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ニシノジャパン(3)ハリル解任は誤り①  文科系

2018年04月21日 10時57分40秒 | スポーツ
 ハリルを切った日本協会は、認識不足による誤りを犯したと考えるに至った。その理由を先ず今回は、代表の歴史的総括から示してみたい。なお、このテーマをここであと数回追うつもりである。


① W杯で決勝トーナメントに進んだのは2度。監督はトルシエと岡田武史で、いずれも守備的な戦い方を選んだ。ちなみに、「日本には守備の文化がない」と最初に指摘した人物こそ、フィリップ・トルシエである

② 日本が世界最高位になったのは、11年春。ザック時代の初めの頃の17位や13位である。これは、就任と同時に日本の守備を、「守備で名高いイタリア流の基礎教育によって大改革」して得た、ザックの大成果であった。「本当に基礎から教えねばならなかった」とは、イタリア往年の名監督アリゴ・サッキにも伝わっていったザックの話である。ちなみに、当時吉田麻也が、こんなことを語っていた。「日本の守備基礎の常識とは全く異なったことも教えられて、驚きの連続」と。こんな代表がブラジル大会で大敗したのは結局、ザックの守備指示を一部踏み外したままにブラジルを迎えた一部選手らの思い上がりと、錯覚が原因だと思う。

③また、代表全盛期の11年以降は、世界の守備が非常な変化を遂げた。以下のような世界の変化を果たして、代表選手たちや、協会は捉えられていたのか? 捉えられていたならば、準備段階も含めたブラジル大会のような戦い方はとうてい出来なかったはずだ。このことこそ、世界13位が今60位にまで日本が落ちてきた原因だったはずなのだ。

④ 先ず10年のCLでバルサがインテルに惨敗したこと。次いで、11~14年頃に顕著になったドルトムントやドイツ代表、アトレッティの急台頭である。世界最先端の守備が、「コンパクトな徹底マーク守備のために中盤で走り回り、必要な時には得点もしやすいという攻勢的守備」へと激変した。ハリルが「モダンサッカー」と呼んだものこそ、この急台頭を踏まえた発想だったと愚考する。攻撃のオートマティズム(トルシエがよく言った)注入よりも、W杯では特に、こういう攻勢的守備が今は有効なのだと思う。


 さて、日本サッカーは、評論家らも含めて守備の文化が弱くて、近年では「バルサ流の繋ぐ攻撃」ばかりに憧れてきたという傾向はなかったか。このバルサは、10年には守備の名監督モウリーニョ指揮のインテルに、その後は攻勢的守備を開発したドイツ勢に敗れている。一部選手らが執着するような日本程度の繋ぎでは、現在の攻勢的守備に一発引っかけられたら終わりであると、何故観測し、考えられなかったのか。

 7年前には世界13位であった日本が、現在は60位。こんな結果は、世界潮流の大変化を見誤ったままの代表一部と協会との現状分析不足によるものとしか思えないのである。海外活躍選手は当時よりも遙かに増えているのだから、この日本沈滞はJの不明によるものだと言いたい。そして現在、そんな不明のままにハリルを切り西野を選んだとしか、僕には考えられない。西野監督というのは、繋ぎのサッカーのイメージしかないが(アトランタの西野監督はあまりにも昔の話で、今は例外と考えられる)、これもこういう現状分析不足のゆえでなければと、願うばかりだ。


(この「ハリル解任は誤り」は、まだ続きます)

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-04-22 19:29:16
「② 日本が世界最高位になったのは、11年春。ザック時代の初めの頃の17位や13位である。」‥
でも、その結果のブラジル大会は?
文ちゃん、ホントに見てないの?
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