銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

何故、87歳運転者の実名が報道をされないのですか?・・・・・と、横浜銀行改名の裏側

2019-04-20 13:13:03 | 政治
 パリ・ノートルダム大聖堂火災について、続報は、書きますよ。しかし、池袋高齢者、交通事故、のNHKの報道様式に、深い疑問点を感じています。其れを、先に書かせてくださいませ。
 
副題1、『どうして、高齢者、87歳の実名が外へ出ないのか。彼本人、又は、息子。または、兄弟が偉い人だからですか?』
 
 警察は、どうしたのですか? どうして、その若いお母さんと、養女を殺した人の実名が報道をされないのですか? 変ですよ。なんで? えらい人だからですか? または、鎌倉エージェントと知人関係いあるからですか? そういう風に、偏頗があるとなると、日本は、法治国家ではありません。どうして、その人に、同情をしないといけないのですか?
 
 そして、一方で、・・・・・どうして、植松聖は、午前3時ごろ、やまゆり園に侵入して事件を起こしたのに、どうして、午前五時に、その実名が報道をされたのですか?
 こういう異様な事件(=やまゆり園事件)に関しては、最初期は、慎重な報道姿勢を取るのが普通ではないのですか? 私は、池袋交通事故について、今まで、待っていました。36時間以上待っています。しかし、20日(土曜日)の昼でも、まだ、87歳高齢者の実名が出ていません。一方で、植松聖の実名が出てきたのは、事件後、三時間以内ですよ。どうして、それほどの偏頗があるのですか?
 
 だからこそ、やまゆり園事件には、嘘がいっぱいだったのです。それは、対・私いじめ・・・・・(=措置入院で、ご近所主婦が、合同で、私を精神病院へ入院させてしまうために、措置入院という言葉を、表に出し、国民一般が熟知の言葉とするための)・・・・・謀略だったのです。その謀略を案出した同じ人間が、ノートルダム大聖堂の大火災を起こしています。だから、この一文も、前報から、外れている様に見えて、外れていないのです。
 
 私は雪ノ下黒物語というミステリー小説を、このブログの世界で、時々、公開しています。それは、仮名を用いていますが、ほぼ、事実です。仮名を用いるのは、驚くべき事実を、自分側の、心理的負担を少なくしながら書いていく為ですが、、、、、
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副題2、『私が書いて居ることの中で、もっとも重要なことは、数かいの暗殺未遂事件に出会って居ることと、その原因である・・・・・一番最初は、1965年に起きた』
 
 その中で、私の周辺にどれ程の、異常事が頻発しているかを書いています。そして、その原因についても、1965年に、国際基督教大学・表・進入路で、後ろから、首を絞められて暗殺未遂に出会ったことが、その一つであると、書いています。その直前に、ベイカーさんという金髪碧眼の、アメリカ人大学生が、「僕は三鷹警察署の署長と親しいので、うんぬんかんぬん」と、たった四人だけしか在室していない小部屋で、言った時に、私が目を丸くしたので、(言葉は何も発しませんよ。しかし、どうして、アメリカ人留学生が、三鷹の警察署署長と親しいのですか? 誰だって、疑問に思うのは、当然でしょう) 自分がアメリカ側CIAスパイであることがばれてしまったと、考えた彼は、桜並木で、待ち伏せして、背後から、本当に殺そうとしたのです。
 このベイカーさんが、CIAのスパイであるがために、CIAに泣きこんで、自分の失敗を糊塗してもらおうとして、各種の工作を行ってきています。特に国際基督教大学の第一男子寮に、ロックフェラー四世が、在室していましたので、同じ寮に、在室していた、石塚雅彦さん(・・・・・・元・日経新聞論説委員にして、のち、早稲田大学教授になる。たぶんであるが、堤義明氏と、いとこ同士である・・・・・)とか、古村浩三君が、在室していました。
 石塚雅彦さんは、最近、再度取り上げた、・・・・・・長谷川智恵子女史の、茨城県教育委員会に、おける、「障害児は、妊娠時検査で、発見されたら堕胎をさせましょう。そうすれば、茨城県は、無駄な出費をしないで済みます」という発言・・・・・を準備した人間です。塩見和子さん(・・・・・国際キリスト教大学で、私と同期卒業生・・・現在は、日本財団の理事で、弦楽器の、名器を演奏家に貸し出す立場である・・・・・元名だたる、オークション会社、サザビーか、クリスティーズのの日本支社長を、務めていたので、長谷川智恵子女史とは、親しいはずである)を動かしてね。それが1965年に発生をしたのですが、1966年に、古村浩三君というこれまた、国際基督教大学・同期にして同級生(一年時、たった、23人しかいない、英語のクラスで、一緒だった人物が、日本指し初期のsystemエンジニアとして、ニューヨークほかで、学んで帰ってきて、2003年ごろから、ちょくちょく、私のノートパソコンに異常を起こしてきたのです。2007年ごろからは、毎晩、50回以上という頻度で、異常を起こしてきていたのです。今は、助手も大勢抱えているみたいです。
 
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副題3、『二回目の暗殺未遂は、1978年に起きた。しかし、人を呪わば穴二つであり、悪人側が頓死して居る。しかし、彼の友人が、瀬島龍三という、戦後日本最大級の、CIAエージェントであったがために、私は、闇の世界を通じて、大損害を与えられ続けているのだ。・・・・・自分の身を守るためにいろいろ、書き始めているが、仮名で描くと、かえって被害が増大をするので、すべて、実名で描いている
・・・・・舞台は、横須賀市の、京急北久里浜駅の、東側の丘の上である。そこで、起きているので、
 旧帝国海軍の参謀とか、陸軍の、参謀とか、横須賀市とか、京急がすべて、からんでいる。そういう、大悪事が展開している。美術界においても、国画会の、実質的トップだった嶋田章三さんが、大金を保持していて、愛知芸大に、注いで、居たのが、この件の波及効果なのだ。銀座の、画廊るたんに中島三枝子さんが、あまりにひどい対応を取るので、こちらの嶋田さんの、件を書き始めているが、まだ、途中である。
 指原いく子さんの、まるで、原始人か、猿ですかと、言いたいほどの、直接的な、いじめぶりも、此処から波及をしていると、感じている。最終的には、そこまで、連携をつけるはずである。また、嶋田さんの実妹の、大沼嘉津江さんについて、あれこれ、書き始めているのも、この地籍変更届にあたって、横須賀市がwで、多大な、貢献を果たした、杉本俊一、正子夫妻と、私との、関連の輪の中に、大沼さんも、いるからである。徐々に、徐々に、中枢に近づいて言って居るが、まだ、途中である。
 
 私は、巻き込まれたので、調査しており、裏側に隠されている真実をすべて知ってしまった。それも、又、私を殺したい、人々を生んだのである。その、大詐欺事件とは、地籍変更届を利称したもので、書類上は、整っているので、事件には、ならないのであろう。週刊誌に売り込んでもダメだと、思う。
 が、実質的には、土地、2000坪程度の、ただでの私有化であった。すさまじい悪が、実行をされたのである。最近、そちらも、炎上し始めているが、私は、雪ノ下の方を描きぬくつもりなので、放っておいてある。しかし、どうして、暗殺されようとしているのかを語るためには、その事件にも、軽く触れないと、いけない』
 
 前の、節で、あげた1965年の次の災禍は、1978年に置きました。京急、北久里浜駅東側の丘に、横須賀市の水道山がありました。その山が、京急によって、京急池田分譲地が、開発される時期に、京急によって、インフラ整備 →へ続く、::::、罫線内は、挿入である。
 
:::::::::::(山へ上がる自動車道路=いろは坂、及び、歩行者用道路=駅から石段で上がる、が整備され、電気ガス水道などが、導入をされた・・・・・・なお、余談だが、京急池田分譲地よりも、西側の、傾斜地等が、さらに、開発をされており、・・・・・特に杉本俊一邸、近辺が、数十戸、新たに、開発され・・・・・そこに、デザイナーズ、建売住宅が、たくさん建設をされていて、ベンツが停車していたりして、思いがけずも、一種の高級住宅街化している。上大岡あたりが、京急沿線では、高級住宅街だと、今までは、感じていたし、又別の意味で、富岡の丘の上あたりも、別荘地として開発されたとは、知っているが、駅から徒歩圏内で、風光明媚で、環境が抜群に良い住宅街としては、こちらの方が勝るとも言え様・・・・・その様に、大変化をしている丘陵地である)::::::::::::
 
   → をされることを利用して、益山重夫という元海軍参謀が、そこに、150坪程度の地所を買った。そして、道路を作り、宅地を開発して、私が、彼から、間に生協(❔)という不動産会社を通して、30坪×2区画の住宅地を買った頃には、すでに、彼は、600坪程度を、南側、水道山へ、蚕食していたのであった.そこは、個人の所有地ではない。しかも、地主が、近所に住んではいない。それで、そういう勝手なことができたのだった。特に益山氏の、最初の、妻は、彼が、パージ中(公的な職につけない時期)に、米軍、横須賀基地に働きに出たはずで、(というのも参謀婦人ともなれば、有名な、偏差値の高い、女学校を卒業をしているはずで、したがって、戦時中でも英語は、マスターしていたはずだった)、その結果、米軍将校と、恋に陥ちて、アメリカへ、蓄電をしてしまって居たので、彼は、後妻をもらって居たが、その後妻が、都立大学の土木工学科を出た、才媛で、しかも、原節子似の、美女であった。
 
 二人は、30歳程度年が、離れていたが、夫側の、重夫氏が、妻を大切に大切にしていたので、夫婦仲は良くて、二人が、一致団結して、水道山の開墾に励んでいたのであった。奥さんの智恵子さんと、私が仲良しだった時期に、彼女が打ち明けてくれたのは、「戦時中は、男性が、戦地に行って数が少ないので、自分は、女性だけど、土木工学を学ぶ様に、勧められたのだという事だった。学んだ場所は都立大学。私が、この件を書いているので、都立大学は、首都大学という名前に変更させられた。そういう部分でも、益山氏、及び、彼の親友の、瀬島龍三が、CIAエージェントとして、裏の、力が、大きいことがわかる。特に文部科学省が、魑魅魍魎の世界となっている。
 
 その益山氏が、自分の家を建てる前に、150坪以上の、土地をすでに使って、急造した、小規模開発の、住宅地(30坪×16区画+道路部分・・・・・これで、すでに、500坪を超えるが、さらに奥地に、自分用に、150坪程度を確保していたので、150坪。買ったのに、4倍に、増殖していたのだった。
 そこに、最初に家を建てたのは、原家であり、原家とは、もともと、この山を持っていた、地主である。だから、益山氏から、土地を買ったわけではないので、原家の、所有分の、区画坪数は、300坪だと、いう事だった。
 その次に家を建てたのは、我が家であった。が、我が家と原家ができた後で、急に、宅地造成をし直して、我が家と、原家の、南側の台地を、急に高く、盛り上げ直し、高さ2メートルから、8メートル以上にしていった。
 それは、後日、目隠しのためであったと、私には理解ができるのだが、原家に、取っては、憤懣やるかたない措置であり、そのとばっちりで、我が家は、原家から、いじめられることとなる。原家にしてみると、益山氏は、強そうなので、逆らえないが、我が家は、弱そうなので、我が家の方にあたったという形になる。しかし、それは、まあ、一過性のものではあったが、ともかく、結構大変な、場所では、あった。特にはっきり言うと、上滝家というのが、引っ越してきて以来、大変な事となったのである。
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副題4、『横浜銀行がコンコルディアと、改名し、かつ、東日本銀行を、合併したのは、むろんのこと、私が原因である・・・・・・したがって、私は、こういう側面からも、自分が大物であることがわかって来る。しかも、横浜銀行が、金庫室、ほかの事で、散々に、私を、いじめてくるのは、上滝氏が、まだ生きているからかもしれないし、
 
 1978年当時、上滝家を使いまわした、瀬島龍三一派が、瀬島の死後も、CIA組織を使って横浜銀行にあれこれ、命令をしている居ることがあると、いう事を、うかがわせる。かつ、
 警察が、瀬島龍三一派の、CIAエージェントの、手下に、既に、なっている。文筆家の間で、瀬島機関として、恐れられた言論弾圧組織とは、実態は、警察の、裏部隊である。警察には、殺人用特殊部隊(・・・・と或る人々が呼ぶ裏組織・・・・)があるのは確かだ。
 
 しかし、一般・市民向けには、其れは、生活安全課と名乗っているらしい。横浜銀行鎌倉支店の、ATMロビーに、午後四時半ごろ、スーツ姿の若い女性と、40代のこれまたスーツ姿の、男性が、私を待っていたことがあるが、私はすぐ、不信感を持った。私が、横浜銀行から行われている各種のいじめを書いているので、其れをさらに進展させないがために、脅かすために来ている、多分、警察の、連中だと、思ったからだ。
 で、私は、一旦、二階の金庫室を使って、その次に、駅前に、買い物に出た後で、さらに、15分後に戻ってみたら、まだ、その二人が居たので、質問をして、その二人が鎌倉警察署生活安全課の二人だと、はっきりと、知った。想像通り、一種の脅かしの為にいたのだけれど、何にもしないで、ただ、突っ立っていただけだ。私は、すべての、因果関係がわかっているので、脅かされることはない。
 だって、横浜銀行が、私の、金庫を開けて、脅かしのために、図書館の雑誌を、入れこみますか? まさか、其れは、しないでしょう。すると、それをやっているのは、横浜銀行が逆らえない相手となり、それは、警察の特殊部隊となりますね。その様に、横浜銀行が動くのは、上滝家(じょうたきけ)が、一番の、キーパーソンであります。
 今まで、私は、上滝家のことを、仮名で、書いてきた。それは、お子さんの事だからと、言って、庇ってきたのだった。しかし、そのお子さんも、50歳を超えている。彼女が後妻の時に、私は散々てこずらされて、歯を、数本失うほどだった。しかも、その件が、地籍変更届に多大な、影響力を及ぼしており、
 
 しかも、その地籍変更届の、後日的嫌がらせが、昨年、2018年の秋から続いており、しかも、この4月9日、横須賀市と、京急から呼び出されて、さらに嫌がらせを受けたので、はっきりと、書くことを決意した。
 そこには、今は、益山重夫、智恵子夫妻の、義弟、仲野通巳吉と、三人の、娘さんが、住んでいるが、彼と杉本夫妻が嫌がらせの為に、其れを行ったことは確かだから、はっきりと書いていこう。
 
 上滝氏は、1978年当時は、ときわ相互銀行に勤めていた。ときわ相互銀行が、東日本銀行と改名したのは、むろん、私のブログが原因だ。そして、その東日本銀行が横浜銀行と合併し、横浜銀行が、コンコルディアと、名称を変更したのも、上滝家と、私が原因である。
 ところで、上滝氏は、シュワルツネッガー的体格とタイプの人間であった。たぶん、高卒で、銀行に入り、奥さんと社内恋愛で、結婚に至った。・・・・と、推察される。奥さんは、戦争で、お父さんを、なくした人であって、幼いころ、つつましい、倹約生活を送ったことがしのばれる。
 それで、子供の為に、お菓子を買わないらしい。また、食器用洗剤も買わないで、「おうどんをゆでたゆで汁で、お茶碗を洗うと、油が落ちる」と、私は、彼女から教わった。
 私は大学入学時に、「あなたは、入学試験の結果では、上位20位以内ですが、お父様が、日本の国で、税金の納税額が、上位6%に入る人だから、奨学金が、出せません」といわれたくらいだから、上滝夫人のいう事にはただただ、驚いた。しかし、喧嘩はしない主義の人だから、ただ、唯、黙っていた。
 だけど、上滝夫人は、推察するべきだった。敷地も二倍ある家に住み、かつ、注文住宅であって、そのインテリアを、益山夫妻が、マネするほどの家に私は、住んでいるのだ。だけど、そのケチっぷりが、お子さんが、我が家で、お菓子を盗み続けることに、つながったときに、彼女が戦死者の、遺児であること他、
種々の理由から、其れを、上手に、彼女に告げられないことへつながっていってしまう。
 まず、食器用洗剤という、200回ぐらい使っても、200円程度のものをけちるわけだから、当然のこと、袋菓子は買わない主義だと、思われた。そうすると、我が家で、じょうびされている、五種類くらいの袋菓子が、どれ程に、魅力的なのかが、想像できて、最初期には、叱ることができなかった。我が家の方は、いろいろな面で、余裕があって、袋菓子を、五種類ぐらい用意するのは当たり前の日常だったからだ。
 
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副題5、『最も大きな悪は、上滝家の倹約が、同時に、母親の偏愛と結びついていて、お嬢ちゃんを幼稚園に入れていないことだった。それで、我が家に遊びに来るのだけれどうちの娘と、ほぼ、三歳の差があるので、娘との力関係において、対等ではない。それで、私のいう事よりも上滝家の、お嬢さんのいう事の方に従う事だった。
 2~3歳
ぐらいの子に、盗みは悪いのだと、教えないといけないのに、それを覆されるのだから、非常に困った。数か月の間、本当に困らされた。
 横浜に住んでいるときには、こういう話は、聞いたことも見たこともなかった。そして、鎌倉に引っ越してきてから、ご近所の、小さいお子さん方を見ているが、ママ友同士で、よくコミュニケーションが取れていると、みなされるケースが多かった。上滝夫人みたいに、相手に、全部丸投げにして、自分の家の方には、招かないし、面倒も見ないし、かつ、相手にお礼を言わない人など、いなかったと、思う。
 世の中には、生まれながらにして、図太いというか、動物的タフネスさを持っている人がいるみたいで、上滝夫人のタフネスぶりは、あに、小さな時に、貧乏だったから、培われたものではないと、感じている。そして、それは、お嬢さんにもそっくり表れている形質だった。彼女は、たった五歳にして、37歳の、私を睥睨し、なめ切って居るのだった。叱っても、叱っても、やめなかった。
 
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副題6、『私が、育児の本質に気が付いたのは、この上滝家、一家と付き合ったことも大きいのだった。子供とは、賢いものだ。五歳にして、大人と対等に渡り合う。
 後日、上滝夫人に恨まれて、「叱って、ください。叱ってくれればいいのに」と、言われたが、私は無論のこと叱った。だが、いう事は一切聞かない。
 なぜ、そういう差が出るのか? まず、親とは、制裁与奪の権を握っている。逆らったら、生きていけない存在である。しかし、ご近所のおばさんは、そうではない。怖くない。したがって、いう事を聞かない。
 では、保育所の保母さんとか、幼稚園の先生は、どうなっているだろうか? ガッコの先生は、どうなっているのだろうか?
 今、モンスターママと呼ばれる人種がいて、先生より、親の方が力が強いそうだ。そうなると、ますます、子供たちは、いう事を聞かない。
 保育所や、幼稚園はどうなのだろう。そこから追い出されたら大変だから、親は子供の目の前で、先生や保母さんを大切にする。したがって、先生や、保母さんのいう事を、子供が聞く。・・・・・しかし、もう一つ、大きな問題が、残っていた。
 保育所や、幼稚園とは、管理
されたカリキュラムで、運営をされているという事だ。だから、逸脱がない。かつ、自由がない。そういう生活ばかり送ってきた子供たちが、自由を与えられると、どうなるか? 今、学校社会で、いじめが蔓延をしているそうだ。親や、先生が気が付かない場所で、いじめは行われる。なぜ?というと、誰かをいじめることは、いじめる側に、性的な快楽をもたらすから、其れを行う。特に中学生ぐらいになると行動半径も広がり、おやや先生の目の届かない、
管理されていない場所も、見つかるから、其れを行う。
 其れを防ぐためには、どうしたらいいのか? それは、親が、愛情をもって、自由に子供を遊ばせることだ。お友達と一緒に遊ばせることだ。そうすると、自由奔放に遊ぶ。その中で、周りが困ることを教えていく。それを、やってこそ、他人をいじめない。他人を尊敬する人間が出来上がる。・・・・・私は三年保育には無論反対だ。
 それから、自分が育てる方が、大変だ。保育所の方が楽だ。だけど、ご近所づきあいが面倒だから、保育所に預けて、自分は働こうなどというのは、とんでもない、考えだ。子育ては、一ていの労働が必要なものであると覚悟すべきだ。医者とか弁護士とか、学校の先生とかいう、特殊な、技能を必要として、収入も高い仕事についているのなら、母親代わりを担ってくれる、祖父母等に、頼めるかどうかを、確認してから、産むべきだと、思う。では、「妻も、働かなくては、生活が成り立たない」という質問にどう答えるかだが、それは、社会が悪くなっていると、答えよう。何等かの、収奪が、大資本家から厳しく行われる様になっていて、それが、グローバリズムという美名で、繁茂していると、いう社会が悪い。
 それに原発を稼働している。ウラン鉱とは、ただみたいなものなのだ。それを、高額な値段で、輸入し、核燃料棒へと加工し、高い値段の、電気を庶民は使わないといけない。実際には、一人が、三千円ぐらいの、電気代を毎月支払って居ると、思うが、其れを単純に千円と仮定しても、一兆、二千億円のお金が、海外へ吸い上げられているのだ。
 それを国民一人一人に還元したら、もっと、国民の生活は楽になるのに。
 
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副題7、『私の年代では、高卒のお母さんで、性格の良い人が一番上手に子供を育てると、思って居る。しかし、年代が下がるにつれて、社会が変化しているので、今では、大卒のお母さんも多いだろう。
 日本では、大学まで行かないと、フロイトなどを教えない模様だ。だが、フロイトの言って居る、エディプスコンプレックスの概念は、すべての、女性が学ぶべきことだと、思う。中学生でも十分に理解ができるだろう。教えるべきだ。
 上滝家の問題点は、母親に偏愛があると、いう事でした。大体、長子は、初めての子供だから熱心です。次子が、看過されやすい。三人も子供がいると、次子が、精神的ネグレクトに合いやすいのです。その上、そこに、フロイトの、いうエディプスコンプレックス、もしくはエレクトラコンプレックスが、まじりあうと、子供は大変です。
 上滝家も上のお子さん(長子)は男の子だったので、お母さんは、大切に思って居るのがわかりました。その子のお友達の、ママとは、きちんとお付き合いをしている模様でした。しかし、次子が女の子です。すると、次子である上に、フロイトのいう同性の子供とは、うまくいかないが重なってきて、かわいくないのです。「幼稚園に行かせないで、川崎さんちで、遊ばせておけばいいわ」と夫に言うのは、かわいくないからです。
 そして夫の方ですが、本当は、女の子がかわいいはずなのです。フロイト理論で言えばです。しかし、妻に牛耳られています。上滝夫人は、図太いと、私は上の方で言って居ます。それは、夫に対しても同じでしょう。押さえつけているかかあ天下のはずです。そして、夫の方は、夫で、銀行マンですから、当時の幼稚園の月謝、一万円でも、其れを投資信託に回すと利子が、いくら、いくらでとか、考えるのでしょう。だから、おくさんのいう事を聞きました。
 もし、上滝夫人が、本当に子供をかわいがっていたら、同い年の子供たちと出会う場所である、幼稚園の、意味が分からないわけはないのです。それを奪うと、お嬢ちゃんにとって、居場所がなくなるわけです。
 特に引っ越してきたばかりですから、ご近所づきあいもないし、住んでいる場所が、三浦半島に、険しい山の突端で、とても、少数の家しかない一帯ですから、さらに、付き合いが少ないのです。そうなると、幼稚園に行かせないことは、致命的な事となります。でも、平気で、其れを提案するのが、上滝夫人でした。
 
 もし、金銭的にシビアなのだったら、一万円助かったわけですから、三千円ぐらいのお礼を私に還元しないといけません。どういうことかというと、お菓子を一袋、150円で、買って、二日に一回か、毎日、持ってくることです。
 その前に、「今日、どういう遊びをしたの?」と、お嬢さんに聞かないといけません。お嬢さんが、お母さんを信頼していたら、「こういう遊びを午前中して、10時に、かりんとうをもらった」か、答えるでしょう。そしたら、子供を愛しているお母さんなら、当然のこと、午後の様子も聞くでしょうね。すると、お嬢さんが、午後は、ままごとをして、三時に、チョイスをもらったとか答えるでしょう。すると、実際の様子がよくわかって、二日に一遍ほど、明治アーモンドチョコレートをもって、お礼に来ると、いう形になります。そうなれば、お嬢さんだって、盗み食いはしません。
 ずいぶんしみったれたことをいう様ですが、しつけができていない子供を遊ばせるのは、本当に重労働だからです。でもね。それが、重労働だと知っているお母さんは、当然のごとく、相見互いの、措置を取ります。お菓子なんか持って行かなくても、ママ友同士も一緒に遊ぶとか、町で出会った時に、「いつもありがとう」とお礼を言うとか、そういう態度が、出て来るものです。
 もし上滝夫人が、真心を込めて、お礼に、毎日来ていたら、・・・・・
あのね、今日ね、こんなことがあったのですよ。三時に出そうと思って居たおやつを先に食べられてしまって居たのよ。私はね。時間は、きちんとしたいので、お嬢さんに、「
あそこの家では、おばさんの決めた時間に従ってね」と、言ってちょうだい・・・・・と、いえたと思うのです。こういう言い方でもカンの鋭い人だったら、子供が盗み食いをして居ることを知るかもしれません。だけど、実際に起きたことに比べれば、恥の量は、少ないです。
 私と上滝さんの間に実際に起きたことは、こうです。そのお嬢さんがあまりにも生意気で、いう事を聞かない上に、にらみつける様な、目で、私を見るので、とうとう怒った
私は、お母さんに現場を見せることにしました。お嬢さんが、隠れて盗み食いをしている、二階の押入れと、上滝夫人がテレビでも見ているであろう、上滝家の居間とは、12mぐらいの近さですから、呼んでくることなんて、何でもありません。
 押し入れの上段は、出し入れがしやすいので、自分達の普段用のお布団が入れてあります。しかし、下段は、母が作ってくれた客用の、布団が真っ白な包布に包まれてたたんで、いれてありました。その上の、20cmか、30cmのところに腹ばいになって、東鳩のキャラメルコーンという生キャラメルが、使ってあるお菓子を食べているのです。しーつをべとベとに汚しながら。
 上滝夫人に向かって、とうとう言いましたよ。「天袋に隠しても見つけて、盗み食いをしてしまうのです。叱っても叱っても、こうなってしまいます。天袋は、台所、居間、そして脱衣所、そして、この部屋と、何度も場所を変えましたが、見つけられてしまうのです」と。大恥を掻いたと、思います。そして、恨まれました。あそこの奥さんが悪いのだと、いううわさを流されました。
 それが、どうしてわかったかというと、その年から、6後の、地籍変更異届の時に分かったのです。
 あ、此処で、地籍変更届が起きた時に、取得した、公図とか登記簿謄本とかが、すべて、こちら鎌倉雪ノ下の家から、
盗まれていることを述べないといけません。単なる紙です。そこに、金銭的な価値を見出す人間は、仲野通巳吉(益山智恵子夫人の実弟)と、瀬島龍三と、杉本俊一氏にしか存在していません。この三人に共通するのは、すでに、CIAエーじぇんととして、私の敵と、なっていることです。しかし、この三人は、それぞれ、社会的地位がありますので、合いかぎで、泥棒に入るわけもありません。そうなると、CIAエージェントの命令で、動いた、警察の特殊部隊で、あろうなあ。盗人はと、なります。
 
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副題8、『上滝家には、真実を語っていて、しかも成功報酬として、当時の土地が高い時代に、10坪ぐらいの車返し部分
を、彼に与えると、益山重夫氏は、約束をしていた。
 土地が、一坪、30万円は、した時代であって、300万円の成功報酬を、貰えるのだった。一方で、益山氏は、総計二千坪程度をタダで、手中にするのだから、軽く実行できる約束であっただろう。
 しかし、私は内心で激怒した。
 しかも、この時、これが、復讐のチャンスだと、思ったらしい、上滝氏は、日曜日に、自分が主導をして、キャッチボールを我が家の目の前の道路で行い、我が子を阻害した。
 
 これが、火に油を注いだ。で、徹底的に調べまくった。益山氏には、フェリス出身のお嬢さんが居て、すでに結婚をしていたが、そのお母さんにあたる女性が、アメリカ人と恋に落ちて、アメリカへ蓄電をしてしまったと、いう話は、智恵子夫人が最も嫌った、事実だ。しかし、上滝一家を、私の上に置くなどという事をする限り、そこまで、調べるのは、当たり前の話なのだ。
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 さて、ここで、午前零時になった。上滝家から離れて、地籍変更届と、益山智恵子夫人に入っていくと、今まで、書いてきたことの、50倍は、書けるし、書かないといけない。
 しかし、此処では、このエピソードを、私が書いているからこそ、ときわ相互銀行が、東日本銀行と改名したし、かつ、横浜銀行に、合併され、コンコルディア銀行と改名したと、言っておこう。
 数の論理を使われている。資本金というか貯蓄高において、私個人とコンコルディア銀行を比べると、天文学的数値の差が生まれるだろう。「だから、黙れよ。お前なんか、小さい小さい、人間なのだよ」と、言いたいのが、この合併を企画した、鎌倉エージェントの面々の言いたいことだと、思う。
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副題9、『それはわかっている。しかし、私は、文章を書く人なのだ。それに喜びを見出している。したがって、本日はずいぶんとせいせいした。すがすがしい、思いで、
いっぱいだ。
 上滝夫人は、勝ったと、思って居るはずだ。ただ、土地をもらってはいない。そして、不思議な、形で、引っ越して行った。尻尾をまいて、逃げたみたいだった。
 
 ところが、私が、ご近所主婦たちの、異様な攻撃に怒って、北久里浜の、地籍変更届の、事案を書く。すると、上滝家は、抜かせないので、J宅とか、X家という仮名で描い
ていた。しかし、隔靴掻痒の感は、否めない。
 その上、私が、この案件を書いたことによって、東日本銀行(旧名、ときわ相互銀行)と、横浜銀行が合併して、上滝氏は、もし、いまだ勤務中、又は、坊ちゃんが勤務しているのなら、一部上場の大企業(地銀、第一位行)に勤務することとなったので、大威張りだろう。 そして、リアルな世界で、
頑張る人、かつ勝気な人である、上滝家の、意志をくんで、お嬢さんは、東大卒の浜銀、行員と結婚をしていたりして。もしかすると、その相手は、浜銀、鎌倉支店長だったりして。 あ、ハ、ハ。想像が飛びすぎるが、意外と、事実だったりする可能性もあるのだった。
 なお、この一文は、起承転結が完成しておりませんが、此処で、疲労困憊をしたので、書くのをやめようと思います。
尚、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、5276025です。
 
 
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