孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

西アフリカ  マリでクーデター 背景には地域一帯に共通するイスラム過激派の勢力拡大

2020-08-19 22:55:55 | アフリカ

(マリの首都バマコに到着した兵士を歓迎する市民(バマコ、18日)【8月19日 BBC】)

 

【マリのクーデター 北部のイスラム過激派の勢力拡大を食い止められていない現政権への不満が背景】

西アフリカ・マリで軍の一部によるクーデターが発生。

 

“軍の給与をめぐる争いがきっかけだったと一部で報じられている。”【8月19日 BBC】との報道もありますが、その背景には(多くのクーデターに共通する)現政権の腐敗のほか、イスラム過激派の拡大があるとも指摘されています。

 

****マリでクーデター 反乱軍、大統領ら拘束 イスラム過激派拡大、政権へ不満****

西アフリカ・マリで18日、軍の一部がクーデターを起こし、ケイタ大統領や閣僚、政府高官らの身柄を相次いで拘束した。ロイター通信などが伝えた。

 

ケイタ大統領はマスク姿でテレビ演説を行い、「流血の事態を避ける」と述べて辞任を表明。併せて国会を解散する意向も示した。マリではイスラム過激派の活動が活発で、今後さらに政情が不安定になる恐れがある。

 

一方、反乱軍側は19日に声明を公表し、「マリがさらなる混乱に陥るのを防ぐため」とクーデターの理由を説明。今後、新たな選挙を実施するための暫定政権を作る意向を示した。軍側のリーダーは明らかになっていない。

 

首都バマコではケイタ氏に不満を抱いてきた市民らが街頭に出て歓声を上げるなど、クーデターを歓迎する動きも出ている。

 

マリでは2012年にも軍がクーデターを起こし、当時の政権が崩壊した。ケイタ氏は13年の大統領選で当選し、18年に再選。ただ、最近は政権の腐敗や選挙での不正を追及する声が国民の間で高まっていた。

 

今年3〜4月の総選挙では憲法裁判所が投票結果を覆し、与党により多くの議席数を認めた疑惑が浮上。その後、野党や市民がケイタ氏の退陣を求める大規模な抗議デモを起こしていた。ただ、一連の退陣要求運動と今回の軍の反乱が連携しているのかは不明だ。

 

ケイタ氏への不満が高まった背景には、北部のイスラム過激派の勢力拡大を食い止められていないことがある。12年のクーデターの際には過激派が混乱に乗じて勢力を伸ばし、旧宗主国のフランスが掃討のため軍事介入する事態に発展した。

 

当時、過激派から拠点都市を奪還するなどいったんは抑え込みに成功したが、過激派は複数のグループが入り乱れながら隣接するニジェールやブルキナファソにも足場を築き、勢力を保持している。12年には過激派が世界遺産都市トンブクトゥのモスク(イスラム礼拝所)などを破壊した。

 

近年はこうした武装勢力の活動に伴う市民らの犠牲も増えている。米国のNGOの集計によると、マリでは20年1〜6月の半年間で19年の1年間とほぼ同じ1835人が死亡し、過去最悪のペースとなっている。

 

一方、国連やアフリカ連合、欧米諸国は「非合法な政権転覆だ」などと反乱軍を非難する声明を相次いで発表した。政争の今後の主導権を担う勢力は不明だが、非民主的な手続きで新指導者が決まれば国際社会からの批判は避けられず、孤立する可能性がある。【8月19日 毎日】

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2012年のクーデターは北部トゥアレグ族の反乱鎮圧にあたっていた軍の一部が「武器が足りない」との不満から蜂起したもので、その後の混乱のなかで、イスラム過激派が勢力を拡大する形になっています。

(参考 2012年7月3日ブログ“マリ 北部で反政府武装勢力が「イスラム国家建設」 イスラム過激派によるイスラム霊廟破壊も”)

 

上記【毎日】にあるように、フランスの軍事介入でいったんはイスラム過激派を追い詰めましたが、その後はイスラム過激派がしぶとくこの地に根を張る形にもなっています。

 

北部を基盤としていたイスラム過激派は中部にも勢力を拡大し、それに伴って部族間の対立・衝突が激化する混乱が生じています。

 

****マリ中部で武装集団が村襲撃、40人死亡****

西アフリカのマリ中部で今週、武装集団が複数の村を同時に襲撃し、民間人31人が殺害された。対応のため派遣された兵士9人も殺害された。同国中部では紛争で暴力が激化している。

 

地元当局者が安全上の理由から匿名を条件に電話で語ったところによると、武装して制服を着用し、ピックアップトラックに乗った男らが1日、ドゴン人の複数の村を襲撃した。襲撃により、女性、子供、高齢者を含む少なくとも30人が死亡。行方不明者も出ているという。

 

襲撃された村の一つ、ゴウアリの長老は「午後3時から9時まで、誰も救助に来なかった」と話している。

 

陸軍報道官のディアラン・コネ大佐はAFPに対し、現地に軍隊が派遣され、1日に31人の遺体の埋葬を支援したと述べた。

 

マリでは2012年に北部で台頭したイスラム教反政府勢力が、民族間の対立をあおりながら中部に移動している。中部ではこの数か月、遊牧民のフラニ人と伝統的に狩猟を行うドゴン人の間で衝突が増加しており、当初は防衛のため組織された地域の民兵らが攻撃に乗り出している。

 

国連の先月の発表によると、マリ中部の混乱で今年に入って民間人600人近くが死亡している。 【7月4日 AFP】

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【西アフりカ全域で跋扈するイスラム過激派 部族対立とも連動】

また、イスラム過激派の拡大はマリだけではなく、ニジェール・ブルキナファソ・ナイジェリアなどの西アフリカに共通する現象ともなっています。

 

****ニジェールで襲撃事件 武装集団がフランス人ら8人殺害****

西アフリカ・ニジェールの首都ニアメーの南東約50キロの保護区で9日、武装した集団がフランス人のNGO職員6人と地元ガイドと運転手の計8人を殺害した。AFP通信などが報じた。NGO職員らはキリンが生息する保護区を訪れた際に狙われたという。

 

ニジェールや近隣のマリ、ブルキナファソなどサハラ砂漠一帯にあるサヘル地域では近年、過激派組織イスラム国(IS)やアルカイダとつながりのある勢力などが台頭。教会や学校、治安部隊への襲撃を繰り返している。

 

昨年12月と今年1月には、マリとの国境近くでニジェール軍の拠点が襲撃され、兵士約160人が殺害された。旧宗主国のフランスは、サヘル地域に軍隊を派遣し、過激派勢力の掃討作戦を展開している。【8月10日 朝日】

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****ブルキナファソで過激派の襲撃相次ぐ、50人死亡****

西アフリカの内陸国ブルキナファソで週末にかけ、イスラム過激派によるとみられる襲撃事件が相次ぎ、合わせて少なくとも50人が死亡した。政府が5月31日に発表した。

 

北部ロルム県で29日、自警団に警備されて移動中の商店主らの車列が銃撃を受け、15人が死亡。翌30日には、東部コンピエンガ県パマ近郊の家畜市場が襲われ、少なくとも25人の死亡が確認された。

 

北部の町バルサロゴでも同日、人道支援団体の車列が待ち伏せ攻撃に遭い、民間人少なくとも5人と憲兵5人が死亡、約20人が負傷した。襲撃を受けた人道支援団体は、北方の町に食料を届けた帰りだったという。

 

旧フランス植民地で最貧国の一つであるブルキナファソでは2015年以降、イスラム過激派の活動が活発化。特に東部と北部で襲撃が多発し、5年間で900人以上が死亡、約86万人が家を追われて避難生活を送っている。

 

こうした中、牧畜民の少数民族フラニ人が過激派を支援しているとの非難が他の民族から上がり、フラニ人を標的とした襲撃事件も相次いでいる。

 

過激派の襲撃は昨年から激化しており、ほぼ毎日のように発生。外国人の拉致事件も相次いでいる。 【6月1日 AFP】

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イスラム過激派の勢力拡大と、部族対立が絡み合っているところはニジェールもブルキナファソも共通しています。

 

また、過激派などの鎮圧にあたる政府軍にも暴力行為が蔓延しているのも、コンゴなど他のアフリカ諸国の混乱状況と同じです。このことが地域の混乱・不安定化に拍車をかけているようにも見えます。

 

****ブルキナファソで180人集団埋葬 軍が超法規的に殺害か HRW報告****

ブルキナファソ北部で、軍によって超法規的に殺害されたとみられる少なくとも男性180人の遺体が発見された。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチが8日、報告書を公開した。

 

ブルキナファソ当局は以前から、2015年から続くイスラム過激派との戦いで超法規的な殺害を行っているとの非難を受けてきた。

 

発見された遺体はすべて男性で、過激派のメンバー勧誘の対象となっているフラニ人が大部分を占めていた。遺体は4〜5月にかけて北部の町ジボの住民らによって埋葬された。

 

報告書によると、あるジボの地域指導者はHRWに「遺体の多くは目隠しをされ、両手を縛られ、(中略)頭部を撃たれていた」と述べた。

 

HRWは、「少なくとも180人の遺体があった大規模な埋葬地はここ数か月に発見された。手に入れた証拠は、政府の治安部隊がこの超法規的大量殺人に関与していることを示唆している」と指摘している。

 

ブルキナファソ政府はこの疑惑を受け、調査を開始すると述べている。 【7月8日 AFP】

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【やまないボコ・ハラムの暴力】

ナイジェリアになると、イスラム過激派「ボコ・ハラム」の本拠地ですが、「イスラム国」と関係する武装集団のテロも横行しています。

 

****イスラム過激派、数百人を人質として拘束か ナイジェリア****

ナイジェリア北東部で、イスラム過激派組織「イスラム国」と関係する武装集団が数百人を人質に取ったと、地元住民や民兵組織などが19日、明らかにした。

 

地元民兵組織の指導者によると、過激派組織「イスラム国西アフリカ州」 の「テロリストら」が18日夜、チャド湖地域の町クカワを襲い、住民を拘束したという。人質となった人々は、避難キャンプで2年間を過ごし、自宅に戻ったばかりだったという。 【8月19日 AFP】

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ボコ・ハラムに関しては、以下のようなおぞましい報道も。

 

****子ども203人を「人間爆弾」に イスラム過激派がナイジェリアで****

国連は24日、イスラム過激派ボコ・ハラムがナイジェリア北東部で2019年末までの3年間に、拉致した203人の子どもを使った爆弾テロを行っていたとの報告書を発表した。約8割が少女だった。

 

大人の戦闘員が子どもの体に爆弾を巻き付けて雑踏に向かわせ、遠隔操作で起爆する手口で、国連は「人間爆弾」と非難している。

 

ボコ・ハラムは14年に北東部ボルノ州で女子生徒276人を拉致し、解放を求めるキャンペーンが世界中に広まった。だが、過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う勢力も現れ、チャド湖に面した地域一帯を混乱に陥れている。【7月25日 共同】

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牧草地と水利権をめぐりる農民と牧畜民の対立が背景にあるのでは・・・とも思われる衝突も。

“武装集団が結婚式銃撃、18人死亡 ナイジェリア北部”【7月21日 AFP】

 

また、イスラム過激派と連携するともいわれる「盗賊団」の暴力も。

“「盗賊団」がナイジェリア軍襲撃、少なくとも兵士23人死亡”【7月20日 AFP】

 

ボコ・ハラムの動きは、チャド軍の掃討作戦にもかかわらず、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンの国境付近のチャド湖周辺でも続いています。

 

****ボコ・ハラム、チャド湖周辺で民間人10人殺害、7人拉致***

ナイジェリアのイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」の戦闘員らが7月31日、チャド湖周辺の村を襲撃し、少なくとも10人の民間人を殺害、7人を拉致した。軍の将校と地元の当局者が明らかにした。

 

匿名を条件にAFPの取材に応じた軍の将校は、31日午前3時(日本時間同日午後11時)ごろ、ボコ・ハラムの戦闘員らが村を攻撃し、女性2人と男性8人を殺害と説明。さらに男性7人を拉致し、村を略奪して火を付けた後に引き上げたと述べた。

 

チャド湖はニジェール、ナイジェリア、カメルーンの国境付近に位置し、島々が点在する湿地帯で、ナイジェリアを越境してきた戦闘員らの襲撃が相次いで発生している。

 

ボコ・ハラムは2009年、ナイジェリア北東部で武装蜂起し、これまでに3万6000人以上が死亡し、200万人以上が避難を余儀なくされている。同組織は襲撃の範囲をニジェール、チャド、カメルーンにも広げ、3月には同湖畔にあるチャド軍基地で98人の兵士を虐殺。同軍の部隊が一日で最多の犠牲者を出す事態となった。

 

この襲撃を受け、チャドのイドリス・デビ大統領は3月31日から4月3日にかけて攻撃を実施し、最終的にチャド湖地域には「(ボコ・ハラムの)戦闘員は一人も残っていない」と宣言したが、散発的な暴力沙汰は続いている。 【8月1日 AFP】

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これだけイスラム過激派が広く・根深く存在するということは、やはりこの地域の統治に、そういったものを誘発する何かしらの問題があってのことでしょう。

 

日本や欧米では、イラク・シリアのIS(イスラム国)崩壊で、イスラム過激派への関心は薄れていますが、西アフリカ・サヘル地帯では現在もその暴力・混乱が続き、おさまる気配がありません。

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