豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

「天空の星たちへ」

2020-03-28 | 気になる本

青山透子(2010)『天空の星たちへ』マガジンランド 
 1985年8月12日、日航機が御巣鷹山の尾根に墜落した。亡くなった人が520人、生存者が4名であった。事故原因がはっきりしない。現場が直ぐに特定されない。情報も公開されない。日航、政府の責任もあいまいである。著者は元スチューワデスで、仲間が無くなっている。運が悪ければ事故に遭っていたかも知れない。事故のショックから時間がたち、遺族と同じく原因が特定されないことに疑問を持ち、空の安全を願い徹底的にヒアリング資料収集を行い、調査報告書にも疑問を持ち、本書を出したのであろう。「沈まぬ太陽」と違って、事実を客観的に調べ描写するノンフィクションであるが、読みやすい。私は「遺物は真相を語る」から読み、この本から読み直すことにした。以下、隠蔽を葬ることなく真実を科学的に追求するこの本の、部分要旨である。
 日航機の垂直尾翼の一部・方向舵が相模湾で見つかり、操縦不能で墜落の可能性の記事。(垂直尾翼はまだ海に沈んでいる)
 8月16日の事故原因、まだボイスレコーダーを聞いていないのに隔壁破壊説が、毎日新聞に載った。ボーイング社とNTSBスタッフは現場より、垂直尾翼の検分を優先した。隔壁にひびがあったのか、事故後どうしていつ隔壁は切り刻まれたのか?さらに、隔壁の破壊が原因なら後部にいた生存者はどうして助かったのか疑問がある。8月27日の中間報告では、ボイスレコーダーとフライトレコーダーが中心で、隔壁のことは触れていない。しかし、アメリカの新聞に、当該機が尻餅事故を起こして修理ミスが原因、と発表された。1987年最終事故調査報告書では、原因は修理ミスによる隔壁の破壊とし、生存者は奇跡とした。520名の命を失われた大事故は、誰も責任を問われることなく、1990年時効となり封印された。2000年8月8日民放テレビで、突然ボイスレコーダーの声が放映された。15年目の節目であった。この前の1999年には、事故調査委員会の資料1トンが細断され焼却された、と毎日新聞に報道された。
 墜落現場がころころ変わる。なぜ直ぐに特定できなかったのか?黒澤上野村の村長は、一体誰が御座山などと遭難地を断定したのか、責任者は誰か疑問を残す。中曽根首相の1日は、夏休みで軽井沢の別荘とは?現場には、警察、消防、消防団、医師会など多くの団体が関わった。現場が特定されていれば、生存者も増えただろう。
 JALとJASの合併、優待券で経営もおぼつかない。生き甲斐が感じられない職場になったのか。
 「沈まぬ太陽」のエストラに参加し、当時の現場で活躍した飯塚訓氏と大國勉氏に会うことを決めた。飯塚氏は群馬県警で身元確認班長をし、「墜落遺体」という本を書いた。大國氏は警察医で歯科医師である。DNA鑑定も一般的でない時代に、不眠不休で歯型からすべての身元を確認した。2009年10月27日現場を、村長だった黒澤丈夫氏、生存者を助けた黒澤武士氏、大國勉氏で訪ねた。現場は広範囲に渡っていたが、遺体が集中した場所が特に黒焦げ炭化状態であったという。
 2010年1月19日JAL倒産、負債総額2兆3千221億円。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする