孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

マリ  北部で反政府武装勢力が「イスラム国家建設」 イスラム過激派によるイスラム霊廟破壊も

2012-07-03 22:26:58 | アフリカ

(イスラム過激派による破壊の危機にある“伝説の黄金都市”トンブクトゥ “flickr”より By Xavier Bartaburu http://www.flickr.com/photos/xbartaburu/3664612516/)

国軍クーデターから民政移管へ、混迷するマリの政情
西アフリカでは随一の民主的国家とも言われていたマリで軍事クーデターが起きたことは、3月22日ブログ「西アフリカ  マリのクーデターにカダフィ政権崩壊の影、セネガルは大統領選挙で高まる多選批判」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120322)で取り上げました。

マリ北部では遊牧民トゥアレグ人の反政府闘争が続いていましたが、リビアのカダフィ政権に傭兵として雇われたことから(反カダフィ勢力に加わったとする報道もあります)、リビア崩壊で大量の武器が反政府勢力側に流入し、国軍の装備を圧倒するようになりました。
こうした事態に、武器・弾薬の補充・向上といった対応が十分に出来ないトゥーレ政権への国軍内部の不満が爆発、サノゴ大尉率いる国軍反乱軍が3月21日に蜂起し、トゥーレ大統領が政権を追われる形でクーデターが発生したものです。

一方、このクーデターによる政情混乱に乗じる形で、反政府武装勢力が北部一帯を制圧する状況となっています。
****マリ:反政府組織、北部全域を制圧 アルカイダ系活発化****
西アフリカのマリで攻勢を強めてきた反政府武装組織は2日までに、北部のほぼ全域を制圧した。
一方、反政府組織の一翼を担ってきたイスラム過激派グループが他の組織を排除して、シャリア(イスラム法)に基づく統治を始めようとする動きもみられ、現地で勢力を伸ばしてきた国際テロ組織アルカイダ系グループの活動が活発化する可能性も出てきた。

北部の分離独立を求める遊牧民トゥアレグ人の武装組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」と、トゥアレグ人のイスラム過激派「アンサール・ディーン」が反政府武装組織を形成してきたとされる。

多数のトゥアレグ人がリビアのカダフィ大佐の雇い兵に参加してきたため、カダフィ政権崩壊後に元雇い兵と武器が大量にMNLAに流入し、MNLAは今年に入り、政府と抗争を激化。先月21日の国軍クーデターによる中央の政情不安に乗じ、アンサール・ディーンと連携して、同30日に拠点都市キダルを制圧し、その後、サハラ砂漠交易の中継地として有名な世界遺産都市トンブクトゥなどでも実権を掌握した。

MNLAは声明で北部の「解放」を誇示しているが、AFP通信などによると、トンブクトゥではアンサール・ディーンがMNLAを追い払って支配下に置いた。さらに、キダルなどでラジオ局の音楽放送や洋服の着用が禁じられるなどの動きが出ているという。【4月3日 毎日】
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アザワド解放民族運動(MNLA)は4月6日、ホームページ上で、北部の独立を一方的に宣言。
この国家分裂の事態に対処すべく、国軍反乱部隊と西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は4月6日、反乱部隊が国会議長に実権を移譲し、民政移管することで合意しました。

****マリ、軍部が実権返還 「独立宣言」北部の混乱続く****
西アフリカ・マリからの報道によると、クーデターを起こした軍部は6日、憲法を回復し、実権を文民政府に返還することを決めた。
クーデターに乗じて北部に侵攻した反政府勢力への対処ができず、返還を余儀なくされた。

実権返還は、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)との交渉で合意した。暫定大統領にマリ議会のトラオレ議長が就任し、民主的な大統領選挙を実施するとしている。また、クーデターを首謀したサノゴ大尉らには恩赦が与えられるという。ECOWASが科していた国境封鎖や資産凍結などの経済制裁は解除される。先月22日に発生したクーデターは、2週間余りで一応の決着をみる。

しかし、この間、世界遺産の都市トンブクトゥなど北部の全要衝都市に侵攻した反政府勢力アザワド解放国民運動(MNLA)が、一方的に独立を宣言。MNLAはアルカイダ系イスラム武装勢力との関係が指摘され、サノゴ大尉自身、軍部が重装備のMNLAと戦うのを「自殺行為」と言うように、混乱が収まる様子がない。【4月7日 朝日】
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この民政移管の合意を受けて、クーデターで政権を追われたトゥーレ大統領は、4月8日、正式に辞任しました。
しかし、5月21日、トラオレ暫定大統領の即時辞任を求める数百人のデモ隊が大統領府を襲撃し、トラオレ暫定大統領はデモ隊に暴行を受けて頭部に重傷を負い、病院に搬送されという事件がおきるなど、混乱は収まっていません。
周辺国からの圧力を受けて、政権を文民政府に返還したものの、クーデターの支持者の間では、トラオレ暫定大統領が旧政権側だとの批判が根強いことが背景にあると報じられています。

北部は「イスラム国家建設」へ、テロ組織の拠点化の懸念も
一方、反政府武装組織が制圧する北部では、「イスラム国家建設」でアザワド解放民族運動(MNLA)とイスラム過激派「アンサル・ディーン」が合意しています。

****マリ:北部にイスラム国家建設で合意****
西アフリカ・マリで4月以降、北部を制圧してきた世俗主義の反政府武装組織とイスラム過激派が26日、両派の統合と北部でのイスラム国家建設で合意した。イスラム過激派は国際テロ組織アルカイダと連携しているとされ、「イスラム国家建設」の過程で、さらに北部にアルカイダが浸透し、活動を活発化させる可能性も強まってきた。

マリでは、3月末に発生した軍事クーデターの混乱に乗じ、遊牧民トゥアレグ人の世俗派武装組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」と、イスラム過激派「アンサル・ディーン」が攻勢を強め、4月1日に北部全域を制圧。MNLAが北部「独立」を宣言し、アンサル・ディーンは北部の一部でシャリア(イスラム法)の厳格な適用を始め、両派の確執も伝えられていた。

今回の合意は、世俗主義のMNLAがイスラム国家化を容認する一方、マリ全土へのシャリアの適用を目指してきたアンサル・ディーンが「北部独立反対」の旗を降ろした形で、実効支配の固定化を意図した双方の妥協の産物と言えそうだ。【5月28日 毎日】
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このマリ北部がイスラム過激派の拠点となりつつある・・・との指摘もなされています。
****マリ北部にイスラム武装勢力流入、テロの拠点に****
西アフリカ・ニジェールのイスフ大統領は7日、3月のクーデター後混乱が続く隣国マリ北部の状況について、アフガニスタンやパキスタンからイスラム武装勢力が流入して新兵の訓練を行うなどテロの拠点化しつつあるとの認識を示した。

首都ニアメーで仏テレビのインタビューに対し語ったもので、大統領は「テロリストがアフリカに定着すれば欧州も脅かすことになる」と警告した。マリではクーデター後、混乱に乗じたトゥアレグ族武装組織らが北部を制圧して一方的に独立を宣言した。国際テロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ組織(AQIM)」などの関与も指摘されている。【6月8日 読売】
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イスラム過激派によるトンブクトゥの歴史遺産破壊
反政府武装勢力が実効支配する北部に、ユネスコの世界遺産にも指定されている“伝説の黄金都市”トンブクトゥがあります。
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この町は5~11世紀、トゥアレグ人の砂漠の遊牧民らによって築かれた。やがてアフリカの北と西、南を結ぶ交通の要衝となり、黒人やベルベル人、アラブ人、トゥアレグ遊牧民たちが行き交う人種のるつぼになった。

金、塩、象牙、書籍の交易で栄え、西アフリカで最も裕福な地域となったトンブクトゥには、アフリカ中から学者や技師、建築家らが集まり、14世紀までにイスラム文化の一大中心地に成長した。当時のサンコーレ大学にはおよそ2万5000人もの学生がいたとされる。

トンブクトゥがその名を世界にとどろかせたのは1324年、マリ帝国の皇帝マンサ・ムーサ(1307年~1332年)がメッカを巡礼したときだ。皇帝はエジプト・カイロ経由でメッカに向かったが、その際、人夫6万人にそれぞれ3キロずつの黄金を運ばせていた。皇帝は、その黄金は全てトンブクトゥで入手したと語ったという。【7月2日 AFP】
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ユネスコは6月28日、トンブクトゥを含むマリ国内の2カ所の世界遺産を「北部を支配する武装勢力同士の抗争により危険にさらされている」ことを理由に危機リストに載せました。
しかし、イスラム過激派組織「アンサル・ディーン」はこれに反発する形で、トンブクトゥの霊廟などの破壊行為に及んでいます。

****イスラム武装勢力が15世紀のモスク入口を破壊、マリ・トンブクトゥ****
西アフリカ、マリの世界遺産の砂漠都市トンブクトゥで2日、15世紀建造のモスクの入口がイスラム武装勢力によって破壊された。

破壊されたのは、シディヤヤモスクの「聖なる扉」。国連教育科学文化機関(ユネスコ)のウェブサイトによると、シディヤヤモスクはトンブクトゥにある3大モスクの1つで、トンブクトゥが砂漠地帯の中心都市として栄えた1400年ごろに建造されたものだという。

破壊の様子を目の当たりにし、むせび泣く住人もいた。ある住人は2日朝、「イスラム武装勢力がシディヤヤモスクの入口にある扉を破壊した。彼らはわれわれが決して開けなかった聖なる扉を破壊した」と話した。
地元のイマーム(宗教的指導者)の親戚だという別の男性は、「この扉が開く日は世界の終わりだという人もいるのだが、イスラム武装勢力はそんなことはないと示そうとした」と話した。シディヤヤモスクの南向きの扉を開けると災厄を招くと信じられていたことから、この扉は数百年にわたって閉じられたままだった。
扉の奥には聖人の墓があるが、イスラム武装勢力はそのことを知らない様子だったという。ある目撃者は「それを知っていたら建物全体を壊していたはずだ」と話した。

■「偶像崇拝」と霊廟を破壊
AFPが独自に入手したビデオには、ターバンを巻いた男らが「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と繰り返し叫びながら、つるはしで霊廟(れいびょう)を破壊する姿が映し出されていた。砂ぼこりが立ち込めるなか霊廟には穴が開き、そばにはがれきの山ができた。

3か月前にマリでクーデターが起きた後にトンブクトゥを含むマリ北部を掌握したイスラム系反政府勢力「アンサール・ディーン」は霊廟を偶像崇拝的とみなしており、昔の聖者の遺体を安置したモスクをすべて破壊すると宣言。

マリ政府や国際社会から激しい抗議の声が上がっている。イスラム協力機構(OIC)は、破壊の対象となっているのはマリの重要なイスラム遺産の一部であり、偏狭な考えを持つ過激派による破壊行為を許すべきでないとの声明を出した。

アンサール・ディーンは、前週末に合わせて7つのイスラム教聖者の霊廟を破壊した。「戦争犯罪」で起訴するとの国際機関からの警告をよそに、トンブクトゥで文化遺産の破壊を激化させている。【7月3日 AFP】
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偶像崇拝を否定するイスラム過激派による歴史遺産破壊と言えば、2001年のタリバンによるバーミヤン大仏の破壊が思い起こされます。
ただ、このときは対象は仏教遺跡でした。また、当時旱魃のアフガニスタンで百万人もの人々が餓死に直面していることに有効な対応を示さなかった国際社会がひとつの石仏の破壊には大騒動するとして、タリバンを非難する国際社会へのイスラム側の反論もあります。

今回は、破壊対象はイスラムの霊廟です。
世界のイスラム教国57か国、オブザーバー5ヵ国・8組織(国連など)からなり、世界13億人のムスリムの大部分を代表するとされるイスラム協力機構(イスラム諸国会議機構)(OIC)も、今回の「アンサル・ディーン」の破壊行為を非難しています。

マリの「アンサル・ディーン」によるトンブクトゥ破壊だけでなく、ナイジェリアで対キリスト教徒テロを続けるイスラム過激派ボコ・ハラム(「西洋の教育は罪」の意)、ケニアでキリスト教会へのテロを行うソマリアのイスラム過激派アルシャバブなどのテロ行為も連日報じられています。
こうした過激な行為が連動して更に拡大・エスカレートする事態を憂慮します。
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