孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  市民革命という幻想

2007-10-01 21:34:45 | 国際情勢

(9月27日 ヤンゴン 12:30 群集は数千人に膨れ上がり対決は不可避な情勢に 13:00 治安部隊による発砲が開始。 
“flickr”より By naingankyatha )

先週1週間のエジプト観光から帰国して新聞を眺めると、出発前から予想されていた福田内閣誕生はともかく、ミャンマーでの日本人ジャーナリスト死亡を含めた展開には驚きました。

9月4日の当ブログでは「事態は収まったのかな・・・」という感じを書きましたが、その後の5日のパコックの事件を契機に僧侶が前面に出る展開となり、9月14日のブログでは「市民の抗議活動が今後拡大する可能性も」と変革を期待しました。

しかし、非武装の市民の抗議というのは“武力”の前にはなすすべもないのが現実です。
犠牲者をいとわぬ発砲、僧侶の大量拘束という暴力の牙をむいた軍政に対し、一般市民は怯えて家にこもるしかありません。

以前にも書いたように、ミャンマーを旅行した際にガイド氏(88年以降の民主化弾圧によって数年間大学が閉鎖され、その間に日本語を勉強したとか)が「ミャンマーで生活するのはそんな難しくないです。もし仕事がなければお寺に行けば雑用などもらえて食べていけます。」と話すように、また、托鉢で生活できる大勢の僧侶が存在できるように、ミャンマー社会の困窮は市民が“生命を賭する”ほどにはひどい状態ではないようです。
慢性的な停電にみられるように、経済全体は行き詰っているようにも見えますが。


(警察・軍の治安部隊が前進を始めます。発砲の前に「10分間の猶予を与える」旨の警告が群集になされたそうです。 “flickr”より By naingankyatha )

新聞紙上では非情な国際社会のパワーゲームが解説されています。
ミャンマー軍政に強い影響力を持つ中国は、ミャンマーの大規模ガス田の権益を重視しているとか。
また、雲南省とインド洋を結ぶパイプラインもミャンマーに建設中とか。
有事の際に台湾海峡やマラッカ海峡を経由せずに石油を調達できるものだそうで、このような資源や軍港の確保といった地政的な重要性から、軍政を決定的に追い込むことには消極的なようです。

インドも、イランからパキスタンを経由するパイプラインがアメリカの反対で棚上げになっており、ミャンマーのガス田を重視、混乱が続いていた23日にミャンマーの新首都ネピドーでガス田採掘権に関する文書に調印したそうです。

ミャンマーの資源に関心が強いのは日本も同様で、「対話重視の原則は変わらない」(外務省幹部)そうです。
欧米とは一線を画し、歴史的にも、経済的にも、また援助の面でもミャンマー軍政と太いつながりを持つ日本としては、今まで以上に有効な“対話”をしてもらいものですが・・・。

ASEANは「建設的関与」でミャンマーを民主化へ前進させようとしてきたと伝えられていますが、何の効果もなかったようです。
資格停止や除名の声も出ているようですが、軍政は何の痛痒も感じないかも。

これまでの度重なる弾圧で、軍政が今更自分達の責任が問われる民主化へ自発的に舵を切るとも思えません。
国境山岳地帯の少数民族による反政府勢力以外に、国民の抵抗運動の基盤となる目立った武装抵抗勢力もないように見えます。

9月4日の当ブログで「日本や欧米のように、まがりなりにも政治的自由が保障され、選挙を通じた政権交代の仕組みが存在している国とは異なり、ミャンマーのような政治的自由もなく、政権交代の枠組みもない国でどのように民主化を実現していくのか・・・。
結局は多くの国民が飢えに苦しみ、大勢の活動家が銃弾に血を流すような事態にならない限りは変化はないのか・・・。」と悲観的な考えを述べましたが、先週の新聞を整理しながら、ますます重苦しい思いを感じています。


(治安部隊発砲後 煙は写真撮影妨害のために焚かれていると撮影者は言っています。 写真左の路上にも倒れた人物が見えます。“ビデオを良く見ると兵士によって後ろから銃撃された”とも述べています。“flickr”より By naingankyatha )
追加:この人物が殺害された長井さんのように思えます。(10月9日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする