副題1、『私は富沢家の、四つの、悪を知っていて、普段ものすごく怒っています。でもね。安野夫妻や前田夫妻よりはましだろうと思っています。育ちがいいとわかっています。そして、過去の悪行を富沢家に関しては、忘れている時があります。その方が多いぐらいです。ある日など、石段で、すれ違った富沢氏が、恥ずかしそうに、「マスク忘れちゃって」と言いました。富沢家って、我が家よりさらに上に位置していて、その二人が出会った場所(志一稲荷の下)から、もう一回取りに上がるとすると、六分の五以上を、又、上がらないといけません。つまり、220段ぐらい上がらないとマスクを手に入れられないのです。無論街で、買えます。駅のそばにある、東急ビル内六階のダイソーまで行けば(ただし、歩行器だと、15分はかかるだろう)手に入ります。また、小町通の中ほどにあるangelという洋服屋さんでも、箱単位で、売っています。だけど、富沢氏は、男だから、angel と、言う洋服屋さんに、気が付いた過去があるかどうかを知りません。
しかも、そのころは、現在とは違って、コロナ禍で、みんながピリピリしていたのでした。あの時代だと、小町通りを駅まで歩くだけで、数百人の人から、白い目で見られる可能性があります。そういう時代でした。だから、これから、上がろうとしている私がバッグの中に入れてあった予備の新品を上げました。富沢氏は、私もそうですが、既に足が悪いです。大人用歩行器を買って使っているぐらいです。私の方はリモワのアテンダントバッグとか、サムソナイトの、安いブランドの、アテンダントバッグ最小のものを買い物入れ、及び杖として使っているので、まだ、歩行器は、必要ないのですが、その代わり、帰りの石段が、重い事、重い事。
でもね。私はね。非常に根は明るい人なのです。それに、海外一人暮らしをアーチストとして、経験していますね。三か月が三回も。だから、応用力は高いです。機敏です。オープンマインドです。
だから、さっとマスクを渡しました。新品を一つ。彼は、ありがとうと言って、帰ってから奥様にこのことを言ったのでしょう。夜、奥様からお礼の電話がありました。私はそんなことをしないでいいのに‥・・・と思いました。。電話が盗聴をされているので、また、富沢家が、安野夫人一派に取り込まれて、新しい悪いことが始まるでしょうと、考えたからです。
その通りになりました。水道をめぐるだまし討ちというものはひどいものです。下の狭い道に、水道屋の車を置きっぱなしにして、私の息子が、北久里浜から、持って帰る荷物の車が入らない様にする目的の意地悪でした。
岩本水道店は、実際には、工事も何にもやっていないのですよ。ただ、ただ、いじめる為の目的で、水道が壊れたことにしたのです。しかも置きっぱなしの車には、岩本水道工事店というロゴもないし、ダッシュボードには、携帯番号も置いて居ないので、皆目誰のものかが判らず、どけてくださいと、言うわけにはいかなかったのでした。
もちろん、陰に、安野・前田、伊藤玄二郎、及び、鎌倉警察署の生活安全課の課長、または、この山の警察関連エリートだと、私がみなしている山田さんが、噛んだ、話です。だから、頭の良い彼女(=私の事)は、裏が判る筈で、したがって、ビビって、問題をブログ化できないだろうと、みなして、やられたいじめでした。
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副題2,『ただし、この話の、もっとも大きな弱点は、化学的知識が皆無だと、言う事です。関係した人間の全員にです。その関係者の、内、目の前に現れたのは、富沢夫妻、花輪夫人、水道やの、三軒です。裏にいる、鎌倉市長、警察のエリートらしい山田さん、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長、ご近所住人、安野夫妻、前田夫人などは、私の眼に見えません。だけどね。私は、鎌倉市長が絡んでいるからビビるなんて言う段階ではないです。書きます。ひどい話だと、ちゃんと書きます。
その際に、水道屋にも二回、電話をかけて、二回目には、「市長からの命令で、こういう嘘を実行したのでしょう?」と、質問をしています。すると彼は図星を指されたので、もう、声も出ないという感じでした。
そして、富沢氏です。奥さんに、電話をかけている私の向こう側で、「こういいなさい。ああ言いなさい」と、指導しているのですが、その際に、気圧と水圧の関係を忘れているのです。いわゆる公理の一つだと思いますよ。物理の原初、原初の知識です。あのね、ちゃんと勉強している人で、知識が身についている人だったら、79歳過ぎてたってわすれませんよ。私は、そういう種類の人間です。すべての勉強を点取り主義、または、試験合格主義、または、優(=A)欲しい主義で、学んできた人ではないです。ちゃんと、一つひとつを自分の血肉にして生きて来た人間です。
ここで、金子美都子聖心女子大・元・教授からのいじめに入らないといけないが、ここでは、それには、敷衍しません。煩雑になりすぎるから。
私は富沢夫人には、そういう知識のことは、電話では、質問をしていません。ただ、「お宅の工事のための車両が下に停車していて、ルール通りの、携帯の番号が置いてありません。だから、どけてもらう事が出来ません。だけど、花輪夫人がお宅の工事だと、言って居ました。もう終わったのでしょうか?」と、質問をしているのです。
すると、富沢夫人が、「お昼を食べに行っているのでしょう」と、まず、一つ目の嘘を言います。あのね、この岩本水道工事店って、八幡宮の前の道に沿ってお店があるので、ものすごいレベルの、ご近所住人です。特に車だったら(交差点を抜きにすれば三分で行かれます。ここに車を置いて、お昼を食べに行くなんて、嘘の骨頂です。
そういうことをこっちは知っているのですよ。その上、下の道路に、駐車する際は、ルールとして、ダッシュボードに、携帯番号を置いて、次に利用する人から電話がかかってきたら、どけるというものがあります。その携帯番号がない。それだけでも、普通なら、「ご迷惑をおかけしました」と、富沢夫人は、謝罪をしないといけません。その謝罪がないうえに、後ろから、ご主人が、「もうひとつ、後ろ(駅からの距離でこう言って居る。実際には、北側のこと)の道路に、住んでいる人の工事もやっているから、そのために、あそこに車を置いている」と言いなさいと、悪知恵をつけているので、奥様は、さっきはお昼を食べに行ったと、言って居るのに、直後にご主人の言うとおりに、言いなおしているのです。
上の写真が、その問題の細い道です。どうしても横向きになっていますが、それもまた、CIAのいじめです。仕方がないので、このままで置きます。自転車が右側に泊まっていますね。カバー付きで。それだけで道の半分をふさいでいます。それほど、ほそい道に、なんの用事もない岩本工務店の車が停車していて、我が家の引っ越し(北久里浜から、ものを持って帰る。主人が病気になった2016年、鎌倉から、北久里浜に引っ越そうと思ったのだった。そこに今も持って居る旧宅に引っ越しをしようとして、たくさんの荷物を運びこんであるが、意外と主人が健康を回復したので、鎌倉で、終焉を迎える決意をし直したのだった。で、冷蔵庫やテレビなど、こっちで不要な、ものは、しょぶんしたが、持って帰りたいものもあって、その持って帰るものが来る日に邪魔をされたのだった。主役は富沢家である。
ただ、ひとつ、いじめるという目的のために、ああ、言ったり、こう言ったりの、工夫の限りを尽くしています。それを聞いて居ながら、・・・・ああ、だから、あの家の次男さんは、一時期おかしかったのね・・・・と、思います。👉👉👉へ、続く
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ここで、私は、富沢家が、対・私へ行った四つの悪を、起きた順に書き始めました。で、一回目を、副題3としてに書き、二回目を副題4として、午後四時ごろから書き始めました。しかし、本日の作文としては、前報の後半を、書いたのが先なのです。それは、午前11時ごろから書き始めています。それで、頭もすっきりしています。それを、新副題3として、ここに置きたいです。
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新・副題3、『富沢氏は、栄光学園、慶応卒で、三菱重工勤務というエリートなんですけれどね。同じ様な基準でいうエリート=日吉の赤津氏一家と比較をすると、驚くことばかりである』
この松竹問題と、同巧異曲のいじめには、一万回以上も出逢っていますよと、言いたい。ここでは、富沢家の水道ポンプが壊れた話を取り上げよう。最近書いたことと関係しているので、リンク先が見つけやすいからだ。
この章の主役赤津さんは、日吉で1950年に売り出された東急の分譲地を三区画買った方で、90歳を超えて、自宅を壊して、新築なさったのです。リフォームではない。その島の中は、8区画に分譲されていたのですが、長い間、4軒しか家が無かったのです。どういうことかというと赤津さんも富裕な人ですが、その西側=我が家の東==が、同じく三区画買っていたからでした。で、その通りは社長通りと揶揄されていました。
そのリンク先を提示する前に、私が富沢さん一家の事を、どうしてこれほど、バカになったの?と、あきれ返っていると、言わせてください。しかも年齢以外は、そっくりな育ちと高収入を得ている、日吉の、赤津家と、よく比較していて、さらにそのバカ化程度にあきれ返っていると、言うわけです。
今までは、このブログ内で、「内心では、赤津家と比較して、何時もあきれ返っているのですよ」と、言う事は書いてきていません。しかし、母が下関へ、旅行をしたのは、大昔の筈です。父が亡くなって、介護の必要がなくなったから、故郷に帰ってみたのでした。しかも、胸に微細な骨折が、入り(父の体重が重かったので、看護師さんと、二人で、ひっくり返すにしても、母の肋骨には、大きな、負担がかかったそうです)自分の死も近いだろうと、考えたから、父の葬儀、相続が片付いたら、すぐ、下関へ、行ったはずで、1990年より前の話です。だからね。33年間、赤津家(東大卒)と、富沢家(慶応卒)を、私は、比較していたのです。
恥ずかしいと思いませんか? おやりになっていることを。私は、このブログで常に言って居ます。今は江戸時代ではない。だから、他者の過去とか、家柄などは、よくわからない時代だ。だから、決して失礼なことを隣人にしてはいけないのだと。ところが反対に嘘までついて、他人をいじめているのですよ。驚くばかりです。
嘘とは、気圧と水圧の関係の、中学で習う知識に反する嘘です。
慶応に入る前は、栄光だそうですが、栄光で、勉強していた事って、ただ、東大に入る為の、お受験対策だけだったのですか? どうして、気圧と、水圧の関係の、基礎知識もないのですか?
以下のリンク先は文章が長いです。でも、ご興味があったら、開いてご覧ください。栄光学園卒の人が、これほどに、バカ化するとは、驚くばかりです。と言いながら、夜10時から、簡単にしたの文章をまとめていきます。
詳しくは下を開いていただくとして、我が家へは、鎌倉街道から、鶴岡八幡宮の、普通車(バスではない、個人用の車)の二つの駐車場の間の細い道(家に写真を載せている道)を、30mぐらい進んでから石段を上ると、言う形式になっています。その前日、久里浜から、荷物を、持ってきてくれると、息子が言ったので、荷物運び用に、石段を上がる人材を探しまくりました。私たち夫婦はもう年でね。石段を荷物を持って上がることが、無理だったからです。その交渉は、電話でしました。固定電話は、常に、盗聴をされています。
その様子が、困っている様に見えたので、更に困らせてやろうとして、下記の富沢家のいじめが案出されたのです。そんなことはすぐわかりますが、一般人は、固定電話の盗聴はできませんね。だからこれも、警察の仕業で、CIA(=警察)が、かわいいと思っていて、サポートしまくる安野夫人を助ける為の工作でした。今、直面している松竹問題(歌舞伎座に入れなくなる。歌舞伎を見ることが出来なくなる‥・・・も、後ろに安野夫人が居るので、急に安野夫人が過去に行った悪事の一つとして、こちらの問題を取り上げることとなったのです。安野夫人が過去に行ったことも、いずれ、書きますよ。ただ、本日は富沢家に限ります。唯ね。安野夫人は、この松竹問題で、私には、勝ったと思い込んでいて威圧のために、目の前に現れたりするのですが、なんとあそこの猫も威圧をするために目の前を通るのですよ。(苦笑)
さて、上野写真で、は、オレンジ色の家が我が家です。これは、今回の問題用に、撮った写真ではないので、矢印が富沢家には、ついて居ません。s易化し、オレンジ色の我が家から見て、右上に、小さく白い家が見えませんか? これは、前田家の前の道から撮っていますので、近景の笹が、大きく表出しています。その笹たちの一番右側のポーンと突出して立っている一本がありますね。先端が、双葉みたいに別れているもの。その真ん中に小さく見える、白いおうちです。我が家の左側は、とても良い大工さんが増築してくれた家なので、高さが、5mはあります。その二倍の高さの位置にその家があります。そこは、山の頂上で、しかも家が一軒だけ建っているので、見間違えることはありません。
s花輪夫人と富沢夫人から始まり、岩本工務店が主役のいじめ用罠は、実際は鎌倉市長発で裏に伊藤玄二郎が居てね△
そこには、鎌倉市の水道は、届かないのです。水圧が足りないので。でね。富沢家では、我が家とほぼ、同じ高さに、置いているタンクに水をためて、そのタンクから、自宅まで、自分個人で、買い求め、使っているモーターで、普通の家よりも10m高い分を揚水するのです。そのタンクの写真が以下です。
上は富沢家固有のタンクです。私は嘘をつかれたことが、花輪夫人の家の玄関先で、すでに、判っていたので、すぐ、この富沢家のタンクを見に行きました。岩本水道工事店の車がまだ、下にある段階です。だから、治したばかりでしょう。さすれば、このタンクのふたが開いた、または、閉めた形跡があるはずですよね。それが、無いです。しかも、ビニールホースで、揚水したと、聞きました。が、それが、成功するまで、何度もトライするでしょうから、あたりは水浸しの筈ですよね。しかし、水なんか、どこにも飛び散った形跡がないです。もう、200%の嘘つきです。
でもね。井上ひさしのアイデアだったとしてもです。花輪夫人の段階で、「これは、嘘だから、私は協力できません」といわないとだめです。だって、都庁勤務だったのでしょう。で、年金が高いから、いいお洋服を着ていますね。高いものを着ています。だけど、この気圧と水圧の関係は、中学校段階の理科の知識ですよ。ただ、栄光卒の富沢氏と比べると、この問題が、わからなくてもまだ、罪は軽いです。でもね。高額の年金をもらっている元公務員だとすると、こういう嘘をついてはいけません。そしてね。はっきり言って、私は貴方を、過去に、「この山で、一番頭の良い人だ」と言っていますが、本日は少し訂正しないといけなくなりました。むろん、昔だって、そこには、私を計算に入れていない発言なので、教養とか学問的知識という意味では、私の方が上だけどなあと、言う自負は、私は持って居ましたよ。ただそれをあなたの前で、見せなかっただけです。・・・・自分の方が上です・・・・と相手の目の前で、見せる態度なんて、私に言わせると野暮の骨頂で、育ちが悪いのだと、なるだけだから。
ただね。あなたは、「ここではどうふるまったら、自分が有利で、しかも、周辺を傷つけないか?」という判断に関しては、優秀です。同じことを必死でやっているのが安野夫人ですが、彼女のやり方はやぼったいし、下品です。欲望丸出しだから、汚いなあ。という印象を抱きます。花輪夫人の場合、汚いなあと、思う回数は少ないです。しかし、汚いなあと、思う回数が全くないかというと違います。まだ、富沢夫人の方が、裏が、ぴゃっ、ぴゃっ、ぴゃっと、わかるので、かわいいと思うし、汚いと思う回数が少ないです。
なお、ここでの判断ですが、最近引っ越してきた、石井秀樹あずさ夫妻。関本夫妻、白井夫妻、平木夫妻は、抜かします。この人たちはハイスペックです。だから、彼らの中の上下関係など、うかつに口に出すわけにはいきません。
女って浅はかで化学(又は科学)の知識を理解できない・・・松尾市長・岩本工務店・伊藤玄二郎・富沢家が仕組んだ水圧と気圧に関する嘘
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新副題4、『上の副題2の最後の👉 👉👉👉から、ここへ続く。私に対して、冷たい行動をとることができると言う事はご家庭内で、ご自分のお子様に対しても、同じでしょうと、思い当たるのだった』
今は、すごくいい男性(紳士)となった次男殿ですが、彼が、中学時代は、夫婦二人して、冷たくしたのでしょう。三男を偏愛して・・・・と、思い至った次第です。西隣に住んでいた遠藤夫人(のちにお子さんを妙本寺にお嫁入りさせた。その結婚の話もまた、敷衍しないといけない政治問題なのですが、今は敷衍をしません。)が、私に対して、ご注進、ご注進という感じで、「大変よ。富沢さんの坊ちゃん、石段で、タバコ吸っていたわよ。ねえ。まだ、中学生でしょう?」と言ってきたほどです。私は遠藤夫人には、くみしませんでした。彼女は、そのころ、まだ、幼稚園に子供を通わせていた時期なので、中学生ぐらいの子供の、心理など、知らない女性なのです。だから、「あ、そうお」という感じで、軽くいなしておいて、富沢家にも告げませんでした。遠藤夫人は、自分のママ友には、散々このことを、話したと思いますよ。富沢夫妻が、三男を偏愛しているのは、次男さん当人だけではなくて、私の様な他人でさえ、気が付いていました。だけど、それをやめさせるわけにもいかないでしょう。他人の私が。
で、夫婦そろって、水道屋の車を止めて、北久里浜から帰ってくる私宅の、荷物の運搬を、邪魔してやろうという風に、いじめてくる、わけです。その富沢夫妻の、雰囲気を、向こう側に感じながら、私は、決して負けてはいませんでした。富沢夫人が、そういう間違ったというか、嘘を言う対応だから、水道やに直接電話をかけたのです。そして、このいじめが市長発だと、知りました。
だから、富沢夫妻も、花輪夫人も強気だったのでしょう。
だけど、富沢氏って、神奈川県一、入試の偏差値が高くて、超人気の中高一貫校である、栄光学園出身ですよ。そして慶応大学の、理工学部(だと推察している)に進んで、三菱重工勤務です。たぶん、核燃料棒製造部門の立ち上げに参加しています。久里浜に、作られたので、鎌倉から通勤するのに便利ですからね。
で、体を壊しています。だから、本当は、原発に反対している私なんかと、連帯しないといけないのに、反対に動くのだから、そういう意味でも哀れですね。お気の毒だけど、哀れな人です。
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副題3、『一回目のひどい事は、バスの中で、後ろから、あら富沢さんと、肩を叩いて声をかけて挨拶をした私を、犬みたいに、追い払ったこと。二回目は、妙本寺の、お嫁さんに、遠藤家のお嬢様が成ったことを奥様が、私に知らせた事』
これが、何時だったか、殺人事件でもないので、記録を取っていません。そして、両方ともに、大きな展開を見せます。単純にメモ化して、メモとして、記載を続けます。浜銀と東日本銀行の合併と、浜銀のコンコルディア銀行への改名。養老孟司先生が、伊藤玄二郎の言うなりであり、安野夫人に協力をしている事。平木家のご長男が、推薦で、東大へ入学できた影に伊藤玄二郎から頼まれた、養老先生の推薦の言葉が無かったか? 養老先生の愛猫【まる】の死亡、そして、養老先生ご自身の病気・・・・・
北久里浜の大大、実質的大詐欺事件の、首謀者に協力した、東日本銀行の当時の名前である常盤相互銀行に勤務していた上滝家のお嬢さん(今は、54歳だから、結婚をしていて名前は、消えているだろうが)、お菓子を毎日、毎日、盗み食いをしていた話・・・・・なぜ、そうなるかというと両親がお金をけちって幼稚園に入れていなかったからだが、これが多分、浜銀の改名と、妙本寺のお見合いに結び付いていき、我が家の旦那寺、宗興寺の中野誠哉(多分曹洞宗、事務方トップ)氏が、浄智寺さん=朝比奈恵温氏の、教唆命令により、私をお寺のくせに裏切ってこられた話・・・・・とかが、政府の幼保無償化に結び付いていくのです。それで、富沢一家が、このころからCIAにリクルートをされていることが判ります。そして、妙本寺のお嫁さんのケースを、私に教えてくれたのが第一階の、敵からの攻撃だったのです。というのも遠藤夫人というのは、毎日庭ごみを、一メートル低い我が家に掃き込んでいる人だからです。そう言う家のお嬢さんが、鎌倉一お金持ち(土地を広く、大勢の人に貸している。駅に近いので、地代は、高いはず)の、お嫁さんになったと、聞くのは、不愉快ですね。
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副題4, 『次に裏切ってきたのが高枝切り事案だった。それは、後半に、リンク先を置いて置く』
私を殺そうとする、鎌倉エージェントたちは、心理的にダメージを与えようとして、富沢夫人に、遠藤家のお嬢さんが、妙本寺のお嫁さんになったと告げた。
次に起きたのが高枝切り事案だった。(リンク先は、後半に置きます)上の妙本寺ついておしらせがあったのは、心理面での殺人予備行為だが、高枝切り事案は、体に対する攻撃で、これも殺人予備事案である。
ところで、1994年か1995年ごろ、安野夫人が高飛車に、「お宅の坊ちゃんに、絶対に家にいてもらわないと困るのです。次の土曜日にね」と、命令してきた。何の事だろうと、その時はわからなかったが、うちの子は、「あ、そう」、という感じで、その命令には従わず、彼=安野家の次男をすっぽかした。すると、二人で、訪問をしてきた安野家の次男は、、我が家の玄関で、地団太を踏んで、悔しがった。息子は何も言わないので、何が起きているのだろうか?と不思議だった。
というのも鎌倉御成中学で、同期生だったが、一切付き合っていなかった。だから、なんで、今頃(27歳ごろ)になって、安野家の次男が、訪問をしてくるのかが不思議だった。
しかし、その五年後ぐらいに訳が分かった。娘が結婚する前に、この家で、起きたあれこれを語ってくれたのだ。思い出として。1984年の9月初めの事。
「お母さんが塾の先生をしていたころ、お兄ちゃんが血だらけで、帰ってきたの。ああいう子たち(学友を暴力によるリンチにかける男の子たち)って、本当に性格が悪いのよ。制服で隠れているところだけ、棒か何かで、ぶったらしくて、血だらけの怪我をしていた。でもね、「おかんには、絶対に言うなよ。絶対に」と、言うから私が洗濯をして、おズボンは急いで、布で、ぬぐって、そのあとでアイロンをかけて、乾かして、制服のシャツも非常に時間がかかったけれど、あらったの。これは、替えがあるからいいけれど。お母さんが気が付いたら大変だからね。そして、直るまで、薬を塗ったのも私よ」と、言ったのだった。唯ね。お兄ちゃんは、たった一人で、相手三人をやっつけて帰ってきたのですって。だから、それ以降、いじめられることはなかったの」と。
このころ主人が北久里浜の大悪人、(北久里浜の水道山1200坪を只で、私有化するという地積変更届を利用した、実質的詐欺事件の首謀者、益山重夫と、その親友という瀬島龍三)達に、松阪のセントラル硝子に、出向を命じられていました。だから三人だけの母子家庭だったのです。
そして、塾のある場所は、大船今泉台というところで、交通の便が悪いので、車を運転しない私は常に、夜11時頃帰ってきていたのです。私はね。息子と娘の賢さに、本当に感謝します。引っ越してきたばかりで、うちの子の、背が高くて、美形だと、大原光孝さんだって、言ってくれるほどの、かっこよすぎる姿に嫉妬されて、こんな暴力を受けたと知ったら、大いに苦しんだと、思います。相手方三人は、こういっては、悪いけれど、みんな背が低くて顔が悪かったです。ただし、しっていたら、学校にこの被害の事を持って行ったかもしれない。すると、結果は、非常に悪いこととなります。いじめらる子は、親が乗り出したいですが、それは、本当に悪い結果をもたらします。
さあて、私は富沢夫妻が、不思議なのです。そして、ご長男も不思議なのです。この山は樹木が多いので、静かです。富沢家のゴルフ練習が、高低差、10mの我が家にも聞こえます。そして、こういう暴力沙汰を行う事が出来る場所って、三区画買った富沢家の林以外にないのです。
お兄ちゃんは、すでに、大学受験の勉強に入っていたでしょう。両親と、さんなんはテレビを見ていたので、気が付きませんでしたか? でも、お兄ちゃんは、自室で、静かに受験勉強をしていたと仮定すると、四人の少年の内三人が棒を使って、或る一人を打ちのめしていた、その物音が聞こえなかったというのが不思議ですね。一人(=うちの子)は、(棒なんか使っていたら、力が入らないと思うし、機敏に動けないので、)素手で、戦っていたと思いますよ。草が倒れる音、落ちている小枝を踏みしだく音。それらが、聞こえないはずはないのです。どうしてご両親に「大変だ。何かある」って伝えなかったのかしら? それとも事前に、「今度、引っ越してきた川崎をしばいたるから、気が付いても、口を出さないで」と、次男殿から頼まれていたのですか?
そして相手は、ゲームとしてやっているのだし、三人いるから余裕でしょうが、うちの子は、一人ですね。たった一人です。だから、必死です。で、棒なんか見つけている暇もないし、棒を使ったら、かえって、機敏さが失われます。で、腕とこぶしだけで戦ったとしたら、相手には、血は、出なかったと思います。でも、次男殿が、夜九時ごろ、帰ってきたとき、又は朝ごはんの時に様子がおかしかったはずです。気が付かなかったのかしら? 不思議、不思議です。
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助成金を出す為の審査に、行っていないのに行ったと言い始めた吏員の嘘で、鎌倉エージェントの悪辣ぶりが判って来る 2016-09-26 18:05:45 | 政治
高枝切と言う大攻撃があったが故に、超・肥満体である隣の奥様について、思い出が溢れ返ってしまうのだった 2016-10-01 00:58:46 | 政治
鎌倉市立・御成中・生徒が、路上喫煙をしていた場所・将にここ雪ノ下で、禁煙ファッショが始まり、大口病院事件も起こされた 2016-10-03 03:04:34 | 政治
鎌倉市職員、S氏こそが、御成中学校に多大な不名誉を招いたのだった。雪ノ下少年リンチ事件ー3△
高枝切りを16-10-5時点で考察し、強者が税金を使って、自分たちの悪を隠す典型である事と絶体絶命の私が助かる三すくみ理論について。
伊藤玄二郎と、阪中英夫の結託について・・・・・・鎌倉にも豊洲と同じ問題が、秘匿をされている
アスクル大火は、放火だー4・・・・・・川喜多記念館、の樹木伐採への税金・適用の不審さを考える・現在加筆推敲中
鎌倉市長は、高枝切りに関して、伊藤玄二郎の依頼に対して忖度をしましたか? 金銭的な部分についてですが、時期に対しても忖度しましたか?
三菱重工が横須賀で、核燃料棒を、製造をしている秘密が判明したのは、そこで被爆したご近所紳士Tがご近所主婦Oと共に、私を罠に引っ掛けた結果だ(苦笑)
驚いた。久里浜の核燃料棒製造工場が、余りにも、直裁な会社名をつけているからだ。それだけ、国民全体が麻痺しているのだろう
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