銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

高本来訪ー2 メモとしての第二稿

2019-04-27 05:07:00 | 政治

 実は前報を、前夜、26日の、午前零時近くまでかかって、丁寧に、加筆推敲をしています。それを、お読みいただきたいのですが、これから、出かけるので、その前に、メモとして、続きを、こちらに書いて置きましょう。それは、非公開としたいのですが、いろいろ、邪魔されていて、失われると、困るので、公開としておきます。

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 私は、京急北久里浜の東側の丘の上に、一軒の家を保持している。その北隣の住民、

伊能まさ・さんが死去。

甥の伊能義昭氏が、それを、相続する

相族の際に、売るのでは無ければ、正式な測量図は、必要がないそうだが、

義昭氏が、一級建築士だからか? 測量と地境確定を望んだ。??????

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其れを、きっかけ、又は、其れを好機ととらえて、仲野通巳吉、杉本俊一・正子夫妻は、大復讐を思い立った。

彼らは、横須賀市の水道山1200坪を、地籍変更届でただで取得をしたのだが、その地籍変更届を出す前の、10年ほどの間に、既に、水道山を、500坪程度、蚕食をしている。それは、1960年代から始まっている大詐欺事件である。

それで、その二人について、さらに書き改めたいが、今のところ、それは、放っておいて、鎌倉雪ノ下に、固執したい。

というのも、24日に、名古屋旅行から帰宅したら、前田清子と、富沢夫人が、大声で、話し合って居た。これは、例のごとく、私が・・・・・その劣悪さを、書いている女性を救済しておきたい・・・・・と、いう、小さいが確定的な謀略であるから、そこで、瞬時に前田夫人・清子さんがどれほどの悪を、過去に、私になしてきたかを語らないと、ならなくなった。私には、損失として、概算10億を超えるだろうと、思う部分があって、その原因者のひとりである、清子夫人について描くことは、そういう謀略が行われる限り、急務であるからだ。

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富沢夫人とは、高枝切りという、鎌倉市民税を無駄遣いした、対・私攻撃用謀略の当事者なので、今は、対私攻撃には、動くべきではないのに、頼まれれば、動く、どうしようもないところに堕落をしている。育ちはよいが弱いのだと、思われる。夫婦ともども、弱いのだ。動物的野蛮さを持つ、安野智紗夫人とか前田夫人に、強く出られると逆らえないのだと、推察される。

ただ、彼女がなぜ、動いたかというと、清子さんの後ろに、いる、例の鎌倉エージェントが、動く様に指示を出したからであろう。其れを、清子夫人もしくは小野寺夫人から、頼まれて、うなずいたと、思われる。

どうして、そうなったかというと、私が、後注1に置いた、文章の中で、・・・・・この雪ノ下二丁目3番地と、4番地の、住民、実動15軒の内で、もっとも、育ちの良い人間は、元慶応大学の教授を父親とする富沢家のはずである・・・・・が、

 北久里浜の私たち夫婦の持ち家の、駐車場を借りていた、若い男性ほどの、高級なお使い物(菓子折り)をもらったことは、この山の住民のだれからも、ない・・・・・と、書いているので、さっそく、そのもっとも、育ちの良い富沢家の、奥様を動員して、前田清子さんの洗浄化を図ったというわけだった。

 だから、前田清子さんが、CIAに動かされるという点では、1978年に限らず、2019年4月24日にまで、引き続いているという事なのだ。だから、北久里浜で、異様なことが起きれば、私はさらに、鎌倉について描くこととなる。

 そして、富沢夫人に対して、そういうおっちょこちょいなことを、やるべきではないと、いう意味で、後で、高枝切りに関して、書いたブログを、後注2として置いておこう。「そんなことをやっている場合ではないですよ。まあ、このブログを毎日は、読んでいないので、平気で、そういうことができるのでしょうが」とも、いっておこう。

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 ところで、此処で、現在に通じる、もう一つの、証拠を発見した。高本・土地家屋調査士は、謙虚で、丁寧な、紳士である。この案件を引き受けてからの一年間で、ストレスで、10キロやせたそうである。しかし、いつも、スーツ姿で、訪問をして来ていた。ところが、2019年4月25日だけ、ジャンパー姿で、中に、黄色い、シャツと、混色の、カーディガンという普段着で、現れた。すぐ、ピンときた。

 私の文章を丁寧に、読み解く、井上ひさし(いまだ、実際には、生きていますよ)が、後注1の文章を読んで、立派な青年、しかも大金持ちから、私が礼節を尽くして扱われて、それを喜んでいるという文章を読んで、其れなら、失意を味わわせてやれと、なって、高本氏に、貧相で、汚い服装で、訪問をしろと、命令をしたのだろうと、瞬時に分かった。

 しかも、井上ひさしは、高本氏の2019年4月25日のわがや・訪問で、こっちが勝ったと、思いこんだ模様である。青地の件で、実際に被害が起きそうだと、考えた私が、脳血栓を患った主人に、大声で、説明をしているので、其れから、考えて、パニックに陥っていると、見て(それは、室内盗聴が、仕掛けられていて、其れを、傍受しているから可能な事なのだが)勝った、勝ったと、大喜びをして、早速にコメントを二通、現在書いている文章に張り付けてきた。それで、1978年に行われた、地籍変更届という大詐欺事件が、現在に、通じていることが、証明されたのである。

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 前田清子さんは、静岡大学の法学部の出身である。しかし、驚くほどに、下劣な行動を示す人なのだ。その一例を前報に置いているが、それ以外にもいろいろある。静岡大学は国民の税金で、運営をされていると、思われるが、彼女は、そこで、憲法の主意とか、哲学の基本とか、心理学の基本を学んでいないのだろうかと、私は、この35年間、いつも疑問に思ってきた。

 一方で、彼女に知り合った1984年よりも、20年前の、1960年から、ずっと、知り合ってきているお茶大付属高校時代の同期、旧姓岡本、現在名、青山敦子さんの、日比谷花壇・オープンカフェ内での、修習生時代の、1967年か、1968年の、品の良いたたずまいを思い出すのだった。

 下品なふるまいをすることは、あに、前田清子さん、一人の問題には、限らない。天はお怒りになり、前田清子さんを、國學院大學の講師へと、推薦をされたと、私が想像をしている、八幡宮様の、千年に近い樹齢を持つ、大イチョウを倒壊をさせた。それほどに、前田清子、安野智紗、そして、最近の十年に加わった、小野寺夫人にやっていることは、恐ろしい悪なのである。しかし、私の頭が、抜群に、いいから、真実を語る人となるはずで、だからこそ、つぶしたいと、思って居るCIA私と敵対をして居るからこそ、この三人に名誉や、金銭を与え続けている。

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 私には、何回かのメルクマール的、機会があって、残念なことに、又は、いやなことに、CIAと、がっつり正面から敵対することになってしまった。

 その第一は、国際キリスト教大学時代に、ベイカーさんという学生が、CIAのスパイであることを悟ってしまったのだが、その際に、ただ、眉をひそめただけで、私を危険な、程、頭がよいと、判定したベイカーさんは、1965年に、すでに、私を待ち伏せして、後ろから、首を絞めて殺そうとした。それが、第一回目の、悪い機縁だったが、

 次に訪れたのは、1978年の、北久里浜での、横須賀市の水道山と、その近辺をタダで、自分のものにしていった、益山重夫・智恵子夫妻との遭遇であった。そして、彼らが京急と、横須賀市を巻き込んで、行った大規模詐欺事件である。私は、地境地主として巻き込まれたので、青地設定を、敷地内に、急に行われてしまい、其れを、調査する過程で、彼等の悪だくみを詳細に知ってしまった。

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 書類を渡され、此処に実印を押してほしいと、言われた。その書類が異様であり、嘘をつかれていることが、瞬時に分かったで、事が大きいので、素人判断はできないと考えて、青山敦子弁護士を頼ったのだった。

 前報で、故・美土路朝日新聞社長と、その秘書女史と、総タイトルに入れているのは、青山敦子弁護士の、母君が、一種の戦争未亡人でもあるので、働いた時期があって、その職場が、朝日新聞社長秘書という立場だったと、語りつつあったのだ。

 青山弁護士は、お顔は、おっとりした、ふくよかな女びな風のお顔で、父君、自分と、二代、東大卒であり、お子様を、医学部に、進学させている。医学部は東大か銅かは知らないが・・・・・

 すべて、前田清子さんと、比較をすると、かく段の差があって、前田夫人の方が下品である。そして、清子夫人の方は、お子様も医学部には進学をさせていない。しかし、こう書くと、彼女のお子さんは、別の大学に入学を許可されて、医者になるかもしれませんよ。CIAなら何でもできるわけですからね。

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 で、信頼して、訪問をしているのに、結局、方針を示してもらう事は、できなかった。それ以降、40年間、四度拒否されたことがある。理由は「CIAを敵に回しているなんて、怖くて、引き受けられません」と、いう事だった。

 『それは、そうでしょう』と、思うのも思うが、私は、それに、気が付いた40年間、ずっと戦い続けて、今も生きているのだから、戦うのなら戦う事はできるのだった。でも、青山さんには、支援を、表むきには、引き受けてもらえなかった。ただ、弁護士ができる調査の範囲等は、教えてもらった。法的に、調査していい部分とか、範囲については、教えてもらった。それだけで、優秀極まりないと、大勢の人から言われている私には、真実がすべて、わかるのだった。

 しかし、此処で、大問題が発生する。その証拠書類が、全部鎌倉の我が家から盗まれているのだ。これは、合いかぎをもらって侵入して居る、画家Aとか、安野忠彦ではなくて、CIAの手下として動いている、警察の、殺人用別動隊が、盗んだと、見ている。

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 そういう、挿入を入れて、青山弁護士に戻る。

 しかし、引き受けないと、いう時に、その断り方が、ちょっと変だった。友人のはずなのに、どこか、隔靴掻痒の感があり、私を小ばかにしているところがあった。それで、1965年、の、ベイカーさん、とか、1978年の、瀬島龍三(益山重夫の、親友だという話である)との遭遇が、青山さんと、私との関係に、わるい影響を及ぼしていると、推察をした。誰が、それを青山さんに伝えたかが、長年疑問であった。

 しかし、ふと、思い出したのだが、母君ではないかと、思うのだった。朝日新聞は、CIAの牙城である。そして、飯田隆君という中学の同期生は、早稲田の政経学部と、中学時代、成岡康司君と同期である。彼が、青山さんの、母君の死去後、青山さん連絡を取っているとも思われないが、朝日新聞系列からの情報で、青山さんは、私を自分より劣等していると、思い始めたのだろうか?

 そうだ、私は数々の、友人から裏切られている。裏にいる、人間がわかっている場合と、其の裏切りの程度が、大きい人は、実名で描いている。青山さんに対しては、私の方が、友情の、気持ちを深く持っていたので、今まで、此処までは、書き表さなかった。

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 しかし、青地の件については、1978年にもびっくりして、青山さんだけでは足りないと、思い至った。それで、セカンドオピニオンとして、栗原一郎弁護士にも依頼をした。そして、方針を示してもらった。

 ここまでが、前報のメモ、一回目の、初稿部分だった。今から外出をします。敷衍し、展開をしている前報を、お読みいただいておくと助かります。こちらの方の注は帰宅してから整えます。

 なお、このブログの、2010年より数え恥塩田延べ訪問回数は、5288767です。

 

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宮川 紗江、予選落ち、74位

2019-04-27 04:57:24 | 政治

 これは、私のブログ、

高本来訪ー2 メモとしての第二稿

2019-04-27 05:07:00 | 政治

 に必要な記事なので、公開をします。

 なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、5288767です。

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 自身と同じリオ五輪代表の内山由綺とともに、号泣する場面もあった。内山も41位に終わった。「すごく小さい頃から一緒に練習してきた仲間で、リオも一緒に出てるので、会った瞬間に泣いちゃいました。来年絶対五輪出ようねって何回も、何回も言いました」と涙のわけを明かした。

 今大会が約10カ月ぶりとなる復帰戦。昨年夏のパワハラ告発後に支援を受けた高須クリニックの所属として再出発を切った。前日は「会場で練習をしてみて、試合ってこういう感じだったなって懐かしい感じがしたし、気持ちも高ぶった」とにこやかに話していた。

 しかし、約1週間前に右足首上部の骨を痛めたといい、「諦めない精神で頑張りたい」と予選へ向けて語っていた。

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予選でゆかの演技をする宮川紗江© Copyright(C) 2012 デイリースポーツ/神戸新聞社 All Rights Reserved. 予選でゆかの演技をする宮川紗江

 「体操・全日本選手権」(26日、高崎アリーナ)

 女子予選が行われ、今大会で再出発を切った元代表の宮川紗江(高須クリニック)は4種目合計で46・331点の74位に終わり、予選落ちとなった。世界選手権(10月・ドイツ・シュツットガルト)の代表入りは絶望となった。

 各種目のスコアは、最初の平均台は11・166点、2番目のゆかは10・266点。3番目の跳馬が13・933点だったものの、最後の段違い平行棒は10・966点と伸ばせなかった。

 予選後は「全体を通して、すごく緊張した。試合ってこんなに緊張するんだなと思った。特に最初の平均台。いろんな感情があった」と振り返った。会場の声援などについても「いろんなところから応援の声が聞こえてきて、応援されていることを実感できた」としみじみ。「今日は応えることはできなかったけど、この経験は絶対、次につながる」と前向きに語った。

 今大会で結果は出なかったが、「悔しいけど、東京五輪は来年なので、しっかり生かして、そこで悔いのないように頑張りたい」とした。

 自身と同じリオ五輪代表の内山由綺とともに、号泣する場面もあった。内山も41位に終わった。「すごく小さい頃から一緒に練習してきた仲間で、リオも一緒に出てるので、会った瞬間に泣いちゃいました。来年絶対五輪出ようねって何回も、何回も言いました」と涙のわけを明かした。

 今大会が約10カ月ぶりとなる復帰戦。昨年夏のパワハラ告発後に支援を受けた高須クリニックの所属として再出発を切った。前日は「会場で練習をしてみて、試合ってこういう感じだったなって懐かしい感じがしたし、気持ちも高ぶった」とにこやかに話していた。

 しかし、約1週間前に右足首上部の骨を痛めたといい、「諦めない精神で頑張りたい」と予選へ向けて語っていた。

 

 自身と同じリオ五輪代表の内山由綺とともに、号泣する場面もあった。内山も41位に終わった。「すごく小さい頃から一緒に練習してきた仲間で、リオも一緒に出てるので、会った瞬間に泣いちゃいました。来年絶対五輪出ようねって何回も、何回も言いました」と涙のわけを明かした。

 今大会が約10カ月ぶりとなる復帰戦。昨年夏のパワハラ告発後に支援を受けた高須クリニックの所属として再出発を切った。前日は「会場で練習をしてみて、試合ってこういう感じだったなって懐かしい感じがしたし、気持ちも高ぶった」とにこやかに話していた。

 しかし、約1週間前に右足首上部の骨を痛めたといい、「諦めない精神で頑張りたい」と予選へ向けて語っていた。

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