(香港での募金活動の様子 日本人的には“募金箱は中が見えないものにして欲しいのだけど・・・”とも思ってしまいます。“flickr”より By eightland
http://www.flickr.com/photos/eightland/2501882838/)
中国・四川大地震は中国社会に大きな衝撃を与え、全国・各界から義援金が集まりました。
その義援金に関する面白いレポートを2件目にしました。
中国社会の一端を窺わせるものです。
ひとつは「四川大地震義援金で中国社会はどう人物評価する?」(張旭梅 6月6日 IPS)。
http://www.news.janjan.jp/world/0806/0806050843/1.php
【義援金ランキング】
中国では、有名人や大手企業が寄付した義援金や義援物資の金額がマスコミに公表され、ネットサイトにはこれを受けた「芸能界義援金ランキング」「スポーツ界義援金ランキング」「企業義援金ランキング」など、たくさんの義援金番付があって、これがネットサイトで熱い議論を呼んだそうです。
中国国内でも人気がある香港のトップスターの義援金はランキングでは10万元(日本円で150万円)。
「地位に比べて金額が少ない」「10万元だけじゃ、がっかり」、「義援金はその人自身の価値を示しているんだ」とネットユーザーの間に不満の声が多かったとか。
義援金の額は一般人でも悩ましい問題で、企業内では“周りの人の寄付金額を見ながら自分の年齢と職階にふさわしい、最も無難な金額を寄付するのがルールだ。特に自分の上司よりも多く寄付するのはタブー”とか。
これは日本でも同じで、例えば“慶弔金相場”みたいなものがネット上で山ほどあるのは、日本人も同様の悩みを抱えているからです。(私個人もよくこの手の問題に悩みます。)
今回もこのルールに従って、上司を越えないように抑えた額にしたところ、周囲はずっと多額を寄付しており、とんだ赤っ恥をかいてしまったというケースが紹介されています。
ひとつの問題は、誰がいくら寄付したかが広く公開されてしまうところにある訳ですが、その点はまた後ほど。
大手企業の義援金ランキングでは、外国系企業より中国企業の方が随分多額の寄付をしていたことがわかり、「今後は中国企業を応援し、国産品を使おう」とネット上で呼びかける意見が多く寄せられたそうです。
【「不動産王」の失敗】
ネット上で一番話題になったのが、著名な「不動産王」のケース。
この社長の不動産開発会社は業界トップで、年間の売上高523億元で、純利益は48億元。
今回220万元の義援金をだしたのですが、これが少なすぎるとしてネットで袋叩きにあったそうです。
220万元というと約3300万円ですから、特に中国の物価水準を考えるとかなりの高額に思えるのですが、ネット上では「1000万元を出す企業もあるのに比べ、本当に少ない」「あんなに儲けているのに、これしか寄付しないなんて、もう呆れた」「この企業のマンションと株は買わないことにする」・・・等々の批判が寄せられたそうです。
社長は「中国は災害の多い国だから、(企業の募金活動は持続しなければならないので)寄付が負担になってはいけない」等の釈明をしましたが、結局“1億元(約15億円)”追加募金を公表するはめに追い込まれました。
しかしそれでも、「イメージアップの演出にすぎない」と評判はよくないとか。
もちろん中国でもこのような“格付け”を問題にする意見も多く、義援金格付けの是非についてネットからマスコミまで広く議論されているそうです。
金額で愛国心の程度は量れないとか、大災害の前では経済的に余裕のある人は義援金、余裕のない人は気持ちだけでいいとか、基準を定めると家計の苦しい人には負担となって慈善事業の本来の意味もなくなる、格付けはやめようと呼びかける声が多く寄せられているそうです。
義援金をめぐる同様の騒動に関するもうひとつのレポートが「四川大地震、救援募金の多寡で揺れ動いた中国社会」(姫田小夏 6月18日 DIAMOND online)。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/world/2008061804-diamond.html
【募金システム】
中国での募金活動については、次のように説明されています。
“企業単位、学校単位、そして町内単位で、募金運動はほぼ100%に近い参加で行われた。「市」は「区」を管理し、区はその下に枝分かれする「街道(ジエダオ、町内の意)」を、街道はさらにその下に広がる居民委員会を、そして居民委員会は「小区(シャオチュー、団地からなるコミュニティに相当)」を管理しているのだが、今回の募金も、このように日ごろから市民管理に使われるネットワークを使って見事に吸い上げられた。”
こうしたシステムに加え、募金箱の横に係りの人間がたっており、しかも、そこに置かれた「紅板」という赤いボードに各人の義援金の額が書き込まれるという状況で行われるので、それ相当の額を出さざるを得ない雰囲気があるそうです。
ちなみに、これも中国だけでなく、似たようなことは日本でも見られます。
お祭りなどで、町内会への寄付金額が「だれそれさんから幾ら戴きました!」とみんなの前で読み上げられるとかはよくあることです。
なんとかの羽根募金でも、仕事上関係のあるひとが職場へ寄付を求めてまわってくると出さない訳にはいきません。「みなさんいくらぐらいですかね?」「いえ、もうお気持ちで。まあ、大体、このくらいが多いようですが・・・」「じゃ、私もその額で」なんてこともよくあります。
話を中国に戻すと、このような仕組みもあって、生活が楽ではない人々も“はした金を出す訳にはいかない”ということで、3日分の食費に相当する100元(1500円)を寄付する主婦、200元を出すアパートで寝たきりの病人・・・といったことになるそうです。
“「紅板」は「どんな貧困層でも50元は当たり前」と無言で語り、庶民は物価高の苦しいさなかをなけなしの財布からひねり出した。”
【日本人駐在員は・・・】
逆に、募金額が桁違いに少なかったのが、外国人駐在員が最も多い居住区だったそうです。
誰がいくらを寄付したかマンションの掲示板に張り出されているのですが、高収入の外国人家庭にもかかわらず、その金額は4割近くが10元、20元、50元などの2桁の募金。
とりわけ、日本人の募金が少なかったとか。
月1000元ぐらいの収入しかない門番でも20元とか50元は出しているのに、日本人の寄付は10元(150円)。
「駐在員の身分でたったの10元?」「門番と同じか、それ以下じゃないの!」と出入りの家政婦たちはささやきあっているとか。
中国人のホワイトカラーの場合、外資系に勤務となれば収入の10分の1に相当する1000元程度の寄付は当たり前で、「外資系ホワイトカラーだったら500元、600元は最低ですよね」とも。
もちろん、寄付行為は“気持ち”の問題であって、額の問題ではない・・・当然です。
自国民と外国人では差がある・・・それもそうです。
ただ、その土地で暮らす以上は、周囲からどのように見られているのか、もう少し配慮があってもよさそうな気がします。
きつい言い方をすれば、外国人だけ固まって特殊な地域に住み、中国社会でも富裕な人々を相手にビジネスを行い、一般の中国の人がどのように見ているかとか、中国社会での一般的習慣なんて全く関心がないでは・・・とも推測されます。
それでは、まるで昔の植民地に本国から乗り込んだ役人みたい・・・と言うと言い過ぎでしょうか。
【「気は心」ではない社会】
最初のレポートでも取り上げていた、「不動産王」のケースがここでも話題になっています。
“メンツの国の怖さというものを垣間見た瞬間である。この国では、「気は心」という言葉はほとんど通じない。人にものを贈るときは高価で豪華なものでなくてはならない、という暗黙律があるし、人々は「気は心」から来る「小さな贈り物」などは何の価値も持たないと切り捨てている。もちろん、寄付金なども「善良な気持ち」や「好意」なんかで行なうものでなく、PRに使えなければ意味がない。”
「気は心」が通じない国というのは、日本からすると“はしたなさ”“粗野さ”のイメージにもなります。
ただ、つい50年前、毛沢東の大躍進政策の失敗で2000万人が餓死したという社会です。
それまでも、清朝末期の混乱、列強の進出、日中戦争と絶えず庶民の暮らしは極限状態に置かれてきました。
生活の厳しさは日本とは全く違うものがあります。
“生きる”ことに必死な社会では、形あるものだけが信頼されることもあるのでしょう。
一昨日も触れた精神風土の違いに加えて、そこらが反映した風潮とも思われます。
そうした面は豊かさが社会全体に広がるなかで、少しずつ変わっていくところではないかと期待していますが、当面はそのような日本文化との差異を踏まえて付き合うことが大切でないかと思っています。
9月に北京を旅行しようかと計画しています。
なかなか休日がとれないので、弾丸トラベルになりそうですが、長城ハイキング(金山嶺から司馬台)も予定しています。
「気は心」が通じないとなると、チップなんかははずんだほうがよさそうですね。