銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

NHKニュースより、ノートルダム大聖堂、大火災、初期の報道を、置く

2019-04-19 09:54:14 | 政治
 これは、私のブログ
 
に必要な、メディアの記事です。msnから、採取しました。
 なお、このブログの、2010年から数え始めた延べ訪問回数は、5274345です。
 
一夜明け鎮火 ノートルダム大聖堂火災 検察 放火の可能性否定
2019年4月16日 21時12分
フランスを代表する歴史的な建築物でユネスコの世界文化遺産にも登録されているノートルダム大聖堂で起きた大規模な火災について、地元の検察は放火の可能性は否定し、火災と大聖堂で行われていた修復工事の関連を慎重に調べているものとみられます。
フランスのパリ中心部にあるノートルダム大聖堂で15日夜、日本時間の16日未明大規模な火災が発生し、中央にある高さ90メートル余りのせん塔が焼け落ちたほか、屋根の3分の2が崩れ落ちました。この火災で消火活動にあたっていた隊員1人が大けがをしました。

火災は一夜明けた16日、おおむね鎮火したということです。

地元の検察は16日現場で記者団に対し、火災警報器が20分ほどの間隔で続けて2回鳴った後に屋根裏で火が確認されたことを明らかにしました。

そのうえで、「火災が意図的に起こされたという証拠は今のところない。火災は偶然発生したという見立てで捜査を進めている」と述べて放火の可能性は否定しました。

ノートルダム大聖堂では焼け落ちたせん塔を中心とした中央部分で去年から大規模な修復工事が進められています。

検察は火災が起きた日に現場にいた15人の作業員から話を聞く予定にしていて、出火原因と修復工事に関係があるかどうか慎重に調べているものとみられます。
多くの文化財は無事
ノートルダム大聖堂にはキリスト教の歴史にまつわる貴重な美術品や文化財が、数多く保管されていました。
 
パリのイダルゴ市長は自身のツイッターに、「消防や警察などのおかげで大聖堂から多くの美術品を救うことができた」というコメントとともに、運び出されたとみられるしょく台やイスなどの写真を投稿しました。
 
またイエス・キリストがゴルゴタの丘で十字架にかけられたときにかぶらされたと伝えられる「茨の冠」や、13世紀にこの冠をパリに持ち込んだフランスの国王ルイ9世が着ていたとされる衣服など、多くの貴重な文化財が無事だったとしています。
地元メディア「出火原因は修復工事か」
ノートルダム大聖堂では、高さ90メートル余りのせん塔を中心とした中央部分で去年から大規模な修復工事が進められていたことから、地元の複数のメディアは、捜査当局が火災と修復工事との関連を調べ始めたと伝えています。
 
工事ではせん塔の周辺に鉄骨の足場が組まれ、今月11日までに屋根の上に飾られていた16体の像が下ろされたほか、火災が起きた15日からはせん塔の修復作業が行われていたということです。
 
フランスの有力紙「フィガロ」は警察がせん塔の回りを覆っていた足場を火元とみて捜査を始め、確認までには数日がかかる見通しだと報じています。
 
また、日刊紙の「パリジャン」は屋根で行われていた溶接作業が出火の原因だった可能性があるとして、警察が捜査を始めたと伝えています。
 
このほか、経済紙の「レゼコー」は修復工事の予算が足りず防火対策がおろそかにされていなかったかどうかについて、捜査が行われていると報じています。
市民「とてもショック」
大規模な火災から一夜が明けたノートルダム大聖堂では、中心部にあった尖塔が崩れ落ちてなくなり、周辺一帯には依然として焦げ臭いにおいが立ちこめています。
 
大聖堂の近くにある教会で働いているという修道女はNHKの取材に対し、「昨夜は火災の発生直後から市民と一緒に祈りをささげ、大勢の人々が泣いていました。ノートルダムはパリの中心であり、パリの歴史の始まりとも言える場所です。フランス革命や2度の世界大戦も耐え抜いたパリとフランスのシンボルが被害を受け、とてもショックです」と話していました。
 
またパリに住む53歳の女性は「昨夜は大聖堂が燃えていると聞いてすぐに駆けつけ、衝撃を受けました。せん塔が崩れ落ちた時は涙が止まらず、一夜が明けた大聖堂の姿を見てあぜんとしています。とてもショックですが、誰も犠牲にならなくてよかったです。数十年かかっても、私たちは大聖堂を再建できると信じていますし、必ず再建すべきです」と話していました。
 
また大聖堂に定期的に通っているという53歳の男性は「昨夜からずっと悲しみが消えません。マクロン大統領が再建すると約束してくれたので速やかに実現してくれると信じています。大聖堂はパリの心臓であり、パリ市民の心が燃やされたのと同じ気持ちです。大聖堂はことばで語り尽くせないほどの力を感じる特別な場所なのです」と話していました。
仏大使館に多くのメッセージ
ノートルダム大聖堂の火災を受けて、東京 港区のフランス大使館ではSNSを通じて悲しみを共有したり、連帯を伝えたりするメッセージが多く寄せられているということです。
 
この中では「胸が引き裂かれるような感覚でした。大聖堂のためにできることをさせてください」ということばや「家族で訪れた思い出の場所です。1日も早く再建されますことを祈っています」ということばがつづられているということです。
 
これを受けて大使館は新たにツイッターやフェイスブックで大聖堂の写真とともに、ローラン・ピック駐日大使の名前で感謝の気持ちとともに再建に向けたメッセージを発信しています。
 
この中でピック駐日大使は「火に包まれたパリのノートルダム大聖堂の映像を見て、フランス人は皆心が打ち砕かれる思いです。この教会はわれわれ自身の一部です。もちろん世界中で、とりわけ日本で称賛された記念建築物でもあります。このあまりにも悲しい日に、われわれに寄せられた連帯のしるしに深い感銘を受けています。日本の友人の皆さん、われわれがこの悲しみを乗り越えられるよう支えてください。大統領が明らかにしたように、われわれの大聖堂は再建されます!」と記しています。
専門家「天井裏は燃えやすい構造」
火災のメカニズムに詳しく、過去にノートルダム大聖堂の防火体制を視察したこともある東京理科大学の関澤愛教授によりますと大聖堂は石造りのゴシック建築で「ヴォールト」と呼ばれるアーチ型の天井で有名ですが、その天井裏には、屋根を支えるために多くの木材が使われていたということです。
 
関澤教授が2008年の視察で天井裏に入った際、現地の担当者からは「多くの木材を組み合わせた燃えやすい構造のため、煙探知機や放水設備、消火器の設置などの対策を講じている」という説明を受けたということです。
 
今回の火災について関澤教授は初期消火できずに燃え広がった理由を詳しく調べる必要があるとしたうえで、「日本の文化財の建物にも多くの木材が使われているが、初期消火に効果があるスプリンクラーの導入は一部にとどまっているのが現状で積極的に導入を検討してほしい」と話しています。
 
また消火活動と文化財保護のバランスについて「大きな建築物を消火するためには屋根を壊して上から放水する必要があるが、貴重な文化財の価値を損なうこともあり、ちゅうちょしている間に火災が拡大することもある。文化財の消火については事前に管理者と消火担当者が取り決めをしておく必要がある」と指摘しています。
ローマ法王「ともに祈り」
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は、ノートルダム大聖堂で起きた火災について、みずからのツイッターに「深刻な被害によってもたらされた悲しみが再建という希望に変わるよう、フランスの人たちとともに祈っています」と投稿しました。         
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ええと、更新しないといけないのですが、

2019-04-18 23:09:46 | 政治
 すみません。昼の12時から外出して、23時(=夜の11時)過ぎに帰宅をしました。更新しないといけないです。書くべきことのアイデアは、いっぱいあります。が、恐れ入りますが、最上の状態ではないと、自分で、思いますので、明日の、夜まで、新しいものの公開は、お待ちいただきたく存じます。何が最上ではないかというと、頭と、体の状態がです。疲れています。
 こういう時には、ブログは、書かないことに、しています。最近ですが、そうしております。2012年ごろは、違って居たのですが、最近は、やはり、体力が落ちてきているのです。その上、深く、深くえぐって書いていますので、以前より、書く事で、疲労困憊する有様です。更新は、お待ちいただきたく存じます。
   雨宮舜 (本名 川崎千恵子)
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ワンギリが、久しぶりにあったので、アンアンの美尻特集と、やまゆり園事件当夜の、手をつなぐ親の会の声明文の二つが内包する秘密を書きたくなる私

2019-04-17 04:11:38 | 政治
 これは、100%前報(あと注1)の続きです。で、節建ての番号は、七番から始まります。ただ、17日の時点で、副題ゼロを、冒頭に加えています。
 ところで、この文章は、16日の深夜、右や左へ、大騒動というほどに、書く事を妨害され、いじめられました。一万字、以上が消えたり、非公開のはずの頁が、表に出たり、散々に、振り回されました。理由は、この章の主人公、笠松敦子さんが、私のパソコンをシステム的に破壊をして居る古村浩三君と、グループを形成している・・・・・という点と、
 長谷川智恵子、元、笠間美術館・館長に、茨城県教育委員会で、・・・・・「障害児は、妊娠時検査の段階で、染色体異常で、わかるのですから、その時点で、堕胎をさせましょう。そうすると、茨城県は、無駄な出費を抑えられます」と発言させたことを、書いていたのと、・・・・・その謀略を、長谷川さんに、納得をさせて、引き受けさせた、人物は、塩見和子、栗田玲子の二人の可能性が大きい・・・・と、書いたのが、CIAエージェント達の逆鱗に触れたのでしょう。しかし、それが、ニュースとなった当時、私は、一回書いています。その時は大丈夫だったのに、16日は駄目だったのは、笠松敦子さんが、伊藤玄二郎と、井上ひさしと、既に、面通しが、済んでいて、かつ、会話を交わす間柄だったからだと、推察しています。ともかく、昨日は、ボロボロの、体力になるほど、消耗をさせられました。
 一方で、古村浩三君は、笠松敦子さんと、自分との間柄を書かれる事や、笠松敦子さん本人について、あれこれ、書かれるのを阻止しようとして、16日の夜は、私に、べったりと、引っ付いていた可能性があります。それで、グーブログの、書き込み方法を、突然変更したり(無論のこと、相当前から、準備はして置いたのでしょうが、突然に、予告なしで、その日に実行を)したのは、この章に書いてあることが、どれ程に、真実に近い事であるか、を、指し示しています。表むきには、又、素面(しらふ)では、とてもできない様なことを平気でやってくるのが彼ら、鎌倉エージェントの面々です。それを、私が「ミステリーを解きます」と、言いながら、次から次へと、真実を明らかにしていくので、復讐をしてくるのです。最初に恐ろしい攻撃をまず、やってきて、其れを、ブログ化して解明すると、今度は別の方法で、復讐してくる。「彼等は、悪魔か! はたまた、鬼か、!」というほどの集団です。
 
 一応、17日の昼間、徹夜明けの後で、8時間ねて、しっかり、回復をしたところで、下の文章を、完成させていきましょう。
 なお、古村浩三君というのは、私の大学時代の23人の同級生の一人で、日本最初期の、システムエンジニアのひとりです。キリスト教に基づいた大学での、同級生の一人であるのにもかかわらず、平気で、私のパソコンに、異常を起こし続けてきた人物です。アドビもワードにも、何何回という以上を起こし続けてきた人物です。そして、片山ゆうすけ君を、人身御供に仕立て上げて成りすまし疑惑問題を起こし、投獄をした人物でもあります。
 また、日大アメフト問題とは、古村浩三君の、奥さんが、経営している塾に宮川泰介選手が、学んでいたことから、謀略として、起こすことが可能だった、いやな事案です。日大人よ、怒れ、鎌倉エージェントと、私が読んでいる人物たちに・・・・・・と、言いたいのですが、
 最近、藤木大地が、アンコール曲として、準備していた、【砂山】の作曲家を、探していた、件で、偶然にも、日本の歌百選というサイトに、付きあたり、
 そこに、磯部俶作曲の、【遥かな友に】が、入っていないことに驚いて、早稲田人よ、怒れと、言う文章を書き始めていますが、それが、前々報です。
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副題0、『中西レイが、16日午後NHKで、放映をされた、【午後ナマ】に出てきたが?』
 
 なお、17日に、初稿として、この部分を副題7の前に、加筆しますが、16日の午後ナマに、中西レイが、出てきて、「名曲、名曲の作曲者です」、「名曲を4000曲をつくりました」と連呼されて、番組が作られていました。これは、鎌倉エージェントが、私のこの一連の文章を、おちょくり、けなすために、急に設定したのだと、思います。菅原洋一が歌う、【知りたくないの】が、上野の、文化会館小ホールで、アンコール曲として、選定されるケースは、未来にはあるかもしれませんが、今のところは、ありません。そこは、クラシック分野の殿堂です。今のところ、その歌は、歌謡曲の分野に、存在していますからね。しかし、100万枚を超す、大ヒット曲ではあるらしい。だから、磯部俶の【遥かな友に】よりは、えらいのだと、言いたいのが鎌倉エージェント達の本意でしょう。
 中西レイは、鎌倉芸術館を設計した人物です。しかし、そこは、美術部門が、極端に圧迫をされています。ロビーが、馬鹿に広くとってあるのに、美術部門は、極論すれば、廊下に過ぎないのです。絵を見るのに、身を引いては、見られません。それを、昔このブログ内で、一回、私が、書いているので、伊藤玄二郎達は、中西レイに対して、「雨宮舜は、あなたの敵なのだから」と、伝えていると、思われます。したがって、こういう風に急遽呼び出されても、協力をしているし、事前に、そうする様に、指導をされているものだから、特別に偉そうにして、ふんぞり返っていました。「睥睨目線で、テレビ受像機の向こう側に、いる私こと、雨宮舜を見下しなさい」と命令されていると、考えます。(苦笑)と、いう添え文を17日の、夜11時半に入れて、先へ進みます。
 特に、中西レイは、鎌倉在住だし、【赤い月】で、直木賞を取っているのではないですか? そうなると、伊藤玄二郎からの命令には、裏にまだ、実際には、生きている井上ひさしが存在しているのですから、瞬時に「はい、出演をいたします」と、いう人間と、なります。あとで、チェックしておきましょう。

 なお、以下は、体力がないところ、無理して書いているので、会話体を捨てております。それは、ぶしつけ、又は、無礼に見えるかもしれませんが、ある意味で、冷静になれる、文体なので、長所もありますので、本日は、このままで、進ませてくださいませ。
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副題7、『16日は、午後3時に、家を出て、夜8時に帰宅をした。そして、ゆっくりと、心身を休めていた。そこへ、ワンギリの電話が、数年ぶりにかかってきた。で、五時間の休息を経て、さきほどまでは・・・今夜は、取り掛かるのは、やめよう・・・と、思って居た、前々報の、最後部分を、書く事へと、意志を奮い立たせているところである・・・・・
 
 その上、書き始めて、4時間後、やっとできたと、思ったら、一万字以上が、消えていて、その四時間分が、全く無駄になった。これも裏に古村浩三君が控えていたので、可能になった作業だと、思う。なんという、苦しめられ方であろう。だが、ただ、唯、体力を消耗しつつつ、同じ内容を持つ文章を再現するほかはない』
 
 本日=16日は、続きを書かない予定だった。体力を温存して、しっかりとした、最高の状態で、明日、17日に、続きを書くつもりだった。それで、テレビをゆっくりとみていた。NHKの【プロフェッショナル】で、美尻トレーニングを、売り物にしている女性が、出現。
 この美尻という言葉は、私にとっては、鬼門である。泥棒ちゃんが、10年以上前に、寝室に、【美尻and美脚】というラベルを置いて帰ったのを、泥棒の侵入の証拠として、ブログ化している。
 
 ここで、証拠写真を置きたいが、どうしても、本日は、コピペが、できないので、下に、写真だけのブログを公開したい。その下の方の写真が、此処に本来は、くるべきだった。これも、古村浩三君が裏にいたからと、信じている。
 
 そこの中で、下の写真に、特にこだわる。パンツのラベルらしきものとして、入れ込められていたが、普通は、メイカーの名前が、同時に印刷をされているはずだし、これ程に、暗い色で、下着のラベルを作るはずがないし、あれこれを考えても、これは、単純に、「お前の寝室が散らかり放題なのを見たぞ」と、言いたい敵さんが置いていった、いやがらせ用証拠品であると、昔、一度、か、二度、書いた。
 しかし、その私のブログを打ち消すかの如く、アンアンが、美尻and美脚特集を打った。 美尻という言葉が、あたかも、女性の中で、定着しているかの如く、思わせるために。確かに、それ以降は、定着をした可能性はある。
 
 しかし、二重否定の手法を駆使して、考える私は、それを、私のブログが正しかったことを傍証づけるものだと、認識していて、参ることもなくて、その泥棒については、さらに詳細に、書き始めている。
 最近では、数か月をかけて、連綿として、画家Aという泥棒と、安野忠彦氏という二人のご近所様が、警察から合鍵をもらって居て、種々様々な悪さをしに、この私の家に、侵入をして居ることを書き続けている。画家Aの方の実名をさらさないのは、彼が、非常にねじ曲がった真情の持ち主で、しかも、美術界にも、通通なので、書くべきことが大量にあり、其れを、すべて書き終わるまで、私自身の、心理的負担が、少なるなることを願って、実名を伏せている。
 その二軒の家の上部に存在する、鎌倉エージェントは、私が書いていることを否定するつもりで、雑誌【アンアン】を使ってきたのだけれど、私は、其れを二重否定として、受取り、結果として、自分の書いていることが正しいと、言う方向で、勘案するのだった。したがって、直木賞受賞者、林真理子が裏で動いて、アンアンは、そういう特集号を出したのだし、その裏には、いまだ、本当は、生きている、井上ひさしの意思が存在したと、考えている。
 
 藤木大地の、演奏会について描いたのが、前々報なので、その続きのつもりで、新しく、このブログへ入ってきた方は、このあたりの記述に関しては、『ちんぷんかんぷんだ。何を言って居るのだろう?』と、お思いになるかもしれないが、ともかく、書きたいことをまず、書かせていただこう。もっとも、驚かれるところは、井上ひさしが、実際には、まだ生きているというところだと、思うが、本日もワンギリの電話を受けて、其れを確信をした。彼は、私が、重要な真実を書いたり、出来がいい文章を書いたりすると、ワンギリの電話をかけてくるのだった。それを、以下に説明をしていくつもりだ。お待ちいただきたい。

 本日、2019-4-16の、NHK【プロフェッショナル】が、美尻トレーナーという人物を取り上げたのも、結局は、鎌倉エージェントが、NHKを支配していると、いう事のあかしだし、ご近所が、泥棒に入っているのも、正しかったのだと、思う。
 
 しかし、その番組を、見ているうちに、その主人公が、アメリカで、教育を受けて、アメリカ人女性の良い部分(=個性を大切にする。一方で、日本人女性は、横並びで他人と、同じであることを大切にする)を、日本人女性に、植え付けたいと願って居ることを知り、其れは、私も同じだから、割と、熱心に見始めた。
 
 まあ、私の本音としては、相当に、違う部分もあるのだけれど。・・・・・日本は、被・植民地国家だから、あに、ただ、若い女性に限らず、みんな没個性で、横並びを、やりたがるわけで、其のトレーナー一人が頑張っても社会が変わらない限り、日本人は、女性であれ、男性であれ、変わらないのだけれど・・・・・と、私は、いいたいが、それでも、その番組を面白いと思って注目をしていた。すると、テレビのそば左側に置いてある、新しい機種の電話機の、発信先電話番号を教えるウィンドーに、光が入った。時間は、23時直前である。『・・・立っていったら、相手先電話番号がわかるかなあ?』と、思ったが、立っては、行かなかった。『・・・どうせ脅かし用ワンギリであろうから、相手は、番号・非通知で、掛けてきているはずだから、立って行って、確認をするのも、無駄な作業となるだろう。本日は疲れ切って居るのだから、エネルギーを消耗したくは無い・・・』と、思ったからだ。案の定、ワンコール程度で、電話は切られて、例のワンギリであった。
 
 こういう時間帯に、電話をかけてくる人の心当たりは、二人あった。一人は、津田塾大学卒の、インテリ女性であり、もう一人は、いまだ、実際には、生きている井上ひさしである。私は後者だと、思って居る。そして、久しぶりに彼が真夜中のワンギリを、行ったことに、意味を感じて、急にブログの、続きを書く事と、意志を変更をした。
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副題8、『なぜ、井上ひさしは、ワンギリを仕掛けてきたのか? 彼は、笠松敦子さんと面通しが、すでに、済んでいて、かつ、やまゆり園事件で、彼女を使役をしている。そのことを書かれると困るので、書くなという、脅かしの意味で、ワンギリをしてきたのだった』

 上の節で言って居る通り、真夜中に電話をかけてくる人物の可能性は、二人あったが、津田塾出身の人は、礼儀知らずではなくて、メールで、断ったうえで、電話をくれるはずなので、このワンギリは、井上ひさしからだと、確信をしている。で、彼は、私を、脅かすために、其れを、行って居るつもりであろう。脅かせば、笠松敦子について、これ以上書く事をやめるはずだし、そうなれば、彼女の路線から、やまゆり園事件に多大なウソが含まれていたことがばれないで済む・・・・・と考えていたと、推察している。 

 しかし、私は、さらに、一ひねりをした解釈をしている、彼は、威張りかえっているが、実像としては、神経質で、気が弱い。したがって、以前の、好子夫人にも頼り切っていた部分があるが、今般の、ゆり夫人に対しても頼り切っていると、思われる。百合夫人の方も、彼、本人に比較をすると、はるかにしたたかで、根太い人間でありるはずだし。現代社会における共産党程、二重三重に嘘が内包をされている党派もないと、思われる組織だから、そんな中で、幹部のお嬢様として育った女性だ。どれほどにたくましいか、押して知るべしだ。で、井上ひさしは、彼女へ頼り切っていると、推察される。

 ところで、ワンギリへの解釈に戻る。

 彼は、脅かしのつもりで、其れをやっている。しかし、其れを受け取った私の方は、彼の気の弱さの反映だと、取る。

 前々報(あと注1)の最後で、笠松敦子さんに、電話をかけた。その前に、シミレーションを立てたと、言って居る。

 そして、井上ひさしは、警察(特に殺人用特殊部隊、CIAの支配を受けており、それに、全面的に従い、協力をしている特殊部隊)が、電話を盗聴しているので、その内容は、当然に知っていると、思われる。

 別に大したことではない。だけど、彼が、ワンギリの電話をかけてきたので、そこで、合点が行った。これは、相当に大切なエピソードなのだと。それで、今夜はわざと其れを語らないで、おこう。笠松敦子さんについては、本日と、昨日に書いた部分の五倍くらい、多数の字数を使って書かないといけないので、その時にでも、使おう。いやこの文の前に、一万字以上を書いたのに消えているのです。久しぶりのダイレクトな弾圧を受けました。しかし、だからこそ、そこで描いたことは、最大限の、真実だったのです。

 苦しいが、ひたすらに努力を重ねて、再現していきましょう。

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副題9、『電話の内容は、明かしたくないが、私は、事前に推定していた通りの、決論を得た。あの、手をつなぐ親の会の声明というのは、文案を、笠松敦子さんが書き、公開の処置も彼女が取ったと。』

 こうなると、驚くべき自己撞着と自己矛盾が発生をします。彼女のご長男には、自閉症が、発生しています。彼女は、1980年代に、私にこう告げました。「神は重過ぎる任務を与えないというわ。育てにくい子供は、育てる能力のある家にしか生まれないと」と。でしっかりと、引き受けて育てるつもりでした。

 ここから先、彼女の優秀さが出てきます。国際キリスト教大学は、第一期から、第14期生までは、非常に優秀でした。東大の、学生新聞が、「東大に入るより、ICUに入る方が難しい」と書いたのです。しかし、1967年の入学試験が大学紛争で、つぶれた時を境に、急激に評価を落としました。

 そしてそれに輪をかけたのが、学生生活の変化でした。学生アルバイトが、学費を親から出してもらえない学生が行う家庭教師から、海外渡航費とか、洋服を買うお金を稼ぐための、飲食業界へと、変化をしていき、それとともに、繁華街に近い都心の大学の人気が高まっていったのです。郊外へ、進出した大学は、軒並み都心へ回帰を果たしています。明治大学など、もっとも、賢い選択をした方でしょう。上智大学は、もともと、四谷駅至近距離校舎が、本校だから、最大限に、地の利がいいのです。青山学院も渋谷とか原宿に近いので、人気が出ました。慶応はバイトをする必要のない学生が多いので、郊外でも構わないのですけれどね。

 国際基督教大学はアメリカの為に役立つ人材を作蔦目に、創建されたという、趣があるので、学費が安く、かつ、学生数が少ないのです。だから、明治大学や慶応大学の様に、学生から集めた資金で、土地を買ったり、建物を作る力がありません。それで、どんどん、どんどん、人気が落ちていて、入学試験の難易度も下がっています。しかし、1966年度までは、大変優秀な人材を世に出しています。特に女性としては、出版社に勤務する人が優秀で、大手に勤務した人材では、湯川有紀子さんなど、婦人公論と、中央公論の編集者を、歴任しました。

 ハリーポッターで当てた松岡佑子さんは、最初は、ご主人の作った小さな出版社,静山社勤務でしたが、ご主人が難病で、亡くなると、思い切った行動に出て、ハリーポッターの出版権を得ました。大当たりです。ターシャチューダー紹介で、有名な食野(めしの)雅子さんも、先輩が作った出版社ミネルバ所属でしたが、独立した、翻訳者となりました。

 そして、今、焦点を当てている笠松敦子さんです。彼女は経営規模としては、中間だが、質が高い事で、有名な筑摩書房に、新卒社員として、勤務しました。彼女は体形は、ずんぐりむっくりで、さして、特徴がないのですが、お顔が愛らしいのです。目が大きくて、リスとか、やまねとか、むささびを思わせる、お顔立ちです。で、筑摩勤務の男性と結婚されました。優秀な人だろうと、思います。

 で、此処まで、当時のICU生の優秀さを、並べ立てたのは、自分の、自慢をするためではないのです。彼女がどれほどに、新しい分野を開いたかを、語りたいからです。彼女は、こういうお子さんが通う施設を新しく作りました。保育所段階とか、幼稚園段階のお子さんを預かってくれるところです。そして、送迎バスも、準備しました。
 彼女が、優秀だなあと、思ったのは、別のご両親で、お子さんを一種の檻の中に閉じ込めている一家があったからです。
 それは、北久里浜時代の我が家の北側のお宅での、次男さんの扱いでした。彼には、二階の東側のお部屋を与えていました。そして、その窓から、自由に出られる形で、六畳程度の大きなヴェランダを、駐車場の上に作ってあげました。坊やは、高校程度まで、そこで、周回しては、駅の名前を次から次へと語っているのです。動物園の狭い折に入れられている、虎が、部屋の中をくるくる、周回する様に、ベランダを、周回しては、シブヤー、エビスー、メグロー、ゴタンダー、オオサキーと、大きな声で、つぶやき続けているのです。其のヴェランダは広い視界もあるし、風は通り抜けるし、太陽は当たります。しかし、『一種の座敷牢だなあ』と、私は、思って居ました。自閉症のお子さんは、集中力が深いのです。だから、頭がよくて、時刻表か何かから得た駅名知識を、繰り返し、一人語りしているのです。しかし、何となく、『かわいそうだなあ。自由を阻止されているから』と、私には見えました。
 或る夜の午前2時にごろに、我が家の、スレートの屋根にばらばらと、何かがあたる、異様な音がするので、外へ出てみると、坊やが、庭に敷き詰めてある小石を、我が家方向へ投げつけているのでした。
 私は人の気持ちが、非常によくわかる方で、しかも優しいのです。それで、自分自身の親から、あまり丁寧に愛されていない子供が、我が家で、やりたい放題をするのに困ったことはあるのですが、・・・・・そういう子供は、やさしい近所のおばさんのいう事など、聞かないのでした。親は、ご飯を上げる上げないで、生殺与奪の権を握っているので、子供は、其れを、察して、いう事を聞くのです。が、他人のおばさんは、自分野、くいっぱぐれには、関係がないので、いう事を聞かない音でした。・・・・それでも、世話する私の方は、苦労の限りでしたが、それでも、子供にとっては、天国で会って、いつも子供が遊びに来ている、にぎやかな家でした。
 それが、うらやましかったのだろうと、思います。それをお母さん(または、お父さん)に言葉で、説明をして、自分も一緒に、又は、一人で、街へ出かけたりしたかったのだと、推察しています。又は、放課後、集まれる施設を作ったりすればいいのでしょうが、お父さんも、お母さんも、そういう方向へは動かないのでした。
 
 で、その夜の私の方は、ご両親を起こすことはしないで、次の日に、実情を話して、困ると、言いました。それで、引っ越して行ったみたいです。それで、大人になったのちの彼が、どういう生活へと、変わっていったのかは、わかりません。
 私は、引っ越しまでを求めるつもりは毛頭ありませんでした。ただ、もう少し、お母さんが、面倒を見てあげた方がいいとは、思って居ましたが、それも、提案もしませんでした。
 しかし、笠松さんなら違うでしょう。放課後の、施設も作ると、思いますよ。そして、明るい顔をしててきぱきと生きている人です。一方、其のヴェランダを、一種の牢獄としている家のお母さんは、非常に暗い顔をしているのでした。そして、肌の色浅黒くという形でした。もしかしたらアル中で、肝臓でも悪いかな?と、思うほどでした。
 こういう風に親世代から、始まっている教育の問題は、他人では、どうしようもないのです。そして、お子さんの方は、抜群に勘がいいので、私が其のヴェランダを見上げて、かわいそうに、と思って居るのがわかっていて、それで、妬みもあろうが、関心を引きたくて、小砂利を屋根に投げつけていたとも、考えられるのでした。
 猫のツンデレというのがあるでしょう。お子さんだって、言葉で、コミュニケーションを取れないだけに、かえって、勘が鋭く、人を見つめているのです。一種のツンデレと考えると、私が彼に、真実の関心を持っているのを、彼は気が付いていたのでした。
 ともかく、同じ女性とはいえ、行動力とか、リーダーシップとか、新しい分野を開拓する能力とか言うものは、一人一人、違って居るのでした。そして、笠松敦子さんは、優秀でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題10、『しかし、その笠松敦子さんが、敵方に、吸い取られて、いて、裏切っている人だったのには、相当に、以前から、気が付いてはいた。しかし、リアルな世界で、喧嘩を売ったことはない。また、気が付いているわよ。ひどいことをするのねと、言って居たところで、彼女が、方針を変える可能性は、無かった』 
 笠松敦子さんは、優秀だから、市や、都や、県のお金を使って、自閉症の、お子さんが生きるのに、楽になる方法を、いろいろ、考え出しました。
 しかし、と、同時に、個人的にもお金がたくさんあった方が、おぼっちゃまの将来に、支援になると考えた、部分も、あるでしょう。それで、在宅編集者となりました。
 その仕事上、無視できない存在が、井上ひさしだったでしょう。
 すみませんが、此処から先は、明日18日に書きます。
  このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5270328です。

 

 
後注1
【初恋】と【遥かな友に】は名曲だと思うが、日本の歌百選から漏れている。それは、変だ
2019-04-16 02:06:51 | 音楽
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アンアンの美尻特集号と、私の寝室にこっそりと入れ込められていた、パンツのラベルらしき、暗い色の印刷ラベル。

2019-04-17 00:30:51 | 政治
 
 
 
ジャンル:
ウェブログ
 
この写真ですが、エロチックな攻撃をされたと言う意味で、屈指の実例だと思っております。一応ですが、商品のラベルの模様です。 留守中に泥棒が入って来て、これを寝室の床にひそかにおいて行ったのです。
 このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5270328です。
 
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【初恋】と【遥かな友に】は名曲だと思うが、日本の歌百選から漏れている。それは、変だ

2019-04-16 02:06:51 | 音楽

 なお、この一章は、本当は、【日本の、歌百選に、【遥かな友に】が、無いのはおかしい。早稲田びとよ、怒れ!・・・・日大びとも、怒れ! CIA Agentに対して】としたいのですが、昨日の続きとして語ると、音楽の話題から入りますので、総タイトルを、わざと、温和なものにしておきましょう。

副題1、『藤木大地が、石川啄木作詞、越谷達之介作曲の、【初恋】を、最終曲として、予定をしていたであろうことは、彼がどれほどに、今、快調であるかを証明している』

  藤木大地の演奏会を聴いて、その日(=19-4-13)に上野の文化会館小ホールに集まった、聴衆と、主役の間にどれ程に、深い信頼関係があったかを、前報(あと注1)で、述べています。彼は、アンコール曲を四つも歌いました。そして、9時15分に演奏会を終えています。それは、大サービスだと、聴衆は、みんな思いました。そして、「通」の人々は、彼が、用意した、アンコール曲は、本当は、二曲であって、最終曲は、【初恋】になるはずだと、わかっていたはずです。、あまりに会場が盛り上がったので、演奏会の中の二曲を、付け足しとして、さらに、選んだのではないかなあ? で、全部で、四曲になった。ただ、その付けたしの二曲は、私にとっては、未知の外国の曲だったので、この発想が、正しかったかどうかがわかりませんが、たぶん、そうです。

 ところで、最終曲が、【初恋】だったのには、驚きました。だって、たった9小節しかない短い短い歌なのですよ。歌詞は、一番しかありません。それで、締めくくるとは、どれ程に、自分の歌唱力に自信があるか、そして、聴衆が、受け入れてくれていることへの、どれ程に、強い信頼感があるかを示しています。ただ、何といっても、素晴らしい選択でした。

 そして、後注1内では、「政治的な論理を用いない」と、宣言をしていますので、藤木大地が、来る4月29日に覚園寺で、大々的な演奏会を行う事などには、触れておりません。そして、そこに、武部聡志の陰を感じていることをも、語っておりません。なお、その件は、別の章で、語る予定がありますが、今は、触れないで、置きましょう。

 そして、私の方も、実は、今では、そういう、短い、短い曲も美しく歌える様になっていることをも、語っておりませんでした。あくまでも、藤木大地という人を主役に立てた文章だったからです。

 私は、各分野に、それぞれ、その道に通暁している人なら、わかっている傑作というものがあると、思いますが、【初恋】は、その一つです。

 今、別の人のブログ、日々の暮らしを記憶に刻む に入り、その人の、2015年10月のブログ、石川啄木・短歌を歌曲にした越谷達之助にふれる に入り、さらに、その人が紹介をしている、越谷達之介の、青山学院高等部で、教師をしていた時代の生徒であったらしい、青木純のブログ が、紹介をされているのにも、きがつきます。しかし、そこには、私は、入れなかったので、上記のブログの著者が、引用している青木純の文章を選び取り、下に、コピペします。:::::::::::

『日本歌曲の傑作「初恋」〜   越谷達之助の歌曲。
越谷達之助先生が昭和13年に作曲し三浦環に捧げられた日
本歌曲の不朽の名曲「初恋」は今も多くの日本人に愛唱され
ています。また海外の多くの著名な声楽家にもしばしば歌わ
れ、日本歌曲を代表する名曲となっています。
この「初恋」は越谷達之助先生の歌曲集「啄木によせて歌え
る」に収められています。この「啄木によせて歌える」のほ
か、単独の歌曲や連作歌曲を集めた「日本の哀愁」を「越谷
達之助記念会」では再刊しました。
またこの他の歌曲集のコピーやLPからダビングしたCD-R
を頒布しています。』     :::::::::::

 どうして、これ程に、込み入った、紹介記事を書いたかというと、グーグル検索だけではこの曲が作られて時期が、探し出せなかったからです。この曲が、昭和13年に作られたというのは、重要です。それは、まだ、一部に、ほんのトレース程度でも、大正モダニズムの影響が残っている時代だったからでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『次に、童謡の分野では、傑作のひとつであろう、【里の秋】が、いつ作られたかを、知りたくなって、その制作秘話にたどり着いた』

 ところで、私は、この歌の作曲者を探し出そうとして、其れもなかなか、苦労をいたしました。その過程で、同じく、自分にとっての、最近の愛唱歌である、【里の秋】が、いつ、作成をされたかを知りたくなったのです。それは、童謡でもあるが、反戦歌でもあると、言われています。で、戦前に、作られたのではないかと、推察していたのでした。しかし、それは、戦後に、制作されたものだったのです。特に海沼実が、作曲をしたのは、戦後です。しかし、作詞の裏側が、微妙極まりないのでした。その微妙さが、歴史的事実を反映をしているので、wikipediaから、その部分を引用します。::::::::

「里の秋」と『星月夜』

『星月夜』(ほしづきよ)は、斎藤信夫がまだ国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月に作られた、1番から4番までの歌詞で、後に童謡の雑誌に掲載された。

太平洋戦争の始まりを報せる臨時ニュースに高揚感を覚え、その思いを書き上げたと言われている。

1,2番は「里の秋」と同じ歌詞だが、続く後半の3,4番は「父さんの活躍を祈ってます。将来ボクも国を護ります」という様な内容で締めくくられている。

早速、童謡にしてもらうため海沼に送ったものの、曲が付けられる事はなかった。

やがて終戦を迎え、海沼は放送局から番組に使う曲を依頼され、要望に合った歌詞を探して見つけたのが「星月夜」だった。

そのままの歌詞では使えないと判断した海沼は、斎藤に東京まで出てくるように電報を打つ。

戦争で戦う様に教えていた事に責任を感じた斎藤は、終戦後、教師を辞めていた。

電報を受けた斎藤はすぐに海沼に会いに行き、「星月夜」の歌詞を書き変える作業を始めたがなかなか進まず、曲名が「里の秋」に変えられたのも放送当日だった。  ::::::::::::::

 この秘話を知って、わかったことは、最初期、1941年(昭和16年)の、詩では反戦歌では、無くて、戦意高揚の、歌詞が、三番と、四番にあったという部分です。で、海沼は、その時点では、無視したのです。しかし、1番と2番が傑作だったので、戦後、「どうですか? 三番と、四番を作り直しませんか?」と、提案して、斎藤信夫が、作り直したのでした。それでは、一般的ですね。戦後には、人々は、自由な発想を許されたのですから。戦時中にあの歌詞で、あの曲が、制作をされたとしたらすごい事だったのですが、・・・・・しかし、其れだけ、軍部の圧力がすさまじかったと、いう事でもありましょう。

 ところで、そういう作業をしているうちに、日本の歌。百選というものがあるのに、気が付きます。【里の秋】が選ばれていると、書いてあるからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『日本の歌・百選に、【里の秋】は、選ばれていた。しかし、【初恋】と、【遥かな友に】が、選ばれていなかった。ほかの曲を詳細に検討してみた。湯山昭の、【あめふりくまのあめふこ】が、選ばれているのには、・・・・・短い歌でも傑作は傑作だと、言う趣旨からいうと、・・・・・喜びが、大きかったが、【遥かな友に】が、選ばれていないのは、変だ。そこから、数字のマジックとか、CIAエージェント、特に、私が、鎌倉エージェントと呼ぶ連中の陰(=悪い影響力)を察してしまう。ひどいことだ』

 里の秋は、NHKが、放送をしたそうです。それと、学校の教科書に載っていると、思います。したがって、人口に膾炙したと、言えますね。一方で、【初恋】は、高校の教科書に、載っているかどうか? というくらいの、難しい曲の方に入るでしょう。難しさとは、短い曲で、表現することの難しさを指します。メロディが、10段階飛ぶとか、そういう技術的な部分ではありません。

 そして、【初恋】は、最初、日本最初期の有名オペラ歌手、三浦環にささげられたそうですから、クラシック畑の歌曲としてとらえられているので、歌える人が少ないのかもしれません。だから、日本の裏百選にえらばれていない。それは、納得しないといけないかもしれません。

 しかし、【遥かな友に】の方は、納得ができません。一時期、人気が高かった、ボニージャックスの持ち歌なので、テレビでも何度も、放映をされていると、思いますし、いわゆる、市民合唱団の、定番ソングの、一つだと、思うのです。だから、日本の歌百選に漏れているのが、変なのです。

 ダークダックスの方が、慶応グリークラブが生み出した、グループでした。ボニージャックスは早稲田大学グリークラブが生み出したグループです。【遥かな友に】は、道志村(【おらあ三太だ】という児童映画のロケ地として有名)で、早稲田のグリークラブが、合宿をしていた最中に、部員が寝ないので、上級生が、「どうしましょう?」と、当時、指揮者だった、磯部俶に相談をしたら、磯部俶が、腹ばいになったまま、五線紙もないのに、作曲をしたと、されている曲です。静かで、しみじみとした名曲です。だから学生たちも枕投げ等をやめて、すやすやと、寝入ったと、思われる曲です。

 星野リゾートが、リニューアルしたあるホテルで、夜、合唱の催しがあったのです。そこでも、選曲をされていました。本当に美しい曲です。

 でね。これが、日本の歌百選から漏れていること、及び、その選定が、2007年になされていることを考えると、これは、例のごとく、対、私いじめの作業であろうと、みなすほかはないのですね。断腸の思いで語る話ですが、語っていきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『私は、【隅田トリフォニーホール】の舞台で、磯部俶指揮で、この【遥かな友に】を歌って居る。それは、1999年代だったが、私が本を作り始めて、2007年ごろは、もっとも、活発に、其れを行って居たし、さらに、この百選が、準備されたころの、2006年には、月刊ギャラリーに連載もしていたので、・・・・・ありとあらゆるレベルで、又、アリと、あらゆる方向で、弾圧をしてやれ。そうしないと、自分達が過去に行ってきた悪を世間に、公開をされてしまう・・・・・という形で、この【遥かな友に】を、落とすために、日本の歌百選を選定したのだと、思われる。当時の文化庁は、めちゃくちゃなレベルで、鎌倉エージェントに、支配をされていたので、そこまで、ありえると、感じている』

 今では、どういう経路で、そこに入ったのかを忘れていますが、藤沢女声合唱団というところに所属をしていた時期があります。「鎌倉への引っ越し後、合唱祭を、聞きに行った時に、そこが、新部員を募集していたので、入った」と、あいまいな、記憶ですが、覚えています。その指揮者は、当時は、磯部和先生でした。和(かず)先生は、たまたま、美術界で、私が深く尊敬をしている、高橋和さんと、同じ名前です。そして、俶先生の奥様でした。普通は、藤沢市民会館で、練習成果を、披露をするのですが、一回だけ、俶先生が、指導をしているグループと一緒に、隅田トリフォニーホールの舞台で、数曲、歌ったことがあり、その最終段階で、全員合同で、この【遥かな友に】をうたったのです。なお、私は、1997年から、そこをやめています。パリへ版画の講習を受けに、行かれることとなったので、音楽は捨てて、美術畑に、集中をすることとしたのです。

 なお、磯部俶作曲の童謡で、【びわ】というのもあり、これも、美しい曲です。そして、短いです。作詞は、【まどみちお】

 まあね。まさかとは、思うが、親戚ではないのですが、私の旧姓もいそべです。ただし、ギイソといって、使う漢字が違います。磯部俶先生は、次男だそうで、兄が、学習院の、院長だったそうです。だから、名前が、凝っていて、珍しいです。私の実家は、学習院の院長などしておりません。が、江戸時代からの、教養は蓄えている家なので、父の名前は、礒部千晴と、書いて、ちはると、よみます。次男でしたが、単純な、〇〇二とか、〇次と、言う名前ではありません。

 ::::::::::::でね、此処から先は、例の見て来た様なうそを言いの類の記述に入ります。しかし、当たらずともいえども、遠からずでしょう。2006年ごろから、弾圧の程度がすさまじくなってきていたのです。パソコンを使い始めた、1999年から、特に強い、弾圧が始まっていたのですが、本(400から、800冊という小規模出版ですが)、を、自分で作り始めた時から、さらに、すさまじいレベルでの、弾圧が始まったのです。このころの私は、死に物狂いでした。

 というのも、その種の裏側を、他人に語ることをやらなかったからです。川崎ラゾーナ(日本一売上高が、大きい商業モール)内の丸善で、【原発反対者に対する弾圧】という書物が、平台に大量に、おいてあった時期があって、買ってあるのですが、まだ、読んでいません。もしかすると、盗まれている? でも、そのキャッチコピーに書いてあったよりもひどい、いじめの数々にさらされていました。

 そのいじめの数々を、今は、相当数ブログで、さらしています。本日のもその一つですね。だけど、当時は、書けませんでした。どうして書けなかったかというと、こういう事情が、裏にあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『2007年秋に、ソニー損保社長だった川島章由君が亡くなった。彼は、国際キリスト教大学時代の、一年時たった、23人しかいない、私の同級生なので、追悼文を書いた。それは、むろんの事、ブログではさらさないで、おいて、(というのも、ブログそのものを開設していなかったし)、メルマガで描いた。しかも、当時、500人以上あった宛先全部ではなくて、110人ぐらいを占めていた、国際基督教大学同期生だけに送ったのだった。しかし、それに続いて、パソコンのシステムに、異常がきたしている窮状もついでに、添えた。すると、読者の内で、何人かが、有言、又は、無言で、メルマガの受信を断ってきた。それ以来、こういう弾圧については、書くのをやめている・・・・・しかし、あまりに弾圧がひどいので、とうとう、それを再開することにした。それは、2012年からだった。特に、ブログの方で、2012年ごろから、書き始めたのだった』

 ソニー損保という会社は、内田有紀と、九代目松本幸四郎(=現白鴎)のコマーシャルで、有名です。後発の損保会社でしょうが、ばんばんコマーシャルを打っています。今、書いた部分が相当量消えました。もっとも、鋭い観察に基づく事実だからでしょう。

 もう一度、書き直します。その後、いろいろ、あって、わかってきたのですが、そのシステム異常を、生起させていたのは、同じく、たった、23人しかいない、同期の、古村浩三君だった模様です。彼は、国際基督教大学の、第一男子寮で、石塚雅彦さんとか、ロックフェラー四世と知り合って居るので、・・・・・・また、途中の1965年に、ベイカーさんという金髪碧眼の、アメリカ人男子学生が、私を後ろから首を絞めて、殺そうとした事実があるために・・・・・・なんと、普通の人である、私を、弾圧する側に回っていて、パソコンのシステムを壊すという事を、日常的にやってきていたのでした。彼は、1966年からアメリカにわたって、この種の勉強をしているので、日本の始祖みたいな存在です。そして、今では、警察庁内部他にも、その技術をさらに、ブラッシュアップする集団が、存在していて、又、担当者も、全世界で、20人ぐらいいる模様です。それで、私のパソコンは、敵さんが、其れをやりたかったらですが、24時間、開いている間中、システム異常を起こしがちなのです。
 ただね。2007年の秋に、必死の思いで、書いた苦境を、発生させていたのが、川島章由君と同じ、23人のうちの一人だったと、言うのは、本当の、奇遇ですよね。だから、事実は、小説より奇なりと、なります。
 ここで、四時間休みました。午前10時半に、再開をします。それと、同時に、この文章の所属分野を、音楽から政治に変更したいのですが、それが、不可能みたいなので、weblog として無所属にしましょう。
として、
 で。その後どうなったかですが、書けないものの、苦境は続くので、ブログを開始することとなります。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『私は、国際キリスト教大学1966年度全卒業生のうち、電話を頻繁に交換した女性が、全部で、6人ぐらいいるが、そのうち、元筑摩書房編集員であった、笠松敦子さんが、どこかで、敵方に、取り込まれているのを、知った。それが、2008年だった。しかし、私も自分がリアルな世界では、喧嘩をしない主義だし、彼女も優雅そのものの人だったので、やまゆり園事件が起きるまで、そのことをブログに書く事は、無かった。
 
 しかし、実情を言うと、2008年には、彼女は、ひどく、きつく、ブログを開始することを反対したのだった。それが、不思議極まりなかった。苦境を乗り越えるには、大勢の人に現状を伝える必要がある。その一手段として、ブログを開設するのに、其れを、阻止された。
 その時の彼女の言葉なのだが、「ブログを開くと大変ですよ。攻撃があったりして、神経を使います。・・・・・・・ここから、言葉にならないこと葉で、・・・・・あなたは、神経質でしょう。とても、繊細な方なのでしょう。だから、きっと、苦しむと思いますよ。と、あったのち、・・・・・・・ 私は子供の為に、ブログを開いています。必要性があるので、ブログを開いています。その私でさえ、ひどく大変なのですから」と、言われて。
 しかし、彼女が、山折哲雄さんの、
『ブッダは、なぜ子を捨てたか』集英社新書 2006を、編集して、其れを送ってきたとき、とか、
吉田秀和氏の「『たとえ世界が不条理だったとしても――新・音楽展望 2000-2004』(朝日新聞社、2005)」の、二冊を担当し、そのできあがったものをおくってくれたときにも、相当に敵側の気配を、感じ取りました。
 彼女は、お子様が、自閉症と診断されたのちは、筑摩書房を退職して、在宅のフリーの編集者となったのです。で、立派な本を編集し続けてきました。しかし、だからこそ、井上
ひさしとか、伊藤玄二郎とか、三輪喜久代さんとかと、深い結びつきがあって、・・・・・・しかも、其れを、見せつけない様に頼まれていて、ああいう態度を、取っていたのでした。しかし、2012年に、安藤てる子さんの件で、新百合ヶ丘から、彼女の自宅へ電話をかけた際に、電話口に出てきた彼女のご主人から、手ひどい軽蔑の発言を受けてから、裏側の実像は、知っていたのです。
 それでもね。気が付かないふりをしていました。ところが、上で言って居る古村浩三君が、同期生を募って、みんなで、寄付金を一緒に集めて出しましょうと、言う話を出してきて、それを委員会を作って、実行をしました。その理事(または、幹事役)として、笠松敦子さんが、くわっていた事は、敵方にすれば、快哉を叫びたいほどの勝利だったと、思う。しかし、仕方がないので、ただ、黙っていた。
 さて、2016年になって、やまゆり園事件が起きる。すると、事件の起きた月曜日の、夜に手をつなぐ親の会が、声明を発表をした。あまりにも手早い措置であって、それも、私が、この事件が謀略であると、信じる由縁の一つとなっている。
 
 ところで、上の方で言って居るが、当時の、国際キリスト教大学の卒業生は、一般の日本人よりもキーボードしょりが早いと、言って居ます。それが、1960年代ですね。その後も、笠松敦子さんは、ずっと、在宅編集者といて、キーボードを扱っているわけです。し可も、私生活では、お子様(自閉症児)のための、ホーム頁、及びブログ活動、及び、狛江市や、自閉症児団体の、啓蒙や、発信活動を、続けているのです。したがって、私はどこかで、・・・・・・コの素早すぎる声明は、笠松敦子さんが、書いたはずだ・・・・・と、言い切って居ます。
 ところが、ネット情報として、違うと、言う事情が私に開示されました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この件ですが、大変、似た様な、ケースとして、横須賀市池田町六丁目に、ある、杉本俊一元横須賀市、副市長邸の、近所の土地、1千坪が、ずっと、開発されないでいて、杉本家は、ほとんど、千坪の庭を持っているのと同様であると、書いています。それだけの恩典をもらって居るのは、例の、地籍変更届という、大悪事(横須賀市の水道山が、無償で、ある個人へ手渡された)に協力した、恩典であろう。と、書いています。当時杉本俊一氏は、横須賀市の土木課長であり、しかも、私は内々で、こういう異常なことが起きていますよと告げているのに、私の方を無視したのですからね。横須賀市民に対する裏切り行為の一つです。
 それが、この2019年4月9日に現地に行ってみると、十一軒ぐらいのデザイナーズ、建売住宅が建っていて、駐車場に、ベンツが停まっているなどという、高級住宅街へと、変身していました。また、後ろ側の山も開発中でした。
 で、結果として、私の文章の方が間違って居るという事になりますね。しかし、30年以上、ご近所がないという形で、杉本邸は、保護されていたのです。其れについては変わりはありません。それに、地籍変更届が、起きてから、40年たっていますので、あれこれ、変更することが、彼等には可能だったのです。今般青地の存在場所が、私が知っている図面とは、まるで、違って居たとか、いろいろ、ありますので、全般的に、私が間違って居るという事でもないのですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この杉本俊一邸、近辺の空き地問題と、やまゆり園事件の起きた当夜に、発信をされた、手をつなぐ親の会の声明というのの、いきさつが、非常に似ている様に思われるのです。
 やまゆり園事件は、私に言わせると、とんでもない食わせ物の謀略です。19人は死んでいないし、植松聖は、作り上げられ、洗脳され、演技している、犯人にすぎません。
 しかし、前夜徹夜をしているし、月曜日は、必ず、銀座の画廊街へ行くはずで、ブログが書けないから、通るだろうと、思って事件を発生をさせたのですが、
 たまたま、事件の当日、朝の五時から、起きていて、午前7時からブログを書き始めています。これもまた、井上ひさし原案、実行準備係が伊藤玄二郎であろう、謀略です。しかし、参議院議長、(当初は、総報道をされていたが、途中から)衆議院議長、まで、巻き込んでいますので、この二人だけではなくて、警察庁、神奈川県、及び、関係する医療機関、そして、谷垣禎一氏等が、事前に、洗脳教育を受けていた大規模な、謀略事件なのです。
 しかし、私が書いていることが正しいからこそ、大急ぎで、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェント側を、援助する必要が出てきて、其れに役立つ支援人として、二つの方向で、準備をされたのが、神奈川県側(やまゆり園は、神奈川県立の施設だったからだが)の黒岩県知事だったのです。それが、一つ目で、もう一つは、夜に発信をされた、手をつなぐ親の会の、声明でした。
 今般の、第一次地方選挙で、事前にも、事後にも、神奈川県知事、候補者、及び、当選者・黒岩氏に関する情報が徹底的に抑えられていたのも、やまゆり園事件に関する真実を私に語られてしまうことを恐れての事でした。
 其れを、書きかけて途中になっているのが、後注2に置いた文章です。
 
 で、二つ目の、夜発信をされた声明の方へ、戻ります。私は、其れを手配したのは、笠松敦子さんであろうと、書いています。それは、寄付金の問題で、古村浩三君とつるんでいますね。したがって、笠松さんは、そちら側の、陣営に立つ戦士と、既になっているので、依頼を受ければ、すぐさま手配をする可能性が高いのです。
 古村浩三君は、先輩である、石塚雅彦さんと、非常に親しくて、その石塚さんは、伊藤玄二郎達と密接でありますから。
 しかし、上で言って居る様に、そう書いてから、数か月、もしくは、数年たってから、否定をされました。私のブログの、其の章に対して、「これは、違う」というコメントとして、知らされたわけではなくて、「あの声明は、素晴らしい」というお褒めの記事とともに、其の全文が、私の目の前に出現をしたのです。
 すると、文末に署名があって、それは、その当時の全日本、手をつなぐ親の会の会長であった、某女史でした。
 しかし、その署名を見ても、私の、考えは変わりませんでした。その女性は、その時点まで、一切テレビ画面に登場しません。実在をするのでしょうが、登場をしません。その後も一切登場しません。
 テレビ画面に登場するとウソがばれるからです。本日、2019-4-16以降に彼女が登場したら、私は持論が正しかったと、結論をつけます。
 
 で、私は依然として、当夜、発信をされた声明は、原案及び、草稿も、笠松敦子さんが制作し、アップも彼女が行ったと、推察し続けています。ただし、名前は、依然として、某女史でしょう。事件当夜、及び、数か月間、私のパソコンでは、其れを見ることができあいませんでした。今どうであろうか? 時間がないので、確認をしませんが、持論が正しいと確信をしています。
 
 この時に、私は、笠松敦子という友人を、70%の部分で、切り捨てました。敬愛の念を捨てました。『なんという馬鹿なことをやっているのだろう!』と、思いました。お子様が、自閉症で、大変だったのに、其れを、単なる謀略的嘘として使う悪人連中に協力をする人として、とらえる様になったからです。
 30%の部分では友愛感情は、残してあります。それは、お嬢さんに関する部分です。素敵な青年と知り合うと、あそこのお嬢さんは、お兄さんが自閉症なので、バランスが悪くて、30歳までは、まだ、結婚をなさっていなかった。この青年をお見合い相手として、紹介をしたいなどと、思いますが、それ以外の、感慨は、無いのです。
 でね。はっきりと敵対者として、見始めてから、敵対者であるからこそ、確認をしたいことができてきました。
 私はブログ内で、彼女があの声明の文案を作ったし、公開の措置も彼女が取っただろうと、はっきりと書いていて、其れを、いまだ、否定をしていないのですよ。
 彼女は、ある時点で、「あなたのメルマガを、受け取るのをお断りをしたいと、言ってきました。メルマガには、こういう政治的問題は、書いていない上に、AOL側で、突然に、相手に届かないという措置を取られ始めたので、事実上停止しています。
 だから、このブログに何を書いても、知らないのだと、いう事もできます。
 しかし、例の寄付の、幹事委員会で、古村浩三君とつるんでいるのですよ。当然のごとく、このやまゆり園事件で、私が何を書いているかは、届いているはずです。
 で、其れを確認する作業に取り掛かることといたしました。
 届いているのに、無視し続けているのなら、私の考察は正しいとなります。
 しかし、届いていないのが、真実だと、感じたら、そこで、改めて、話をし始めたもいいと、考えて、電話をかけたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 さて、電話をかける前に、シミレーションを二つ立てました。
 ところで、皆様、私はここで、外出をしないといけなくなりました。時間のリミットがある相手先です。この続きは、明日、又は、別の日に書きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『午後三時に家を出て、夜8時に帰宅をした。そして、ゆっくりと、心身を休めていたところ、ワンギリの電話が、数年ぶりにかかってきた。で、五時間の休息を経て、又、ブログを書く事と、意志を奮い立たせているところである』
 
 本日は、続きを書かない予定だった。体力を温存して、しっかりとした、最高の状態で、明日、続きを書くつもりだった。それで、テレビをゆっくりとみていた。NHKの【プロフェッショナル】で、美尻トレーニングを、売り物にしている女性が、出現。
 この美尻という言葉は、私にとっては、鬼門である。泥棒ちゃんが、10年以上前に、寝室に、【美尻and 美脚】というラベルを置いて帰ったのを、泥棒の侵入の証拠として、ブログ化している。しかし、その私のブログを打ち消すかの如く、アンアンが、美尻and美脚特集を打った。私はそれを、私のブログが正しかったことを傍証づけるものだと、認識していて、最近、画家Aという泥棒と、安野忠彦氏という二人のご近所様が、警察から合鍵をもらって居て、種々様々な悪さをしに、この私の家に、侵入をして居ることを書き続けている。その二軒の家の上部に存在する、鎌倉エージェントは、私が書いていることを否定するつもりで、雑誌【アンアン】を使ってきたのだけれど、私は、其れを二重否定として、勘案するのだった。したがって、直木賞受賞者、林真理子が裏で動いて、アンアンは、そういう特集号を出したのだし、その裏には、井上ひさしの意思が存在したと、考えている。
 本日、2019-4-16のプロフェッショナルが、美尻トレーナーという人物を取り上げたのも、結局は、鎌倉エージェントが、NHKを支配していると、いう事のあかしだし、ご近所が、泥棒に入っているのも、正しかったのだと、思う。
 しかし、その番組を、見ているうちに、その主人公が、アメリカで、教育を受けて、アメリカ人女性の良い部分(=個性を大切にする。一方で、日本人女性は、横並びで他人と、同じであることを大切にする)を、日本人女性に、植え付けたいと願って居ることを知り、其れは、私も同じだから、割と、熱心に見始めた。
 まあ、私の本音としては、・・・・・日本は、被・植民地国家だから、あに、ただ、若い女性に限らず、みんな没個性で、横並びを、やりたがるわけで、其のトレーナー一人が頑張っても社会が変わらない限り、日本人は、女性であれ、男性であれ、変わらないのだけれど・・・・・といいたいが、それでも、その番組を面白いと思って注目をしていた。すると、テレビのそばに置いてある、新しい機種の電話の、発信先電話番号を教えるウィンドーに、光が入った。時間は、23時直前である。『立っていったら、相手先電話番号がわかるかなあ』と、思ったが、立っては、行かなかった。『どうせ脅かし用ワンギリであろうから、相手は、番号非通知で、掛けてきているはずだから、立って行って、確認をするのも無駄な作業だろうと、思ったからだ。案の定、ワンコール程度で、電話は切られて、例のワンギリであった。これは、
 こういう時間帯に、電話をかけてくる人の心当たりは、二人あった。一人は、津田塾大学卒の、インテリ女性であり、もう一人は、いまだ、実際には、生きている井上ひさしである。私は後者だと、思って居る。そして、久しぶりに彼が真夜中のワンギリを、行ったことに、意味を感じて、急にブログの、続きを書く事と、意志を変更をした。

@@@@@@@ここが、第一の書きかけ中の最先端です。

 この数字を利用する話とか、コンクールを利用して、言論弾圧を行うケースは、佐野研二郎の、オリンピックエンブレム選定に、もっとも派手に表れた現象でした。

 佐野研二郎は、盗作を指摘されていますが、どうして盗作などやったかというと、重圧に負けたからでしょう。

尚、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5268607です。


 

 @@@@@@@@ここが、第二の、書きかけ中の最先端です。

日本の歌百選(にほんのうたひゃくせん)は、2006(平成18年)に日本文化庁日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡唱歌歌謡曲といった抒情歌愛唱歌101曲を選定したもの。

一般から募った895曲から選考委員会が選出し、200612月15に最終的に決定した。発表は20071月14新国立劇場で行われ、これらを歌うコンサートも合わせて開催された。

 

後注1、

藤木大地を、聞いてきました。    2019-04-14 21:02:06 | 音楽

後注2
NHKは神奈川県知事選挙について触れない。なぜか? ・・・・栗田玲子、浅尾慶一郎、竹中直人、寺島しのぶ、飛んで埼玉△
2019-04-08 20:54:59 | 政治

 

 

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藤木大地を、聞いてきました。

2019-04-14 21:02:06 | 音楽

 さて、不連続な、総タイトルになっています。が、お許しください。連続性のあるものも、近々、書きます。

 ただね。全身が洗われる様な経験・・・・・これが、いいものを見て、いいものを聞く事で、もたらされるのですが、・・・・・その実例が、昨日から、本日にまで続いているので、其れを、語らせてくださいませ。

副題1、『ラフォルジュルネの、名前が、消えている。それで、いいでしょう。東京音楽祭春と、なっていました』

 ラフォルジュルネと、は、知っていました。が、美術畑のことで忙しくて、かつ、最近では、歌舞伎にも凝り始めたので、音楽会は、遠いものとなっていて、上野の文化会館小ホールは、ほぼ、25年ぶりの訪問となります。ただ、藤木大地の伴奏者、マーチンカッツについて、調べたくて、プログラムを見たら、有料のプログラムがなかった模様で、歌詞の対訳集しかもらえなかったのですね。そこには、演奏者についての解説は何もなかったのです。しかし、それで、いいのでしょうね。皆さん、インターネットで、情報は、取得するのでしょうから。

 ところで、其の調べものの最中に気が付いたのですが、ラフォルジュルネという名前よりも、東京音楽祭春という名前が、今年から、採用をされているみたいです。それで、いいと、思いますね。パリの真似をするにしても、ほら、気取った感じって、いやな、ものです。

 ただ、BSプレミアムで、朝5時から、放映をしているクラシック倶楽部の、番組内では、この小ホールと、武蔵野文化会館小ホールは、よく出て来るホールの方です。後、王子ホールも出てきますが・・・・・

 ところで、今、ホールを使うための費用を調べたら、(土曜日が、休日と仮定しても、)155000円だったのです。

 今回一人で行ったので、其れを再発見したのですが、御影石を多用した、ものすごく豪華なインテリア(特にホール外、ロビーとか、外壁(といっても、文化会館全体では、内部にあたるのだが)の資材が、豪華な事には、驚きました。お友達と行くと、話が弾んでしまうので、そういうところには、気が付きませんでした。

 こんな豪華な設備で、しかも伝統があるでしょう。ここで、演奏会をするのは、音楽家にとって、とても、いいことなのだろうと、思います。特に芸大卒の人にとっては、「私の、ホールです」という考えもあるのではないかなあ。そして、今回は使用料は無論ただだったと、思いますよ。東京都の、施設なのですから、東京音楽祭に、提供するにやぶさかではないでしょう。有楽町のフォーラムも、元都庁跡地だから、都の施設なのでしょうか? なるほど、ラフォルジュルネは、あちらで、最初、多くの演奏会が開かれていましたね。

 ところで、4月13日の、この上野の文化会館小ーホールでのリサイタルでは、その例の、クラシックを聴きに行く人固有の、気取った感じが、まるでなかったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『会場内は、まるで、歌舞伎座であるか、3月の、国立劇場(三宅坂)小劇場内みたいな、親密な雰囲気に満ちていた』 

 1月に、藤木大地の、同じ演奏会を三回目として、2017年の演奏会を、再放送をした模様ですが、其れも、収録は、この会館でした。今回も、きっとどこかの会場の同じプログラムを収録する可能性がありますが、此処では無かったですね。

 さて、25年ぶりぐらいに、訪問をして、入り口に菰樽が、たくさん飾ってあって、『あれ、あれ、歌舞伎みたいですね。どこの酒造メーカーが寄付しているのかしら?』と、思って近寄ったら、模造品であって、いわゆる、盛り上げ用、お飾りでした。

 でも、感慨が深かったですよ。クラシック音楽のフィールドに、日本の伝統文化の、お祭り気分を持ち込むとは。ほら、新しい街で、お神輿がない場合、菰樽を、お神輿代わりに担ぐではないですか? それから、発想が起きているのかしら?

 そして、会場内の全体が、親密な雰囲気は、何とも言えないいい感じでした。ブラヴォーと、叫ぶ人なんかいなくてね。まあ、女性のお客さんの方が、多いせいだったからかもしれないのですが。そして、ホールが小さいせいだったからかもしれないのですが、それでも、こういう形式の小ホールでもブラボーって、叫ぶ人は、いるのです。それが、いなかったのも、感じよかったです。

 『どうしてそんなに感じがよかったか?』ですが、藤木大地と、伴奏者、マーチン・カッツの、深い信頼感が、随所に、見られたのです。それが、まず、会場全体に、親密さを伝播させました。会場のお客も、私を含めて、そのことを、事前に知って、来場していますので、(それは、インターネットで、藤木大地が語っていたので、知っているわけですが)、何ともうれしい気持ちで、彼と、カッツが、手を取り合ったり、抱擁をしあったりするのを見ていたのです。

 またね。藤木大地が、作曲家と、作詞家の二人を紹介したのです。その人たちは、私と同じ列に座っていたので、私の列は、ご招待客が多い席だったかもしれません。高い席ではないが、紹介をされ、会場の人々が、その二人に注目をするにしては、とても、適切な席だったのです。

 藤木大地は、この日、割と、通好みのプログラムを設定していました。私としては、アンコール内の二曲を除いては、一回も聞いたことのない曲ばかりでした。藤木は、全体を五分割していて、3部目に、休憩を入れて、休憩後に、マーラーと、ヴォーンウィリアムの、曲を入れていたのです。その、前半の、第三部目が、日本語の歌曲だったのでした。その作詞家と、作曲家が、休憩前に、紹介をされたのです。それも客席に、親密な雰囲気をもたらしました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『圧巻は、彼が、たぶん最終曲として選んだ筈の、【初恋】であった。私は、それに、触発されて、上野駅のホームで其れを、歌わざるを得なかった。小町通りでも、歌わざるを得なくて、次の日の日曜日も歌わざるを得なかった』

 私はその音楽会で、藤木大地さんのお友達と知り合いました。その方が言うには、「今日はすごいサービスですね」とのことです。終わったのが、9事15分だったので、確かに、その通りでしょう。

 そして、藤木大地さんが、もっとも、終わりの曲としたかったのが、其の初恋だったのです。きっとそうです。でね。お客さんの中には、同じことを考えた人もいて、藤木さんが、もう、一曲アンコールで歌ったのですが、其れを待たずに外へ出た人がいました。それをね。私や、音楽好きのその人は、失礼ではないかなあと、心の中で、思ったのですが、外へ出てから、理由がわかりました。CDを買った人がサインをしてもらいたくて、その順番を取りたかった模様です。なるほど。それで、焦って外へ出た人が、10~20人前後いました。私もCDは、買いましたが、サイン等を求める気はないのです。そう言う事で、並ぶ気にはなりません。

 私が、お歌の練習をしたのは、主に、北久里浜時代であって、幅が、当時で、30㎝は超えるほどの楽譜を買いました。そのころはカラオケなどなかったので、私は、いまだにカラオケは嫌いです。自分で、全音の単純な楽譜(コードはついている)に基づいて、ピアノを、分散和音にして、それを、を、伴奏としてつけて、歌いました。幼稚園のPTA会長をしていて、バザーで、利益を110万円上げないといけない仕組みがあり、お母様方が、大奮闘をしたことへの、慰労の意味で、お歌で、感謝を表したいと願ったからです。したがって、1970年代に、北久里浜近辺に住んでいたお母様方が、好む歌を練習したのでした。実際にうたったのは、フランクシナトラの、【マイ・ウェイ】と、春日八郎の、【長崎の女】でしたが、後者の方が受けました。そのレストランの宴会場は、9m×18mぐらいの、広い部屋でしたが、二階にあって、下へ降りるエレベーターとかエスカレーターがなくて、狭い階段で降りるのです。その狭い階段で、お母様方が、私の体に障りながら、「川崎さん、素敵! 川崎さんって、普通の人と全く違うのね。今まで、何で、川崎さんが、会長なのか、不思議だったけれど、やっと、わかったわ。全然違うんだわ、普通じゃあない。普通の人ではない」と、言われました。

 それから、市川市で、開かれたある、パーティで、【琵琶湖周航歌】を歌ったら、旧制一高卒の人たちが、やんやの喝さいをしてくださって、その後、その中の、数人の方から何度も電話がかかってきて困ったほどでした。

 そういうパーティ向けのお歌を練習した時期が、20年以上あるのですが、私が出席するパーティって、あのPTAの打ち上げを徐けば、エリートさんが、出席する場合が多いのです。『すると、歌謡曲やフォークソングではだめでしょう』と、考える自分が居るのです。その上、上で上げた【初恋】など、非常に短い歌です。そして、メロディはシンプルです。『こういう歌を素人が歌っては駄目でしょう。間が持たないし、声や表現力にも、特色がないわけだし、』と、思って居たのです。

 したがって、クラシックの曲をアカペラで、しかも歌詞なしで、歌って、お客様を煙に巻くという事を続けていたのでした。声の質がいいという事は、いろいろな、方から、言われていて、其れには、自信があるからでした。吉田秀和さん(高名な音楽評論家。鎌倉在住)の前でも、平野忠彦さん(芸大卒オペラ歌手、1950年代から、活躍した)の前でも、アカペラで、メロディだけは歌って居ます。松本楼ないですが、

 こちらも楽譜集を何冊も買って居るのですが、器楽曲、例えば、交響曲【田園】や、シューベルトの即興曲なども、使いましたが、パーティで、使ったのは、【ハバネラ】、【カタリ】、【誰も寝てはならぬ】の、三曲です。これで、人を煙に巻いていたのです。(苦笑)

 しかし、2004年から、上野の公募展に、出品をやめました。国展も、女流展も、出品をしなくなったので、歌う場所がなくなったのです。パーティの会場や、二次会の会場がなくなったのです。

 しかし、と、同時に、どんどん、反比例して、声の質も上向き、表現力も、増したのでした。不思議な事ですが、人間としての他人に、聞いてもらおうとするのを捨てて、ただ、神様に、身をお任せすると、言う感じで、歌う様になったからみたいです。そうなると、小学唱歌とか、上にあげた【初恋】などが、身についてきたのでした。【里の秋】とか、【野菊】とかも好きですが、【ゴンドラの唄】なども好きですね。

 今楽譜集が、主人の大病の際の、引っ越し騒動で、見当たらなくなっているので(多分、段ボール箱に入れて、其れを、どちらかの家においてあって、開封をしていない形であるらしい・・・・・アマゾンで、探しても、其れと同じものはなくて、ただ、歌詞集だけが、同じ表紙で、上下二巻として出ているが、私に必要なのはメロディなのだ)作曲家を、グーグル検索で、見つけました。藤井宏行さんという専門家が、作曲家の名前を披露なさっていたので、そこからとります。

初恋    
  歌曲集「啄木に寄せて歌える」

 
    


詩: 石川啄木 (Ishikawa Takuboku,1886-1913) 日本
    一握の砂~我を愛する歌 6 砂山の

曲: 越谷達之助 (Koshitani Tatsunosuke,1909-1982) 日本   歌詞言語: 日本語

 ところで、そのサイトで、藤井さんが指摘なさっていることには、私も気が付いていたのですが、石川啄木は、・みそひともじ・(=三十一の文字数)で、短歌として作っているのです。

 しかし作曲家の、越谷達之助は、少し、繰り返しを入れて、全体で、9小節の唄へと、仕上げています。9小節でも、非常に短いのですが、しかし、傑作となっていますね。

 私は、声楽を習っていた時期があって、その短い期間の課題曲は、山田耕作の唄でした。藤木大地も、【この道】を、【初恋】の前に、歌って居ます。【この道】は、四番までありますね。それは、ほとんど覚えております。

 でも、藤木が後ろに馬合したのは、そんなに短いのに、この曲(歌)が、超が、付くほどの、傑作だからでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここまでは、表の世界だけの話です。こんな美しい歌声の、ブログからも、裏側に入っていくと、種々のことが書けるのですが、此処は、藤木大地に、尊敬の念を抱いて置いて、表側だけを、描いておきましょう…

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5264237です。

 

 

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日立は英国に原発を輸出しない。メイ首相いじめに、参画しているが、それは、英国民にとって、幸運である。

2019-04-13 02:50:36 | 政治

副題1、『私は、前報の様なものが書けたことに非常に満足をしている。したがって、数日間、ブログを更新するのをやめるつもりだった。その上、土曜日と、月曜日は、一日中家にいないので、ブログを更新できない。それで、読者様へのサービスのために、短いものを書くか、それとも更新しないで、おくかを、迷ったのだけれど、短いもので、結構、いいものが書ける見込みが出てきたので、更新していこう』

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『それは、ニュース番組(録画済み)を過去にさかのぼってみていた時に、発見をした事だった』

 過去ニュースを点検しているうちに、たくさんの事実が、私が予測したことが当たっていることを証明していた。それは、相当に、うれしい事で、心が晴れることだった。その喜びは、私の生活の中で、基本構造としてある。だから、どんなに攻撃を受けても、実は明るい気分で、暮らしているのだ。それに、私が書いて居ることは、すべて、彼ら(相手方)がやって来たことを書いているわけで、どんなに暗いことを書いていても、私が、初発として、やったことではない。それも、私の心を、真実、明るくしてくれている。表面には出さないが、「バカ者どもめ!」、とか、「有象無象が、何をやっているのだ」と、常に、思って居るだけなのだ。

 ただ、私の文章の、影響力があまりにも強いので、こういう方向へ行ってほしいと願って居ることは、わざと無視していて、発言をしない。

 ところで、これは、予測をしていなかったことだが、・・・・ああ、よかった。とてもいいことだ・・・・・怪我の功名というか、逆転の、幸運ですね・・・・・と、思い当たったことが、メイ首相いじめの結果、かえって、英国民の為になる、決断が下って居ることだった』

 今は、2019年の4月13日だが、たまっていたニュースを、1月18日か、17日までさかのぼったときだった。日立の社長が、NHKの画面で、記者会見をしていて、英国への原発輸出を凍結すると言って居た。

 なるほどねえと、思い至る。私が其れを言うと、メイ首相を、苦しめることとなるだろうから、一回だけ、其れを、言って、それ以降、全く触れていないが、メイ首相の、決断と、直観は正しいのだ。

 英国は、EUから離脱をすると、言うのは、英国民にとって、英明な措置だと、思う。しかし、こう書くと、さらに、メイ首相いじめが、盛んになり、結局、辞任に追い込まれるかもしれない。

 だから、黙っていた。しかし、日立が、英国へ原発を輸出しないことにしたと、言うのは、覆らないだろうと、思うので、此処で、其れが、よかったと、言明して置こう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『原発とは、未完成な技術であって、しかも使って居るものが、半減期が異様に長い、ウランというものと、其れが、核分裂をしてできるプルトニウムなどという、これまた、放射線を出し続ける物質を生むので、悪魔の発明といって、いいものであり、装置の劣化とか、疲弊を考えると、始末に負えないものなのだ。それが、英国に、数基(数個)だけでも、新設されないという事は、英国民にとって、本当に、幸せな事である。英国は、特に領土が狭い。日本ほどではないが、人が住んでいない、広い地域があるわけでもなかろう。原発は、悪魔の、発信源として、英国を汚すものだから、作るべきではない。アメリカは、領土が広い。ロシアも広いだろう。だから、おつくりになってくださいと、言っておこう。フランスは、古い文化を誇っている国なのに、この数十年の、方向性として、原発容認である。それもまた、なんとはない形で、国民に反発を、招いていて、首相が、デモに、追い詰められている』

 日立と英国側との間に、商業的、契約の、破棄があったわけだから、・・・・・いや、凍結だから、再開される可能性があるかな? ・・・・・日立は、英国で、原発を作らないことになったと、思うのだ。

 ここに、三井物産とか、三輪喜久代さん(英国在住の、CIA日本人エージェント)の働きがあったと、仮定をすると、相当に、厄介なこととなる。

 だから、凍結という言葉が、気にかかる。メイ首相が辞任をして、EU離脱がなくなったら、再開をするのかな? そういう密約が裏にある?

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『IHIが謝罪をした? 検査不正で?』

 今、日本のビジネス界とか、経済界が、めちゃくちゃになっている。日本は、政治は駄目だけど、経済が一流だったと、言ってきたが、JR東日本の多数回の遅延現象を、はじめ、これも、また、CIAエージェントの言うなりになっている。

 IHIが数日前に、データ改ざんで、社長以下が、会見をしたらしい。録画番組内では、見当たらなかったが、どこか、別の時間帯のニュースでそれを見た。

 それで、探し始めて、日経の記事として、其れを見つけたので、******罫線以下に置いておこう。

 これは、私が、その前日、9日に、外出して、ある人と会話を交わした。その内容がIHIに勤務していた人と、その妻に関するものだったので、以前から、準備をされていたものが、その日に、記者会見として、発表をされたと、見る。

 その人とは、実は義弟である。義弟はIHIを、やめて(多分、これも、CIAエージェントのご紹介で、もっと、給料の高いところへ、転職して、既に、数十年になるが、IHIを使おうというのは、ずいぶん前から、準備をされていたことだと、思われる。

 実は、データ改ざんというのは、それほど、大したことではない。旭化成建材疑惑も、ただ、唯、旭化成株を持っている我が家の、資産減らしのために起きたのだけれど、私が真実を書き始めたので、大げさになり、かつ、私が言って居ることが正しいがゆえに、別の会社、別の会社と、いう形で、そういう事がおお騒ぎになる。

 そして、免振疑惑みたい二、国家予算で、修復をしていくという形で、安倍内閣は、ズタボロに、国の予算を消費、いや、浪費している。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『グローバリズムとは、大富豪中の大富豪たちを、さらに 肥えさせるものであって、大衆と呼ばれたり、庶民と呼ばれたりする、国民一人一人の為になるものではない。それは、日本人にとっても、言いえているが、英国・国民にとっても、フランス人にとっても、ドイツ人にとっても、そうなのだ。アイスランドとか、北欧には、地理的、又は、環境的、不利があるので、大企業が、そこに、生産拠点を持っていない。したがって、かえって幸運である。

 日本は、被・植民地なので、さらに、その被害は、大きいのだが、英国・国民も、その被害に、すでに、気が付いている。らしい。だから、最初の選挙で【ぶれぐじっと】を、容認した。そして、メイ首相は、そういう基本構造に気が付いた、英明な、政治家なのだ。そして、頑張り続けている。そこは、尊敬に値する。

しかし、現代社会は、その大富豪たちが、飼って居るCIAと、そのエージェント達に、支配をされているので、どこの国の国民も、支配をされて、本当のことを言えない。洗脳をされきっている。

 ところで、メイ首相にも、其れなりに、個人的な欠陥があるやもしれず、其れをつかれるのではないかと、心配している。おしゃれに凝っているみたいだ。浪費が、追及されたりして、・・・・・心配だ。しかし、英国・国民はバカではなさそうだ。フランス人も、国民一人一人は、賢いので、パリでデモが続いているらしい。

 ただ、日本の言論界の劣化は、本当にすさまじいと、思って居る。その元凶として、機能をしている人物が田原総一郎だと、みているが?????

   2019年4月13日、雨宮舜(本名、川崎 千恵子) なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 5262125です。

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IHI、検査不正で改善命令 航空部品自主回収へ

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白いセーターに、シミが付いている。そこの謎解きに、昔、安野夫人の個展が、化学染料だったと、教えてくれた画家Aの言葉が、役に立つのだった

2019-04-12 03:05:42 | 政治

  この一文ですが、何度も何度も、3万字を超えたという警告が出ました。三万字を超えると、公開できません。しかし、経験上、それほど、字数が多くないはずだと、思って居て、いろいろ、工夫をしてみると、やはり三万字は、越えておらず、13316字でした。そこに、この添え文、143文字を足してみます。全部で、13493になるはずですが、どういう風に変化するでしょうか? ともかく、この文章には、重要な真実が多数含まれており、したがって、公開をさせたくないと、思う連中が嘘の数字を教えてくれた模様です。

副題1、『敵方から、誤解をされていると思う。が、だからこそ、ここで、心情または、真情を、語って置きたい。というのも、ブログを書かないでいるのを、攻撃が成功したと、誤解をされてはたまらないからだ』

 2019年4月9日は、北久里浜において、大々的な、復讐行為がありました。それは、昨年の、秋から、延々と始まっていることであって、キーワードは【青地】です。その件が、大きな詐欺事件の真実を語っている、私に対する、大・復讐行為であることはわかっておりましたが、鎌倉雪ノ下で起きることも、そこが、遠因なので、わざと放っておきました。      というのも、鎌倉雪ノ下で、起きる復讐行為の方は、24時間の、自分の、普通の生活に、影響を及ぼす攻撃ですから、・・・・・特に音や、光に関しては、そうですから・・・・・鎌倉雪ノ下に集中して、ブログを書いてきました。これも、ただ、向こうから行われる隠微な攻撃を、ミステリーを解くといって、分析しているだけなのですが、それに対する、復讐行為です。なんと、見破られないと、信じて行ってきている模様ですが、すべては、わかっておりますよ。    音や、光の内、音の方は、主に安野家、其れから、鶴岡八幡宮の駐車場から、聞こえて来るもの、其れから、境内の舞殿周辺から聞こえて来るものが、あります。真夜中に、重機をバンバン動かす音も、その一つですが、昼間の方で、大太鼓を、長時間、動かす音も、数百回にわたって行われてきた攻撃でした。私のご近所主婦たちがやっていることを書いていることに対する復讐行為として、鶴岡八幡宮様が、異様な太鼓のたたき方をなさるのです。 そして、夏の音楽会の時に、音楽会は、夜7時から始まるのにもかかわらず、早朝、九時から、ぷわーん、ぷわーんという異様な、音を出しながら、「マイクの試験中です」と、大音量で、放送をされるのです。その異様な音は、孫が生まれてお見舞いに行った後で、日比谷線の、恵比寿駅あたりで、響いたのが、最初なので、「お前の孫や、子供を攻撃してやるぞ」と、言う暗喩だと、思っております。    それが、神域である、鶴岡八幡宮の境内から、発していると、言う恐ろしさ、。・・・・・すさまじい悪だと、思っておりますが、何度言っても、鶴岡八幡宮様は、このブログを毎日は、お読みにならず、伊藤玄二郎達が、「あなたの悪口を言って居ますよ」と、言う部分だけを、お読みになるみたいで、したがって、恐ろしいことを平気で、やり続けておられるのです。しかし、それは、ブーメランとして、鶴岡八幡宮様、ご自身を傷つけております。それが、私には、見えておりますが、吉田茂穂宮司様には、見えておられない模様です。~~~~~~~~~~~~

副題1、『音に関する政治的問題としては、武部聡志が、今は、大問題と、なっている。それと、児島百代先生(北鎌倉女子学園を、音楽で、優秀校へと持ち上げた。カソリック雪ノ下教会の、グロリア少年合唱団への、貢献も大きい女性)も、結構な、弾として、敵方に、利用をされている存在だ。児島百代先生については、まだ、5%程度しか書いていないが、重要な敵方、弾丸である』

 特に、日本、イタリア修好記念、オペラ、ジャパンオルフェオの、公演の二日前の夕方から、異様な音が響いたので、とうとう、私は音源を見に行った。生意気そうな顔をした人間が、ミキシングをしていたのを、見ることができた。ミキシングルームは、舞殿東北の、角の、特別な催事の時に、設定される小さなテントの中に在ったからだ。彼にどうして、こんな時間から、マイクの試験をするのですか?と、質問をすると、とんでもない答えが返ってきた。その時にあいてが、やせているので、写真で見る、武部聡志とは、違うと、思ったのだが、今、思うと、彼だったと、思われる。彼は、開かれていた、鶴岡八幡宮の夏の音楽祭を、鶴舞音楽祭と名前を変えて、差別的入場制限を開始した人間だった。それを、ブログで、解析し始めたので今、鶴舞音楽祭は、中断(?)しているが、再開されたら、さらに、分析を激しくすることとなるであろう。実は、この2019年4月7日付で、公開した、藤木大地が、覚園寺で、音楽会を行ったと、言う文章は、政治という分野で書いている。それも、武部聡志へ、落とし込んでいくはずだった。       また、伊藤玄二郎から、依頼を受けて、藤木大地側に連絡を取った存在として、芸大卒として、先輩にあたる、児島百代先生の存在も頭に浮かんでいる。  最近の私に対する激しい攻撃は、この様に、して、伊藤玄二郎にとって、身近な存在でもあり、仲良しでもあり、したがって、裏側を書かれると、困る存在について、その真実を深くえぐって書いているので、彼等は、さらに、必死になって、悪行を重ねてきている。それを、又、私が書くと、言う鼬ごっこになっているといえば言えるが、私は、本当に真剣だ。藤木大地が、覚園寺で、と、書いた、4月7日のブログ(あと注1)を、政治の分野にして置いたのは、上に置いた様な事情が裏側にあったからだ。そして、武部聡志は、これまた、秘匿され、保護されていて、その真実を書いたことへの復讐として、鶴岡八幡宮様は、恐るべき、苦しみを、流鏑馬(2018年秋)を、見に来た一般人に与えられた。それを書いている過去ブログが、どこかに在る。それは、殺人事件ではないので、今、見つけている暇がないが、其れを、読んだ、鎌倉エージェントは、驚くべき事に、さらに、二重の復讐を行ってきた。それは、ハヤブサIIの新しい、ミッション、インパクタが、実行をされる二日前の、2019年4月2日が、大々的な記者会見を行って、流鏑馬を、使ったたとえを、記者たち(=一億に千万人の国民へ向かって)、見せたことだった。後注2

 このはやぶさIIの、ミッションを利用して、自分達の復讐を行うという手法は、反対のベクトルでは、やまゆり園事件にも、利用をされたもので、真実を言って居る私は、小さい存在で、NHKテレビ他の、メディアを利用できない人間だから、こっちの方が勝ちだよと、言って居る、鎌倉エージェントの、特別な特徴を表している。

 ところで、此処で、文体をまた、会話体へ変えていきます。後注1と、2として、おいた文章は、両方とも、未完です。しかし、未完のまま、放っておいて、次の文章を書き始めているのは、其れだけ次の攻撃が、始まっていて、対応を迫られていると、いう事もあるし、神様が、書かせてくださる文章しか書かないのだと、言うルーティンから、言うと、前の日に、脳内では、終着時点まで、到達していても、その日の内に、体力と、時間の、不足によって、終着地点まで、PC内には、到達できないと、すると、未完のまま、放っておく事態が出て来るわけです。しかし、脳内では、引き続いて、考察を、続けておりますから、どこかで、再現され、続いていくわけです。ところで、これは、些細な事ですが、後ちゅう1と、後注2を比較をすると、後注1の方が、伊藤玄二郎達にとってはていたい真実だったらしくて、そのリンク先は、公開された後では、読みにくい黄色で、表現をされる、フォントで、この下書き用ボックス内に、入るとき、色を返還されていました。それで、私がもう一回、発色を変換させたのです。しかし、敵方にとっては、そうであっても、私にとっては、違うのですね。後注2として、置いた方が、重要です。なぜ、そちらの方が重要かというと、二つの点で、答えが出てきます。  それが、どんなに悪い事であっても、一億二千万人の人間が其れを信じるのなら、こっちが勝ちさと、なる、数の論理を悪利用した、ごり押しであって、はやぶさIIで、目隠しをして、流鏑馬を、行うがごとき、困難な、ミッションです」と、言うのは、まだしも、やまゆり園事件で、19人もの死者は、いない(多分、ゼロ人の死者しかいない)のに、NHKを、大悪利用して、国民全般に、19人もの死者が、いる様に、思いこませる・・・洗脳の恐ろしさ・・・があるからです。その上、さらに重要な事として、はやぶさII側(=JAXA側)に、流鏑馬のたとえを使ってくださいと、依頼をした、人間として、中谷共二氏の長男が、浮かんでくるからです。NHKは、その人の名前を言いません。だけど、画家Aが、17年ぐらい前に、「中谷氏の坊ちゃんは、東大宇宙工学研究所の所長なのですよ」と、言い放ったので、わかっているのです。画家Aは、免罪符として、其れを使って居ますが、私は、ありがとうと、内心で思って居ます。彼は、非常におっちょこちょいです。そして、短絡的思考の持ち主です。だから、自分が勝つと思って、そういう事実を表に出して来ました。私は、既に、1985年に中谷共二氏ご本人から、彼の家の応接間で、「長男は、東大で、助教授をしています」と聞いています。それで、画家Aがその事実を振りかざして、威張りまくった、日時が、13~15年後だったので、『さもあらん、そういう出世が、もたらされたのですね。瀬島龍三にお父さんが、協力したからでしょう』と、内心で、思った次第です。そして、今、其れを、利用しているわけです。そういう風に私の頭の中が、動いていくという事など、創形美術学校を卒業しただけで、その後、社会に出て働いたことのない、男である画家Aには、想像のほかなのでしょう。画家Aは、本日の文章にも、重要な情報をもたらしてくれています。彼は、私に安野智紗夫人が、染色の仕事で、銀座で、個展をしたと教えてくれました。~~~~~~~~~~~~

 副題3、『画家Aが、安野智紗夫人が、銀座で、染色の個展をしたと、教えてくれたことが、本日の、重要な課題と、なっている。その際に、彼は、用心をして、安野夫人の仕事が、上等であったかどうかについては、言を左右して、何も語らなかった。しかし、こうはいった。「染料が化学染料みたいでした」と。そうだ、しむらふくみにしろ、誰それにしろ、銀座で染色の個展を開くとなると、見に行く方は当然、天然染料、(植物や、動物由来の、染料。または、鉱物にしても、化学物質として、大きな企業が、売っている類のものではなくて、大島紬のどろ染の、様なもの)を、使った作品だろうと、期待をしていくと思うので、お客を裏切ったと、言える個展だったと、思う。

 なお、此処で、私が持っている染料(無論、化学染料ですが)を、開示しておきます。引き出しに、今のところ、10個入っています。しかし、もっと持っていたと、思います。****************

 さて、今外出から帰ってきました。6時間の約束でしたが、13時間の中断でした。お許しください。 で、今、新しい発想がわきました。それを、副題βで、語ります。それで、その前の、シミの部分については、前日の、10日にメモった原稿がありますので、其れを、そっくりこちらにコピペして、公開をいたします。本当はメモではなくて、もっと、詳細に書いた文章をアップするはずでしたが、副題βに、早く取り掛かりたいので、その部分を、簡単に、して置くのをお許しくださいませ。~~~~~~~~~~~~

副題α、『前の日にメモった、草稿としての文章・・・・・合鍵を使った、侵入者が、ついでに、盗んだ白いセーターに、レモンが二個縦に並んだような形状の、黄色いシミをつけて、返却をして来た可能性に、ついて・・・・・』

19-4-9 夜に気が付いた事

 白いセーターだけど おへそ当たりに、黄色いシミが付いている。大きい。レモン二つ分は、あるだろう。付けた覚えがない。ただ、卵だったら、落ちるはずなので、洗ったが、落ちない。したがって、染色である可能性が高い。スポイト化、筆で、二か所に、水溶性の、染料を落とせば、こう言うし身ができる。 それから、自分がこぼした可能性だが、それは、無い。飲み物類に関しては、最近数年間は、お茶の類しか買って居ない。したがって、真っ黄色のシミとはならない。薄茶色になるはずだ。そうなると、安野智紗夫人が染めの個展をしていて、染粉を、各色持っていることが問題になって来る。 このセーターは、一旦、失われてから、ベッドの奥、隙間が、15cmしかない処から見つかった。そんなところにはないはずのところで見つかって、さらに、もう、一回、無くなって、さらに返されたのだが、シミを作られて返された可能性がある。今、システム異常が起きたので、ほとんど、これが、正しい観測だと、思われる。推敲中にも大きなシステム異常が起きた。だから、ほとんど、正しい観測だと、思われる。ただし、リキテックスなどの、絵具で、つけた可能性もある。それなら、画家Aとなるが、彼は、貧乏なので、リキテックスは、使って居ないはずだ。日本画用の画材も、非常に少量で、購入している。無論のこと油絵専門だから、日本画の画材は、公募団体展に、入選するだけの必要量を買うだけで、入選が、可能だったのだ。しかし、その画のテーマだけど、子供が大勢で、遊んでいる 絵とは、創形美術学校出身の若手作家=本田和博君が、専売特許として、描いている画題である。不思議なことだと、思い至った。ただし、これも、ほぼ、20年は前の話であって、日本画の画材は、持っていないはずだし、リキテックスも持っていないはずである。昨日外出する際に、安野家の、猫(茶色の方)が、近寄ってきた。?????

 また、主人の、忠彦氏が、侵入をしているのかな? 猫はすごく賢いから、その家が、私の家であって、私がその家の住人であることも知っていて、したがって、外に出て待っていて、からかってきたかな? 「最近は、忠彦さんは、ずっと、侵入をしているのだよ」と、言いたくて。(苦笑)

 その上、事務用品、特にボールペン類入れ用の引き出しが開いていて、キッチンバサミが、おかれていた。この引き出しをいじっているのは、安野家であろうと、何度も、このブログの世界で、書いているが、さらに、其れを、強調すべくやって来た可能性がある。

 外出する前に、そこに、キッチンバサミを置く可能性は、ない。それに開いていると気にかかるから、閉めて出るはずである。

 今は、次の日の、午後零時だ。外出する予定があるので、寝室を整理しようとしていて、床に、トートバッグ三点が、落ちているのに気が付いた。無論、自然に、落ちる可能性は、ある。しかし、【美脚and美尻】のラベルを入れこんだことを始め、布団に針を刺していた、事、それ以外にも、この白いセーターをベッドの足元のほとんど、それが、見えないところに突っ込んだことを始め、安野忠彦は、非常に何回も寝室に入っている可能性が強い。下(一階)の、園芸用、品入れの引き出しに、ストッキングが入っていた。これも、悪さのひとつだったかもしれない。

 それと、もう一つ怪訝なことがある。それは、其のキッチンバサミが入っていた引き出しに、拡大鏡も入っていたことだ。これは、その隣の引き出しに、いれることとしているものだ。

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19-4-9 午後の話、逗子駅にて。

 午後12時20分ごろ、逗子の、一番線ホーム側の、エスカレーターが、工事中だった。なるほど、使わせたくないというわけですね。そう言うルート(金沢八景)を、使って、北久里浜に行くとみなされていましたね。なるほど、なるほど。

 北久里浜の地境点検で、北の地主(I氏)は、青地を、時効取得ができたそうだ。私は?

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19-4-10

 朝のニュースで、平泉の、中尊寺の蓮、が、五株、鎌倉市へ寄贈をされて、永福寺跡地に、植え付けられる? 松尾崇市長が、えらい人として、テレビ画面に出てきた。

 あさイチ、で、水道トラブルが、取り上げられる。これは、アスベスト問題へ続く、例の、欺罔事件をマネーロンダリングしていく為の話題であろう。

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 さて、此処からは、メモではなくて、11日の、夜の、11時40分から書き始める、全く新しい部分です。シミが付いたセーターの部分からは、少し離れます。しかし、この壮大な、ミステリーの解明には、大きな役割を果たすエピソードです。

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副題βー1、『画家Aがある日、大きな風呂敷包みを、頭の上に、掲げて、坂を降りてくるのとすれ違った・・・・・公募団体展に応募するのだなと、わかった。が、普通は、一般入選者は、数点を描いて、搬入するので、カウル間を利用する。自分が持っていない場合は、搬入業者に依頼をする。それなのに、自分で、風呂敷包みで、運ぶとは?と、私は、・・・・・ああ、お勤めしたことがないから、搬入業者に依頼する、1万円から、2万円程度が払えないのか・・・・・と、いう風に、思った。

 もし、彼が、100%の善人だったら、ニューヨークで孤独死した、ホアレスに対する様に、同情おく、あたわずと、言うところだけれど、既に、失礼な、捨て台詞を浴びていたので、内心では、同情をしないで、ただ、唯、冷静に、彼の懐事情が苦しいのを察し、しっかりと、記憶をした。

 なお、彼は、自分が他人に対して失礼をしているという事には、気が付かないで、いるらしい。粋がっている、ところがあって、自分がすこぶる素敵なセリフを放って、それに、応答をしない、私に、たいして、自分が、勝ったと思いこむらしい。ご近所づきあいでは、勝ったも負けたもないと、思うのだが、この山の、住民は、そういう判断をするのが好きである。それって、例の大臣、桜田なんとかと、似ているとも思うのだけれど、体格だけは、違う。画家Aは、スリムである。

 ところが、どういうわけか、彼は、後日、その展覧会の様子を私に話してくれ、かつ、そこで、手に入れた絵ハガキか、絵そのものを見せてくれた。

 内心で仰天をした。どうしてかというと、その数年前から、銀座で発表を重ねていて、しかも、評価が高い、本田和博という画家と、絵がそっくりだったからだ。それは、小学校の校庭を、20メートル程度の高さから、俯瞰したら、こういう風に見えるだろうと、言う、心象風景で、あって、グレーの背景の中に、思い思いの方向を向いた子供たちが、20人ぐらい描いてある。頭が黒く目立つ形で、足などは、見えないという形で、描いてある。本田君は、6号程度の、小さなサイズで、その中に豆粒程度の子供たちを、30人程度書いているが、画家Aは、50号程度の中に、50人程度描いていた。

 私は頭が、素早く回転するたちだから、その絵について、自分が思って居ることを発言すると、その結果、どうなるかが推察できるので、何も言わない。ただ、ただ、びっくり仰天をして、目をむいただけだった。

 私が、2018年の、12月9日から、彼について、深い怒りを感じていて、ずっと、四か月以上にわたってシリーズとして、このブログ内で、彼を分析し続けているのだけれど、「複雑な人間なので、実名を書きません」と、言って居る裏に、この時の、驚愕も大きいのだ。

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副題βー2、『最初は、普通に、又は、善意を持って解釈をした。・・・・・どこかで、本多和博の絵そのものか、または、はがきを見たので影響を受けている・・・・・と。本田和博も、創形美術学校の卒業生なので、先輩としての画家Aに、個展の案内状を送ったので、それを記憶していた。または、同じく、先輩にあたる柄沢斉の家へ個展の案内状が届いていて、其れを弟子として、柄沢の家に出向いている、画家Aがちらっと見て、記憶に入れた・・・・・と。

 ともかく、入選した先は、院展の春季点だそうで、『へえ、院展の審査って、いい加減なのですね』と、思いいたった。刻画会の、審査風景がいい加減であるという事は、指原いく子のケースですでに書いている。

 春陽会の、審査風景もいい加減だった時期もある。ある女流画家が、国展の会員の絵と、そっくりな絵を出していた。春陽と国画会は、六本木ができる前は、同じ期日で、上野で、展覧会を開いていたから、見た絵の記憶が残っていたと、思われる。私は、リアルな世界で、喧嘩は私宅はないと思って居る。しかし、絵のオリジナリティに関しては、我慢がならないほどの、潔癖さを持っているので、其の春陽会に、国画会会員の絵とそっくりな絵を出している女性には、「あなたの絵は、XXさんの絵と、そっくりだ」とは、言った。

 場所は無論、無理をしない。今は、すでに無くなった横浜市立、関内ギャラリーでの春陽会、神奈川支部展でのことだった。そこで、チャンスがあったからだ。彼女の絵が、支部展の第一室に置いてあった。勿論、彼女は、得意満面で、会場にいた。それで、上の件を言ってみた。特に神奈川県の女流画家として、既に、知己があったからだった。友達だから、早い目に、路線変更をした方がいいと、思ったからだった。

 彼女は、当然に、いやな顔をした。だが、私はひるまなかった。言わなかったとは、思うが、内心では、「上野の芸大に、国画会のプログラムが、おいてあるから、其れを、見て、確認をした方がいい」と、言いたいところだった。または、当時の国画会は、公式な事務所を上野に構えていたから、そこへ行ってみた方がいいと、内心で、思って居た。

 そこまでは言わなかったが、彼女は画題を変えた。しかし、画然として、レベルが落ちた。

 こちらの女流画家のケースと、画家Aのケースの時期が、どちらが古いかは、既に、記憶をしてはいない。が、この様に、絵のオリジナリティで、潔白性がないうえに、大学の、同期、中村某に、讒言を与えて、したがって、中村某の、商売上の相棒である、東美藤沢の、店員・市川某から、取引を断られたので、さらに驚いて居て、画家Aについては、疑惑の、面持ちで、常にその行動と、彼の発語を、勘案している。彼に対しては、油断をしたことがない。だから、彼が何を目的で、何を行って居るかは、すべて、把握をしていると自負している。

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副題βー3、『ところで、院展春季展が、どうして、一般入選者を、審査で、いれるのだろう。普通は、会員、又は、準会員、又は、受賞者だけが、その手の、小品展で、展示をされる筈なのだけれど。院展だけが違うのですか? 不思議なことだ』

 ところで、上までの文章を、公開することは今までありませんでした。しかし、思考としては、既に、考えが、及んでいたことです。しかしこれから先は、正真正銘、初出の文章です。  六本木の新国立美術館ができる前までは、すべての、公募団体展の本展は、上野の都美館で、行われていました。六本木ができて、そちらに移動ができるのは、抽選で当たった団体だけだと、言う話でした。  しかし、「貧窮して、孝子、出づ」とか、「残り物に福有り」は、当たっていて、実は都美館に残った団体の方が、繁栄を、していると、私は、見ています。というのも公募団体展のお客って、年寄です。若い人は、それほど、公募団体展に、興味を持っていません。年寄にとって、六本木の、新国立美術館は行くのが不便なのです。しかも食堂が三種類しかなくて、しかも、高い方は、ともかく、安い方は、寒々しいです。   安い方を精養軒が運営している都美館の方が、おいしいです。高い方も、一度試したが、おいしいです。しかも上野公園内には、入場券を持っていなくても入れる、西洋美術館の食堂【すいれん】をはじめとして、全体で、六軒ぐらいのレストランがあって、かつ、カフェも、4か所以上あります。   そして、催し物にしても、芸大美術館を入れれば、「いくつみられますか?」と、いうほどに、多数の催し物が、近隣で、催されています。無論のこと、六本木の新国立美術館が開館するころは、六本木が新たな美術界の核になると、言う意気込みでした。しかし、新国立から、歩いて、森美術館に行くまで、21_21 DESIGN SIGHTを通り、サントリー美術館に拠りと、歩いていくにしても、高齢者には、負担となる雑踏の、混雑ぶりです。歩道は狭くてね。歩きにくいです。で、内心で、しまったと、思って居る六本木移動組が、小品展という形で、上野に戻ってきているのです。

 しかし、院展は少し違うと、思うのですね。それは、デパートで、小品展を開くらしいのです。本展を再興院展といい、上野の都美館で、開くのですが、春の院展は、三越で、開くらしい。そこで、その本田和博と、そっくりな絵を展開して、どういう評価を得たのか、知りたいところです。不思議極まりないのです。

 あの絵は、彼が普段描いている絵とは、画風も全く違うし、疑問がいっぱいです。その入選そのものが謀略の日とつだったりして????? ともかく、其れを、実際には見ていないので、わかりません。でも、入選したら、当然に、敵であろうが、味方であろうが、「見てください」と、いうものだと、思うのですが?????

 安野夫人の方の個展も疑問がいっぱいあります。抽象的な作品だったら、化学染料で、作る場合もあるのです。刻画会、工芸部に、出品されている作品で、織りの部門のものなど、高さが、8メートル近いものがあり、それは、化学染料でしょう。だけど、安野夫人が、それほどの、大作を作っている様子は、ありませんね。反物でもないと思う。反物は、室内では、染められませんし。もし、柴田悦子画廊で、その個展が開かれたのなら、謀略の、においがプンプンしますが?????

 今ネット検索をしたところ、画家Aの作品は、一点、81000円でオークション落札と、出ていて、本多和博の絵は、2010年のもので、40万円でした。これは、2019年4月12日の検索状況です。

  いや、これは、まさか、まさかの推察ですが、画家Aは、柄沢斉から命令をされて、ああいうそっくりな絵を描いた? 其れは、本田和博をつぶすため? まさか、まさかですが、単純な、潜在意識の反映ではなくて、仕組まれた、剽窃でしたか? おっそろしい。なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5262125です。

 後注1、

藤木大地が、19-4-29 鎌倉の覚園寺で、歌ったらしいが?・・・・・うーん、来たる13日は、上野の小ホールでですって。   2019-04-07 22:41:06 | 政治

後注2

ハヤブサIIの新ミッションを口実として、JAXA吉川貢氏が、CIAに使役をされた。鎌倉Agentが起案をして、其れを、JAXAに伝達したのは、中谷某東大宇宙工学研究所所長だったかな   2019-04-02 21:50:12 | 政治 

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NHKは神奈川県知事選挙について触れない。なぜか? ・・・・栗田玲子、浅尾慶一郎、竹中直人、寺島しのぶ、飛んで埼玉△

2019-04-08 20:54:59 | 政治

 このブログの総タイトルは、後半を、【黒岩知事が大活躍をしたやまゆり園事件が多大の嘘を含むからだ】としておりました。しかし、そこまで、書き抜けていないので、10日の、夜11時に変更をしました。そして、その同じ夜の11時半に、推敲を終えました。で、恒例の三角印を総タイトル横に付けておきます。

 なお、この一文は、今、書いているブログと連携がない様に、見えるでしょうが、私の頭の中では、すべてが、統一されているのです。常に言って居ます。「ミステリーを解いているのだ」と。私の周辺に起きることは、大きなことも、小さなことも、すべて、秘匿された裏側がある現象です。覚園寺が、動くのも、裏側に、鎌倉エージェントと、私が呼ぶ、人々がいて、NHKが、地方選挙の結果について、バイアスが、かかった報道をするのも、その一連の、中に在ります。で、本日は、私が住んでいる神奈川知事選について、検討をしていきたいと思います。

副題1、『事前にも、事後にも、NHKは、神奈川知事選挙について、報道をしないが、それは、何故か?』

 私は8日(月)は歌舞伎座昼の部の前売り券を持っていましたので、外出をしていました。帰宅をして、疲労のあまり、いったん寝て、今、次の日(=9日)の午前五時ですが、起きて書いているところです。ところで、NHKニュースをながら市長をしたり、録画番組を見たりしているところですが、今のところ(というのは、4日月曜日の夜まで)は、どうも、神奈川知事選については、結果が、ほとんど報道をされていない模様です。

 これは、重要な意味を持ちます。何について、重要かというと、やまゆり園事件に、大嘘が含まれていると、いう事の傍証に役立つからです。

  で、8日のニュースウォッチを検証しましたが、神奈川県知事については、ゼロ%の言及でした。で、其れを証明するために、下の写真をご覧ください。これを写真1とします。

 

 これは、グーグルで、神奈川県知事、黒岩氏、ニュースで検索したトップ頁に出て来るものです。読売、毎日、ニフティニュースとあって、もっと、大きく開くと、朝日新聞が出てきますが、NHKニュース、オンラインは、出てきません。こういうところでも、証明される様に、NHKは、神奈川県知事選については、事前にも事後にも、ほとんど、放映をしませんでした。

 ここで、意地悪なこのブログの読み手でも、特に、意地悪な方の読者が、突っ込みを入れてきたと仮定をいたしましょう。それは、当然でしょう? だって、ほかに大きな話題があるからです。大阪都構想問題は、大きいですし、保守分裂も、大きいからです。

 でね。そう言う意見に関しては、此処では、無理に反論をいたしません。ただ、私は、自分の、思うところを順次に語っていきたいと、思います。

 まず、意外性がないという点ですが、事前に、絶対に、神奈川県知事に、黒岩氏を当選させるべきだと、言う強い意向が、現在の最高の特権者である、鎌倉エージェント(中には、東京都や、京都に、住んでいる人間も含まれているのだが、複数の、人員を指す)の中に在り、其れを、実現させるために、いろいろな、根回しが事前に、行われたと、見ています。

 つまり、対抗馬として、有力な人間を出さない。・・・・・・という措置は、まず、取られました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『19-3-30、に、話題の映画【翔んで埼玉】を、見て来た。が、そこでも、神奈川県の、民度が高いことが、うたわれている。なら、何故、今般の、知事選に、共産党候補以外が立たないのだ? 次の機会、又は、次の次の機会に当選するにしても、県民から、その存在感を、忘れられないがためには、立候補した方がいい。なぜ、浅尾慶一郎と、長嶋一由は、たたなかったのだ。もったいないでしょう。だから、裏工作は、絶対にあったと、みなされる』

 浅尾敬一郎と、言う人物については、何度か、述べてきていると、思います。やまゆり園事件と、前後して、書いている一本が見つかったので、此処に後注1として置いておきます。浅尾慶一郎が、国会議員で無くなるなど、誰が予想をしたであろうかと、いうほどの有名人です。たけしのテレビタックルとか、田原総一郎の、朝まで、生テレビの常連の出演者だったと、思います。(ただし、これは、私が、パリへ行く前の、1996年までごろの記憶だが、それ以降はニュース以外の政治に関しては、テレビは、ほとんど見ないので、さだかではない。)

 そして、これも記憶によれば、代々の外交官の家で育ち、ご本人も東大卒のはずです。エリート中のエリートのはずです。

 ところで、浅尾慶一郎は、鎌倉エージェントに・・・対・私いじめ用の・・・道具として使われました。私は、常に、彼等に使役をされると、不運が付いて回るのだと、言って居ます。今、これから、鎌倉市で、食べ歩き禁止条例が出たことを語りたいと、思って居るのですが(別の章で語ります)それは、もし、厳密に適応をされたら、鎌倉市の収入減は、がた落ちするでしょう。で、松尾崇市長は、伊藤玄二郎、かまくら春秋社社長の言うなりですが、ここでもまた、鎌倉へ、悪い影を落とすこととなるはずです。疫病神といっていいのです。

 個人として、使役をされて、結局は命を落とした、有名人は、瓜南直子さんです。テレビ(地上波のNHKや、民放の常連)というわけではなかったけれど、SNSの世界では、その投稿に、切れ味するどいユーモアがあるという事で、有名だったであろう日本画家です。彼女がすれすれの体力で生きていることは、既に、2011年の夏に私にはわかっていました。其れを、第五回目のファイスブック時代には、書いているのですが、今は敵さんによって、それらの投稿がすべて失われている段階です。

 前報で、覚園寺にちらっと触れていて、中途半端になっていますが、実は、覚園寺様も、瓜南直子さんのへの引き金を引いた人の一人となるのですよ。無論のこと、伊藤玄二郎に頼まれたのでしょう。彼から、直接頼まれて、京都泉湧寺で、グループ展ができる様に、依頼をしてあげたのは、覚園寺さんのはずです。直接ではなくて、間に、二階堂在住のご近所様として、酒井忠康氏が、入ったか、お寺同士のお付き合いとして、浄智寺さんが入ったかは、知りませんが、ともかく、瓜南直子さんにとって、2011年に、私のライバルとして仕立て上げられて、引っ張りまわされ、その代わりとして、SNSに、私を苦しめる投稿をしまくったのは、彼女の命が、恐るべき速度で、奪われたことの真因です。もっと、有名人ではない個人としては、石川和子さんがいます。私の猫のことで、警察を巻き込む、恐ろしい事(=すごいこと)を、やったのち、たった、三年弱で死んでいますし。

 浅尾慶一郎は、いまだ、死んではいません。だけど、衆議院議員でなくなったという事は、政治生命を絶たれたというも同然でしょう。では、此処で、回復の為に、一発花火を挙げておいてもいいではないですか? 立候補をしても、当選しないかもしれません。黒岩現知事に負けるかもしれません。でも、このまま、逼塞してしまったら、選挙民から忘れられますよ。それでも、いいと、思って居るのかなあ? 県知事になる方が、資質として向いているとも、思われますし、出馬するべきだったと思います。いまだ、首相になる夢を捨てていないのですか? それよりも神奈川県知事になった方が、ずっと、手腕を発揮できますよ。いかがですか?

::::::::::::::::

 ここで、挿入に入ります。伊藤玄二郎達が、対・私に使う、攻撃用武器があって、その一つが、私の目の前に、私が嫌がるであろう人間を出現させるというのがあります。それは、何百回と、使われているので、私は、其れを嫌がるというよりも、彼らCIAエージェントの、思考状態を判断する材料として使って居るのですが、最近でも、花輪夫人とか、種々様々な、人間が目の前に現れるという現象が続いているのです。

 が、特に、驚いたのが、水曜日なのに、栗田玲子さんが、一階の画廊に詰めていたことです。栗田玲子さんとは、銀座の有名画廊、ガレリア・グラフィカのオーナーですが、教育大学(現在名筑波大学)を卒業しているひとなので、偏差値的には、もっとも、高いランクの大学を卒業しているオーナーです。だから、銀座でも、一目も二目も置かれている人物です。

 ただ、彼女の場合、月曜日の、午後五時過ぎだと、画廊の展示室で、オープニングをしてあげて、そこで、おもてなしをする可能性があって、その時は、詰めている可能性があるのです。しかし、水曜日なので、普通なら、一階の展示室には、いないはずなのです。あれっと、不思議には、思いました。しかし、これは、まあ、作家が、人気があるので、お客が多いからだと、いう事かもしれないのですが、一方で、歌舞伎座で、私が、4月用のプログラムだけは買ったので、もう、顔が知れているので、「ほら、次は、4丁目以降の画廊を訪問するはずですよ」と誰かが連絡を取ったという事になって、待ち構えられていたのかもしれないのです。歌舞伎座は、鎌倉エージェントの伊藤玄二郎も、勢力を及ぼすことができる場所です。彼は、小津安二郎のプロデューサーであり、かつ、里見頓の子息である、山内静雄氏ととても親しいからです。その上、井上ひさしもいまだ、生きていて、かつ、自分の戯曲をあれこれ、上演させていますので、大きな力をふるって居ますので、歌舞伎座に、スパイがいる可能性は、大きいのです。したがって、栗田玲子さんが待ち構えていたという案も、ありうるのでした。特に今システム異常が起きたので、この説は、正しい考察であるでしょう。

  まあ、でも、久しぶりに栗田さんの顔を見て、それは、なんとはない良い経験でしたよ。彼女は、背が高いです。顔が洋風であります。さすがイタリア通ですね。なるほど、しかし、皮膚はバタ臭くはないですね。『一時期の森本草介さんとは、違うなあな』どと、思い至って。かつ、カーディガンが、超・上等だ・・・・・これは、和光ぐらいでしか、おいていないものであるはずだとか、いろいろ、感じ入ってね。そして、何となく、私がわかった模様なので、こちらも目顔で、あいさつはしてきました。いろいろ、感じましたよ。その後、その時、栗田さんの、左側にいた、・・・・私としては、知らない人物である、ある男性(のお客)・・・が別の画廊で、対、私に対して、変な顔をしていたので、『ハ、ハーん、想像は、当たっていましたね。栗田玲子さんは、私が去った直後に、すぐ、周辺の人に、あれが問題の、川崎千恵子だと、言ったのでしょう。つまり、引き続き敵方の人として、行動をするみたいです』と、考えたものです。あ、は、は。

 栗田玲子さんは、有名人です。それに、一応銀座の有名画廊のオーナーだから、プイと、横を向く、このご近所主婦である、前田清子さんとか、安野智紗夫人よりは、人物ができていて、大勢の他人の前では、目顔だけでも、あいさつが交わせる人です。しかし、あいさつがあるからといって、その人物が、好意的であるとか、信頼ができるとは言えない典型例が、その日の彼女でもあり、こちら雪ノ下で言えば、画家Aです。この男が、又、この二週間以内に、三度か、な、付きまとってきて、「こんにちは」と、か、言うのです。内心で、激怒していますので、このブログも、相当に、深く、掘り下げた内容を書いている次第です。

 さて、栗田玲子さんは、中間地点に立つ人です。現代アートの世界では、知る人が多い有名人ですが、彼女が、売ってあげている、山本容子と比較をすると、庶民に顔が知れているという点では、有名人ではありません。

 一方で、彼等は、有名人も利用をします。上で、名前を挙げている浅尾一郎、其れから、【飛んで埼玉】で、神奈川県知事役を、になった、竹中直人、其れから、今月、息子の、真秀(まほろ)君が歌舞伎座に出ている寺島しのぶの、三人は、私が、何もブログで、書かないうちに目の前に現れた人物です。したがって、彼らが行った嫌がらせというのは、ご近所様とか、栗田玲子さんの、今回の邂逅とは、少し意味が、違います。

 つまり、この三人は、私がその三人に対して、話しかけることを予期して、準備をされ、そして、話しかけた時に、対応しないで、無視する様に、依頼を受けて、出現したと、いう事でした。私を無視すれば、私が、いやな思いをするだろうから、スピードアップできるだろうと、思って、準備された人物です。何がスピードアップするかというと、私をノイローゼにさせて精神病院へ収容してしまおうという策略に、役立ち、かつ、スピードアップができるだろうと、みなされて、目の前に、現れた人物たちです。

 順番は、国立劇場のロビーの真ん中に、母君藤純子と、一緒に立っていた、寺島しのぶが、最初です。その年の二月だったと、思うのですが、節分の日に歌舞伎座へ行った、私は予告なしで、この【まほろちゃん】と、菊之助の息子と、彦三郎(当時は、名前が亀三郎だった)の、息子たちが、2歳から、4歳ぐらいの年齢なのに、正装の和服で舞台に登場したので、あっけにとられたのです。、其んな、小さい年齢なのに、黒の紋付はかま姿で、現れて(予告なしですよ)。まあ、『吉右衛門も、菊五郎も、親ばか(いや、正確に言うと、ジジ馬鹿ですが)だなあ』とは、思いました。

 普通のケースですと、私の方が、「公的舞台を、私物化して」、と、怒るところですが、歌舞伎座っていうのは、舞台と客席が、一体化した、大きなファンクラブみたいなものですから、許されるのでしょう。それでも、あまりに、驚いた私は、ロビーにいた若い女性に、「あの三人の、お子さんは、だれなんですか?」と、聞いたら、まほろ、ちゃんは、個人名で教えてくれて、後の二人は、お父さんの名前を挙げて、そのお子さんですよと、教えてくれたのです。それで、まほろちゃんが、三歳にして、既に、歌舞伎座内では、個人名で通用する有名人であることを知って、その日から、相当に、長期間、寺島しのぶのブログを読むこととなったのです。彼女は、お子さんをMと、呼んでいろいろな発見を記しています。働くママとしては、抜群の、精度と、緻密度で、子供に接しているお母さんです。

 私がインターネットで、何を読むかは、ハッキングによって、すぐ把握をされます。それは、この時の寺島しのぶには、限らないので、わざわざ、シェラトンホテル、横浜のロビーに置いてある、パソコンで、調べたりします。勿論、ネットカフェで、借りるのは、お金の面では、支払う事は十分にできるのですが、今、氏名を明らかにしないと借りられないでしょう。だから、特別に、重要な問題、例えば、三国屋善五郎について調べたいときなどは、シェラトンホテルの、ロビーのパソコンを利用していたのです。すると、見事に反応されて、「宿泊客のみの、使用に、限定します」ですって。(苦笑)これは、思い過ごしではなくて、其のコーナーのすぐそばに、円形のソファーが置いてあったのです。横浜駅西口の、ホテルの中に、今度開業する、東急ホテルは、いざ知らず、今のところ、円形のソファーが置いてあるのは、そこだけだったので、よく待ち合わせに利用をしていたのですね。そうしたら、取り払われてしまいました。(苦笑)

 大きなことから、小さなことまで、世間は、す・べ・て、私が動かしているのです。あ、は、は。

 ここで、直後に高須院長がネットニュースに登場したことがシェラトンホテルの、パソコンで調べたというエピソードと直結するのです。それは、過去のリンク先を探し出さないと説明しにくいのですが、息子が、三国屋善五郎に勤めていた際に、西原理恵子さんを利用して、社長サイドが仕組んで、法事用の、熨斗紙を女性社員が間違えたことにして、支店長だった、息子が責任を取らされて、四国にまで、ホテル代も出ないし、飛行機代も出ないという形で、謝罪をしに行かされたことを指します。三国屋善五郎の社長は、真っキンゼイの出身者です。だから、大前研一、大前勇介、石塚雅彦の、ラインで、それほどの、激しいいじめが行われたのです。シェラトンで、確認した三国屋善五郎の社長は、上村卓美と、言う人物だったと、思いますが、記憶が薄れています。なお、息子は、何も言わないのですが、私には、すべてがわかるのですよ。ありとあらゆることが、正真正銘、裏も表もわかっております。

 西原理恵子さんは、その後、NHKで、最後の講義という特番を作ってもらって、東京女子大で、「セックスをいろいろな男とやりなさい」と、強調をしました。東京女子大だと、聴衆の半分は処女だと、私は考えますけれど、湊晶子さンが、元、学長だから、そのラインで、押し込んだのでしょう。

 息子は、たぶん、中学受験の時から、いやがらせといじめを受けております。一方で、おなり中学で、通信簿に、1と、2しかないという事で、おいちに、おいちにの、あひるさんと、言われていた安野家の次男は、国立大学の付属高校にご入学なさったそうで、かつ、海上保安庁勤務で、一億五千万円の、生涯賃金を保証をされています。どういう裏側があるのだろうと、不思議極まりないです。公立おなり中学が、特別な配慮をするのでしょうか? 恐ろしい世の中です。

 ところで、2019年4月9日の外出は、横須賀市からの公的はがき、及び土地家屋調査士からの電話等で、敵さんが、把握している外出でしたが、留守中に泥棒が入っていろいろ悪さをしておりました。それがねえ、警察から合鍵をもらって居る人物がやっていると、思います。ご近所の二軒がもらって居ると思います。その泥棒について詳細にメモってありますが、この章は、黒岩知事に特化したいので、今は、語らないで、起きましょう。という9日の出来事を挿入して、元へ戻ります。有名人が目の前に現れて、私を無視する話ですが、一番最初に現れたのは寺島氏しのぶったと、言う話に戻ります。

 私はバカではない。だから、寺島しのぶのケースから、学習をして、次の竹中直人が、鶴岡八幡宮の、石段最上段のさらに上で、急に、目の前に現れた時は、引っかかりませんでしたよ。話しかけませんでした。(苦笑)、しかし、その後、其れをブログに書いているので、今般、【飛んで埼玉】の中で、神奈川県知事として、採用をされたみたいです。ちょっと、ニンではないですけれど。このニンというのは歌舞伎用語で、人間の雰囲気が、役柄に在っているという事を指します。

 原作が連載をされた、【はなとゆめ)の白泉社は、ICU同期の人が昔、勤務していた会社ですから、そのルートで、竹中直人が、使われた可能性があるのです。

 さて、最後に現れたのが、浅尾慶一郎です。町内会費をもらいに行く必要が、私の方に、ある日で、鶴岡八幡宮を訪問をしました。浅尾慶一郎は、見事なタイミングで、私とすれ違ったのです。どうして、それほどに、見事なタイミングを選任することができたかというと、我が家よりも、10メートルは下に存在する安野家などで、私が、外出し、石段を下りるのを、目撃されたうえで、我が家の山の下にある、ガードマン用休憩小屋で、待機している刑事等へ連絡が安野家から入り、その刑事から、八幡宮社務所に、連絡が行き、私が、到着したタイミングを狙って、浅尾慶一郎が、社務所から出てきたのでした。

 しかし、同様なことをされるのが三度目ですから、むろんの事、私は、浅尾敬一郎には、話しかけません。しかし、投票の前日かな? 浅尾夫人と、思しき女性から、電話で投票依頼が入ったので、「おや、おや、おや、本当にあの人は、鎌倉エージェントの支配下に置かれているのですね。大丈夫かしら。彼等と、つるむと不運に見舞われますよ」と、思ったら、その通りで、国会議員の席をなくしました。

:::::::::::::::::::::::

 ここで、長い挿入から元へ戻ります。浅尾慶一郎は、そこで、損をしたのですから、復活を兼ねて、今度の知事選に、立候補をしてもいいのです。未だ、首相になる芽があると、思って居るのでしょうか? で、神奈川県知事には、立候補しない? それなら、長嶋一由が、挑戦してもよかったでしょう。ライバルが、いない選挙だったのですが、其れこそ、鎌倉エージェントの、裏操作の結果だと、見ています。

 この章は続きます。しかし、外出をしないといけないので、此処で、中断をします。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5254784です。

 

後注1、

浅尾慶一郎が、伊藤玄二郎と安倍さんの間の連絡係としての、谷垣禎一氏の、後釜に座るのかな?

2016-08-09 23:05:29 | 政治

 

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神奈川県知事選、自論証明用写真集、

2019-04-08 08:31:57 | 政治

 

 

 

 

 

 

 

 なお、このブログは、まだ、説明が整って居ませんが、それでも、2010年より数え始めた、延べ訪問回数を、述べておきます。それは5253784です。

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藤木大地が、19-4-29 鎌倉の覚園寺で、歌ったらしいが?・・・・・うーん、来たる13日は、上野の小ホールでですって。

2019-04-07 22:41:06 | 政治

副題0、『この章のフィールドは、音楽ではなくて、政治に、限定をしておきます』

 藤木大地というキーワードで、いろいろ、雑感を語るのですが、それは、音楽というよりも、徹底的に、政治の問題として語ります。で、分野は、いつも通り、政治です。

 しかし、私は、前報を書きながら、「実は、自分の声を有名人で例えると、藤木大地に似ているかもしれない」と、書きたかったほどでした。しかし、いずれ、藤木大地を、政治のフィールドで、取り上げるだろうと、予測をしていたので、昨日(あと注1)では、その名前を出さなかったのでした。

 藤木大地という人物名を、もし、知らない方があれば、彼は、今、大変に人気のある、カウンターテナーなので、グーグル検索で、お調べになれば、多数の項目が出てきますし、この4月13日、上野の文化会館小ホールで、マーティン・カッツという、彼が大きな信頼を、寄せている1945年生まれのベテラン・ピアニストと、一緒に、日本で、四公演+テレビ一収録があるそうです。今、切符の販売状況を見たら、曲目が、難しそうなので(大衆向けではないと、思うので)切符が些少、余っているみたいです。ぴあ経由の切符ですが。自分自身は、月曜日が、歌舞伎座、そして、火曜日が、因縁の北久里浜での、土地の地境の立ち合いがあります。それで、相当に、体力を消耗しそうなので、今のところ、切符を買うつもりがないのです。が、それでも、『あれ、これって、二週間前と同じですね。2週間前も、ほぼ、一日前の27日に、鎌倉でのコンサートが28日に、覚園寺であると、知ったのですよ。それと、今回の、上野の、文化会館の小ホールでの、音楽会を、数日前に知ったという状況と、そっくりです』と、思い当たった次第です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『私は、夜八時という時間帯の、満員電車の中で、トスカの中のアリアを歌ったのだが、誰からも咎められなかった経験がある。なぜ、誰も、振り返らず、かつ、変な人だと、言って、車掌に文句を言わなかったかというと、私の、そのアリアに対する解釈を、誰もが、共感をしてくれたからだと、考えている。・・・・・普通の場合、トスカのアリア【歌に生き、恋に生き】は、恋愛の歌だと、考えられていると、私は想像をする。しかし、私は、其れを、神様を口説く歌だと、考えている。または、神様をなじる歌だと、考えている。神様に向かって、・・・・・私は、こんなに、働いています。または、こんなに、いろいろなことを丁寧に、心を尽くしてやっています。しかし、報われません。どうして、報われないのでしょうか。どうか、どうか、たすけてください・・・・・と、お願いをする歌だと、考えている。そう言う解釈をもって、【歌に生き、恋に生き】を、満員の、夜八時ごろの京急電車内で、歌う。すると、その哀切にして、控えめな、なかにも、神様という、絶大なるお力に、すがりたいと、いう願いを、持つ声と、歌は、すべての日本人、(特に特権のない、普通の、人、大衆と呼ばれる人たち)に、共通するお願いだから、人々の心にしみこむのだと、思われる。

 ところで、そういう時は、国画会の大パーティなどとは、異なって、自分を、顕示しようという目論見があるわけではなくて、ただ、ひたすら、自然に出て来るものであって、したがって、受け入れられやすいものになっているのだと、推察される・・・・・それが、鎌倉へ、引っ越してくる前の経験だった』

 前報(あと注1)で、私は、・・・・・自分は、音楽の方面に関しては、耳がいい・・・・と、書いているのですが、そう言う事を言い始めたのは、ここ一年程度であって、音楽に関しては、ずっと、控えめでした。だって、小さいころ、家が、徒歩、7分の場所に住んでいた友人が、大人になったら、ドイツフライブルグの、音楽大学の教授になっているのですよ。そう言うお友達に囲まれているわけですから、将来音大に進学するはずもない、自分のレベルや、立場を、よく知っていて、音楽に関して、偉そうなそぶりは、見せたことはありません。しかし、中学の時の、先生も、高校の先生も、試験(一人で歌う)時に、恥ずかしがって、なかなか、声を出せない私を、ずいぶんと励まして、待っていてくださったのでした。お二人とも芸大出身です。そして、大人になって、特に鎌倉に引っ越してきてから、声の大変美しい、これも芸大出身(しかも、元、華族様)の先生について声楽のおさらいをしました。しかし、お勉強としての、お歌は、あまりはかばかしくは進みません。というのも芸大出身の先生は、順を追って、課題曲をお選びになるでしょう。そうすると、【からたちの花】とか、【この道】から始めるわけです。しかし、そう言うお歌だと、私が最も得意な・・・・歌の解釈・・・・というものを込められないわけです。

 しかし、仕方がないのです。芸大って、入学する前に、大きな準備が必要です。そして、入学後も、課題を、追って進むのですから、イタリア語をマスターしていないし、シューベルトのアリアもマスターしていない私に、先生が、トスカのアリアを、歌うのを許可してくださるわけもないのです。

 やがて、美術の方で、段々芽が出てきたので、独唱のお勉強をやめることにして、先生に、そう言うご挨拶をしました。「文化庁の在外研修生として、パリへ版画の勉強をしに行く事ができます」と、なったら、『そりゃあ、趣味の、お勉強(お歌の独唱)に、時間を割いている場合ではないでしょう』と、いう事になります。だから、スムーズにやめることを許可してくださったのですが、その際に、にっこりしながら、「あなたは、リズム感がないです。しかし、声は本当にいいですよ。明るくて、まあるい、本当にいい声です」と、言ってくださいました。先生は、そのころ、60代で、素晴らしい声の持ち主でいらっしゃったのです。そう言う方から、40代半ばの私は、ほめていただいて、お別れしたわけです。それ以降、独学で、勝手に歌って居るのですが、それでも、声は、さらに良くなっていると、考えております。ただし、断片的な、メロディを歌うだけであって、どこかの会場で、誰かに、聞かせると、言う目的と、意識は、もうないのですよ。歌を歌うという行為は、私の場合は、不随意に自然に、体内から出て来るもので会って、それは、常に、神様が、私の体というものを道具としてお使いになって、ご自分の存在を、この世に、お示しになっていると、考えております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『4月27日に図書館にいた。その時に、情報をつかんだのか、それとも別の場所でだったかは、はっきりとは、しないのだが、ともかく、次の日28「(金)に、覚園寺で、藤木大地の、コンサートが開かれるという情報を得た。そこに、切符を申し込むべき先の、電話番号も書いてあった。

 私は、この2019年4月27日に久しぶりの図書館で、調べものをしました。それは、貴景勝が、大関に昇進するにあたって、NHKなどの、メディアが静かすぎると、思ったからです。私が貴景勝について、一文を描いているので、もう一回、何かを書くと、私の読者様が増えますね。それで、其れを避けるために、貴景勝の、大関昇進について、メディアに、「押さえろ」という通達が降りていると、考えました。其れを、紙のデータで、調べようと、思ったのです。それは、未完の、論調ですが、一応、とっつきだけは、すでに書いてあります。(後注2)

 その時に、イチロー引退で、メディアが集中をしていた時に、菊池雄星に関する情報が一切出なかったのも大問題でした。そして、そちらも、一応、いろいろ、チェックし調査して、自分の考えが正しいことを知りました。

 誇大妄想でも何でもなくて、私が、くしゃみをすると、メディアが風邪をひくという状況に陥っていると、思います。が、これは、歌舞伎の問題を、からめて、もう一度、丁寧に書く事として、私が、「なぜ、前の日に、覚園寺で、明日、藤木大地の演奏会があることを知ったか?」の説明をするのに、とどめておきましょう。図書館にたまたま寄ったので、わかったのです。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『うーん。これから先は、邪推です。特に、見て来た様なうそを言いの一つです。しかし、もしかしたら、当たっているかもしれないので、語り始めましょう』

 藤木大地という人物は、今、旬というほどに、人気がある歌手の模様です。すると、彼の方から、覚園寺さんに、連絡が入って、「そちらで、歌わせてください」と、申し出でるはずがないのです。

 覚園寺さんの、信徒会館のホールというのは、一部コンクリート、一部木造の三階建てで、小屋裏(屋根裏)を利用した珍しいお部屋です。聴衆は、パイプ椅子で、音楽を聴くことになりますが、眼下に見える、樹木が特に、この季節だと、美しいでしょう。大変珍しい環境で、しかも、ロータリークラブの会員や、医師会関係者をお呼びするのだから、観客もレベルが高いでしょう。だから、藤木大地は、満足をしたと、思います。ただ、彼から、申し出でたとは、思いません。彼の所属事務所は、吉野直子さんなどを、傘下に置く、大きなマネージメント会社の模様ですが、その会社、AMATI側から、覚園寺を、使いたいという申し出があったとも、思われません。

 これは、やはり、鎌倉エージェントが、思いついたことでしょう。なぜ、藤木大地を覚園寺で、出演させたかったかというと、私が、好きだからです。そして、この、1月24日に、放映をされた、三回目の、再放送を、録画したまま、削除をせずにおいて置いて、何度も聞いて、一緒に歌い、主人にも、「この人いいわねえ」と、話していたからでしょう。

 覚園寺さんは、瓜南直子さんを、京都泉湧寺に推薦をして、グループ展を開かせてあげたり、樋口恵子さんの講演会を、開いたり、対、私への、弾圧行為に加担する組織として、八幡宮に、つぐ、お働きをなさっておられるのです。

 で、この藤木大地招聘の話も、緩やかな形ですが、同じだろうと、思って居ます。では、誰が仲保者として、藤木大地へ、招聘をかけたかというと、児島百代先生、もしくは、武部聡志の、二人である可能性が、高いです。

  私は明日(8日)は、歌舞伎座の前売り券を持っています。その上、先程、睡魔に襲われたので、此処で、やめようと考えました。ところが、ベッドに入ってから、重要な部分に手を染めていないので、気にかかって寝られません。それで、続きを書く事にしました。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『藤木大地が与える感動という意味では、鎌倉でも、上野でも、変わりはない。ただ、曲目の選定が、異なる程度だろう。しかし、私の目から見ると、その政治的意味合いが、大きく異なるのだ。目くじらを立てるべきでは無いという読者もあるかもしれないけれど、覚園寺は、閉鎖的環境であって、鎌倉の富裕層しか入れない。それは、以前、樋口恵子さんの講演があって、それに、招かれたので、知っている。しかも、その樋口恵子さんの会も、対・私へのひっかけの罠だったし』

 樋口恵子さんは、お茶大付属高校での、先輩です。で、その講演会も、絵ハガキに二十行ぐらいの丁寧な、手書きのお誘いの、文言があったので、行ったのでした。樋口恵子さんは、お電話を交わしたこともあるし、何度も、その講演を、学士会館で、100人いないの聴衆の一人として、聞いている間柄です。その樋口さんが、紹介してくださった大和書房の編集者が、神楽坂女声合唱団に入っておられるとか、樋口恵子さん自身が、覚園寺に出かけて行った、私のあいさつに、微妙に、顔色を変えて無視されたなどという事があって、

 私は、覚園寺が舞台となって、いじめが行われていることを、すでに、知っているのです。なぜ、そう言う事が起きるかというと、私が、覚園寺について、過去に、「鎌倉一、きれいな環境である」と、言うブログを数本書いているからでしょう。

 でね、其の信徒会館が、自由には入れないという事を、私は、熟知しています。それから、その音楽会の、チケットのお値段が書いていないので、ロータリークラブ・プラス・医師会等が、出演料を負担していて、入場料を取らないシステムだったかもしれません。そうだったら、なおの事、閉鎖社会で、行われる音楽会となります。富裕層だけが出席する音楽会となります。で、私は、自分が、ニュースを作っていると豪語【❔】しているのにもかかわらず、覚園寺様がお招きになる、鎌倉の、富裕層の、お集まり(多くて、500人である)には入れないわけです。で、「ざまあ、見やがれ、馬鹿もの目」と高笑いしているであろう、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、今も、生きていて、地下潜行をしている、井上ひさしの、高笑いが、佐助の丘から、漂ってきそうです。

 上野の文化会館、小ホールでの、演奏会では、曲目がさすがに、非・大衆的です。芸大他、音大出身のプロが聞きに来る催しらしいと、思います。そして、上野の文化会館小ホールに、音楽を聴きに行くという人種自体が、現在の日本社会では、富裕層です。六軒に一軒が、給食代も払えないと、言う現状に在ると、聞いている日本社会の中では、富裕層を形成している人たちです。しかし、それでも、上野の文化会見の場合は、情報を、気を付けて、見ている人で、好きな人だったら、切符は、それほど高くはないし、交通費と、一緒で、一万円以内で、藤木大地を、聞くことができます。誰かと一緒に行って、仲野精養軒で、ランチを食べても、お茶しても、一万円で、おつりが来ます。つまり、閉鎖されていない社会です。差別がない社会です。

 しかし、覚園寺の方は、違うのです。図書館で、情報を得た人が血が、電話をかけて、入場の資格を得たと仮定します。しかし、演奏会が終わった後で、ロータリークラブの、奥様方が、一回で、ティーパーティを開いています。誘っていただけますよ。だけど、自分は、ロータリークラブのメンバーではないのだとは、歯科と、自覚をさせられます。

 特にです。もしかしたら、この山の、伊藤玄二郎お気に入りの、奥様方がご招待をされていたと仮定をすると、彼女たちに、これから、先、激しく軽蔑をされるでしょう。なるほどねエと、思います。

 この時点で、私が考えることは、其れでも、知らなったよりも、この情報を得た方がお買った。です。そうです。彼らが、何を考え、何を起案し、何を、行おうとしているかを正しく、判断をして置かないと、いけないからです。其れを前日にしろ、図書館に行ったおかげで、把握できたというのは、天のお助けの一つだと、感じています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『この覚園寺の、演奏会の、実現に向けて、鎌倉エージェントの意思を、藤木大地側に伝える役目が誰だったのかだけれど、児島百代先生が動いた場合でも、武部聡志が動いた場合でも、両者とも、私にとっては、敵にあたる現状だ。それを書かないといけない。しかし、これから先は、後日を、お待ちいただきたいと、思う。膨大な文章を新しく書くか、過去文章のリンク先を見つけないといけないからだ』

尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5253015です。


後注1、

今、突然に、東京音大、新キャンパスというニュースに接したが?・・・・・野島稔・・・・名調律師・・・・steinway の action△

2019-04-06 19:48:44 | 音楽

後注2、

貴景勝VS琴奨菊、mediaが上げたり下げたりする度合いは何ゆえに違う?、指原いく子、山寺重子、嶋田員子、国展審査風景は、まっとうか否か?

2019-03-28 21:19:48 | 政治

 

 


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今、突然に、東京音大、新キャンパスというニュースに接したが?・・・・・野島稔・・・・名調律師・・・・steinway の action△

2019-04-06 19:48:44 | 音楽

 最初に、この文章で、言いたいことの結論を言ってしまいましょう。本日、2019年4月6日の私は、あれこれのいきさつから、自分が、昔書いた、文章を思い出していたのです。其れを読むと、何と丁寧に、心模様を追って居ることだろうと、懐かしく、いとおしくさえ思いました。そしてあの頃は、自分は、敵さんたちのことを、語らないでいることが、できる日も多かったのだなあと、感慨が深かったですよ。音楽の事だけを語っています。 

野島稔がショパンに見えた20年前。野島稔の消息の変遷に感無量だ△

2014-01-05 22:58:24 | 音楽

 これを後注一として、本日の文章を書き始めます。しかし、昨日描いた前報とは、相当異なる内容です。続きとは、とても言えません。前報の続きは、別の日に書きます。恐れ入りますが、ご了承をいただきたく。また、これも結論ですが、本日語っているあれこれの雑感よりも、上記の、「野島稔が、ショパンに見えた日」の、ブログの方が、ずっと、上等です。

*1)。『浜松市のアクトシティという大きなホールに、今日初めて接したのだった』

 私は、本日描くものの予定は、むろんのこと持っています。ところが、どうしてか、東京音大についての、ニュースかブログかに触れてしまいました。丁寧にいきさつを思い出すと、帰宅したちょうどその時に、NHKBSプレミアムで、【特別編 ミツバチと遠雷】という番組をやっていて、其れを、主人が見ている最中だったのです。

 私は、朝、新聞を読まない主義になっているので、その番組があることを知らず、したがって、録画機能すぃっちは入れないで、外出しました。で、『あれ、面白そうな番組だなあ』と、思ったものの、終わりの方、15分程度しか、見られなかったのです。

 で、画面に、音楽ホールが出てきたのですが、舞台両横の壁を、どうも見たことがないのですね。

 白っぽい壁で、天井が高いとなると、オーチャートホールかしら?、それとも、NHKホール?と、思いながら、『どうも違うわよね』と、思って落ち着かないのです。終わってから、番組の解説を見て、その番組が、浜松国際ピアノコンクールに、密着取材したものらしいと、言うことがわかりました。幸い、浜松は、一回行って居て、そのホールが入っているらしい、高層ビルと、ヤマハ(?)の楽器博物館は、見ています。ただ、そのホール【アクトシティ】は、知りませんでした。駅のそばに、横に細長い高層ビルがあって、そう言う形式の高層ビルが、東京圏にはないので、注目をしました。その中のホールらしいです。

~~~~~~~~~~~~~~~

*2)、『2018年11月の、浜松国際ピアノコンクールに密着取材したらしいと、終わってからわかった。ところで、其の優勝者【ジャン・チャクムル】君か、第二位の、【牛田智大】君だったか、演奏の映像が出たが、譜面台に、イタリックで、Shigeru Kawai と出ていた。『え!、河合のロゴって、こういう形になったの?』と、思って感慨が深かった。私がピアノを熱心に触ったのは、40年以上前であって、その後、ピアノには、接していないので、河合楽器のピアノの譜面台が、ああいうロゴになっているのは、全く知らなかった』

 私はね。実は、河合の方が好きだったのです。こういう事を言うと、このブログの、影響力が強いので、又、自分か、河合楽器かが、困る事になるのかもしれません。実は、私は、林隆三(お歌の、弾き語りが上手な、俳優)、見たいに、お歌の伴奏として、ピアノを、弾いていたので、ピアニストみたいな、本格的な、曲を、さらったり、習ったりはしていないのです。

 私は楽典などは、非常によくわかる人なのです。で、和音の事も、よくわかっているので、【全音】の、500曲収録の楽譜(赤い表紙の、歌謡曲と、青い表紙の、フォークソング集があったが)に、コードが、印刷してあると、其れを分散和音にして簡略な、伴奏を、自分で、作れるのでした。勝手きままですが、自分が自由に歌うためには、その程度で、いいのです。ピアノの方を厳密にしようとすると、歌の方が御留守になってしまいますから。音大出身でもないので、そのくらいしか、自分でも、できないと、わかっていて、無理はしません。また、歌詞も覚えません。覚えた方が感動を与えるとわかっていますが、其れも、私にはヘビーデューティなので、メロディだけで、歌は歌います。つまり、スキャット、というわけですね。

 しかし、運指などで、あまりに、自分勝手ではいけないかと思って、先生について、30過ぎにバイエルを習い始めたのです。今、NHK BSで、【空港ピアノ】という番組を放映していますね。または、駅に置いてあるピアノ。そこで、ひいている人は、自分でピアノを、マスターした人が多いらしいです。だけど、40年前の、特に日本だと、そう言う生き方は駄目らしいので、バイエルから、習ったのです。その時に、先生のピアノが、河合で、いい音だなあと、思いました。

 しかし、家に帰って、親戚からもらったピアノを弾くと、其れもいい音なのですね。私は、実は、ひそかにですが、中学でも、高校でも音楽の先生に、かわいがられていたと、言う記憶があるのです。たぶん声がいいという事と、たぶんですが、自分では、自覚がなかったけれど、耳もよかったからでしょう。で、相当いい耳を持っている私からすると、横須賀、北久里浜での、先生のお宅の河合は、いい音だし、自宅のあまり有名ではないピアノ、Flora も、とてもいい音なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

*3)、やがてその謎が解けた。川崎、横浜、横須賀では、非常に有名な調律師、YODA 氏が、先生の紹介で、来てくださって、40年以上前の1970年代に、6万円請求なさったが(しかし、いま、思うと申し訳ないほど、安かったと、思う)、

 「これは、アクション(機械部分)は、スタインウエイです。だから、いい音なのです。昔の日本では、運搬が大変なので、アクションだけ、買って、木の部分を日本で、制作したピアノがあったのです。この Flora というピアノは、そう言うもので、ほら、此処をごらんなさい、スタインウエイと、書いてあるでしょう」と、金属部分を指し示しながら、教えてくださった。YODA 氏は、五時間ぐらいかけて、全部分解して、フェルトも張りなおしてくださった。

 ところが、北久里浜から、鎌倉雪ノ下へ、引っ越してくると、事、ピアノに関しては、悲惨な路をたどっていった。鎌倉は、湿気が多い。そして、あの YODAさんは、一回は、いいけれど、もう、二回も三回もは、あの重労働はできないと、お思いになったのだろう。その上、私はピアニストではない。横須賀・北久里浜に住んでいるときは、私のピアノの先生への手前、そちらへの尊敬と義理があるので、その弟子の家にも、来てくださったが、ピアノの先生と別れてしまった鎌倉へは無理という事であった。「もう、演奏会用ピアノの仕事だけで、精いっぱいです」と、言う話だった。

 で、鎌倉で、新しい調律師さんをお願いしたが、全く、いい加減な仕事ぶりで、どんどん、ピアノが痛んでいった。その上、主人が捨てるのが好きな人で、本を捨てろとも言われたが、ピアノも、ソファーも捨てようと、提案してきた。私は、抵抗したが、このピアノを直すのは、もう、yoda さんの様な誠実で、職人家気質の、人がいるはずもなくて、工場に出すしか無くて、其れをお願いするのは、石段を、130段も上り下りする、この鎌倉雪ノ下の山では、修繕費と、運搬費で、100万円は、かかるという見込みを、自分で、持ったので、捨てるのに賛成してしまった。惜しい事だったが、美術への、方向性が強い日時でもあったので、毎日、ピアノを、二時間は触って、お歌を歌うと、言う習慣も捨ててしまって居たので、仕方がない。

 しかし、「ピアノの音は、メーカーによって違うのだ」という事は、よくわかっている。で、ショパンコンクールの裏側を、特に、ヤマハと、河合の、調律師さんたちに、密着取材する番組は、二回ほど、見た。つまり、この10年間に、二度ほど、其れを見たという事となる。NHKが、これも、BSで放映をした番組のこと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*4)、『本日、私は、小町通りの半ばで、5時半過ぎに、突然に、【夢路より】が、のどに浮かんできて、歌い始めた。小さな声だが、蚊の鳴くほどという音量でもない。しかし、誰も振り返らず、誰も、こちらを見ない。それは、ものすごく、いい声が出ていることの証拠だと、思う。人々は、脇のお店から、BGMが聞こえてくるとでも、思っているらしい。これは、銀座の裏通りでも、昭和通りでも、鍛冶橋通りでも同じなのだ。交差点で、滞留していても、誰も振り返らない。昭和通りなんて、対抗方向から歩いてくる人が、にっこりと、笑ってくれたほどなのだ。なお、夢路よりは、フォスター作曲の、シンプルな歌謡だけれど、beautiful dreamerの、タイトルで、覚えておられる方もあるかもしれない。

 しかし、美術関係者の、宴席やら、大オープニングパーティで、私が歌って居るのを聞いた人は、「そんなにいい声でもないでしょう」と、いうと、思う。それは、自意識が勝って居る場合なので、自由度が、低いし、神様のご支援がない形だから、最上の声ではないとも言える。プロではないので、いつも、いつも同じ声質の声が出るとも限らない。しかし、芸大卒の三人の先生に、声の質は、ほめていただいている。

 そして、国際基督教大学の教会などで、フロアーの、その他、大勢の人の、一人として、無心に、賛美歌を、歌うときなどは、もっとも、良い種類の声が出ているらしい。女性の、先輩が、近寄って来て、「あなたは、天与の声を持っている。〇〇教会の聖歌隊に参加しなさい。私が紹介をしてあげます」と、言われたりする。〇〇教会とは、港区の、有名な教会だが、チャンスは、前髪をつかめというほどの行動力は、私には、ない。結局、今は、どこの合唱団にも、どこの教会の聖歌隊にも、所属をしていない。ブログを書くだけで、精いっぱいだ。

 私の声を、誰かにたとえるとすると、テレビの世界で、活躍している人の中には、いない。本格的な、オペラ歌手とも違う。平原綾香などとも全く違う。まあ、しいて、誰もが知っている、人で例えると、【自衛隊の、歌姫】というお嬢さんたちがいる。数人いて、そのうちの一人が、鶴岡八幡宮での音楽会で、自衛隊の、ブラバンと一緒に歌ったので、其れを聞いて、『自分は、こういう人達と、似た歌い方をしているし、声も、似ている』とは、思った。

 ただ、あのお嬢さん方は、お若いので、声に丸みとか、太さがある。私も、30代とか、40代は、そう言う声であった。今では、日本刀みたいな、ピュアそのものの声となっていると、思う。体力がないので、そうなる。ただし、キーっと叫ぶ様な、声ではない。もし、そういう声だったら、みんなが振り向くだろう。だけど、誰も振り向かないのだから。

  私は、こういう声が出ているときに、それは、神様が、その存在を証明するために、私の体を道具として、お使いになっていると、考えている。だから、自分を押さえない。しかし、自宅まで、くると、そこには主人が居て、テレビを見ているので、歌うのは、中止する。(苦笑) 小町通りから、家の、居間に入るまでは、自分を押さえない。ただし、態度が派手だと、いうわけでもない。霧か、カスミの様に、ただ、声だけ残して、さっさ、さっさと、歩く。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*4)、その様にして、神様が、私の体を音楽漬けにされた、日(本日の事)に、自宅まで、帰ってきたら、テレビに、ピアノが映っているので、思わず、見つめたのだが、後、15分程度しか、画面が続かなかったので、なんだか、残念な気がして、インターネットで、この番組【特別編、ミツバチと遠雷】を、調べまくった。

 すると、どうしてだか、不思議なことに、東京音大が、中目黒に新キャンパスを開くというブログだか、ニュースだかわからないものと遭遇をしてしまった。其れを調べていたわけではないのに、それに遭遇してしまった。

 東京音大については、私の知識は断片的なものだ。池田理代子さんが、漫画家として、成功してから、声楽を学びに行って居るとか。NHK BSプレミアムの、クラシック倶楽部に出てきたパク・キュヒが、同大学を卒業しているとか。音楽は聞くことと、歌を歌うだけが楽しみであって、それ以上は求めないので、知らないことが多い。

 東京音大が、中目黒に新キャンパスを開くと、いう事について、そのブログ(または、ニュース)を書いた人は、相当に好意的にとらえている。私も『そりゃあ、その通りだ』と、思った。音大に、通う様な人は、アルバイトをする必要がない富裕層を、実家としているだろうが、それでも、渋谷に近いというのは、有利な事だと、思う。

 渋谷には、NHKホールと、BUNKAMURAがある。地下鉄日比谷線と、東横線を利用して、かつどこかで、乗り換えも、すれば、ほとんどの有名なホールに、電車だけなら、30分で到着する。これは、うれしい地の利だ。

 8000平米という狭い土地だと、書いてあったが、それでも、『今時、2000坪以上3000坪近い土地を、まとまって、中目黒に見つけるなんて、誰の紹介で、手に入れることができたのだろう?』と、不思議だ。また、誰が、元の持ち主だったのだろう。まあ、ともかく、ものすごく、うまい選択と決断だったと、思う。

 私が見るところでは、「現在の学長の、野島稔さんは、ご自分から、あれこれ、ちょこまかと、動く人だと、言うイメージはないのだけれど、思いがけないほどの、貢献を大学に対して果たしていて、大学は、大発展ですなあ」と、言いたくなる。「学長として、すごい手腕ではないですか! 驚きました」とも言いたくなる。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*5)、新キャンパスの設計は、【日建設計】が行うとも、書いてあった。日建設計とは、エリート(有名大学卒の建築家)だけが集う組織で、お給料がものすごく高いはずだ。そして、私のブログに、頻度高く登場する会社だ。

 どうして、頻度高く登場するかは、このブログの、この章の所属するフィールドを、音楽に限定しているので語らないで、おこう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*6)、私は野島稔とは、本当は縁がない。まあ、北久里浜の家が、野島さんの、実家から、二キロ圏内にあるというだけの縁だ。しかし、今、グーグル検索で出てきた、私が、昔書いた、文章を、読み返すと、それに匹敵するほど、野島稔を、丁寧に、描いている文章がなさそうだ。氏を分析したり、オマージュをささげている文章は、ほかには、ないと、思う。無論演奏の事ではなくて、人物全般についての、分析だが。

 同時に、美人で、かわいいギタリスト、パクキュヒについて調べたら、たくさんの文章が出てきた。それだけ、美しい女性は、関心を集めやすいという事だろう。野島稔は、現代のタレントに、匹敵するほどの、イケメンではないと、思うし。

 ところで、野島稔さん程、顔が、変わったり、体重が変わる人もいないと、思う。今回の、新キャンパス、設置に関する文章や、ニュースで出てきた野島稔・画像は、『あれ、野島さんって、イタリア人みたいになっちゃった。不思議です。どうしてなの?』と、思うほど、以前より、やせていて、しかし、お肌だけは、脂ぎっている。

 こういう変化って、どこか、森本草介さんを思わせる。ベクトルは、反対方向でなのだけれど、森本草介さんも、年齢に応じて、その雰囲気が、とても変化した方だ。

 1990年代初め、国画会のパーティにいた森本さんって、まるで、イタリア人だった。太っていて、脂ぎった皮膚と、豊かなちぢれっ毛(もしくは、パーマをかけた髪)を持つ人であって、『本当に、日本人かなあ? この人って、イタリア人みたいだ』と、思うほどだった。絵が一号、数百万円で、売れて、いる画家さんは、毎日、ステーキを食べているのだろうなあと、考えた。でも、絵と、相貌の間の乖離は、気にかかった。

 その時に、私は、上野の精養軒の大ホールでの、総勢、700人程度が参加するオープニングパーティの直前で、控室の、角の椅子から、二つ目に座って開会を待っていた。その時、隣の、(一番角の)、椅子に座って、いたのが、森本草介さんだった。私は、その日(=1991年の四月末)で、初めてのパーティ出席だったので、お隣が、かの有名な森本草介だとは、知らなった。でも、ほかの人が「森本さん!・・・・・」と、話しかけてきているので、わかった。絵の雰囲気は、殺した中間色を用いて、静謐なものだから、絵と、ご本人の、雰囲気の違いにひどく驚いた。

 しかし、私が、オープニングパーティで、森本さんに気が付いたのは、その時だけだ。1992年以降は、一度も森本さんには、気が付かなかった。パーティでも会場でも。

 森本さんは、政治的な動きをする画家ではないので、60歳を過ぎたら、目立たない様な、動きをなさっていたのではないかなあ。たとえば、さっさと帰るとか、出席しないとか? 役員にはならないとか。 総勢、700人を超す、出席者の中で、目立たないでいるという事は、画家としての、自信がとても、大きいという事だと、思う。

 私は、2003年から、国展に出品するのをやめるので、なおさらに、森本さんの、姿は見ないと、いう形になった。氏は、数多く開かれる国画会関係者の、銀座での、個展に、出席する様なこともなかったからだ。そして、氏の日本橋高島屋での、大個展の日に、二度目として、お顔を拝見することとなった。ほぼ、20年ぶりだっただろうか。以前と比べると、やせて来ておられて、かつ、肌も、普通の日本人のそれだった。つやつやしすぎていない、日本人のそれだった。バタ臭くない肌の、色だった。

 私は、ほっとした。その方が絵と、作家の相貌の間に、乖離がないと、思ったので。

 それにしても、現在の、其の、新キャンパス開設にあたっての、学長のご挨拶という記事での、野島稔さんの、顔写真には、ひどく驚いて居る。野島さんが、イタリア人みたいに見えるので。

 最後に蛇足として、自分の現状を申し上げます。今、午前零時になりました。今から12時間前の、6日の正午ごろ、お昼を食べてから、チョコレートを、三かけら程食べただけです。夕食をまだ食べていません。本章は、つまらない文章です。役に立たない文章です。でも、自分で、書いていて、楽しかったから、おなかも、すかなかったのでしょう。楽にかけた文章です。こういう世界でだけ、遊んでいたいのですが、悪い刺激が外部から入ってくるのでね。政治的な文章を書くという事となります。

で、推敲もし終わりましたので、書いた日付と、署名を入れて置きます。そして、総タイトル右横には、恒例の三角印を入れて置きます。2019年3月6日。      雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

 まあ、文体の統一が取れていないのと、アクセス数が、書いていないのが、以前と異なりますが、ご容赦くださいませ。集計のサービスが無くなっているので、自分で、計算しないといけなくなったからです。

尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5251564です。

 今・チャクムル ジャン・チャクムル後注1、

野島稔がショパンに見えた20年前。野島稔の消息の変遷に感無量だ△

2014-01-05 22:58:24 | 音楽

  

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19-4-5の朝、山ノ下で、カラフルなANZENのトラックが、待ち伏せしていた。私とCIA Agent連中のどちらが頭がいいか? の競争を、持ちかけられたらしい。

2019-04-05 22:12:55 | 政治

副題0、『この章を書くにあたって、最初にお断りをしたい事』

 この章は、完ぺきに前報(あと注1)の続きです。昨日4日には、後半、5分の1ぐらいを残して、推敲を終え、「続きを明日5日の夜やります」と、語っていました。ところが、今は、すでに、其の5日の夜に、なっていて、夜の10時半というところですが、前報の文章の、後半に、続きという形で字数を増やすのではなくて、新タイトルで、文章を書き始めます。ちょっと、アプローチは違いますが、JAXAのハヤブサIIの、インパクタという新ミッションに、ついて、そこに、鎌倉エージェントが、明瞭にかかわっていると、いう事の、続きです。

 実は前報の後半を推敲するとなると、自分のブログを、1000本ぐらい点検しないといけません。そんな時間が、今は、ないので、此処に新タイトルで、新たな章を起こすわけです。つまり、

リンク先を示さないで、もし必要なら、事実を新たに書くと、いう形で、構成を進めます。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『我が家の真下は、鎌倉街道である。鎌倉街道とは、道路幅が狭くて、片側・一車線で、ある。したがって、道に停車している車は、生協と、タクシーぐらいである。宅急便も、クロネコさんは、遠くの有料駐車場に止め、手押し車に載せて、荷物を運んでくる。佐川急便は、まだ、配達物品数がすくないせいか、動ろっぱたに止めることがあるが、其れも、瞬時で終わる。しかし、本日は、カラフルなログで、ANZENと、大書した、三トントラックが、停車していた。変だ? と、一瞬で、私は感じ取る』

 とても目立つ美しいロゴなので、記憶してしまって、今、外出先で、10時間を過ごして帰宅した後で、12時間過ぎにグーグル検索をかけたところ、それは、横浜市・戸塚区に、実在している運送会社のものでした。私の住んでいる山には、15軒の人しか住んでおらず、私は外出前に何度も玄関を開けたり閉めたりしているので、この山にだれも訪問客がおらず、宅配便を届けに来てはいないのを、既に、知っていました。山の下はうるさくても、山の上は、しーんとしているのです。昨日は違います。佐川急便の小型トラックが停車していて、其の運転者は、白くて薄くて大型の段ボール箱をもって上がってきていたのです。こちらが普通です。

 しかし、本日は、誰も、山の上に来ていないという気配なのに、3トントラックだけが下に停っているのでした。ところで、急に、このブログ内、てきすとの入力方法が、上書き保存形式になりました。microsoft のword と、違って、このブログには、上書き保存を、修正するキーがないのです。つまり、私が、敵方の狙いを、図星で、見つけてしまったことを、証明するのが、このシステム変更です。その様に、上書き保存になったからこそ、私が、きわめて重大なことを書き始めているのが、確実です。・・・・・・で、其れを書いて、其れを挿入として、いれて、元へ戻ります。

。私は、そこよりも、60mは手前の志一稲荷の踊り場で、既に、『異様だ。何を意味しているのだ?』と、考えて、注意深く、その傍に向かって降りていきました。

 というのも、そこに、止まっているトラックにしては、積載数が、大きすぎるのです。すみませんが、疲労が激しくて、たまりませんので、この続きは明日書きます。

  ただし、忘れてはならないメモは、記載をしておきましょう。桑子アナは、4日放映の、NW内で、「ハヤブサIIには、250の私企業が携わっているのですよね」と、有馬キャスターを見ながら言った。カメラに向かってではない形で。

 それが、何を意味するかというと、本当は、政府の、資金も投入をされているのだけれど、政府の資金について、否定をしたくて、そう言う文言が出たと、私は考えている。

 というのも、ハヤブサIIのミッションに、流鏑馬をたとえに使い、景色として、鶴岡八幡宮の、三の的の、映像を流すことは、対、私に対して、抑圧的な弾圧にあたるからだ。

 私は、5日には、こう書くつもりだった。政府の事業を、私的な方向で、しかも恣意的に、利用をしている。だからこそ、例の連中らしい事よ。自分達の悪をロンダリングするためにハヤブサIIを、使って居る。相変わらずの、伊藤玄二郎達の悪どさには、驚くほどだ・・・・・・と。

 だからこそ、桑子アナは「民間の、250の企業が、」と、強調をしたのでした。他にも数多い、傍証があって、私が後注1に書いたことは、100%正しかったと、見ています。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5250153です。

 

後注1、

ハヤブサIIの新ミッションを口実として、JAXA吉川貢氏が、CIAに使役をされた。鎌倉Agentが起案をして、其れを、JAXAに伝達したのは、中谷某東大宇宙工学研究所所長だったかな

2019-04-02 21:50:12 | 政治

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鎌倉で、食べ歩きに関して迷惑条例がでる

2019-04-03 23:03:57 | 政治

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これは、NHKオンラインからとっただけのものです。その後、今治タオルの問題が起きたので、これを公開にもっていきます。
       

<iframe class="video-player-fixed" style="background: none; margin: 0px; padding: 0px; outline: 0px; border: 0px #333333; width: 640px; height: 360px; color: #333333; line-height: 14px; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; vertical-align: baseline; box-sizing: border-box; font-size-adjust: none; border-image-outset: 0; border-image-repeat: stretch; border-image-slice: 100%; border-image-source: none; border-image-width: 1;" src="https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190403/movie/k10011871841_201904031743_201904031744.html?movie=false"></iframe>

食べ歩きや危険な撮影「迷惑行為」 鎌倉で条例

年間2000万人以上の観光客が訪れる神奈川県鎌倉市で混雑した場所での食べ歩きや危険な場所での撮影などを「迷惑行為」と定め、観光客らにマナーの向上を呼びかける新たな条例が、今月施行されました。

条例は、観光客のマナーをめぐり鎌倉市に苦情が多く寄せられていることから制定され、混雑した場所での食べ歩きや線路周辺など危険な場所での撮影、それに山道で歩行者を走って追い越す行為などを「迷惑行為」と定め、これらを行わないよう求めています。

土産物店や食品店が並ぶ小町通りでは、今月1日に条例が施行されたあとも、ソフトクリームや菓子などを食べ歩きする観光客の姿が多く見られました。

訪れた人の中には「条例を知ったので食べ歩かないようにしますが、楽しみの一つでもあり人に言われることでもないかと思います」と話す男子高校生や「食べ歩きは見た目もよくないし服に付くと迷惑になるので条例に賛成です」と話す70代の女性もいて、さまざまな受け止めがありました。

創業およそ100年の和菓子店の店主は「鎌倉は食べて、味わう観光もあるのでゆるやかに楽しめるよう条例という形でなくてもよかったように思います」と話していました。小町商店会の高橋令和会長は「ごみのポイ捨ての問題もあり、マナーを守って安全、安心に楽しんでほしいです」と話していました。

また今回の施行をうけ、市内のハイキングコースでは、観光課の職員が歩行者を追い越す際には、走らずに歩くよう呼びかける案内板を設置し、マナーの向上を呼びかけていました。

ハイキングに訪れた80代の男性は「山の中を走る『トレイルランニング』の練習なのか、かなり速いスピードで走る人もいて危ないのでマナーを守ってほしいです」と話していました。

一方、人気漫画に描かれた江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅近くの踏切では、2日も車道や線路で撮影する外国人観光客が多くいて、中にはドローンを飛ばす人もいました。

鎌倉市では、今後、多言語で条例を周知していくことにしていて、観光課の廣川正課長は「条例は禁止や規制を促すものではないが、自らマナーを守って皆が楽しく過ごせる機会になればと思っています」と話していました。

 

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ハヤブサIIの新ミッションを口実として、JAXA吉川貢氏が、CIAに使役をされた。鎌倉Agentが起案をして、其れを、JAXAに伝達したのは、中谷某東大宇宙工学研究所所長だったかな

2019-04-02 21:50:12 | 政治

 今は、4日の、午後2時ですが、大量に残っていた誤変換直しを始めます。読みにくかったと、思います。お許しくださいませ。なお、総タイトルは、午後、二時まで、【ハヤブサIIの新ミッションは、目隠しをして流鏑馬をするがごとき、難しさです。と、JAXA側は、言う。3日には、山崎直子とクィーンズも登場したし】でしたが、その時点で、変更をしました。推敲が終わった場所は、@@@@罫線で示します。

 最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。

これを写真1と命名して置きます。これは、2019年4月2日の、NHKニュースウォッチから、撮った、写真です。JAXAの、新ミッション、発表の際に、説明用に、持ち上げたボードです。あまりにも素早い復讐でしたね。苦笑するほどに、素早い復讐行為でした。何に対する復讐かは、下で、語っています。尚、写真がさかさまになっていますが、それも、私が言って居ることが、すべて正しいので、こういう風に妨害を受けます。しかし、この写真は、あまりにも見にくいので、元のさかさまの物を削除して、正当な方向のモノへ直すつもりはあります。

と、書いて、パソコンを別のものへと取り換えようと、15分程度間を置いたら、治っていました。

 次のモノは、2018年秋の、鶴岡八幡宮の流鏑馬の日に、危険な道路を歩かさせられている、観光客の姿です。これも写真がよこむきになっています。これも、上と同じで、私が非常に、正しい事をいっている際に、行われる妨害の一つなので、そのままに、24時間程度は、しておきます。パソコンまたは、スマホを、90度傾けて、見てください。右側に樹木が迫っているでしょう。その樹木と歩いている人の間には、深い側溝があって、そちら側にも、がーどれーる、もしくはフェンスがないし、反対側の車道にもフェンス、もしくはガードレールが無いのです。こんな危険な道を歩かせるという・・・・不親切きわまりない事を、吉田茂穂宮司は、お客側に、ご命令に成るのでした。驚きますね。でも、無論、裏があるのです。前報または、前々報に詳しく書いています。武部聡志とか、伊藤玄二郎が、自分が助かるために、八幡宮様を、道具として使役しているのです。これを写真2と、致します。

 次の写真は、流鏑馬道の、終点に、麗々しく、掲げられている看板です。こんなものは、30年前には、全く設定をされておらず、人々は、此処から自由に出入りしていたのですよ。これも、本当に嫌な事ですが、受動喫煙防止条例と同じく、井上ひさしが、考案したものでしょう。なんと、鎌倉市では、たち歩き食い禁止条例を、三日に出していますこれは、後程、別の章で、問題にいたします。本日は、流鏑馬に、集中しておきます。これを写真3と、致します。

 これも横むきですね。私がどれほどに、正しい事を言っているのかを証明しています。前報とか、前々報には、すごく大きな、恐ろしい事を書いているのですよ。最近立て続けに、そう言う恐ろしいことを書いています。だから、こそ、総タイトルを、柔らかいものへと、わざと志向しているのです。かもふらーじゅをして、「宮崎、みどりさんって、太ったかなあ」などと言う軽いものをつけているのです。もし、いつもの読者で、「これ、つまんなあいなあ」と、お思いになって、パスした方は、大損をなさったと、言うべきでしょう。と、言う写真の説明を終わって、本文へ入ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

副題1、『私は、昨日の、ブログ(後注1)を書いて、のち、2日の早朝に、あの、ブログの総タイトルは、変更すべきだろうと、考え始めていた。しかし、新橋の慈恵医大へ、行こうと、思って居て、実際に行って、そこに、一日中詰めていたので、日中に変更するのが無理だった。最近は、体のリフォームと、故障個所があるか、ないかの検診に、凝っていて、2日も、一日かけて、首から上を検査していたのだった。それで、変更が遅れてしまったが、今、2日の夜10時に、変更を果たした』

 以前のものは、【首相官邸に入る、宮崎みどりさんを見て、「あれ、彼女、いつの間にか、太ったの?」と、思った私だったが? 新元号・発表に際して、思う事、あれこれ】であったが、新しいものは、

TV画面に、宮崎みどりと、林真理子が登場した時に、鎌倉・CIA・エージェント達は、ウハウハだった筈・・・+・・・武部聡志と、流鏑馬2018秋     2019-04-01 22:44:03 | 政治

であり、これを、後注1といたします。

 しかし、『この文章を、書かれて、しまった事は、痛いなあ』と、考えた、連中(CIA側に立って、日本に核燃料を売りつけている国際的軍産共同体の、家来たち。その姿勢によって、特権と富を独り占めにしていて、自分達に従う、日本人だけに分け与えている人たち)が、速攻で、復讐をしてきました。

 私はね。それほど、この復讐行為を、気にしてはいないのですよ。『やってきましたねえ。今度も』と、思って居て、苦笑をしている次第です。しかし、自分が正しいことをやっているし、書いているのだと、言う事を証明する為に、きちんと経緯を書いていきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『写真1は、2019年4月2日の、NHKニュースウォッチ内で、公開をされたものだが、それ以前に、私は、5時14分、新橋駅発、逗子行きに乗ったはずである。脳のCTスキャンと、耳鼻科の検診が、終わって、新橋駅で、電車に乗ったのが、その時刻発の電車だった。逗子行きの横須賀線。これは、鎌倉駅には、通常、6時10分には着くはずなのだ。しかし、6時半過ぎであった。20分も遅れた理由が、あれこれ、述べられたが、嘘であろう。というのも、これは、言いたくないのだが、私が鎌倉駅に降りた途端に、次の電車が、来たからだ。ただ、私を苦しめるために、電車が遅延をした。

 ::::::::::ここで、私は、説明をしているうちに、次の日、2019年4月3日に発表をされた、鎌倉市の、新条例へ、入って行ってしまいました。しかし、文章の、構成が、煩雑になりすぎるので、今、やっと思いなおして、其れを、別章に、移動をさせたところです。::::::::で、JAXAだけで、其れが、対、私への復讐であったことを語りたいと思います。

 しかし、JAXAの、記者会見が、対・私のブログへの復讐であったという事を証明するためには、電車が、2日にも、3日にも膨大な、レベルで、遅延をしたことを語らないと、いけません。それも、又、傍証づけに役立つからです。

 ただし、この3日の夜の時点では、次の日の午前中、程、各駅での、公開放送が、派手であはなかった。で、対・私だけを狙って居るとしても、ごく自然に見える様に、敵さんは、行動をしたのである。

 ところで、前報の中で、もっともいけない人物としては、伊藤玄二郎と、井上ひさし位の名前しか上げていない。いや、謀略行為を考えだし、命令を、JRに、行う事ができる主体的、人間としては、・・・・・石川和子さんが、自分は、伊藤玄二郎の愛人だったから、特別によくしてもらって居ると、公言をする、・・・・・・あの例の、伊藤玄二郎・鎌倉ペンクラブ会長と、・・・・・国民の目には、自分を死んだことにして、いまだ、実際には、生きていて、アリと、あらゆる、謀略行為(=国民をだます嘘)を発案をしている・・・・・井上ひさし・元日本ペンクラブ会長の名前しか上げていない。ほかに上がっている、吉田茂穂宮司と、武部聡志は、利用されている、駒でしかないと、私は、思って居る。しかし、それにしては、武部聡志の、あの、2016-10-5(木)の夕方の、私を小ばかにした様な顔は、忘れられない。恐ろしいことをやっているから、ああいう顔になるのだろうか?

 宮崎みどりさんと、林真理子さんは、同じく、利用をされている形での、お人形さんでしかない。だから、いろいろ、名前が浮かんでいても、前報の主役は、鎌倉エージェントと、私が呼ぶうちの、最高に、動きが激しい、上の二人を指すわけで、それ以外は主役ではない。

 しかし、次の日にも、もっと、派手な形で、遅延現象が起きたので、こうなると、成岡康司君の名前も上げておかないと、いけない。それから、警察の、殺人用別動隊もだ。電話の盗聴を、あっちこっちで、行って居て、私が、2日も外出したが、3日も、外出する予定であることを、彼等は、知っていたからだ。

 2日の夜に、遅延現象を起こしたのは、ともかく、後注1が、おお困りの文章だから、復讐行為をしておきたいと、いう事だったが、3日の早朝の、大遅延現象は、ちょっと、意味合いが異なっている。

 それは、こちらのJAXAの、文章を、下書きとして、総タイトルだけだが、2日に用意した。非公開として置いたが、文案としては、起案をした。それに対する、確実にして、ターゲット的、復讐行為だったのだ。どうしてか、JAXAがああいう発表を行った影に、中谷共二氏の長男と、伊藤玄二郎の結託があるからであろう。其れについては、後程、山崎直子さんについて述べるが、そのあとで、もう一回詳述をしたい。

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副題3、『つまり、武部聡志という、知る人ぞ知るが、日本人全部が知っているわけではない、人間とか、吉田茂穂宮司さまという、知る人ぞ知る人が、利用をされているのだった。テレビには、表立っては、出ない人だが、その世界では、実力のある有名人である。吉田茂穂宮司さんだって、さいきん、全宗教団体が、カソリック雪ノ下教会で、平和への祈りを行ったと、いうNHK映像で、横顔とか、後姿が映っただけである。その二人を使役して、自分達が、行った悪いことを、薄めていって、消していこうとするのと、

 JAXAの記者会見という、学問の分野を使役して、自分達のロンダリング(洗浄化)を果たそうとするのは、相当に、意味が違う。というかレベルが、違う。大衆向け、心理操作という意味で、レベルが違う。したがって、そこに含まれている悪を分析していこうとする、私を、絶対的復讐を行って、早くノイローゼにしてしまおうと、するのが、例の電車の、大遅延現象なのだ。

 で、私自身は、その復讐行為に対して、さして、心が痛んではいないが、日本とか、日本国民を守るためには、JAXAの記者会見場で、・・・・・インパクタという次のミッションは、目隠しをして、流鏑馬をするがごときものです・・・・・と、言う、冒頭の、写真(ナンバー1)を用いた、吉川貢氏の、記者会見を、言上げをしないといけなくなった。

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副題5、『しかも、続く三日の、夜に、私は、山崎直子さんが、クイーンズの、ブライアンメイが、ハヤブサのファンであると、いう映像を見た・・・・・・』

 山崎直子さんは、お茶大付属高校の後輩であり,たぶん、彼女はすでに私を認識しています。二、三度、彼女について、ブログを書いているので、伊藤玄二郎等から、彼女は、其れを見せられており、かつ、私の顔写真も、見せられている筈なので、雨宮舜(=本名 川崎千恵子)と、スーパー東急の前ですれ違うと、お互いに、にっこりする間柄です。

 ただし、アジサイ畑欺罔事件で、もっとも、恐ろしいことをやった中谷共二氏のご長男が、東大名誉教授にして、宇宙工学研究所所長であった、(又は、現在もそうである)と、言う裏事情がありますので、その人と、山崎直子さんの、関係は、非常に強いでしょう。直子さんが、鎌倉に引っ越してきた理由そのものが、「教授を、したって」という趣があると、思って居ます…中谷共二氏の長男は、お母さん似です。次男は、お父さん似ですが。

  ところで、今、20分ぐらいかけて、チェックしたところ、3日の夜に、直子さんの画像を見たのは、4ch(日本テレビ)でした。【衝撃のアノひと!】という夜7時から始まる2時間番組でした。

 これは、娯楽番組であって、ニュースではないので、相当前に、制作された可能性があり、私のブログ(あと注1)に対する、直接の復讐行為ではないでしょう。しかし、小芝風花さんが出てきて、魔女の宅急便の、実写フィルムが出てきたので、これと、山崎直子さんが、重なると、例の連中(伊藤玄二郎達)が、此処でも、『自分達が勝った』と、思いこんで居る時期の、制作であって、相当に、私を意識していて、私を、やっつけようとする、趣はあるでしょうね。魔女の宅急便の、原作者、角野栄子さんについて、私は2018年度ちゅうに、4本ぐらい、ブログを書いているので、それに対して、小芝風花さんを登場させたのは、上品な意味での、復讐でしょうか? しかし、風花さん自身は、上品で、素敵な女優さんですね。無論、山崎直子さんも上品です。

 しかし、此処で、直子さんと、中谷東大宇宙工学研究所所長との、関係を思い出した事は、重要です。

 ところで、中谷共二氏ご本人から、1985年に、「僕の長男は、東大で、助教授をしています」とは聞いています。しかし、その後、今、このブログ内で、大いなる主役を果たしている、画家A(合鍵を、警察からもらって居て、何度も我が家内に、立ち入って、いやがらせ行為を行って居る可能性のある人物、おちゃらけた、軽い存在で、ものをしっかりとは、考えることができない。そのくせに、自分は頭がいいと、思いこんでいて、こちょこちょと、裏側で、動いていて、全くどうしようもない人物であるが、この十日間も、四回も私に接触をしてきたので、私は彼に対して怒り心頭なのだ。で、中谷家の長男が、JAXAの、吉川貢氏を動かした可能性について語るのだった。)、その男性が、中谷家と、いまだに、親しいらしくて、自分が偉い人間であるかの如く、装うために、虎の威を借るキツネそのものとして、10年以上前に、「川崎さん、知っていますか。中谷家のご長男は、東大宇宙工学研究所の所長なんですよ」と、放言をした。

 それで、私は、2019年4月4日の今、あのJAXAの、「目をつぶって、流鏑馬を、行うほどに、難しいミッションです」という発言は、中谷・元・東大宇宙工学研究所所長から、依頼をされて、出てきた発言だと、見ているところだ。

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副題6、『こここそ、私が常に言う、神様の存在が露見なさったところなのだ』

 私は、1985年から、中谷共二氏の長男が東大で、faculty(教務職、助教授)であることを知っていた。私は、自分自身が、1967~東大の教務職、助手であったので、東大内部のことはよく知っている。

 その日、中谷共二(東大宇宙工学研究所の所長の父親)氏と、私の関係を言えば、私の方が圧倒的な優位にあった。中谷共二氏は、我が家の東北の崖を無断で、崩したのだった。こんなことが、世の中に許される? その坊ちゃまが、のちに、東大宇宙工学研究所の所長になるのですよ。そう言う坊ちゃまの名誉のためにも、絶対にやってはいけないこと、を中谷氏はやりました。

 なぜ? それは、中谷氏が、カリフォルニア大学出身の、帰米二世で、既に、戦時中から、CIAエージェントの一人であったことをうかがわせるに足る事案だったのです。成田空港がない時代から、羽田空港の、飛行機用燃料のための一種のガソリンスタンドを経営しているのですって。そんな、一国の命運を左右する様な仕事をどうして、戦後、進駐軍に支配をされていた日本で、普通の人ができますか? できませんよ。当たり前でしょう? 中谷共二氏は、CIAエージェントであるからこそ、同じ、CIAエージェントである瀬島龍三から頼まれた、対・私いじめ案を実行をしたのです。

 私は京急、北久里浜を最寄とする横須賀市の、水道山のすぐ近所に住んでいました。そこで、益山重夫という人物(元、海軍参謀)が、ただで、横須賀市の水道山1200坪を手に入れたのです。地籍変更届という仕組みを利用してです。見かけ上は、書類だけは、ととのっているので、詐欺事件ではありません。ただ、実質的には大詐欺事件です。私は、その件の、すべての真相を知っています。そちらのケースで、杉本俊一、正子、元横須賀市副市長夫妻とか、仲野通巳吉、一族は私が何も書かないので、ビビっていると誤解をしているのではないかしら? ビビっていませんよ。私は、この雪ノ下の方で、画家Aという、とんでもない、男の分析が済んでいないので、そちらに触れないだけなのです。

 今日もJAXAの吉川貢氏が、この22日日に、インパクタは、目をつぶって、流鏑馬をやるがごときだと、いった問題で、語っている文章なのですが、まさしく、またもや、画家Aの、おバカさん下限を、分析できることとなっています。彼が、どれ程に、おっちょこちょいで22日あって、だから、自分は中谷家を守っているつもりでありながら、事実は、かえって、反対であって、大迷惑をかけている存在であるかを明らかにできるからです。絶好の機会です。

 中谷氏は、瀬島から、私が恐るべき頭の良さの人で、決断力もあるので、気が付いた限り、法廷闘争等にもっていきかねないことを聞いて知っていました。気が付かないうちに、悪い既成事実を作ってしまおうと、思って居たのに、私は、すべて、気が付くのです。そう言うところも神様のご支援があると、思うのですが、私をだまそうとか、ひっかけようなどという事は、100年早いです。

 で、中谷氏は、必死になって、私を懐柔しようとしていたのでした。法的闘争にもっていかない様にしていたのです。

 で、中谷氏は、肉を切らせて、骨を断つという作戦に出てきました。自分のプライバシーを、一時間以上かけて語ったのです。それで、仲良しになりましょうと、言う作戦です。

 私は、要所、要所で、此処が、突っ込みどころだなあと、思うポイントに気が付きました。

 例えば、中谷氏は、「長男が東大助教授です」というのです。これで、威張れるというつもりなのでしょう。だけど、私から見れば、すべてはもろ刃の剣だから、それで、威張ることができると思うのは浅はかです。

 私は、1967年に東大の教務職をしていたわけですが、この時、間髪を入れず、二つ質問をしたいなあと、思いましたよ。

 当時の東大は、職員が、9000人いると、聞いていました。それで、「お坊ちゃまは、駒場で教えておられるの? それとも本郷ですか?」と。これだけで、後は、中谷という名前で、探れば、どこの部門で、何を教えているかがわかるはずです。もっと、単刀直入に言えば、「何学科の助教授ですか?」と、聞くのが、近道でしょう。

 しかし、私は、すべてがわかっている人だからこそ、質問をしないのです。後程、画家Aが『ご長男は、東大宇宙工学研究所の所長ですよ」と、ばらしてくるわけですが、其れを聞きたいのに、押さえる人が私なのです。

 象徴的に言えばです。この日、私は自分の右手の甲の側で、中谷氏の左ほほを、ひっぱたいてもかまわないくらい、こちらが上だったのですよ。無論、そんなことはせず、私は、最高にお行儀よく、法律で、許されている範囲の言葉しか出しませんでした。

 「これは、困ります」それから、「これは理不尽です」です。どうして理不尽と思うかについては、理由を述べました。安野千沙夫人の意図場片居木が、大問題で、そこで、一番大きな声を出す、前田清子さんに対して、藤本禎子夫人は怒っていて、彼女に対する復讐案として、道路の真ん中に、ご自分用のフェンスを作ると言って居るのです。だから、前田夫人に、謝罪に行かせればいいのです。ともかく、この安野智紗、前田清子という二人の、おくさんは、非常識に過ぎます」と、説明をしました。すると、中谷夫人が、「あなた、川崎さん(雨宮舜の本名)のおっしゃる通りです。この件は、これ以上進めない様になさいませ」といったのに、中谷氏は、進めたのです。今に続く、歴史的な禍根を残してまで、すすめたのです。

 一方に私ですが、『此処で、ご長男の専門フィールドを、聞いた方がいいと、わかっていても、質問をしないのです。つまり、欲張らないことを肝に銘じているからです。

 ここが,信仰の問題とか、哲学の問題へ移行をするところです。

 しかし、待てば、海路の日よりありです。

画家Aが本当にぺろっと、と、教えてくれました。役に立つ情報をです。

 

 

@@@@@@@、此処が現在書きかけ中の最先端です。

ところで、品川駅で、人身事故? それが、午前7時53(または、8)分で、またもや電車が遅延をした。で、9時18分に鎌倉駅を出発した・・・・・これは、100%、私のブログに対する復讐だった。だが、古典的なものである。2005年に、品川駅で、大遅延が起きた事と、2010年4月3日に、北鎌倉と、大船の間で、1時間半、何の説明もないママに、遅延したのと、メトロポリタンオペラが、渋谷のNHKホールで、公演をした次の日に大崎駅で、一時間半泊まっていた、又主人が入院中に歌舞伎座昼の部を、見に行くときに、西大井と、品川の間で、1時間以上胃炎をした。に続く、五番目の第謀略としての遅延だった。私は、昔、鎌倉駅で、実際の飛び込み自殺を見たことがあったが駅員さんは、30分で、回復させた。それが、優秀な日本の、鉄道マンのしぐさだと、思う。』

 ええとね。ここから先、大変たくさん書きたいのです。自分が言って居ることが正しい事を証明する、傍証をです。だが、本日も外出をして、疲労をしているので、傍証なしですが、その地縁は、私狙いだと、言っておきましょう。というのも、大船駅で、東海道線に乗り換えたら、トタンに、スムーズに、東海道線も横須賀線も走り出し、

 しかも、横浜駅についたとたんに、すぐ次の、編成列車が、横須賀線の、ホームでも、東海道線のホームでも発車したのです。つまり、尾行が付いていて、その尾行は、いつもいう様に、応用能力がないのです。それで、上司に、「彼女は、既に、横浜駅につきました」と、言えば、JR東日本に対して、「もう、お芝居をしなくていい」と、連絡を入れるわけですね。それで、次の電車が、すぐ、くるのです。

 これは、本当に書きたくなかった現象ですが、今までも、同じことが起きていて、私はそれで、人身事故も、信号の点検であろうが何であろうが、自分狙いの、遅延か、どうかを判断をしているのです。

 もう一つあります。私の行き先が、委員であって、午前中に行かないといけないという事を、3日には、敵方は、知っていたと、いう事です。したがって、午前中にそちらに到着できない様に、大船駅まで、3か所で、停滞して、そこで、既に、20分以上待たされているのでした。

 それと、もう一つの特徴が、大音量で、遅延のお知らせがぎゃんぎゃん放送をされることです。人々をイライラさせる様に、放送をされることです。これは、安藤高春警察庁長官が、横浜で、APECが開かれたときに、横浜を視察して歩く映像が出た年だったのですが、テロリスト警戒だと、言って、新橋駅の横須賀線側の、改札より内側のリッカーが全部封鎖されて、しかも、それ以降、復活をしていないことを見ても明らかです。

 そのころも新橋駅は、ものすごくうるさかったです。銀座通りと、交差する交差点までも、新橋駅の遅延情報が聞こえるほどに、うるさかったです。2019年4月3日の、大船駅も同じでした。

 そして、私が、大船駅で、東海道線のホームに移動をした途端に、横須賀線のホームで、放送もなく、東京行の電車が発車して(というのも、東海道線の方が先のはずでしたが、急に、私をあざ笑うがごとく、横須賀線を先に発射させたのです)横浜まで、両線ともに、全く停滞することなく、走り続けたのでした。鎌倉から、大船までの、車内放送では、これから先も電車が各駅で、停滞しているので、何度も止まると、言って居ましたが、全く止まらなかったのですよ。

 これは、命令された通りにしか、動けないという例の、連中(刑事❔)の頭の悪さを証明しているのです。または、成岡康司君が頭が悪いのか? こと電車を利用した、いじめには、成岡康司君が、かかわっていると、私は、推察しています。彼は、元早稲田の革〇の委員長(1965年ごろ)にして、現在では、日本のCIAエージェントのトップクラスに位置していると、思います。アイデアを出すのは、井上ひさしです。しかし、政治的トップは、成岡康司のはずです。

 成岡康司君は、貧乏な育ちではないでしょう。だから、井上ひさしみたい二、上昇志向は、強くないのです。自分の名前が体臭にアッピールしなくても平気なのです。ただ、裏側で、政治力を発揮することに、意欲を持っているので、国会の運営等を、どうしようか?とか、文化界をどう支配するべきか、などと、考えている任務のはずです。

 以前、長嶋一由という、元代議士にして、どこかの市の首長だった人間が、成岡君の子供ではないかというのは、全くの想像であって、当たっていないかもしれません。成岡康司は、華族を持たず、ただ、ただ、日本を実質的に、自分の支配下に置くことに、興味を示している可能性があります。ただ、韓国をいろいろ、動かしているのは、彼かもしれません。川崎の出身なのでう感じています。

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副題7、『この章の結論。・・・・・それは、鶴岡八幡宮様が、2018年の秋の流鏑馬において、来訪した、観光客に対して、異様な迷惑行為を敷いたのは、伊藤玄二郎達が、武部聡志を守りたいと、思っての復讐行為だった。

 だが、吉田茂穂宮司は、ブーメラン効果をもたらして、ご自分の、首を絞める様なことを平気でなさる。きたる4月に行われる、春の例大祭に、おける流鏑馬は、元通りに、正門(三の鳥居)から、入場させる形に戻されると、思うが、ここに、

 宮崎みどりさんが、新元号を決める懇話会に、委嘱をされた、のを映像で見て、彼女が、ぼんぼりまつりの先頭の雪洞であることが、長く続いたので、八幡宮に連想が及び、そこから、2018年秋の流鏑馬の、異様な、来訪者いじめを語ってみた。

 吉田茂穂、宮司には、ああいう計画を立てる、意図がない。ただし、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェント側にはあった。この10年の八幡宮が、異様にうるさいのだ。それを、主に、ぷわーん、ぷわーんという異様なサイレン音を、境内に、朝の九時から響かせると、いう仕草で、武部聡志に、行わせていたのだけれど、後注1や、後注2みたいに、その因果関係をはっきりと、書かれると、武部聡志に、申し訳ないと、言う気分になるのだろう。

 で、流鏑馬で、一般人に迷惑をかける、謀略を考え出し、それにすぐ私が反応するはずだと、待っていたと思われる。私は、自分が其れを、書く事を待たれていることについては、瞬時には、反応しないケースも多い。池江りか子さんの、白血病が嘘であると、言い切って居るが、続報を書いていない。しかし、今もなお、持論を変えるつもりはない。

 ところで、流鏑馬が出たのは、其れが、2018年に、鎌倉エージェントに利用をされたから、書いている私の文章を、否定するために出てきたと、思って居る。

 だけど、もっともあくどいポイントは、JAXAとは、理科系の世界であって、政治とは、別物のはずである。アメリカなどでは優開発は、軍事目的に使われるとしても、日本では、科学優勢だと、国民全部が思って居る。

 そして、JAXAは、もっとも明るい話題の一つなのだ。そこを利用してきたと、言うのが、あくどいポイントだ。

 ところで、読者の中には、「あなたは、うそを言って居る、吉川貢氏他の人は、自発的に、あの文言を思いついたのです」と、言うかもしれない。しかし、インパクタというミッションは、4日に、行われるみたいだ。今までJAXAは、そのミッションの、実行日、以前に、これ程の、大掛かりな、記者会見を開いたであろうか? ことが終わってから、開いたと、思うが・・・・・・

 しかし、此処で、こういう風に書くと、これから先、事が始まる前に、記者会見が開かれる様になるだろう。という事は、鼬ごっこだという事。それでも、此処で、こういう風に記録をして置くことは、意味があると、私は、思って居る。

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尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5244391です。 

 

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