銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

今、突然に、東京音大、新キャンパスというニュースに接したが?・・・・・野島稔・・・・名調律師・・・・steinway の action△

2019-04-06 19:48:44 | 音楽

 最初に、この文章で、言いたいことの結論を言ってしまいましょう。本日、2019年4月6日の私は、あれこれのいきさつから、自分が、昔書いた、文章を思い出していたのです。其れを読むと、何と丁寧に、心模様を追って居ることだろうと、懐かしく、いとおしくさえ思いました。そしてあの頃は、自分は、敵さんたちのことを、語らないでいることが、できる日も多かったのだなあと、感慨が深かったですよ。音楽の事だけを語っています。 

野島稔がショパンに見えた20年前。野島稔の消息の変遷に感無量だ△

2014-01-05 22:58:24 | 音楽

 これを後注一として、本日の文章を書き始めます。しかし、昨日描いた前報とは、相当異なる内容です。続きとは、とても言えません。前報の続きは、別の日に書きます。恐れ入りますが、ご了承をいただきたく。また、これも結論ですが、本日語っているあれこれの雑感よりも、上記の、「野島稔が、ショパンに見えた日」の、ブログの方が、ずっと、上等です。

*1)。『浜松市のアクトシティという大きなホールに、今日初めて接したのだった』

 私は、本日描くものの予定は、むろんのこと持っています。ところが、どうしてか、東京音大についての、ニュースかブログかに触れてしまいました。丁寧にいきさつを思い出すと、帰宅したちょうどその時に、NHKBSプレミアムで、【特別編 ミツバチと遠雷】という番組をやっていて、其れを、主人が見ている最中だったのです。

 私は、朝、新聞を読まない主義になっているので、その番組があることを知らず、したがって、録画機能すぃっちは入れないで、外出しました。で、『あれ、面白そうな番組だなあ』と、思ったものの、終わりの方、15分程度しか、見られなかったのです。

 で、画面に、音楽ホールが出てきたのですが、舞台両横の壁を、どうも見たことがないのですね。

 白っぽい壁で、天井が高いとなると、オーチャートホールかしら?、それとも、NHKホール?と、思いながら、『どうも違うわよね』と、思って落ち着かないのです。終わってから、番組の解説を見て、その番組が、浜松国際ピアノコンクールに、密着取材したものらしいと、言うことがわかりました。幸い、浜松は、一回行って居て、そのホールが入っているらしい、高層ビルと、ヤマハ(?)の楽器博物館は、見ています。ただ、そのホール【アクトシティ】は、知りませんでした。駅のそばに、横に細長い高層ビルがあって、そう言う形式の高層ビルが、東京圏にはないので、注目をしました。その中のホールらしいです。

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*2)、『2018年11月の、浜松国際ピアノコンクールに密着取材したらしいと、終わってからわかった。ところで、其の優勝者【ジャン・チャクムル】君か、第二位の、【牛田智大】君だったか、演奏の映像が出たが、譜面台に、イタリックで、Shigeru Kawai と出ていた。『え!、河合のロゴって、こういう形になったの?』と、思って感慨が深かった。私がピアノを熱心に触ったのは、40年以上前であって、その後、ピアノには、接していないので、河合楽器のピアノの譜面台が、ああいうロゴになっているのは、全く知らなかった』

 私はね。実は、河合の方が好きだったのです。こういう事を言うと、このブログの、影響力が強いので、又、自分か、河合楽器かが、困る事になるのかもしれません。実は、私は、林隆三(お歌の、弾き語りが上手な、俳優)、見たいに、お歌の伴奏として、ピアノを、弾いていたので、ピアニストみたいな、本格的な、曲を、さらったり、習ったりはしていないのです。

 私は楽典などは、非常によくわかる人なのです。で、和音の事も、よくわかっているので、【全音】の、500曲収録の楽譜(赤い表紙の、歌謡曲と、青い表紙の、フォークソング集があったが)に、コードが、印刷してあると、其れを分散和音にして簡略な、伴奏を、自分で、作れるのでした。勝手きままですが、自分が自由に歌うためには、その程度で、いいのです。ピアノの方を厳密にしようとすると、歌の方が御留守になってしまいますから。音大出身でもないので、そのくらいしか、自分でも、できないと、わかっていて、無理はしません。また、歌詞も覚えません。覚えた方が感動を与えるとわかっていますが、其れも、私にはヘビーデューティなので、メロディだけで、歌は歌います。つまり、スキャット、というわけですね。

 しかし、運指などで、あまりに、自分勝手ではいけないかと思って、先生について、30過ぎにバイエルを習い始めたのです。今、NHK BSで、【空港ピアノ】という番組を放映していますね。または、駅に置いてあるピアノ。そこで、ひいている人は、自分でピアノを、マスターした人が多いらしいです。だけど、40年前の、特に日本だと、そう言う生き方は駄目らしいので、バイエルから、習ったのです。その時に、先生のピアノが、河合で、いい音だなあと、思いました。

 しかし、家に帰って、親戚からもらったピアノを弾くと、其れもいい音なのですね。私は、実は、ひそかにですが、中学でも、高校でも音楽の先生に、かわいがられていたと、言う記憶があるのです。たぶん声がいいという事と、たぶんですが、自分では、自覚がなかったけれど、耳もよかったからでしょう。で、相当いい耳を持っている私からすると、横須賀、北久里浜での、先生のお宅の河合は、いい音だし、自宅のあまり有名ではないピアノ、Flora も、とてもいい音なのです。

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*3)、やがてその謎が解けた。川崎、横浜、横須賀では、非常に有名な調律師、YODA 氏が、先生の紹介で、来てくださって、40年以上前の1970年代に、6万円請求なさったが(しかし、いま、思うと申し訳ないほど、安かったと、思う)、

 「これは、アクション(機械部分)は、スタインウエイです。だから、いい音なのです。昔の日本では、運搬が大変なので、アクションだけ、買って、木の部分を日本で、制作したピアノがあったのです。この Flora というピアノは、そう言うもので、ほら、此処をごらんなさい、スタインウエイと、書いてあるでしょう」と、金属部分を指し示しながら、教えてくださった。YODA 氏は、五時間ぐらいかけて、全部分解して、フェルトも張りなおしてくださった。

 ところが、北久里浜から、鎌倉雪ノ下へ、引っ越してくると、事、ピアノに関しては、悲惨な路をたどっていった。鎌倉は、湿気が多い。そして、あの YODAさんは、一回は、いいけれど、もう、二回も三回もは、あの重労働はできないと、お思いになったのだろう。その上、私はピアニストではない。横須賀・北久里浜に住んでいるときは、私のピアノの先生への手前、そちらへの尊敬と義理があるので、その弟子の家にも、来てくださったが、ピアノの先生と別れてしまった鎌倉へは無理という事であった。「もう、演奏会用ピアノの仕事だけで、精いっぱいです」と、言う話だった。

 で、鎌倉で、新しい調律師さんをお願いしたが、全く、いい加減な仕事ぶりで、どんどん、ピアノが痛んでいった。その上、主人が捨てるのが好きな人で、本を捨てろとも言われたが、ピアノも、ソファーも捨てようと、提案してきた。私は、抵抗したが、このピアノを直すのは、もう、yoda さんの様な誠実で、職人家気質の、人がいるはずもなくて、工場に出すしか無くて、其れをお願いするのは、石段を、130段も上り下りする、この鎌倉雪ノ下の山では、修繕費と、運搬費で、100万円は、かかるという見込みを、自分で、持ったので、捨てるのに賛成してしまった。惜しい事だったが、美術への、方向性が強い日時でもあったので、毎日、ピアノを、二時間は触って、お歌を歌うと、言う習慣も捨ててしまって居たので、仕方がない。

 しかし、「ピアノの音は、メーカーによって違うのだ」という事は、よくわかっている。で、ショパンコンクールの裏側を、特に、ヤマハと、河合の、調律師さんたちに、密着取材する番組は、二回ほど、見た。つまり、この10年間に、二度ほど、其れを見たという事となる。NHKが、これも、BSで放映をした番組のこと。

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*4)、『本日、私は、小町通りの半ばで、5時半過ぎに、突然に、【夢路より】が、のどに浮かんできて、歌い始めた。小さな声だが、蚊の鳴くほどという音量でもない。しかし、誰も振り返らず、誰も、こちらを見ない。それは、ものすごく、いい声が出ていることの証拠だと、思う。人々は、脇のお店から、BGMが聞こえてくるとでも、思っているらしい。これは、銀座の裏通りでも、昭和通りでも、鍛冶橋通りでも同じなのだ。交差点で、滞留していても、誰も振り返らない。昭和通りなんて、対抗方向から歩いてくる人が、にっこりと、笑ってくれたほどなのだ。なお、夢路よりは、フォスター作曲の、シンプルな歌謡だけれど、beautiful dreamerの、タイトルで、覚えておられる方もあるかもしれない。

 しかし、美術関係者の、宴席やら、大オープニングパーティで、私が歌って居るのを聞いた人は、「そんなにいい声でもないでしょう」と、いうと、思う。それは、自意識が勝って居る場合なので、自由度が、低いし、神様のご支援がない形だから、最上の声ではないとも言える。プロではないので、いつも、いつも同じ声質の声が出るとも限らない。しかし、芸大卒の三人の先生に、声の質は、ほめていただいている。

 そして、国際基督教大学の教会などで、フロアーの、その他、大勢の人の、一人として、無心に、賛美歌を、歌うときなどは、もっとも、良い種類の声が出ているらしい。女性の、先輩が、近寄って来て、「あなたは、天与の声を持っている。〇〇教会の聖歌隊に参加しなさい。私が紹介をしてあげます」と、言われたりする。〇〇教会とは、港区の、有名な教会だが、チャンスは、前髪をつかめというほどの行動力は、私には、ない。結局、今は、どこの合唱団にも、どこの教会の聖歌隊にも、所属をしていない。ブログを書くだけで、精いっぱいだ。

 私の声を、誰かにたとえるとすると、テレビの世界で、活躍している人の中には、いない。本格的な、オペラ歌手とも違う。平原綾香などとも全く違う。まあ、しいて、誰もが知っている、人で例えると、【自衛隊の、歌姫】というお嬢さんたちがいる。数人いて、そのうちの一人が、鶴岡八幡宮での音楽会で、自衛隊の、ブラバンと一緒に歌ったので、其れを聞いて、『自分は、こういう人達と、似た歌い方をしているし、声も、似ている』とは、思った。

 ただ、あのお嬢さん方は、お若いので、声に丸みとか、太さがある。私も、30代とか、40代は、そう言う声であった。今では、日本刀みたいな、ピュアそのものの声となっていると、思う。体力がないので、そうなる。ただし、キーっと叫ぶ様な、声ではない。もし、そういう声だったら、みんなが振り向くだろう。だけど、誰も振り向かないのだから。

  私は、こういう声が出ているときに、それは、神様が、その存在を証明するために、私の体を道具として、お使いになっていると、考えている。だから、自分を押さえない。しかし、自宅まで、くると、そこには主人が居て、テレビを見ているので、歌うのは、中止する。(苦笑) 小町通りから、家の、居間に入るまでは、自分を押さえない。ただし、態度が派手だと、いうわけでもない。霧か、カスミの様に、ただ、声だけ残して、さっさ、さっさと、歩く。

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*4)、その様にして、神様が、私の体を音楽漬けにされた、日(本日の事)に、自宅まで、帰ってきたら、テレビに、ピアノが映っているので、思わず、見つめたのだが、後、15分程度しか、画面が続かなかったので、なんだか、残念な気がして、インターネットで、この番組【特別編、ミツバチと遠雷】を、調べまくった。

 すると、どうしてだか、不思議なことに、東京音大が、中目黒に新キャンパスを開くというブログだか、ニュースだかわからないものと遭遇をしてしまった。其れを調べていたわけではないのに、それに遭遇してしまった。

 東京音大については、私の知識は断片的なものだ。池田理代子さんが、漫画家として、成功してから、声楽を学びに行って居るとか。NHK BSプレミアムの、クラシック倶楽部に出てきたパク・キュヒが、同大学を卒業しているとか。音楽は聞くことと、歌を歌うだけが楽しみであって、それ以上は求めないので、知らないことが多い。

 東京音大が、中目黒に新キャンパスを開くと、いう事について、そのブログ(または、ニュース)を書いた人は、相当に好意的にとらえている。私も『そりゃあ、その通りだ』と、思った。音大に、通う様な人は、アルバイトをする必要がない富裕層を、実家としているだろうが、それでも、渋谷に近いというのは、有利な事だと、思う。

 渋谷には、NHKホールと、BUNKAMURAがある。地下鉄日比谷線と、東横線を利用して、かつどこかで、乗り換えも、すれば、ほとんどの有名なホールに、電車だけなら、30分で到着する。これは、うれしい地の利だ。

 8000平米という狭い土地だと、書いてあったが、それでも、『今時、2000坪以上3000坪近い土地を、まとまって、中目黒に見つけるなんて、誰の紹介で、手に入れることができたのだろう?』と、不思議だ。また、誰が、元の持ち主だったのだろう。まあ、ともかく、ものすごく、うまい選択と決断だったと、思う。

 私が見るところでは、「現在の学長の、野島稔さんは、ご自分から、あれこれ、ちょこまかと、動く人だと、言うイメージはないのだけれど、思いがけないほどの、貢献を大学に対して果たしていて、大学は、大発展ですなあ」と、言いたくなる。「学長として、すごい手腕ではないですか! 驚きました」とも言いたくなる。

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*5)、新キャンパスの設計は、【日建設計】が行うとも、書いてあった。日建設計とは、エリート(有名大学卒の建築家)だけが集う組織で、お給料がものすごく高いはずだ。そして、私のブログに、頻度高く登場する会社だ。

 どうして、頻度高く登場するかは、このブログの、この章の所属するフィールドを、音楽に限定しているので語らないで、おこう。

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*6)、私は野島稔とは、本当は縁がない。まあ、北久里浜の家が、野島さんの、実家から、二キロ圏内にあるというだけの縁だ。しかし、今、グーグル検索で出てきた、私が、昔書いた、文章を、読み返すと、それに匹敵するほど、野島稔を、丁寧に、描いている文章がなさそうだ。氏を分析したり、オマージュをささげている文章は、ほかには、ないと、思う。無論演奏の事ではなくて、人物全般についての、分析だが。

 同時に、美人で、かわいいギタリスト、パクキュヒについて調べたら、たくさんの文章が出てきた。それだけ、美しい女性は、関心を集めやすいという事だろう。野島稔は、現代のタレントに、匹敵するほどの、イケメンではないと、思うし。

 ところで、野島稔さん程、顔が、変わったり、体重が変わる人もいないと、思う。今回の、新キャンパス、設置に関する文章や、ニュースで出てきた野島稔・画像は、『あれ、野島さんって、イタリア人みたいになっちゃった。不思議です。どうしてなの?』と、思うほど、以前より、やせていて、しかし、お肌だけは、脂ぎっている。

 こういう変化って、どこか、森本草介さんを思わせる。ベクトルは、反対方向でなのだけれど、森本草介さんも、年齢に応じて、その雰囲気が、とても変化した方だ。

 1990年代初め、国画会のパーティにいた森本さんって、まるで、イタリア人だった。太っていて、脂ぎった皮膚と、豊かなちぢれっ毛(もしくは、パーマをかけた髪)を持つ人であって、『本当に、日本人かなあ? この人って、イタリア人みたいだ』と、思うほどだった。絵が一号、数百万円で、売れて、いる画家さんは、毎日、ステーキを食べているのだろうなあと、考えた。でも、絵と、相貌の間の乖離は、気にかかった。

 その時に、私は、上野の精養軒の大ホールでの、総勢、700人程度が参加するオープニングパーティの直前で、控室の、角の椅子から、二つ目に座って開会を待っていた。その時、隣の、(一番角の)、椅子に座って、いたのが、森本草介さんだった。私は、その日(=1991年の四月末)で、初めてのパーティ出席だったので、お隣が、かの有名な森本草介だとは、知らなった。でも、ほかの人が「森本さん!・・・・・」と、話しかけてきているので、わかった。絵の雰囲気は、殺した中間色を用いて、静謐なものだから、絵と、ご本人の、雰囲気の違いにひどく驚いた。

 しかし、私が、オープニングパーティで、森本さんに気が付いたのは、その時だけだ。1992年以降は、一度も森本さんには、気が付かなかった。パーティでも会場でも。

 森本さんは、政治的な動きをする画家ではないので、60歳を過ぎたら、目立たない様な、動きをなさっていたのではないかなあ。たとえば、さっさと帰るとか、出席しないとか? 役員にはならないとか。 総勢、700人を超す、出席者の中で、目立たないでいるという事は、画家としての、自信がとても、大きいという事だと、思う。

 私は、2003年から、国展に出品するのをやめるので、なおさらに、森本さんの、姿は見ないと、いう形になった。氏は、数多く開かれる国画会関係者の、銀座での、個展に、出席する様なこともなかったからだ。そして、氏の日本橋高島屋での、大個展の日に、二度目として、お顔を拝見することとなった。ほぼ、20年ぶりだっただろうか。以前と比べると、やせて来ておられて、かつ、肌も、普通の日本人のそれだった。つやつやしすぎていない、日本人のそれだった。バタ臭くない肌の、色だった。

 私は、ほっとした。その方が絵と、作家の相貌の間に、乖離がないと、思ったので。

 それにしても、現在の、其の、新キャンパス開設にあたっての、学長のご挨拶という記事での、野島稔さんの、顔写真には、ひどく驚いて居る。野島さんが、イタリア人みたいに見えるので。

 最後に蛇足として、自分の現状を申し上げます。今、午前零時になりました。今から12時間前の、6日の正午ごろ、お昼を食べてから、チョコレートを、三かけら程食べただけです。夕食をまだ食べていません。本章は、つまらない文章です。役に立たない文章です。でも、自分で、書いていて、楽しかったから、おなかも、すかなかったのでしょう。楽にかけた文章です。こういう世界でだけ、遊んでいたいのですが、悪い刺激が外部から入ってくるのでね。政治的な文章を書くという事となります。

で、推敲もし終わりましたので、書いた日付と、署名を入れて置きます。そして、総タイトル右横には、恒例の三角印を入れて置きます。2019年3月6日。      雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

 まあ、文体の統一が取れていないのと、アクセス数が、書いていないのが、以前と異なりますが、ご容赦くださいませ。集計のサービスが無くなっているので、自分で、計算しないといけなくなったからです。

尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5251564です。

 今・チャクムル ジャン・チャクムル後注1、

野島稔がショパンに見えた20年前。野島稔の消息の変遷に感無量だ△

2014-01-05 22:58:24 | 音楽

  

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