悟氏は、「新しい視点で過去に切り込み、現代を照射する意欲的な一作ではあるのだが……」と疑問を呈しています。



(注1)山田洋次監督の作品としては、最近では、『おとうと』や『東京家族』を見ています。

(注2)原作には記載がありませんが、本作で平井雅樹が差し出す名刺に「大森區雪ヶ谷」とあったように思います。

(注3)原作によれば、タキの甥で、タキの姉の息子(P.301)。
 ちなみに、原作では、タキは6人兄妹で、兄2人、姉2人、それにタキと妹。

(注4)映画のオフィシャルサイトの「キャスト」によれば、「新井健史 妻夫木聡」「荒井康子 夏川結衣」となっていますから、たぶん二人は軍治の子供とされているのでしょう〔この場合、軍治がタキの姉の息子なのか妹の息子なのかによって、健史にとってタキが“大伯母”になったり“大叔母”になったりするのかもしれません〕。
 ですが、原作によれば、二人はタキの妹の孫、すなわち軍治とは別の甥の子供(P.281)とされていて、軍治の子供ではありません。

(注5)原作では、荒井軍治について、「法事でもなければ(健史は)挨拶もしない相手」とされていますし、さらにまた、彼は、戦時中と終戦後の一時期はタキと一緒に暮らしていたものの、その後疎遠になっていたと述べられていますから、映画のように、タキの葬式で久しぶりに顔を会わせた二人から、軍治が事情を説明してもらってもおかしくはないと思われます
 でも、映画では、そんな疎遠な親戚の軍治が、葬儀の後、康子と健史と一緒になって親しげにタキの遺品の整理をしています。このシーンからすると、軍治と健史・康子は親子関係にあるように見えてしまいますし、現にそういう設定なのでしょう。しかしながら、その場合には、軍治がタキの死んだ時の有り様を火葬場で初めて二人に尋ねるというのはおかしな感じになってしまいます(当然のことながら、健史はタキの死を葬儀の前に父親に報告しているでしょうから)。

(注6)映画の中の健史は、タキが自叙伝をノートに書いていることは十分に知っていましたから、この台詞には違和感を覚えますが、原作によれば、ある時からタキはそれを隠してしまい、健史もノートの在処がわからなかったようです。そうだとしたら、本来的に健史の台詞は「こんなところに隠していたのか!」ぐらいになるのではないでしょうか?

(注7)タキが書いた自叙伝通りに戦前の有り様を描くと、現代人が違和感を覚えると考えたのでしょうか、本作では(原作もそうなっているのですが)、タキの書きぶりについて健史にいろいろ批判めいたことを言わせています。
 例えば、昭和11年、アジアで初めてのオリンピックが昭和15年に東京で開催されることが決まり、主人の雅樹が「これで会社の玩具がどんどん売れる」「キューピーがアメリカですごい売れ行きだ」などと興奮していた様子をタキがノートに書いたところ、大学生の健史は、「昭和11年といえば2.26事件があり、軍国主義の嵐だった。その頃に日本人がそんなに浮き浮きしているはずがない。美化しないでありのままに書くべき」とケチを付けます。
 ですが、学校で現代史のことを習わないのが通例の現代の若者が、2.26事件のあらましはともかく、それが起きた年号を正確に知っているはずがないように思えますし、そんなことが健史の口から言われると、むしろタキの描いている方が実際のことであり、その批判は、戦後流布している杓子定規な見方を単にオウム返しにしているにすぎないと思えてきます。
 あるいはまた、健史の批判を、本作に対して起こりうる批判の先取りと受け止めることもできるかもしれません(丁度、『R100』の中に、同作の試写を見て酷評するプロデューサーを登場させているのと類似しているようにも思われるところです)。

(注8)最近では、松たか子は『夢売るふたり』〔このエントリの(2)を御覧ください〕、黒木華は『シャニダールの花』、片岡孝太郎は『終戦のエンペラー』、妻夫木聡は『ジャンジ!』でそれぞれ見ました。

(注9)本作の雅樹の年格好はわかりませんが、原作では時子よりも「十幾つも年上で中年」とされています(P.28)。また、「旦那様は老け顔だったので、下手をすると親子のように見えることがあった」ともタキは述べています(P.169)。

(注10)これは映画を見る方が想像すればいいことかもしれません。強いて挙げれば、時子は、板倉の若さと芸術家肌のところ(美大出のデザイナーですし、ストコフスキーを知っているなどクラシックにも精通していたり、『オーケストラの少女』という映画を二人は見ていたりします)に惹かれたというところでしょうか。

(注11)この赤い三角屋根の洋館は、劇場用パンフレット掲載の「時代にまつわるキワード」にある「文化住宅」に該当するようで、また同じパンフレットに掲載されているインタビューにおいて、美術担当の出川三男氏は、「当時のモダンな家の典型的なパターンだった」とか、「昭和初期に出た建築雑誌とかそういうものを調べたら、まさにああいうおうちがいっぱいあるんです、図面の中に」と述べていますが、それでも当時は板倉が注目するくらい目立つ存在だったのではないでしょうか?
 にもかかわらず、原作においても、普通のサラリーマンにすぎない平井雅樹が、時子とのお見合いの席で、「すぐにも家を建てます、赤い瓦屋根の洋館です」と言ったと書かれているだけで(P.24)、どうして普通の日本家屋ではなく洋館を建てることにしたのかは何も述べられておりません。

(注12)この絵のことは原作には出てきません。多分、原作の世界では、タキは、板倉の行方が分かったとしても(復員後の板倉は名の知れた漫画家となりましたから)、連絡をとらなかったのではと想像されます。もし、連絡をとっていたら、「小菅のジープ」(映画では省略されています)を板倉に手渡していたはずで遺品に残っていなかったでしょう。それに何よりタキは、板倉ではなく、「小さいおうち」の時子を愛していたように原作では仄めかされているからです(そのことは板倉も感づいていたようです)。
 他方、本作では、むしろ、時子のみならずタキも板倉のことを想っているかのように描かれています。それで、戦後タキは板倉と連絡を取り合い、この絵も譲ってもらったのだと思われるところです。でも、仮にそうだとしたら、おそらくタキの胸の内にだけ秘められた想いだったにしても、ノートの書き方も多少変わってくるのではないか、遺品にそれをうかがわせるものがもっとあってもいいのではないか、などと考えてしまうのですが。



★★★☆☆☆



象のロケット:小さいおうち