さて、不連続な、総タイトルになっています。が、お許しください。連続性のあるものも、近々、書きます。
ただね。全身が洗われる様な経験・・・・・これが、いいものを見て、いいものを聞く事で、もたらされるのですが、・・・・・その実例が、昨日から、本日にまで続いているので、其れを、語らせてくださいませ。
副題1、『ラフォルジュルネの、名前が、消えている。それで、いいでしょう。東京音楽祭春と、なっていました』
ラフォルジュルネと、は、知っていました。が、美術畑のことで忙しくて、かつ、最近では、歌舞伎にも凝り始めたので、音楽会は、遠いものとなっていて、上野の文化会館小ホールは、ほぼ、25年ぶりの訪問となります。ただ、藤木大地の伴奏者、マーチンカッツについて、調べたくて、プログラムを見たら、有料のプログラムがなかった模様で、歌詞の対訳集しかもらえなかったのですね。そこには、演奏者についての解説は何もなかったのです。しかし、それで、いいのでしょうね。皆さん、インターネットで、情報は、取得するのでしょうから。
ところで、其の調べものの最中に気が付いたのですが、ラフォルジュルネという名前よりも、東京音楽祭春という名前が、今年から、採用をされているみたいです。それで、いいと、思いますね。パリの真似をするにしても、ほら、気取った感じって、いやな、ものです。
ただ、BSプレミアムで、朝5時から、放映をしているクラシック倶楽部の、番組内では、この小ホールと、武蔵野文化会館小ホールは、よく出て来るホールの方です。後、王子ホールも出てきますが・・・・・
ところで、今、ホールを使うための費用を調べたら、(土曜日が、休日と仮定しても、)155000円だったのです。
今回一人で行ったので、其れを再発見したのですが、御影石を多用した、ものすごく豪華なインテリア(特にホール外、ロビーとか、外壁(といっても、文化会館全体では、内部にあたるのだが)の資材が、豪華な事には、驚きました。お友達と行くと、話が弾んでしまうので、そういうところには、気が付きませんでした。
こんな豪華な設備で、しかも伝統があるでしょう。ここで、演奏会をするのは、音楽家にとって、とても、いいことなのだろうと、思います。特に芸大卒の人にとっては、「私の、ホールです」という考えもあるのではないかなあ。そして、今回は使用料は無論ただだったと、思いますよ。東京都の、施設なのですから、東京音楽祭に、提供するにやぶさかではないでしょう。有楽町のフォーラムも、元都庁跡地だから、都の施設なのでしょうか? なるほど、ラフォルジュルネは、あちらで、最初、多くの演奏会が開かれていましたね。
ところで、4月13日の、この上野の文化会館小ーホールでのリサイタルでは、その例の、クラシックを聴きに行く人固有の、気取った感じが、まるでなかったのです。
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副題2、『会場内は、まるで、歌舞伎座であるか、3月の、国立劇場(三宅坂)小劇場内みたいな、親密な雰囲気に満ちていた』
1月に、藤木大地の、同じ演奏会を三回目として、2017年の演奏会を、再放送をした模様ですが、其れも、収録は、この会館でした。今回も、きっとどこかの会場の同じプログラムを収録する可能性がありますが、此処では無かったですね。
さて、25年ぶりぐらいに、訪問をして、入り口に菰樽が、たくさん飾ってあって、『あれ、あれ、歌舞伎みたいですね。どこの酒造メーカーが寄付しているのかしら?』と、思って近寄ったら、模造品であって、いわゆる、盛り上げ用、お飾りでした。
でも、感慨が深かったですよ。クラシック音楽のフィールドに、日本の伝統文化の、お祭り気分を持ち込むとは。ほら、新しい街で、お神輿がない場合、菰樽を、お神輿代わりに担ぐではないですか? それから、発想が起きているのかしら?
そして、会場内の全体が、親密な雰囲気は、何とも言えないいい感じでした。ブラヴォーと、叫ぶ人なんかいなくてね。まあ、女性のお客さんの方が、多いせいだったからかもしれないのですが。そして、ホールが小さいせいだったからかもしれないのですが、それでも、こういう形式の小ホールでもブラボーって、叫ぶ人は、いるのです。それが、いなかったのも、感じよかったです。
『どうしてそんなに感じがよかったか?』ですが、藤木大地と、伴奏者、マーチン・カッツの、深い信頼感が、随所に、見られたのです。それが、まず、会場全体に、親密さを伝播させました。会場のお客も、私を含めて、そのことを、事前に知って、来場していますので、(それは、インターネットで、藤木大地が語っていたので、知っているわけですが)、何ともうれしい気持ちで、彼と、カッツが、手を取り合ったり、抱擁をしあったりするのを見ていたのです。
またね。藤木大地が、作曲家と、作詞家の二人を紹介したのです。その人たちは、私と同じ列に座っていたので、私の列は、ご招待客が多い席だったかもしれません。高い席ではないが、紹介をされ、会場の人々が、その二人に注目をするにしては、とても、適切な席だったのです。
藤木大地は、この日、割と、通好みのプログラムを設定していました。私としては、アンコール内の二曲を除いては、一回も聞いたことのない曲ばかりでした。藤木は、全体を五分割していて、3部目に、休憩を入れて、休憩後に、マーラーと、ヴォーンウィリアムの、曲を入れていたのです。その、前半の、第三部目が、日本語の歌曲だったのでした。その作詞家と、作曲家が、休憩前に、紹介をされたのです。それも客席に、親密な雰囲気をもたらしました。
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副題3、『圧巻は、彼が、たぶん最終曲として選んだ筈の、【初恋】であった。私は、それに、触発されて、上野駅のホームで其れを、歌わざるを得なかった。小町通りでも、歌わざるを得なくて、次の日の日曜日も歌わざるを得なかった』
私はその音楽会で、藤木大地さんのお友達と知り合いました。その方が言うには、「今日はすごいサービスですね」とのことです。終わったのが、9事15分だったので、確かに、その通りでしょう。
そして、藤木大地さんが、もっとも、終わりの曲としたかったのが、其の初恋だったのです。きっとそうです。でね。お客さんの中には、同じことを考えた人もいて、藤木さんが、もう、一曲アンコールで歌ったのですが、其れを待たずに外へ出た人がいました。それをね。私や、音楽好きのその人は、失礼ではないかなあと、心の中で、思ったのですが、外へ出てから、理由がわかりました。CDを買った人がサインをしてもらいたくて、その順番を取りたかった模様です。なるほど。それで、焦って外へ出た人が、10~20人前後いました。私もCDは、買いましたが、サイン等を求める気はないのです。そう言う事で、並ぶ気にはなりません。
私が、お歌の練習をしたのは、主に、北久里浜時代であって、幅が、当時で、30㎝は超えるほどの楽譜を買いました。そのころはカラオケなどなかったので、私は、いまだにカラオケは嫌いです。自分で、全音の単純な楽譜(コードはついている)に基づいて、ピアノを、分散和音にして、それを、を、伴奏としてつけて、歌いました。幼稚園のPTA会長をしていて、バザーで、利益を110万円上げないといけない仕組みがあり、お母様方が、大奮闘をしたことへの、慰労の意味で、お歌で、感謝を表したいと願ったからです。したがって、1970年代に、北久里浜近辺に住んでいたお母様方が、好む歌を練習したのでした。実際にうたったのは、フランクシナトラの、【マイ・ウェイ】と、春日八郎の、【長崎の女】でしたが、後者の方が受けました。そのレストランの宴会場は、9m×18mぐらいの、広い部屋でしたが、二階にあって、下へ降りるエレベーターとかエスカレーターがなくて、狭い階段で降りるのです。その狭い階段で、お母様方が、私の体に障りながら、「川崎さん、素敵! 川崎さんって、普通の人と全く違うのね。今まで、何で、川崎さんが、会長なのか、不思議だったけれど、やっと、わかったわ。全然違うんだわ、普通じゃあない。普通の人ではない」と、言われました。
それから、市川市で、開かれたある、パーティで、【琵琶湖周航歌】を歌ったら、旧制一高卒の人たちが、やんやの喝さいをしてくださって、その後、その中の、数人の方から何度も電話がかかってきて困ったほどでした。
そういうパーティ向けのお歌を練習した時期が、20年以上あるのですが、私が出席するパーティって、あのPTAの打ち上げを徐けば、エリートさんが、出席する場合が多いのです。『すると、歌謡曲やフォークソングではだめでしょう』と、考える自分が居るのです。その上、上で上げた【初恋】など、非常に短い歌です。そして、メロディはシンプルです。『こういう歌を素人が歌っては駄目でしょう。間が持たないし、声や表現力にも、特色がないわけだし、』と、思って居たのです。
したがって、クラシックの曲をアカペラで、しかも歌詞なしで、歌って、お客様を煙に巻くという事を続けていたのでした。声の質がいいという事は、いろいろな、方から、言われていて、其れには、自信があるからでした。吉田秀和さん(高名な音楽評論家。鎌倉在住)の前でも、平野忠彦さん(芸大卒オペラ歌手、1950年代から、活躍した)の前でも、アカペラで、メロディだけは歌って居ます。松本楼ないですが、
こちらも楽譜集を何冊も買って居るのですが、器楽曲、例えば、交響曲【田園】や、シューベルトの即興曲なども、使いましたが、パーティで、使ったのは、【ハバネラ】、【カタリ】、【誰も寝てはならぬ】の、三曲です。これで、人を煙に巻いていたのです。(苦笑)
しかし、2004年から、上野の公募展に、出品をやめました。国展も、女流展も、出品をしなくなったので、歌う場所がなくなったのです。パーティの会場や、二次会の会場がなくなったのです。
しかし、と、同時に、どんどん、反比例して、声の質も上向き、表現力も、増したのでした。不思議な事ですが、人間としての他人に、聞いてもらおうとするのを捨てて、ただ、神様に、身をお任せすると、言う感じで、歌う様になったからみたいです。そうなると、小学唱歌とか、上にあげた【初恋】などが、身についてきたのでした。【里の秋】とか、【野菊】とかも好きですが、【ゴンドラの唄】なども好きですね。
今楽譜集が、主人の大病の際の、引っ越し騒動で、見当たらなくなっているので(多分、段ボール箱に入れて、其れを、どちらかの家においてあって、開封をしていない形であるらしい・・・・・アマゾンで、探しても、其れと同じものはなくて、ただ、歌詞集だけが、同じ表紙で、上下二巻として出ているが、私に必要なのはメロディなのだ)作曲家を、グーグル検索で、見つけました。藤井宏行さんという専門家が、作曲家の名前を披露なさっていたので、そこからとります。
初恋 |
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詩: 石川啄木 (Ishikawa Takuboku,1886-1913) 日本
一握の砂~我を愛する歌 6 砂山の
曲: 越谷達之助 (Koshitani Tatsunosuke,1909-1982) 日本 歌詞言語: 日本語
ところで、そのサイトで、藤井さんが指摘なさっていることには、私も気が付いていたのですが、石川啄木は、・みそひともじ・(=三十一の文字数)で、短歌として作っているのです。
しかし作曲家の、越谷達之助は、少し、繰り返しを入れて、全体で、9小節の唄へと、仕上げています。9小節でも、非常に短いのですが、しかし、傑作となっていますね。
私は、声楽を習っていた時期があって、その短い期間の課題曲は、山田耕作の唄でした。藤木大地も、【この道】を、【初恋】の前に、歌って居ます。【この道】は、四番までありますね。それは、ほとんど覚えております。
でも、藤木が後ろに馬合したのは、そんなに短いのに、この曲(歌)が、超が、付くほどの、傑作だからでしょう。
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ここまでは、表の世界だけの話です。こんな美しい歌声の、ブログからも、裏側に入っていくと、種々のことが書けるのですが、此処は、藤木大地に、尊敬の念を抱いて置いて、表側だけを、描いておきましょう…
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5264237です。