誰もが支配したがっているんだ。
政治と宗教の話はタブーとよく言われる。思想が異なる相手だったときに面倒くさいことになるからという理由に尽きると思うが、それは個人の思想を更に膠着化させることにも結び付いている。
こうした状況は宗教の二世問題にも深く関係する一方で、特定の宗教を信仰していない家庭環境で生活をしていた場合には、宗教が持つ特別な価値観に気付けないまま年齢を重ねてしまう=免疫を持てないという側面も持つ。
日本人は往々にして後者が多く、自分も例外ではないのだが、外国では宗教が話の核心に置かれている映画が頻繁に作られる中で、そういう作品は理解するのがなかなか難しい。
本作も話のど真ん中に宗教観が据えられている。タイトルにもなっている「異端者」であるリード氏は、見た目こそ温和で上品な中高年男性(なにしろH.グラントである!)であるが、実際は問答を繰り返しながら相手の心を侵食しようとするモンスターである。
彼の家を訪れたのは二人の若い女性宣教師・シスターバーンズとシスターパクストン。2人組で自転車に乗って個別に布教活動を行う姿は大昔からよく目にしたモルモン教の姿である。
キリスト教についてそれほど知識があるわけではないが、モルモン教はキリスト教の一派であり、必ずしも本流ではないということは何となく感じていた。
リード氏は、教典の詳細な資料の入手を希望すると言って二人を自宅へ招き入れる。教会にとって関心を持ってくれる人は貴重であり、二人は初めて会うリード氏に不安を感じながらも丁寧な応対に努める。
大雨の中で玄関口に立たせておくわけにはいかない、妻がブルーベリーパイを振る舞うから少し休んでいかないかと声をかけられ、家の中に足を踏み入れた二人。しかし、その家はリード氏が支配する唯一神の世界であった。
物語におけるリード氏の行動の動機は不明であるが、一般の世界に置き換えたときに、似たようなシチュエーションは多くあると思う。つきつめれば、どんなときでも人は自分を優位な立場に置くことを試みると言ってもいい。
リード氏は、モルモン教の立ち位置について、ボードゲームやポピュラーミュージックの歴史になぞらえて、本質的なもの反復に過ぎない、つまり偽物だと非難する。彼の理論はそれなりに筋が通っていて、シスターパクストンは「新しい視点に気付かされた。私たちは間違っていたのかもしれない」と感想を漏らす。
彼の支配への行動は続く。目の前で神の再生を見せると言って、家の奥から預言者として登場した女性に毒入りのブルーベリーパイを食べさせる。そのタイミングで行方不明の二人を探して教会から別の宣教師が家の呼び鈴を押した。
やはり宗教的要素が強かった「ロングレッグス」がオカルトに寄っていた中で本作はどうなのかと推移を見守っていたが、後半はある程度分かりやすいエンタメ作品にまとまっていた。
モルモン教のシスターを主役に据える設定や、二人の人間的な性格や感情を掘り下げて描く下りはおもしろかった。地味でおとなしめなシスターパクストンがリード氏の標的となる構図は切なくなるほど的確である。
そのシスターパクストンが突然名探偵コナンばりに推理を働かせて覚醒するのはご愛敬。冒頭にシスターパクストンがセックスの話をしていたことと関連していて、彼女の内にある異端な部分が現れてリード氏と対峙したという理解にとどめておく。
話の展開としては、協会がもっとリード氏を怪しまなければおかしいと思うし、大雨じゃなかったらリード氏のシナリオ通り進んだのか?などツッコミどころは多数あった。
分かったこととしては、人は知らない間に絡めとられていつの間にか動けなくなってしまうということ。気付けたら何かできるのかもしれないけれど、「いつの間にか」というところが問題なので解決するのは難しそうである。
(70点)
政治と宗教の話はタブーとよく言われる。思想が異なる相手だったときに面倒くさいことになるからという理由に尽きると思うが、それは個人の思想を更に膠着化させることにも結び付いている。
こうした状況は宗教の二世問題にも深く関係する一方で、特定の宗教を信仰していない家庭環境で生活をしていた場合には、宗教が持つ特別な価値観に気付けないまま年齢を重ねてしまう=免疫を持てないという側面も持つ。
日本人は往々にして後者が多く、自分も例外ではないのだが、外国では宗教が話の核心に置かれている映画が頻繁に作られる中で、そういう作品は理解するのがなかなか難しい。
本作も話のど真ん中に宗教観が据えられている。タイトルにもなっている「異端者」であるリード氏は、見た目こそ温和で上品な中高年男性(なにしろH.グラントである!)であるが、実際は問答を繰り返しながら相手の心を侵食しようとするモンスターである。
彼の家を訪れたのは二人の若い女性宣教師・シスターバーンズとシスターパクストン。2人組で自転車に乗って個別に布教活動を行う姿は大昔からよく目にしたモルモン教の姿である。
キリスト教についてそれほど知識があるわけではないが、モルモン教はキリスト教の一派であり、必ずしも本流ではないということは何となく感じていた。
リード氏は、教典の詳細な資料の入手を希望すると言って二人を自宅へ招き入れる。教会にとって関心を持ってくれる人は貴重であり、二人は初めて会うリード氏に不安を感じながらも丁寧な応対に努める。
大雨の中で玄関口に立たせておくわけにはいかない、妻がブルーベリーパイを振る舞うから少し休んでいかないかと声をかけられ、家の中に足を踏み入れた二人。しかし、その家はリード氏が支配する唯一神の世界であった。
物語におけるリード氏の行動の動機は不明であるが、一般の世界に置き換えたときに、似たようなシチュエーションは多くあると思う。つきつめれば、どんなときでも人は自分を優位な立場に置くことを試みると言ってもいい。
リード氏は、モルモン教の立ち位置について、ボードゲームやポピュラーミュージックの歴史になぞらえて、本質的なもの反復に過ぎない、つまり偽物だと非難する。彼の理論はそれなりに筋が通っていて、シスターパクストンは「新しい視点に気付かされた。私たちは間違っていたのかもしれない」と感想を漏らす。
彼の支配への行動は続く。目の前で神の再生を見せると言って、家の奥から預言者として登場した女性に毒入りのブルーベリーパイを食べさせる。そのタイミングで行方不明の二人を探して教会から別の宣教師が家の呼び鈴を押した。
やはり宗教的要素が強かった「ロングレッグス」がオカルトに寄っていた中で本作はどうなのかと推移を見守っていたが、後半はある程度分かりやすいエンタメ作品にまとまっていた。
モルモン教のシスターを主役に据える設定や、二人の人間的な性格や感情を掘り下げて描く下りはおもしろかった。地味でおとなしめなシスターパクストンがリード氏の標的となる構図は切なくなるほど的確である。
そのシスターパクストンが突然名探偵コナンばりに推理を働かせて覚醒するのはご愛敬。冒頭にシスターパクストンがセックスの話をしていたことと関連していて、彼女の内にある異端な部分が現れてリード氏と対峙したという理解にとどめておく。
話の展開としては、協会がもっとリード氏を怪しまなければおかしいと思うし、大雨じゃなかったらリード氏のシナリオ通り進んだのか?などツッコミどころは多数あった。
分かったこととしては、人は知らない間に絡めとられていつの間にか動けなくなってしまうということ。気付けたら何かできるのかもしれないけれど、「いつの間にか」というところが問題なので解決するのは難しそうである。
(70点)