孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

混乱するシリア情勢で、“機を待つ”クルド人勢力と増えるクルド人難民

2012-07-16 21:58:11 | 中東情勢

(クルドの旗にならって、中央に金色の太陽をあしらった赤・白・緑に塗られているエリアがクルド人居住区になります。現在の中東各国の国境線はこのクルド人居住区を無視して分断する形で引かれています。 “flickr”より By Kurdistan Photo كوردستان http://www.flickr.com/photos/kurdistan4all/2914708371/

【「ゆくゆくは必ずこの吉報を発表する予定だ」】
「国を持たない世界最大の民族」と言われるクルド人の人口は2500万~3000万人と推計されています。
居住地は、一番多いのがトルコの1140万人で、その他イラン480~660万人、イラク400~600万人、シリア90~280万人などと見られています。【ウィキペディアより】
また、旧ソ連のアルメニア、アゼルバイジャン両国に約40万人、ヨーロッパ各国にも約100万人のクルド人が住んでいます。

イラクではフセイン政権によって化学兵器による攻撃・弾圧も受けたとされますが、湾岸戦争の後、アメリカの支援でイラク北部に自治政府が設立されています。
また、イラク国家の大統領・外相ポストもクルド人が占めているように、一定の発言権を獲得しています。

しかし、石油利権を巡るイラク中央政府とクルド自治政府の確執は強まっており、産油地でもあるキルクークの帰属問題も未解決のままです。
当然、クルド人は“独立”を悲願としていますが、ただでさえ紛争の火種が山積している中東地域にあって、クルド人国家独立はイラクにとどまらず、クルド人が多数居住する周辺トルコ、イラン、シリアを巻き込んだ中東全体の地殻変動を起こしかねません。

そうした事情もあってアメリカも“独立”は容認しがたいところでしょう。
自治政府側も、まだ“その時ではない”との判断で自制していますが、将来的には大きな問題となっています。

今年3月20日に自治政府のバルザーニ大統領が行った新年(ノールーズ)の挨拶は、独立宣言がなされるのでは・・・とも注目されましたが、大統領は「ゆくゆくは必ずこの吉報を発表する予定だ。但し、その日は然るべき日でなくてはならない」と、延期を表明しています。

ただ、al jazeera netによれば、バルザーニ大統領はイラク中央政府のマリキ首相が権力を独占し、軍隊も、警察も秘密機関も支配しているとして、その独裁体質を厳しく非難、このままでは現在の連立政権の意味はなくなるとして、クルド人はシーア派と連立したがこのような独裁者と連立した訳ではない、としてマリキ首相を厳しく非難した・・・とのことです。【3月21日 「中東の窓」(野口哲也氏)より】

【日本語で読む中東メディア】(http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20120321_085423.html#top)によれば、バルザーニ大統領のマリキ首相批判発言は以下のとおりです。
「もう我慢の限界だと言う時が来た。イラクは混迷を深めている。混乱に乗じようとする一部の者は、現イラク政権の独裁体制への移行を望んでいる。ゆえに私はイラク全土の政党及び政界関係者に『速やかに結集せよ。この問題を解決せよ』と呼びかけている。もし問題が解決されなければ、我々の民に諮ることになる。民が最終決定権を握ることになる。以後、如何なる者も我々に決定権を行使してはならない」

もし、イラクのクルド自治政府に独立の動きが本格化した場合、直接的な影響を受けるのがトルコでしょう。
トルコには前出のように1000万人を超すクルド人が暮らすだけでなく、トルコ政府がテロ組織として攻撃を加えているクルド人独立を掲げるクルド労働者党(PKK)が存在します。
トルコ政府としては、国内クルド人の分離独立運動に火がつく事態は何としても避けたいところです。

【「自分が金づちならば、急(せ)いてよい。金床(かなとこ)なら耐え忍べ」】
上記のような中東各国に大きな影響を与えるクルド人の情勢について、内戦状態にあるシリア関連の動きが注目されています。

****シリアのクルド人 したたかに、じっと機を待つ****
「アラブの春」によって、中東イスラム世界では「ムスリム同胞団」と「□□□□」が台頭した……。
後世の歴史書にこんな記述があったとすれば、空白の中はどうなるだろうか。内戦状態の続くシリア問題を見ていると、「クルド人」ではないかという気がする。

反体制派の中核組織シリア国民評議会は6月、新たなトップにスウェーデン在住のクルド人歴史学者アブドルバセト・シーダ氏(56)を選んだ。反体制派の主体はスンニ派アラブ人だが、アサド政権を打倒するには、キリスト教徒やクルド人など少数派との連携が欠かせない。内輪もめが続くなか、橋渡し役の議長として、白羽の矢が立った。

「国を持たない中東の民」クルド人は独自の言語を持ち、イラン、イラク、シリア、トルコの山間部などに住む少数民族である。シリアでは北部を中心に人口の約1割、約250万人いる。昨年4月、アサド大統領が急きょ大統領令を出すまで、うち約30万人には市民権(国籍)すら与えられていなかった。

今月初めのパリ。反体制派を支援する欧米主導の「友人会合」の後、シーダ氏にクルド問題の対応を聞くと「評議会とクルド人側との相違はとても小さいものだ。クルド人の権利を認め(言語などを)特別扱いすることは、評議会も認めている」と答えた。

シリアのクルド人は昨年3月に始まった民主化要求にあえて沈黙を保ってきた。政権が存続すれば、「革命」に積極的に参加しなかったことで報賞を得る。打倒されれば、民主化のなかで権利の拡大が期待できる。
クルドのことわざは言う。「自分が金づちならば、急(せ)いてよい。金床(かなとこ)なら耐え忍べ」

彼らが思い描くモデルは自治区をつくり、権利を拡大したイラクのクルドだ。旧フセイン政権は、対イラン戦争末期の1988年、北部ハラブジャで、イランに協力したとして自国住民のクルド人に化学兵器を浴びせた。独裁が倒れた後の宗派・民族バランスの中でクルド人は権利を拡大、イラク国家の大統領、外相ポストまでおさえた。

もちろん、容易なことではない。今やアサド政権打倒の先頭に立つトルコは「アラブの春」の直前まで、シリアと蜜月関係にあった。「クルド独立阻止」という共通利害があったからだ。トルコはイラク、シリア領内などに拠点を置くトルコの反政府武装勢力「クルド労働者党」(PKK)をテロ組織とみる。パリ会合でダウトオール外相は「シリア領土の不可分」も強調した。分離独立につながることを牽制(けんせい)する発言だ。安全保障が激変する「クルド国家」樹立は米国も認めまい。

では、クルドの自治拡大に通じる真の「友人」はだれか。6月末、パリ会合前に開かれたジュネーブでのシリア関係主要国会合では、親アサドのロシア、中国と、政権打倒の米英仏が「移行政府」樹立で妥協した。
取材後、カイロに戻る機中でクルド人のイラク外相ジバリ氏と一緒になった。「イラクも、アサド政権の打倒を目指すのか」と聞くと、答えは「(移行政府の樹立に触れた)最終文書の文言通りだ」だった。主導権は握らないが、勝ち馬には乗るという「金床」の対応だろう。山の民クルドには、こんなことわざもあるそうだ。「山以外に友はなし」 【7月16日 朝日 石合力】
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【「同じクルド人として黙って見ていられない」】
政治的には、混乱が続くシリア情勢のなかで“機を待つ”というクルド人勢力ですが、一方で、現実面では、混乱の犠牲となって苦しむクルド人の状況も報じられています。
多くのクルド人が難民としてイラク・クルド自治州内へ移動していますが、イラク中央政府の消極姿勢もあって、対応が追い付かない状況のようです。

****シリア:少数派クルド人、弾圧逃れ命がけでイラクへ越境****
混迷の続くシリアから、少数派のクルド人がイラク北部に難民として大量に流入している。戦闘の激化と弾圧を逃れるための命がけの越境で、シリア国境近くの難民キャンプには14日現在、6172人(今年3月以降)が登録する。イラク北部のクルド地域政府や国連機関が懸命の支援を続けるが、連日新たに100人以上が押し寄せ、救援物資も追いつかない状態だ。

気温46度。キャンプ内を10分も歩くと、あまりの暑さに頭痛が始まる。蒸し風呂のようなテントの中に、クルド人のアッバスさん(29)がいた。疲れた表情をしている。
「男を出せ。お前もつかまえるぞ」。5月上旬の深夜、アッバスさんが首都ダマスカスの自宅にいると、銃を持った治安部隊員が押し入り、突然脅された。反体制デモに参加した親類の男性を捜しにきたという。

義父は半年前にシリア当局に拘束された。義弟の大学生も行方不明だ。「次は自分かもしれない」。危険を感じて友人宅に逃れたが、治安部隊は職場にも訪れ、脅しが続いた。今月初旬の未明には、自宅近くでシリア軍と反体制派との戦闘が激化し、砲弾が自宅に命中した。「もう限界だ」。幸い家族ともども近所に避難していて無事だったが、脱出を決意した。妻と3人の子供、義理の兄弟ら10人で暗闇の中を逃げた。

500キロ以上離れた国境までたどり着き、ブローカーに1人当たり約300ドルのわいろを支払った。越境しようとした別の家族が、脱走兵の男が交じっているとして拘束されたと聞いた。
アッバスさんは自らが「難民」となったことに、皮肉な運命を感じている。ダマスカスで、難民支援を担う国際移住機関(IOM)に勤務していた。03年の米軍侵攻後の混乱で大量のイラク難民がシリアに流れ、現場での支援に奔走した。「自分が逆に難民になってイラクに来るとは」

キャンプには、アサド政権による弾圧への協力を拒否した若者の姿も目立った。北東部カミシリから来た無職、ムハンマドさん(20)は、徴兵の要請を繰り返し拒否。両親を残したまま、国境を越えた。友人の大半も徴兵を逃れ、各地に逃亡した。軍を脱走して拘束された友達もいる。「シリアの国民同士で殺し合うなんてばかげている。ただ、あのまま拒否すれば自分が殺されただろう」。不安そうな表情を浮かべ、写真の撮影は拒んだ。

キャンプ内では連日、テントや簡易住宅の設営が続く。地元クルド人の寄付で簡易クーラーが配布されたが、テント内の温度は35度を超える。4メートル四方弱のテントに10人近く詰め込まれることもあり、暑さと狭さでぐったりした子供もいた。

クルド地域政府の緊急対策室から派遣された現場責任者、ニヤズさん(39)は「難民が増え始めた今年3月中旬以降、援助を続けてきた。同じクルド人として黙って見ていられない」と話す。国連や非政府組織(NGO)の支援で、最低限の水や食糧は確保しているが、医薬品や衛生用品が不足ぎみだ。最近、地域政府との関係が悪化しているイラク政府は難民支援に消極的で、ニヤズさんは「政治と切り離し、人道的な支援を急ぐべきだ」と力を込めた。【7月16日 毎日】
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こうしたクルド人難民救済、イラク中央政府との軋轢は、クルド人としてのアイデンティティーを強める方向で作用します。
バルザーニ大統領の言う“吉報を発表する日”が現実の問題となれば、中東情勢を塗り替える大きな地殻変動が起こります。
コメント (1)
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