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「裏金問題」の「表現」(その2)   文科系

2024年04月16日 15時56分00秒 | 国内政治・経済・社会問題
 先回のエントリーに続いて、その2を書いてみたい。今回はこういう主旨のものだ。国会議員、政治家の大罪を日本人はすぐに忘れる。だから政治は一向に良くならず、また「第二の戦前」などと語られ始める始末。ところで、人が政治事件をすぐに忘れることについて、そういう諸事件をきっちりと表現しなければ、覚えていられないのだということを書いてみたい。
 
 まず、前回書いたことの要約。
①国の「法律」を作る「国権の最高機関」が国会である。
②裏金問題が示したのは、その国会の構成員である議員らの多くが「法律違反の確信犯」であったということだ。
③これは、警察官が犯罪を犯し、裁判官が被告人から賄賂をもらうのと同じ事であり、国民に託された最大任務における背信ということであるから、解任が当然だろう。

 さて、人間はどんな物事、事項も言葉で表現しなければ、その印象は薄れたままで、認識も深まらず、すぐに忘れるものだ。犬という言葉でさえ、この言葉に込められた知識は、幼少期から犬を体験するごとに同じ「犬」という言葉を思い出し、使ってより詳しく、正確に深めて来たのである。「自民党議員の圧倒的多数が、政党パーティーを開いて裏金作りをやっていた」という認識、「印象」程度では、その罪の大きさは表現されていないから、すぐに忘れるということだ。こんな重大事態は正確に表現してこそ、より正確に覚えていられるのではないか。それが上記の①~③だと言いたい。「裏金」は、「犬」など目に見え、手で触れる「物」ではなく、複雑なある社会事件だから、その表現も子どもでは手に負えぬ難しいものである。

 諸団体などで重大すぎるミスを犯した時に「始末書」というものを書いて、提出する習慣があった。これを二度と起こさないためには、「そのミスの重大さを自覚する必要」があるからである。始末書は、この重大さを表現して、自分や周辺に戒めとするものである。今回の関係国会議員らは全員、こう言う始末書を書いて、罪の重大さを自覚すべきである。でなければ彼らはこれをすぐに忘れていくだろう。選挙のためには、忘れたくて仕方ないことのはずだからだ。

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2 コメント

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Unknown (I.SATO)
2024-04-18 11:44:47
文科系さん>「言葉は水に流れ、文字は石に刻まれる」という例えがあります。
書くということは大脳を相当使うはずですから記憶されるのですね。
政治家は「水に流す禊」の悪用が大好きです。
始末書を書けない輩にバッジをつけさせている選挙民が刮目しないと今の状況は変わらないと思いますが、とりあえず3補選に注目しています。
SATOさんへ (文科系)
2024-04-20 14:25:47
書くと言うことは、大脳を使い、問題を整理すること。整理してない理解はすぐに消えていくのでしょうね。人間の普通の思考は、連想ゲームのようなもんですから、すぐに消えてしまう。また、早く消したいものならば、なおさらのことだ。3補選がん張って欲しいが、維新の馬場酷すぎますよね。あれでも、人間でしょうか?

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