(ラオス・シエンクワン県のターヂョーク村
顔をのぞかせている子供たちの両脇に立っているのがクラスター爆弾の親爆弾の残骸です。この親爆弾には約300個のボール爆弾が詰め込まれており、空中で親爆弾が二つに割れてそれらがばら撒かれます。それぞれのボール爆弾は地上での炸裂時に約600個の5mm大の金属玉を飛び散らせ周辺の人間を殺傷します。
モン族が暮らすこの村はクラスター爆弾の残骸を家の土台や植物を育てるプランタンなどに利用しており、“爆弾村”として知られています。 写真は“flickr”より By MAG (Mines Advisory Group) http://www.flickr.com/photos/mag-photos/4777053593/ )
【「私たち政府にはもっとやるべきことがあります」】
アメリカのクリントン国務長官は13日間で計9カ国を歴訪する異例の長期外遊中ということで、いたるところに彼女の名前が出てきます。
6日にはパリで「シリアの友人」会合に出席し、合間にパレスチナ自治政府のアッバス議長と会談。7日にはアフガニスタンを電撃訪問してカルザイ大統領と朝食を交えて会談。そのまま東京に移動して8日のアフガニスタン復興会議に出席。
更に、9日~13日にはモンゴル、ベトナム、ラオス、カンボジアを歴訪。カンボジアではASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議に出席
今後も、14~16日にはエジプトを訪問し、モルシー新大統領との会談を調整中。16~17日にはイスラエル訪問して、ネタニヤフ首相らと中東和平について会談予定・・・との超過密スケジュールです。【7月7日 MSN産経より】
世界中の問題を一手に引き受けた感がありますが、クリントン国務長官はオバマ政権の1期目満了をもって退任すると表明しており、残り半年で外交成果を積み上げるべくラストスパートをかけたとの観測も出ているとか。
そんな超ハードスケジュールのクリントン国務長官が、ラオスで不発弾の爆発で重度の障害を負った被害者の若者と面会しています。
米国務長官として喫緊の国際問題への対応ももちろん不可欠ですが、こうした地味ではありますが人間性を問われる問題への対応にも期待したいものです。
ラオスの不発弾はアメリカがばら撒いたものであり、アメリカは現在もクラスター爆弾を保有し、クラスター爆弾を全面禁止する条約(オスロ条約)にも参加していないということもありますので。
****ベトナム戦争の残留不発弾、被害者にクリントン長官が面会 ラオス****
アジア歴訪中の米国のヒラリー・クリントン国務長官は11日、ベトナム戦争中に米軍がラオスに残した不発弾の爆発で重度の障害を負った被害者の若者と面会し、不発弾処理の支援により力を入れると約束した。
首都ビエンチャンを訪れたクリントン長官は、不発弾被害者のための義手・義足の製作や作業療法を行っている支援団体COPEに立ち寄った。ここで、16歳のときに不発弾の爆発で両手と視力を失ったポンサワット・スリラットさんを紹介されたクリントン長官は、明らかに心動かされた様子だった。
スリラットさんは故郷の北部の村で、一緒に遊んでいた友人が拾ったクラスター爆弾によって両手を吹き飛ばされ、視力を失った。4年前、16歳の誕生日のことだった。
それ以来、人生はすっかり変わってしまったと、スリラットさんは不慣れな英語で訴えた。「あらゆる国の政府が協力して不発弾を除去し、生き残った被害者たちを支援してほしい。多くの生存者が支援を受けていません。彼らの生活は非常に苦しいのです」
これに応えてクリントン長官は「全くおっしゃる通りです。私たち政府にはもっとやるべきことがあります。われわれが協力して進めるべき仕事がある、それをもっと多くの人々に語ることができるように今日、私はここへ来ました」と述べた。
COPEのセンターでリハビリを受けて現在はスタッフとして働くスリラットさんは、恨めしさなど微塵も見せずに「あなたと米国の皆さん、そして米政府のご健康と夢の実現をお祈りします」と答えた。【7月12日 AFP】
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【一人1トンの爆弾が投下された】
ベトナム戦争とラオスの不発弾の関係を含め、ラオスの不発弾の現状については、NPO法人 香川国際ボランティアセンターのサイトで以下のように紹介されています。
****ラオスの不発弾****
1 ラオスに、なぜ不発弾
ラオスに、数多くの不発弾が地中に埋まっているということを、果たして日本人の何人が知っているだろうか。ベトナムにはベトナム戦争があったから、当然、不発弾があるのは分かるし、カンボジアでも1991年までの内戦で地雷が眠っているのは、皆、知っているだろう。しかし、なぜラオスに不発弾が。
ラオスには、ベトナム戦争当時、南ベトナムで戦う解放戦線ベトコンへ北ベトナムからの物資の補給路としてホーチミンルートがあったということは、よく知られているが、実はそのルートはベトナム国境沿いのラオスの山間部にあったのだ。
このホーチミンルートを叩くために、アメリカ軍は、激しい空爆を行った。また、ラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の本拠地が、ベトナム国境近くの山間部にあり、これもアメリカ軍の爆撃の標的となった。
さらに、北ベトナムへの空爆からタイにある空軍基地への帰りに、機体を軽くするためにも、ラオス上空で爆弾を投下したとも言われている。
2 一人1トンの爆弾
ラオスでは、その当時300万人ぐらいの人口だったが、アメリカ軍は300万トンもの爆弾を落としたと言われている。単純に計算しても一人1トンの爆弾が投下されたことになる。その投下された爆弾は約8割は爆発してけれども、残り約2割は爆発せず、地中に不発弾として埋まった。
空爆が終わった後にも長期間にわたって、ラオス人のふだんの生活に支障を来す効果も狙って、投下された爆弾を全て爆発せず、恣意的に数多くの不発弾を投下したとも言われている。
3 UXO Lao
ラオスで不発弾が数多く存在する地域は、東北部にあるシエンクワン県である。香川国際ボランティアセンターは、不発弾の処理を行っている組織がシエンクワンにあるということを、数年前に知り、この組織の支援も行うようになった。
シエンクワンの不発弾処理の組織は、「UXO Lao」という不発弾処理活動を行う政府組織のシエンクワン県支部である。1994年から英国をはじめ欧州各国の金銭的、人的支援を受けて処理活動を行ってきたが、2006年6月からは日本のNGO団体「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」が、支援を開始した。
4 シエンクワン県の被害
「UXO Lao」シエンクワン県事務所のカンペット所長によると、同県では、これまでに不発弾で1,885人が死傷、うち824人が死亡した。最近でも毎年50人くらいが被害に遭い、うち約20人が亡くなり、子どもの被害が約4割を占める。
職員170名が1,357k㎡の面積(香川県の面積の約2/3)を有する同県域の不発弾処理を行っているが、1年間に処理できる面積は僅かであり、これまで十数年間に処理できたのはたった21k㎡だけであり、この調子でいけば残り百年はかかるという。
5 不発弾の探査方法
不発弾の探査方法は、まず地表に碁盤目状に紐を張り、その1m四方の碁盤目状の枠の中を、丹念に金属探知器で調べていく。もし地中に不発弾などの金属類が埋まっていれば、甲高い発信音がして、その在処が分かる。手作業で注意深く土を掘っていき、不発弾か単なる金属類かを確認する。
一般的に使っている金属探知器は、地中15~20cmくらしか探知できない。不発弾が発見されれば、発火用の火薬に導火線を結び、約300~400m離れた所から爆破装置のボタンを押して、爆破する。
6 ボール爆弾
シエンクワン県での不発弾は、こぶし大のボール爆弾がほとんどである。この爆弾は爆撃機から約三百個のボール爆弾が詰め込まれた3m位の大きな親爆弾が、空中で二つに割れ、その中からボール爆弾が飛び出し、地上近くまで落ちると、一個のボール爆弾の中に詰め込まれた約六百個の5mm大の金属玉が四方に炸裂し、人命を奪うこととなる。
施設等を破壊するためのものでなく、明らかに人命殺傷用の恐ろしい非人道的な爆弾である。そんな爆弾が、1975年に戦争は集結したものの今現在も、ラオス人の人命を脅かしている。【NPO法人 香川国際ボランティアセンター http://www.npokvc.org/fuhatsudan.htm】
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日本も太平洋戦争ではアメリカ軍の空襲で甚大な被害を経験していますが、“一人1トンの爆弾が投下された”というのはすさまじい量です。
“空軍基地への帰りに、機体を軽くするためにも、ラオス上空で爆弾を投下した”とか“恣意的に数多くの不発弾を投下したとも言われている”などに至っては論外です。
“国際不発弾処理団体のラオス支部「UXOラオス」によると、ベトナム戦争時に米軍が投下したクラスター爆弾は2億6000万発にのぼる。このうち約30%が不発弾となって、ラオス全域に残り、1975年の戦争終結後も、数千人に被害をもたらし続けている。”【08年12月2日 AFP】とも報じられています。
【サッカー元日本代表と「オヤジたちの国際貢献」】
農作業中に不発弾に触れて被害にあうケースなども多々ありますが、子供が不用意に触れるケースも多く、学校では不発弾に触らないように子供たちに注意を喚起しています。
一方で、金属探知機を使って不発弾を破片を集めてお金を稼ぐ子供なども存在します。子供の作業ですので、危険も伴います。
ラオスの不発弾とその被害については、上記“NPO法人 香川国際ボランティアセンター”など、活動を行っている団体や個人が多くのサイトで紹介しているところですが、最近目にした記事を2件。
****ラオス:「不発弾も知って」サッカー元代表の北沢さん****
東南アジアを訪問している皇太子さまは29日、カンボジアを出発し、最後の訪問国のラオスに到着した。生活・経済を支える水運の現場となっている大河・メコン川や日本のODA(政府開発援助)で建設された武道センターを視察する予定だ。初めてとなる皇太子さまの訪問を「日本人がラオスを知るきっかけになり、うれしい」と歓迎する人の中に、サッカーを通じた支援を続ける元日本代表の北沢豪さん(43)がいる。
北沢さんは現役最終年となった03年にけがでリハビリ中、知人から「ボールもないカンボジアに来てほしい」と頼まれ、「気分転換にもなる」と訪れたことが東南アジアと関わるきっかけとなった。最初は「外国人には目を合わせない」という印象を持ったが、引退後もサッカー指導を通じて関係を深め、隣国のラオスに足を延ばすようになり、これまでに2回訪れた。
ラオスの印象は「のどかで、ゆっくりして、昔の日本のよう」。サッカーも日本と同じパスサッカーだという。しかし、ベトナム戦争時の不発弾が社会に大きな影を落としていることを知る。国際協力機構(JICA)によると、ラオスには今も約8000万発の不発弾が残り、被害者は年間約300人に上る。北沢さんも爆弾の破片が足に刺さったままの子供に出会った。
北沢さんの関心はサッカーの枠を超えるようになる。今年2月の訪問時には、小学校で「遠いラオスから大震災からの復興をお祈りします」という寄せ書きを受け取り、帰国後に仙台市の学校に届けた。
北沢さんは「ラオスの不発弾はあまり知られていない。解決につながるいろいろな動きが出てきてほしい」と話す。【6月29日 毎日】
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元自衛官らで作るNPO「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)の活動も紹介されています。
****不発弾と生薬****
東京ドーム205個分に当たる約1千ヘクタールの地雷原を、安全な土地に変えてきた。元自衛官らで作るNPO「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)が創立10周年を迎えた。
現役時代に身につけた地雷や不発弾の処理の仕方を現地の人たちに教え、除去を手助けする。カンボジアを皮切りに、アフガニスタンやアンゴラなどにも活動を広げた。
ベトナム戦争で米軍が落とした不発弾が多く残るラオスでは、危険な土地が生薬畑に変わりつつある。
きっかけは、漢方薬の最大手ツムラ。安心できる生薬を自社で育てるため、土や気候が合うラオスに1千ヘクタールの畑を作り、千人を雇う計画を立てた。問題になったのが不発弾だ。
民間の力を借りて途上国支援を進めたい日本政府の考えとも合致し、政府の途上国援助(ODA)を使って、JMASが不発弾を取り除くことになった。このほど、最初の200ヘクタールの安全が確認できた。
不発弾がなくなれば、住民の暮らしは安全になり、畑で働くことで収入を得られる。地域の活性化につながり、企業は収益を確保できる。一石何鳥にもなりそうだ。
JMASは「オヤジたちの国際貢献」という活動紹介の冊子を作っている。危険と隣り合わせでがんばっているオヤジたちに、エールを送りたい。【6月26日 朝日】
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