孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

国際支援  “世界食糧デー”と“世界貧困デー”

2007-10-19 15:08:38 | 世相

(本文にも“食糧支援状態が最悪な国”のひとつとしてあげられているブルンジ 1人あたり国民総所得は100ドル(2005年)で世界最下位 そのせいでもないでしょうが、写真の母子の表情も・・・ “flickr”より By NinaW)

10月16日が“世界食糧デー”、一昨日17日が“世界貧困デー”だったことはご存知でしょうか?
私は知りませんでした。
海外関係のニュースのなかに、関連の記事があり初めて知りました。

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ドイツの世界飢餓援助機構(DWHH)は12日、世界中で8億5000万人以上が飢えに苦しんでいるという調査結果を発表した。特にサハラ以南のアフリカやアジア南部では、災害の影響が著しいという。
調査結果によると、リビア・アルゼンチン・リトアニアにおいて、弱い立場の国民に対する食料支援が最もしっかりしていることが確認された。一方で、支援状況が115か国中最悪と位置づけられたのはエリトリア・コンゴ共和国・ブルンジの3か国。
2006年には約4分の3の国で若干の改善が見られたといい、国連の「ミレニアム開発目標」が掲げる2015年までに飢えに苦しむ人口を半分にするという目標に届く可能性はまだあるとしている。【10月13日 AFP】

「貧困撲滅のための国際デー」に当たる17日、参加者が一斉に立ち上がることで貧困撲滅への意思や願いをアピールするイベントが国連など世界各地で開かれた。国連によると、昨年は世界各地で2300万人以上が参加、今年はさらに増える見通し。国連本部で開かれたイベントには潘基文事務総長が、「国連ミレニアム開発目標」に触れ「努力をさらに強化しなければならない」と訴えた。【10月18日 共同】
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ちなみに、一斉に立ち上がり貧困撲滅を訴えるこの取り組みは「スタンドアップ・スピークアウト」と呼ばれるもので、昨年を1000万人以上上回る110カ国の約3880万人が参加し、ギネス世界記録を更新したそうです。

また、国連世界食糧計画(WFP)によると、飢えに苦しむ8億5000万人うちのおよそ3億人が子どもだそうです。
飢えを原因として毎日、5歳未満の子ども1万8,000人を含む、2万5,000人が命を落としているそうです。

現実の重さに比べて「スタンドアップ・スピークアウト」というのも“軽い”ような気もしますが、ひとりでも多くの人の目が世界の現実に向けられるのであれば、それはそれで意義のあることでしょう。
日本でも大阪・長居スタジアムで2万7000人が一斉に立ち上がったと聞いて「結構な数じゃないか。」と感心したのですが、これはサッカー観戦に集まった観客に呼びかけて実行したもののようです。 
実際のところ、あまり世間で関心を持たれていないようで、その点が一番の問題かと思います。

マスメディアも、パフォーマンスでも、偽善行為でも、コマーシャリズムでもなんでもいいから、例えば“24時間テレビ”的な取り組みはできないのでしょうか。
誰かが100km走れば、それで助かる命も少なからずあるでしょう。(私はとても走れませんけど。)
“無関心”が最悪です。

*****WFPホームページより*****
この5年間、開発途上国の飢餓人口は減るどころか、1年に400万人のペースで増えています。
一方、世界の援助食糧は全体で、1999年の1,500万トンから2004年には750万トンに半減。
飢餓救済に向けた国際社会の対応が急務となっています。

飢餓は、人間の尊厳の侵害であり、社会・政治・経済面で発展していくうえで大きな障害となります。
世界中で多くの人々が飢え栄養不足に陥り、生活の糧を得られず命を落としています。
国際社会が合意した国際法では、あらゆる人が飢餓から解放されるという基本的な権利を有することが認められています。
国家は全ての人々が健康で活発に生活できるように、安全で栄養価の高い食糧が物理的にも経済的にも得られるよう万全を尽くす義務があるのです。
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残念ながらこの“義務”をはたせない国が現実に多数存在します。
遺憾に思われるのは、義務をはたす意思がないようにも思われる国、国民の生活・生命をなおざりにして内戦・紛争に明け暮れる国も散見されることです。

先日のミャンマーでのデモ弾圧のとき、軍政を擁護する中国は「(ミャンマー問題は)国内問題であり、国際的な脅威ではない」と安保理で協議すること自体にも疑問を示していました。
しかし、国家が自国民の食糧、安全、自由などの面で人間の尊厳を維持することが困難であれば、国際的に支援・協力もするし、国家にその意思が欠けており、多くの人々がその尊厳を傷つけられていると思われれば国際的な制裁・介入もあってしかるべきです。
国民の人間としての権利は“主権国家”に制約されるものではありません。

有効な国際介入が行われず国内問題として放置されれば、ルワンダのジェノサイドのような悲劇を繰り返すことになります。
今という時代をともに生きる人々の苦しみを、国内の諸事情から座視することがあってはならないと考えます。

コメント
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