孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ハイチ  大地震から1年、進まぬ復興  日本の陸自や「ハイチのマザー・テレサ」の活動

2011-01-12 19:51:23 | 災害

(韓国と日本の陸自が共同で復旧活動にあたる現場 “flickr”より By United Nations Stabilization Mission In Haiti http://www.flickr.com/photos/minustah/4876134588/

いまだに約81万人が暮らすテント村
各紙で報じられているように、今日12日で死者約30万人を出したハイチ大地震から1年になります。
****ハイチ大地震経済損失6400億 国連開発計画が推計****
国連開発計画(UNDP)は11日までに、ハイチ大地震による経済損失は78億ドル(約6400億円)との推計を発表した。ハイチの国内総生産(GDP)の約1・2倍に当たる。復興費用は115億ドルと見積もられている。被災者は350万人に上り、29万棟以上の家屋が全半壊。政府機関の建物も大統領府を含む6割が崩壊した。首都ポルトープランスでは8割の学校が全半壊した。【1月11日 共同】
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しかし、これもまた各紙が伝えるように、大地震からの復興作業は大きく遅れています。
****避難所生活、81万人に減少=地震1年でほぼ半減―ハイチ*****
国際移住機関(IOM)は9日、昨年1月のハイチ大地震で家を失った後、今も避難所生活を続ける人の数は約81万人との試算を明らかにした。震災直後には約150万人が屋外でのテント暮らしを強いられていたが、地震発生から1年でほぼ半減したことになる。AFP通信が伝えた。
IOMによれば、避難所生活者は昨年11月ごろから大幅に減少。感染症コレラの流行が深刻化したことに加え、国際支援に伴う定住場所の確保なども減少につながったとしている。【1月10日 時事】 
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避難所生活を続ける人の数が、“81万人に半減した”と言うべきなのか、“まだ81万人いる”と言うべきか・・・。
“減少”の背景には、テント村を常設したくない政府の食糧・飲料水配給打ち切りなどの措置もあるようです。

****ハイチ大地震:発生1年 81万人がまだテント生活*****
ハイチの首都ポルトープランス周辺を襲い、死者約30万人を出した大地震(マグニチュード7.0)から12日で1年がたつ。しかし、復興は遅々として進まず、いまだに約81万人が暮らすテント村では「食べ物がほしい」という声が漏れる。昨年10月に発生したコレラのまん延が復興作業をより困難にしている。陸上自衛隊は国連平和維持活動(PKO)で現地に派遣されているが、防衛省内には「目に見えた改善が見られず、もどかしい」との声も上がっている。
今も崩れかけたままの大統領宮殿。近くのシャンドマルスには家を失った約4万4000人がテントで暮らす。だが政府はコメ、小麦、豆の食糧配給を昨年4月で、飲料水配給を1カ月前に打ち切った。テント村を常設したくないためだ。
ナターシャ・べロニさん(26)は「何でもいいから見つけて食べる。友だちに恵んでもらう」と言う。地震で家が倒壊し夫(当時29歳)と2人の子どもを失った。たまにNGOが食糧を配りに来るが、激しい争奪戦になり、何も手に入れられない。(中略)
首都周辺は地震で政府機関施設の70%、学校の88%が壊れた。すべてがまひするなか、昨年10月末からコレラが拡大した。
南部カルフール地区の「国境なき医師団」のコレラ治療センター。テントの中で患者が横たわり、穴のあいたベッドの下に置いたバケツに排せつしていた。
看護師の根本律子さん(41)は「1回の下痢で1~2リットルの水を失うため、脱水で目が落ちくぼみ無表情になる。運ばれてきた時、点滴をしようにも血管が見えない人もいる」と話す。
人口約1000万人のハイチ。保健当局によれば、1日までにコレラによる死者は3651人、罹患(りかん)者は計17万人に達した。流行は今後2、3年続くという分析もある。(後略)【1月11日 毎日】
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コレラ、全土に拡大
上記記事にもあるように、復興の遅れに追い打ちをかけているのがコレラの感染拡大です。
****コレラ終息めど立たず=ハイチ、感染全土に拡大―死者3600人超******
昨年1月の大地震被害にあえぐカリブ海のハイチに、追い打ちをかけるようにコレラがまん延し、住民の生活を脅かしている。昨年10月に感染が広がり始めて以降、死者は3600人を超えた。今ではハイチ全土で患者が出ており、終息のめどは立っていない。

首都ポルトープランスから西方約20キロにあるカルフールでは、日本とカナダの赤十字社が昨年12月中旬にコレラ治療センターを立ち上げ、24時間態勢で患者を受け入れている。最も多い時で1日の新患数は80人を上回り、五つの病棟があふれかえった。(中略)
コレラは本来、致死率の低い感染症。手洗いや排せつ物などの処理を適切に行えば、感染を防ぐことができ、感染しても早期治療で回復は早い。赤十字スタッフは地域をローラー作戦で回り、予防法や、発症時の対処法を書いたパンフレットを配布。このかいあってか、最近、患者数は減少。センターに来た時に、既に重症化している人も減ったという。
しかし、カナダ赤十字の現地代表シリル・スタインさん(30)は「今後どうなるかは注意深く見極めなければならない」と楽観を戒める。日赤チームの看護師長、高原美貴さん(45)も「年末年始に人が動いたことがまん延に影響するかもしれない。雨期が来れば、衛生状態は悪化する」と話す。【1月10日 時事】
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機能しない政府
ハイチの復興の遅れの根本的な原因は、復興の中核になるべき中央政府が機能していないことにあります。
大地震以前からハイチの統治機能には問題がありましたが、大地震によってその不十分な機能すら崩壊しました。
“地震で国家公務員の2割弱が死亡し、連邦政府庁舎28棟のうち27棟が倒壊したため行政活動が滞っている。書類が散逸して土地の所有者をなかなか確認できないせいで、多くの地区では建物の取り壊しや建設がほぼ不可能になっている”【11月24日号 Newsweek日本版】

そうした行政機能を立て直すべく行われた昨年11月の大統領選挙ですが、混乱が続いており、決選投票延期の公算も報じられています。
****決選投票、延期の公算=ハイチ大統領選*****
大地震からまもなく丸1年を迎えるハイチの選管当局者は5日、今月16日に予定されていた大統領選決選投票が延期される公算が大きいとの見方を示した。AFP通信が伝えた。
大統領選は昨年11月に第1回投票が行われたが、不正への批判や選挙無効を求める声が後を絶たず、米州機構(OAS)が検証作業を進めている。同当局者は「OASの報告書が出るまでは決選投票は実施できない」と語った。【1月6日 時事】
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こうした情勢で、事実上国際支援が頼みの綱になっています。
****長期的復興支援を約束=ハイチ大地震1年―米大統領*****
オバマ米大統領は11日、ハイチ大地震から12日で1年を迎えるに当たって声明を出し、「多大な勇気と信念で想像を絶する喪失に立ち向かった」とハイチ国民を称賛するとともに、同国に対する長期的な復興支援を約束した。
同大統領は、被災地に依然として未撤去のがれきが残り、多数の市民がテント生活を強いられている点に触れ、「大多数のハイチ人にとって復興のペースは十分でない」と指摘。西半球最貧国の復興には「何年もかかる」との認識を示した。
その上で、ハイチ主導の復興を引き続き支援していく方針を確認し、国際社会に対しても「確固とした持続的な長期的取り組みを行うという約束を果たさなければならない」と呼び掛けた。【1月12日 時事】
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現地で評価される陸自
日本の陸上自衛隊もPKOに参加しています。
****陸自の貢献に感謝=孤児院施設建設で―ハイチ*****
昨年1月の大地震から1年を迎えるカリブ海のハイチで、国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊は孤児院の施設建設の仕上げに取り組む毎日だ。地元には自衛隊に対する感謝の言葉が多く、高い技術への信頼から一層の国際貢献を期待する声も上がっている。

自衛隊は昨年2月にハイチで活動を始め、これまで1次隊、2次隊計約550人が任務を完了。現在は8月に現地入りした3次隊約350人が、がれきの除去や整地に当たっている。
首都ポルトープランスの東方約30キロの町マルパセでは10日、隊員45人が孤児院の宿舎新設に汗を流していた。気温30度、砂ぼこりが舞う中、20日の完成を目指し、雨漏り防止工事や電気配線の取り付けを行った。
孤児院は地震で倒壊した他の施設から子どもを受け入れるなどしたため、スペースが不足。仮設のプレハブ小屋やテントの利用を強いられてきた。自衛隊は昨年11月初めに工事を開始。同月実施された大統領選の結果をめぐるデモの影響などで資材が調達できず、10日間ほど作業が滞った。
現地の治安は不安定だが、日本隊隊長の佐々木俊哉1等陸佐(47)は「日本国旗を見ると、ジャポン、ジャポンと歓迎してくれている」と述べ、地元との関係は良好だと語った。
孤児院で生活するマヌシュカ・ルイさん(13)は「新しい建物が建つのが楽しみ。とても立派なものを造ってくれた自衛隊の人たちが大好き」と笑顔を見せた。マリン・モンデジール院長は「自衛隊は最大の難題を解決してくれた」と絶賛。「自衛隊にはハイチを含む国際社会でもっと活躍してほしい」と話している。【1月11日 時事】
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ただ、制約が多い現地で困難にも直面しています。
“陸上自衛隊はこの1年、首都を中心に倒壊した建物のがれき除去や、整地・造成、道路補修などを行ってきた。だが、復旧は公共施設や主要道路などにとどまり「目に見えて改善していないのが現状」(防衛省)だ。
コレラ対策として車両洗浄などのほか、現地のコレラ治療センターに医官、看護官各1人を当直要員として派遣するが、障害に直面する日々が続いている。”【1月11日 毎日】

【「ハイチのマザー・テレサ」】
現地で「ハイチのマザー・テレサ」とも呼ばれる邦人女性の活動も報じられています。
****はい上がらなきゃ」=邦人女性、震災復興に取り組む―「ハイチのマザー・テレサ****
カリブ海のハイチで死者22万人を出した大地震から12日で1年。この国に30年以上住み、医療活動に取り組んできた日本人女性がいる。医師で修道女の須藤昭子さん(83)。「はい上がらなきゃしょうがない。負けてはいられない」―。10日までに時事通信のインタビューに応じた須藤さんは、大地震やコレラ禍からの復興に力を尽くしたいと語った。
須藤さんは1976年、クリストロア宣教修道女会(本部カナダ)の医師として、ハイチに赴任した。それ以降、首都ポルトープランス西方約30キロにあるレオガンの国立結核療養所で患者の治療に従事し、「ハイチのマザー・テレサ」の名が定着した。
昨年1月の大地震で療養所は倒壊。その際、たまたま日本に一時帰国していて須藤さんは難を逃れたが、患者数人が亡くなった。地震前は医師6人前後が交代で勤務。「地震後にほとんどの医師が戻って来ず、週末に医者を置けない病院になってしまった」と肩を落とす。約50人の入所者は今もテントでの生活を余儀なくされている。

須藤さんは80歳で診療現場から退き、今は療養所の再建に力を注ぐ。「予定通りには進んでいないが、私がやらなければ」と話し、引退の2文字には無縁な様子。「多くの人は自分の人生に自分で区切りを付けてしまうようだけど、何かしないと生きている意味がない」と強調する。
農業振興と雇用創出を目指し、植林・農業学校の創設もかねて計画。今は地震で行き詰まった形だが、近い将来何としても実現する決意だ。
苦難の中にあるハイチの人々については、「苦しみに対して我慢強い。どんな困難も乗り越えようとする性格が好き」。ハイチと共に歩み続ける須藤さんの思いは揺るがない。【1月11日 時事】
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こうした陸自や須藤さんの活動が、将来的には日本の国際社会における“信頼”の拠り所となります。

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