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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「異端者の家」

2025年04月29日 09時10分57秒 | 映画(2025)
誰もが支配したがっているんだ。


政治と宗教の話はタブーとよく言われる。思想が異なる相手だったときに面倒くさいことになるからという理由に尽きると思うが、それは個人の思想を更に膠着化させることにも結び付いている。

こうした状況は宗教の二世問題にも深く関係する一方で、特定の宗教を信仰していない家庭環境で生活をしていた場合には、宗教が持つ特別な価値観に気付けないまま年齢を重ねてしまう=免疫を持てないという側面も持つ。

日本人は往々にして後者が多く、自分も例外ではないのだが、外国では宗教が話の核心に置かれている映画が頻繁に作られる中で、そういう作品は理解するのがなかなか難しい。

本作も話のど真ん中に宗教観が据えられている。タイトルにもなっている「異端者」であるリード氏は、見た目こそ温和で上品な中高年男性(なにしろH.グラントである!)であるが、実際は問答を繰り返しながら相手の心を侵食しようとするモンスターである。

彼の家を訪れたのは二人の若い女性宣教師・シスターバーンズとシスターパクストン。2人組で自転車に乗って個別に布教活動を行う姿は大昔からよく目にしたモルモン教の姿である。

キリスト教についてそれほど知識があるわけではないが、モルモン教はキリスト教の一派であり、必ずしも本流ではないということは何となく感じていた。

リード氏は、教典の詳細な資料の入手を希望すると言って二人を自宅へ招き入れる。教会にとって関心を持ってくれる人は貴重であり、二人は初めて会うリード氏に不安を感じながらも丁寧な応対に努める。

大雨の中で玄関口に立たせておくわけにはいかない、妻がブルーベリーパイを振る舞うから少し休んでいかないかと声をかけられ、家の中に足を踏み入れた二人。しかし、その家はリード氏が支配する唯一神の世界であった。

物語におけるリード氏の行動の動機は不明であるが、一般の世界に置き換えたときに、似たようなシチュエーションは多くあると思う。つきつめれば、どんなときでも人は自分を優位な立場に置くことを試みると言ってもいい。

リード氏は、モルモン教の立ち位置について、ボードゲームやポピュラーミュージックの歴史になぞらえて、本質的なもの反復に過ぎない、つまり偽物だと非難する。彼の理論はそれなりに筋が通っていて、シスターパクストンは「新しい視点に気付かされた。私たちは間違っていたのかもしれない」と感想を漏らす。

彼の支配への行動は続く。目の前で神の再生を見せると言って、家の奥から預言者として登場した女性に毒入りのブルーベリーパイを食べさせる。そのタイミングで行方不明の二人を探して教会から別の宣教師が家の呼び鈴を押した。

やはり宗教的要素が強かった「ロングレッグス」がオカルトに寄っていた中で本作はどうなのかと推移を見守っていたが、後半はある程度分かりやすいエンタメ作品にまとまっていた。

モルモン教のシスターを主役に据える設定や、二人の人間的な性格や感情を掘り下げて描く下りはおもしろかった。地味でおとなしめなシスターパクストンがリード氏の標的となる構図は切なくなるほど的確である。

そのシスターパクストンが突然名探偵コナンばりに推理を働かせて覚醒するのはご愛敬。冒頭にシスターパクストンがセックスの話をしていたことと関連していて、彼女の内にある異端な部分が現れてリード氏と対峙したという理解にとどめておく。

話の展開としては、協会がもっとリード氏を怪しまなければおかしいと思うし、大雨じゃなかったらリード氏のシナリオ通り進んだのか?などツッコミどころは多数あった。

分かったこととしては、人は知らない間に絡めとられていつの間にか動けなくなってしまうということ。気付けたら何かできるのかもしれないけれど、「いつの間にか」というところが問題なので解決するのは難しそうである。

(70点)
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「ミッキー17」

2025年04月17日 21時06分59秒 | 映画(2025)
人間はマイルドにもハバネロにもなれるのだろうか。


ディストピア臭がする近未来を舞台にした作品は個人的に好みである。設定の自由度が高い中で、どれだけ想像を超えたものを見せてくれるかにワクワクするのである。

今回、「パラサイト 半地下の家族」B.ジュノ監督がハリウッドの資本を使ってその世界に挑むというので、期待は相当高かった。

主人公は人生ほぼ詰み状態の男・ミッキー。友人に誘われてマカロンで一攫千金を狙うが、大失敗して出資者から追われる羽目になり、これは地球から逃げ出すしかないと過酷な宇宙バイトの契約を交わしてしまう。

そのバイトは、自分の肉体や記憶のデータをコピーして何度も再生できるようにするというもの。ただ、何度も再生できるということは何度でも死ねるということでもあり、ミッキーは宇宙空間に存在するあらゆる未知の危険にさらされ、その度に惨い形で命を落としていく。

絶命するのを見届けると、宇宙船内の科学者たちがコピー機を使って次のミッキーを3Dプリンタのように作る。タイトルになっている「ミッキー17」というのは、16回死んで生まれ変わってきた17人めのミッキーという意味である。

そのミッキー17、作品の冒頭で大地の裂け目に転落して既に瀕死状態に陥っている。そこにやって来るのは未知なるクリーチャー。どう見ても生き残るのは無理というシチュエーションから奇跡が始まるのであった。

ミッキーの独白を含めた説明が長かったり、クリーチャーとの翻訳機をドラえもんのようにあっさり作ったり、少しやっつけ的な部分も目立つものの、独特な世界観はおもしろい。

死んだものと決めつけて新しくプリントアウトされたミッキー18と17の関係も興味深い。コピーなのだから判で押したようなミッキーが生まれるはずという思い込みをうっちゃって、17と18をまったく違う性格にすることによって物語が一気に広がりを見せるのである。

同じ人間のはずなのに対立したり嫉妬したりするユニークな展開を経て、時間をともにしていくうちにバディのようになっていく二人。こんなに違うのに同じように愛情を注いで、奇妙な三角関係を楽しむ恋人のナーシャの存在もユニークである。

一方、敵対するのは宇宙船を支配する政治家かつ実業家のマーシャル。「哀れなるものたち」以来、すっかり情けない役が板についてしまったM.ラファロが、ミッキーたちを卑下し、立てついてくる者を徹底して叩き潰そうとする自分本位な人物を、小物感たっぷりに演じている。

他にもほぼすべての登場人物のキャラクターが立っていて、上述のミッキーのナレーションと相まって、映画自体が分かりやす過ぎるくらい分かりやすくできている。このクオリティであれば、B.ジュノ印は次作以降も期待したい。

(80点)
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「アマチュア」

2025年04月13日 19時10分35秒 | 映画(2025)
一芸に秀でることは、すべてに通ずる。


そういえばR.マレックってオスカー俳優なんだよな。チャンスを見事につかんで俳優としての箔を付けた彼だが、今でもあまり主演を張る作品は少ない印象だ。

そんな彼がメインストリームの娯楽作品で主演を務めるのが本作。演じるのは、ある事件に巻き込まれて犠牲になった妻の復讐に燃えるCIAのサイバー専門捜査官・チャーリーである。

アクションもふんだんに盛り込まれている作品だが、チャーリーは腕っぷしに物を言わせるタイプではない。CIA幹部に対し、犯人グループと戦うために特殊訓練を受けさせてほしいと訴えても一笑に付されるような人物である。

しかしチャーリーにはIQ=170という別の武器があった。犯人グループとCIA幹部の関係を見抜いた彼は、証拠書類を盾に別人の身分証明書などを作らせて国外脱出に成功。ヨーロッパの各地で暗躍する犯人グループへの復讐に単身向かうのであった。

予告で「殺しはアマチュア」と言っているとおり、銃を手にしても何もすることはできないが、ハッキングなどデジタルスキルを活かした作戦についてはプロ中のプロ。4人の犯人グループや、チャーリーの動きを止めようと躍起になるCIA幹部を、思いもよらない手段でやり込めていく様は爽快である。

最初に犯人と対峙したときには、温情を見せてしまい危うく反撃されそうになるが、その後は冷酷さも身につけていく。ずっと室内勤務だった捜査官がほどなく世界を股に掛けたスパイものの主役になれる点はフィクション要素満載だし、どこからどこまでがチャーリーがあらかじめ描いた筋書き通りなのかよく分からず、少しご都合主義なのでは?と感じるところもないわけではないが、気軽に見る娯楽作品としては十分良くできている。

R.マレック自身、007の悪役を演じていたこともあったから、切れ者の役にも違和感はない。裏で手助けしてくれた人たちの退場は残念だったが、CIA幹部に追っ手として指名されたL.フィッシュバーンは、チャーリーにある種のリスペクトを抱く人物として独特の位置付けとなっており好感が持てた。

(70点)
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「エミリアペレス」

2025年04月06日 20時39分58秒 | 映画(2025)
情熱が交錯する街、メキシコ。


実は本年度のアカデミー賞で最多部門にノミネートされたのは本作であった(12部門13ノミネート)。

しかし受賞に至ったのは、かねてから本命視されていたZ.サルダナの助演女優賞と歌曲賞の2部門に留まった。特にトランスジェンダーとして初めて主演女優賞のノミネートされたC.ソフィア・ガスコンは大いに注目を浴びたが、過去の発言が炎上したことが響いたためか、半ば賞レースから除外される形となってしまった。

このように内容よりも周辺の話題が盛り上がっていた本作。予告篇を見るかぎり、メキシコの麻薬カルテルのボスが性転換をする話らしいが、サスペンスなのか社会派なのかどうにもよく分からなかった。

眠くなるのも覚悟の上で鑑賞に臨んだのだが、冒頭でいきなりZ.サルダナが歌い出した!なんと、これはミュージカルではないか。

この欄で何度も書いているが、映画の醍醐味は、今まで観たことのない世界を経験することにあると思っている。

ミュージカル=キラキラした夢やファンタジーの世界という定型の図式を大きく飛び越えて、本作の舞台はメキシコの麻薬組織の周辺である。この設定に違和感を覚えるのは偏った先入観かもしれないが、スペイン語の独特のリズム感やラテン系の音楽はミュージカルとあまりにもミスマッチで、逆にすごく心地良く耳に入ってきた。

歌われる歌詞の内容も、裁判がどうだのとか、脅しの台詞をリズム感良くしゃべるとか、いわゆるミュージカルとはかけ離れた世界が繰り広げられるところも非常に新鮮であった。

物語もなかなかクセが強い。麻薬カルテルのボスであるマニタスは、人生を変えたいと性転換手術を希望しており、腕の良い医師を探し秘密裏に事を進めることのできる有能な人物を探していた。そこで白羽の矢が立ったのがZ.サルダナ演じる弁護士のリタであった。

リタはマニタスの家族にも知られることなく、イスラエルの美容整形医師を斡旋し、手術は成功。大金を手にしたリタは輝かしい未来へ向かって進めるはずだったが、ある日、彼女の前にエミリアペレスと名乗る女性が現れるのだった。

リタの前に性転換後のマニタス=エミリアがやって来るのは、予告篇を見ても分かっていたが、まったく未知だったのはその後のストーリーである。エミリアは何故リタの前に姿を現したのか。望みはいったい何なのか。

リタは当然身構える。秘密を知っている自分を消しに来たに違いないと。しかし、エミリアがリタに求めたのは、まったく違う次元の希望であった。

マニタスとして裏世界で成功した男は、エミリアという女に生まれ変わって180度異なる倫理観で生きようとする。その対比に驚くが、エミリアの人間力なのであろう。新しい世界でも彼女は見事に事業を軌道に乗せてみせる。

しかしどう考えても、この物語がハッピーエンドで終わる気はしない。すべてを捨てて生まれ変わったはずのエミリアだったが、どうしても心の中から排除できなかった家族への愛情が湧き上がってくる。

マニタスの妻を演じたのはS.ゴメス。アイドルやモデルとしての活躍が目立ってきた彼女だが、情熱的で気が強いラテン系の女性が実にハマっている。これからも俳優としての仕事は増えるだろう。

自分に正直に生きて命を燃やした3人の生き様は切ない結果に終わるが、不思議ともの悲しさやがっかり感は少ない。それはミュージカルという形式によるとともに、ラテンアメリカの空気感がそう感じさせたのかもしれないと思った。

とにかく独特の世界観が新鮮でおもしろい。ラテンと音楽はもともと相性が良く、楽天的でタフなラテン文化と融合することで、新しいミュージカルの形を見せることに成功したのである。

(90点)
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「BETTER MAN/ベターマン」

2025年04月03日 20時29分17秒 | 映画(2025)
“Rock DJ”はグループの曲ではなかったはず。

Take Thatのデビューが35年前だと聞いて改めて驚いた。もうそんなに時間が経っていたのか。

1990年といえば、わが国もアイドル冬の時代と言われていたころで、この映画の中でもボーイズグループはまったく商売にならないと思われていて、はじめはゲイを対象としたキワモノ系で売り出していたことが描かれている。

しかし彼らはそんな逆境を跳ね返して、英国から世界へと羽ばたいていった。そのグループの中心にいたのがRobbie Williamsで、人気もあったけど周囲と様々な確執を招いた問題児でもあった。

ライトな洋楽ファンにとっての知識はそんなもの。洋楽に関心のない日本人であれば、存在を初めて知ったというケースも多いだろう。

その彼を主人公にした伝記的映画がわが国で拡大公開されることになったのは、あの「グレイテストショーマン」のMichael Gracey監督が手掛けた作品だからにほかならない。

加えて本作では、Robbieをサルとして描くという奇抜な手法がとられたことも話題の一つとなった。映像技術的には何てことはないが、サルがミュージカルを演じることでどのような効果が生まれるのかに興味が湧いた。

ライトな知識の中では、自信家でわがままなザ・芸能人というイメージしかない彼だが、本作で赤裸々に描かれるロバート(本名)は、小さく頼りなさげで孤独な一人の人間であった。

サッカーで活躍できずに周囲からののしられる彼、ショウビズ界を夢見て家族を置いて出て行く父を泣きそうな表情で見送る彼、仕事がうまく行きはじめても自分の失態で周りの人が次々に離れていく彼。

そうしたエピソードが描かれるごとに、彼の姿がサルであることに必然性が伴っていく。

彼は周りとは違うことを自覚しているが、それは肯定的と否定的の両方の側面があって、唯一無二の存在であるという自信の裏側には、周りにうまく適応できない不器用さや怖れが隠れている。それはあたかも違う種類の動物であるかのように。

そんな自分を隠そうとして敢えて大げさに盛って売り込むことで、彼はショウビズ界で一気にスターダムに上り詰めるが、アイドル活動も人間関係も、結局どこかで無理が生じて破綻してしまう。

そうしたことを繰り返しているうちに、彼の肉体と精神は次第にむしばまれていく。ドラッグの影響もあったのだろう。ステージでパフォーマンスをしていると、潜在意識にあるネガティブな自分がサルの姿で客席に現れて、威圧的にこちらを見ている幻覚を見るようになる。

そしてついに再起不能寸前まで叩き落とされたときに、彼はようやく大事なものに気が付くのであった。

初めて知ったことも多かったし、物語としては非常におもしろかったのだが、芸歴35年とはいえRobbieはまだ現役真っ只中であり、この手の伝記的作品を作るのはどうだろうという疑問は拭いきれない。

問題児だった彼が改心しました、めでたしめでたし。と完了形で言ってしまっていいのか。今後彼が決して薬物に手を染めないと言えるのか。

彼だけではない。All SaintsのNicoleとの恋愛話やLiam GallagherやGary Barlowとの確執なんかも結構赤裸々に描いてしまっているけど、大丈夫なの?と正直なところ思った。

でもまあ、そんな疑問がありそうな中で作品を作って公開しちゃうっていうのも、結局エンターテイナーの血なのかもしれない。

そう考えると、弱々しいサルの姿が逆に大げさに盛った演出なのかもしれない。やっぱりRobbie Williamsは「選ばれた人」なんだと思う。

(85点)
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「ロングレッグス」

2025年03月20日 19時33分57秒 | 映画(2025)
神にも悪魔にも選ばれず。


悪魔という概念は極めて宗教的な存在である。従って、あまり宗教を身近に感じずに日常を過ごす者たちにとっては、理解するのが難しいのである。

物語が進むうちに分かってくるが、本作に出てくる殺人鬼は悪魔の使いである。呪術を駆使して他人を操ることができるという時点で、この界隈の知識が浅い立場からすると、実世界から離れたフィクションと括ってしまわざるを得ないところが残念である。

映画は時間軸が連続した物語であるが、敢えてPART1~3を区分している。PART1は、主人公のFBI捜査官・リーの元へ殺人鬼が手紙を届けるまで、PART2はリーが謎を解いて殺人鬼の身柄を拘束するまで、そしてPART3はその後の悪魔の所業である。

PART1はとにかく混乱する。最後まで観て多少は分かった気になっている今でも、おそらく理解しないまま忘れてしまった事象が数多くあると推測する。

PART2の半ばで殺人鬼が姿を見せた辺りから物語の主軸は繋がり始めるので、分かった気にはなる。でもおそらく宗教的な背景の知識がないから頭の中に何も広がってこない。店で殺人鬼の応対をしたレジ係のように「キモ男が来た」で終わってしまうのである。

それでもある程度は楽しめた。画像は凝っていて見どころがあるし、エンディングの結果を見せずに終わらせるところも良いと思う。「サタン万歳」の台詞は選ばれた人間に作用するはずだから、ああなるような気がするけど。

上からエンドロールが降ってくる演出は「セブン」で見た以来だろうか。音楽はT.Rexで、冒頭のクレジットにもT.Rexの言葉が出ていたけど、ここも誰かに解説してもらわないと分からないな。

(65点)
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「Flow」

2025年03月20日 08時19分39秒 | 映画(2025)
生きること以上に重要なことなどない。


アカデミー賞の長編アニメーション賞といえば、ディズニー・ピクサーをはじめとした米国作品が常連であり、今年も大ヒットを記録した「インサイドヘッド2」「野生の島のロズ」といった強力な作品がノミネートに上がっていた。

しかし、その中で栄冠に輝いたのはラトビア出身の監督が作った本作であった。多様性重視という方向性があったのかもしれないが、確かめないわけにはいかない。

全篇セリフもナレーションもなし。主人公はネコ。イヌやサルや鳥やカピバラのような動物が他に登場するが、人類は既に絶滅してしまったのか、文明の痕跡だけを残して一切登場しない。

本作はまず、ネコを主人公にしたというのがいちばんのポイントであろう。

ネコは、動物でありながらも野生とは縁遠い。野良猫も文化や文明の中で人間社会に紛れて生きている。人間がいないながらも、限りなく人間に近い存在として描けるのがネコなのだ。

特にこの主人公ネコは、ペットとしてかわいがられていたのだろう。その姿は愛らしい一方で、小柄な体は独りで生きていくにはあまりにも頼りない。

映画の冒頭、ネコはいつもの寝床と思われる住居の2階にあるベッドでまどろんでいる。突然に飼い主がいなくなったことを理解していないのだろう。この後の波乱万丈の冒険と対照的な平和な光景が印象に残る。

ある日、外を歩いていると、川で魚を捕る数匹のイヌと出会う。こぼれた魚を口に咥えたところを見つかってしまい追いかけっこが始まる。持ち前の俊敏さで何とかやり過ごしたと思った瞬間、今度はイヌたちが全速力で戻ってきて、自分には目もくれずに駆け抜けていった。するとほどなく、大量の水が一気に押し寄せてきた。

大水は瞬く間に周囲の森を飲み込み、ネコが住んでいた住居が沈むのも時間の問題となり、ネコは住処を離れることを決心する。

小柄で非力なネコは、大きな鳥に襲われそうになったり、水中に転落して溺れそうになったり、次々に危険に遭遇するが、その度に自分以外の力によって生命を救われる。そして経験を積むうちに、自分でエサを獲るようになるなど少しずつ強さを備えるようになる。

ネコは何も語らない。それでも、様々な動物との出会いと別れ、前触れなく襲ってくる自然の脅威を経て、ネコがとにかく無心で生きて前を進む姿に、心を動かされ胸が熱くなってくる。

最後に再び自然の脅威が大きな変化を起こしたとき、世界の秩序も根底から覆される。水の中で偉大な王のように君臨していたクジラは干上がった陸では生きることができない。瀕死のクジラを見守るネコとその仲間は、いずれもはぐれ者として集まった者たちだ。

世の中は常に流れの中を移ろっていく。人間がこうして地上の生活を謳歌できる期間も永遠ではないはずだ。過信してはいけない。みんな小さく非力な、この物語のネコなのだ。

(90点)
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「ウィキッド ふたりの魔女」

2025年03月09日 19時59分45秒 | 映画(2025)
多様性の危機を憂いて登場。


相変わらず無学のため知識がなかったのだが、Wikipediaによると「ウィキッド」は「オズの魔法使い」の外伝的な位置付けになるらしい。

しかし困ったことに「オズの魔法使い」も実はよく分かっていない(関連の映画を観た記憶はうっすらとあるのだが)。そんなわけで、事前に分かっていたのは、魔法使いがいる世界を舞台に、良い魔女と悪い魔女が主役の物語が展開するという程度であった。

良い魔女を演じたのはA.グランデ。一方で悪い魔女を演じたのは黒人女優のC.エリヴォ。キャスティングを見ただけで、「悪い魔女」と呼ばれているエルファバが本当は善良なキャラクターであることは丸わかりである。

冒頭は、オズの国民が「悪い魔女が死んだ」と喜びいっぱいで歌う場面から始まる。そこに、活躍したヒーロー然として空から降りてくる「良い魔女」グリンダ。「あなたは悪い魔女と昔から知り合いだったんだって?」と尋ねられた彼女は、「そう、彼女のことは昔から知っていた」と意味ありげに応える。

エルファバは生まれたときから肌の色が緑色で、母親が浮気した相手との間に作った子であったことも手伝って、誰からも愛情を注がれずに育ってきた。正統な父親の血を引く妹のネッサローズのお世話係として、オズの名門であるシズ大学にやって来た彼女は、つい感情を抑えられずに大衆の面前で強い魔力を持っていることを披露してしまう。

大学の学長はエルファバの底知れぬ力を見抜き、お手伝いとして来ただけの彼女も大学の一員として寮に住まわせることを即決。成り行きでグリンダと同室となるが、この二人、見た目も育ってきた環境もまるで正反対なものだから、はじめは徹底的に反発し合う。

最初に書いたとおり、話を全然知らなかった立場として、この二人のキャラクターの位置付けはおもしろかった。特にグリンダ(本当の名前はガリンダ)は、裕福な家庭で育って、苦労知らずで楽天的な陽キャなのだが、どうやら魔法の才能はなく学長からはまったく相手にされないという、ひとつ間違えば好感度だだ下がりの人物であった。

この役をA.グランデがうまく演じている。外形的には上述のとおりの鼻持ちならない要素が全開なのだが、時折見せる間抜けさや人の良さが絶妙に観ている側の感情をつなぎ止めるのだ。エルファバに対しても、心底嫌いなら同室を断ることだってできたかもしれないが、「私は自分より恵まれない人に施すのが好き」などと言ってなんだかんだ受け入れるあたり憎めない。

そしてある日、親戚からもらって処分に困っていた魔女の帽子をエルファバに半ば押し付けるような形で譲ると、今まで他人から施しを受けたことがなかったエルファバは感動して、大学の学生たちが集まっていたパーティー会場へその帽子を被ってやって来る。一見こっけいな姿に学生たちが冷ややかな視線を向けるがエルファバは気にしない。その想いはグリンダに届き、二人は無二の親友となった。

性格の違う二人がバディになる。片方の足りないところをもう片方が補う関係は、昔から鉄板の設定である。エルファバの能力にほれ込んだオズの本部から招待状が届き、二人はオズの魔法使いとの面談に臨むが、この魔法使いは秘密を持っていて、二人は一気に窮地に追い込まれることとなる。

さすがに長い間ブロードウェイのミュージカルとして演じられてきた物語である。エルファバとグリンダだけでなく、脇の人物を含めてキャラクターが個性的で、しっかりと作り込まれていたので、ひとつひとつの展開を興味深く追いかけさせられた。

キャラクターの個性は、今風に言えば多様性である。肌の色、陽キャと陰キャの他にも、ネッサローズは障碍者だし、不当に大学を辞めさせられる教官に至っては動物である。

立場の違う者たちみんなが、輝くことを追求できる公平な世界を作る。世界の様々な地域でバランスが崩れかけている今だからこそ、本作はより際立った結果を残すことができたのだろうと思う。

残念ながら「PART1」なので、それぞれの見せ場がまだまだ中途半端ではあったが、キャラクターたちが後半でどんな活躍を見せるのかがとても気になるところである。ネタバレを避けながら次回を待つことにしたい。

(80点)
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「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」

2025年03月04日 19時41分03秒 | 映画(2025)
天才の前にすべてはひれ伏す。


オスカー戴冠こそならなかったものの、20代にして早くも2度めの主演男優賞ノミネートを果たしたT.シャラメ。「DUNE砂の惑星」「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」など商業的な成功も重ねて、あと一歩で頂点に立つような勢いである。

彼が今回演じるのは、言わずと知れた音楽界の巨人・B.ディラン。彼の伝記、というよりはキャリアの一部に焦点を当てて描いた「ボブマーリー ONE LOVE」的な作品である。

1961年。彼がニューヨークへやって来て間もなく、病気療養中の伝説のフォークシンガー、W.ガスリーを見舞った病室で即興で弾き語りを始める。

うまくしゃべれないウディは興奮のあまり拳で壁を叩き、傍らにいたP.シーガーも完成度の高さに目を細める。この映画では、登場した瞬間から彼は天才であった。最初こそ伝統的なフォークソングを収録したアルバムを出すが、その後は着々と曲を作り、時には既に売れていたJ.バエズの力も利用しながら、半ば必然的にスターダムへ駆け上がっていく。

T.シャラメの歌は上手く、ぼそぼそとした語り口や他人を寄せ付けない立ち居振る舞いには、スターのオーラが漂っている。

でも、未知の天才がスターになるまでの約5年の過程は、興味深い話ではあったが、心を揺り動かされるようなものではなかった。

知られていないとはいえ、彼は天才であり、おそらく自分もそのことに気付いている。だから自信が揺らがないし、揺らがないから感情の浮き沈みもない。才能があれば人は寄ってくる。その中から気分次第で付き合いたい人を選んで隣に置けばいい。という感じに見えてしまったのである。まさに凡人のひがみ。

ただ、アーティストに清く正しい人間性が必要ないのは確かで、暴論を言えば、モラルなんて投げ捨てて、ドラッグなど快楽に突き進んだ先に、真の芸術が見えてくることもあるのかもしれないとも思う。

クライマックスの1965年のニューポートフォークフェスティバルで、彼はエレクトリックギターを多用した演奏を行い、会場にいたファンからブーイングを浴びる。進歩を好まず居心地の良い世界に浸ろうとする観客と、常に新しい刺激的な音楽を求めるアーティスト。

人間としてはどちらも有りで、もうそれは考え方や生き方の違いとしか言いようがない。観客はいつか時代に置いていかれるかもしれないし、アーティストだっていつまでも時代に乗っていけるわけでもない。鑑賞後にB.ディランについて調べてみたら、映画で描かれる5年間以外の人生では、やはりそれなりの紆余曲折を経た人生だということが分かる。

本作はあくまで、彼が上り調子だった一時代の切り取りであり、それ以上でも以下でもない。思い入れのあるファンにとっては素晴らしい作品に映るのだろう。

(50点)
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「アノーラ」

2025年03月02日 09時05分10秒 | 映画(2025)
宴の後始末。


コールガールが大富豪のお眼鏡にかかってゴールイン!というと、かつての「プリティウーマン」を彷彿とさせるが、本作の売り文句には「シンデレラストーリーのその後を描いた」とある。

それで本年度のアカデミー賞の最有力に名を連ねているというのだから、どういう映画なのかとても気になるところ。

どういう言葉で表す職種になるかは分からないが、ホールに来た男性客に声をかけて個室で密着して刺激的なダンスを踊るサービスを提供する風俗店で働くのが、主人公のアニーことアノーラであった。後に「娼婦」と呼ばれて激怒しているが、お金をもらえば性的サービスも有りとしている以上、そう見られても仕方のない仕事ではあった。

ある日、店のオーナーからロシア語が分かる女性のリクエストがあり、客のもとへ行くと、そこにいたのは自分よりも若そうな青年・イヴァンであった。二人はほどなく意気投合し、特にイヴァンはアニーを気に入り、特別料金を払うから自宅へ来てくれないかと誘う。

翌日、イヴァンの自宅を訪れたアニーはあまりの豪邸に驚く。聞くと、彼はロシアのさる富豪を父に持つと言う。イヴァンの思いは更に高まり、1万5千ドルの即金払いで1週間アニーを専属として借り切った。

パーティー、ゲーム、ドラッグ、セックス、パーティー、そしてまたセックスと遊び尽くす日々。あまりの楽しさにイヴァンは勢いでアニーにプロポーズする。米国では配偶者がアメリカ人であれば永住権を獲得できる(らしい)。ロシアに戻って家業を継ぐのがイヤだという気持ちがイヴァンを更に急き立てた。

私の人生これでバラ色。とばかりに働いていた店を満面の笑みで出て行くアニー。しかしその後、ロシアにいた両親の逆鱗に触れ、二人の結婚生活はとんでもない騒動に発展するのであった。
(以下、ネタバレあり)

アニーは魅力的な女性である。明るくて快活な一方で、現実的でシニカルな視点も持っている。対するイヴァンはどう見ても世間を知らない金持ちのバカ息子。自分に実力がないのに親の資産だけでぜいたく三昧するだけで、成長しようとする意欲も持っていない。

両親がニューヨークへ送り込んでいたアルメニア系のお目付け役が、何とか二人の結婚を解消しようと奮闘するが、アニーの体を張った抵抗もあってうまくいかない。この辺りのやりとりはアクション+コメディにかなり振れていて、場内から笑い声が聞こえてくるほどとても楽しい。どう見てもどこかで行き詰まる結婚と分かっていても、アニーなら何とかするんじゃないかと思いながら物語は進んでいく。

ロシアの両親が到着する。ラスベガスで発行された結婚証明書はネバダ州でなければ無効にできないと分かれば、すぐに自家用ジェットで飛ぶ。「弁護士を雇って裁判所に訴える」と言えば、「したいならすればいい。今まで持っていた僅かな財産も、家族や友達もすべて破滅することになる」と凄まれる。圧倒的な力の差を見せつけられて、さすがのアニーも冷静さを取り戻していく。

すべての手続きが終わり、彼女は荷物とともにかつて住んでいたアパートの前に戻って来た。横には送迎役を命じられたイゴール。振り返れば、騒動があった中でもそれなりに自分に気を遣ってくれていた彼に、何かお礼をしなければと思ったのか、アニーは運転席の彼の上に跨る。

少し腰を動かした後で突然泣き崩れるアニー。何も言わずに彼女の頭を包み込むイゴール。外には大粒の雪が舞っていた。

途中のアクション+コメディのまま突き進んでアニーが両親に打ち勝つ展開になれば、それはそれでおもしろかっただろうし、すごくスッキリしたのだと思う。

そこを一転させて、特に最後の10分くらいは一層の静寂さをもって、ゆっくりと話を着地させていったところが、本作の味わいが深まった一因であろう。

アニーとイヴァンがパーティー三昧をしていたときに、翌朝の後始末の様子を映していた場面がある。掃除をするお手伝いさんにイヴァンがチップを渡す。彼女は受け取るが、表情に変化はない。接触はあっても二つの世界の間に橋はない。おそらく夢を見ようとさえも思わない。

イゴールは言った。「あなたがあの一族の中に入らなくて良かった」。空から幸運が降ってくるのを期待する前に、地に足を付けた生活を送る。当たり前のこと、そして大切なこと。アノーラならきっとできるはず。

(90点)
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