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「昭和くさい」にちなんで   文科系

2018年04月21日 11時29分11秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 最近歴史論、日本史見直し論が盛んです。少子化、超格差、貧困化など、この国がどんどん斜陽になっていく事態に対して、日本会議・アベ流戦前美化論などがに犯される議員なども多発生し、これをもう一度批判し直す論も現れたり、と。
 ともあれ、前世紀の終わり90年代の中頃の日本が国民一人当たりGDPで世界第3位になっていたというのは、事実。団塊世代が成したこのことの功罪をこそ、日本の良い将来目指して今見つめ直す必要があるのだと思います。
 旧稿の再掲ですが、ご笑覧ください。
 

【 「昭和くさい」に因んで  文科系 2010年01月15日 | 文化一般

 即席の日本人論と昭和人論を一つ。まず歴史的背景について分かりやすいように、歴史順に箇条書きにしてみましょう。

①織豊時代、戦国時代に、日本の経済力が凄まじく伸びた。

②その力が、徳川の安定期に入って鎖国もあったりして、ほぼ「国内消費・好循環経済」にだけ使われた。回船など国内流通、商業もおおいに発展して、100年もたたないうちに、大都市などでは元禄の町人文化という形で、庶民文化も先進国相当の発展に達した。日本人が1日2食から3食にかわったのも、このころだと聞く。基本的に「生産と消費の国内好循環」は徳川末期まで波はあっても続いていたのだろう。この、アジア有数の力が、明治維新でいわゆる近代化が達成されていく原動力になっていったのだと思う。

③明治維新は一種の革命だったと僕は思う。下級武士により旧来身分制度(の固定化)が崩れ、できる庶民が、あの時代のアジアとしたら差別少なく登用された。こういう民主主義の一例が、例えば学校制度にある。庶民登用型学校制度という側面のことである。全国に女子と男子二つずつの高等師範学校が、西と東に設けられた。男子は広島と東京、女子は奈良と東京に。この四つは一般帝大よりはるかに難しく、それだけ教師が大切にされていたということだろう。ここには何の身分、家柄はなくとも成績がすごくよい人(今の超難関医学部ほどか?)なら、多少のお金があれば(一般帝大平均よりも貧乏な人でも)入れた。逆に金があっても、家柄がいくら良くても、成績が満たなければ入れなかった。ここを出た人々が、日本教育界の指導者としてそれぞれ東と西の全国に派遣されたから、こういう「立身出世流儀(教育)」が全国に広まっていった。明治、大正時代の世界でもずば抜けた識字率向上は日本人の民主主義的教育水準の高さを示していると思う。

④そして、敗戦である。廃墟からの再建熱と「民主主義的出世流儀」・学校制度のゆえに、60年代まで庶民の教育熱がどんどん広がっていく。この60~80年代ほど大学就学率が高まった国はこのころまでの世界ではちょっと希なのではないか。この平均的教育水準の高さという点は、英仏など過去の先進国からも驚かれている所だ。
 ただしその教育が目指すモノが、戦前とはちょっと変わった。戦前の旧制高校は「弊衣破帽」「末は博士か大臣か」に象徴されようが、戦後は「博士、大臣よりも『大企業の社長』に」というように。つまり、仕事内容よりも金が大事な社会になったのだろう。
 以上が、昭和人なのだと思う。

 以上のマイナスの負の部分、側面にも触れねばならないだろう。相当民主主義的で、世界の時代にも合った?ものだったとは言え、基本的に上からの改革であったということだ。各界の戦略、つまり長期的・全体的な方針は立憲君主政治よろしく「上から下りてきた」ということである。組織、団体の上に上るほど戦略に絡めるが、そういうのはごく少数の人だったし、封建的身分制度の残りかすもあったりして、民主主義の全体的定着は近代化の進展に比べれば非常に弱かったということである。例えばこういうように。
 明治、大正の日本近代文学の最大テーマは、近代的自我であった。村の身分、家柄、本家・分家、男女差などなどに押しつぶされる個人の苦しみを描いたものだったということだ。

 よって昭和人の特徴は
①平均的に世界1と言って良い働き者で、仕事上気も利いて、働きの質も高い。
②上に従い、競争を好む。上の顔色を見ながら、組織人として多分世界でもトップクラスの有能さを示す。ただし、「専門」と「組織」以外には弱い。
③過労死、ノイローゼ・鬱病、自殺の多さなどは、以上の結果でもあるのだろう。以上の反面として、「社会性という習慣、心をも含んだ広い意味での人間関係」に極端に敏感なところがあるということではないか。非民主的な公私混同習慣なども、そうさせているのだろうが。
④趣味、文化活動は大いに必要だと思っているが、若い頃にその養いが少ないので、趣味とか、ましてや相当の知識人でも「文化」とかいうようにはなりにくい。戦前までの伝統文化が欧米文化移入によって途切れてしまった事も関係していよう。
 廃墟育ちでもあり、味覚、聴覚、視覚など五感の養いが少なかったからでもあるのだろうが、「好き」ということが弱いと思う。音、形・色、味、運動感覚など(の芸術・文化)というものは好きでなければ極めようもない。飯は掻き込むモノ、古い家は壊して新しくするのがよいという具合である。文化への尊敬、その鑑賞者は結構多いと思うが、アマチュア創造者が少ないのではないか。
⑤その教養・精神は、便宜主義で、哲学がない。あっても、また相当の知識人でも、便宜主義の哲学、生き方ノウハウ論の延長程度である事が多い。物事を突き詰めて考えず、習慣的にだけ反応し、考えてきたのだと思う。常識の範囲から出ることが少ないということだろう。③④が関係しているのではないだろうか。

 以上と、後の人々、例えば平成成人組などとを比べなければ、昭和人論としてはまだ不十分だろう。
 ①の現在は、「平均的には」最も落ちてきていると思う。②は、①ほどではないがやはり平均的には落ちてきていると思う。③は一種もっと深刻になっている。④はオタクというのも含めて、大事にされるようになってきた。ここが、後の人々が昭和人と最も違う「豊か」なところではないか。お祭り好きなど、「楽しい」がすきでもあるし。⑤は相変わらず弱い。日本知識人の最も弱いところだと思う。だからこそ③が整理できず、④がオタクになってしまうのではないか。

 昭和人受け継ぎ、この国の未来に関わる結論
 少子化の成熟国の子ども、人間は、親、先輩がその成熟を作ったよい所を受け継がず、悪いところを見ていて、反省、改善はするのだが、はてまっとうに改善できるのかどうかといったところ。それで成熟国は、古今東西常に衰えてきたのではないか。その「正しい民主主義度」のエネルギー、「格差固定」の排除があるか無いかによって、現状維持継続期間の長短はありながらも。ちなみに、イギリス、フランス、ドイツなど明治日本がその民主主義で模範にした国々も、今や新たな身分固定社会になり、発展の芽はなくなっているのではないか。これだけめまぐるしい世界、社会になれば、3代目が家をつぶすと言われることが国にも当てはまってくるようだ。
 ワスプなんて習慣があったアメリカだって超大国で100年ほど続いているが、移民と東欧没落がなければとっくに没落していたと思う。明治、大正生まれを祖父とすれば、現日本の中心は丁度3代目だし、移民は毛嫌いしている人がまだまだ多そうだ。】

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ニシノジャパン(3)ハリル解任は誤り①  文科系

2018年04月21日 10時57分40秒 | スポーツ
 ハリルを切った日本協会は、認識不足による誤りを犯したと考えるに至った。その理由を先ず今回は、代表の歴史的総括から示してみたい。なお、このテーマをここであと数回追うつもりである。


① W杯で決勝トーナメントに進んだのは2度。監督はトルシエと岡田武史で、いずれも守備的な戦い方を選んだ。ちなみに、「日本には守備の文化がない」と最初に指摘した人物こそ、フィリップ・トルシエである

② 日本が世界最高位になったのは、11年春。ザック時代の初めの頃の17位や13位である。これは、就任と同時に日本の守備を、「守備で名高いイタリア流の基礎教育によって大改革」して得た、ザックの大成果であった。「本当に基礎から教えねばならなかった」とは、イタリア往年の名監督アリゴ・サッキにも伝わっていったザックの話である。ちなみに、当時吉田麻也が、こんなことを語っていた。「日本の守備基礎の常識とは全く異なったことも教えられて、驚きの連続」と。こんな代表がブラジル大会で大敗したのは結局、ザックの守備指示を一部踏み外したままにブラジルを迎えた一部選手らの思い上がりと、錯覚が原因だと思う。

③また、代表全盛期の11年以降は、世界の守備が非常な変化を遂げた。以下のような世界の変化を果たして、代表選手たちや、協会は捉えられていたのか? 捉えられていたならば、準備段階も含めたブラジル大会のような戦い方はとうてい出来なかったはずだ。このことこそ、世界13位が今60位にまで日本が落ちてきた原因だったはずなのだ。

④ 先ず10年のCLでバルサがインテルに惨敗したこと。次いで、11~14年頃に顕著になったドルトムントやドイツ代表、アトレッティの急台頭である。世界最先端の守備が、「コンパクトな徹底マーク守備のために中盤で走り回り、必要な時には得点もしやすいという攻勢的守備」へと激変した。ハリルが「モダンサッカー」と呼んだものこそ、この急台頭を踏まえた発想だったと愚考する。攻撃のオートマティズム(トルシエがよく言った)注入よりも、W杯では特に、こういう攻勢的守備が今は有効なのだと思う。


 さて、日本サッカーは、評論家らも含めて守備の文化が弱くて、近年では「バルサ流の繋ぐ攻撃」ばかりに憧れてきたという傾向はなかったか。このバルサは、10年には守備の名監督モウリーニョ指揮のインテルに、その後は攻勢的守備を開発したドイツ勢に敗れている。一部選手らが執着するような日本程度の繋ぎでは、現在の攻勢的守備に一発引っかけられたら終わりであると、何故観測し、考えられなかったのか。

 7年前には世界13位であった日本が、現在は60位。こんな結果は、世界潮流の大変化を見誤ったままの代表一部と協会との現状分析不足によるものとしか思えないのである。海外活躍選手は当時よりも遙かに増えているのだから、この日本沈滞はJの不明によるものだと言いたい。そして現在、そんな不明のままにハリルを切り西野を選んだとしか、僕には考えられない。西野監督というのは、繋ぎのサッカーのイメージしかないが(アトランタの西野監督はあまりにも昔の話で、今は例外と考えられる)、これもこういう現状分析不足のゆえでなければと、願うばかりだ。


(この「ハリル解任は誤り」は、まだ続きます)
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