銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

『野心と結婚(田中君の離婚と、げげげの女房)』

2009-10-04 02:35:07 | Weblog
 爆笑問題の田中君が離婚をしたというニュースが、ウエブ上で公開をされました。田中君の方はコンビを組む太田君より地味な感じの人で、しかも結婚相手も、マスコミに出ない地味な普通の人だったので、離婚の発表そのものにも驚きましたが、時間がたつにつれ、田中君が気の毒だという思いに打たれて、この文章を書き始めています。

 パパラッチの取材でごたごたして、元(?)奥様が傷つくことを恐れて、この発表にいたったと思いますが、どちらかといえば、奥様より田中君のほうが気の毒な感じがします。というのも奥様の顔を世間一般の人は知らないので、これから、奥様には、彼女の望むとおりの、自由な生活が手に入るからです。現代の健康な女性なら、働けばなんとか、生活できるでしょうし、その間に、新しい出会いもあるという感覚があるのでしょう。新しい結婚相手を探そうというもくろみも、もちろんあると思います。

 一方の田中君には、新しい出会いを求めている時間もないような気がします。

 そして、彼の忙しさとは、芸能界で売れていることにあるわけですから、それは一種のパンとサーカスの世界であって、それを私たちは消費しているわけで、その影に『彼の私生活が犠牲になってしまった』という側面を感じさせるからです。

 そんな重いことを言ってしまったら、お笑い界で生きている彼らに、は、かえってマイナスになり、失礼だと言うことになるのでしょう。だから、無視していればよいのですが、爆問・学問(NHK火曜日の夜)だけしか見ていない私にも、彼らが、非常に疲れているのは感じていて、それも以前から気の毒に思ってはいました。

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 というのはあの番組は、出演する学者のほうは毎週変わるので、打ち込んで準備をすることができます。しかし、インタビュアーの爆笑問題の方は毎週、毎週、新しい学者と学問の世界に触れなくてはなりません。

 自分たちの頭脳に誇りと自信があるから、体力がついていくのだろうと思いますが、それでも、疲労感がありありと見えて、ちょっと見ているのが忍びないときがあります。

 同じように内容が深い、姜尚中(漢字が不確かですが)氏の、日曜美術館ですが、よく再放送があります。爆問・学問も、再放送をしょっちゅうしたらよいでしょう。そのくらい解放をしてあげないと彼らがつぶれてしまうと感じるほど、内容が濃いです。

 そして、我が家では、今のところ、コンバーターのせいで、ハイビジョンが録画できないので、ほとんどは、地上波の方を、予約録画するのですが、『爆問・学問』はなんと、Gコードが二桁です。どれほど、Gコード予約がなされているかを証明しています。『美の壷』も同じらしくて、三桁ですが・・・・・

 それだけ、見る人が多い、重要な番組を担っているわけですから、夫に誇りを持ち、夫の足を引っ張らない方向で生きるべきだというのが、私なんかの世代の普通の考え方ですが、30才も年齢が、したの女性は違う考え方をもっているのでしょう。

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 もう決まってしまったことを、あれこれ、言っても仕方がないのですが、相方の大田君のほうは、奥様がマネージャーというか、事務所の社長です。だから、顔写真も公開されていますが、楚々とした美人です。でも、一種の辣腕の人で太田君の書物はほとんどが、ご自分の事務所が発行元となっています。

 つまり上品な形ながら野心もある人です。

 これは、太田君のような時事ネタを、書く人にとっては、最高のシステムでしょう。すばやく本ができますから。私だって、すばやく、かつたくさんの本を作りたいが、何せ、資金がなくて、我慢をしています。でも、太田君が稼ぐお金を想像すると、本など、簡単に出版できます。

 そういうことを奥様が陣頭に立ってやっている。つまり、同志というわけです。一方の田中君は、太田君と上手なコンビを組むぐらいですから、性格が違っていて、それなりに、自分の個性を生かすために、もっと、普通の感じの女性を選び、普通の私生活を送ろうと考えたわけでしょう。

 しかし、同志ではなかったわけで、それがこの際の離婚につながったと私は考えます。以前、山本未来さんの章で、女優さんが男優さんを結婚相手に選ぶのは難しい側面もあるが、大器の証明であると感じて、それを述べましたが、

 ここでは、同業者ではなかったというのが裏目に出ました。この際の同業者とはお笑い芸人を指すわけではなく、裏方でもよいのです。太田君の奥様みたいな裏方でもよいのです。

 本当は、その大田夫人が社長をする事務所(小さいけれど会社でしょう)に、田中(元)夫人もアルバイト(またはパート)的でもよいから、勤めていらっしゃったら、ご主人の仕事への理解も深まり、お子さんがいない、孤立感や、孤独感も解消をしたでしょうが、田中君が私生活と、仕事上の関係を切り離したいたいタイプだった模様ですから、それは、望み得ないことだったのでしょうね。

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 ともかく、田中君に、押しかけ女房でもよいから、新しいだれか、誠実で、しかも仕事を理解してあげることのできる、パートナーが現れることを祈念します。

 そういえば、次回の朝ドラの原作となっている『げげげの女房』という本が非常に評判がよいみたいですね。私は、最初期の書評からそれに気がつき、注目をしてきました。ただ、まだ、買っても読んでもいないのですが、そこに書いてあることこそ、理想の妻の姿なのでしょう。特にサラリーマンではなくて、浮き沈みの激しい芸能界や、芸術家の世界の女房の、あるべき姿が書いてあるのでしょう。

 この本の内容をレジメとして読んだときに、水木しげるの奥様はそれこそ、上品ながら、ロングスパンの野心を持つ人だと感じました。女性が、自分の才能ではなくて、夫の才能で、この世界を支配する(ある分野の漫画ですが、大評判をとるというのは、支配をするのと同じことです)というのも素敵な自己実現の方法ですから・・・・・では、

               2009年10月4日、雨宮舜(川崎 千恵子)
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鳩山夫人の占い好みー2

2009-10-03 13:52:24 | Weblog
前報で、いい足りないところがありました。

主人が気恥ずかしそうにしていたというのは、鳩山夫人を日本人の代表としてみているからでしょう。そして一般的な日本人は、コーラスかカラオケでない場合は、他人の前では歌わないからです。

私も、自分が個展のオープニングで、歌うときには、主人には来てもらいたくないと思っていました。彼が『これは、気恥ずかしいなあ』と思うことは十分に、予想ができたからです。

身近な人が見ると、しつらえた舞台ではない場所で、知っている、・・・・・特に身内にあたる・・・・・人間が、歌を歌うというのは、気恥ずかしいことのようです。

だけど、アメリカの老人ホームで「さくら」を歌う場合、相当な緊張感を要するものなのです。コーラスなどとは、まるで違う覚悟が要るものなのです。

『それが自己顕示欲である』と、普通の人は思うでしょう。特に、人前で急に歌ったりしない人は、お思いになるでしょう。が、実際に、そういうパフォーマンスを過去にやったことのある人間から見ると、

気恥ずかしさを通り越した、一種の身を捨てる行為でも、あるのです。だから、あの鳩山夫人の『さくら』は、かわいそうな犠牲的な行為、でも、あるのです。だから、ご主人にとっては、幸夫人は、かわいい人なのでしょう。

私の場合は、自分の作品をより理解をしてもらいたくて、歌を歌うわけですが、

鳩山夫人は、「日本人だって、これほど、元気で能力があるのですよ」ということを見せたくて
お歌いになった側面もあると思います。

それが、効果を挙げたか、通じたかという意味では、ほとんど、ゼロに等しいでしょう。アメリカのテレビ・ニュースって、各項目のナレーションが、非常に短くて、あっという間に映像も終わるのです。それに、こんな小さなニュースは、きっと、報道されなかったと思いますから、効果がなかった・・・・・という懸念も持ちますけれど・・・・・

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 もちろん、本当に強い人は、「占いなどには、頼らない」とおっしゃるだろうし、人前でも歌わないでしょうね。アメリカ国民も見ているが、日本人もその映像を見ているわけですから、『日本人がどう思うか』も計算しなければなりません。となると、当然のごとき、反発も計算に入れなければなりません。

 宰相夫人なんて、考えるべきことはいっぱいあるのです。頭が破裂しそうになるでしょうね。まじめなら、まじめであるほど。

 ただ、占いの件に戻れば、修行を本当に積んだ人は、「私は頼らない」といわれるかもしれません。たとえば、仏様ご自身とか、仏教に理解の深い柳沢桂子さんのように、『すべては無である』と考える人は、将来、特に明日、どうなろうと関係がないのだから、占いには、頼らないでしょう。

 また、イエス・キリストご自身も、「邪教を捨てよ。私だけを信じなさい(つまり、頼りなさい)」と仰っていますね。

 だけど、私は<<<不安を感じる人が、少しでも不安を取り去るための手法の一つとして、占いに頼るのもよい>>>と思います。

 そして、宰相夫人が、不安を感じないとしたら、かえって、そのほうが奇妙です。これから先何が起きるか、一寸崎は闇です・・・・・特に政治の世界は。

 そして、宰相ともなれば、一代議士とはまるで違った責任があるものです。失敗はできるだけ少ないほうがよい。

 まあ、オリンピック招致の目玉としては、金色のネクタイが役に立たなかったみたいですが・・・・・もともと、石原さんと民主党は、仲がよくないと思いますし、オバマ大統領に匹敵する世界的な知名度はないでしょうから、これは、順当なところかもしれないけれど、信仰とは岩をもうがつものですから、万が一の成功を望んでいましたけれど・・・・・

 私は自分のエッセイの導入部分として、主人の言葉をよく使わせてもらっているのですが、もしかしたら、そういう意味で、主人も、「あそこまで(歌を歌うこと)しなくてもよい」と言ったのかもしれません。

 人間の心は、複雑だし、多面的です。

 だけど、『終わりよければすべてよし』で、これからの鳩山政権の政治が、国民にとって、よい政治であれば、占い好みも、歌を歌うパフォーマンスも、あらゆることは許されて、好意的に取られるでしょう。

 もし、政治が悪くて、国民が困ることになれば、あらゆることは、けなされることになるでしょう。 ちょっと預言者みたいな言い方で恐れ入りましたが、・・・・・ 私という個人にとっても、よい政治は大切で、あまねくいきわたってほしいものだからです。  では、今日はこれで。                              09-9-30、初稿・・・・・オリンピックの開催地のニュースを受けて少し付け足す。 雨宮舜(川崎 千恵子)
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恐れを知ること・・・・・鳩山夫人の占い好み

2009-10-02 13:39:15 | Weblog
 私は09-9-30日、に 久しぶりに、週刊文春を買いました。有楽町から鎌倉まで、こ一時間かかります。もっと元気ならまともなことを考えます。前向きな時間をすごします。そして、もっと疲労困憊なら、ただ、うつらうつらしながら一時間を過ごします。中途半端に疲れているときが一番困ります。

 何か気を紛らわすものがないと、脳が無理なのに、思考回路に入ってしまい、結局、家へ帰ってからお風呂にも入りたくないし、ご飯も食べたくないというほど疲労してしまうことになるからです。しかし、硬い読書ができるほどの力もない。こういうときは、私世代なら、やはり、週刊誌です。ケータイはiphoneを持っているのですが、外では持ち歩かない主義なので、ほかの若い人みたいに、ケータイでゲームをやる技術もないし。

 で、朝新聞を読んで広告を確かめていないので、週刊文春がより扇情的なのか、週刊新潮がよりすごいのかは判らなくて、迷いましたが、だいたい、週刊文春のほうがコラムが慣れているので、文春の方を買いました。表紙は今週は新潮の方が、素敵でしたが。

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 さあて、今週も鳩山夫人です。鳩山夫人がアメリカへ行って、老人ホームで「さくら。さくらー」と歌った映像を見て、主人が気恥ずかしそうにしていたので、「私は、いいと思うけれど」といっておきました。それは主人という個体が、日本人の典型的な反応だと思うわけで、それに対して、よくどこでも歌を歌う私は、より、鳩山夫人に近いでしょうから、援護したわけです。

 ただ、全般的にはそのパフォーマンスに賛成ですが、部分的には、個人として、『自分は、・・・特にこのごろでは、・・・違ってきたなあ』と感じています。それは、必ず即興で、歌うということで、事前に設定されている場所で歌うことが、・・・特に最近では、・・・ないからです。私の場合はこころが特別に、動いた場所でしか、最近は歌わないのです。

 ただ、以前は、PTAの宴会とか、個展や、大グループ展(国展)の初日でさえ、歌いましたから、他人の批判はできません。だけど、最近の歌は、とても、幸せな感じの経験として、非常に小さな舞台で歌っています。

 だから、あのさくらは、・・・・・総じて、『がんばられましたね』と、好意的に感じています。とくに宝塚出身とのことですから、あれができる人なので、おやりになったのは結構です。

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 ただし、それ以前の報道、私生活、および結婚のいきさつについては、ここでは、触れません。それも『有名税というか、大変なことですね』というしかないし、そういう批判を受けても仕方がない部分も、もっていらっしゃるのかもしれません。が、それについては、ここでは、関与しません。

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 それよりも今週の週刊文春に出ていた<占いに凝っておられる話>が重要です。それについて、週刊文春はそれほど性急に、からかうとか、批判するという意味で、立場を鮮明にしていないで、部下の批判として、「それに振り回されるので、困る」と言う程度にとどめています。

 それを読んだ後で、帰宅してNHK夜九時のニュースを見ていたら、ちょうど、コペンハーゲンに向けて飛行機に乗る鳩山夫妻がに出てきて、そのネクタイが、週刊文春の記事に出ていたとおりの金色が入ったものでした。

 「あれ、あれ」と説明をしようとすると、主人がすでに知っていました。世間ではすでに有名な話となっているのかしら? 私は今日の今日まで知りませんでしたが・・・・・

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 これについて、どう考えるかですが、とてもよいことなのではないかしら。というのも、そういう占いに凝る影に、『自分が、普通の人ではない』と言う認識があるからです。そうですね。宰相というのは、その肩に、一億人の命運がかかっているわけです。その一億人の代表として、なるべく、大きな幸運を、自らに引き寄せなくてはなりませんね。

 それが、自分の力だけでできると思ったら、占いに凝ったりしないでしょう。自分の力だけでは、その重い任務がこなせないと思うからこそ、占いにでもすがって、よい方向を目指したいと感じておられるのなら、それは、ある種のまじめさとつながるものです。一種の謙虚さを、感じさせられます。

 今までの報道では、上昇志向の強い目立ちたがり屋、だと言う側面のみ報道されていました。だけど、もし、この占いに凝るというのが、レーガン元大統領夫人の西洋星占い信奉と同じ路線で、行われているのなら、ちょっと見直さなければならないと思いました。

 ただし、これは、政治的なひいきではありません、あくまでも一個人の心理学的な力量の問題で、『自分の力量が少ない』というか、『自分の力量を過信していない』という人のほうが、私は好きだし、信じられるから、の論点です。

 『自分のことをえらい』などと思っている人は、私は本当は、馬鹿なのだと思っています。うえには上がありますから、人間の修行には、永遠に終点はない。だから、修行のひとつの形として、自分には、采配しきれない課題については、そういう修行をした人、この場合は・・・・・占い師ですね・・・・・に教えを乞うという姿勢は、過信の人よりも謙虚な気がします。

 時々、私はヨブ記<<<ヨブは聖書の中に出てくる、現在で言う、成功したビジネスマン。だけど、あるときから、さまざまな不幸に見舞われる。で「私はこんなに、努力をしているのに、なぜ、これほどの試練をお与えになるのですか?」と神をなじると、「信仰が足りない・・・・・特に信仰における謙虚さが足りない」といわれる・・・・・>>>を思い出すのです。

 宰相とは、一国一城の主の、人臣・位階を極めた存在です。もっとも上の存在です。その夫人が、占いに凝るというのは、馬鹿にした話でもなくて、一種の謙虚さの表れだから、やや、安心しました。逆説的ですが、夫人の『派手に見える言動の裏側の、繊細な謙虚さ』に触れた思いがします。なんか、ほっとする思いがいたしました。『幸・多かれ』と祈ります。それが国民の幸せに通じますので・・・・・
                       09-9-30   雨宮 舜 (川崎 千恵子)
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とん女・現役だったのですね。『つばさ」が終わってしまったー5

2009-10-01 14:08:13 | Weblog
 これもつばさ関連です。それほどにこだわるほど、よいドラマでした。
だが、最後の最後に、一点だけ、疑問が起こり、参っちゃいましたね。
 
 私は、最終章には欠点があると思うものの、このドラマ自体は出色のできのドラマだったと思います。視聴率が低かったのは、前回も言ったように、『あまりにも内容が難しすぎた』というところにあったでしょう。『深すぎた、濃すぎた』、というところにあったと思います。

 でも、日本社会の中で、生活に余裕があり、こころに余裕がある人にとっては、非常によく訴えたと思います。思いがけない登場人物の過去が出てきたりして、本当は苦しんでいる人にこそ、届けたいドラマでしたが、本当に苦しんでいるさなかの人は、一日にたった、15分とはいえ、このドラマの視聴に割いている時間がなかったと思われます。

 私だって時間がないほうでしたが、繰り返して言いますように、芸術とか、芸能の本質に迫る、メッセージがたくさんあって、相当に引き込まれたからこそ、「つばさ」を見る時間は無理にでも作り出したのでした。

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 また、生活の中にうそがあるひと、何かをごまかして生きている人には、これは見るに忍びないところがあるドラマだったでしょう。全画面、本当に心が問題だったのです。真心とか、愛というものを問題にしているドラマでした。『天地人』よりはるかに、はるかに、密度濃く、真心とか、愛の大切さを訴えているドラマだったのです。

 しかし、高度に練り上げた脚本のはずなのに、最終日が納得ができないので、出演者について、いろいろ調べました。

 すると、主演の多部未華子さんの項目に、『コネ疑惑』というのがあって、『あれ、いやな感じだなあ』と思いながら心配であけてみたのです。

 すると、父君が大変実力のある、プロデューサーだということがわかりました。分野は知りません。映画、テレビドラマ、コマーシャル、CD制作、出版、今はそれぞれが、プロデューサーシステムのもとに制作をされていて、どの分野であれ、プロデューサーは一番偉いのです。

 彼女は、ですから、女優としては、山本未来さんと同じく、一種の二代目だったわけです。だから、落ち着いていて、演技がしっかりできる・・・・・ともいえるが、最終章のもって生き方が、ヒロインをあまりにも大きくお姫様化しすぎていて、等身大の多部未華子さんには、演技をもってしても、追いつかないほどの大きさを与えているのですが、・・・・・ここに、この『父親が偉い人である』という情報が、加わると、イメージが非常に悪くなります。

 『要らぬ勘繰り』という種類のものを引き出してしまうのです。しかも彼女は現役の、とん女の学生さん。『うーむ』『うーむ』と考え込んでしまいます。お嬢様中のお嬢様が、庶民のしかも母親代わりの、主婦的な役割の娘さんを演じるということ・・・・・

 それが一気にうそっぽくなってしまうのですが、それでも、あの土曜日の結末がなければ、虚実皮膜の間柄で、なんとか、乗り切れたかもしれないのです。彼女はかわいいし、誠実なことは極まりないお嬢様です。

 しかし、こと、恋愛と言う部分の表現となると、ちっとも情感が満ちてこないのです。それには途中で気がついていましたが、まあ、相手役の、特に上司である社長のまなせさん(宅間孝行演じる)が、上手なので、今までもっていたけれど、彼女がラジオ局の社長になると言うのは、どうしても頷けない設定であり、・・・・・・それは、彼女には実生活上の陰影がなくて、それゆえに、表現を仕切れないところであり、

 そんなに、制作サイドと脚本家が本を練ったのなら、ここは、まなせ社長をさらすべきではなくて、ただ、単に「恋愛は、終わらせましょう。大人のほうから」・・・・・でよかったでしょう。

 『どうしたらよいかなあ』と思いますが、多部未華子さんサイドでは、もう、この件はすっぱりと、明かしたら、どうですか? 『お嬢様なんだ』と、この辺で明らかにしたほうがよいでしょう。

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 現在の名女優、寺島しのぶの母君は、往年、<緋牡丹、お竜シリーズ>というおんな侠客役でヒットを連出した女優さんですが、裏は、プロデューサーのお嬢様で、映画上とは、まるで違う生活があったことは、途中から明らかにされています。
 その上での結婚と、お子様の誕生でした。

 多部さんの父君は業界の人だけに、戦略というものがおありで、『今は、それを明らかにしないほうが、ファンを裏切らないことになる』とお考えなのでしょうが、

 今回の名作ドラマ『つばさ』で、最後の一日(結末)に納得がいかない視聴者としては、それを明らかにして、{女優としては、破格のお嬢様育ちなのだ}と、公言したほうが、『コネ疑惑』などという、破廉恥な言葉を吹っ飛ばせると思いますけれど。どうでしょうか?
               
 お嬢様であること、自体は問題がないと思います。演技と実生活が異なっていたとしてもそれは、問題がないです。きちんと、朝食をとり、きれいなベッドで、起き上がり、元気にスタジオに行くから、10ヶ月の長丁場、自分が主役として、ほかの大勢の第一線の人を、引き連れてやってくることができたのです。

 ただ、もし、周りの人がおもねっているのなら、それは、問題になります。

 でも、今にして思うと、吉行和子さんが、「『つばさ、はばたきなさい』と言うせりふが一番好きです。それを多部未華子さんにも、上げたい」とおっしゃったのは、意味シンでしたね。吉行和子さんもお嬢様です。このメルマガの世界でも、<お嬢様特有の、癖があって、いつも、地が見えている>と、以前、いっていますが、その吉行和子さんは、このドラマで、すばらしい演技でした。

 川越の老舗のおかみを見事に演じきられて、しかも老いらくの恋もあるという素敵なやくどころ・・・・・地が一切見えませんでした。だからこそ、これからの多部未華子ちゃんの前途を心配してあげたのでしょう。

 これほど、有名になってしまうと、自由に恋愛もできませんから。ある意味でかわいそうでもあります。それを心配なさっていたのでしょう。今はそれがわかりました。

                          2009年9月29日 雨宮舜(川崎 千恵子)

 追伸;うえを書いた後での、ことですが、NHKのスタジオパーク、本日、9月30日のゲストが、杏さんでした。19歳の時に、履歴書を持って、アメリカやフランス等で、モデルとして、オーディションを受けた、しかもひとりで、という経歴に興味を持って、Wikipedia で調べるとなんと、渡辺謙さんのお嬢さんだったのです。それなら、行動力があるでしょう。

 でも、二代目としても、こういう風に育つのはご立派ですね。ご立派、ご立派。

 多部未華子さんも、製作者とか、脚本家とか、評論家へと、転進なさるような気がする。大、大、将来の話ですけれど、父君がプロデューサーと言うのは、右脳と、左脳のどちらかといえば、左脳系統のひとなので、そこからの遺伝を考えると、天然自然に役者が、できるタイプでもなさそうです。それよりも、頭を使って活躍したほうがよいでしょう。

 二代目とは、有名になることよりも実質的によい仕事をすることを目指すという意味で、がっついていないところがあるので、それは、よい点でもあるのです。

 最後になりました。昨日より、1時間半程度早く更新していますので、昨日の分を覗いてやっていただけますれば、幸いです。特に、日本時間、午後、3時半前にお読みになった方ですが、・・・・・
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